団塊の世代の部屋18

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200111日月曜日  第471話  マァいいか!

あけましておめでとうございます。

 おかげさまで2回目の正月を迎えることが出来ました。本年も出来る限り更新を続けたいと思いますので宜しくお願いいたします。

マァいいか!」は、このHPを立ち上げる時に、何の考えもなく取りあえずやってみようと始めようとしたものですが、どうもどうやったものか考えがまとまらなかったときに「そうだ!まずは部屋の名前がいるなぁ」と思い当たり何とか無い知恵をしぼって考えついたものです。

 どんなHPにするかは部屋の名前がなければやはり構想(そんなかっこいいものか?)が沸いてこないのです。
 ところが、入り口にも書いているように発信するものが無いものだからHPの題も、とてもじゃないけどなかなか思いつきませんでした。
 そんな時、営業の仕事でいつも口ぐせにもなっている「マァいいか!やってみよう!!」を思いついたのです。

 私としては、営業で迷ったり気後れした時などに「マァいいか!やってから考えよう」と前向きな考えで使っているのです。そうすると大抵は想像していたほど悪くはならないものです。
 ところが、「マァいいか!」は後に続く言葉で良くも悪くもなります。

  「マァいいか!やめとこ」とか「マァいいか!しょうがない」のように「先送り」や「妥協」「諦め」の意味で使うのがその最たるものだと思います。どちらかと言えばこういった使い方のほうが多いのかもしれません。特に諦めの意味で使うと大抵碌なことにはなりません。
 そういう私も、妥協で使う場面がかなりあります。特にパソコンに関して・・・。そしてそれは、やはり進歩を止めてしまいます。そこで妥協をせずにやりぬくことで何かが生まれるのだと思います。しかし、そこが凡人の悲しさ、どうしても妥協してしまいます。

 こんな私が言うのはまさしく自分に優しく他人に厳しくの世界ですが、意思や考えを貫くには「マァいいか!」の諦めが最も悪いことは確かでしょう。その上に努力をせずに妥協が加わると何事も成し遂げることは出来ません。
 全てをそうやって先送りにしている日本の政治を見ているとその典型のように思えてがっかりします。

 しかし、そんな日本の政治に嫌気がさして「マァいいか!」と諦めそうになりますが、そうじゃなく「マァいいか!何とかなるさ」と楽観も必要でしょう。

マァいいか!諦めずに頑張ろう!

200112日火曜日  第472話  評価

 正月早々、余り愉快な話題ではないかもしれませんが、世のリストラブームに乗って何も考えない経営者がリストラに手をつけているというのが多いようです。一番必要なのは、経営者自身であることに気が付いていないのです。
 何をどうやれば企業が生き残れるかの方針も打ち出せない経営陣がただリストラのブームに乗って人員整理をやったりするからその企業のモラルが一段と落ち込むことになりリストラ以前よりもっと悪くなっていることが多いのではないでしょうか。
 何ら、考えもなくそんなことをやるものだから社員の心が離れてしまって取り返しがつかなくなってしまいリストラどころか破滅に向かってまっしぐらと言うことになるのです。
 分かっていないのは経営者だけと言うことにならなければいいのですが。

 そんな社員の心を現したような記事を2000年12月26日(火曜日)の日本経済新聞のコラム「スポートピア」に田尾安志さんが「選手のやりがいとは」との題で書いていました。

 それは新庄選手のメッツへの移籍と自分の引退を比べて辞めたときの心情に触れたものです。

 『私の引退は、首脳陣の自分に対する評価の低さが決めてになった。・・・・中略 試合の後、コーチから二軍行きを命じられたのがきっかけだった。当時、私の頭の中には「自分より力のない選手がなぜ試合に出ているんだ」という憤りでいっぱいで、力の限界は感じていなかった。』

 これは、まさに企業におけるリストラを言い渡されたり、窓際族を余儀なくされたサラリーマンの気持ちがそのまま当てはまると思います。
 なんで、経営陣の失敗の責任を取らされなければならないのか?どうにも納得がいかないというのがその気持ちではないでしょうか。
 そして、そんな気持ちは残った人にも伝わり、「いずれは我々もこんな仕打ちに会うのだろう」と考えるのが当たり前だと思います。そうして、その会社全体のモラルがダウンして行くことになるのです。
 結局は、気が付いたときには手の施しようがない所まで業績が落ちてしまっていたと言うことになるように思います。
 なんと言っても企業は人材です。その人材を生かすことの出来ない企業に明日はないのは当然と言えるでしょう。

分かっていますか、経営者の方たち!

200113日水曜日  第473話  債権放棄

 年末のドサクサにまぎれたように、熊谷組や三井建設の債権放棄が発表されています。どうしても、政・官・財で日本の国をつぶすつもりのようです。
 族議員と天下り官僚にゼネコン、銀行と是ほど見事な癒着振りはもう感心するしかないでしょう。

 こんなことをやって一時的に救済しても根本的な解決になってないことは誰の目にも明らかでしょう。それなのに債権放棄を認めるのは今さえ誤魔化せば少なくとも自分の時代には責任逃れが出来ると思っているのでしょうか。
 経営の失敗で破綻している企業を助けることに何の意味があるのでしょうか、それはその業界で本当に一生懸命努力している健全な企業に対しても足を引っ張ることでしかありません。失敗した企業は市場から退場してもらうことこそがその業界にとって一番大切であることは明らかです。それが業界の健全な競争というものです。

 その健全な競争を阻むものが、バブルのときに不健全な競争を裏から煽っていた不健全な銀行となれば何をかいわんやです。
 銀行が債権を放棄するということは、公的資金が使われると言うことは自明の理です。そしてその後ろには、族議員と天下り先を確保したい官僚がうごめいている。
第466話で取り上げた利益誘導そのものです。
結局は、族議員と銀行、官僚、ゼネコンが自分で煽ったバブルのつけを税金で誤魔化そうとしているだけの事なのです。皆分かっていて何にも言わない。ここまで食い物にされても黙っている日本人って何なんでしょうね。

 今日の、テレビ番組「さんまのまんま」に石原知事が出演して「21世紀の終わりに人類は生きているかな?」なんてアジっていましたが、そうかも・・・。

今年もやっぱり駄目みたい!

200114日木曜日  第474話  誤字脱字

 思い込みというものは酷いもので、本人はそう思い込んでいるのでそう簡単には気が付きません。長年間違ったまま使っていてふとしたときに気が付いたり、誰かに指摘されて思わず赤面したことも一度や二度ではありません。
 最近も何気なく話していたら相手の人が「しわく」 と言うのです「うん!何だろう?」と思って前後の意味から見てこれは「思惑(おもわく)」に違いないと分かりました。たぶん思い込みで間違って使っているのだろうからと思い注意してあげると案の定思い込みで使っていたようです。注意はし難いですが、教えてあげた方が結局は本人のためになると思います。

 私も学生時代に「羞恥心」を「さちしん」と読んでいて友達から注意をされたことがありました。そのときは恥ずかしかったですが、後から考えれば本当に助かりました。あの時注意されてなかったら一生そのまま勘違いして使っていたと思います。
 そのときの感謝の気持ちを思い出して、思い切って注意してあげたのですが感謝してくれたので、ほっとしました。

 それ以外にも得意の「マァいいか!」で妥協してしまってよく調べもせずに間違って覚えている言葉が沢山あります。

 画策  がさく

 画一的  かいつてき

 サブマリン  サブリマン

 パルテノン パノルテン

 ちょっと思いつくだけでもこれだけありました。これらは色んなきっかけで気がついたものですが、きっと自分で気が付かずに使っているものがまだまだあると思います。
 「あの馬鹿が又間違っている」と思っていることも多いだろうと思います。皆さんもこんな思い込みの一つや二つはあるのと違いますか?

 その上、特にこのHPIMEを使っていますので、誤変換がしょっちゅうです。見直しもするのですが、見落としがいっぱいあります。後で気が付いて修正したことも何度もありますが、とてもじゃないですが全部の修正は出来ていません。たまに見直しては気が付いて赤面することもショッチュウです。もっと真剣に見直せば良いのですがなかなかその気になれません。何と言っても面倒くさいのが一番の理由なんですが・・・。
 ですから、「もうちょっと真面目に書けよ!」と思っている方もおられると思いますが、そのあたりは「又やってる。本当にいい加減な奴め!」と笑ってお許し頂ければありがたいと思っておりますので宜しくお願い致します。

 それにしても、ワープロを使って初めて分かりましたが、あの誤変換を見せ付けられると人間の脳の働きって本当に優秀ですね。覚えていないとか勘違いとかがあるのは仕方ないとしても文章の前後から即座に漢字を判断するのですから。
 
PCがこれだけ進歩しても、案外出来ないことは多いものですね。ちょっとした間違いで全く動かなく事も度々です。そのくらい判断してくれよ!と思うこともショッチュウあります。尤も、そこまで行ったら人間のやることが無くなってしまうかもしれませんので程ほどがいいのかもしれません。

 今年も、誤変換と戦いながらやっていきたいと思います。しかし、誤変換の方が面白いのも沢山あるんですけどね・・・。

使うわけにもいかないし・・・!

200115日金曜日  第475話  NTT

 正月休は坂出でケーブルネット三昧です。やっぱり24時間常時接続の威力は凄いですね。何と言っても、夜中に起きだす必要がないのが良いです。年寄りの体には夜中のネット生活はどう考えても良くないです。
 今年こそは、大阪でも常時接続を考えたいですがまだまだ料金が高いので躊躇しています。フレッツばかりが宣伝されていますが、テレホーダイも安くして欲しいものです。

 NTTが正月明けに「フレッツ・ISDN」の月額料金を2月をめどに最大1000円値下げをすると発表した。
 「フレッツ・
ADSL」に対抗するためのようです。安くなることは良いようですが、ADSLと比べたら圧倒的にスピードの劣るISDNを推し進めてきた経営責任はどうなるのでしょう。いい物がありながら、その恩恵をこうむることの出来ずにISDNを使っているユーザの怒りと損失は誰が責任を取ってくれるのでしょうか?
 百歩譲って、そんな個人的なことは置いとくとして、日本の景気をここまで悪くした責任はどうなるのでしょう。今更1000円を下げるなんて姑息な手段でユーザを誤魔化すことでなくて、早急に
ADSLでもっと安い定額料金で日本中にサービスを広げることがNTTのやらなくてはならないことじゃないでしょうか。この期に及んでも小手先の誤魔化しで乗り切ろうとしているその姿勢が許せません。
 歴史に日本を潰した会社として名を残したいのなら仕方ないですが、まさかそれほどの覚悟もないはずです。

 そんな怒りを込めてサイト巡りをしていたら面白い所を見つけました。有名サイトですが今までゆっくり見たことがなかったのです。これも常時接続の余裕のおかげだと思います。

 Yahoo!掲示板の「インターネット」の中の「全般」というところです。この中にNTTに対する賛否両論があふれています。どうしても否の方が多いようで私にとってはイチイチうなずけることばかりです。過激すぎるのもあるようですがNTTの動きを見ていると仕方ないかなと思ってしまいます。もっと早く見つけたかったです。
 しかし、兎に角量が多すぎて全部に目を通すには膨大な時間が要りそうです。それにしても
NTTの人気がここまで悪いとは私なんて可愛いモンです。

それだけ危機感を持った人が多いということですね!

200116日土曜日  第476話  大きくならない

 経済成長至上主義でやってきた戦後の日本にとって大きいことは良いことだというの画皆の共通の認識だったように思います。
 経済成長は限りなく右肩上がりである事が当然であり、企業の目標は常に成長することであった。毎年成長目標を立ててそれを誰も当たり前のように思っていた。
 しかし、ちょっと考えればすべての企業が成長するなんて事はあり得ないし、どんな成長分野の業種であれ永遠の成長というのはあり得ないことは分かる筈である。それは、ねずみ講と同じでパイの大きさの違いはあっても限界がある事は間違いないはずである。
 しかしながら、そこに触れることはタブーのごとく誰もそのことを言い出さない。競争相手をすべて蹴落としたところで遅かれ早かれ成長が止まるときは来るのだがそんなことには気がつかないような振りをしてひたすら成長を目指して突き進む。
 そして、その結果自分達の手に負えない組織になってしまって崩壊に至る。それはあたかもバベルの塔を見ているような気がします。

 去年の「そごう」や「雪印」など、一連の大企業の不祥事や倒産劇を見ていてそう思ったのは私だけでしょうか。ひたすら競争に打ち勝って大きくなることだけを目標にしてきた日本の経済を見直すときに来ているのかもしれません。

 そろそろ、第122話で取り上げたイタリアのような小さくても世界に通用するものを持った経営や第206話で取り上げたバス一台分の組織を考えても良いのではないでしょうか。

 そんなことを考えていたら、久しぶりに読んでいた佐高さんの日本は頭から腐る」佐高信の政経外科II 発行所毎日新聞社に「会社は大きくしたくない」岡山・林原健社長の中に社長の言葉で素晴らしいのがありました。

 ・・・略
 「会社は放っておくと絶対大きくなる。僕は、大きくなるのはまっぴらゴメンです」大企業で一番いけないと思うのは、人を評価するのに減点法をとることで、それに対して中小企業は、少々欠点があっても、やってもらわなければならないので、減点法はとらない。
 「減点法をとっているかぎり、人は育たないでしょう」・・・以下略

 これは良いですね。こんな経営者が増えれば世の中はこれほどにギスギスしたものにはならないような気がします。
 結局は身の程を忘れて力以上の大きさを求めた結果が今の日本経済の閉塞感の元凶ではないでしょうか。
 所詮一人の人間がコントロール出来る人数なんて知れています。能力以上のことを求めるからおかしなことが起こるのだと思います。
 確かに、ある程度の規模を必要とする業種もあるかもしれませんが、それだって無闇な競争がもたらしたのではないでしょうか。
 例えば、自動車産業なども世界で残れるのは400万台(?)以上の生産能力を持った企業グループでないと難しいと言われていますが本当にそうでしょうか?つい2、30年前のヨーロッパに沢山あった魅力的な車はもう出来ないのでしょうか?そんなことはないと思いたいのは私だけでしょうか。日本でも光岡自動車のように手作りで魅力的な車を作ろうとしている所があります。
 やたら規模の大きさを求めるのと正反対に、適当な大きさでのんびりと健全経営ができる余裕のある企業が当たり前のように受け入れられる時代の方が住み易いと思えてなりません。
 散々、生活を犠牲にして突っ走ってきた結果が、繁栄したのは企業や官僚や一部の政治家だったなんてのは情けないじゃないですか、もっと人間らしく生きる道を探すときが来ているのではないでしょうか。大きいことの限界が見えてきたのなら小さくやることを考える時かもしれません。

こんなのんびりした考えじゃ生きていけないのかな!

200117日日曜日  第477話  人口

 20世紀始めの世界の人口15億人が終わりには60億人にと100年で4倍に増えたそうです。そして第418話でも取り上げたように2050年には100億人を突破するそうです。

 その間日本の人口は明治維新の頃の3千万人から昨年末の国勢調査で12692万人とほぼ同じような増え方をしているようです。
 ところがこれからは
第258話でも触れたように、世界とは逆に2007年を頂点として減少に転じ、2050年には約1億人、2100年には現在人口の半分程度の約6,700万人にまで減ると見込まれているそうです。
 しかしながらつい100年前に日本の人口が3千万人程度だったというのは想像もつきませんでした。明治維新のころの歴史小説もこの人口を背景として考えると違ったものがあるかもしれないですね。私など想像力がないので何時も今の人口のままで考えていました。
 戦国時代なんて一体人口どれくらいだったのでしょうね。インターネットで検索してみましたが江戸時代は3千万人で調節されていたそうですが戦国時代は見つけることが出来ませんでした。当然、明治維新の頃より少なかったと考えるのが自然でしょうね。もう一度歴史小説を読み直す必要があるかも・・・。
 たった3千万人の人口で飢饉などがあったのですから昔の食料生産というのは想像を絶する位に少なかったのでしょうね。私が子供のころ(昭和30年代)の農作業はまだまだ機械化されていなかったので大変な重労働でした。それだけに百姓だけには絶対なりたくないと思ったものですが、昔の百姓はそれどころではなかったのは間違いないでしょう。それだけ機械化などで農業の生産性も飛躍的に上がって来たということでしょう。食料なくして人口は養えないのですから。

 21世紀というのは20世紀とは全く逆に人口減の時代になるということですが、一体どういうことになるのか私の頭では想像もつきません。
 人口が減って、労働人口が減るということは20世紀のような経済発展は頭から否定しなくてはならないのでしょうか?それとも、世界で増えた人が移住してくるようになるのでしょうか?移民は受け入れないという今の体制は根本から覆されるということかもしれないですね。 

 こうしてみると経済発展がどうのこうのと高尚な話のようで所詮は人口問題なのかもしれないですね。
 地球の将来は人口問題が第一であって、その解決が出来なければすべての夢は人口によって押しつぶされてしまうのかも・・・。増えすぎても大変だし、減りすぎてもジリ貧だし適当ってのはどのくらいなんでしょう。何とも、生臭い問題ですね。

 こうなると、ますます第418話で取り上げた雨漏り実験室からの戯言の中の途上国に娯楽・メディア機器の援助をが現実問題になってきます。

200118日月曜日  第478話  トヨタ

 最近車に殆ど興味のない私ですが、ヴィッツという車がトヨタから発売された時に、「オヤッ!チョッと違うな」と感じたのを覚えています。
 
第459話でも触れた私の欲しい車に近いものがありました。ヨーロッパなど世界でも結構売れているようです。
 ハイブリッドカーのプリウスやWillそして新しくなったカローラなどを見ているとトヨタも頑張っているなとぼんやりと思ってました。

 ところが、7日のサンデープロジェクトでトヨタの特集を見ているとそこには危機感があったことが解りました。5年前(95年)頃には従来のカローラ、マークII、クラウンなどの車が若者からソッポを向かれシェアがジリ貧になってきていたのだそうです。従業員が「わが社には欲しい車がない」とまで言うような状況だったそうです。
 日本一の企業で、日本一成功しているといっても良い企業は、大企業の御多分に漏れずに組織の官僚主義に侵されていたのです。
 成功体験を持っていればいるほどその組織は変わるということに対しての大きな壁になってしまうということなのでしょう。

 そんな1995年8月に社長になったのが第9話第33話第34話第97話第335話第394話などで取り上げた奥田碩さんです。
 折に触れて、私を感動させてくれた日経連会長としての奥田会長ですが、やはり本業でもやってくれていました。
 ヴィッツなどのヒット作の裏には、奥田さんのこのままではトヨタは若者から見放されるという危機意識があったということです。その危機意識が外部から新しいデザイナーを採用し新しいデザインの車を採用することなどで内部に刺激を与え意識改革を進めたのだそうです。
 bBという新しい車のデザインの採用を決める経営会議でその新しいデザインに誰も発言しないので「私には良さが分からないので、若さにまかせよう」と決断したのだそうです。
 ちなみに私もこの車の良さは分からないです。

 これなどはいくら掛け声を掛けても変わらない組織を変えるのはトップの本当の動きしかないということを良く現していると思います。
 組織というものは放っておけばどんどん肥大して、古い体質を温存して動かなくなるというもので、それを動かすには並大抵のエネルギーでは手に負えない。
 内部からの変わろうというエネルギーとトップの強い意志と行動がないとどうにもならないものだと思います。とかく上からの掛け声だけの改革に下が白けているというのが普通のパターンなのですから・・・。

 それだけに日本一の大企業のトヨタを変えた奥田さんのリーダーシップに感心させられました。つい、それ以上に大きな組織であるNTTや国の変わらなさとリーダーを思ってしまいます。 

日本の国に欲しいリーダーですね!

200119日火曜日  第479話  地方分権

 7日のサンデープロジェクトのもう一つは、石原東京都、浅野宮城県、北川三重県知事の三人の出演でした。
 
第181話でも取り上げた知事の時代を代表する3人の地方分権にかける熱い想いが話題でした。
 地方分権のメリットが何なのかもう一つ良くわからなかったのですが、県民が国に納めた税金を分けてもらうのが今までの方法で、それを最初から半分は県に収めてもらうようにすることが地方分権であると言ってました。
 チョッと説明が悪いですが、要するに国に予算を分配してもらうやり方こそが、中央官庁のおごりを産み、地方がへりくだる悪弊の原因であるということでしょう。
 自分で使える金があるということこそが自立の第一歩であるということは間違いないと思います。所詮、金がなければ卑屈になるのはこの世の習いですから。

 この話を聞いて思いついたのですが、地方に自主財源があるということは、知事の経営感覚が試されることにも繋がると思います。
 例えば、松下幸之助さんが言ってたように予算を上手く使って翌年に繰り越していくことも出来るはずです。予算を上手く使ってあまらせた部署には何らかの報奨金を与えるのも良いでしょう。地方公務員の数を減らして、小さな県を目指すも良いでしょう。
 要するに、所謂、入るを図って出るを制するによって何年かすれば県知事の能力によって、各県の格差が大きく現れてくることになるでしょう。
 そうすれば、県民も知事を選ぶことの重要さが身にしみるはずです。今までのように、中央やゼネコンと癒着したような旧態依然の知事は弾き飛ばされ、アイデアあふれる前向きの精神を持った知事が増えることにより益々地方から改革が進んでいくことになるのではないでしょうか。
 それは即ち、中央官庁や政府の力が相対的に下落することに繋がるのです。そしてそれは小さな政府に繋がって行くのです。

そんなに甘くないですかね!

 話は変わりますが、皆さんは公務員は自腹で名詞を作らなければならないって知ってましたか?私は、以前OBの方から聞いて「へえ〜、そんなモンなんだ!公務員って変な所で不便なんだなぁ!」と思ったことがありました。
 ところが、北川知事がこれを改めて経費で作れるようにしたそうです。「県の宣伝をしてもらうのに何が不都合なんだ!」と言っていましたが、その通りだと思います。他府県でも取り入れる所が増えてくるんじゃないでしょうか。
 こういうくだらない決まり事が多いと言うことは組織が停滞している証拠だと思います。「こんなとこまで気を使っているんですよ」とアピールしているその裏ではとんでもない無駄遣いがあるはずです。

 そんな名詞の費用をケチるようなことよりもっとすることがあるでしょう。

2001111日木曜日  第480話  NTT

 第372話でNTTのTVCMに「誰と競争しているんだろう、他にやることあるだろう」と文句を言いましたが、私の考えが浅はかだったようです。
 と言うのも、
第475話で取り上げたYahoo!掲示板を見ていたらあの圧倒的な量のTVCMには他の目的があると言う書き込みがあったのです。それは、宣伝が目的というより、マスコミ対策というものです。
 つまり、あれだけCM料を払っているとその恩恵に預かっている各放送局もNTTに対して批判がし難いというものです。ですから敢えて独占でありながら、訳のわからないCMをバンバン提供してマスコミの批判を抑えていると言うのです。

 成る程、これはありそうですね。あのCMを見て「何やってんだ」と違和感を感じていた私もそこに思い至らなかったとはお恥ずかしい。確かに言われてみれば、あの値下げのCMなんか見ていても何がどれだけ安くなったのか全く理解できませんでした。
 目的が、口封じであるのならば高い出演料の有名人を使っていながら中身の良く分からないことも理解できます。制作費も含めそれだけマスコミ関連に流れる金が多くなると言うことなのでしょう。
 はでな宣伝より、料金体系などをきちんと消費者に知らせるのがNTTの本来の姿であるべきなのではないでしょうか。もっと必要なのは、そんな小手先で批判を避けるより、一円でもコストダウンに努力して日本の発展の為に尽くすことこそ目指すべき方向だと思います。

 しかし、本当にこんな目的でCMをしているんですかね?そうだとしたら救いようが無いですね。そして、マスコミが本当にそれでNTTに対する正当な批判を抑えているとしたら、マスコミの精神(尤も、殆ど忘れられているようですが)はどこへいったのでしょう。
 自分たちさえ良ければ、日本なんてどうなってもいいというのが見え見えですね。

やっぱり、トップですかね!

2001112日金曜日  第481話  JR

 正月明け早々の出張で新大阪から広島を新幹線で往復しました。たまたま乗ったのがレールスターという8両編成の新大阪・博多間の「ひかり」だったのですが面白い試みをしていました。今までも乗ったことがあるはずですが気がつかなかったのです。大抵乗ったら直ぐに寝てしまうからかもしれません。何と言っても、テレホーダイのサイト巡りで慢性的寝不足なもので・・・。

 まず座席が一列5人から4人になっていました。3人がけがなくなったのでB席で真中の心配もなくなったということです。真中の肘掛も広くなっていました。もう一方の肘掛にはコップなどが置けるホルダーがついています。これだけでもなかなかいい感じです。
 他にも、一番前の席にパソコンが使えるようにコンセントとテーブルが用意されているそうです。これはいずれ全席に必要になるかもしれないですね。それから、8号車には、会議や、家族連れが使えるコンパートメントがあるそうです。
 「JRも結構頑張っているのかな・・・。」と思わされました。

 実は一番驚いたのは、帰りの切符を買うときにまたしてもレールスターだったのですが、「サイレントシート」がどうとか言われたことです。良く分からなかったので「ハァ?何ですか?」と聞きなおしてしまいました。そしたら、うるさい社内アナウンサーが一切無いものだとのことでした。面白そうなのでそれにしてみました。

 乗ってみると、本当にあの過剰サービスで余計なお世話といわれるアナウンスが全くありません。しかし、乗客の話し声は一緒でした。これはしょうがないですね。それでも、直ぐ寝る私にはありがたいかもと思ったのですが、チョット困った問題がありました。今どこの駅に着いたのか次の駅はどこなのか分からないのです。油断をすると寝過ごしそうです。
 私は外国旅行はしたことが無いので良く聞く「何時の間にか出発していたり、どこへ行くかも分からない」というのはこんな感じかなと思ったものです。たったアナウンス一つで不安になるようじゃ海外で列車になんか乗れないですね。

 それにしても、同じ三公社だったNTTと比べるとJRは「少しは客の要望を入れようと努力しているのかな?」と思えるところがあるように感じられるのは私だけでしょうか。
 同じように公社として日本のインフラを支えて来た筈である二社の顧客に対するこの方向の違いはやはりトップかな?

考え過ぎでしょうか!

2001113日土曜日  第482話  インターネット電話

 皆さんはインターネット電話をやられたことがありますか。私が最初にこれを知ったのはパソコンを始めてすぐの96年でした。
 
Windowsに最初からついているMicrosoft Windows NetMeetingを使って電話やチャットが出来るものです。そして通話料は接続しているパソコンとプロバイダー間の通話料だけで世界中どこへでもかけられるというものです。
 これを知ったとき、「え〜っ!そんなことしたらNTTがつぶれるのじゃないか?」と心配したものです。
 そういいながらも、兄を誘って早速やってみました。お笑いなのは最初は電話で今からやろうと連絡して両方でパソコンを同時に立ち上げて繋いだことです。これが弱点でしょうね。
 しかし、最初は案外簡単に繋がったのでびっくりしました。パケット通信ということで片方が話しているときは同時に話せないというものでしたがクリエイティブメディア社からソフトをダウンして音声全二重対応にすると電話と同じように同時に話せました。音質はやはり少し悪かったのを憶えています。
 しかし、私も兄もまだまだ初心者だったこととお互い気が短いので電話ほどスムーズに使えないまどろっこしさに二、三度やって止めてしまいました。一番のネックは両方が時間を合わせて同時にパソコンを立ち上げる必要があったことかもしれません。
 それでも兄はやはりNTTに勤めていただけあって、このインターネット電話には強い興味を持っていました。その後、ケーブルネットに接続してからもう一度やってみようとの兄からの誘いで何度か試みましたがそのころには使う人が増えたのかなかなか繋がりませんでした。
 「まぁ時間はあるさ、ゆっくりやろうや!」と言っていたら兄が亡くなってしまって出来なくなってしまいました。

 しかしながら、これは私のような単身赴任もそうですが、海外赴任をしている人などが使うとこれほど料金を節約できるものは無いと思います。私自身は上手く使えませんでしたが、もう少し使いやすく性能も良くなれば、NTTにとっては脅威になると思います。

 そんなことを思っていたら、やはり頭のいい人がいました。韓国の若者だそうですが、アメリカでこのインターネット電話をベンチャーで始めていまや相当シェアを広げているそうです。そして、その勢いで日本にも進出しようとしているそうです。
 アメリカと韓国ではかなり使われているようです。先日テレビでもやっていましたが、日本に赴任している韓国の人も国の家族との連絡に使っている人が多いそうです。電話代が大幅に削減できたと喜んでいました。そして、それは、やはり韓国もアメリカもADSLのような常時接続の太い回線が発達しているのが大きな原因のようです。
 常時接続だといつでもインターネット電話が無料で使えるということですから、接続性さえ良ければ爆発的に増えるのは当然でしょう。

 どうやら、NTTが日本のインターネットの発展を邪魔しているのには案外このあたりに本当の理由があるのかもしれません。

 丁度、2000.12.30〜2001.1.6週間東洋経済が「特集大胆予測!産業2001」との題でそのことに触れていました。

 ・・・略

 すでにインターネットで音声を伝送するインターネット電話が開発されているため、ネット定額料金の範囲内でかけ放題の無料インターネット電話が遠からず全盛の時代となる。
 その結果、無用の長物となるのがNTTの電話網であり、むしろNTTのほうから自己経営改革に乗り出さざるをえなくなるのだ。その際は10万人以上の雇用を抱えるNTT地域通信会社に対し、国家的救済も必要となるだろう。・・・以下略

ここまで来ると、NTTさんが気の毒になりますね。だからといって邪魔をしても良いってことにはならないとは思いますが・・・。

NTTさんどうします!

2001114日日曜日  第483話  携帯電話

 第202話第457話で取り上げた携帯電話が日本で二人に一台の持ち台数になったそうです。世界では昨年一年間で四億台が買われ、あと二年で10億台になると予想されているそうです。
 世界では約60億人分の10億ですから約16.7%になると取り上げていた新聞もありました。それにしても凄まじい広がり方ですね。どこまで広がるのか・・・。
 最初の頃は、持っていることがステータスでした。車を運転しながら、街頭、電車の中でこれ見よがしに使っている人は「どうだ!私はこんなに忙しいんだ。」と優越感に浸っているように思えたものです。
 そんな人達を見て「バカめ!世の中にそんなに急いでどうするんだ?」と半分嫉妬まじりで思っていたものです。そんなバカなやつは沢山いないだろうと思っていたところがあっという間に殆どの人が当たり前のように持つようになり、どこにいても誰かが携帯でしゃべっているようになりました。突然の声で何度振り返ったことでしょう。そして今やIモードでメール三昧とその進歩たるや驚くばかりです。
 すでにカメラ内蔵やウォークマン付なども発売されています。自動販売機でコーヒーやジュースを買ったり銀行決済も携帯で出来るような時代がそこまできているようです。携帯を持っていない人は人間にあらずというような様相をきたしています。

 それにしてもこれだけあっというまに広まったのは何故でしょう。ある程度の競争によって急激に通話料が下がったり、小型化が進んだこともあるでしょう。しかしそれだけでは理由にならないように思います。やはり国民性もあるように思えます。持たないことによる仲間はずれが怖いのかも・・・。
 その例の最たるものがサラリーマン社会でしょう。特に営業に携わるものにとっては必需品となってしまいました。少し前まではポケットベルで監視されていたのがあっというまに携帯に取って代わられてしまいました。可笑しいのは、ポケットベルは会社が契約していたのですが、携帯電話は自己負担で契約している人が多いということです。ちゃっかりそれに便乗して経費を削減している会社もありそうです。
 確かに持っていれば便利ですが、そこまでして管理されたいというか周りの目を気にして持たざるを得ないところに日本のサラリーマンの悲哀を感じてしまうのは私だけでしょうか。そんなに急ぐような仕事は無いと思いますがね。

 特に、ポケットベルの音や振動に心臓が止まりそうなほどびくびくしていた気の小さな私はどうしても持つ気になれません。サラリーマンとしては失格かも知れませんが健康の為に持ちすぎに注意しています。たまにはお客さんから持つように言われることもありますが笑って誤魔化しています。かといって別段仕事に支障があったこともありません。尤も、本人がそう思っているだけかもしれませんが、知らぬが仏という言葉もあります。知らないことが幸せなこともあると思います。

何時まで時代に逆らえるか!

2001115日月曜日  第484話  フジモリ前大統領

 今日(14日)のサンデープロジェクトは驚きましたね。あの沈黙を守ってきたペルーの前大統領フジモリさんが出演したのですから。ましてアメリカやペルーなど世界に向けて放送すると言うのですから、サンデープロジェクトもメジャーになったものです。
 1990年に大統領に当選して以来の業績を紹介していましたが、7600%のインフレを翌年からほぼ一ケタ台までに収めたり、テロの撲滅、経済成長とその業績は想像していた以上にすばらしいものがありました。紛争の絶えなかった近隣諸国との関係も好転させていたそうである。貧困層には未だに信頼されているようです。
 しかしながら、法律を変えて三選を目指した頃からおかしくなって、日本で辞任することになってしまった。本人も三選は間違いだったかもしれないと言っていました。

 ここで驚いたのが、インタビューアの田原総一郎さんです。今回の辞任の裏にはアメリカの思惑が働いているとハッキリと指摘していました。
 それは、フジモリ氏が三選を目指したときから、アメリカは、フジモリ氏が民主主義に反して独裁制度を固めているとの主張で反フジモリに方向転換したと言うのです。そして又、近隣諸国との友好を深めることでフジモリ氏の影響力が南米で大きくなることを嫌ったと言うものである。
 そして、騒ぎの発端となった側近のモンテシノス氏の野党に対する現金手渡しの映像はフジモリ氏を追い落とす為のアメリカの陰謀だったと言うのです。ここまで言って良いんですかね!

 確かにありそうな話である。しかし、アメリカにも放送されるというのに田原さん大丈夫ですかね。人事ながら心配しますよ!

 最後に、疑われている隠し口座のことを質問したが、フジモリ氏はキッパリと否定していました。そして、ペルーから日本に喚問に来てくれれば「喜んで会う。むしろそれを待っている」と言っていました。
 ペルーへ出来るだけ早く帰ったらどうですかの質問に政情が安定したと確信できれば帰りますと言っていました。
 真実はわからないですが、終始にこやかに答えるその様子からそれほど嘘を言っているようにも見えませんでした。まぁ!この当たりは私なんかに分かるはずもないですが・・・。

 あれだけの実績を上げる為には綺麗事ばかりでないことは想像できますし、旧来の勢力から憎まれていることも間違いないでしょう。それにしても、日本の政治家にフジモリ氏ほどのリーダシップを発揮できる人がいるでしょうか。

本当は日本にスカウトしたいくらいです!

2001116日火曜日  第485話  実力主義

 正月のテレビ番組で21世紀の予想をしていましたが、その中で今はやりの実力主義を徹底していくと日本もアメリカのように一部の金持ちと、大部分の貧困層に分かれるだろうというのがありました。
 要するにエリート層とそれ以外の層に徹底的に差が開くということです。エリートはワーカーホリックで徹底的に仕事をする代わりに莫大な収入を得、それ以外の層は割り切って仕事は定時で切り上げ、休みもきちんと取って自分の時間を謳歌するという欧米式になるということである。
 今のように、終身雇用で仕事をやってもやらなくても大して収入に差がつかない、世界一所得の差が少ない共産主義的な社会である代わりに周りの目を気にしてサービス残業に勤める相互監視の社会とどちらが良いかそれぞれの考え方があると思います。
 どちらも行き過ぎの感があることは否めないと思います。余りにも悪平等で、実力による収入の差が無いのも腹立たしいが、アメリカのような極端な差が出るのも何だかなぁというのが日本人の平均的な考えではないでしょうか。

 2001年(平成13年)1月11日(木曜日)日経産業新聞のコラム「Sangyoメール」でキャノンの御手洗富士夫社長の考えに触れていました。

 ・・・略 

 筆者の解釈では、御手洗氏は経営をパソコンのOS(基本ソフト)にあたる基盤的な部分と、OSの上で動くアプリケーションソフトの部分の二つに分けて考えている。OSはあくまで日本的経営を維持し、アプリケーションの部分ではSCM(サプライチェーン・マネジメント)など最新の米国流手法を取り入れる。和魂洋才の二刀流だ。
 OS部分では「皆で会社をよくしようとする集団主義の考え方」を尊重し、終身雇用は絶対に崩さない。ただし、日本的経営の欠点である「もたれ合い」「悪平等」を防ぐために、処遇面では徹底した実力主義をとる。・・・以下略 (アプレ)

 この方は第338話で取り上げたキャノンの創業者御手洗毅さんの甥ですね。まだまだ創業者の精神は生きているようです。
 やはり日本の取る道はこれでしょうね。いい意味でも悪い意味でも国民の8割が中流と思っているという日本式共産主義は世界に誇れるものだと思います。それだけにアメリカのような極端な貧富の差は受け入れられないと思いますし、すべきではないと思います。
 しかしながら悪平等は同じように受け入れることは出来ません。そこで今よりもう少し大きく実力による差を取り入れることが必要になるのです。但し、実力主義の基本である評価基準が納得できるものでない限りはこのシステムも絵に描いた餅になってしまうでしょう。
 基本は信賞必罰でしょう。しかしながら、その公平な評価の出来る人材がいないのが今の日本の一番大きな問題でもあるのです。
 多くの企業が能力主義の人事制度を取り入れながらはかばかしい成果を上げるに至ってないのは従業員の大半を納得させるだけの評価が出来ていないことの証拠だと思います。

 企業にとって最も真剣に取り組むべき問題でありながらいい加減な取り組みしか出来ていないということだと思います。

公平な人事がすべて!

2001117日水曜日  第486話  赤ちゃん連れ去り

 鳥取県米子市の博愛病院の赤ちゃん連れ去り事件を最初に聞いたとき「あれっ!どこかで聞いたことのある病院だな?」と思いました。よく考えると去年の年末に仕事で訪問したところだったのです。
 そんなこともあって気になっていましたが、大方の予想通り女性の子供欲しさの犯行でした。その子供欲しさの理由がこれまでのこの手の事件の女性がそうだったのと違って子供が出来ない悩みの挙句の追い詰められた犯行と違って自己本位だったようなのは許し難いところです。

 しかしながら、過去のこういった事件が起こる度に女性の哀れさを考えさせられます。こんな事件はもしかしたら日本独特なのではないだろうかと思うのは私だけでしょうか。
 それは、日本独特と思われる文字通りの「家」に嫁ぐという感覚がバックにあると思われるからです。
 やっと「おめでとう」と祝福されて結婚した途端に次の挨拶は「子供は?」の一言です。これが子供が出来ない夫婦、特に奥さんにとって地獄の責め苦となるのです。そしてその責めは大抵女性の方に向けられるのです。割り切れば良いのでしょうが、そうは簡単にいかないようです。いつも不思議なのですが一番その辛さが解っていると思われる同姓がどうしてあんな無神経な質問をするのだろうかということです。たぶん悪気は無いのでしょうが、結婚すれば次は子供という固定観念が言わせるのでしょうね。案外自分があっさりと出来た人はその辛さに思い至らないのかもしれません。

 我が家も、結婚して長く出来なかったので、その間、奥さんがチョットした言葉に傷ついているのが分かりましたが何の慰めも出来ず申し訳なかったことを憶えています。しかし、男には何の手助けも出来る訳もなく、そんな話題を出す人をなんて無神経な奴だろうと思ったものです。ましてや、どっちに原因があるかも分からないくせに女性ばかりを責めるのも何だかなぁ・・・。

 確かに子供が出来なくてもそんな事件を起こす人は殆どいないのですが、裏でその気持ちがわかる女性は沢山いるのだろうと思います。少子化の時代とはいえまだまだ子供が出来ないことをさりげなく受け入れる雰囲気は無いのでしょう。

こんな事件が起こらないような社会になって欲しいですね!

2001118日木曜日  第487話  IP電話

 このところ電話のマイラインのCMがTVなどマスコミに頻繁に登場している。5月1日から始まるサービスで登録した電話会社を自動的に選ぶものだそうです。
 正直言って、見ていても何がどうなるのかどこのサービスが有利なのかちっとも分からない。大量に使う企業なんかだと少しは違うのかも知れないが、個人でどれだけのメリットがあるのか、どうにも興味が湧きません。
 それに、電話会社自体も近いうちに既存の電話網がインターネット電話に取って代わられるかも知れないという時に何で今更新しい設備投資をしなければならないのかとの声もあるそうです。
 例えば、半額になるとかなら少しは有利な会社を選択しようという気にもなりますが選び方によってはどちらが特になるかも分からないのでは尚更興味が湧きません。それに、今だったら、携帯を安くしてくれるほうがよっぽど歓迎されるでしょう。
 私自身は、いつも言ってるようにインターネットの接続料しか興味が無いですけどね・・・。

 しかし、各社横並びと思っていたら一社だけ飛びぬけて安い会社がありました。一体なんでだろうと思っていたら2001年1月16日(火曜日)の日経産業新聞のコラム「eビジネス 情報・通信」にその会社の記事がありました。

 「日商岩井などが昨年三月に設立した新興通信会社、フュージョン・コミュニケーションズ(東京・千代田)」というのだそうです。そして料金は通信距離や時間帯などに関係なく、一律三分二十円としたということです。

 何でこんなことが出来るのかと思ったら、なんとインターネット技術である「IP電話」というもので第482話で取り上げた「インターネット電話」と違って専用のネットワークを使うために通信品質が向上するのだそうです。

 成る程これなら納得できます。これは面白くなってきましたね、こういう理由があるのならこのサービスが選ばれる可能性は高いかもしれないです。

 2001年1月17日(水曜日)の日刊工業新聞に今度は6月から国際通話サービスを開始すると発表したそうです。アメリカ向け三分四十円だそうです。

いよいよNTTの正念場が近づいてきたのかも!

2001119日金曜日  第488話  懲戒権の乱用

 第236話で取り上げた告発本をだして銀行から戒告処分を受けた三和銀行の行員19人が処分を不当として訴え「懲戒権の乱用」との判決が出た事件を覚えてられますか。
 銀行の出方がどうなるか興味を持っていました。去年の4月の判決でしたが、やっと今頃になって銀行が処分を取り消すことなどで16日、和解が成立したそうです。

 その理由が、2001年1月17日(水)読売新聞によると『三和銀行の広報部の話「4月に東海銀行、東洋信託銀行との経営統合を控えていることなどを総合的に考え、和解することにした」』とのことです。
 相変わらず銀行の面子だけしか考えていない発表ですね。行員の気持ちを々思っているのでしょう。統合とこの問題のどこに関連があるのでしょう。要するに統合するまでに問題をかたずけてしまって表向き問題なしとしたいだけなのです。問題がそんなところに無いことは誰が考えても分かることなのにそんな発想しか出来ないところに問題があるはずです。
 一応、「行員らの資格見直しについて誠意を持って検討し実施する。解決金を支払う―などとなっている。」(読売より)と言うことだそうですが、そんなことで19人の人生に対する償いが出来るとでも思っているのでしょうか。
 本当に、行員に対して申し訳ない仕打ちをしたという反省や心からの謝罪をする心のないと言うことがその発表に現れている。銀行が今も基本的には変わっていないだろうと言うことは想像できるような気がします。

 第433話商工中金や第467話のダンロップといい日本の企業にはこういうのがまだまだあるのでしょうね。こうやって法廷闘争に持ち込めるのはまだましな方かもしれません。中小企業などではこの何倍、いや何十倍、何百倍もの人々が泣き寝入りしているのだろうと思われます。どうして同じ従業員どうしが傷つけあうのか組織というのは悲しいものですね。

それにしても、何度でも言いますが、日本の銀行の体質は全く変わっていないと思います。いくら合併を繰り返しても中身の変わらないものが立ち直るはずはないと言い切れます。

この三月当たりに大型倒産でもすりゃいいのに!

2001120日土曜日  第489話  公益法人

 最初「チョーダイ!」の財津一郎さんのTVコマーシャルを見たとき「何の会社だろうか?」と思ったものです。かなり頻繁に放映されていたのでご存知の方も多いと思います。
 それが今世間を騒がせている財団法人KSDでした。しかしながら一般の消費者には縁が無い企業と言えるでしょう。そんな会社があれだけTVCMを打っていたということがやはりどこか胡散臭かったということでしょう。何だかNTTを思い浮かべてしまいます。
 きちんとした理由のつかないものにはどこか裏があると考えた方がいいのかもしれません。もしかしたらこれも
第480話で取り上げたように口封じの為だったのかも・・・。

 この財団を見ていると第402話で取り上げた農水省の土地改良事業や第464話での建設省の保証会社と全くそっくりなことに驚かされます。そしてその組織にはドンと言われるボスがいることも全く同じである。
 もしかしたら各省庁には税金を食い物にする方法とでもいうマニュアルが存在するのじゃないだろうかとでも思いたくなるくらいそっくりな組織の作り方に驚きます。

 どちらも、官僚やそのOBが創り上げた自分たちの天下り先であり税金泥棒の組織なのです。そして同じように政治家を組織の力で当選させてますます税金を食い物にする。
  
第250話で取り上げたように6,879社もある公益法人のうちどれだけがこうした税金を食い物にする為の組織なのだろうか。
 「その内本当に、こんな組織が一体いくつあるのだろうか、ひょっとしたら全部かもしれない。一体税金の何%がこんな組織によって食い物にされているのだろうか?」と考えるだけでも恐ろしい、いや腹立たしい!

 こうした組織の腐敗を追及して潰していくだけで税金は要らなくなるのじゃないかと思いたくなります。これが出来るのはやはりマスコミの先導による国民の啓蒙しかないように思います。CMで口封じされないように頑張って欲しいものです。

サンデープロジェクトに期待したい。

2001121日日曜日  第490話  NTT

 NTTが大変なことになりそうです。フレッツISDNの契約者からの突き上げで料金を3月1日より900円下げて3600円にすると発表。それでもADSLのスピードに比べたら圧倒的に劣っている。NTTにだまされたといっても言い過ぎではないでしょう。
 テレホーダイなんかもっと悲惨です。計算から言えば1200円にしてもらわなければならないのにほったらかしです。どこからも文句が出ていないのでしょうか、そんなはずはないと思いますが、苦情の声が大きくなるまで知らん顔をきめこむつもりですかね。
 それだけでなくISDNは2回線同時に使えるということで基本料金が倍のはずですから、それを普通回線に戻すともっとADSLの方が安くなるのですがそのことには触れないようにしているのが見えみえです。全くどこまで客を馬鹿にしたら済むのでしょう。尤も客を客とも思ってないからこそこんなことができるのでしょうが・・・。

 そんないい加減なことをやっているから第482話第487話で取り上げたインターネット電話がいよいよ上陸するそうです。それも無料で。

 2001年(平成13年)1月19日(金曜日)の日刊工業新聞より。

 韓国で無料インターネット電話サービスを提供するテレフリーは、日本法人テレフリーを設立、3月からインターネット・プロトコルネットワークを使った音声通信(VoIP)の無料インターネット電話サービスを開始する。

 動画の広告を見ることによりポイントを集めそれで通話するシステムだそうです。内容はともかくとして、その発想が全くNTTとは正反対です。
 現在韓国に100万人のユーザーが既にいるそうです。もしかしたら日本でも大化けするかもしれません。そうなったらNTTさんどうするつもりでしょうか。独占にあぐらをかいて消費者を馬鹿にしてきた付けを払うことにならなければいいのですが・・・。

 同じ19日の日本経済新聞にNTT東西が2003年3月期に人員を21,000人減らすとしていたのに6,000人を上乗せするとの記事がありましたが今頃そんなことを言ってて間に合うのでしょうか。

日本経済の足を引っ張ってきた報いを受けることにならなければいいが・・・!

所詮は、自業自得!

2001122日月曜日  第491話  KSD

 今日(21日)のサンデープロジェクトはやっぱり第489話で取り上げた財団法人KSDでした。各政党の幹事長クラスと若手が出演していましたが幹事長クラスの歯切れの悪さに比べて若手の危機感に好感が持てました。

 しかしながら、KSDが公益法人は献金できないという決まりを誤魔化す為に豊明会とか豊政連などという団体を設立してそれを抜け道として献金をして政治家を利用しているその手口は何とも凄まじいものがありました。その団体の会員には村上正邦、小山孝雄の二人の参議院議員を筆頭に自民党の小渕前首相、森首相などそうそうたるメンバーが名前を連ねています。
 合法非合法、金額の大小はあっても、与野党の大勢の議員にお金が渡っているようです。そして、その議員を利用して、職人大学などの設立を決めています。そして、一方では古関前理事長が私腹を肥やしているのである。

 これを見ているとリクルート事件を思い出しますね。あの時も、これで日本の政治も良くなると期待したのですが全く変わらなかったということです。政治家というのは本当に懲りない奴らというのが良く分かります。
 それにしても、両方とも情けないですが、公益法人のトップには悪賢い奴らがいるものです。
第489話の農水省の土地改良事業といい建設省の保証会社といいここまで官僚が税金を食い物に出来るものです。
 国民に奉仕するべき政治家と官僚が国を食い物にしているのだから何をかいわんやです。こんな奴らをのさばらしている限りこの国が良くなることはないでしょう。

 こうしてみるとどんな組織もトップ次第というのが良く分かりますね。こうなったら、公益法人のトップには石田禮助さんとか中坊公平さんのような無給でも国民の為に働いてやろうというような人にやってもらいたいものです。しかしながら、それと全く逆の金の亡者が殆どといっても良いのが現実なんでしょう。その証拠の一つが、公益法人を渡り歩いて、その度に退職金を貰って当たり前のように思っている天下り官僚がいるということでしょう。

 今度こそ国民も分かったのじゃないでしょうか、これで変わらなければいよいよこの国の未来は無いといえるでしょう。

いよいよ国民も正念場です!

2001123日火曜日  第492話  スーパーの手提げ袋

 スーパーで買い物をしたときに品物をいれてくれるビニールの手提げ袋は、今、ごみ問題の槍玉に上がっています。東京都のどこかの区が代金引換にしようとしたりしているようです。海外でも代金を取っているところがあるそうです。確かに、そうすれば昔のように買い物袋を持って行く人が増えるかもしれません。やってみる必要はあるだろうと思います。

 そんなビニール袋ですが、単身赴任の私にはありがたいものです。団塊の世代の小父さんが買い物袋を持ってなんてのもどうにも格好がつきませんものね。
 ところが冬場になると手がかさかさで油っ気の無い私はあれを簡単に広げることが出来ないので、手につばをつけてやっと開いていました。余りにもかっこ悪いので、何時も壁際でこそっと手早く誰にも気づかれないようにやってました。
 こんなことしてるのは私だけだろうとおもっていたのですが、先日TVで「伊藤家の裏技」という番組で世の奥さん方も結構困っているようで、簡単に広げる方法を紹介していました。
 それは、開口部の方の両端をもってぐっと外に引っ張ると中から内側の一部が舌のように飛び出してくるのです、そして、それを引っ張ると簡単に広がるというものです。文章が下手なので分かりにくいと思いますが・・・。
 「こりゃいいや!」と、早速あくる日に試してみました。成る程、中から舌が出てきてあっさりと広げることが出来ました。しかし、これも誰か見てそうなのと、左右に引っ張るのに結構力が要るので私のような育ちのいい人間にはきついところがあります。そんなこともあってその後はやっぱりつばをつけて広げていました。

 ところが、何時ものように会社帰りに何時ものスーパーで何時ものようにレジで計算を待っていたら、何時もと違った20歳前くらいのレジ係の女の子が袋をくれるときにサッと一度小さく口を広げてくれたのです。見ていた私は思わず「アッ!」と声が出そうになりました。
 そうです、こうやってくれたら簡単に袋を開くことが出来ます。有難うと言いたかったが、恥ずかしがり屋の為にとっさに声が出ませんでした。
 しかし、嬉しかったですね。あの子の考えか、スーパーの躾か分かりませんが、今まで誰もやってくれなかったということはあの子の考えかもしれない。そうだとしたら、凄いことだと思います。今度よく見てみようと思います。

何だか気持ちの暖かくなった夕方でした。

2001124日水曜日  第493話  停電(カリフォルニア)

 アメリカのカリフォルニア州で大変なことが起こっています。あのハイテクの最先端を行くシリコンバレーも含めて停電に悩まされているのだそうです。 
 去年の夏ごろから深刻になってきていたがここに来て本格的になってきたそうです。それは技術的な問題では無いのです。何と規制緩和が原因なのだそうです。
 日本と違って電気の発電と配電を一般企業へ開放したのです。それは、当然競争によるコストダウンによって、電気代を安くすることが本来の目的だったわけです。ところが思惑と違って電力不足に陥ってしまったということです。一体どうしたというのでしょう。

 こんなニュースが流れてくると、折角日本で高まってきている規制緩和論が「それ見たことか!」と規制緩和反対論に押し戻されないかと心配になってしまいます。
 何でも、電気がコストより安くしか売れない為に売れば売るほど赤字が出てしまう結果こんなことが起こったということですが、どうにも納得のいかない話と思っていたらやっぱり裏があったようです。

 2001年(平成13年)1月20日(土曜日)の読売新聞のコラム「今日のノート」に」人災で停電」との題で触れていました。

 ・・・略

  普段から電力は不足気味。なのに住民の大半は発電所の新設には絶対反対という。しかも、燃料の天然ガスが高騰しているのに電気料を法律で低く抑えていた。電気を売れば売るだけ大損する仕組みだった。州知事はそれを承知で住民が喜ぶ値下げにこだわった。
 政治家の選挙対策と住民エガがからんでいる。州知事は「自由化は大失敗だった」と誤りを認めたという。
 現代文明に欠かせない電気という公共物を、政治利用した報いか。・・・以下略 
(梶原 誠一)

 どこの国にもこんなことがあるんですね。住民エゴと政治家の人気取り。本当の問題から目をそらせて近視眼的な対策しかしない。面倒なことは先送り、全く日本の現状とそっくりじゃないですか。
 折角の規制緩和もその運営によってはこのように逆の結果を招いてしまうのです。何にしても極端に振れることが全てを悪くしているということだと思います。
 住民も総論賛成各論反対の典型です。迷惑施設は自分の所にはいらないと言うのはゴミ焼却場反対などと同じことです。飛行場はいるが近くにはうるさいから反対、高速道路はいるが土地を出来るだけ高く売る為につりあげる、みんな元は同じエゴというものでしょう。
 要するに自分さえ良ければの発想である。そして、政治家は選挙対策でそんな住民に媚びをうるために本来やるべきことを先送りする。どちらもどちらです。

人間って悲しいですね!

2001125日木曜日  第494話  スーパー平社員

 いよいよ老化現象が本物になってきたみたいです!以前触れたことがあるように思うのですがどこだったか思い出せませんので重なっていたらお許しください。
 それは、私がまだ香川営業所でいた頃、「ルートセールスが所長より給料が良くてもいいじゃないですか!」と今のトップに言ったことがあります。向こうは不思議そうにしていましたが、今でもその考えは変わりません。
 それというのも、ポストは全員に当たるものではないですが、誰が貢献しているかと言うと必ずしもポストが上だから貢献度が高いとは言えないと思うからです。
 ポストと言うのは組織を運営する為の単なる
符丁であって、誰が偉いとか言うものではないと思います。だから肩書きが無くても素晴らしい力を発揮している人もいる訳です。そういう人にはその業績にあった報酬があって当然だと思うのです。

 人にはそれぞれ向き不向きがあって、現場で黙々と力を発揮する人もいれば、営業させれば水を得た魚のような人もいます。しかし、第一線で成績がいいからといっても管理職に向いていない人もいます。逆に、管理職になったら力を発揮する人もいます。
 役職がついた為に自分が活かせないとしたら勿体無いことじゃないでしょうか。人それぞれの強さを活かすことが本人にとって一番幸せなことなのではないでしょうか。ところが、日本では役職が上がらないと収入も上がらないようになっています。その当たりに本当に人を活かせない原因があるように思います。

  
第124話第125話で取り上げた本田宗一郎さんや藤沢武夫さんのように「大会社に入っていたら今の我々は無い」というような場合もあるかもしれません。
 あれほどの人はどこにいても這い上がってくるのでしょうが、人間運にも大きく作用されます。中にはもっと才能があったが報われなかった人もいるはずです。それは、使う方にとっても使われる方にとっても不幸なことではないでしょうか。
 
第393話の青色ダイオードの中村さんのところでも社長より高給でもいいんじゃないでしょうかと言いました。

 それじゃ一体どうしたらそんな人を活かすことが出来るのでしょうか。

 2001年(平成13年)1月20日(土曜日)の日本経済新聞のコラム「時論」に『21世紀のサラリーマン像「スーパー平社員」めざせ』として、西山昭彦氏 東京ガス都市生活研究所長がそのあたりをズバリと書いていました。

 ・・・略

 私はかねて「スーパー平社員」というコンセプトを提起してきた。一営業マン、一企画マンでも利益を生み出した者には、相応の年収と待遇(時には上司をはるかに上回る)を与えるものである。現在、年収数千万円の一社員などが実現してきている。制度ができれば、ライン志向をやめ、そちらへ進む者が急増しよう。・・・以下略

 やはりこんな考えを持っている人もいたのです。こういう制度があれば専門職として力をつけることも出来ます。そして、そのつけた力が本物であれば、どこへ行っても通用することになり、リストラなどに怯えることもないでしょう。
 ところが、日本独特のゼネラルマネージャなんて仕事も出来ないのに内部遊泳で出世して行くような人間ばかりを育てていると気が付いたら何の取り得も使い道も無い人間ばかりだったということになってしまうのです。どこの会社へ行っても通用しないと言うことですから転職もできません(これは結構自分にも堪えてます!)。
 そしてそれが、今の日本の抱えている閉塞感の原因の一つともいえるのじゃないでしょうか。

好きな仕事が一番でしょう!

2001126日金曜日  第495話  余裕

 第217話でも書きましたが、私もどちらかと言えば若いときにはワーカーホリックの部類に入る方でした。仕事が面白ければ時間を忘れて没頭することが嫌いじゃないです。
 しかし、そんなことをして体でも壊したら何にもならないと思うようになったのは、一度とことん
(それ程大したことは無いですが)やって自分の体力気力の限界を感じてからです。
 それでも、何かに没頭する喜びは未だに持っています。そしてこれは人間誰もがもっている本性なように思います。誰しも好きなことには時間を忘れてのめりこむところがあるのは確かでしょう。特に、日本人にはそんな特性があるのじゃないでしょうか。

 好きなことならそれも良いかもしれませんが、日本人は往々にして仕事にもそれを持ち込んでしまう生真面目さがあるように思います。無理をして体を壊しても誰も面倒見てくれる訳じゃなし、自分で自分の面倒を見るしかありません。
 仕事と好きなことが一致しているような幸せな人はそれでも良いのでしょうがそんなに恵まれた人はそんなにはいないと思います。それだから、自分の体を守る為にものめりこまずに自分を律することも必要だと思います。
 こんな考えは、日本の企業では嫌われますが用も無いのに周りの目を気にして残業するなんてのはもってのほかだと思います。

 今、日本経済新聞の「私の履歴書」はアサヒビール名誉会長樋口廣太郎さんが書かれていますが、2001年1月24日(水曜日)に面白いのがありました。

 ・・・略

 組織と個人の関係は、会社のために無理をしてたとえ死んでも、会社にとっては「異常なし」である。社員は命や魂まで会社にささげていない。組織の中で自分を守るのは自分の責任だ。
 会社のためにこんなに頑張ったのに・・・・・・」という考えは自分自身に対する甘えだ。・・・以下略 

 良いですね!樋口さん程の人がこう言うと「えっ!」と思ってしまいますが、案外こんなものかもしれませんね。所詮は体力勝負ってところもあるのですから・・・。
 しかし、こうやっておおっぴらに書いてくれることで少しは考えを替えてくれる経営者や管理職が増えてくれれば良いのですが。
 日本全体がこうやって余裕を持てば、ワークシェアリングにもなるのじゃないでしょうか。会社ばかりが繁栄して社員が泣いているのじゃ本末転倒なのですから、そんな悪い慣習は無くして、楽しくやりましょう。

仕事する為に生まれてきたわけじゃないのですから!

2001127日土曜日  第496話  チェック機関

 フィリピンの大統領騒動を見ていると、裏には軍隊だとか貧困だとかいろいろ問題は抱えているといえども民衆の意思で大統領を替えることが出来ることにある種の羨望を憶えるのは私だけでしょうか。
 最近のKSD問題や機密費の流用など税金を好きなように無駄遣いされても何にも出来ない日本より本当はフィリピンの方が民主主義としては上なのではないだろうかと思ってしまいます。
 せめて、自分で総理大臣を選べる首相公選制があったらなぁと思わざるをえません。

 日本の場合は何事につけチェック機関が無いというのがどの組織においても言えると思います。そしてそれが全ての不祥事の温床になっているのではないでしょうか。
 企業にしても、監査役の無力とか、株式市場ではアメリカのSECのような強力な監視機関が無いことが言われています。全ては、日本人の「なあなあ主義」が根底にあるようです。
 本来は私も人間性善説の方なのですが、ここまで税金を食い物にされたのじゃ、やはり性悪説を取る必要もあるのかなと考えてしまいます。

 きちんとチェックしていたら、もしかしたら半分くらいの税金で十分なのでは無いかと思ってしまいます。それとも何度も言うように松下幸之助さんが言ってたようにゼロで済んだかもしれないと思います。

 週間東洋経済の連載で「小石原昭の悠・々・対・談この人今の気分」というのがあります。毎回ゲストを迎えて面白い対談をしているので何時も興味を持って見ています。少し古いですが、その連載25のゲストで作家の猪瀬直樹氏の言葉がこのチェック機構に言及していて面白かったので取り上げてみます。

 猪瀬 フランスは日本とおなじようなエリートの官僚機構なんですけど、歴代大統領の多くが会計検査院の出身です。日本のエリートは大蔵省主計局出身で、お金を配るほうばかりでしょう。アメリカの会計検査院は議会に付属していますから、行政をチェックできる。ところが日本の場合は、法律上は内閣から独立しているけど、実質は行政府のなかにある。でも、会計検査院には大臣がいませんから、応援団がいなくて萎縮しちゃってるんです。つまり、検査するという思想が日本にはないんですよ。予算委員会はテレビで中継され、大勢でわいわいやりますが、決算委員会は誰も知らない。

 やはり大きな問題が根本にあったことが良く分かります。法律そのものにチェックの重大さの視点が欠落しているということなのでしょう。法律を創った人達が自分たちがチェックされることを見透かしていたのかもしれません。
 その点フランスの例は驚かされます。それだけチェックが大事であるとの認識があるということなのでしょう。このあたりが自分たちで民主主義を勝ち取った国と上から与えられた国の差なんでしょうか?血を流して命がけで勝ち取った人たちとはそれを守ることの執念において絶対的な違いがあるということでしょう。要するに、我々日本人はどうしてもそこに甘さがあるのでしょう。

それが、暴動を起こすことも出来ない原因かな!

2001128日日曜日  第497話  養殖海苔が不作

 「ダダダ・・・ダン!」と水しぶきをあげながら水門が次々と閉じられる強烈な映像を見せつけながら、あれほど世論の反対を押して決行された諌早湾干拓。そして、その後、有明浜のむつごろうが干上がった浜で死んでいく場面も見せられました。それでも政府はこれが必要と言い張って実行してしまった。
 戦後の、経済発展一筋の頃には分からなかった自然の大切さがわかってきた今頃になっても同じ過ちを繰り返そうとしている。人間の力なんて自然の営みから比べると小さなものでしかないことも分かってきたはずである。
 人間の力で自然をねじ伏せようなんて小ざかしい考えは、自然によってしっぺ返しをされることも身にしみてきたはずである。そんなことも分かっていなかった時代に決めて今になってはもう無用の長物になることが分かっているのに見直そうともせずにそのまま継続してしまう。
 そのごり押しの裏にゼネコンと政治の癒着が見え隠れすると思うのは私だけではないでしょう。そんなことは無かったと誰が言えるだろう。ゼネコンに仕事を与える為の事業と言っては言い過ぎだろうか?どう考えてもそうとしか思えませんでした。そしてその裏には多額の賄賂が動いているのが目に見えるようです。

 その有明海で養殖海苔が不作だと騒いでいる。調査によっては水門を上げると政府が言っている。過ちを改めることは良い事であるが、その前のごり押しの責任は一体どうなるのだろうか、当然誰も責任を取ることは無いでしょう。
 壮大な、税金の無駄遣いがこうやって何にも無かったように闇に葬られていってしまう。誰も責任を取らず、反省するでもなく新たな利権を探してうごめいているのに違いない。
 自分たちの利益のためにだったら何でもするこの風潮が続く限りこの国に未来の希望は感じられない。

やはり性悪説を取らなければならないのか!

 参考 「週間金曜日」の「こんなこと、やってます」(市民運動紹介)より

諫早湾 『一万人の思い』実行委員会のホームページ

2001129日月曜日  第498話  領収書

 JRのみどりの窓口で出張の為の切符を買ったときに「領収書を下さい」と初めて言ったときの恥ずかしさを思い出しました。最近でこそ隣の窓口でも領収書を請求する人が多くなったので当たり前のように貰っていますが・・・。
 「それだけ世知辛い企業が多くなったのかなぁ?それとも税金問題からなのか」良く分かりませんが、面倒くさいのは確かです。そして、出張から帰ってきたら当然のこととして清算することが必要です。それでやっと経費を払ってもらえるのです。これが又面倒くさいので出張するのを止めようかなんて思うことがあるくらいです。
 ところが、うらやましい所があるんですね。何億使っても領収書一つ要らないどころか、前もって要求すると先銭を貰えて清算も要らないなんて。人間偉くならないと損ですね!

 28日のサンデープロジェクトを見ていてそう思ってしまいました。例の外務省の機密費流用事件の特集の中で、機密費は会計検査院に報告が要らないことや領収書も必要ないと当然のように認められているのを聞いたからです。
 しかし、これは余りにもおかしいのではないでしょうか。政治と外交の事はわかりませんが、実際に機密として公表できないと取り扱われることはあるとしても、首相外遊等の費用の内運賃とかホテルの支払いが秘密とは到底思えません。それをただ一言、機密費で全てが許されることにはどうにも納得がいきません。
 その裏には、その金を自分たちで流用することが当たり前のようにやられている証拠ではないでしょうか。どこの世界に、使った金の報告が要らない組織があるでしょうか。詭弁としか言いようがありません。しかし、その詭弁が通るのが政府や外務省では当たり前とすればそれは余りにも国民をコケにしているとしか思えません。
100歩譲って、それ認めるとしても一個人に何億も使い込まれて分からなかった上司や組織の責任はどうなるのでしょう。

やっぱりチェック機構が必要ですね!

2001130日火曜日  第499話  内部都合

 全員が営業所の外に出て車を最敬礼して見送る。送られているのは事業部長や本社の偉いさんなどである。この異様な光景が私は嫌いでしたが、私が勤める会社で一時期行われていたことです。そしてそれが出来ないところの所長は評価が悪くなるというものでした。
 たかが
符丁が上だけの人間をみんな忙しいときにわざわざ手を止めて見送りに出るのですからバカな話です。
 手のすいたものとか持ち場で目礼するとかは当たり前の礼儀としてもそれ以上強制するのはどうでしょう。
 確かに、一見営業所の統率が出来ているようで見た目はいいのかもしれませんが、そんなことを強要して嬉しそうなその根性がどうしても好きになれませんでした。逆に他の営業所を訪問した後見送りに来ようとするのを押しとどめたものです。どう考えても自分がそんな事をして貰うほど偉いさんだとは、思えませんし背中がむずがゆくなります。
 大体そんなことに気を使っている暇があるのならお客さんに気を使えといいたい。そんなことに気を使うものに限ってお客さんは眼中に無いのである。
 どうやら最初は自衛隊のOBや官公庁のOBで顧問としておられた方あたりから広まったようです。そしてそれに媚びるものが広めたようです。最近はそうした方たちも退職されたりして、そんなことが大好きなものがいなくなったようで最近はあまり見かけなくなったようにも思えます。しかし、まだまだ一部では根強く残っているようです。
 自衛隊なんかは「さもありなん!」の世界ですが、他にはあちらの世界の方以外こんなことが当たり前として行われてる会社があるのだろうかと日頃から思っていたものです。

 1月26日(金曜日)の天声人語に『外務省の松尾克俊・元要人外国訪問支援室長(55)は、「ノンキャリアの星」だった。8年ほど昔、室長になる少し前に、彼は自分と同じ高卒や大卒の3種(かつての初級職)職員を対象として、研修用の冊子を書いた。』とあってその中に『某外相が訪米したときのこと。ワシントンまでの飛行機で、ファーストクラスの外相の隣の席が予約でふさがっていた。本省からは「空けるべし」と訓令電が届く。領事館員の懸命の交渉にも、航空会社は冷たい。それでも懇願する。〈ついに「YES」。当然、彼の活躍は幹部の耳に入ることになり、中級に採用された〉。』などというのがあったそうです。

 やっぱりこんな世界があったのですね。他にも、縁の下の力持ちとしてのエピソードが載っているそうですが、どこかおかしいと思うのは私だけでしょうか。こんなことをさせることを当たり前とする者の驕りと、それを当然のごとく受け入れる情けなさ。
 その視点が私の勤めている会社と同じよう内部しか向いていないことに怖さを感じます。この話を見て佐高信さんが書いていた話を思い出しました。それは満員の新幹線に乗っていたOLの人に、疲れているようには見えない部長と若い部下と思われる二人ずれの部下の方が「部長が疲れているので席を譲ってもらえませんか?」と言ったという話です。正確ではないと思いますがこんな感じだったと思います。自分を何様だと思っているのか、その発想がそっくりと思いません。
 組織全体がこんな考えで動いているとしたら本当の仕事が出来ている訳は無いと思います。外部に対する視点の無い内部都合だけの組織はその内部から崩壊していくしかないのではないでしょうか。どう考えてもこんな組織の中で人がまともに育つとは思えませんから・・・。
 去年の「雪印」「そごう」「三菱自動車」などの不祥事はそんな良い例だと思います。お客様や国民を忘れた政・官・財が生き残れることはないだろう。

そう思いたい!

2001131日水曜日  第500話  勇気ある行動

 以前、事故があったときにプラットホームに避難できるだけの場所があることを知って、確認してみたことがありました。成る程、確かにホームの下は通路のようなものがあって人が列車を避けることが分かり「ホッ!」としたことがありました。
 あのお二人にそんな知識がもしあったとしたら、あのプラットホームの欠陥は責められていいのではないでしょうか?何だか道路が下を通っていたのでそういう避難場所が取れなかったと発表されていましたが、それは単に欠陥を正当化するための逃げでしかないのではないでしょうか。常に転落の危険があるのは間違いが無い事実であり、たまたま事故が今まで無かったというのは偶然でしかなかったということじゃないでしょうか。
 つまりは、最悪の事態を想定できなかったか、知ってて放置していたかどちらかでしょう。今の時代ならPL法で責められても仕方ないのじゃないでしょうか。誰もが分かっていて、そこを逃げているように感じるのは私だけでしょうか。
 そんな配慮があればあのお二人は死ななくてもよかったかもしれないのです。あんな勇気ある人を死なせてしまったことの反省はきちんとするべきでしょう。そうでなければ、ただ勇気をたたえるだけでは余りにも悲しすぎます。

 128日 の「天声人語」もそんなことを書いていました。

 〈心の優しいものが先に死ぬのはなぜか〉と詩人、中桐雅夫は歌った。ニュースの詳細を知って、この一節が鮮烈に浮かんでくる。東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようとした2人の男性が、電車にはねられて亡くなった。 ・・・中略

 この駅だけが特殊なのではない。全国の駅の、これが日常の風景である。利用者はつねに危険と隣り合わせている。実際、転落事故は後を絶たない。ホームの下に待避できる余地を設けるのも大切。さらに、ホームに転落を防ぐさくを作るといった方法も真剣に考えるべきだ。・・・以下略

 誰もが、思っていて触れていないことに酒を飲んでいて転落した人のこともあります。亡くなった方を責めるつもりはありませんが本人も落ちるつもりも無かったでしょうし、二人もの人を道連れにしてしまったことも知らないでしょう。もし家族がいるなら周りの目が耐えられないのじゃないでしょうか。
 プラットホームが禁酒じゃないとすれば転落する危険性は想像できることでしょう。現にそういった事故は今までにも何度かあったはずです。しかし費用の面で見送られてきたのではないでしようか。万が一のことを考えて施設を作ることを考えることも、客が自分を守ることもどちらも必要かもしれません。これも、全て効率を考えて、根本的な問題を先送りしてきた日本の風潮のひとつといえるかもしれません。車の事故といい、効率の向こうに何かを忘れているのかもしれません。

 顕彰碑を建てようという話も出ているようですが、勇気ある行動をたたえるだけで終わってしまっては、彼らに対して余りにも申し訳ないのではないでしょうか。警視総監の感謝状や総理の弔問で済む問題ではないと思います。
 もしも、自分があの場に居ても絶対に飛び込んでないということは間違いないでしょうし、あの二人の行動を見てしまったら私は自責の念で一杯になるでしょう。
 そんな悲劇を二度と起こさないことが出来るかどうかが問われると思います。

命の大事さが問われている!

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