団塊の世代の部屋(2)

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 199991日水曜日  第29話  西郷南州

 「直言」についてだが、上に立つ人間は大変ですね。何故かというと、言うほうも大変だが、それを受け止め、尚且つ見抜く力を必要とするのですから。まず殆どの人間にはできないことではないでしょうか、それだからこそ古今東西、下のものの恨みが無くならないのではないか。もしそれが出来る経営者がいたならその会社はきっと発展しているだろう。
 一代のみならず、二代、三代とそうした能力を持った経営者が続かなければならない。会社の寿命三十年と言うのがあるが、この、あたりにも一方の原因があるのではないだろうか。三代どころか一代でも創業時と晩年で人が変わったようになる創業者と言うのも良く聞く話である。豊臣秀吉はその典型である。
 創業者でさえそうなのだから、サラリーマン経営者にそれを求めるのは元々無理な注文なのかもしれない。直言する人間を側に置くということは、それ程に難しいことなのだろう。それだけに、それが出来る、素晴らしい
TOPを持ちたいものですね。
 それだけの力量を持ち尚且つ、人を活かす組織というものを創って行かなければならないのであるから経営者は大変である。その組織を作る上での面白い説がある。

 城山三郎と伊藤 肇(評論家)の対談にありました。
 対談 サラリーマンの一生 
---管理社会を生き通す---城山三郎 伊藤 肇より

  ・・・・・略
   つまり、国に功労のある者には賞(金品)を与えよ。国に功労があるからといって、地位を与えてはいかん。地位を与えるには、それにふさわしい識見がなければならない。…以下略

 

 「西郷南洲遺訓の中の言葉」であるこれは、確か徳川家康が取った方法である。親藩、譜代には大きな石高を与えず、その代わり老中のように幕府の役職を与えた。そして、外様には石高は大きくても幕府の中枢には関与させなかった。なかなか考えさせられる方法である。地位と名誉に金まで持つと人間は変わるらしい。地位と金とどちらかを選べというのは面白い。それでなくても勘違いする人が多い中、どちらか一方だけで十分ではないだろうか。両方に値する人なんて殆どいないだろう。尤も、どちらももらえない方が大半だが。
 徳川幕府が三百年にわたって続いた一つの理由もそのあたりにあるのかもしれない。

 力も無いのに、たまたま、地位と金を得たものが自分の力を勘違いをして結局は組織をダメにしてしまい挙句の果て潰してしまうのである。所詮、人間なんてその程度の者なのかもしれない。それがわかっている人が本当の経営者といえるのではないでしょうか。殆どいないでしょうが。

200047日金曜日修正

199992日木曜日  第30話  直言

 直言について興味のあるTV放送をみた。8月31日PM10時からNHK教育で放送されたものである。メールマガジンが題材だったので、久し振りに遅くまで起きて見てしまった。皆さんもパソコンをやられる方ばかりなので興味を持って見られたかもしれませんね。少しは噂も聞いていたのでHPとは別にどんなものか見たくなったのです。NETの一つのジャンルで個人が世界に発信できるメール版の雑誌です。HPと違うのは、一通のメールを契約した購読者全員に一斉に配信するのである。それもやはり無料で。だから自分で雑誌を発行するようなものである。多い人は数万人から少ない人で数人と人気によって選ばれるのは、HPと一所である。
 どこが直言かというと、この中で紹介されていた、メールマガジン発行者である二人の女性のことばである。一人は28歳の人。子供のときいじめにあったり、青春期に自殺未遂をおこしたこともあるそうである。哲学をテーマにしたメールマガジンを発行している。その人は、自分のメールに対する批判のメールを始めてもらったときは正直落ち込んだそうである。「どうしてこんなことを言われなければならないんだろう?」しかし、その後、「批判してくれる人は、自分のメールを真剣に読んでくれているんだ」と考えられるようになって、「ありがたい」と感謝してるというものである。
 もう一人の人は30歳ぐらいの大阪の看護婦さんだった。作家志望で腕試しでメールマガジンを発行している。この人は、前の人とちがって、皆が誉めてくれる、賞賛ばかりだったそうである。そこで彼女は、「果たしてこれで良いのだろうが?皆が誉めてくれる、私はすごいのだろうか?」と天狗になりかねないところを、反省したとのことである。
 この二人の心の動きをみていると直言の大事さが良く分かるような気がする。彼女達は、その危機に気がついたが、分からないのが大半の人間ではないだろうか。つくづくこの頃の女性は強いと思います。男だったらながされてしまうと思う。そう言うバカな男達が今の世の中をダメにしているのではないか。一度女性をトップに持ってきたほうが良いのじゃないか日本の政治にしろ会社にしろ。またまた極論かな。でも面白いと思いませんか?

199993日金曜日  第31話  東邦生命

 人事と言うのは難しいものなんでしょうね。私みたいに、文句ばかり言って発散させている方が気楽で良いのかもしれませんね。およそ、人事が上手く行っている会社.なんて聞いたことが無いですものね。
 それだけ人事の難しさもあるが、真剣に取り組んでいない会社が多いのではないでしょうか。本当に人事が大切であるのならいい加減な取り組みはしないだろうし、して欲しくない。
 しかしながら、現実は製造、営業といった会社の本流には力を注ぐが、人事は適当にの会社が多いのではないでしょうか。
 そうでなく、人事に、最高のスタッフを置いて、100%とは言わないが、80%の従業員を満足させるシステムを作れば、逆に何の業種に参入してもその会社は業界の中で、トップを目指せるのではないでしょうか。極端かもしれないですが、そのくらい人事は大事だと思います。幾ら力を入れてもいれすぎることは無いと思います。

 その人事の最悪のケースがあります。 .

 第26話で取り上げた、東邦生命ものの続き。又、佐藤 守さんの手記から 東邦生命のOBが告発手記 「財界」 1999 9月14日号より (2)無能力主義
  ・・・・・略
  能力主義を標榜しているものの実態は程遠く、一般を納得させるような信賞必罰も行われず、適当な人事が繰り返されて、それがまた社内のシラケに拍車をかけているように私には見えます。・・・・・以下略
 

 こうなると、もう会社はもうダメでしょう。一番悪いパターンですね。ところが往々にしてこういうところが多いのです。そのくせ業績の悪いのを従業員のせいにするのです。白けた人間は力を発揮することは無いですよ。

 この東邦生命の状態は、常日頃、私が、勤めている会社で主張していることと全く同じである。能力主義を唱える所で本当に成功している所がどれだけあるのでしょうか?元々、能力主義と関係無く人事を行ってきた所に、能力を判定できる力があるとは思えない。
 ましてや信賞必罰なんて行われるわけも無い。なかよしクラブのかばい合いである。所詮経営陣の自己満足に過ぎないのではないでしょうか。それでもやらないでジリ貧になるよりはマシかもしれないですが…。
 尤も、私の場合は、佐藤さんのようにきちんと主張したものではない。それこそ負け犬の遠吠えかもしれないが、言いたいことは同じである。
 人事を余りにもおろそかにし、一部の人間のやりたい放題。その為、心ある者は、佐藤さんの言葉のようにシラケてしまっている。なぜこんなことに気がつかないのか?
 やはり回りに耳触りのいい人間ばかり集めているからだろう。昨日の女性二人を思い出してください。つめのアカを煎じて飲ましたい。(ちょっと古いですね
(^_^;)

200046日木曜日修正

199994日土曜日  第32話  東邦生命

  どこかの会社では、奥さんのホテルに花束を届けたとか、社長の誕生日にケーキを送ったとか、それも会社の経費で、なんて噂があるらしい。ああ嫌だ!!
 でもそうやって出世した者がきっとサラリーマンの鑑なんでしょう。大きな顔して部下を虐めていますもんね。今の日本というか古今東西人間の居る限り無くならないんだろう。間違ってもそうはなりたくないけれど。
 ところがどこにでも同じようなことがあるんですね。所詮、人間のやることはどこへ行っても同じなんですかね。

 

 そうですあの東邦生命なんです。面白いのでつきあってください。

 
  ご機嫌取りが社長夫人にまで及んだことは事実である。当時夫人は社内人事にまで介入するようになり、それも機関長クラスのレベルまで口をだすといわれた。「女が公事に口をだすようになっては」などという俗言があるが、末期症状が露呈していた…中略
 そこにつけこんで「奥さんにゴマをすったほうが近道」とばかり、あの手この手の手段を弄した者も多かった。

 どうです、このあたりは、笑ってるしかしょうがないですね。こんなにそっくりなことがあるとは。どこの会社でもこんなことがまかり通っているのでしょうか?
 大企業でさえこんなことが行われているのなら、中小のオーナー企業なんてあって当然なんでしょうね。
 確かに、中小企業では創業時からの人手不足などのため、奥さんが経理などをみているところは沢山あります。しかし、もう少し大きくなってきて、それなりの従業員数になってきた時に、奥さんをどう扱うかで、そのまま零細企業に留まるのか、もう一段発展するのかの分かれ道があるような気がします。
 そこまで発展してきたことへの奥さんの力というのは、社長以上の場合があるのも確かですが。そこで本当の企業としての体裁を整えれるかどうかが決まるのではないでしょうか?
 本田宗一郎さんじゃないですけど、そこで同族経営にするかどうかで将来のその会社が一層の発展をするかどうかの分岐点であるように思います。
 あの同族会社の代表みたいなトヨタ自動車でさえ、最近の発展は今の奥田会長が社長になることにより、同族経営の色を薄めて行ったことも一つの要因ではないでしょうか?
 ましてや、一緒に働いてきたわけでもない社長夫人が、会社のことに口を出すとなると、もうその会社は先はないでしょう。要するにそれは社長が自分の奥さんさえもコントロールできてないということですから。

何処かで聞いた話だなぁ〜!!

200046日木曜日修正

199995日日曜日  第33話  経営責任

 経営不信の責任は経営者がまず一番に取るべきではないだろうか?それを、自分の先見の明が無い為に経営不信になった事を棚に上げ、安易に人員整理に手をつけるということは、その時点で自分の無能さをさらけ出しているのである。
 一度人員整理に手をつけると、従業員は会社を信用しなくなる。その結果のモラルダウンは人員整理をして浮いた経費以上に大きな打撃を与えるはずである。そして、一度落ちた従業員の士気を高めることは並大抵のことでは無理である。従業員の心の奥には、「どうせ又、景気が悪くなると首切りするんだろう」という白けた気持ちがあるはずである。
 昭和の終わり頃に丁度造船の不況がありました。お世話になっていた大手の造船所でも人員整理がありました。担当の人事の方の苦しみは見ていても気の毒なものでした。新卒の採用も取りやめになったものです。その頃の、従業員の方たちの気落ちは見ていても分かりました。私の営業所へも転籍でこられた方もありました。
 何の落ち度もない人が、経営者の失敗の為に、途中で全く違った業種で違った仕事をしなければならないのです。その苦労たるや並大抵のものではないと思います。みていても気の毒なものがありました。
 経営者は本当に責任を感じたことがあるのでしょうか?疑問です。そんな中でも従業員の立場に立って考えることが出来る経営者もいるのです。
 そんな記事がありました。

 以前とりあげたトヨタの奥田会長の記事です。「財界」にのっています。そんな従業員の立場に立った言葉です。

 「財界」 9月14日号(1999)より

 …略 
 そのときに、どれだけそういう人たちのことを考えてやるのか。例えば先日なくなった横河電機の美川さん(英二氏、前社長)のように、会社を去る人については全部一人ずつどこかへ就職させてやったとか、そこまで経営者は責任を持ってやるべきだと思うんです。…以下略

 偶然、以前に取り上げた美川氏のことに奥田氏がふれている。自分が感心した人が別のもう一人を認めてくれるのは嬉しいものである。

 最近のリストラに名を借りた人員整理に警鐘を鳴らした奥田会長が、もう1歩踏みこんで述べている。自分達の経営責任を従業員の整理で誤魔化そうとしている経営者が多い中でこの発言は嬉しい。
  美川社長や奥田会長はそのあたりの従業員を大切にすることの大事さが分かっているのだろう。
 日頃の扱いで人は変わる。ゾンザイに扱われれば、その扱いにあったような行動をするのが人間である。「ああ!私のことを考えてくれているんだなあ」と思えば、それに「報いたい」と思うはずである。
 そう意味でも、経営者どころか
管理職が平気で部下を虐めるような会社に明日はない。

200047日金曜日修正

199996日月曜日  第34話  雇用確保

 丁度バブルの頃ですが、私の勤める会社に新卒の応募の殆ど無いときがありました。あの3K(きつい、汚い、危険)といわれて騒がれた時です。人事募集の担当者が苦労していたので、恩師が校長をしていた高校を紹介したりしました。学校も強気の時です。名前も知らないような会社に生徒を紹介するわけはありません。有名な会社がいっぱいあるのですから、中小企業にとっては大変な時でした。
 「これは大変な事になるな」と心配して何か手を打つ必要があると思っていました。仕事があっても、人手が無くてはこれ以上発展することは出来ません。コマーシャルを打つことも必要だと提案したこともありましたが、聞く耳もたずでした。
 そうこうするうち、バブルが弾け人も来るようになったので「喉もと過ぎれば熱さをわすれる」で危機感が無くなっていますが、こういうときこそ将来の為の手を打つべきではないでしょうか。なんといっても、少子化の問題から、日本は労働力不足になるのは目に見えているのですから。

 前回の記事の中にそのことに関係することに奥田氏が触れています。

 「いずれ資金市場と同様に、雇用の確保に苦労する時代がきます。」

その通りだと思います。私の体験からの持論と同じです。上記で触れたようにコマーシャルを打って会社の名前を世間に知ってもらうとかあらゆる努力をしていないといずれ誰も来てくれない会社になってしまうと思います。
 しかし、バブルが弾けて就職難になったとたん採用が楽になったので、まるで一流企業であるかのように大きな勘違いをしてなんの努力もしていません。
 たぶん奥田氏のいう雇用確保の難しい時代が来たときには殆ど人を確保できなくなるでしょう。

マァいいかそれまで会社がもたないだろうし!

またまた、過激になってスミマセン!!

 今週は今日から出張しますので明日から暫く休みます。

200047日金曜日修正

199999日木曜日  第35話  次郎長

 清水次郎長の名前を知らない人はいないと思いますが、詳しくというと殆ど知らないと思います。私もちょっと聞きかじったぐらいで余り詳しくはないのですが、何かの本、多分、佐高 信さんの本あたりで読んだのだと思いますが印象に残っている言葉が有ります。何冊か探してみたのですが判りませんでした。思い出しながら書いてみます。

あるとき、幕末の有名人(はっきりしないが山岡鉄舟か、誰かだったと思います)が、次郎長にいった。

      「おまえの為に死んでくれる子分は、何人いる」

 次郎長 「あっしの為に死んでくれる子分はいません」

       「・・・・・・・」

 次郎長 「しかし、あっしは子分の為に死ねます」と言ったそうである。

 これはを読んだときは、それこそ背筋が寒くなるという表現が当てはまる状態でした。すごいですね。こんなこと言える経営者がいますか。こんな管理職がいたら働かざるを得ないですね。少しでも近づけたらと思います。ちょっとカッコつけすぎですね。

 山岡鉄舟→勝海舟の間違いでした。

1999910日金曜日  第36話  権力(人事)

 昨日、松江出張から帰って、今日、高知へ出張でした。出張があるとやはり更新はむりですね。ノートが欲しくなります。

 第29話でも触れましたが、権力と名誉を持つと人間は変わるもののようです。私のように日頃から文句ばかり言ってる者は案外その立場に立つと一番最初に変わるのかもしれません。チョットそういう立場に立ってみたいものですが。どなたか試して見ませんか?
 腐敗の塊のようなキャリア官僚の世界も、課長くらいまでは、天下国家を論じて国民の為にという人が多いそうです。ところがそれ以上になるとコロット変わるそうです。組織を守る方に回ってしまうのだそうです。人間なんて弱いものなんですね。
 そんな中でも変わらない人もいるようです。有名な日本興業銀行の中山素平さんなんかがそうらしいです。悪と付き合っても悪に染まらない、強い信念があるそうです。
 比べるのも可哀想な人がいます。

 イトマン事件の主役の一人ですが、興味ある記事がありました。

読売新聞1999年(平成11年)9月6日(月曜日)より

 …略
 河村被告が自ら決めた案件に逆らった人間を左遷するのを、目の当たりにしてきた。…以下略 

 この前に、私は、下の言葉を公平に聞いてきたというようなことを言っているのである。言行不一致の見本である。日頃の素晴らしい言葉と追い詰められたときの言葉の差。この様に、公の場で日頃の行動と全く逆のことを平気で述べる人を何人か見てきたが、一体どんな神経をしているのか感心させられる。その本当の姿を知っている人間にとっては聞くに絶えない事であるが、また、それを見ぬけないでその言葉だけで信用する人がいるのである。そして、そんな人間を登用して会社を駄目にされても気がつかない。どちらもどちらである。次郎長さんと比べてなんと情けない事か。

200047日金曜日修正

1999911日土曜日  第37話  直言

 昨日のイトマンの河村被告にしろ、最初は、一生懸命仕事をして立派だったといわれる人は意外と多い。ではどうして晩年にその名を汚辱にまみれさせるような事になるのだろう。
 それこそ
第10話で触れたように、直言をいうものを持つかどうかではないでしょうか?耳障りのいい事ばかりを言うものを回りに集めるのは気持ちがいい者である。どうしてもそうなるのが人間である。うるさい奴なんかそばに寄せたくない。それが本音だろう。
 
第15話で取り上げた、伊藤さんと鈴木さんの関係を続けるのは凡人には難しい。どうしたって楽な方へ流れる。
 かなりの信念を持っていると思われる人でもチョットしたことから罠に落ちるのではないでしょうか?佐高信さんの本に考えさせられるところがありました。シェークスピアの言葉だそうである。

 現代教養文庫 企業原論--ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著より

 ……略
 ところで、だが、あなただけは追従者が大のお嫌いで、といってやると、先生、むろんそうだと大得意なのです。つまり、もっとも見事に追従に乗っているわけで……以下略 

 

 いや〜!この皮肉は強烈ですね。自分だけは、追従者を寄せ付けないと言いながら乗せられている。人間の本質をついている言葉かもしれないですね。余程、自分というものが解かっている人でもこの罠には落ちそうですね。常日頃、自分だけは追従には乗らないと自負している人にとっては恐ろしい罠かもしれない。私なんか一番に引っかかりそうです。恐ろしいですね。
 気をつけなければならないが、大抵がその罠に落ちるのだろう。シェークスピアの時代から人間は何の進歩もしていないのだろう。文明の利器に囲まれ「人間はこんなに進歩したのだぞ」と威張っているが中身は太古と同じである。情けないものである。
 尤も、人間の本性なんてものは殆ど変わってないというか、多分全く一緒ではないでしょうか。いや!もしかしたら誘惑されるものが多いだけ現在の方が悪いかも…。

怖い話です!!

200047日金曜日修正

1999912日日曜日  第38話  主張

 この部屋で今まで私が主張してきたことは、人によれば「なに言ってんだ!自分で出来もしない正論ばかり言いやがって!!」と思われるのではないでしょうか。
 そうなんですよ!会社でも何時もこんなことばかり言っているので、目一杯嫌われてます。特に、管理職には。自分でも分かっているのですがつい言ってしまうのです。これは、自分の弱さを隠す為もあるのじゃないでしょうか。情けないですが、性格だからしょうがないと諦めています。半分は逃げもありますが、今更変わらないですね。
 本当は、佐高さんもフアンである鬼平のような情の分かる太っ腹になりたいんですがまずむりですね。

こんな佐高信さんからの一発。本当は書きたくないんですが…。

 佐高信の視線 佐高信著 読売新聞社より序章 日常への視線

 

 正しいことを言うときは

 少しひかえめにするほうがいい

 正しいことを言うときは

 相手を傷つけやすいものだと

 気付いているほうがいい

 

 これはこたえますね。どうしても、自分の主張が正しいと思うと口調、筆調がきつくなりますね。特に私はその傾向が強く、よく相手を知らず知らず傷つけているようです。気を付けなければならないのですが、考える前に言葉が出てしまっています。
 まあ!弱いいぬほどよく吠えると言いますが、自分でも何とかしなくチヤとは思っているんですが、ダメですね。
 口から出た瞬間、「しまった!」と反省しているんですが、態度に表さないので敵ばかりが出来てしまいます。情けないですね!もうこの歳になるとどうしようもないのでしょうか。直そうと言う気もあるのですが、多分心底から反省してないのだと思います。特に権威に対して反応がきついような気がします。子どものときに何かあったのかと考えてみるのですがよくわかりません。
 ただ一つ、思い当ることがあります。それは昔から洋画(ふる〜)を見るたび、そのユーモアに感心していたことです。あのしゃれた会話を何とか身につけたいなと子ども心に思っていたものです。
 ところが性格でしょうか余り口が上手くなくて、ブラックユーモアの方に走ってしまったようなのです。だから私の言葉を聞いて、本気かどうかわからないとよく言われます。
 本人はユーモアのつもりなんですがそれが完全にブラックになっているようです。ですからこちらがブラックユーモアのつもりでいった言葉を相手は本気に取って、あいつはきついと思われてる面もあるようです。
 お陰で、サラリーマン失格の人生を送っています。皆さんも気をつけてください。

 鬼平の様になりたいものですが、こればっかりは今更無理のような気がします。マァいいか、少しでも近づける様に努力しましょう。ちなみに『鬼平犯科帳』は全部読みました。

200047日金曜日修正

1999913日月曜日  第39話  派閥

 休みはこのところ草抜きに追われています。自宅は田舎なので少しばかりの庭があるのですが、雑草がすぐに生えます。一週間であっという間に伸びています。それが嫌で、芝生を植えているのですが、それを掻き分け雑草が生えてきます。いたちごっこのようです。その中でも芝生の天敵みたいなのが萱です。

 これがはびこると、簡単には抜けません。葉が出てくるとその下では地下茎がガッチリと根を張っているのです。上だけを抜いてもその地下茎は抜けないので残って又芽を出します。ですからこれを根こそぎする為には、芝生ごと掘り起こして地下茎を取り除くしか方法がありません。今日はこの萱の撲滅に挑戦しました。炎天下半日仕事でしたがまだ少し残りました。次の帰省のときに残しておきます。
 何でこんな事を書くかというと、草抜き中は色々考え事をしながらするのですが、特にこの萱の地下茎を取っている時そのはびこり方を見ていると組織にはびこる悪しき派閥を考えてしまうのです。悪い根というものは、こんな風にがんじがらみに成長してゆき、それを取り除くのには大変な労力を必要とする。根こそぎ取り除くのは殆ど無理である。残った根から又はびこってくる。しかし逆に萱の方から考えると、芝の方が悪である。どちらが悪かは、人間が勝手に決めているのである。「何だか、好き嫌いの人事と同じだなァ。」と思ったり。
 こんなんことを考えながら草抜きしてると、
ほんと!つかれる!!

1999914日火曜日  第40話  価格

 日頃から疑問に思っていたことに販売価格があります。私の勤める会社が属している業界も、ご多分に漏れず値上げ問題があります。
 人件費の増大とか原材料の値上がりとか理由をつけて製品値上げを何度も行っています。「本当に?」というような理由もあったりします。そうやって苦労して値上げをして、その挙句その商品の価格競争力が無くなって売上がジリ貧ということもあります。
 ところが、本社では、机上の空論で考えているのでしょう、値段さえ上げれば売上が上がって儲かると再値上げです。そうやってどんどんシェアーを下げているのが分からないのです。現場を知らないということは恐ろしいことです。
 このようにズレた値上げをしても市場から反発を食らうものはいいのですが、中には競争のない事を言い事に暴利をむさぼっている者もあるのではないでしょうか。
 ゼネコンのように談合というのもあります。銀行でおなじみの護送船団の業界もそうでしょう。そんな安易な考えに異議を唱える言葉があります。

 現代教養文庫 企業原論--ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 6.企業への直言より

  企業による商品値上げは、合法を装った一種の強盗行為である、とラルフ・ネーダーはいった。それは、街の暴力団や窃盗団による被害など、問題にならないほどの巨額に達する。……以下略

 これは厳しい。しかし、こういう一面があることは確かだろう。極限まで努力して、価格を据え置くより、安易に値上げに走っているのは間違いない。確かに、自分達の商品を少しでも高く売りたいのは当然の気持ちだろう。だがその裏には企業努力が無ければならないと思う。
 コストダウンの努力もせずにただ単に計算上の利益を上乗せして価格を決めるなんてのは、良く言われるお役所仕事に何ら変わりはない。企業努力により競争相手以上のコストダウンを行い、適切な利潤を得る。これこそが自由経済の原則ではないだろうか?
 ただ単に机上の計算だけで安易に値上げをしてその商品自体が他の商品にとって変わられて市場が無くなってしまうこともあるはずである。なんのことはない自分で自分の首をしめてしまうことになるのである。
 上記にあるように、その腐敗は、企業そのものをつぶしてしまうであろう。

200047日金曜日修正

1999915日水曜日  第41話  企業の為の教育

 真っ暗になって、ボールが見えなくなってやっと家路をたどる。三角ベースの野球を近所の空き地で、上級生も下級生も一緒になって、泥だらけになりながら夕方暗くなるまでやったのは何時頃までだろう。少なくとも小学校の時はズットやっていた。中学の時も覚えている。
 そうか!高校のときはもうクラブ活動をやっていた。少なくとも高校2年生までは勉強とは余り縁がなかった。3年の夏休みからクラスの級長の応援で受験勉強を始めた。
 大学でもクラブに入り、4年の時は学生運動で学校封鎖。何にも考えずに就職。考えてみれば一番恵まれていた時代だったかもしれない。子供の時代は、戦後で貧乏とひもじさも経験したし、就職してからは、経済成長の真っ只中でそれなりの豊かさも味わった。
 何時の頃から、受験受験の時代が始まったのだろう。我々の時はそのはしりだったのかもしれないが、高校になってからだったような気がする。少なくとも小、中学校は思いっきり遊ばせてもらった。
 その点、今の子供たちは、小学校低学年から既に塾通いである。学校より塾の法が多いかもしれないような国は日本だけらしい。そんな事情を知っている、海外勤務の人の欧米と日本の差についての投書がありました。

日本経済新聞 1999年(平成11年)9月14日(火曜日)生き方探して「サラリーマン」 より

  ……略

 個人の主張や冒険が小さいころから否定され、親子、世代が同じ価値観の下、集団で動く。このままでは、いずれ国際社会からドロップアウトしてしまうだろう。…以下略 (外資系企業勤務、37歳、男性)

 夕方、成田からの車窓越しに見る公園や運動場には子供たちの姿がない。一方で夜八時を過ぎた電車の中には、塾帰りの子供が目立つ。自宅のあるシカゴ郊外の住宅地と何と違うことか。…以下略(在シカゴ、男性)

 海外生活の経験者が語る言葉だけに、身にしみた思いが感じられる。子供の頃から企業に都合のいいように育てられる日本人。テストの点をとることだけが目的になってしまっている。そこには創造性のかけらも無い。人と違った人間は、はじきだされる。大人に都合の良い形にはめようとする。上からの命令に何の疑いも持たない素直な人間。ようするに企業に都合の良い人間を養成しているのである。
 どうしてこうなってしまったのだろう。治める側の政治家とか官僚、企業経営者が自分たちがやり易いように教育をゆがめてきたのではないだろうか。また、国民も深く考えずとりあえず成績を上げることにより他人を蹴落とすことに精力を注いできたのだろう。そこには、本当に人を見る目を養うとか個性を尊重するとかいう努力は無い。つまり安易に表面の成績や扱いやすさで評価するほうを選んだのではないだろうか。人には向き、不向きがあるのを尊重せず、兎に角、戦後の急激な経済成長による大量雇用に答える為に、画一的な使いやすく素直な労働者を生産することに教育を利用したのではないだろうか。そうしたかことが企業だけが繁栄する今の状況を生み出してしまったような気がする。もっとサラリーマン個人、個人が尊重される時代にならないといけないと思うがどうだろう。

200047日金曜日修正

1999916日木曜日  第42話  公共

 公共ということに一番関心の内国民が日本人だと言うのは言い過ぎでしょうか?高速道路とか飛行場など公共工事の莫大な費用を見るたびに思うのですが、どうして日本人はごね得を狙って用地の買収価格を吊り上げようとするのでしょうか。
 確かに、国も悪いです、国民に相談もせず、ゼネコンあたりと組んで、無理やり工事を決めようとするからです。
 しかしながら、本当に必要なものもあります。高速道路や空港など国民にとって本当に必要なものに対してはもっと協力しても良いのではないでしょうか?それが無理であれば、土地の個人所有を無くして、すべて国有とするのはどうでしょう。
 公共事業の場合は、国の土地ですから、代替地を用意して移ってもらうことを原則とした法律を作れば言いのです。そうすれば今のように土地取得に工事費の大半を占める莫大な費用がかかるという事がなくなり、ひいては、税金の無駄遣いが無くなり、結局は国民の為になると思うですが、どうでしょう。
 またまた、夢みたいなことを言ってしまいましたが、ごね得を見るたびそう思うのは確かです。又、成田空港問題を見るたび、一度掛け違ったボタンと言うのはアレほど長い間解決しないのです。本当に無駄なことです。こんな法律があればあんなにもめることも無いのです。
 もし、あの1分間に一機の離着陸がって、能力一杯で運用されている成田空港で大きな事故が起こったら、国も反対派の人もどう思うでしょう。ああ言う無理な使い方をしている以上、何時そんな事故が起きてもおかしくないと思います。なにも起こってないのは奇跡かもしれないではないですか。皆が悲しむことが起こらないような手を打つべきです。

 こんな日本人の公共性にも関係すると思うものがあります。

 現代教養文庫 企業原論--ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 企業への直言 から

 自由競争のルール
 …略
集中規制の新設をすふくむ独占禁止法の強化に対して「イヤだけれども、やむをえない」という態度だったと言う。
 ……以下略

 この「イヤだけれども、やむをえない」という態度をとるというのは日本では殆ど受け入れられないように思う。自分さえ、我社さえ良ければという風潮が余りにも強すぎる。これに反対すればそれこそ村八分、社内八分の目にあうだろう。こういう考えが日本の企業を余りにも強大にしてしまった一つの要因のような気がする。企業にばかり金と力が集中しそれが社会に還元されない。その為に社会資本の充実が進まず結局は個人が苦しむ。もっと公という考えが日本にあればゴネ得などというものもなくなり、たとえば高速道路などの建設も安く上がり、それが又個人に跳ね返ってくると思うのだが。良い例がドイツのゴミ回収のシステムだろう。企業、国民が一丸となってあのシステムを作り上げたのだろう。
 日本では、企業、国民の大多数が逃げ腰である。特に企業にそんな費用はとても負担できないという考えが強い。そこには自社さえ良ければの考えしか見えない。日本人だってそんなにバカじゃないだろうに、きちんとした説明があり、それがひいては皆のためになることが分かればそれなりに納得して協力すると思うのだが…。
 私が、甘いのでしょうか?そんな日が来る前に世界中から見放されて日本沈没となら無いように祈ろう。

200048日土曜日修正

1999917日金曜日  第43話  きれいごと

 いつも気になっているのだが私のこの団塊の世代での発言は余りにも「きれいごと」として受け止められているのではないだろうか?実際私もその立場にたったら必ずしも言った通りに出来るとは限らないとはおもいますが、常に本音と建前の両方を使い分けるよりはマシだと思っています。
 基本的には、個人が主体で、会社や社会によって個人が不幸になることには納得できません。個人の幸福の為に、会社や社会があると思っています。ですから発言は、それを基本とした発想ですることになります。
  勿論、それが今の日本の社会に受け入れられないのは知っていますが、性格としてそれが出来ないのも確かです。ですから諦めて本音で生きていくことにしています。余りにストレートに表現するので、周りの人を傷つけることがあるようです。これは気をつけなければならないとは思っています。
 しかしながら、余りに気を使いすぎて、本音を喋らないのではストレスが溜まります。私はストレスは会社で発散することにしていますので、周りの人には気の毒ですが、多分、今のスタイルは変わらないでしょう。その代わりに出世を捨てていますので其の辺はご勘弁を!

 「きれいごと」についても「なるほど」というところが、現代教養文庫 企業原論--ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 企業への直言にありました。

企業の社会的責任

 ……略
  しかし、「きれいごと」が光を放つのは、「きれいごと」がもの言わぬ社会においてこそであり、「きれいごと」がそのまま通るという幻想を抱くことは滑稽であるにしても、「きれいごと」を高く掲げることは決して滑稽なことではないだろう。
 

 「きれいごと」とは、即ち「理想」ではないだろうか。理想を高く掲げることは確かに大変かもしれないが、始めから「理想」もなく低い目標しか目指さないより余ほどましではないだろうか。目指す高さが違うということは、それに到達する為の努力も違ってくる。だから到達する高さも自ずから変わってくるはずである。「きれいごと」も言えない人間にそれ以上の事が出来るわけが無い。
 それにしても木川田さんという人良いこと言ってますね。昔の経営者(といっても戦後の経営者ですけど)には骨のある人がいたようですね。 

200048日土曜日修正

1999918日土曜日  第44話  組織(流動性)

 日本人は、一人ひとりを見ると、礼儀正しく、正義感もある世界的に見ても優秀な人であるといわれる。確かに、そうだろうと思います。
 今の日本の閉塞感や、政治家や官僚の不祥事に対して、100%と言っていいくらい怒りを表明する。ところがそれが政治の世界にも社会にも反映されないのである。何故だろう?良く言われるように、サイレントマジョリティーであるサラリーマンの意見が選挙の結果に出て来ないのである。
 それどころか、はなはだしい所は会社ぐるみの選挙までしているのである。そうして選ばれた議員は、サラリーマンを苦しめるようなことしかしないのである。何故そこまで会社の言いなりになるのか?要するに集団の居心地の良さに甘えているのだろう。
 個人では良い人も、組織には入ってしまうと組織に染まってしまって、組織の理論に飲み込まれてしまうのである。そして、個人では批判するようなことを組織の中でやってしまうのである。
 良く考えれば、その集団や組織、企業は繁栄するが、その繁栄はそこに属する個人を犠牲にしているのである。それが分かっていても、飛び出した時に、今以上の好条件で転職できる仕組みが無いので組織の言うことを聞いてしまうのであろう。企業や組織に都合の良い社会になっているのである。
 それを作っているのが、国会議員だったりして、選ばれた奴らが選んでくれた者をがんじがらめにすることしかやってないのである。つまり、個人でなく、企業や組織の為に動いているということでしょう。
 すべては、個人の幸福の為にあるべきなのに、何かおかしいですね!

 そんな疑問にも現代教養文庫 企業原論--ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 企業への直言 が触れています.

 現代企業における抵抗の倫理 社長選挙制の提案 より
   ……略
 こうした、いわば集団無責任社会を改革するためには、企業への転出入を容易にして帰属のキズナをゆるめたり、企業に頼らずに生きていく方法を考えるといった、外からの改革とともに、企業という封建社会の組織構造を変えていくという方法も考えられなければならないだろう。……以下略

 以前にもふれたが、日本企業の流動性のなさが人を会社に縛っている。辞めた後の再就職の難しさや、昇進の不利さが、転職を躊躇させる。それが企業の思う壺にはまっていることになる。封建時代のままの統治が行われているようなものである。

 転職が当然であって何の不利にもならない時代がこなければいつまでも会社のおもうがままである。その為には個人が自覚をもって立ち上がるしかないのではないだろうか。一人でも多くの人が行動を起こせば会社も変わらざるを得なくなるだろう。
 かなり難しいだろうが一日も早くそういう日が来てほしいものだ。

200048日土曜日修正

1999919日日曜日  第45話  自殺

 第5話や 第21話で取り上げましたように、リストラにより中高年の自殺が増えているそうである。衝撃的なのは、毎年伸びていた平均寿命のうち男のそれが下がったというのである。
 マスコミではサラッと取り上げられていたが、サラッと取り上げるようの問題ではないはずである。何と言う恐ろしい話ではないか?果たしてこのニュ―スは世界に配信されたのだろうか?
 これで又、日本が世界に馬鹿にされる話題を与えたことになる。どうしてそこまで日本人は会社にしがみつくのだろう。
 その一つに昨日も触れた、労働力の流動性の無さも大きな原因になっているのは間違いないだろう。企業に都合の言い教育とか、他人と違っている者を認めないとか色んな原因があるのだろう。
 しかしながら、何故そこまで自分を追いこむのだろう。たかだか会社じゃないか笑って辞めてやろうじゃないですか。と言いながらも私も、生活があるので辞めたくても辞められないのが現実である。
 戦後の日本を背負ってきた中高年をそんなに簡単に切り捨てても良いのか?余りにもおかしな社会である。こんなことをやっていてリストラなんて言っていても、若い人だって見ているはずである。「俺達もいずれああなるのじゃないだろうか?」と一旦思えば、もう気力はでないはずである。
 会社を元気付ける為に行ったリストラがその会社のモラルをダウンさせるだけと言うことが分からない経営者の何と多いことか。
 ここに、今まで 今までに書いてきたことや以前ふれた平均寿命が下がったこと等の集大成のような記事があった。 

 週刊東洋経済 1999年9月18日 風 自殺大国日本の歪みより。 

 怖いのは数の多さだけでない。残された怨念の量である。大半の場合が「本当は死にたくなかった」というのが実情ではあるまいか。……以下略 (小鹿)

 同じような考えの人もいると思うと心強い。しかしここにも触れている様に今の政治は本当に国民のことを考えているとは到底思えない。
 あの小渕首相の変に自信を持ったバカ面を見ているとつくづく「日本も終わりだろうな」としか思えない。その場しのぎの政策でごまかし根本的な手を打とうとしないで問題の先送りでいい気になっている。
 いずれツケは国民に回ってくるはずである。人員整理のリストラでごまかす経営者と根は同じである。本当に身を持って日本の国を立て直そうという人は現れないのか。
 まあ、国民自体がボケているから無理もないだろう。

200048日土曜日修正

1999920日月曜日  第46話  経営者

 同じ週刊東洋経済にもう一つ面白い記事があった。

経済人の言葉ウオッチ

石井信平
映像&出版プロデュサー
「経営者がいない国」

 この国には「経営者」がいるのだろうか?
先の国会では、「国旗・国歌法案」「盗聴法」「住民台帳法案」のドサクサ紛れに「産業再製法」まで成立させた。
 設備や債務や人の過剰を除き、経営資源の効率的活用を図る、などと趣旨説明されている。こんなことは経営者が自主的に裁量すべき「仕事」であって、何で法律や国がしゃしゃり出てくるのか?
 宮沢喜一蔵相が8月22日、フジテレビの報道番組で言った。「1980年代後半は、日本の銀行はすべて世界の銀行だったが、その後のていたらくで世界の笑いものになりました」。その「ていたらく」に自分の金融財政政策の失敗を入れないところが、この人の厚顔無恥。
 宮沢氏の言いたいことは次に続く。「しかし、ようやく、二つか三つくらいの銀行が世界の舞台で活躍できるところまで来ましたね」。要するに今回の三大銀行統合を「よかった」と言いたいのである。
 国民の血税、二兆五〇〇〇億円でようやく支えられている銀行の経営者など、そのダメさ加減において、お縄を頂戴した拓銀、長銀、日債銀の幹部とどう違うのか?ここで注意すべきは「世界の笑いもの」とは何を指すのか、ということだ。銀行は大きければ笑われないのか?失敗しても経営者の自主責任が問われないで、破綻救済のために公的資金六十兆円があらかじめ用意されている「日本というシステム」が世界の笑いものなのではないか?
 日本には今、大事なことをきめるための「政治」がない。闘わすべき「言論」がない。そして、今や決定的に欠如しているのが「経営」ではないか?
 税金でバックアップされ、経営の基本方針は「産業再生法」が手引きしてくれる。日本の経営者はナメられている、またはラクでいいネと言うべきか。いっそ彼らは「公務員」になったらどうか。

 全くその通りである。同じ週刊東洋経済にこんなコラムが同時に出るということはかなりの人が日本の現状を憂えているのではないだろうか。特に銀行経営者と政治家の日本の国を食い物にする様をここまで見せ付けられると、「とてもじゃないがこの国はもうダメ」としか思えない。当然つぶすべき銀行を税金で助け、そのツケを後世の日本に回す。何で、自分たちでバブルをあおり、あげくに失敗をした者の尻拭いに税金を使わなければならないのか。彼らに殺された人がどれだけいるだろう。その上、金利まで殆どゼロにしてしまってバックアップさせられている。欧米ならきっと暴動が起きているはずである。どうして日本の国民はここまでコケにされてだまっているのだろうか?やっぱり都合の良いように教育されてしまっているのだろう。どう考えてもこの国が良くなるとは思えない。

1999921日火曜日  第47話  不平不満

 先週末、私の勤める会社で人事異動があった。いよいよ二代目社長が自分の体制を固めようと動き出したようだ。所謂、若返りである。やはり自分より年上は使いにくいのだろうか、50歳以上はこの会社ではいらないようである。現場の支店長クラスは40歳代が殆どになってしまった。いよいよ団塊の世代の正念場である。
 二代目にバトンタッチした時に、先代のブレーンが遠ざけられるのは、世間では良く聞く話である。ブレーンまで行ってたらまだ諦める事が出きるが、そこまで行って無いのに年齢だけで、「ハイ、さようなら!」は寂しいですね。余りにも従業員に対して失礼ですね。
 年齢が上だけで使いにくいと遠ざけるのでは所詮、其れだけの器である。折角の人材を活かせないのでは余りにも勿体無いのじゃないでしょうか。
 と、こういう風にすぐに文句を言うのは良くないみたいですね!

 今、丁度、団塊の世代にズバリの題名の本を探し出してきたところだったが、身につまされる内容である。耳に痛いところも沢山ある。面白いところを選んでみたい。まず最初に私にとって一番こたえるところから。

団塊サラリーマンの生き方 江坂 彰講談社文庫

人間としてのサラリーマンへ
 ……略
  私はあまりの正義感や、人事に不平不満をもらしすぎるサラリーマンを大して買わない……以下略
 
 これは、モロに私のことを言っているようなものである。こたえまっせ!!。学校卒業してサラリーマンになって以来、常に上司や会社に正論をはいて、逆らってきた私である。会社も今で、三社目。但し辞めたことに何の悔いも持っていない。こちらから、見限ってやったという気持ちは何時も持っている。
 大体、皆さんも私のここまでの書きこみ読んでいただいた方は「この小父さんちょっと変わってる」と思われているのではないだろうか。自分でも、およそサラリーマンには向いてないと思うが、かといって、独立するほどの腕と度胸もない。
 後十年足らずを何とか生き延びなければならないのだが、最初に書いたように、この会社も私を必要としていないようである。そろそろこの会社も見限り時かな。

 どなたか良いところ紹介してくださる方おられませんか?

本気モード80%

200049日日曜日修正

1999922日水曜日  第48話  生え抜き

 中途採用というのは日本の国ではまだまだ公認されていない。学校を卒業して最初に入った会社で定年まで勤めることが良しとされ、給与体系もそれに合わせて終身雇用型になっている。退職金なども定年まで勤めたものに有利なようになっている。
 それが、一層労働力の流動化を妨げる。流動化を嫌うのは、戦後の発展時期に従業員を十分確保することが難しかったからだろう。取り敢えず、人数の確保が一番だったということだろう。
 自分が、転職を繰り返したから言うのではないが、中途採用にはそれなりの利点があります。生え抜きというのは、学校卒業してからズット同じ会社しか経験していないのですから、当然、他の会社を知りません。という事は、自分の会社の良さも悪さもわからないということである。ですから何をどうやればより良くなるというのも分からないのです。
 その点、中途採用の人は比べるものを持っていますから、本当の良さが分かります。ですからどうやればより良くなるかも分かるのです。悪い所をどうすれば良いかの経験も持っていますからおかしな経営をしているとすぐに見ぬきます。
 ですから会社が改革する気が無ければ本当に必要な人材ほど会社を見限り定着しないかもしれません。
 それなりに会社の方も緊張感が必要となるでしょう。だから、最近業績を伸ばしている企業に中途採用が多いというのも理由があるのです。
 これからの企業は
第34話で触れたように雇用の確保に苦労する時代がきます。その時に中途採用で良い人材を取れないような会社は生き残れなくなるでしょう。

 先週に続いてコラム「風」がそれに関することを取り上げています。週刊東洋経済 1999年9月25日 生え抜き」名監督たりえずより。 

 ……略
 フッとおもいついた法則がある。いわく「生え抜き、名監督たりえず」統計を調べたわけでもない、直感頼りはご容赦ねがいたい。だが、的を射ているとは思いませぬか。……中略
   (珍竹林)

 このコラム先週からするどい。今週のは、初めはごく普通の説だったが、最後に「あなたの会社はいかが? 生え抜きの迷采配で一家心中寸前なんてことないでしょうな。」と締めくくっている。これには思わず噴出してしまって、「その通りです」と答えそうになりました。イヤー! 世の中にはするどい人がいるもんですね。「どこから聞いてきたんですか?」とたずねたくなりました。ということは、どこにでもあることなんですね。
 TOPの信頼を良いことに力も無い人間が、人事や、分かりもしない経営に口出し、会社をダメにしてしまう。
 社員はたまったもんじゃないですね。何時も言いますが、経営者は耳にやさしい言葉に気をつけて欲しいものです。
 あ! 又、言ってしまった。ヤッパリ、サラリーマン失格ですね。

マァいいか、なるようになるさ。

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1999923日木曜日  第49話  中途採用

 丁度、私が所長になった時に、中途採用の一人が辞めることになった。彼を買っていたので協力してくれるよう説得したがダメだったことがありました。
 それから何年かして、彼がもう一度一緒に働きたいという噂を聞いたので、それならもう一度採用しようとしたのですが、本社の人事が一度辞めた人間は同じと拠点では採用できないと言い出したのです。
 一度辞めた人間が、もう一度働きたいというのは他の会社を経験して、前の方が良かったのが分かったと言う事なのですから、これほど有り難い事は無いと思うのですが、どうしても認めてもらえなかったことがありました。
 なんてバカなことを言うのかと、事業部とも喧嘩しましたがダメでした。私にすれば、他所に修行に出したと思えば、タダで教育してくれたものを採用できるのですからこんなに得なことは無いと説得しましたが、他の事業部だったら良いという訳の分からない理由でした。
 こちらだって、誰でもとは言ってないのです。会社にとって良いと思うから採用しようとしたのです。
 何故か、その頃から中途採用も止めるようになっていました。そして、人員が不足しても中途採用をしないということでお客さんに迷惑をかけるようになっても新卒採用まで補充しなくなったのです。
 その為に、現場のサービスが低下してお客様が大分離れて行ったのも事実です。それでもかたくなに中途採用をしなかったのです。全く何を考えているのか分かりません。やっと最近になって、再び採用できるようになったようです。現場を知らない人間が上に立って、机上の空論を言い出すと会社にとっては危機ですが、経営者は、何故それを分かろうとしないのでしょう。

そんな「生え抜き」に関連するものが、団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫にも触れられている。

転換期のサラリーマン社会

 ……略

 同質的平均的レベルの人材が、ときには企業のマイナスになるケースもある。だからチャレンジ精神の旺盛な企業は、こぞって中途採用やヘッドハンティングや企業買収により、有能な人材を得ようと奔走しはじめる……以下略

 このあたりの変化についていけず、いまだに昔ながらの管理職を良しとする会社はまず発展は出来ないだろう。それでも「リーダーや管理職にとってもっとも大切なことは、部下をいかに気持ちよく働かせてやるかということ」が出来ていればまだましではないだろうか。救いようのないのは、部下を恐怖政治で動かすことしか出来ない管理職である。地位だけで自分が偉くなったと勘違いして部下をいじめることで、管理しようとする。そんなことで部下がついてくるはずもない。いわゆる面従腹背というやつである。スーパー・スペシャリストどころか、プレーイングマネージャーにさえなれない力の無い管理職のいかに多いことか。

 第48話の「あなたの会社はいかが? 生え抜きの迷采配で一家心中寸前なんてことないでしょうな」の世界である。

200049日日曜日修正

1999924日金曜日  第50話  不公平人事

 第49話でも述べましたが、私が何故生え抜きにこだわっているか、それは、今の会社が積極的に中途の営業を採用しそれで業績を飛躍的に伸ばしていったのに、ある時期から中途採用を止め、新卒の採用だけに方向転換したことにある。そのうえその中途採用組を冷遇し、いじめ、やめさせる方向にもっていき出したのである。それを生え抜きの管理職が積極的にやり始めたからである。
 その頃からこの会社のモラルはどんどん低下していった様に私には思われる。会社の意思か、一部のバカな生え抜きの考えかは良く分からないがそれが行われたことは確かである。
 そして今又、その生え抜きを重要視した人事を行った。それも、3、40代を中心として、それ以上の年代は棚上げである。

 それゆえ「あなたの会社はいかが? 生え抜きの迷采配で一家心中寸前なんてことないでしょうな」、に異常に反応するのである。

 この当たりについての一つの考えが「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫」の「年功序列は積極的に崩す必要がある。」にある。

 

 …略
  社員がやる気を失うのは、彼らが会社の存在価値を認めなくなったときである。あるいは不公平な人事をやったときに、社内の和と秩序が崩れる。……以下略

 この「社員がやる気を失うのは、彼らが会社の存在価値を認めなくなったときである。あるいは不公平な人事をやったときに、社内の和と秩序が崩れる。」が分かっているのかいないのか、たんに生え抜きであるというだけの理由で会社を伸ばすか衰退させるかの分かれ道であるそんな大事な人事を深く考えずにやってしまっている。
若い人を抜擢するのは何も悪くは無い。しかしそこにはそれに応えられるだけの人材を配置しなければならない。単なる好き嫌いと、生え抜きであるだけで力の無いものを登用したのでは、
社内の和と秩序が崩れるだけである。
 会社が伸びるかどうかの分かれ目は人事次第。それほど大きな意味を持っていると思うがどうでしょう。

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1999925日土曜日  第51話  中途採用

 第49話第50話でも取り上げましたが、中途採用の効用はなんでしょうか?他の会社を経験してきていることによるり彼我の良し悪しが分かるということもありますが、日本では辛抱が足らないとして欠点とされる事も、其れだけ向上心も持っていると言うことではないでしょうか。
 辛抱にも、色々有って、忍耐強いという反面、鈍いという面もあると思います。会社に何の疑問も持たないといる事は考える力が無いとも言えます。そんな人が創造的な仕事が出来るでしょうか?
 大体、会社に不満を抱く人間は会社の言うことを鵜呑みにするので無く、現状に対して常に疑いを持って見ているということであり、それは創造力も持っているということなのではないでしようか。会社に反発するというのはパワーもいります。
 そして、忍耐強く我慢をすることが良いというのは元々、封建時代の政治と同じで、企業に都合の良いように従業員使う為の教育ではないでしょうか?
 従業員が、会社の都合の良いように動くというのは経営者にとってこれほど楽なことは無いでしょう。努力をせずに自分の理論だけを従業員に押し付けていれば良いのですから。
 もし辞めてもそれ以上良い会社に入ることが難しいという社会構造と相俟って、従業員を身動きしづらくさせる経営者側の陰謀かもしれません。
 何時までも、会社に都合の良い人間が優秀であるなんて考えで会社を運営していると、上からの命令だけを聞くだけの人材ばかりになって、ジリ貧になるしかない会社になってしまいますよ。

 そんな考えを同じく『団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫」、いまもとめられているリーダーとは』にズバリと現しています。

  また、これからの経営者に求められる第三の要素としては、外様の社員や異質の人材を大切にするということである。……以下略

 このように時代は中途採用等による新しい血をもとめているのに、逆に締め出そう、追い出そうとしているのが、何度も言いますが、私が勤めている会社なのです。
 「異質の社員や外様を、自分達とは、違うといって、はじき飛ばそうという空気」があるだけでなく実際にそれが行われたのである。
 特に、中年以上の中途採用者や自分の意のままにならない者を転勤させてすぐに実績があがらないようにして、いじめて降格させたり営業から現場に配置転換させるなどしてやめる様に仕向けたのである。
 こうして一時はこの会社の発展に尽くした人材がやめていったり、配置転換させられたまま飼い殺しにされている。そんな人事を見て、心ある若い人はこの会社のやり口に失望して、やる気をなくしている。
 それでもこりずにというか分かっていないのだろうが、そういう生え抜き重点の人事を又やっている。経営者は分かっているのかいないのか何の手を打とうともしない。

きっと会社をつぶす気なのだろう。

2000410日月曜日修正

1999926日日曜日  第52話  組織の腐敗

 会社の費用で、飲み放題、食い放題。夜は夜で、社内接待。そこで人事が決まってしまったりする。接待伝票はお客さんの名前を勝手に使う。実際の接待なんか10回にに一回有れば良い方である。
 こんなムチャクチャの会社は、私が勤めている会社だけかと思ったら、どうも程度の差こそ有れ当たり前なんですかね。
 何処かのコラムで読んだ事がありますが、サラリーマンは出世すればするほどストレスがたまるというのは全くのウソ。上に行けば、行くほどストレスはなくなるというのがありました。業種によって違いは有りそうですが、全く、そのとおりだと思います。
 手柄は自分のもの、失敗は部下のもの、生活費は会社持ちじゃストレスなんか有るはずは無い。

 モロにこのことを『「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫」、かならず上から腐敗する日本の組織』が取り上げています。

 

 組織というのは、かならず上から腐敗する。下から腐敗することはまずない。

 これを読んで、常日頃私が主張している事の根源を見たようである。やっと私のモヤモヤがどこから来ているのか分かった様な気がする。
 余りにも腐ってしまった管理職。汗水たらして頑張っている、現場の人達。これで何時までも現場のモラルが保たれるわけは無い。会社全体に重苦しい雰囲気が漂い出す。そろそろ終末が近いと言う感じである。
 もう遅いかもしれないが、何とか気が付いて
管理職の能力の再チェックをしてほしいものである。そして何としても今の現状から抜け出して欲しい。尤もそこまでの危機感を持っていないのが実情であると思われる。

2000410日月曜日修正

1999927日月曜日  第53話  人事

 人事とは一体何なんでしょうか?サラリーマンは何が目的だろう?
生きがいの有る仕事をする?生活費を稼ぐ?マズローの法則の自己実現か?色々有るだろうが、少しでも給料を沢山貰いたいのが本音ではないでしょうか。
 それであるならば、出来るだけ人事評価を良くして、一つでも上の地位についた方が勝ちである。ところがこの人事評価というのが、何ともいい加減である。今だかって、従業員すべてが満足する人事制度というものが出来たことは無いでしょう。それどころか、50%にも満たないのが現実でしょう。確かに100%はどんなに頑張っても無理でしょうが。出来るだけ、多くの人を納得させる評価をすることが理想でしょう。
 ところが、この様にサラリーマンの大抵が納得する人事を行うことが、会社を発展させる一番の方法であるはずなのに、これほどいい加減に扱われている人事がまかり通るのでしょう。余りにも、人事の大事さを生かしていないのです。
 本来の業務以上に人事に力を注ぐことによって本業の方が自然に伸びてくると思いますがどうでしょう。それくらい人の力を発揮させる力があるのが人事であると思います。
 それほど大事な部署が好き嫌いでしか人を評価できない人間によって抑えられていたらその会社はどうなるでしょう。

 同じく『「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫 会社VS.サラリーマン 苦悩するサラリーマン』にそんなところがありました。

 ……略
 人事は、ヒト事ということがよくいわれる。いくら公平な人事制度をとるといっても、ヒト事である以上、どうしたって上も下も人間関係の不条理さを我慢する部分がでてくる。…以下略

 これまでの所謂右肩上がりの時代には、お神輿経営でも何とかごまかせたが、今の様に、油断をしているとすぐに他社に取って代わられるサバイバルの時代に何時までも過去と同じ発想の人事をやっていては生き残れるはずが無い。
 こんな時こそ、独裁にも思えるくらいの強いリーダーシップが必要とされるのである。いい例が今の日本の政治ではないだろうか。今ほど強力なリーダーが必要なときに、国民は最もリーダーシップの無い首相を選んでいる。先になってこの付けは大きく国民にかえってくるだろう。会社はもっと悲惨ではないだろうか。
 トップが人事を放りっぱなしにしていては、倒産か吸収合併ぐらいしかないはずである。

2000410日月曜日修正

1999929日水曜日  第54話  人材殺し

 嫉妬といえば女性の専売特許のように言われますが、どうやら男の方がきついようです。今まさに、この代表的な出来事が政界で起こっている。自民党の影の総理といわれている野中官房長官の辞任である。
 野中官房長官の余りの突出に派閥の中から
嫉妬による反発があり、それで官房長官が「党の為に俺が一生懸命やっているの、何だ」といやになって辞めるということである。本当か嘘か分からないがありそうな話である。
 べつに野中官房長官が好きでも嫌いでもないがこんなことを聞くと、「つくづく日本人は情けないなぁ」と思わざるを得ない。もっとおおらかな国にならないものだろうか。

 そんな嫉妬に繋がるものを『「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫」 会社VS.サラリーマン 苦悩するサラリーマン 相互規制の強すぎる「ムラ社会」』が、取り上げています。

  減点主義人事のこわいところは、みんながよってたかって人材殺しをやるところにある。

 ここに、私が今まで述べてきたことの原因が集約されているように思います。個人が突出することを嫌う「相互監視システムの強固な視線社会」。皆と同じ事をやっていれば安心という情けない状態である。こんなことをやっていれば日本は世界からとりのこされるだけである。
 今こそ一致団結して、この閉塞した日本から抜け出さなければならないのに、リーダとなるべき人の足を引っ張ってる場合じゃないと思うのですが…。
 そう言う体質のある組織というのは、兎に角、人の噂が好きである。何か目立ったことをすると、裏で、あること無いことの噂が乱れ飛ぶのである。他に、することがあるだろうと思うのですが、もっぱらそれにかかっています。恐ろしいのは何時の間にかそれが本当のように一人歩きするのです。
 「まあ!良くそこまで考えられるな」と思うくらい人のやったことに裏があると考えるのです。だから、会社にとって、よけれと思ってやったことが何時の間にか悪いことになっているのです。人の足を引っ張る為ならどんな噂でも流します。
 私なんか、ある人から聞きましたが、業者から幾らか貰ってるんじゃないかといわれているらしいです。

怖い組織ですよ!

2000411日火曜日修正

1999930日木曜日  第55話  恐怖政治

 第50話で、途中入社で営業として採用された中年の頑張りで発展した私の勤める会社が、その人達を虐めて辞めさせるということに触れました。
 本当だろうかと思う人もあると思いますので、少し詳しく書いてみましょう。
 私の属していた事業部に若手の出世頭の事業部長が赴任してきました。彼は、一番若くして事業部長になって今度が2箇所目の事業部です。専務に取り入って出世したサラリーマンの鏡のような男です。其の辺の詳しいことは今回は触れません。
 さて、彼は、当然の如く自分より年上はまず嫌いです。そして自分になつかない者は、もっと嫌いです。ですから彼の周りには、自分と同じような、仕事はしないが口(ゴマすり)だけは達者なのが集まっています。典型的なサラリーマンの鏡です。
 さて、彼が、自分の気に入らない人間を辞めさせるやり口を紹介しましょう。ターゲットは、基本的には、中途採用の中年の営業マンです。まず、彼を単身赴任させます。それも、市場が小さくて営業成績の上がりにくい前任者も成績が上がらなかった所を選びます。
 次に、営業会議で営業マン全員を集めた席で、彼を徹底的につつきます。まだ、転勤して日にちも経っていないのを承知の上のことです。彼が、頭に来て「辞めます」というのを待っているのです。
 意に反して、彼が辛抱し、成績もそれなりに上がってくると、またしても転勤です。流石の彼も、成績が上がりませんでした。そうすると今度は、営業から若い人でないと体力的につらい現業に異動させたのです。そこで、自分の子飼いの所長に徹底的に虐めるように指示したのです。遂に、彼もここで諦めました。とうとう辞表を出して辞めました。
 大体これに近い方法で中年営業マンを何人か辞めさせました。それでも辛抱した人は、現業のまま定年を迎えたました。こんなことが平然と行われる会社なのです。それを経営者が気がついているのかいないのか、何にもしないのです。
 心有る、若手の営業マンもいずれ我々もああ言う目に合うのだと白けています。かく言う私も、当然なつきませんので、営業本部へ飛ばされたのです。
 こんなことがまかり通っているのです。 

 そんな管理職について、『「団塊サラリーマンの生き方」 いまもとめられているリーダーとは恐怖感を与えるリーダーは二流』にありました。

 ……略

  部下に恐怖を与えて、そのエネルギーだけで会社を伸ばしていくリーダーは、二流のそれだといえよう。……以下略

 これこそ日頃から私が持っている恐怖政治への嫌悪をみごとに言い表してくれている。経営者どころか中間管理職がここに述べられているような事をやっているのだから、「何をか言わんや」である。経営者でさえやってはいけない事を現場でやれば、それこそイエスマンしか集まらず、まともな仕事が出来るはずも無い。
 「
部下に対する負い目」は非常に大切であると思う。自分が全て正しいなんてことはあるはずも無く、常に、反省の心をもって部下に接していれば決して恐怖政治などできすはずもない。管理職とはたまたまその立場に立っただけであり、その役割をまっとうするためには、部下の協力無くしては出来ないはずである。そう思えば部下をいじめるなんて事ができるはずかない。
 さも自分が偉くなったように勘違いするからそんな事が出来るのだろう。部下といえども個人、個人は管理職より優れたところを持っているはずである。そう思えばこそやって頂く位の気持ちも持てるはずである。仕事の醍醐味は自分より優秀な人を使って、大きな仕事をする事に在ると思うがどうであろう。

2000411日火曜日修正

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