1999年8月8日日曜日 第10話 逆命利君 |
経営者や管理職に対して意見を言う社員は少ない。何故かという
と、そうした人達が聞く耳を持たないからである。何か提案したり、意見を言っても、さも聞いているような顔をしている人もいるが、殆ど聞いてないのが現実
ではないだろうか。中には、顔色を変えて怒り出す者までいる。
そうなると、段々部下は何も言わなくなってくる。皆自分の身が可愛いのである。しかし、そんな会社には未来は無い。
そんな企業と一線を画する会社が有る。私の好きな「評論家」佐高 信さんの本から一部引用させていただく。これまた好きな城山三郎さんとの対話形式になっている。
講談社文庫 逃げない経営者たち 日本のエクセレントリーダー30人佐高 信 1994年2月15日第一冊発行より
亡くなった鈴木朗夫さんは若い時から、ずけずけ直言していた。そういう人を伊藤さんは常務にまで引き上げている。
伊藤さんがすごく大事にしているのが「逆命利君」という言葉です、・・・・・・・以下略
ちょっと古いが、先日の、DINOSAUR さ
んの書き込みで思い出したので探してみた。見事に一致すると思いませんか。要するに、耳障りの良い人間だけを回りに集めだしたら企業に明日はないというこ
とだ。すなわち上は社長、会長から下は、現場の管理職に至るまで、すべからく人の上に立っということはそれだけの覚悟が必要と言うことだ。
別にその人が偉いとかどうとかでなく、たまたま、そういう役割になった以上その立場で最上の成果を上げる為に何をすべきかを考えるべきである。地位を利用して威張ったり、恐怖政治をして下の者を従わせるなんてのはもってのほかである。そんな会社が発展するわけが無い。
この中でエピソードとして登場する、私も敬愛する、恐らく日本の経営者の中でも最も尊敬されている一人であるあの本田宗一郎さんでも聞く耳を持っていた
という話があったのだが、それ以上であるとは思えない我々はそれ以上に聞く耳を持たなくてはならないと思うがどうだろう。
上記の本の中にもこ出てくる(ここでは、はぶいている)が、佐高さんの『逆命利君』と城山さんの『粗にして野だが卑ではない』は、私が本当に感動した本である。いつか触れてみたい。
2000年4月2日日曜日修正 |
1999年8月12日木曜日 第11話 勲章 |
気になったので、本箱を探してみるとすすぐに「城山三郎著『粗にして野だが卑ではない』 石田禮助の生涯 文芸文春 」が見つかったので読み返してみる。最初に読んだときの感動がよみがえる。序章を紹介しよう。
…略
生前、石田自身、冠婚葬祭にはほとんど顔を出さなかった。
「葬式にはむやみに行くものじゃない、本当に親しい物だけが行くんだ」と、よく言っていた。
…略
石田には、すでに国鉄総裁在任中に勲一等にという話が持ち出されていた。…略
副総裁の磯崎叡もやきもきして、「社会主義でもあるまいし、ぜひ」と、すすめたのだが、石田は吐きすてるように、
「おれはマンキーだよ。マンキーが勲章下げた姿見られるか。見られやせんよ。キミ」
おれは山猿。山猿が勲章つけられるか---という言い分には、反駁の余地がなかった。
…略
普通、これだけの地位になった人は、勲章を欲しがる。又、回りもそう思っているし、貰っても誰も文句は言わないだろう。世の中には、欲しくて欲しくて、会社ぐるみでプロジエクトを組ませる経営者までいるらしいのにこの清々しさはどうでしょう。
葬式も、出来るだけ派手にというのが普通であるが、無駄なことを無駄と言える強い意思をもっているということだろう。この当りは、海外での生活が多かったのも影響しているのかもしれない。
その考えがいいことであると判っていても、回りの言葉に抗することが出来ず、意思に反して認めてしまうのではないでしょうか。最後まで、その意志を貫くのは、回りに対する影響が強いだけに余程の覚悟が無いと難しいはずである。それだけでも尊敬に値する人である。
この後、各章で石田のエピソードを中心に語られている。兎に角素晴らしい人である。
人生すべからくこうありたいとおもう。もっと詳しく書きたいが、私の文章ではその素晴らしさをあらわしきれない。興味のある人は原文をお奨めします。ひとつだけこの本の題名になった場面を取り上げたいと思います。
ところが総裁就任の挨拶にはじめて国会へ出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下すようにして、
「諸君」とはなしかけた。「先生方」ではない。質問する代議士にも、「先生」とは言わず、
「××君」
・…中略
「生来、粗にして野だが卑ではないつもり、ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれ着きでできない。無理に使うと、マンキーが裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許しねがいたい」……以下略
何とも、すごいで
すね、政治家というだけで、「先生、先生」と卑屈になる人が殆どである日本で、これだけのことをそれも国会で言えるのは、なんの私心もなく、自分の生き方
に自身があるからだろう。今の日本にこれだけの気概を持った人が、政官財の中にどれだけいることでしょう。こういう人が一人でも多く日本の指導者の中に出
てくることを望みます。
まず無理みたいですね!
2000年4月2日日曜日修正 |
1999年8月13日金曜日 第12話 不沈艦センス |
私も、商売の関係でJR(旧国鉄)との仕事をしたことがありますが、個人々は、良い方がが多くお世話になりました。しかしながら、組織としてみると、まだまだ、親方日の丸気分が抜けてないと感じられました。
確かに、お客さんの命を預かっているのですから、それだけの安全を計る必要はありますが、それ以外でもそれ程コストを掛けなくてもいいのではと思うこと
もありました。あくまでも、前例主義が前提としてあると思いました。新しい考えは、そう簡単には受け入れられないでしょう。「やる気のある社員は大変だろ
うなぁ」と感じたのは確かです。
取引も、OB会社を主体にしているのも他の官公庁と同じであると感じました。
そんな雰囲気は旧国鉄ではもっともっと強烈だったと思います。そんな雰囲気は石田禮助の言葉からも見て取れる。合理的な人だけに、その問題意識は強かったはずである。
「うしろには日の丸の旗で、いかなる場合においてもブレークダウンしないという確信が国鉄人にはある。これを称して、不沈艦センスだ、と、わたしは監査委員長時代によくいったんです。…・・そういう不沈艦センスを一掃しないといかん」
そのためには、「企業心の向上以外にない。・…能率を上げるにはね、全体の統制を乱さない範囲において、独断専行をできるだけ許す、ということですね」
ただし。「パンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ」と、国鉄職員にうったえている、とも。 (赤、太字は私マァいいか小父さん)
これも良い言葉ですね。しかしながら、かなり難しい。上に立つ者に腹が座っている必要がある。自分の保身の為にそこまで任せることの出来ない管理
職のなんと多いことか。それが組織の元気を削ぎ沈滞させるもとである。力の無い者に限って、部下に仕事を任せることが出来ないのである。それどころか、部
下の仕事に嫉妬する者も少なくない。
もう一つ組織に関する良い話を。
風通しをよくするという意味では、冒頭に述べたように、石田は監査委員長当時から、ノン・キャリア組の抜擢を進言、硬直した人事にメスを入れている。
総裁になってからも、石田はこれを進め、能力ある者には、学歴や年功を問わず、二階級三階級昇進の道をひらいた。
大学卒でない人材を本社の広報部長(局長並み)に抜擢、局長たちから成る省議のメンバーに加えた。
小学校卒の国鉄志免炭鉱所長を、難しい労働問題を解決したとしいうので、
「苦労したから、一番いいところへ持ってきてやれ」
それも、時間をかけるのを許さず、
「すぐ決めようじゃないか」
まず仙台鉄道管理局長へ、次に全国で最大の東京鉄道管理局長に。さらに常務理事へと登用した。
今まさに、警察等で吹き出ている問題をすでに指摘していたのである。それだけでなく、実際にそれを実施していることがすごい。
こういう人が、警察官僚のトップにいれば、今、日本中で起こっている不祥事はなかったのではないでしょうか。
日本にもこんなすごい人がいたのに、その良さが引き継がれていないことが問題だろう。多分、変わり者で切り捨てられてしまったのが現実でしょう。なん
たって、これだけのことを、今の日本の組織でやろうとすれば、組織を食い物にしている奴らからのものすごい抵抗をうけることでしょうが、その点では、石田
さんの時代の方がもっときつかったかもしれないですね。まずそんな考えをする人自体がいなかったのではないでしょうか。
こんなトップがいれは、誰だって喜んで仕事をすると思いませんか。全くこの人はすごい。
2000年4月2日日曜日修正 |
1999年8月14日土曜日 第13話 陳情 |
今の経営者に、自分の信念に従って行動できる人がどれだけいるだろうか。責任は部下に、手柄は自分にの人が、競争相手を蹴落としてきているような風潮の今の時代にそんな人は殆どいないような気がする。
それと正反対の人であった石田禮助さんの抜粋。これは、生半可な話ではない。命を掛けて日本の為に立ちあがっているのである。
だが、石田のストレートな発言はついに禍を招く。
昭和十六年10月十五日。
三菱重工業社長・郷古潔、三菱商事会長・田中完三、王子製紙社長・高島菊次郎、日本鋼管社長・浅野良三、第一銀行・渋沢敬三らが、ひそかに工業倶楽部へ集まった。
石田が自ら電話をかけて、そこへ召集したのである。
…略石田は海軍大将岡田啓介に訴えた。
石田はさらに、ニューヨーク時代に面識のある高松宮から天皇へ訴えてもらおうと、資料を持参して、宮を訪ね、二時間以上にわたって陳情した。
どこからも反応はなかった。そして、唯一の反応が三井高公に呼ばれたことである。石田はその場で辞表を書いてくる。
あの時代にこんなことをした人なのだ。戦後になって、自分を正当化する人は沢山いたが、済んでしまえば何でも言えるのである。実際に体を張って、これだけの事をした人は、殆どいないはずである。それこそ歴史に取り上げられても良いくらいである。
それも、天皇へ訴えようとしたとは、並みの人間じゃないですね。正しいことは、正しいと自分の身を捨てて行動をおこしているのだ。殆どの人が裏では批判
していたかもしれないが、実際にこれほどの行動を(それも経済的にある程度成功している人が、それを捨てることを覚悟してまで)起したというのはまず無
かったのではないでしょうか。
その証拠に、多分、上からの圧力で結局は辞表を書かされたのだろう。しかし、それを戦後に自慢したという話も聞かない。
余程に、腹の座った信念の人ではないだろうか。勿論、それには強烈な自信もあるはずである。それだからこそ、国鉄でも自分の信念に従って行動できたのだろう。普通の人間はすぐに回りに流される物である。
こういう信念を持った人に、少しでも近づきたい物である。
日本人でもこんなことが出来る人がいたというだけで、感激である。こういう人に、今の日本を任せることが出来ればどうなるであろうか。日本の国に未来が見えない時になぜこんな人がいないのか?正反対の小渕とは、日本は見放されたか?
2000年4月2日日曜日修正 |
1999年8月15日日曜日 第14話 無給 |
現在の日本のエリート達に考えてもらうためにも、もう一つおまけに石田禮助のすごさを見てください。今の日本の管理階級でこれだけのことが出来る人が何人いるだろうか?
卑でない部分その一
石田総裁は、次に月給返上で話題になった。
「年間五十億人という人命を預かる職は、金をもらってやるべきではない」
・・・・中略。
後に国鉄監査委員長になってからも、石田は手当てを受け取らず、
「無給の味ますますよろしい」
・・・・・以下略。
何度も天下りを繰り返し、その都度多額の退職金を受け取る人達はこういうひとをみてどう思うのだろうか。きっと何にも感じないんだろうなァ。
…中略
卑でない部分その三
一部の管理職が、平日、業者の接待ゴルフに出かけていたことが暴露された。
石田は早速、三千人の管理職に、「国府津、石田禮助」名で手紙を送った。
ゴルフは「自分とたたかう紳士のスポーツ」であり、「他に追随を許さぬ魅力」がある。
その「魅力を知る一先輩として老婆心ながら、あえて忠告」するというもので、ゴルフにはきびしいルールがあるのと同様に、ゴルフへ行くにも、きびしいルールがある。
そのルールとは、「自分の負担」で「自分の時間」に「無理のない範囲」で楽しむ、ということ。
ここまで徹底しているとは。何処かの警察の公安
委員とか言う人はどう思うんでしょうね。年に数回の会議に出るだけで、二千万円以上の報酬を貰って少ないくらいだと言ってる人がいましたが恥ずかしいと感
じる心は無いのでしょうね。何度も天下りしてそのたびに退職金を取って当たり前だと思ってる官僚達。国民の税金を補填してもらって知らん顔しているどかの
銀行の頭取達。
これは確かに、今の時代の給料が安いのも原因であるようでもあるらしい。戦前の経営者クラスの報酬は、今の時代と比べると半端ではなかったようである。
その点、今のサラリーマン経営者や官僚は可哀想な面もあるようである。しかしながら、それよりズット安月給でやってる人が殆どなのだから言い訳にはならな
いだろう。ただ、経営陣でいるうちは会社の金を使い放題だし、車はあるし至れり尽せりである。それだけにその地位にいるまに余禄を目一杯利用しょうと執着
するのだろう。
しかし、戦前の報酬の良い人でも、この石田さんはすごいですよ、世の中耳の痛い人がどれだけいるやら。何処かの会社では、生活費まで会社の費用で賄って
いる人もいるというのに…。ましてや、ゴルフは会社の費用でするものと思ってる管理職が殆どである。バブルが弾けて大分厳しくはなっているが気持ちは同じ
である。今の官庁にしろ、企業にしろ、管理職達が、こんな覚悟を持っていたら、今時の新聞沙汰は殆どなくなっているに違いない。反省。尤も私なんかは業者
に接待されるほどの偉いさんでもないが。
余談だが、この石田禮助という人は、『それまで日本人の入れなかったオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのメンバーにもなった。』そうである。これは
今までにメンバーになった日本人は殆どいないはずである。余程地元に溶け込んで尚且つ信頼されていないと無理なはずである。小金井カントリーのメンバーよ
りは数段難しい(良くは知りませんが)のではないだろうか?それ程のゴルファーが言うのだから一段と重みがあるように思う。
『「自分の負担」で「自分の時間」に「無理のない範囲」で楽しむ』とは、何とも、すさまじい言葉ですね。この言葉を聞いて、私はその通りやってると言え人がどれだけいるだろうか?
どうして今の日本にこんな人がいないのだろう。いや、多分いるのだろうが時代にはじき出されているのに違いない。結局は日本人自体の責任であるのだ。こ
んな厳しい人についていける人がいないのかもしれない。本当に、国民が求めるならそう言う人は出てくるはずである。さしずめ、中坊さんとか…。
2000年4月2日日曜日修正 |
1999年8月16日月曜日 第15話 直言 |
とうとう講談社文庫 佐高 信著 「逆命利君」を探し出してしまった。今日読み返してみた。やはりすごかった。どう表現したらいいだろう。兎に角、日本のサラリーマンでは考えられない人である。
多分、大抵の会社では、異端児として扱われ長くは勤めることが出来なかっただろう。逆にいえば、それだけ仕事もずば抜けてできたのである。それを受け止めた上司もすごいものである。後の、住友商事の社長である。
取り敢えず、「逆命利君」とは、「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う」を略した言葉であるそうである。上からの命令に逆らっても、進言しても会社の利益を図るのが本当の忠だというわけだそうである。
これはわかるような気がするが、そんなに簡単に進言できるものではない。又、それを受け止めれる上司がいなのではないだろうか?
ところがいたのである。それがこの小説の主人公鈴木朗夫でありその上司の伊藤であった。これは、サラリーマンにとって、最高の上下関係ではないでしょう
か。仕事を通してお互いが認め合っている。仕事に関しては、お互いに妥協せずぶつかり合うが、心のそこではお互いを信頼している。まるで映画みたいです
ね。それに比べて、手柄は自分、失敗は部下の責任。ましてや、箴言でもしようものなら、逆恨みというのが普通のサラリーマンでしょうね。
…略
伊藤の言うイエス・マンが「君を病ましむる」へつらいの徒、つまり「諛者」だが、そうではない「逆命利君」を文字通り実践したのが故鈴木朗夫だった。この部下の直言を、伊藤はまた、ガッチリと受けとめたのである。……以下略
このまえがきだけで殆どすべてが現されている。これだけでも現在の、というか日本の風潮に対する、痛烈な提言だと思う。石田といい、鈴木といい、
(それを受け入れた伊藤もだが)すごい人が日本人にもいたのである。この二人に共通しているのは、自分の信念というものを強烈にもっており、その信念に
沿って行動していることだろう。
そして又その信念が日本人の常識を超越している。それをつらぬくために、誰にも文句を言わせない仕事をしている。その仕事をしているからこそ堂々と自分の主義に忠実に生きて行けたのだろう。ちょっとすごすぎて足元にも近づけないのがつらい。
2000年4月3日月曜日修正 |
1999年8月17日火曜日 第16話 遅参届 |
鈴木のエピソードはチョットすごすぎて想像もつかないと思います。その一つに毎日遅刻をしてくると言うのがあります。そして必ず遅参届を書くのだそうである。その文面が毎日違う。『「昨夜、当社の将来を考えたら眠れなくなった」といった大上段の理由から、「今朝は、靴の紐がよくむすべなかった」といった思わず吹き出しそうな理由まで』あったそうである。
何とも、開いた口が塞がりませんね。それを通すのですから、余程仕事に自信があったのでしょう。確かに、毎日遅くまで仕事をしていたようです。だから自
分でフレックスタイムにしたのである。幾ら仕事をしたからといって、こういう態度に出れる人は日本中探してもいないでしょう。私もやりたいが、これは幾ら
なんでも出来ません。脱帽します。
やはり問題になって、人事担当役員が鈴木を呼んで釈明を求めた。
「何か問題がありますか?」
と問い返す鈴木に、その役員が、
「問題がありますかどころではない。君は就業規則に違反しているのだ」
と怒声を発する。
「本当ですか。ちっとも知りませんでした。就業規則のどの条文に違反しているのでしょうか?」
鈴木は平然としてこう言い、一瞬言葉に詰まった役員を前に、次のように続けた。
「就業規則には、遅参をしたら遅参届を出せと書いてあるので、いつもちゃんとだしています。むしろ私は表彰されるのかとおもっておりました」
どうですこれ、最高ですね。さすがの私もこれはようやりません。ちょっと常識では考えられない発想です。それを実行して尚且つ通してしまうすご
さ。笑うしかないですね。それだけの自信と仕事の裏付けがなければたんなる馬鹿でしょう。「本当に素晴らしい」と思う私は、やはり今の社会では受け入れら
れないのでしょう。
しかし、夜遅くまで働いて、明くる日も定時出勤というのは、鈴木さんでなくても皆、心の中ではいやなはずである。大体、一日中働いて、疲れも取れずに出
勤してもいい仕事はできないと思います。残業が当たり前になると、昼間に適当に手を抜くのがサラリーマンである。そして、それが悪循環になる。日本の会社
なんて殆どそうじゃないでしょうか。
定時で帰るのは抵抗があるから、仕事も無いのにある振りをするとか、昼間に出きる仕事を残業のために残しておくとかするのである。そんなことをするより、昼間に目一杯仕事をして、定時に帰れば良いものをやらないのである。
又、定時に帰るのをさも仕事をしていないように見るバカ経営者や管理職がいるからそうなるのである。その目を振りきって帰るのは、サラリーマンにとって
は勇気がいる事は間違いない。はっきり言って、出世は諦めなければならない。バカな話であるがそれが日本の会社の現実である。
鈴木さんのすごい所は、それを通して尚且つ出世もしている所である。最もそれが無ければ社長までいってたかもしれない。しかし、それは彼のプライドが許
さなかったのではないだろうか。出世の為に自分の信念を曲げるような人ではないはずだ。あくまでも仕事の上で勝負をすることが当たり前であって、周りの目
を気にして自分の行動を変えたり、上に対して追従するなんて事は絶対にしなかった人だろう。
少しでも近づきたいが、余りにすごすぎる。
2000年4月3日月曜日修正 |
1999年8月18日水曜日 第17話 人間らしい生活 |
昨日の続き。伊藤と鈴木の出会いは伊藤が鋼材貿易課長のとき。
・・・中略
鈴木は、伊藤のような課長の下では人間らしい生活は送れない、と書いていた。仕事に生きる伊藤にしてみれば、鈴木が連日遅刻することなど論外だった。そのことで、伊藤と鈴木がバチッバチッと火花の散るような争いをしたこともある。…中略
やはり、最初は、伊藤さんといえども鈴木にはびっくりしたようである。これが普通の上司だったらここで鈴木さんは死んでしまったかもしれない。そこが二人のすごさだろう。
昨日も触れましたが、これは本当にどこの会社で
もあるのではないだろうか。上の目を気にして、用も無いのにさも仕事をしているかのように振舞い、何時までも帰らない、いや、帰れない。人間そんなに長く
仕事が出来るのには限度があるので、その分どこかで手抜きをする。それでも遅くまでいることだけで仕事熱心と考える上司の何と多いことか。「お先に」と帰
ろうものなら、「あいつは、強調性がない」とか、「仕事熱心じゃない」とか、本当の仕事の評価をすることの出来ない上の者の覚えが悪くなる。仕事は就業時
間中に能率よくすませるのが一番いいはずである。確かに、若い、体力、気力のある時、短期間ならそういうことも出来るときはあるが、本当に一生懸命仕事を
するというのはそんなに長続きするはずが無い。どこかで体を壊すのが関の山である。だらだらやるから長くやれるのじゃないだろうか。
就業時間に集中して仕事をし、アフターファイブは次の日の仕事に備え英気を養ったり、自分を高めることに使う。この方が先々よっぽど会社に貢献するようになると思うがどうだろう。又、会社もそれ以上をもとめるべきで無い。 |
1999年8月19日木曜日 第18話 三つの義務 |
前回の話とも少し関連するエピソードがある。ちょっと長いが面白いので書いてみる。
当時、個人的に親しくしていた欧州共同体の役員に招かれて夕食を共にした時のことである。
落日の遅い夏の日の夕食を始めたのは午後十時半をまわっていた。たまたま、レストランの真向かいに日本の某大手企業のオフィスがあり、あたりのビルのオ
フィスはみんな退社して真っ暗なのに、そのオフィスだけが煌々と明かりをつけ、かなりの数の日本人社員が忙しそうに働いているのが見えた。
それを指差しながら、その役員は次のように鈴木に問いかけた。
「われわれヨーロッパ人には一定の生活のパターンがあり、それは゛市民"として果たすべき義務に従って構成されている。すなわち市民たるものは三つの義務を応分にはたさねばならない。
一つは、職業人としての義務であり、それぞれの職業において契約上の責任を果たすことである。二つは家庭人としての義務であり、職業人としての義務を遂
行したあとは家庭に帰って妻子と共に円満にして心豊かな家庭生活を営み、子女を訓育すること。三つには、それぞれの個人として地域社会(コミュニティ)と
国家に奉仕する義務である。
これらの三つの義務をバランス良く果たさないと、われわれは゛市民"としての資格を失う。……中略
ヨーロッパにも、市民としての義務を一部免除された人たちがいる。軍人と警察官と囚人である。しかし、あの人たちは、囚人ではあり得ない。警察官でもない筈だ。とすれば最も近いのは軍人であり、彼らが属する組織は軍隊に似たものであるに相違ない。……以下略
どうです、あれから十年以上経った今でも、いや!いま今だからこそ本当に身にしみる言葉じゃないですか。会社という化け物に飼いならされた日本人
の末路がみえるようです。社蓄となって日本を食い物にした人達があのバブルを引き起こしたのではないでしょうか。今からでも遅くない自分をとりもどしま
しょう・・・・・・。ちょっと言いすぎましたかね?
それ以上に、これは経済摩擦に繋がっている。同じ条件で仕事をするのならまだしも、方や家庭も地域との付き合いも捨ててすべての力を会社にそそい
でいるのである。そりゃ〜、向こうから見たらルール違反である。それで、勝った勝ったと騒いでいるのでは、余りにも恥ずかしいではないか?確かに、欧米に
追いつき追い越せの時代にはある程度仕方なかったのかもしれないが、それにしてもなぜ日本だけがそうでなければならないのか?
この当りが、日本がいつまでたっても世界で尊敬されない理由であるらしい。そうであるなら、尚更こんなばかげたことは止めて、もっと余裕を持って仕事をすればどうだろう。
一生懸命、命を削って、家族を犠牲にして仕事をして、世界から馬鹿にされてりゃ世話はない。そのくせ、物価は高い、社会資本は充実してない。儲けているのは会社ばかり。日本の労働者の立つ瀬はどこにあるんだ。
挙句の果てには、過労死なんて言葉まで輸出しているのである。誰もおかしいと思わないのだろうか?損なことは無いはずである。
大半の人はそう思っていると思いたいが、誰も行動に現さないので始末に悪い。いい加減に、鈴木さんを見習おうじゃないですか。人生は一度しかないんです
よ。その大事な人生を会社なんかに捧げてどうなるんですか。こちらが思ってるほど会社は、社員の事なんか考えてませんよ。
それが証拠に、チョット不景気になると、リストラなんて理由をつけてクビ切りに来る。それも、仕事もせずに社内営業で出世したやつらが自分達の無能さを棚に上げて、さも偉そうにそういうことを一番にやろうとするのだ。
早く日本の常識から抜け出して、世界の常識に合わさないと大変なことになりますよ。一生懸命仕事してそれじゃ浮かばれません。人生をもっともっと楽しもう。発展途上国の人だってもっと楽しそうですよ。おかしいじゃないですか!
日本人よもっと利口になろう!!
2000年4月3日月曜日修正 |
1999年8月20日金曜日 第19話 海外赴任 |
石
田禮助と鈴木朗夫のふたりに共通する事に、海外での生活がある。よく言われることで、「日本人どうしが群あって、現地にとけこまない」というのがある。殆
どの日本人がそうであるらしい。はなはだしいのは外交官であってもそうらしい。ところがこの二人は、全然違う。その辺を見てみよう。
石田の場合。
大正五年。数え三十一歳でシアトルの支店長。
日曜ごとに、つゆ(※注、奥さん)とともに教会に通い、アメリカ人、それも上流社会の連中と堂々とつきあって、位負けするところがなかった。
住むのも、クィーン・アン・ヒル。…中略
「石田さんは会社の格だけでなく、日本人の格を上げた。アメリカ人に尊敬され、日本人というものを理解させた」・・・・以下略
ニューヨーク支店長へ
昭和五年、石田は四十五歳。
・・・・・・中略
石田が赴任して三年後、物産ニューヨーク支店は数多いアメリカの会社を抜き、大西洋海底電線の最大の利用者となった。
・・・・中略
一方で石田は、シアトル時代と同様、指導者層のアメリカ人たちと気おくれせずつき合った。学者や文化人にもよく会った。
「アメリカ経済の見通し」と題する支店長報告を、年に数回、石田は自分で書き、これは高く評価された。そうしたことでも、アメリカ人たちからの信用が増した。
週末は、夫婦で教会に、テニスに、ゴルフに。それまで日本人のいれなかったオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのメンバーにもなった。
モルガン財閥の実力者ラモントとも親しくなり、モルガンの信用を背景に、かなり安い金利の資金を自由に使えるようになった。
・・・・中略 |
昭和十一年、本社常務として帰国するその石田をよろこばせたのが、帰途シアトルでの一週間の滞在であった。
実はニューヨークへの赴任の際も、石田はシアトル経由、同市で一週間を送っている。
かって不況の底のシアトルに大きな商売をもたらした石田に感謝したいと、市の有力者たちに招かれたからである。
…中略
それと同じことが、アメリカを去るときにも催され、一週間にわたって歓待された。
それは、石田の生涯の思い出のひとつとなった。
どうですかこの現地との徹底した付き合い、それ
が又大きな仕事の成果をもたらす。日本人は海外へ行くと、日本人だけでかたまり現地の人に溶け込まないとよく言われる。外交官であってそうらしい。それが
又、日本人をの評判を悪くしているらしい。それと全く反対が石田さんである。それもシアトルではまだ31歳である。その歳で運転手つきのキャデラックで、ダウンタウンの中心にある真新しいビルの十階全部を占めるオフィスへ通った。というのだから恐れ入ります。
戦前はといえども、というか戦前でそんな事をしていたとは全く考えられません。戦前は、そんなに若くして支店長なんてのは当たり前だったのでしょうか?
勉強不足で、良くわかりませんが、今の時代の人でも生半可では出来ないでしょう。その若さで国際派であったということでしょう。とてもじゃないが考えられ
ないですね。スケールが余りにも違いすぎます。
今現在、これだけの人が海外派遣の経営陣の中でもどれだけいるでしょうか?殆どいないのではないでしょうか。
45歳でニューヨーク支店長。そこでも、実績を上げ、現地の指導層とも付き合っている。そして圧巻は、あのマスターズで有名なオーガスタのメンバーに
なっているのである。確か地元の有名人でも殆ど入ることができないはずである。そんな所のメンバーになったということは余程地元での信頼が厚かったという
ことだろう。信じられないことである。
その信頼の厚さの証が、シアトルでの歓迎であろう。1週間にもわたる歓迎とは生半可なことではない。民間外交の極致ではないだろうか。こういう人が、外交官であれば日本の評価も全然違ったものになるでしょう。
本当に、並大抵の人じゃない。最後の歓迎のところなんか、涙が出ますね。こんな仕事をしてみたいもんだ。
鈴木の場合もそれに劣らずすごい。
昭和四十四年から四十六年にかけては、鈴木がとりわけ愛したスペインとの商談をまとめる。
・・・・・・中略
その憧れのスペインに鈴木がはじめて足を踏み入れたのは昭和三十六年だった。伊藤と出会った翌年である。
…中略
それで。あまり商売にはならなくても、しばしば、゛故国"スペインを訪れ、多くの友人をつくった。
そして、四十四年の春、例によって鈴木がふらりとマドリードに立ち寄った時、その中のひとりが、「助けてくれ」と飛びこんで来た。
事情を聞いてみると、スペインには中小の需要家が散在し、みんなが材料不足に悩んでいるが、鋼材の輸入供給はひとにぎりのユダヤ系外商が牛耳っており、零細需要家の弱みにつけ込んで法外な値段と条件で取引を強要しているという。…中略
そこへ、「住友で何とか助けてくれないか」と言われた鈴木は、一晩、頭をひねる。何とかして゛同胞"の願いに応えることはできないか。
切々たる訴えに応ずる道を求めて知恵を絞り、スペイン側の公正な機関が集中買付けをするのがベストだという結論に達した。
それで早速、以前から顔見知りだったカルロス・ペレス・デブリシオに面会を求める。カルロスは工業省傘下の鉄鋼連盟(UNESID)の総裁だった。
…中略
結局、この商談はうまくまとまり、鈴木は「スペイン業界の救世主」として感謝されることになる。
鈴木を助けた当時の住商マドリード所長や所員と共に、鈴木はカルロスの別荘に招かれたが、たいへんなもてなしを受けて、「自称スペイン特使」の鈴木はその夜、さわやかな酔心地にひたったのである。
まるで、出来すぎたドラマのような話である。やはり、現地に深く入りこんでいたからこそ出来たことだろう。表面だけの付き合いをしていたのではこういう展開はありえなかったでしょう。
商売抜きで心底から付き合っているからこそそこまで信頼されたのではないでしょうか。そして、一旦仕事となると、今の日本の企業のように自分の利益ばか
りを計るので無く、相手の立場に立って公平に、誠実に働く。だからこそ相手の信頼を勝ち取れたのだろう。日本の本社ばかりを見て、自分の立場や、利益ばか
りを主張する日本人が多い中にあって、相手にとっては新鮮であったに違いない。
どうですか、これほど、二人とも同じように現地にとけこんだ仕事をしていることに驚かされませんか。そしてやり遂げた仕事が又、半端じゃない。出来る人間はどこか似ているのでしょうか。こういう人こそ本当の国際人でしょう。
そして、相手に心から歓迎されているエピソードまでそっくりじゃないですか。
こんな人達ばかりだと日本という国がここまで世界の中で、特殊な国、わからない国と言われて馬鹿にされることも無かったでしょう。こういう人が特殊であり、国内では、受け入れられにくい日本はやっぱり変ですね。
今こそこういう本当の国際派の人を必要としているときは無いと思いますが、いったいそんな人がいるのでしょうか?
外交官に至っては、学校の成績だけで入った人ばかりということで、現地で鼻つまみの大使もいるという。大使が日本の評判を落としているのでは何をかいわんやである。
こういう修羅場をくぐった民間人にこそ外交官になって欲しいものである。尤も、こんなすごい人には外交官もいいが、日本の中枢で活躍して貰う方が先かもしれない。
こんな人達がどんどん中枢で日本を引っ張って行く時代にならないと行けないのではないでしょうか。今の日本の風土では難しいでしょうね。
2000年4月3日月曜日修正 |
1999年8月21日土曜日 第20話 海外生活 |
今日、たまたま、懇意にしていただいているある医大の教授から留学されたときの話をお聞きする機会にめぐまれた。やはり、日本人は、昼食のとき食堂の一箇
所に集まっており、教授にも声をかけてきたそうだ、教授は折角の留学なので、医局の方達と一緒にということで断ったそうだ。パーティなどでも、日本人は片
隅に集まっているそうです。住むところも同じ所に固まり、日本人だけの付き合いをする。そのため、現地の人から、変な人達と言う見方をされるそうです。
教授は現地の人達とゴルフをしたり、積極的につきあったので、今でも当時のかたとの付き合いがあるそうです。こちらの接し方で信用が全く違ってくるとの
事です。日本人は、語学が苦手と言うことでなかなか現地に飛びこんでいかないようです。教授が言われていましたが、三ヶ月辛抱したら自然とヒァリングがで
きてくるそうです。それまでの我慢が出来なくて日本人同志で群れるみたいです。折角の機会を生かさずに帰ってくる人が多いようです。まぁ、私なんかそんな
機会も無いので好きなこと言えますが、「自分もそうなんだろうなぁ」と思わないでもないですが、もったいない話ですね。偶然こんな話になって面白かったで
す。 |
1999年8月23日月曜日 第21話 トップの自殺 |
会社にすべてを捧げ、会社に捨てられ、自殺する。そんなアホな!
何でそんなに会社が大事なのか、会社なんか生きて行くための方便であって、人生のすべてじゃない。日本の社会はよく言われるように、職の流動性が
ない。一度就職すれば定年まで勤めるのが善しとされる社会である。それが、サラリーマンを卑屈にさせ、上の顔色ばかりをうかがうようにしてしまう。
挙句の果てに、失敗の責任を取らされたり、整理されたりされるがままである。何時までそんな会社にしがみつくのか?
面白い仕事があれば、どんどん換われる社会であればそれほど追いつめられることも無いだろう。
就社でなく就職の時代は何時になったら来るのだろうか?
先日もふれましたが、ここ三、四年ほとんどパソコン以外の本を読んでいません。そこで相変わらずちょっと古い本(1991年10月初版)から面白いものを探し出してきました。
やっぱり、佐高 信さんです。同じく好きな評論家の内橋克人さんとの対談ものです。面白いところがたくさんあるので、少しずつ取り上げたいと思います。
特に今回は上で述べたこととも関係あるが、先日の第5話で触れた平均寿命にも関することです。
現代教養文庫 「日本株式会社」批判 内橋克人/佐高 信 自殺するサラリーマン より
中小企業のトップが資金繰りに困ったりして自殺する例は数多くありますが、大企業のトップが自殺する例はほとんどない。…中略
そうなんですね、サラリーマン社長なんて威張ってますが所詮ゴマスリのなれの果て。同期や、部下の足を引っ張ってのし上がってきたものが殆どじゃないでしょうか?
人間の心を持った人間が成れるものじゃないでしょう。そんな人が大半だから、自殺なんかするわけ無いじゃないですか。責任は部下ですよ。そうでなきゃ大銀行の頭取が国民の税金を平気で使って大きな顔している理由がつかないでしょう。
嫌な世界ですね。成るほど、ゴマスリが横行する訳だ。仕事の中身を評価するわけでなく自分を大事にしてくれる人を評価する。頭の良い人は、上だけを見て仕事をする。
これで会社が発展するのだろうか、確かに、経済が右肩上がりの時代はそれでもごまかしで伸びていったかもしれないが、今のように、停滞した経済のもとでは、内向きの会社が発展できることはないだろう。
そうして、何の努力もしなかった会社がリストラと称して、人員整理をしたり、挙句の果ては倒産となり責任のない社員が放り出される。そしてお定まりの自殺。上記の自殺とは違うようであるが、根は同じような気がする。ようするに自分というものがない。
2000年4月2日日曜日修正
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1999年8月24日火曜日 第22話 トップ好みの人事 |
昨日も、言いましたが所詮会社なんて、生きて行くための手段であって、人生のすべてを捧げるものじゃないはずです。ところが、どこでどう間違ったのか社長をかばって自殺なんてのまである。秘書が政治家の悪事を被って死ぬのと同じである。何処か変である。
もっとドライに行けないものか?たまたま、生きて行くために繋がっている仕事じゃないですか、仕事と割りきりましょうよ。
確かに、今の日本は、こんな考え方をするものは異端児として爪弾きになりますが、良いじゃないですか。其れほどまでにして、しがみ付くものではないと思いますよ。それよりも、本当に自分が好きな仕事に打ち込む方が、なんぼか楽しいじゃないですか。
其れが証拠に、大会社の社長や銀行の頭取なんて言ったって昨日も取り上げたように部下に責任を追っ被せるような奴らが大半なんですから、そんな奴らの為
に必死になって働くなんてバカらしいじゃないですか。そう言う目で見たら大した奴は少ないですよ。結構皆バカ面してますよ。所詮、他の人より、人間性が無
いだけの奴らです。
そんな者に振りまわされるのは止めませんか!
自分のために働きましょう!!
そんな証拠があります。昨日の約束です。非常に同感できるところなので引用します。
現代教養文庫 「日本株式会社」批判 内橋克人/佐高 信 自殺するサラリーマン より
トップの好みで決まる人事
いろいろな会社の社長や会長と話すと、ほとんどみんな、昇進させる場合は人柄をみると言いますね。しかし、人柄などというのは最低条件で、結婚する女性の相手は男性というようなものではないか(笑)。……中略
これが日本の現実でしょう。能力主義といっている所に限って、好き嫌いで人事をやっているのである。要するに、好き嫌いで出世してきたものに、能力を評価するだけの能力があるはずが無いといえば言い過ぎになるかも知れないが、それが今までの日本の企業だったはずである。
所詮は、そういう評価しか出来ないはずである。なぜなら、人間は自分がやってきたこと以上のことは出来ないはずだから。自分がやってきたように、自分に擦り寄ってくるものが可愛いのである。自分より力のある者は使いこなせないので遠ざけてしまう。
そうなると、上のものに都合のいいものしか回りに集まらなくなり、本当の人材は育たなくなってしまうのである。
よく、「大人になれ」とか言って、怒りを忘れさそうとする都合のいい言葉にだまされて、長いもの巻かれようとする日本人。子供といわれようとも、『許すべからざるものを徹底的に憎む心』を忘れないようにしたいものである。
この心を忘れた日本人がここまで今の日本を悪くしたのではないだろうか。ここだけは、マァいいか小父さんにはなりたくない。
良い意味で刺のある、角の丸くない人間でありたい。尤も、ありすぎると言われている私も困り者らしい。
2000年4月9日日曜日修正 |
1999年8月25日水曜日 第23話 単身赴任 |
ちょっと話しが飛びますが、単身赴任に触れてみたいと思います。私にとっては単身赴任は何の意味もないと思います。もともと、私は、単身赴任どころか、転勤もする気がないので今の会社に入りました。兎に角、職住接近が私の理想とするところです。
会社とは私の労働を提供するところであり、その代償として給料をもらっているのですから、その時間はできるだけ短くしたいのです。残った時間が自分の自
由時間なのですからできるだけ長くしたい。もちろん仕事は全力を尽くすし、楽しくやりたいと思っています。いやいややってる仕事なんてあまりにも惨めな人
生じゃないですか。その為にも、長い通勤時間なんて全くナンセンスです。できることならSOHOをやりたいぐらいです。
そんな私が何で単身赴任なんかやってるんでしょう。早く辞めて田舎へ帰れば良いじゃないかと思われるでしょう。そこが情けないところですね、飛び出して一人でやっていくしか残された道がないのが現状です。
今や団塊の世代は社会の邪魔者です。尤も力のある人は全くそんことはありません。私のような腕も度胸も金も無い人間が一番楽な方法が単身赴任を受け入れることなのです。まったく、涙無くして語れませんね (T_T) 。
話がズレました。単身赴任の原因は、私が上司に嫌われたことが原因です。彼は私と仕事がしたくなくて転勤させただけなのです。あまりに部下をいじめるので私が逆らったことなどが原因みたいです。
その話は、突然来ました。彼は、自分では話し出すことができずに本社の人事部長を通して言ってきました。辞めるか、行くかどちらかでしたが、やはり生活の為もありすぐには辞められなかったのが本当のところです。
マァいいか、転勤してから考えようと来てから六年が経ったわけです。
そんな単身赴任についても、現代教養文庫 「日本株式会社」批判 内橋克人/佐高 信 自殺するサラリーマンが、取り上げています。
なぜ単身赴任がこれほど広汎に行われるのか。それは日本の企業社会の中で人事権が異常に肥大しているからですね。
遂に来ました単身赴任。日頃、単身赴任についてここまで深く考えてはいませんが、言われてみればその通りですね。実際には、本文の中で「生かすも殺すも人事次第」と言ってますが、真剣に人事をやっていればまだましだと思います。
経営者が末端の人事まですることもないでしょうから、そこには現場の長の考えが入ってきます。この辺が真剣に人事をやっている間は、まだその企業のモラルは保たれるでしょう。ここに好き嫌いが入ってくると悲劇ですね。
そんな会社が発展することはないでしょう。それ程大事な人事をいいかげんにやっている会社のなんと多いことか。大企業であれ、中小企業であれ、経営者が人事を真剣にやらなくなったらその会社は終わりでしょう。
自分に耳障りのいい人間だけを回りに集め出すともうダメですね。また、そういう回りに集まる人間は口が旨い。仕事の成功は自分の手柄。失敗は、部下の責任。それを見破れない経営者。そして滅んでゆく。
歴史上繰り返されてきたことである。どんな大きな帝国であれ滅んで行く道は、似たようなものである。今、日本で銀行が危機的状況になっているが、これな
んかも上に立った者達のおごりからきているはずである。沢山の、心ある人達がその影で泣かされてきている。人間なんて本当にあわれですね
すみません、ついつい日頃の想いが入り余計なことまで書いてしまいました。まだまだ想いは沢山ありますが心を落ち着けてからにします。
2000年4月9日日曜日修正 |
1999年8月26日木曜日 第24話 単身赴任 |
単身赴任で感じたこと。
奥さんの有り難味。朝起きれば、食事の準備ができている。私は、食べるだけ。着替えて出勤。着替えの、洗濯もできている。靴も磨いてある。ハンカチもある。ごくごく当たり前の事のようにしていたことが、全部ない。
何をするにも自分で用意しなければならない。これが結構こたえますね。男なんて、仕事仕事とええカッコしてますけど、半分以上は奥さんのお陰ですよ。仕
事のことだけ考えていれば良いと言うのは本当に楽ですね。会社は、奥さんの分も給料払うべきだと思います。亭主の給料が安いので共働きが多いですが、奥さ
んの分まで給料払って、家庭内のことを十分できるようにすれば、その方が、男の働きが良くなって会社は得をする。なんて考えは変ですかね。そのぐらい、古
い言葉ですが、内助の功と言うのは大きいと思います。男なんて、奥さん次第じゃないですか。これは、単身赴任をして初めて分かったような気がします。
仕事が終わって、帰りにスーパーへ寄って買い物をする。何を食べるか、最初のころは、仕事よりそっちのほうに気がいっていた様な気がします。特
に、休みの日なんか、一日中何を食べるかの心配ばかりしていました。これで仕事ができるわけ無いと思いませんか。かなり慣れてきた今でも、まず生活する為
の基本的なことは自分でやるしかないのですから、その分仕事への振り分けは、減ります。自分がやってみて思うのですが、女の人って、すごいですね。特に共
働きの人。家事をやって、会社で仕事して、子育てまでやってスーパーマン(ウーマン)ですね。ほんと、尊敬します。その点、男は、ダメですね。特に日本の
男。子供のときからの教育にもよるのでしょうけれども。今の若い人は大分変わってきているようですけど。しかし、本当は、どちらが良いか分からないんじゃ
ないでしょうか。今の時代、共働きの奥さんをパートで安く使って得した気になっている会社。その亭主はその分仕事の手を抜いているんじゃないですか?尤
も、優秀な女性が仕事をして、私みたいなのは専業主夫と言うのも良いかもしれないですね。どちらでも、仕事の好きな方が稼げば良い。
また、話が飛躍してますね。何でこうなるかと言うと、「単身赴任なんて会社が思ってるほど有効じゃないですよ」と言いたいわけです。そうでしょう。家族が一緒に暮らして、子育てして、その為の人生でしょう。
単身赴任させるぐらいなら社員は独身だけにしたらどうですか。その方がよっぽど一生懸命仕事しますよ。まあ中には、単身赴任のほうが良いと言う人もいるみたいですけど。それなら最初から家庭なんかもたなきゃいいんじゃないですか。
自分がこういう立場になって思いますが、家族には、本当に悪いと思います。だって子供の成長に一番大事なときに父親がいないんですよ。良いわけないと思いませんか。甲斐性がないばっかりに、本当に家族には迷惑をかけています。申し訳無い_(._.)_ 。 |
1999年8月27日金曜日 第25話 誰の人生 |
第22話でも言いましたが、会社なんて生きて行くための手段の一つです。生きて行くための方法なんてたくさんあるはずですが、子供の時から企業に都合のいい様に教育されてしまった為に、周りが見えなくなっているのではないでしょうか。
私なんかは、その典型だと思います。何の疑問も持たず、学校へ行って、就職して始めて、なにか違うぞと気がついたのです。
かといって、その社会の仕組みから飛び出すだけの力も度胸も無く、ただ、もっと良い(楽で、給料が良くて、仕事が面白い)会社があるのじゃないかと転々としてだけなのです。日本の国は、力の無い者には、そんなに甘くありません。転職するほど条件は難しくなります。
しかしながら、企業というものは見た目では分からないということは経験しました。大きければ良いものじゃないですが、大きい方が何かと有利な面があるのは確かです。
本当は自分の好きな仕事を出きることが一番幸せなのでしょうが、自分の好きな仕事なんてある人は滅多にいないし、ましてやそんな仕事に就いている人なんて一握りでしょう。
であるならば今就いている仕事を好きになるか?同じであるなら、少しでも条件の良い所へ移った方が良いのは当たり前じゃあないでしょうか?
会社なんか少しでも良い条件を探すところであって、すべてじゃないのです。酷い会社はこちらからおさらばで良いじゃないですか?
まして他に生きて行く方法があれば其れで良いのじゃないでしょうか。
何度でも言いますが、会社がすべてじゃないのです。
そんな企業と個人との関係についても現代教養文庫 「日本株式会社」批判 内橋克人/佐高 信 自殺するサラリーマンが取り上げています。抜粋してみました。
会社生活は自分の中でワン・オブ・ゼムだということですね。自分の二十四時間の中にはもっともっとたくさんの要素があって、会社はその中の一部にしかすぎない、という…・・。
しかし、この二人の考えは素晴らしいですね。でもこれが日本人に特に経営者層にはなかなか受け入れられないのでしょうね。特に私なんかが主張すると、つまはじきですね。本当は、サラリーマン全部が主張すべきことだとおもうのですが、どうですか?
そうしなければ今の日本はいつまでたっても良くならないと思います。会社ばかりが発展して、個人には恩恵が無い。欧米のように社会資本が充実していないから生活を圧迫する。それでも黙って働く日本人。
そのうえ金利ゼロでもじっと辛抱している。もっともっと我々は主張しなければならないのではないですか。
日本人よ立ち上がれ!なんちゃって。
でも選挙に一番現れているような気がします。本当にサラリーマンのためになる人でなく、いつまでも会社の推薦している人選んだりしている。折角こんなに皆が一生懸命働いているのに会社だけが恩恵を受けているっておかしいと思いませんか?
2000年4月9日日曜日修正 |
1999年8月28日土曜日 第26話 東邦生命 |
正直言って、私は管理職批判で睨まれている。こちらは、正々
堂々と批判しているつもりであるが、負け犬の遠吠えと見られているのは間違いない。しかし何と言われようとも、人間として認めることの出来ない者に従う気
持ちは無い。それを態度で現すし、面と向かって言うから尚更向こうは気に障る。何とかして辞めさせたいのが見え見えである。昇格も止まったままである。し
かし、へりくだってまで、昇格したいとも思わない。サラリーマンとしては失格であろうが、変える気は無い。
今、雑誌「財界」に非常に興味深い記事がある。いわゆる世襲による企業の崩壊を題材にしたものである。それは一人のOBの告発手記によって書かれている。その中身もそうであるが、私は、その本人の気持ちに共感するものがある。
上記でも言ったように、私の場合はオーナーというより管理職の中に同じ怒りを感じる人間がいるからである。このオーナーとその管理職を置き換えると殆ど当てはまるような気がする。それだけにこのOBの立場、気持ちが身につまされるのである。その中から気になるところを書いてみます。
東邦生命のOBが告発手記 「財界」 1999 8/24「東邦生命を破滅に導いた太田新太郎の虚像と実像」 佐藤 守より
……略
- 負け犬の遠吠え
人並みの出世ができなかったという意味での゛負け犬"の評はおおいに納得できる。ただしだれに対して負けたのか、すなわち勝ち犬はだれを想定したのかは判然としない。……以下略
それらが社長に対する直言でなかったことをもって゛遠吠え"といわれるならば、その批判は甘受しなければならない。……以下略
この佐藤さんの気持ちは痛いほどわかるつもりである。私の、会社での立場もこの佐藤さんと殆ど同じではないだろうかと思っている。
この佐藤さんの話は、社長を管理職にかえるだけで、何処かの会社とそっくりであるだけに、どこの世界にも、どの階層にもあることなのだと感心させられる。
TOPのこれも情けないが、下のものにとっては、上司にこうした人がいるのも辛い。管理職にそんな権限を持たせて気がつかないTOPも自分がやっているのと同じである。管理職があたかもオーナーであるかのように権限を振り回し、人事を壟断し、会社を食い物にしているのに誰も止めない。面と向かって逆らう人間は上のOBと同じ目にあう。
もちろんそれを許すTOPの責任は大きいが、こういう人間は上をたぶらかすのがまた旨い。そしてまたその周りにおなじようなのが集まって同じように人事を壟断している。下で真面目に働いているものは良い面の皮である。何でこんなことがTOPには分からないのか、やっぱり「同じ穴の狢」か、マァいいか自分の会社だ自分でつぶせ。
それにしても上記の佐藤さんくやしかっただろうなぁ。どこの会社にもこうした人は沢山いるのだろう。そして辛抱できずに辞めていった人もいるはずだ。わが社でもいじめられて辞めていった人を沢山見てきただけに身につまされる。世の中間違っている。それでも上の者の勝ち。
「いつか見てろ!」と思ってはいるけれど!!
2000年4月9日日曜日修正 |
1999年8月29日日曜日 第27話 冠婚葬祭 |
冠婚葬祭が本業になってしまっている国会議員。結婚式や、葬式に国会議員の電報は当たり前、本人が参列すれば格が上がる。その為には、お金を払ってまできてもらうこともあるという。
地元に、公共事業を取ってくる。すべては、次回の選挙の為。本人も若い時には国民の為とか国の為と理想に燃えて立候補したが、「落ちれば唯の人」現実に押し流されて、不本意ながら選挙民に媚びる。
代議士も、可哀想なものである。尤も、最初から、志の低いのもいるようですが。いずれにしても、国民のレベル以上の代議士は現れないのかもしれないですね。所詮は、我々国民のレベルが低いのです。
国民のレベルが上がり、厳しい目で代議士を見張れば、彼等も、本気になって国民の為に働くのではないでしょうか。
27日に選挙にちょっとふれたら、読売新聞朝刊にたまたま丁度ピッタリの記事が、「今日のノート」 1999年(平成11年)8月27日金曜日にありました。
しかもこれは平均額で最高は何と二千万円というから、議員と秘書は主に儀式の盛り上げや名義貸しといった、およそ本来の政治とは無関係の所に精力を注いでいることになる。……以下略 梶原 誠一
何時も思いますが、日本の政治の貧困はここに現れていると思います。確かに碌な政治家はいないようですが、彼等を、そうさせているのは、我々選挙民にも在ると思います。自分達の得に成る事ばかりを求める事が、彼等に本当の政治をさせる事を邪魔しているのです。
地元の為に予算を取ってくるとか、商売の紹介をさせるとか、冠婚葬祭に来てもらったりとかおよそ政治に関係無い事に神経を使わせる。それもすべて選挙に通るためにそれをしないと票が取れないからである。
選挙の母体自体が会社とか圧力団体とかが主体で、自分達の利益になることしか考えていない。何時かTVでもやっていたが、代議士の一番の仕事は、支援団
体のご機嫌取りである。カラオケ、ダンスで後援会のおばちやんのお相手。これが出来ない代議士は、選挙に通らない。本当に情けない。
我々に代議士を批判する資格はない。本当の政治家を求めるためには、我々選挙民が変わらなければならない。そうすれば自然に、本当の政治をする政治家が
現れてくるだろう。兎に角自分さえ良ければという今の日本の風潮が無くならない限りムリだろう。ということはまず望みはないだろう。
日本人よみんなで滅びれば怖くない!
2000年4月9日日曜日修正 |
1999年8月31日火曜日 第28話 HP |
8月も最後になりました。HPを
開設して8月は初めての一ヵ月丸々でしたが、なるべく毎日更新してみようと思い書いてきましたが、正直きついですね。それでも、中でも触れたように、久し
ぶりに本を読むきっかけができて良かったと思ってます。又、自分の読書の傾向も見えて我ながら苦笑せざるを得ないところもあって面白かったです。「良い歳
して何を青臭いこと言ってるんだ」とお思いでしょうが、この性格はこの歳まできたらもう直らないと思いますし、直す気もありません。
元々、やってから考えようと始めたHPですが、それだけに中身も乏しく、情けなくて、付き合ってくださった皆さんにお礼を言いたいと思います。出来れば「ゆっくりとでも続けて行けたらなぁ」と考えていますのでこれからもよろしくお願いします。
「ここが悪い」とか「こんなこと取り上げたらどうか」とか、何でもご意見があれば言ってください。続けていく参考にさせていただきたいと思います。
一ヵ月の感想として、中身じゃないですけど、
ワードを使って文章を書く経験を始めてしましたが、ワープロって皆さんが良く言っているように結構バカなところがありますね。こちらの技量も悪いのです
が、変換でちょっと油断すると、とんでもない字になっている事が良くありました。後で慌てて直したり、HPにUPした後で気がついてもう一度UPし直したり色々経験させてもらいました。これからも誤字脱字が沢山あると思いますので又、やってるなと大目に見てやってください。気がつけば直すようにはしていますが、全部は無理だと思います。その辺は、マァいいかでやろうとおもっています。 |