団塊の世代の部屋17

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2000121日金曜日  第442話  ベル

 大阪へ転勤になってから最初は社用車で移動していましたが、地下鉄などを使い出してその便利さと体の楽さに自分で運転して移動することは止めました。
 それ以上に、車を運転することによる危険を犯すことを出きるだけ避けた方が良いだろうと思うようになったことがあります。
 日本の毎年の交通事故の数を見ると自分だけはという事は余りにも楽観的過ぎるでしょう。自損事故なら自分だけが責任をとれば済みますが、相手を巻き込んだ事故の恐ろしさを考えると怖くなったのです。そんな事に自分の一生を賭ける気にはなりません。
 しかし、田舎に帰ると交通機関が無いので運転せざるを得ない所もあるのが残念です。

 これでも、若いころにはご多分に漏れず車が命くらいに入れ込んでいたものです。モータースポーツにも感心を持ったときもあります。もっと言えばHeel&Toe何て運転テクニックも練習して、ある程度までものにしたこともありました。
 失業しているときに、職業訓練校で自動車整備士の免許も取りました。まぁ、車狂いと言ってもいいと思います。

 そんな私ですが、運転中に一つだけやらなかった事があります。それは、ホーンを鳴らすことです。例えば、進路を譲って貰った時の軽い挨拶には鳴らしましたが、それ意外では使うことは殆どありませんでした。
 というのも、自分が後ろからホーンを鳴らされたりすることも嫌いでしたし、無闇に鳴らして歩行者を避けさせているのを見ると、「車に乗っているのがそんなに偉いのか?」と腹がったのです。中には、そこまでしなくてもいいじゃないかというくらいけたたましく鳴らしている人もいます。
 殺人事件もあったくらいですから、誰だって鳴らされるのは嫌なのだろうと思いますが、不思議なもので、車に乗ると人格が変わる人が多いのはご承知のとうりです。
 だから自分だけはあんなことは止めようというのがあったのです。相変わらずの変わりもんですね!

 さて、そんな私が大阪へ来てびっくりしたことがあります。歩道を歩いていると、後ろから突然チリチリンと

 「邪魔だ!そこのけ!!」というようなベルの音がするのです。

 慌てて後ろを振り向くと自転車が

 「何しとんじゃ、はよのかんかい!」というように迫っているのです。

 正直、これはビックリしたとともに腹が立ちましたね。

 「自転車がそんなに偉いのか!」と思ったものです。

 どうして、大阪の人は平気でベルを鳴らすのでしょうか、大阪は別に嫌いじゃないですがあれだけは好きになれないですね。
あれをやられると心臓が止まりそうになりますもんね!何たって、わたしゃ気が弱いんだから、心臓麻痺で死んだらどうしてくれるんだ!鳴らしたほうもびっくりするだろうなぁ!

 どうして、チョット待つ心の余裕が持てないのでしょうか。「そこどけそこどけ」で走ったってそんなに速くなる訳でも無し、そんなことしたら避けさせられた人だって気分悪いでしょうに。歩道は自転車のためにあるのじゃないんだよ!
 チョット相手を思いやる心があればあんなことは出来ないと思うのですが…。大阪人は余裕が無いのかな?

そう思いません!

2000122日土曜日  第443話  渡辺喜美氏

 加藤政変の時に第432話での若手が立ち上がらなかったことで失望したと言いましたが、ただ一人自民党主流派から飛び出した人がいたそうです。
 それは、あのミッチー二世の渡辺喜美氏だそうです。知らずに批判して申し訳無かったと思います。サンデープロジェクトなどでも結構発言していますが所詮は二世議員のパフォーマンスだったのかと思っていただけに見直しました。

 これは、リンクして頂いている「雨漏り実験室からの戯言」からのリンク「萬晩報」の11月23日付け「加藤紘一氏の裏切りに覚える無念の思い」で見て知りました。

 もっと大勢がこれをやって欲しかったのですが、土壇場で逃げた加藤氏は論外として皆が腰が引けた中で、これは本当に出来ることではないですね。大したものです。これからの彼を見守って行きたいです。尤も、私に見守られてもしょうがないでしょうが…・。

 その他にも、加藤派で最後までついていった「自民党の明日を創る会」の中に塩崎恭久氏、石原伸晃氏がいました。後の人は、最初から知らないので分かりませんでした。
 塩崎恭久氏も同じ「
萬晩報」の「心ある自民党議員は加藤新党に糾合せよ!」に書きこまれています。そこから彼のHPにも飛べます。

 「萬晩報」、なかなか面白くて勉強になりそうです。又巡回先が増えてしまい時間が足りませんね。

 それにしても、加藤さんは彼等に何と言って謝ったのでしょう。彼等だけでなく日本中の人に期待を抱かせて挙句の果てに失望させたのですからイッソのこと政界を引退されたらどうでしょう。もうあなたの目は無いと思います。
 これでまだ浮かび上がれると思っているとしたらそれは未練が過ぎると言うものではないでしょうか?
 国民の期待を裏切って、英雄になれる千載一遇のチャンスを逃がしたのですから、諦めが肝心じゃないでしょうか。尤も、それが出来るくらいの人ならあそこで逃げなかったでしょう。残念です。

 と言いつつ、何時までたっても会社を辞められないお前はどうしたと言われると面目ないですが…。

マァいいか!生活あるし

2000123日日曜日  第444話  尼崎公害訴訟

 第440話で取り上げたばかりの尼崎公害訴訟ですが、やっと国が和解に応じました。何とも歯がゆい思いがしますが兎に角終結を迎えたことは喜ばしいことではないでしょうか。

 ところが、国は排ガスの排出差し止めの和解を認めず、別の訴訟として原告側の損害賠償の放棄という苦渋の決断を引き出しているのです。何処までも原告を虐めたら気が済むのでしょう。
 どうしてそこまで、国がこだわるのかと思っていましたが、12月1日(金曜日)の夕刊読売にその理由が載っていました。

 『差し止めの部分に関して国側で最もこだわったのは法務省だ。住民の夜間飛行の差し止め請求を門前払いにした81年の「大阪空港訴訟」の最高裁判決が、「公権力の発動を促す差し止め請求は、民事訴訟にそぐわない。司法判断の範囲外」との判断を示したことを根拠に、強硬に反対した。
 法律適用の根幹にかかわる争いで、尼崎以外の訴訟にも影響を及ぼす可能性もあり、争いの場では、「差し止め判決をそのまま反映させるような和解は絶対に認められない」とする同省側と「画期的な判決を無にするわけにはいかない」とする原告側とが激しく対立したといわれる。』

 要するに、他に影響することを嫌った法務省の反対によって原告側が譲歩したという事です。何とも、情けない発想ですね。
 国民より面子の方が大事なのです。それは、ここで認めると今後どれだけ損害賠償がかさむか分からないという一見、国の支出を心配しているというかのような考えなのでしょう。
 しかしながら、本当に苦しんでいる人達をそんなことで苦しめるというのは本末顛倒ではないでしょうか。
 それは、国が残れば、国民がいなくなっても良いという考えじゃないでしょうか。公務員とは誰のためにあるのか考えて欲しい物です。

 この考えは、未だにくすぶっている慰安婦問題など近隣諸国への戦後保証などに対する日本の対応を思い出させます。多分、同じような発想があるのだろうと思います。
 国同士で解決しているというが、本人達の傷はそんなもので癒えるもので無いのは誰が考えても分かることです。
 お金だけ癒せるものではないでしょうが、誠意というものを表すにはそれもしょうがない面があると思います。
 散々無駄遣いしている税金のほんの一部があれば報いることが出来るはずです。本当に税金の使い方の下手な国ですね。

たかる金はあっても、庶民に払う金は無いのです。

2000124日月曜日  第445話  ガイアックス

  今日(3日)のTVは野中幹事長の辞任の話題がメインでした。サンデープロジェクトも与党の幹事長や若手の討論をやってました。もうどうでも良いって感じですね。

 しかし、特集の方で、第337話でも取り上げたガイアックス(ガソリンの代替燃料)のその後を取り上げていました。
 「道路特定財源」に群がる族議員の手が伸びていると思われるような地方税である「軽油引取り税」を通告されたり、石油業界の圧力などで危機に陥っていたのですが、あの放送の後で問い合わせが増え、利用は2倍に伸びたそうです。
 税金の方は、支払わされているので儲けはないが、こんな良いものだから広めたいと販売店は頑張っているようである。消費者の応援も増えているようです。
 中には、横浜の自民党若手代議士が市バスの燃料をガイアックスに替える様にと働きかけている例もあった。

 一方ガイアックスの発売元である「ガイアエナジー社」もより改良したものの開発を進めており、アルコール100%の「ジェネシス」の発売にこぎつけた。
 これなら、税金の対象にならないそうである。しかし無税というのは虫が良すぎるので改めてきちんとした%を決めることは必要だろうと思います。

 しかしながら、今度の「ジェネシス」は軽油のかわりにもなるという事で、ジーゼル車での実験もやっていたが、黒鉛が殆ど出ないようでした。
 実際に、どれだけの効力があるかは分かりませんが、その無公害が本当であるなら、政府は積極的に応援すべきであって、間違っても圧力をかけるなんてのは許せない。

 国は、昨日の尼崎公害訴訟などの「排ガスの排出差し止め」がどうのこうのともめるより、こういった新しい物を推し進めることこそ必要である。本当にこれが本物であるなら、石原知事がペットボトルに入れて何時も見せている黒鉛の対策も必要なくなるはずである。

 このガイアックスと太陽光発電で日本は公害とエネルギー問題を解決して世界の救世主になれるかも。

これが潰されないように見守って行きたいですね!

2000125日火曜日  第446話  水上警察隊

 3日、サンデープロジェクトと同じのテレビ朝日の「スクープ21」をみました。この番組は以前第233話で取り上げた「ザ・スクープ」のリニューアル番組なので引き続き感心を持って見ています。
 キャスターも鳥越俊太郎さんがメインで変りありませんし、
第262話で取り上げた乙武洋匡さんもスポーツキャスターとして新しく参加しています。
 その中で、久し振りに腹立たしいものがありました。

 それは、「今年の9月に千葉県警水上警察隊の女性船長(2年前に全国の警察で初めて、水上警察の女性船長となった)が同僚の警部(18歳年上)との挙式を前に自宅のアパートで首吊り自殺をした。」というものでした。
 警察の発表は「彼女の父親が結婚に反対して式にも出ないと言っていることを苦にして」とのことだったらしいです。

 ところが真相は、どうも違うようなのです。二人が結婚を上司に報告した所、「報告が遅すぎる」と叱責されたり、「父親に式に出るように上着がすりきれるくらい土下座してでも頼め、式に出る同僚は一日時間を潰されるのだからそのくらいしても当然だ!」などと彼女の父を悪く言ったりして辛く当ったそうです。
 彼女は母親に、「どうして知りもしない父をそんなに悪く言われなければならないのだろう。私が自殺すれば上司も分かってくれるだろうか?」と打ち明けていたそうです。そしてその夜に自殺したのです。
 彼女は父親が式に出ないことは納得して、おばさんにあたる人に父親の愛を感謝しているとの手紙を残しているので父の欠席を苦にしてではないと思われます。
 これは、どう見ても警察内部のいじめが原因と見るのが自然でしょう。

 それどころか、婚約者と父親が自殺した彼女を発見して警察に通報したが、警察は遺書を勝手に持ち出し(礼状がいるそうです)両親に見せず、上記のように父親の所為のような発表で自分達のやったことを誤魔化そうとしたのです。

 何ということでしょう。相も変わらない身内の都合だけの体質が見事に現れています。責任を感じるどころか、他人に罪をかぶせて知らん顔して責任逃れをしようとしたのです。
 今時、職場結婚を反対するなどという古い考えを押しつけるばかりか、いじめにまで及ぶとは言語道断です。
 挙句の果てに自殺の真相を隠そうとする。こんなことは、一般企業であっても、許されることではないのに警察の管理者がやっているのですから何をか言わんやです。
 
第233話の猪野詩織のときから何にも変わっていない。一体、彼等は少しでも反省しているのでしょうか。こういう事件を見るととてもじゃないがそんな反省をしているようには感じられません。
 こんなことが許されて良いのでしょうか。これで又、国民の警察への不信感がつのるでしょう。

この国は一体何を信じれば良いのでしょう!

2000126日水曜日  第447話  手当て

 11月30日朝のNHKTVニュースで、大阪市交通局の地下鉄で職員が、身障者の手助けをすると350円の手当てがつき、その総額が年間一億円を越したので、大阪市の財政赤字からも見なおすことになったと放送していた。

 何気なく聞いていたのだが、思わず「なめとんのか!」と叫びそうになりました。何というふざけた話でしょう。
 それだけなら、バカなことをしているもんだで終わったたかも知れませんが、「手当ては当然として総額が増えすぎたので見直す」と続いたので、「こりゃ根本が狂ってる!」としか思えませんでした。
 官庁というのはここまで狂っているのでしょうか?利用していただいたお客さんの手助けをしたら手当を付けるなんて発想はどうやったら出てくるのでしょうか。
 まさしく「乗せてやっている」との考えなんでしょうね。もし私鉄にこんな手当てがあったらお笑いです(狂った日本だからあるのかも?)
 仮にもお客さんです、気持ち良く利用していただくためにはあらゆる努力をするのが当たり前のはずです。そうやって利用客を増やすのが経営というものでしょう。それでなくても公務員なら市民の御役に立つという気持ちを持って欲しい物です。どちらが主役か分かっていない証拠でしょう。
 今の時代にそこまで言っても「何を言ってるんだ!」といわれるのがオチかもしれませんが、それが客商売
(公務員だって一種の客商売ですよ)の基本じゃないのでしょうか。

 身障者の人が当たり前に公共の場に見られる社会を目指さなくてはならない時代にこれほど時代遅れの考えが残っているとは余りにも情けない。
 そう言えば、何時だったか、身障者の団体が毎年の団体旅行を今回は大阪でやりたいと持ちかけたら、市交通局から人が足りないので来ないでくれと言ったというニュースが流れたことがありましたが、成る程、こんな発想ならやりかねないですね。それでなくてもボランティアの少ない日本で、役所がこれじゃどうにもならないですね。

 その上大阪市はラスパイラス係数が日本一で、市の財政は破綻状態というのですから。以前、地下鉄の運転手も一千万以上の所得の人がかなりいるという報道もありました (真相は知りませんが) が、人の金(税金)となるとここまで浅ましくなれるものなんですね。

 尤も、最近の市交通局の不祥事はその当りの風当たりをバックにして改革に利用しようとするためのリークがあるように思われますが…。どっちもどっちでしょう。

仕方ないでしょうね!

2000129日土曜日  第448話  雲海

 出張で広島県三次市へ行ってきました。ご存知の方も多いと思いますが、ここは今ごろから冬にかけて雲海で有名です。
 盆地の三次は晴れた夜の放射冷却によって朝方霧が出易いのですが、そのとき山に上がると見事な雲海が見えるのです。つい前日も
NHKの朝のニュースでやっていましたから見られた方もいると思います。

 三次には何度か訪れていたので一度は見てみたいと思っていましたが今までは見る機会もありませんでした。
 今回、夜によく晴れていたのでもしかしたらと思いホテルのフロントでどこで見れるかを聞いてみるとすぐ近くの山と言うことでしたので上手くいけば行ってみようと思っていました。
 朝起きると案の定霧が出ていました。これはチャンスと同僚を誘って出かけてみました。霧の中、山を車で上ったのですが、なんと5分も上れば展望台の下につきそこから3分歩けば展望台です。
 霧の上まで上がるのだからかなりの高さまで上がらないといけないのかと心配していたのですが、霧が盆地の底に沈んでいるのでしょう、あっという間に霧の上に出ました。100メートル(正確な高さはわかりませんが)もあったかなという感じでした。
 展望台に着いて目の前に開けた雲海を見たときは久しぶりに感動しました。最初は、この小父さん何を言い出すのかと渋っていた同僚もその美しさに感動してくれました。

 少し感動をおわけしたいと思います。

 デジカメが35万画素なので分かりにくいかもしれませんが雰囲気は分かっていただけると思います。

 それにしても、このすばらしい世界の下では、単なる霧の中の町で普段通りの人間の営みが行われているのだと考えると、ちょっとした視点の違いで物の見え方がこれだけ違うことに普段の偏った見方の恐ろしさを思い知らされたような気がして考えさせられました。

最初にこの光景を見た人は驚いたでしょうね!

20001210日日曜日  第449話  公害訴訟

 第444話で取り上げた「尼崎公害訴訟」、8日に正式に和解が成立しました。その中でも触れましたが、面子とか他の問題への波及を恐れる国の思惑が原告をいつまでも苦しめているのだと思います。
 どうにもこの考えに納得できないのは私だけではないと思います。一体国は、何が一番大事かということが分かっているのでしょうか?国民が不幸になって、国が残っても仕様がないということが分からないのでしょうか、ましてや、省庁が残ってどうするのしょう。

 そんな納得のいかない想いを持ちながら、偶然中坊公平さんの「中坊公平・私の事件簿」集英社新書を見つけ読んでいました。
 その中にで森永ヒ素ミルク中毒事件で「公害被害者は二度殺される」というのがありました。それは、「一回は、事故によって一回は、第三者機関などによってに殺される」というのです。
 それは、公害に苦しめられた上に、それを訴えることにより、国やマスコミ、世間の疑いの目などに苦しめられるということです。
 こんな理不尽が通ってきたのが日本の今までの現実でしょう。そこにはやはり日本的な長いものには巻かれろの風潮があるように思います。被害を受けたものが、じっと我慢しなければならない国はやはりおかしいと思います。

 どうして、公害によって苦しめられた人達が、長い裁判で苦しめられなければいけないのか、そこには苦しんでいる人を救うと言う基本的な視点が抜けていると思います。
 何度もいいますが、自分の家族がそういう目に遭ったらどうするかという視点で考えれば自ずから答えは出てくるはずです。そう思いませんか?

中坊さん曰く「国民主権が形骸化している」に尽きるでしょう。

20001211日月曜日  第450話  組織

 今日(10日)もサンデープロジェクトを見ていました。古賀幹事長や西川住銀頭取が初めて出演していました。
 それぞれに、きちんとした意見を言っています。何時も言いますが、こういう人達も国民も皆国を良くしたいとの想いを持っているのに何で現実は違った方向に行ってしまうのか不思議でしかたありません。
 こうなると言葉というのは綺麗であればあるほど信じることが出来ないということになってしまいます。言葉に出るということは、確かにそういう考えも持っているという事なのでしょうが、結果が伴わないことに一層の苛立ちを感じてしまいます。
 思うに、その考えが通らない組織があるということでしょう。それは又、その考えを通すだけの意志の力がないということでしょう。それはつまり、そこに自分の利を図る気持ちがあるということでしょう。本当に無私の心で取り組むことが出来ないところに弱さがあるように思います。とはいっても、言うは易く行うは難しということですね。

 そんな例にもなりそうな「がん治療」の特集をやっていました。
 それは「ジェムザール」という世界で4年前に認可になっている薬を日本では厚生省が認めないということや、「イリノテカン」という日本で作られた抗がん剤も世界では70カ国以上で使われているのに副作用があったということで日本では医師が殆ど使わないということなどを紹介していました。
 そして、これは一部の例で世界で認可されていて日本で認可されていないものが何十もあるそうです。要するに認可されていないので、良いと思って使おうとしても保険が効かないということです。

 その裏には、抗がん剤治療に精通した医師がいないということも原因だそうである。

 そんな中、平岩正樹医師はそれに抵抗して保険が効かない薬を使って病院を追い出されながらも一人で戦っているというのである。今は、ベッドを提供してくれる何軒かの病院を回って治療を続けているのです。
 そして、他の病院で打つ手がないと見放された患者を日本で認可されていない薬や治療法で治療して成果をあげている。
 クロノテラピーといって夜間に抗がん剤を投入すると、抗がん剤につき物という嘔吐や吐き気を防げる治療法も行われていた。

 この例でも分かるように、日本で何かをなすためには、既製の組織との戦いが待っているということである。それに打ち勝ってまで自分の意見を通すということは普通の人間には難しいのが現実でしょう。
 ということは、組織が変わらなければならないということですが、自分の利益しか考えないという風潮がある限りまず無理でしょう。
 本当に必要なことは何であるかという考え方、そしてそこに個人の思惑を入れない考え方が当たり前にならない限りこの組織の壁を打ち破ることは出来ないのではないでしょうか。

一人の英雄にそれを求めるしかない時代は悲しいですね!

20001212日火曜日  第451話  使い捨て

 突然ですが、給湯ポットが壊れました。ボタンを押すとお湯が出る魔法瓶メーカのよくあるタイプのポットです。
 主食のカップラーメンにお湯を入れようとしたらお湯が出ないんです。

 「なんじゃ、こりゃ!ラーメンが食えんじゃないか!」

 お湯は沸いているのですが、ボタンが断線したのかポンプの動作音が聞こえません。たちまち食事に困ります。

 「どうしたもんか?」

 「今からポットを買いに行くのも面倒だし…」

 「何かお湯を出す方法はないものか?」

 「そうか!汲めば良いんだ!何か汲むものは?」と見まわすとコヒーカップが目に付きました。

 「これだ!これでやってみよう」ということで無事コヒーカップでお湯を汲み、カップラーメンにありつきました。

 このことは、最近の身の回りの電化製品の事を改めて考えさせられました。ポットはお湯を沸かすのが本来の仕事なのに余計な電動でお湯を出すという機能をつけたばかりに、その故障で使い物にならない。
 それも、故障して初めて分かったのですが単純な手で注ぐ機能がついていないのである。これは、どう考えても納得がいかない。重大な設計ミスのような気がします。
 尤も、消費者がそこまで求めていないといえばそれまでなのでしょうが、こういう発想の商品は使い捨ての時代のアダ花のような気がします。
 手で注げば良いものを、モーターを使って注ぎ、おまけにその故障で本体機能には何の不都合もないのに使い物にならない。どう考えても変だとは思いませんか?

 多分、今の時代こういった商品が多いんでしょうね。こうやって、無駄な廃棄物が増えるのでしょう。完全な商業主義に毒されていますね。故障を修理して使うという発想自体が受け入れられない時代になっているとしたら、やはり考えなおすべき時が来ているように思います。
 そういえば
第326話で取り上げたパソコンもそうですね、大抵ハードディスクを替えれば治るものが多いように思われますが、メーカーはそんなことオクビにも触れずにもっと新しい性能の良い物を売りつけ様としています。それで経済成長しているといえばそうなんでしょうが、やはり何処かおかしいですね。

その発想が、人も使い捨てということに繋がっているのかな?

20001213日水曜日  第452話  中古PC

 昨日、第326話のPC再利用に触れた後、サイト巡りをしていたら偶然そんな情報がありました。11日の発表です。

 日本IBMとマイクロソフト、中古PC寄贈支援プログラムを共同実施

 『日本アイ・ビー・エム株式会社とマイクロソフト株式会社は、企業や団体などが提供する中古PCの再生を支援し、教育施設などの非営利団体に寄贈するプログラム「リユースPC寄贈支援プログラム」を創設。』ということです。

 やっと、メーカーがその気になったというところでしょうか。

 『IBMは、稼働テストやOSの導入などのPCの再生費用を負担し、マイクロソフトは再生PCで使用するOSやワープロソフトなどを提供する。プログラムの運営はIBMの定年退職者などが中心になって設立されたNPO法人(20011NPO認証取得予定)eエルダー」が担当する。』

 当分は、北海道と沖縄で行われ2001年で年間1,000台を予定しているそうです。その台数は少ないような気がしますが、取り敢えずは、何もしないよりはましでしょう。

 第326話ではメーカーは絶対やらないでしょうと言いましたが、こういう予測間違いは大歓迎です。それも折角、業界の両巨頭が組んでやるのですからポーズで終わるようなことなく大々的に広げていって欲しい物です。
 商売の妨げになるというような近視眼的な考えを捨てて業界全部を巻き込んで広めて行けば、省資源にもなることは間違いないでしょう。何といっても捨てるには余りにも勿体無いと思います。
 そして、長期的に見れば、そうしたPCで入門者が増加することになり、それで興味を持った人は新しい性能の良い物が欲しくなって、結局は増販につながることになると思います。

 ゆくゆくは国内だけでなく途上国へ提供することが出来ればまたまた日本の株が上がろうというものです。ところが、何だか、難しい法律があってそう簡単にはいかないようです。しかしながら、こういう事こそ政府が法律を変えてでも音頭を取ってやるべきことでしょう。 

 それにしても、考えたら、太陽光発電第418話で取り上げた手動発電のラジオとかチョットしたアイデアと少ない予算で世界に貢献できそうなネタはいくらでもあるのになぜ我が政府は無駄な金を使うことしか考えないのでしょうか?
 結局は利権に群がる者達がそれを許さないと言うことなのでしょう。

自分の利益しか考えない風潮は変らないのだろうなァ!

20001214日木曜日  第453話  宇宙

 私は、ここでの発言でもお分かりでしょうが、ヘンコツで、かたくな、視野の狭い所があります。対人関係でも一度嫌と思ったら、口を聞くのも嫌です。上司であろう(尤も、その方が多い)と同じ態度ですので四面楚歌状態です。
 それでも平気な顔をしているので一層嫌われます。少しは反省する所もあるのですが、「マァいいか!今更性格変えるのも面倒だし…。」でやってます。全く、サラリーマンの風上にも置けない奴ですね。

 そんな私が、第448話で雲海の上と下でのチョットした視点の違いで感じた想いをガラにもなく書きました。
 ところがもっとスケールの大きな話がありました。日経産業新聞
(2000年12月12日)のコラムSangyoメールに「宇宙空間に浮かぶ丸い地球を眺めた宇宙飛行士たちはほぼ共通して芽生える意識があるという。それは自分が「地球人」だあるという意識だ。」と触れ、そして、21世紀に宇宙旅行を楽しめるようになったときに「そして地上ではいさかいのタネとなりがちな人種や文化、宗教の違いが、実はささやかな違いに過ぎないことを、地球を眺め実感するだろう。」と言っている。

 雲海の上からの話とは比較にならないですが、感覚としては共通するものがあるような気がします。
 又、よく宇宙飛行士の話で、地球には国境がなかったというのも聞きます。確かに地図には国境、県境と一杯境界線がありますし、何時もそれを見ているとそれはあって当たり前と思ってしまいますが、そんなものは人間の都合でしかないのですね。
 それが証拠に、人間以外の動物がそんな境界線を意識しているはずはありません。してみると、全ての境界線は皆人間の中にあるということです。

 私のかたくなな考えも自分で作った境界ということです。頭では分かっているのですが、感情では割り切れません。所詮、人間は感情の動物です。これが人間の限界でしょうか。
 こんな心の狭さが集まった組織というものの中にも反映され組織の間の垣根ができるのでしょう。

宇宙旅行が当たり前の時代にはそんな垣根も無くなるのでしょうか!

20001215日金曜日  第454話  手動充電器

 第452話で取り上げたところですが偶然、第418話でも触れた手動発電のラジオに通じる面白いものを見つけました。

 12月13日(水曜日)の日刊工業新聞に握るだけで携帯に充電できる携帯電話用手動充電器「ドルフィンパワー」が紹介されていたのです。
 ケーブルで携帯電話と接続し、片手で握力器の様に繰り返し握ると3分間の充電で
4時間半の待ちうけ、3分間の通話が出来、懐中電灯としても使えるライトが付属しているそうです。 
 発売はウイリアムテレコムジャパン(東京都中央区日本橋堀留町1−7−7、毛利正一社長、03・3667・9090)。

 どうです同じ発想でしょう。最近はこんなのが流行りなんでしょうかね!これも途上国に持っていけば面白いのではないでしょうか。
 先日の森首相のアセアン(?)での「携帯電話を途上国に提供する」と言って電気が無いのにどうするんだと笑われた発言を思い出します。
 この充電器があれば森首相の提案もあながち的外れでもないでしょう。案外森さんこの製品を知っていたのじゃないでしょうか?尤も、知っていれば黙っていないですね。

 それにしても、この製品も日本ではどれだけ受け入れられるか疑問ですが、途上国へのODAに良いのじゃないでしょうか。
 これで、
太陽光発電手動発電ラジオ、手動充電器と3っつも途上国向けの国際貢献の製品が揃いました。
 結構面白いと思いませんか。エネルギーと通信、そして人口抑制とどれを取っても世界に貢献できますよ、それも少ない予算で。

森さんどうですか!やって見ませんか?

 やっと、一ヵ月に渡る選挙後の争いに決着がついてアメリカの大統領がブッシュさんに決まりましたね。日本への対応はどうなるのでしょう。

20001216日土曜日  第455話  NTT

 このところのNTTの動きは端から見ていても恥ずかしいものがあります。一つにはNTTに対する批判の記事が増えてきたことがあるのは間違いないでしょう。

 NTTドコモの大幅値下げもIモードの急激な普及で儲けが出すぎたのに対する批判を避けるためだと言われている。
 その一方ではその儲け過ぎた金で海外進出のためといって一兆円にのぼるAT&Tの子会社への投資。そんな金があるのなら消費者に還元したらと言いたくなる。国内のお客さんで暴利をむさぼりその金で海外進出なんてのが上手く行ったらお慰みだ。
 戦後の自動車や家電のやり方を思い出させて余りいい気持ちがしないのは私だけでしょうか。
 自動車や家電は民間企業ですからリスクは自社で負っているのですからまだ許せますが、公社としての前身で殆ど独占である企業がやっていいことではないと思います。
 そこには、国とか国民に奉仕するという視点が完全に抜けています。ましてや、そのために日本の経済までがおかしくなっているというのじゃ何をかいわんやです。

 本体のNTTは第414話で取り上げたDSLが公取の動きで表面に出てきたので慌てて接続業者への料金の引き下げを決めた。
 その上26日からNTT東西でDSLの接続サービスを開始すると発表した。今まで、ISDNを広げるために妨害していたのが手のひらを返したような対応である。よくもここまで恥知らずな対応が出来るものである。
 DSLよりも遅くて高いISDNフレッツに加入した人は馬鹿にされたようなものではないでしょうか。私だって一度は申し込みましたが残念ながらTAがフレッツに対応してなかったのです。今になったら良かったのかも…。
 確かに、こうやって今からでも安いものが出てくることは有難いが、こうしたNTTの姿勢を見ているとこんな会社が日本の通信のインフラを握っていることの恐ろしさに将来が不安煮思えてなりません。
 この先もバレなければ日本の国のことなんかどうでもいい、自分たちさえ良ければという考えが見え見えのようで怖いです。

 しかし、ここまで散々NTTを批判してきましたが、その裏にはもっとたちの悪い郵政省がいる事は承知の事実です。結局は官僚が自分の組織を守ろうとしているのです。

 それは第420話でも取り上げたIT戦略会議で「孫社長など革新派が終盤で痛感したのは、最大の敵はNTTではなく、郵政省だったということだ。」と、2000.12.9週刊東洋経済のコラムTopNewsに「対立」『官僚と民間が「口撃戦」!禍根を残したIT戦略会議』の題で取り上げている。

 孫社長や、出井伸之ソニー会長など民間の錚々たるメンバーでも歯が立たない官僚の厚い壁があるのです。要するに官僚が国のためで無く省の為に働いているのです。

誰が主人か分かっているのか!

20001217日日曜日  第456話  管理野球

 イチロー選手に続いて新庄選手が大リーグメッツ入りを決めた。日本にいれば阪神の五年巻12億円をけって二千万円の最低賃金でということです。
 私など最初は、イチローほどの力も無いのに何をとち狂ったんだろうと思ったものでした。ところが、メジャーに兆戦したいという事もあるでしょうが、どうやら別の訳もあるようです。
 それは、どうも日本の球界が嫌だったようなのです。

 12月25日(金曜日)の日本経済新聞のコラム「チェンジアップ」で豊田泰光さんがそれに触れている。相変わらず豊田さんの考えは面白い。要するに、日本の野球は高校野球の丸刈り頭に代表されるように管理野球であると言うことである。

 新庄選手も「バックネットにぶつけようかという本塁返球など、奔放なプレー振りは日本では゛規格外"であり、ベンチから嫌われがち。」ということで「型にはめられることへの反発」が背景にあるのではないかと言っている。 なるほど面白いですね。何億の金より自由を選んだと言うことでしょう。それほどに、管理されることが嫌だったということは考えさせられますね。
 日本独特の村社会が嫌になったというのはサラリーマンの共感を呼ぶのじゃないでしょうか。密かに快哉を叫ぶサラリーマンも多いような気がします。
 人間金がすべてじゃないという典型じゃないでしょうか。こんな話を聞くと新庄選手を応援したくなりました。何とか成功して欲しいものですね。

 大体、今まではメジャーに挑戦したのはピッチャーばかりでしたが、是も性格が影響していると思います。あの400勝投手の金田さんが言ってましたが、ピッチャーというのは守備位置のなかで一番わがままなものがなるのだそうです。そしてお山の大将の性格で無いと大成しないそうです。なんと言っても、ピッチャーがボールを投げないとゲームが始まらないのですから。
 そんな性格ですから当然優秀なピッチャー程組織の締付けにはが嫌いなものが多いはずです。そうした性格が狭い日本を飛び出させる一つの理由だろうと思います。
 しかし、こうやって新庄選手やイチロー選手など野手も飛び出すようになってきたのはいい傾向だと思います。
 
第395話などで触れた若者気質も影響しているように思いますが、若者が組織に縛られる事無く自己主張することが当たり前になってくるとによって日本が変れば良いのですが…。

 イチロー選手も自分のスタイルを頑固に主張する強い意思を持っているのは、管理野球を押しつけた巨人のV9ナインの土井監督の時には実力を発揮できなかったことからも明かです。
 本当の力を持った者ほど自我が強いはずです。是からもこういった人たちがメジャーを目指して日本を飛び出していくことになるでしょう。
 こんな話を聞くと、
第140話で取り上げた是も豊田さんが書いている落合選手を思い出します。あの人こそ一番メジャーに向いていた性格だったように思います。

 何時までも日本独特の管理野球なんかやってたら残るのは個性もちからも無い選手ばかりになるかもしれないです。そうなったら誰も日本のプロ野球なんか見なくなるのじゃないでしょうか。
 こうなったら、日本のプロ野球はメジャーに吸収された方が面白いと思います。折角見るのならレベルの高いものを見るほうが良いじゃないですか。TV観戦なら何処でやっていようと見れるのですから。
 観客さえ集まるのなら、今年のメジャーの開幕戦の様にかなりの試合が日本で行われるでしょうから球場へ見に行く事も出きるでしょう。

 第426話第428話で取り上げたように優秀な人ほど日本を脱出するのじゃないかというのがいよいよ現実味を帯びてきたようです。 

残るは雑魚ばかり!

20001218日月曜日  第457話  NTTドコモ

 今日のサンデープロジェクトはNTTドコモの立川牧二社長と田原総一郎さんの対談がありました。
 偶然、
第455話で取り上げたところだったので興味深く見ましたが、時間の都合もあったのか突っ込みが余り無かったように思いました。
 立川社長がNTTに在籍していた時に光ファイバーの各家庭への敷設を打ち上げたが郵政省に潰されたことや、それを聞いて慌ててゴア副大統領が情報ハイウエイ構想を打ち上げ、実行したという有名な話が紹介されていた。先日も触れた郵政省がここでも日本の足を引っ張っていたのである。

 それほどの先見の明があった立川さんも、今の一人勝ちを「今の若者がお金を使わないのは通話料の為で、それが景気不況の原因と言われているが」と田原さんに突っ込まれたときには一人あたりの利用料は8千円くらいで、そんなに多くないとサラット逃げていた。
 8千円が一人あたりですから親子3人が一台づつ持てば、チョット使うことが多い家庭ではすぐに3万くらいになるのじゃないでしょうか。そのくらいの家庭はきっとたくさんあると思います。
 その上、家では固定電話もあり、インターネットの接続料もとなると5万円にもなりそうです。それのどこが多くないのでしょう。分かっているだけに触れられたくないという態度が見え見えだったような気がしました。

 高すぎるのが分かっているので積極的に値下げをしてきたことで今の普及になったと言っていました。確かに、その通りでしょうがまだまだ不十分です。あれほど先見の明がある人でもまだまだ自分の会社が可愛いのでしょうか、そこには、日本全体という視点が抜けているように思います。
 せめて、Iモードは月額1000円から2000円くらいの定額にすればもっと爆発的に普及するでしょうし利益もそれほど落ちないと思います。一家の通信料はせいぜい1万円が限度じゃないでしょうか。

 私は、未だに携帯電話を持ってないと言いましたが、もっと料金が安ければデータ通信に使いたい気持ちは持っています。
 しかし、キーボードなら出来ますが、若い人のようにIモードでメールを打つのはカンベンして欲しいと言う感じです。使いこなせる自身はありません。
 ですからノートパソコンを携帯に繋いでモバイルをやることには興味がありますが、今の料金じゃとてもじゃないですが手が出せません。

 Iモードの携帯は二つ折りですが、ノートで四つ折りにして携帯くらいの大きさでポケットに収まるようなのを作れば売れると思いますがどうでしょう。どこか作ってくれないかな。
 今の技術の進み具合なら、そう遠い話ではないように思います。これに携帯を組み込んでキーボードでネットもメールも出来て5万円で買えるならバカ売れでしょう。
 そして、通話料は固定で月額2000円くらい。せめてこのくらいにならないとIT革命とは言いたくないですね。 

そんな時が来るかな!

20001219日火曜日  第458話  軽自動車

 日産がいよいよ軽自動車に進出することを決めたようです。日本の自動車生産数のかなりの割合を占める軽自動車に手を出さないというのはおかしいとゴーンさんが思ったようです。
 トヨタもダイハツを実質子会社にして軽に力を入れています。マツダ、ホンダも再度軽に参入しています。

 これは日本にとって良いことだと思います。と言うのは狭い日本にどうして大きな自動車がいるのか以前から疑問をもっていたからです。
 自家用車の搭乗人数は殆どの場合が一人といいます。ただでさえエネルギーの少ない日本で、たった一人で大きな車に乗るほどエネルギーの無駄遣いは無いと思います。
 今更、車がステータスシンボルなんて時代はもう過ぎたと思います。本来ならば自家用車なんか止めて公共交通を利用すべきときがきていると思うのです。
 しかし、ここまで車社会になってしまった現状でそこまで求めるのは酷というものなので、それならば、日本には独特の発展をしてきた軽自動車というものがあるのですから、それを利用しない手は無いと思うのです。
 それでなくても、サラリーマンが何百万もする自家用車に乗っているのは余りにも滑稽です。若い人達なんかエンゲル係数じゃなくて車係数が異常に高いのはご承知の通りです。
 今はその上に携帯係数まで上がっているのですから端から見ていても大変だろうと思います。
 確かに私も若いときは良い車が欲しかったので、その気持ちは良く分かるのですが、もうそろそろ、メーカーに踊らされるのは止めてもいいのじゃないでしょうか。 石油危機によってアメリカの大型車がその不経済さによって日本の小型車に取って代わられましたが、そのもう一つ下の軽自動車にダウンサイジングすれば、そのエネルーギーの節約はもっと大きくなるように思うのですがどうでしょう。 それも日本に留まらず、世界に広めればその効果たるや下手なエネルギー削減方法より大きなものがあると思います。

 尤も、安全面などから行くと今のままでは問題がありそうですが、寸法とか、排気量はもう一度より良いものを考えれば良いのじゃないでしょうか。今、見直されつつあるリッターカーとの中間的なものでも良いと思います。

 日本発の画期的省エネカーとして世界に広めるのです。それこそ、狭い日本に乱立している自動車メーカーの生きる道であり、ひいては世界に貢献することになると思います。
そのためにもゴーンさんが軽に目を付けたのは良いことだと思うのです。是非日本だけでなく世界へ売り出して欲しいものです。

 国も、税金面でももっと格差をつければ良いと思います。贅沢税じゃなくて省エネ税としてより経済的にするのです。大きな車に一人で乗っているのが恥ずかしいと思うようになれば良いと思うのです。

 いずれそうならざるを得ない時代が来るとしたら早めに手を打った方が良いのじゃないでしょうか!

20001220日水曜日  第459話  軽自動車

 昨日の続きの軽自動車ですが、実は、私は前から「こんな車が欲しいなぁ」と思ってたのがあるのです。昨日もチョット触れましたが、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

 排気量は1000ccまで、馬力はせいぜい50PS、その代わりにトルクを大きくして、巡航速度は60Km/h位で最高速度は80Km/hまで。
 車両寸法は軽とリッターカーの中間まで、ボディは小型車並みの鉄板を使い、塗装はベンツ並で耐用年数は20年〜30年くらい。
 内装はゴテゴテとする必要はありません。但し、シートだけは高級感はいりませんがきちんとしたものが欲しいですね。
 要するに、軽自動車並みの寸法とエンジンでボディの造りは2000ccクラスというものだと思ってもらったら良いと思います。
 今の時代ですから、これで電気自動車ならもっと良いですね。

 これで値段は100万円までで、出来るだけ安くというものです。チョット欲張りすぎですかね。もう少し高くなってもしょうがないかな・・・。

 メーカーにしたら儲けにならないかも知れませんが、気軽に乗れて軽ほど安っぽくなく、ゆっくりと走るのによく、長く乗れるというコンセプトの車です。
 これなら、省エネにもなりますし、場所も取らない。その上スピードもあまり出ないので交通事故の減少にもなるでしょう。なんと言っても交通事故の最大の原因はスピードの出しすぎに違いないのですから。
 まさにこれこそ日本向けの車だと思います。

 こんな車を造ってくれたら「乗ってもいいなぁ」と思います。本当は、出来ることなら車には乗らないほうがいいとは思いますが、田舎のような公共交通の発達していない現状ではそこまで求めるのは無理かもしれません。
 それでも、近距離の移動はこの程度の車で十分だと思います。その代わりに、長距離は鉄道などを使えばいいのです。
 田舎のJRの駅は結構空き地があるので、パーク&ライドを積極的にすすめるのはどうでしょう。つまり、駅までは車で移動して、JRの経営の駐車場に駐車するのです。列車に乗り継ぐ人には駐車料を大幅に割引きます。後は列車でゆっくりと移動です。これなら、無駄な移動による公害も少なくなるのではないでしょうか。当然エネルギーの消費も少なくなります。

いずれにしても、将来的にはこんなシステムが必要になるのではないでしょうか?

20001221日木曜日  第460話  公共交通

 昨日も軽自動車を取り上げ、その中で車を今更止めることは難しいと言いましたが、果たして本当にそうでしょうか。

 子供の頃、自転車がせいぜいだった時には隣町へ行くことも冒険でした。町の向こうは踏み込むことの出来ない未知の世界であり、何か恐ろしいものがあるように思ったものです。
 それはわずか40年〜50年前のことです。町内にはまだ荷馬車があったことを憶えています。
 もちろん車なんてトラックがあるくらいで乗用車なんて物は殆ど無かったように思います。テレビが始めて家に来たのは小学校高学年だったと思います。
 その後、高校生でバイクに乗るようになって、行動範囲は広がりました。どこへ行くにもバイクで行こうとすると、祖父に「そんな近いところ歩いて行け」とよく叱られたものです。当時は「何言ってんだ!」とうるさく思ったものです。昔の人にとっては、「なんて贅沢な!自分の足であるけ!!」と思っていたのでしょう。

 そして乗用車になるとその行動範囲は一層広がりました。ところが、つい100年前を考えると自分の足で移動することが殆どでした。江戸時代となると足しかありません。
 その時代の人の多くはもしかしたら一生の内隣町へさえ行ったことが無かったのじゃないでしょうか。それを考えると祖父の「歩いて行け!」の気持ちも分かるような気がします。自転車にも乗れなかった祖父は歩くことがあたりまえだったのです。

 今になって考えるとこの猛烈なスピードの発展は何を我々にもたらしたのでしょう。お金さえ出せば何でも揃う便利な時代になりましたが、生涯隣町にも行けなかった時代とどちらが本当に幸せなんでしょう。

 確かに物質的な豊かさは比較になりません。その恩恵にどっぷりと漬かった私が言うのもおかしいですし、一度憶えた便利さを元に戻すことは今更無理でしょうが、「果たしてこのままで良いのか?」と考えてみる必要はあるのではないでしょうか。

 丁度、2000年12月19日(火曜日)の日刊工業新聞のコラム「産業春秋」にそんなことを考えさせるものがありました。

 20世紀はあらゆる分野で激しい競争が行われたが何の為の競争だったのかとの問いかけがあり、国立情報学研究所長だった故猪瀬博さんの言葉を『「競争の目的は人類の理想の追求」と断定し、20世紀の負の遺産の重荷に耐えつつ21世紀をより良いものにするには「人はなんのために競争するのか、根源に立ち戻って考え直さなければならない」と警鐘をならしていた。』と紹介している。

 その競争によって、あらゆる便利さを手に入れたのは間違いないが、最初に言ったように果たしてそれが本当に人類の幸せに繋がったのでしょうか。その為に失ったものも大きいのではないだろうかと多くの人が感じているのも間違いないでしょう。
 便利さを手に入れるにしたがって、欲望は際限なく深まり、どこまでいっても満足出来なくなってしまい、何時までたっても充足感が得られないという欲望のスパイラルに落ち込んでしまっているのが今の日本人なのではないでしょうか。

 例えば、こんな狭い国土でアメリカと同じように車を乗り回す必要があるのでしょうか。極端に言えば、自家用車なんか無くして、公共交通の網の目を張り巡らすことの方がずっと日本には合っていたのかもしれません。
 その方が、コストから言ってもズット安く上がったのじゃないでしょうか。そして、自動車の便利さの裏にある大きな問題である交通戦争による年間一万人もの人が事故で亡くなることも無かったでしょう。
 しかし、一度知った便利さや経済優先がそれを許さなかったということなのでしょう。それが必ずしも皆の幸せに繋がらなくても・・・。

  唐突ですが、中坊さんがテレビで言っていた「足るを知る」を考えさせられます。もうそろそろこれ以上の経済発展が本当に必要なのか考えてもいい頃じゃないでしょうか。

所詮、どこまでいっても際限はないのですから!

20001222日金曜日  第461話  散髪

 面倒くさがりの私の嫌いなものに毎日の髭剃りと洗髪があります。どちらかというと毎日の食事さえ面倒なと思うときもあるほどなので髭剃りに至っては論外というところです。

 その延長にある散髪もどうにも面倒で困ります。殆ど、毎月一回、チョット長くても一月半に一回は必要です。
 それがいやで、パーマをかけたときもあります。それでも2ヶ月が限度でした。こんなことを言うとお怒りの方もおられるでしょうが、「いっそのこと丸ハゲになれたらなぁ!」と密かに望んだりします。毎日、石鹸で洗顔といっしょに頭まで洗えるなんて最高です。
 その上、散髪も行かなくてすむとなれば一生で節約できる時間は大きなものです。何ともうらやましいと思います。
本当は、横山やすしさんのように毎日散髪屋に行ければ良いのですがどう考えても稼ぎが違います。理想は、専属の理容師を雇って、髭剃り、洗髪を毎日やってもらうことですが・・・。

 そんな私が、散髪屋さんである時考えたのです。「待てよ!髭をそったり、洗髪してセットしたって後は帰って寝るだけじゃないか、一度カットだけにしてもらってみよう。」と思いつき、頼んでみたのです。
 あっさりと受け入れてもらえました。やってみると、ホンの十数分でしょうか、思ってたよりも早く終わるし、料金も安くしてくれました。それ以来これで済ましています。
 これの良いのは、仕事の途中でもちょっとした時間があれば出来ることです。今までは、休みの日にわざわざ出かけていってたのですが、昼休み等でも十分に間に合うので、今では仕事の合間に行くことにしています。このくらいの時間ならサボりにもならないでしょう。

 もっと早く思いついていたら無駄な時間を大分節約できていたのにと思います。そんな横着者は私くらいかと思っていました。
 ところが、結構そんな考えの人も多いらしく、最近はカットだけの店が増えてきているそうです。チェーン店形式で延びているところもあるそうです。
 先日も、何の新聞だったかは忘れましたが、JRがテナントとしてそんなカットだけの散髪屋を駅に入れるというのが載っていました。値段も1000円くらいだったような・・・。

こりゃ良いや! 新大阪にも出来ないかな!

同じような人がいるもんなんですね!

20001223日土曜日  第462話  海外脱出

 第456話で取り上げたイチロー選手や新庄選手といい、分類の項のノーベル賞のところで取り上げた日亜化学の中村さんといい各界の優秀な人が海外へ出て行って、残るは雑魚ばかりなんてことにならなければいいがと書きました。
 22日の日刊工業新聞のコラム産業新聞に外資系機会部品会社に勤める友人との話として全く同じような考えを書いていました。

 ・・・略

 話が高齢社会の到来に及び「有能な若者は高齢者を支えることに恐れをなして、海外にでてしまうのでは」と冗談めかした。

 この後、サッカー界の欧州志向やイチロー選手、新庄選手そして中村さんなどの海外脱出に触れて

 ・・・略
 こうした「エクソダス(脱出)」の背景にあるのが、日本の組織、社会に対する幻滅感。「独創性が重要」と言葉ではいわれるが、独創的な業績を透明な形で評価する仕組み、環境ができていないことに見切りをつけている。・・・以下略

 どうです、ここまで意見が合うと気持ちが良いですね。変わり者の私の考えも世に受け入れられる時代が近づいてきているのかな?なんて思っていると・・・。

  何と、同じ22日の読売新聞のコラム「今日のノート」にも偉人の警告としてノーベル賞受賞者の白川秀樹・筑波大名誉教授と江崎玲於奈博士の対談の中から「ノーベル賞委員会には科学の全分野を評価できる人材がそろっている。日本のように仲間内でほめあっているのではだめ」という言葉に触れ、
 それは「閉鎖的なこの国の体質への警告だろう。
 会社でも同じことだ。優れた人材を見抜き登用する人がいないと、能力は生かせず。結局その会社が損をする。能力ある者を評価できる有能な上司が、組織には欠かせない。・・・以下略」とありました。

 これは第422話で取り上げた「現場の管理職を人材の目利き役に」と全く同じ考えでしょう。
 こうしてみると、日本の国の組織というのはどこも腐っているということでしょう。
第400話でも取り上げたようにノーベル賞が決まって初めて脚光を浴びた白川秀樹・筑波大名誉教授(名誉教授が単なる名前だけだと知ったのもこのことがあってからですが・・・)なんかは一番その組織に泣かされたのではないでしょうか。
 テレビでも現れているあの温厚な人柄奥にどれだけの悔しさを秘めているのかと考えるのは私だけでしょうか。
 ノーベル賞受賞の後の日本のマスコミの「今後はどうされますか?」というインタビューに「私は、何の役職もありませんから、今までと同じです」というような(正確には覚えていませんが・・・)ニュアンスの答えにその気持ちが現れていると見たのは考えすぎでしょうか?


 それにしても、偶然にも同じような日本の組織に対する警告が同じ日のコラムに載るというのも面白いですね。
 こういう意見が多くなっているのは良いことだと思いますが、本当に真剣に考えるべき政治家や経営者が分かっていないのがこの国の最大の問題でしょう。

きっと分かることはないのでしょう!

20001224日日曜日  第463話  電通審

 第455話で取り上げたNTTで本当の敵は郵政省だったと言いました。

 それはあのときに取り上げた、2000.12.9◆週刊東洋経済のコラムTopNewsに「対立」『官僚と民間が「口撃戦」!禍根を残したIT戦略会議』の中で、「公正取引委員会は郵政省の電気通信審議会(郵政相の諮問機関)に査察を入れるべきだ」と孫正義社長が机を叩いて怒ったと事に触れている。
 そして、それは本来ならNTTが公正に参入ルールを守っているかを規制・監督する立場にある審議会の斎藤部会長が「公取りに頼る通信業者はだらしない」と発言したものが記事になったからだそうである。
 今になって慌ててやりだしたADSLもこの審議会がNTTに都合のいいように政策を決めたからだと疑われているようです。
 その上、来年の省庁再編で郵政省と公取が総務省になるそうです。要するに、取り締まるものとされるものが一緒になるということなのであるから、益々、郵政省の思うが侭ということになるかもしれません。

 そしてその恐れが、現実のものになったようです。2000年(平成12年)12月22日の日本経済新聞の社説に「利用者利益を忘れた電通審答申」として取り上げられていました。
 それは、「二年後までに日本電信電話(NTT)がどれほど競争政策を実施したかを見て完全分離の是非を判断する」というものだそうです。
 それに対して、「電通審には危機感が不足しているのではないか。・・・中略
日本の通信行政に欠けているのは利用者利益の実現を最優先する確固とした方針だ。今回、問われているのはまさにその問題なのだ。」と締められている。

 まさに、危機感が無いことおびただしい。今でも世界に遅れをとって経済の沈滞の原因とも言われているのにどうしてこんなのんびりしたことが出来るのでしょう。
 全く、この国のことを考えているとは思えない。こんなことをして何の得があるのでしょうか、私にはわかりませんが、きっと自分たちの利益になる何かがあるのでしょう。

 国がなくなっても自分たちの組織を守りたいのでしょうね。人間というものはここまで自分の利益ということになると周りが見えなくなるのですね。
 今、来年の予算の大蔵原案が発表されました。そして、注目すべき公共投資の配分は1.4%しか変わってないそうです。
 まさに、ここに組織都合が現れています。これだけ国民が改革を望んでいるにもかかわらず何も変わらないのです。
 そして、相変わらずの国債発行をかさね来年の財政赤字は666兆円になるそうです。 666の数字は「エクソシスト」の悪魔の子ダミアンの頭のツムジを思い出させます。
 もしかしたら、政治家も官僚もツムジが・・・。

いよいよ日本の終わりのときかな!

20001225日月曜日  第464話  建設省

 今日(24日)のサンデープロジェクトは久し振りに怒りを通り越してあきれてしまいました。

 まずは、田中長野県知事が出演して、中止を決めたダム等の公共工事について官の都合で決められたその杜撰さ振りを聞いてあきれたものでした。 
 それにしても田中知事相変わらの熱の入れようが好感が持てますね。公共工事の無駄振りの説明も分かり易くて好感が持てました。
 政治は人によって代わるということを分からせる為にも何とか頑張って既存の政治に楔を打ち込んで欲しいですね。

 さて問題はその後の「国土交通省誕生」利権の王国は変わるのか!の題での来年の1月6日に北海道開発庁・国土庁・建設省・運輸省が一緒になってうまれる国土交通省についての特集でした。
 現在でも公共事業の7割を持つ建設省と1割を持つ運輸省が一緒になることで8割を占めることになるそうです。
 特にその建設省の腐敗振りを取り上げたものですが、そのたかりの中身は何とも凄まじいものでした。

 高度成長時代の有り余る予算を使う為にまずは事業を創り上げ、成長が止まった後も一度決めたものは見直すことなくそのまま続けるという杜撰さです。要するにそこにたかった政(族議員)・官・財(ゼネコン)が見直すことを許さないということです。

 利権の構造の代表的なものとして工事を請け負った建設業者が倒産したときに工事がとどこることが無いようにという為に設立された保証会社というものを紹介していました。
 全国に東西と北海道に三つの保証会社というのが1952年に設立され、公共工事を請け負った建設業者は保証料として、行政から前払いされる工事費(工事を請け負ったら行政から前払いされるのだそうです)の一部をその保証会社に支払わなければならないのです。
 当然のごとくこの会社は莫大な利益を上げておりその内部留保は年々増える一方ということです。
 そして、お定まりのようにこれらの会社は建設省OBの天下りで占められているのです。その上にゼネコンからも経営陣にも人が送り込まれているのです。
 そして、その子会社として、公共事業を請け負うゼネコンを審査する財団法人建設業情報管理センターという公益法人まであるのです。ゼネコンの審査をゼネコンの人間が審査するのですから何をかいわんやです。

 すべてが、公共事業を食いもにする為のシステムなのです。よくもここまで税金を食い物に出来るものです。
 自分で事業を作りそれを請け負う会社と共謀して、その金をピンはねする会社を作り、そこに天下りするということですから、事業の見直しなんかする訳ないのは当然でしょう。
 昨日も触れたように、公共投資の配分が1.4%しか変わってないというのも当たり前のことでしょう。

 一体、666兆円の財政赤字のどのくらいが食い物にされているのでしょうか、考えるだけで恐ろしいものがあります。
 本当に必要な事業をきちんとやっていれば多分この赤字は無かったのではないでしょうか。
 この税金を食い物にしているゼネコンを助ける為に、銀行への公的資金が使われ、おまけにその為に金利も限りなくゼロに近く抑えられていることを考えると腹が立つなんて言葉では言い表せません。

ここまで我々国民は馬鹿にされなければならないのでしょうか!

20001226日火曜日  第465話  陪審制度

 最近のテレビの街頭インタビューでは、殆どの人が今の日本の政治に幻滅して一体この国はどうなるのだろうかと心配している。
 ああいうのを見ると日本人って個人個人を取ってみると真面目で、問題意識を持って日本の将来を心配しているのが良く分かります。それなのになぜ是ほどに、政・官・財のえらいさんたちはこの国を食い物にするのでしょう。
 その政治家や官僚、財界人にしても一人ひとりは良いことを言っている人が多いのも確かです。
 それじゃ一体どうして昨日の
第464話で取り上げたようなひどいことが行われるのでしょうか。
 結局一人ひとりでは何も出来ないが、組織に属してうまみを知ると責任感や正義感がどこかに言ってしまい組織の都合が先に立つようになってしまうのでしょう。

 本来なら、きちんとした監視機構があればそれほどまでに酷くはならなかったのではないと思われます。それは、一つには全てを任せてしまって楽をすることに慣らされ、責任や義務を放棄した国民にも責任があるのだと思います。

 その良い例が第92話第111話でも触れた源泉徴収でしょう。その楽さに甘んじて、自分で申告をやらないことが、税金の使い道に対する見張りを甘くしていることは間違いないでしょう。 
 私もそうですが、人任せにすることは確かに楽ですが苦しんでも自分で申告することが本気になって税金の使い道を見張る為には必要と言うことだと思います。

 そんな義務に関することでもう一つ考えさせられることがありました。リンクさせていただいている萬晩報20000927()「55年前まで日本に存在した陪審制度(再掲)」という題で、陪審裁判制度が昭和初期に導入され、15年間も施行されていたことが紹介されていました。

 これは全く知らなかったのですが日本でもやろうと思えば出来るのですね。このように面倒くさいことは逃げるのではなく義務を果たすことが一人ひとりの自覚を生むことになるのじゃないでしょうか。
 それがひいては、不正を許さない監視機構をつくることになっていくと思います。何たって、苦労して行った義務に対しては誰だってその後の結果が気にならないはずは無いですから。

人任せではダメ!

20001227日水曜日  第466話  利益誘導型選挙

 第464話で取り上げた公共事業を食い物にする政・官・財の典型的な例が同じ24日(日曜日)のテレビ報道特集(田丸美鈴さんの番組)で取り上げられていました。

 それはこの間の選挙で民主党鳩山党首が落選しそうになって注目を集めた北海道での民主党鳩山党首と自民党の新人岩倉氏の選挙の様子を取り上げたものです。 

 新人の岩倉氏に自民党の鈴木宗雄総務局長が張り付いて応援をしたり、鳩山氏の後援会であった建設業者の自民への鞍替えなど利権を利用したなりふりかまわずの選挙の様子を取り上げていました。そして、岩倉氏は小選挙区では僅差で敗れたが鳩山氏をひやりとさせあげくに比例の方で当選したというものである。

 そして、当選した後が又酷い。公共事業の見直しを前面に押し出し国民の反感を誤魔化そうとしている一方で、今度の予算編成で道路や港の公共事業の予算を岩倉氏の手柄として優先的に付けるというなりふりかまわず予算のばらまきで露骨な鳩山つぶしをやっているのである。そして予算の陳情に来た地元の市長達などを集めた席であの鈴木総務局長が岩倉氏の手腕として褒め上げている。茶番もいいところです。 
 全く従来の利益誘導型選挙の典型である。あの鈴木総務局長のアホの坂田俊夫さん(坂田さんに恨みはありませんので念のため)そっくりの善人面をした下品な笑い顔(これはあくまでも私感!)と市長連中を見ていると、「ああ!やっぱりこの国はダメだ!」とがっかりしました。
 よくも国民の税金を利用してあそこまで露骨なことが出来るものである。国民を馬鹿にするにも程がある。
 今までは、鳩山さんも頼りなくて余り好きでもなかったが、あの仕打ちを見せ付けられると応援したくなる。

 公共事業の予算に占める割合は先進国の2%前後に対し6%と日本が圧倒的に高いそうです。その裏にはそれを食い物にしている政・官・財がいることを思うと全く腹が立ってしょうがない。

 必要なものは良いが、それを食い物にするのが駄目である。本当に、国の為にという考えでやっていればどのくらいの節約が出来ていたのだろう。きっと想像を絶するような予算ですんでいたのではないでしょうか?

 イギリスの例を取り上げていましたが、政・官・財が公共事業を食い物にできないようにとさまざまな工夫が凝らされているようです。少なくとも政治家個人が利益の地元への誘導等が出来ないようになっているようです。
 歴史の差があるとはいえその彼我の差に唖然とするものがありました。

やはり、国民の差でしょうか!

20001228日木曜日  第467話  不当労働行為

 初めて使ったものって妙に好きになって、その後も買い替えのときに同じメーカーのものを選んでしまうことがあります。
 私にとってそんなものの一つにダンロップのタイヤがありました。最初に乗った車のタイヤがダンロップSP44(うる憶え?)でした。ダンロップという響きが気に入ったのかもしれません。交換のときはダンロップを指定したのはいうまでもありません。
 その後、ゴルフをやるようになった時にも、ダンロップのボールがシェアも高かったこともあってよく使った気がします。提携先の本家ダンロップを買い取った時には密かに拍手を送ったものです。
 ところが暫くゴルフを止めている間に、神戸の地震で工場が被害にあったのが原因でしょうか、今は、タイヤと同じようにゴルフボールもブリジストンの後塵を拝しているようで残念に思っていました。

 ところが12月22日(金曜日)の夜のテレビで住友ゴム工業(ダンロップは商標)が元従業員2人が「社内でいじめにあったり賃金差別があった」として訴訟をしていた判決があったとのニュースがありました。
 組合員だった2人が1965年以降、サービス残業の禁止等を訴えるビラまきや抗議などの活動を続けた(12月23日の読売新聞より)ことにより職場でいじめにあったり査定を10年以上最低ランクにされたのだそうです。
 裁判長は「二人が標準より劣っているとまでは言えず、異例に低い評価を受ける事情は無い」と不当労働行為を認めた。(同、読売新聞)

 決め手の一つは、提出されたいじめの証拠のテープにもあったようです。内容は覚えていませんが人間のいやらしさが出ていたようで、あんまり聞きたくないものです。

 判決は会社側に600万円の支払いを命じたのですが請求した差額と慰謝料のの2600万円とは開きが大きすぎます。
 本人たちも「長年の差別が認められたのはうれしいが、賃金の請求が棄却されたのは不満だ」とはなしている。(同、読売新聞)

 戦後の労働運動つぶしなんてこんなものだったのでしょうね。人より企業が重んじられた日本ではこんな扱いを受けた人は沢山いたことでしょう。
 そうして、こういう風に人権を軽んじた企業主体のやり方の結果が企業ばかりが繁栄するという今の日本の経済構造をもたらした原因の一つであることは否定できないように思えます。
 もう少し、社会や従業員を大事にする考えがあれば発展は緩やかだったでしょうがこれほどの閉塞感に悩まされることも無かったかもしれません。

 この判決のニュースで一番悲しかったのは同社の広報部の『「原告の主張が一部認められたことは不満。差別行為はなかったと確信している」(同、読売新聞)』というコメントでした。
 このコメントで私はダンロップを見放しました(私が見放しても影響が無いのが情けない!)。しかし、何でこの期に及んでこんな情けないコメントを出すのでしょう。この会社の体質が変わってないことを世界に発表したようなものと思うのは私だけでしょうか。
 未だにこんな体質では、ライバルのブリジストン(その体質がどうかは知りませんが)に勝てることは無いでしょう。
 まあ、一流企業でこの体たらくということは、殆どの日本の企業がこの程度というのが現実の姿なのでしょう。

 第236話で取り上げた三和銀行の行員19人を思い出します。都合の悪い社員を排除しようとするような狭量な企業が発展するとは思えません。そういう人ほど、活かし方次第でエイエスマンよりずっと良い仕事をするはずです。

政治も官僚も企業もまだまだですね!

20001229日金曜日  第468話  そごう

 「そごう」の閉店セール最後の日を各テレビ局が競って放送していました。

 そのとき何だかおかしいなと思ったのは、最終日の開店のときに案内嬢(古う〜!)が入り口に立って最後のお礼の挨拶をしていたことです。何となく緊張が顔に出ているような気がして「こんな時に挨拶なんかしたくないだろうな!」と気の毒に思ったのは私だけでしょうか。
 こんなときくらい責任者が出てきてもいいんじゃないんだろうかと感じて、このあたりにも「そごう」の体質が出ているのかなとつい余計なことを思ってしまいました。

 それよりも、「あれ!デパートというのは、この期に及んでもああいう案内嬢(再び!)を置く程の余裕があるのか?チョットおかしいのじゃないかな」と思ってしまいました。エレベーターガールもそうでしょう。店のグレードを保つ為に必要と思っているとしたらどこか間違っているのじゃないかなと思ってしまいます。人を減らすことが良いことではないし、そういう余裕があることは一面ではいいことだと思いますが、倒産するような会社がやることではないような気がしました。他のデパートとの競争で廃止することが出来なかったのでしょうが、私には過剰サービスに見えてしまいました。
 本当のサービスはきれいなお姉さんが慇懃におじきをしてくれることでしょうか?本当にお客さんが求めているのはそんなところにあるようには思えないのですがどうでしょう。

 滅多にデパートなんかに行くことの無い私ですが、たまたま機会があって行った時に感じたことがあります。
 それは、広い売り場を歩いて疲れたときに「チョット座って休みたいな」と思ってもどこにもそんな場所が無いのです。このとき、デパートっていうのはお客さんの方を向いていないのじゃないだろうかと疑ったものです。
 それに比べて、スーパーには大抵一階の中央に休憩できる場所がありますし、各階にもそれなりの場所があったように思います。奥さんの買い物に付き合わされた旦那さんなどが座って待っていることが出来るのです。そのあたりに、客に対する気遣いの違いを思ってしまいました。
 そんなチョットした気遣いもなく案内嬢やエレベータガールが「いらっしゃいませ」と丁寧に迎えてくれてもありがたいと思わないと思うのですが、私の考えすぎでしょうか。

 最近デパートに行ってないので変わっているかもしれませんが、あの最後のテレビを見ていてふとそんなことを思ってしまいました。

余計なお世話ですね!

20001230日土曜日  第469話  ソーラー

 私は、冬にコートを着たことがありません。電車や車の乗り降りのたびに着たり脱いだりが面倒くさいのもありますが大きな理由は貧乏のためだったりして、ですが、さすがに寒いのでベストだけは着ます。ところが今年は今ごろになっても寒さがそれほどでもなくて、ベストを着たり脱いだりの日があるのです。
 やっぱり、温暖化現象の影響でしょうか。そういえば、昔のようにしびれるような寒さもなくなったように思いますし、鼻水をたらして、袖口をてかてかにしている子供がいなくなったのもこの現象が原因の一つかもしれないです。
   NHKの朝(28日)ニュースでニュージーランドの氷河の解け方が速くなっているのを放映していましたが、これも温暖化の影響だろうと言っていました。
 何かで読みましたが一方では、長い地球の時間から言えば誤差の内という説もあるそうです。どちらにしろここ数年異常気象といわれる現象が多いのは確かでしょう。

 12月27日(水曜日)の読売新聞のコラム「今日のノート」に「今年の全国平均気温は平年値を0.74度上回る14.79度で20世紀中で五番目の高温だったという。
 それだけではない。1998年が1.3度上回り歴代一位、90年が二位、94年が三位、99年が四位と歴代七位までが90年以降に集中している」と「温暖化に突入」との題のなかで取り上げられています。

 こういった現象をみると、温暖化は間違いなく起こっていると考えた方が自然だと思われます。もっと真剣にその原因と思われる大気汚染を防ぐことを考えないと大変なことになりそうです。
 ところが、今年のオランダで行われた温暖化防止会議を見ても分かるように、世界は先進国と発展途上国の思惑が入り乱れて炭酸ガス削減の合意に達することは出来ませんでした。このあたりの詳しいことはリンク頂いている
「市民のための環境学ガイド」COPの項目を参考にしてもらったらいいと思います。
 日本などは、森林の炭酸ガス吸収量の計算を主張して顰蹙を買う始末です。政治的には大事なのかもしれませんが、感情的には、恥ずかしいと思えました。
 そんなことより、日本の技術で出来ることを提案すればいいのにと思ってしまいます。その方がよっぽど世界から信頼されるだろうに・・・。

 何度も言うように、第353話第399話第406話で取り上げた太陽光発電を実施したらエネルギー問題の解決にもなり、温暖化の防止にも貢献できることになり世界から感謝され尊敬されるでしょう。
 あれからも、2000年11月29日(水)の日経産業新聞に住宅用太陽光発電システムの価格が1キロワット当たり90万円を割り込んで88万8千円になったとの記事もありました。
 12月23日(土曜日)の読売新聞には2001年度予算の復活折衝で、太陽光発電への補助事業費として通産省が要求した235億円が認められたと載っていました。しかしながらまだまだ割高で広がりが遅いのが現状です。
 27日にも川崎重工業が、アメリカのエバーグリーンソーラー(マサチューセッツ)から太陽光発電システムの販売を手がけると発表していました。3キロワット165万円だそうですから1キロワット55万円ということです。
 世界ではここまでコストダウンしてきているのですから、日本の技術と政府の予算の傾斜配分を実施すればきっと採算に合うところまでコストダウンできるはずです。

 通産省もその大事さが分かっているのなら中途半端な予算要求じゃなくもっと大きな目で太陽光発電に取り組んで欲しいものである。

 日本の景気が1%上がった、下がったと騒ぐのは止めて世界に貢献することを考えませんか?これ以上経済発展することが良いのかどうか考えても良いのじゃないですか?

折角の技術を世界の為に活かしましょうよ!

20001231日日曜日  第470話  日本

 いよいよ今日で20世紀も終わりです。子供のころはまさか自分が21世紀に生きているとは想像も出来ませんでした。そんな年寄りになって生きていても何にも出来ないだろうなと思っていました。50以上は私にとっては想像を絶する年寄りだったのです。ところがそんな年も過ぎてまだ生きていました。面白いモンですね!

 さて、さんざんこの国の情けなさ等を書いてきましたが、この世紀に日本に生まれたということは今まで地球に生まれてきた人類を含む全ての生物の中でも幸運な部類に入ると思います。
 それも前半でもなく丁度戦争が終わった後の日本というのは望んでもなかなかそんな良い時代は無いのかもしれません。それだけでもその幸運に感謝しても余りあるものがあるように思います。

 第一、戦争にも行かないですんだし、多分これからも行かないでしょうし、TVや冷蔵庫などの家電製品により生活はそれ以前の人とは全く違った快適さを手に入れました。
 自動車など、自分で持てるときが来るなんて思いもしなかったのに、平気で乗り回すようになりました。おまけに空まで飛べる時代です。
 殆どの、こうした発明は20世紀になっての事であり、本当に恩恵を受けるようになったのは、我々団塊の世代が生まれた今世紀の後半といえるでしょう。それだって、日本の国だからそうだったのであって、地球上の大半の人はその恩恵にあずかるどころか日々の食べるものにも困っているところさえ少なくないという状態です。

 そして散々いい思いをした後にふと気がついたら最近の閉塞感が漂う何だかおかしな雰囲気になっていたというところじゃないでしょうか。何時までも経済が発展することが当たり前と思う思い上がりを見直すときが来ているような気がします。
 何たって、戦後の日本ほど良い思いをした国はそんなには沢山無いのですから。
第460話でも取り上げたように「足るを知る」ときかもしれません。確かに得たものも多いが、失ったものが多いのも間違いないでしょう。どこまでで我慢するべきかを見切るのが21世紀への宿題になってしまったのが残念です。

 しかしながら、こんな良い時代良い国に生まれたからこそ、この国が悪くなることがたまらないのです。上を見ればきりが無いですが、誰がなんと言ったって、封建時代の庶民には戻りたくありません。どう考えたってこんな快適な生活が出来るわけは無いのですから素直に喜んでもいいでしょう。そして、日本より恵まれていない国の方が圧倒的に多いのですから。

 そして、折角の良い基盤があるのですから諦めずに少しでも皆が喜べるような国になって欲しいのです。そして、後に続く発展途上国の模範になりたいものです。 

希望を持って行きたいですね!

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