団塊の世代の部屋
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1999年9月1日水曜日 第29話 西郷南州 |
「 直言」についてだが、上に立つ人間は大変ですね。何故かというと、言うほうも大変だが、それを受け止め、尚且つ見抜く力を必要とするのですから。まず殆どの人間にはできないことではないでしょうか、それだからこそ古今東西、下のものの恨みが無くならないのではないか。もしそれが出来る経営者がいたならその会社はきっと発展しているだろう。一代のみならず、二代、三代とそうした能力を持った経営者が続かなければならない。会社の寿命三十年と言うのがあるが、この、あたりにも一方の原因があるのではないだろうか。三代どころか一代でも創業時と晩年で人が変わったようになる創業者と言うのも良く聞く話である。豊臣秀吉はその典型である。 創業者でさえそうなのだから、サラリーマン経営者にそれを求めるのは元々無理な注文なのかもしれない。直言する人間を側に置くということは、それ程に難しいことなのだろう。それだけに、それが出来る、素晴らしいTOPを持ちたいものですね。 それだけの力量を持ち尚且つ、人を活かす組織というものを創って行かなければならないのであるから経営者は大変である。その組織を作る上での面白い説がある。 城山三郎と伊藤 肇(評論家)の対談にありました。 ・・・・・略
「西郷南洲遺訓の中の言葉」であるこれは、確か徳川家康が取った方法である。親藩、譜代には大きな石高を与えず、その代わり老中のように幕府の役職を与えた。そして、外様には石高は大きくても幕府の中枢には関与させなかった。なかなか考えさせられる方法である。地位と名誉に金まで持つと人間は変わるらしい。地位と金とどちらかを選べというのは面白い。それでなくても勘違いする人が多い中、どちらか一方だけで十分ではないだろうか。両方に値する人なんて殆どいないだろう。尤も、どちらももらえない方が大半だが。 徳川幕府が三百年にわたって続いた一つの理由もそのあたりにあるのかもしれない。 力も無いのに、たまたま、地位と金を得たものが自分の力を勘違いをして結局は組織をダメにしてしまい挙句の果て潰してしまうのである。所詮、人間なんてその程度の者なのかもしれない。それがわかっている人が本当の経営者といえるのではないでしょうか。殆どいないでしょうが。 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月2日木曜日 第30話 直言 |
直言について興味のあるTV放送をみた。8月31日PM10時からNHK教育で放送されたものである。メールマガジンが題材だったので、久し振りに遅くまで起きて見てしまった。皆さんもパソコンをやられる方ばかりなので興味を持って見られたかもしれませんね。少しは噂も聞いていたのでHPとは別にどんなものか見たくなったのです。NETの一つのジャンルで個人が世界に発信できるメール版の雑誌です。HPと違うのは、一通のメールを契約した購読者全員に一斉に配信するのである。それもやはり無料で。だから自分で雑誌を発行するようなものである。多い人は数万人から少ない人で数人と人気によって選ばれるのは、HPと一所である。 どこが直言かというと、この中で紹介されていた、メールマガジン発行者である二人の女性のことばである。一人は28歳の人。子供のときいじめにあったり、青春期に自殺未遂をおこしたこともあるそうである。哲学をテーマにしたメールマガジンを発行している。その人は、自分のメールに対する批判のメールを始めてもらったときは正直落ち込んだそうである。「どうしてこんなことを言われなければならないんだろう?」しかし、その後、「批判してくれる人は、自分のメールを真剣に読んでくれているんだ」と考えられるようになって、「ありがたい」と感謝してるというものである。 もう一人の人は30歳ぐらいの大阪の看護婦さんだった。作家志望で腕試しでメールマガジンを発行している。この人は、前の人とちがって、皆が誉めてくれる、賞賛ばかりだったそうである。そこで彼女は、「果たしてこれで良いのだろうが?皆が誉めてくれる、私はすごいのだろうか?」と天狗になりかねないところを、反省したとのことである。 この二人の心の動きをみていると直言の大事さが良く分かるような気がする。彼女達は、その危機に気がついたが、分からないのが大半の人間ではないだろうか。つくづくこの頃の女性は強いと思います。男だったらながされてしまうと思う。そう言うバカな男達が今の世の中をダメにしているのではないか。一度女性をトップに持ってきたほうが良いのじゃないか日本の政治にしろ会社にしろ。またまた極論かな。でも面白いと思いませんか? |
1999 年9月3日金曜日 第31話 東邦生命 |
人事と言うのは難しいものなんでしょうね。私みたいに、文句ばかり言って発散させている方が気楽で良いのかもしれませんね。およそ、人事が上手く行っている会社 .なんて聞いたことが無いですものね。それだけ人事の難しさもあるが、真剣に取り組んでいない会社が多いのではないでしょうか。本当に人事が大切であるのならいい加減な取り組みはしないだろうし、して欲しくない。 しかしながら、現実は製造、営業といった会社の本流には力を注ぐが、人事は適当にの会社が多いのではないでしょうか。 そうでなく、人事に、最高のスタッフを置いて、100%とは言わないが、80%の従業員を満足させるシステムを作れば、逆に何の業種に参入してもその会社は業界の中で、トップを目指せるのではないでしょうか。極端かもしれないですが、そのくらい人事は大事だと思います。幾ら力を入れてもいれすぎることは無いと思います。 その人事の最悪のケースがあります。 .第26話で取り上げた、東邦生命ものの続き。又、佐藤 守さんの手記から 東邦生命のOBが告発手記 「財界」 1999 9月14日号より (2)無能力主義 ・・・・・略 能力主義を標榜しているものの実態は程遠く、一般を納得させるような信賞必罰も行われず、適当な人事が繰り返されて、それがまた社内のシラケに拍車をかけているように私には見えます。・・・・・以下略 こうなると、もう会社はもうダメでしょう。一番悪いパターンですね。ところが往々にしてこういうところが多いのです。そのくせ業績の悪いのを従業員のせいにするのです。白けた人間は力を発揮することは無いですよ。 この東邦生命の状態は、常日頃、私が、勤めている会社で主張していることと全く同じである。能力主義を唱える所で本当に成功している所がどれだけあるのでしょうか?元々、能力主義と関係無く人事を行ってきた所に、能力を判定できる力があるとは思えない。 2000 年4月6日木曜日修正 |
1999 年9月4日土曜日 第32話 東邦生命 |
どこかの会社では、奥さんのホテルに花束を届けたとか、社長の誕生日にケーキを送ったとか、それも会社の経費で、なんて噂があるらしい。ああ嫌だ!!
そうですあの東邦生命なんです。面白いのでつきあってください。 どうです、このあたりは、笑ってるしかしょうがないですね。こんなにそっくりなことがあるとは。どこの会社でもこんなことがまかり通っているのでしょうか? 何処かで聞いた話だなぁ〜!! 2000 年4月6日木曜日修正 |
1999 年9月5日日曜日 第33話 経営責任 |
経営不信の責任は経営者がまず一番に取るべきではないだろうか?それを、自分の先見の明が無い為に経営不信になった事を棚に上げ、安易に人員整理に手をつけるということは、その時点で自分の無能さをさらけ出しているのである。 以前とりあげたトヨタの奥田会長の記事です。「財界」にのっています。そんな従業員の立場に立った言葉です。 「財界」 9月14日号(1999)より …略 偶然、以前に取り上げた美川氏のことに奥田氏がふれている。自分が感心した人が別のもう一人を認めてくれるのは嬉しいものである。 最近のリストラに名を借りた人員整理に警鐘を鳴らした奥田会長が、もう1歩踏みこんで述べている。自分達の経営責任を従業員の整理で誤魔化そうとしている経営者が多い中でこの発言は嬉しい。 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月6日月曜日 第34話 雇用確保 |
丁度バブルの頃ですが、私の勤める会社に新卒の応募の殆ど無いときがありました。あの3 K(きつい、汚い、危険)といわれて騒がれた時です。人事募集の担当者が苦労していたので、恩師が校長をしていた高校を紹介したりしました。学校も強気の時です。名前も知らないような会社に生徒を紹介するわけはありません。有名な会社がいっぱいあるのですから、中小企業にとっては大変な時でした。「これは大変な事になるな」と心配して何か手を打つ必要があると思っていました。仕事があっても、人手が無くてはこれ以上発展することは出来ません。コマーシャルを打つことも必要だと提案したこともありましたが、聞く耳もたずでした。 そうこうするうち、バブルが弾け人も来るようになったので「喉もと過ぎれば熱さをわすれる」で危機感が無くなっていますが、こういうときこそ将来の為の手を打つべきではないでしょうか。なんといっても、少子化の問題から、日本は労働力不足になるのは目に見えているのですから。 前回の記事の中にそのことに関係することに奥田氏が触れています。 「いずれ資金市場と同様に、雇用の確保に苦労する時代がきます。」 その通りだと思います。私の体験からの持論と同じです。上記で触れたようにコマーシャルを打って会社の名前を世間に知ってもらうとかあらゆる努力をしていないといずれ誰も来てくれない会社になってしまうと思います。 マァいいか それまで会社がもたないだろうし!またまた、過激になってスミマセン!! 今週は今日から出張しますので明日から暫く休みます。 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月9日木曜日 第35話 次郎長 |
清水次郎長の名前を知らない人はいないと思いますが、詳しくというと殆ど知らないと思います。私もちょっと聞きかじったぐらいで余り詳しくはないのですが、何かの本、多分、佐高 信さんの本あたりで読んだのだと思いますが印象に残っている言葉が有ります。何冊か探してみたのですが判りませんでした。思い出しながら書いてみます。 あるとき、幕末の有名人(はっきりしないが山岡鉄舟か、誰かだったと思います)が、次郎長にいった。 「おまえの為に死んでくれる子分は、何人いる」 次郎長 「あっしの為に死んでくれる子分はいません」 「・・・・・・・」 次郎長 「しかし、あっしは子分の為に死ねます」と言ったそうである。 これはを読んだときは、それこそ背筋が寒くなるという表現が当てはまる状態でした。すごいですね。こんなこと言える経営者がいますか。こんな管理職がいたら働かざるを得ないですね。少しでも近づけたらと思います。ちょっとカッコつけすぎですね。 山岡鉄舟→勝海舟の間違いでした。 |
1999 年9月10日金曜日 第36話 権力(人事) |
昨日、松江出張から帰って、今日、高知へ出張でした。出張があるとやはり更新はむりですね。ノートが欲しくなります。 第29話でも触れましたが、権力と名誉を持つと人間は変わるもののようです。私のように日頃から文句ばかり言ってる者は案外その立場に立つと一番最初に変わるのかもしれません。チョットそういう立場に立ってみたいものですが。どなたか試して見ませんか? 腐敗の塊のようなキャリア官僚の世界も、課長くらいまでは、天下国家を論じて国民の為にという人が多いそうです。ところがそれ以上になるとコロット変わるそうです。組織を守る方に回ってしまうのだそうです。人間なんて弱いものなんですね。 そんな中でも変わらない人もいるようです。有名な日本興業銀行の中山素平さんなんかがそうらしいです。悪と付き合っても悪に染まらない、強い信念があるそうです。 比べるのも可哀想な人がいます。 イトマン事件の主役の一人ですが、興味ある記事がありました。 読売新聞1999年 (平成11年)9月6日(月曜日)より …略 この前に、私は、下の言葉を公平に聞いてきたというようなことを言っているのである。言行不一致の見本である。日頃の素晴らしい言葉と追い詰められたときの言葉の差。この様に、公の場で日頃の行動と全く逆のことを平気で述べる人を何人か見てきたが、一体どんな神経をしているのか感心させられる。その本当の姿を知っている人間にとっては聞くに絶えない事であるが、また、それを見ぬけないでその言葉だけで信用する人がいるのである。そして、そんな人間を登用して会社を駄目にされても気がつかない。どちらもどちらである。次郎長さんと比べてなんと情けない事か。 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月11日土曜日 第37話 直言 |
昨日のイトマンの河村被告にしろ、最初は、一生懸命仕事をして立派だったといわれる人は意外と多い。ではどうして晩年にその名を汚辱にまみれさせるような事になるのだろう。 第15話で取り上げた、伊藤さんと鈴木さんの関係を続けるのは凡人には難しい。どうしたって楽な方へ流れる。 かなりの信念を持っていると思われる人でもチョットしたことから罠に落ちるのではないでしょうか?佐高信さんの本に考えさせられるところがありました。シェークスピアの言葉だそうである。 現代教養文庫 企業原論 --ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著より ……略
いや〜!この皮肉は強烈ですね。自分だけは、追従者を寄せ付けないと言いながら乗せられている。人間の本質をついている言葉かもしれないですね。余程、自分というものが解かっている人でもこの罠には落ちそうですね。常日頃、自分だけは追従には乗らないと自負している人にとっては恐ろしい罠かもしれない。私なんか一番に引っかかりそうです。恐ろしいですね。 怖い話です!! 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月12日日曜日 第38話 主張 |
この部屋で今まで私が主張してきたことは、人によれば「なに言ってんだ!自分で出来もしない正論ばかり言いやがって!!」と思われるのではないでしょうか。 こんな佐高信さんからの一発。本当は書きたくないんですが…。 佐高信の視線 佐高信著 読売新聞社より序章 日常への視線
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい
これはこたえますね。どうしても、自分の主張が正しいと思うと口調、筆調がきつくなりますね。特に私はその傾向が強く、よく相手を知らず知らず傷つけているようです。気を付けなければならないのですが、考える前に言葉が出てしまっています。 鬼平の様になりたいものですが、こればっかりは今更無理のような気がします。 マァいいか、少しでも近づける様に努力しましょう。ちなみに『鬼平犯科帳』は全部読みました。2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月13日月曜日 第39話 派閥 |
休みはこのところ草抜きに追われています。自宅は田舎なので少しばかりの庭があるのですが、雑草がすぐに生えます。一週間であっという間に伸びています。それが嫌で、芝生を植えているのですが、それを掻き分け雑草が生えてきます。いたちごっこのようです。その中でも芝生の天敵みたいなのが萱です。 これがはびこると、簡単には抜けません。葉が出てくるとその下では地下茎がガッチリと根を張っているのです。上だけを抜いてもその地下茎は抜けないので残って又芽を出します。ですからこれを根こそぎする為には、芝生ごと掘り起こして地下茎を取り除くしか方法がありません。今日はこの萱の撲滅に挑戦しました。炎天下半日仕事でしたがまだ少し残りました。次の帰省のときに残しておきます。 |
1999年9月14日火曜日 第40話 価格 |
日頃から疑問に思っていたことに販売価格があります。私の勤める会社が属している業界も、ご多分に漏れず値上げ問題があります。 現代教養文庫 企業原論 --ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 6.企業への直言より企業による商品値上げは、合法を装った一種の強盗行為である、とラルフ・ネーダーはいった。それは、街の暴力団や窃盗団による被害など、問題にならないほどの巨額に達する。……以下略 これは厳しい。しかし、こういう一面があることは確かだろう。極限まで努力して、価格を据え置くより、安易に値上げに走っているのは間違いない。確かに、自分達の商品を少しでも高く売りたいのは当然の気持ちだろう。だがその裏には企業努力が無ければならないと思う。 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月15日水曜日 第41話 企業の為の教育 |
真っ暗になって、ボールが見えなくなってやっと家路をたどる。三角ベースの野球を近所の空き地で、上級生も下級生も一緒になって、泥だらけになりながら夕方暗くなるまでやったのは何時頃までだろう。少なくとも小学校の時はズットやっていた。中学の時も覚えている。 日本経済新聞 1999年(平成11年)9月14日(火曜日)生き方探して「サラリーマン」 より ……略 個人の主張や冒険が小さいころから否定され、親子、世代が同じ価値観の下、集団で動く。このままでは、いずれ国際社会からドロップアウトしてしまうだろう。…以下略 (外資系企業勤務、37歳、男性) 夕方、成田からの車窓越しに見る公園や運動場には子供たちの姿がない。一方で夜八時を過ぎた電車の中には、塾帰りの子供が目立つ。自宅のあるシカゴ郊外の住宅地と何と違うことか。…以下略(在シカゴ、男性) 海外生活の経験者が語る言葉だけに、身にしみた思いが感じられる。子供の頃から企業に都合のいいように育てられる日本人。テストの点をとることだけが目的になってしまっている。そこには創造性のかけらも無い。人と違った人間は、はじきだされる。大人に都合の良い形にはめようとする。上からの命令に何の疑いも持たない素直な人間。ようするに企業に都合の良い人間を養成しているのである。 2000 年4月7日金曜日修正 |
1999 年9月16日木曜日 第42話 公共 |
公共ということに一番関心の内国民が日本人だと言うのは言い過ぎでしょうか?高速道路とか飛行場など公共工事の莫大な費用を見るたびに思うのですが、どうして日本人はごね得を狙って用地の買収価格を吊り上げようとするのでしょうか。 こんな日本人の公共性にも関係すると思うものがあります。 現代教養文庫 企業原論 --ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 企業への直言 から 自由競争のルール この「イヤだけれども、やむをえない」という態度をとるというのは日本では殆ど受け入れられないように思う。自分さえ、我社さえ良ければという風潮が余りにも強すぎる。これに反対すればそれこそ村八分、社内八分の目にあうだろう。こういう考えが日本の企業を余りにも強大にしてしまった一つの要因のような気がする。企業にばかり金と力が集中しそれが社会に還元されない。その為に社会資本の充実が進まず結局は個人が苦しむ。もっと公という考えが日本にあればゴネ得などというものもなくなり、たとえば高速道路などの建設も安く上がり、それが又個人に跳ね返ってくると思うのだが。良い例がドイツのゴミ回収のシステムだろう。企業、国民が一丸となってあのシステムを作り上げたのだろう。 2000 年4月8日土曜日修正 |
1999 年9月17日金曜日 第43話 きれいごと |
いつも気になっているのだが私のこの団塊の世代での発言は余りにも「きれいごと」として受け止められているのではないだろうか?実際私もその立場にたったら必ずしも言った通りに出来るとは限らないとはおもいますが、常に本音と建前の両方を使い分けるよりはマシだと思っています。 「きれいごと」についても「なるほど」というところが、現代教養文庫 企業原論 --ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 企業への直言にありました。企業の社会的責任 ……略 「きれいごと」とは、即ち「理想」ではないだろうか。理想を高く掲げることは確かに大変かもしれないが、始めから「理想」もなく低い目標しか目指さないより余ほどましではないだろうか。目指す高さが違うということは、それに到達する為の努力も違ってくる。だから到達する高さも自ずから変わってくるはずである。「きれいごと」も言えない人間にそれ以上の事が出来るわけが無い。 2000 年4月8日土曜日修正 |
1999年9月18日土曜日 第44話 組織(流動性) |
日本人は、一人ひとりを見ると、礼儀正しく、正義感もある世界的に見ても優秀な人であるといわれる。確かに、そうだろうと思います。 そんな疑問にも現代教養文庫 企業原論 --ビジネス・エリートの意識革命--佐高 信著 企業への直言 が触れています. 現代企業における抵抗の倫理 社長選挙制の提案 より 以前にもふれたが、日本企業の流動性のなさが人を会社に縛っている。辞めた後の再就職の難しさや、昇進の不利さが、転職を躊躇させる。それが企業の思う壺にはまっていることになる。封建時代のままの統治が行われているようなものである。 転職が当然であって何の不利にもならない時代がこなければいつまでも会社のおもうがままである。その為には個人が自覚をもって立ち上がるしかないのではないだろうか。一人でも多くの人が行動を起こせば会社も変わらざるを得なくなるだろう。 2000 年4月8日土曜日修正 |
1999 年9月19日日曜日 第45話 自殺 |
第5話や 第21話で取り上げましたように、リストラにより中高年の自殺が増えているそうである。衝撃的なのは、毎年伸びていた平均寿命のうち男のそれが下がったというのである。 マスコミではサラッと取り上げられていたが、サラッと取り上げるようの問題ではないはずである。何と言う恐ろしい話ではないか?果たしてこのニュ―スは世界に配信されたのだろうか? これで又、日本が世界に馬鹿にされる話題を与えたことになる。どうしてそこまで日本人は会社にしがみつくのだろう。 その一つに昨日も触れた、労働力の流動性の無さも大きな原因になっているのは間違いないだろう。企業に都合の言い教育とか、他人と違っている者を認めないとか色んな原因があるのだろう。 しかしながら、何故そこまで自分を追いこむのだろう。たかだか会社じゃないか笑って辞めてやろうじゃないですか。と言いながらも私も、生活があるので辞めたくても辞められないのが現実である。 戦後の日本を背負ってきた中高年をそんなに簡単に切り捨てても良いのか?余りにもおかしな社会である。こんなことをやっていてリストラなんて言っていても、若い人だって見ているはずである。「俺達もいずれああなるのじゃないだろうか?」と一旦思えば、もう気力はでないはずである。 会社を元気付ける為に行ったリストラがその会社のモラルをダウンさせるだけと言うことが分からない経営者の何と多いことか。 ここに、今まで 今までに書いてきたことや以前ふれた平均寿命が下がったこと等の集大成のような記事があった。 週刊東洋経済 1999年9月18日 風 自殺大国日本の歪みより。怖いのは数の多さだけでない。残された怨念の量である。大半の場合が「本当は死にたくなかった」というのが実情ではあるまいか。……以下略 (小鹿) 同じような考えの人もいると思うと心強い。しかしここにも触れている様に今の政治は本当に国民のことを考えているとは到底思えない。 2000 年4月8日土曜日修正 |
1999 年9月20日月曜日 第46話 経営者 |
同じ週刊東洋経済にもう一つ面白い記事があった。 経済人の言葉ウオッチ 石井信平 この国には「経営者」がいるのだろうか? 先の国会では、「国旗・国歌法案」「盗聴法」「住民台帳法案」のドサクサ紛れに「産業再製法」まで成立させた。 設備や債務や人の過剰を除き、経営資源の効率的活用を図る、などと趣旨説明されている。こんなことは経営者が自主的に裁量すべき「仕事」であって、何で法律や国がしゃしゃり出てくるのか? 宮沢喜一蔵相が8月22日、フジテレビの報道番組で言った。「1980年代後半は、日本の銀行はすべて世界の銀行だったが、その後のていたらくで世界の笑いものになりました」。その「ていたらく」に自分の金融財政政策の失敗を入れないところが、この人の厚顔無恥。 宮沢氏の言いたいことは次に続く。「しかし、ようやく、二つか三つくらいの銀行が世界の舞台で活躍できるところまで来ましたね」。要するに今回の三大銀行統合を「よかった」と言いたいのである。 国民の血税、二兆五〇〇〇億円でようやく支えられている銀行の経営者など、そのダメさ加減において、お縄を頂戴した拓銀、長銀、日債銀の幹部とどう違うのか?ここで注意すべきは「世界の笑いもの」とは何を指すのか、ということだ。銀行は大きければ笑われないのか?失敗しても経営者の自主責任が問われないで、破綻救済のために公的資金六十兆円があらかじめ用意されている「日本というシステム」が世界の笑いものなのではないか? 日本には今、大事なことをきめるための「政治」がない。闘わすべき「言論」がない。そして、今や決定的に欠如しているのが「経営」ではないか? 税金でバックアップされ、経営の基本方針は「産業再生法」が手引きしてくれる。日本の経営者はナメられている、またはラクでいいネと言うべきか。いっそ彼らは「公務員」になったらどうか。 全くその通りである。同じ週刊東洋経済にこんなコラムが同時に出るということはかなりの人が日本の現状を憂えているのではないだろうか。特に銀行経営者と政治家の日本の国を食い物にする様をここまで見せ付けられると、「とてもじゃないがこの国はもうダメ」としか思えない。当然つぶすべき銀行を税金で助け、そのツケを後世の日本に回す。何で、自分たちでバブルをあおり、あげくに失敗をした者の尻拭いに税金を使わなければならないのか。彼らに殺された人がどれだけいるだろう。その上、金利まで殆どゼロにしてしまってバックアップさせられている。欧米ならきっと暴動が起きているはずである。どうして日本の国民はここまでコケにされてだまっているのだろうか?やっぱり都合の良いように教育されてしまっているのだろう。どう考えてもこの国が良くなるとは思えない。 |
1999 年9月21日火曜日 第47話 不平不満 |
先週末、私の勤める会社で人事異動があった。いよいよ二代目社長が自分の体制を固めようと動き出したようだ。所謂、若返りである。やはり自分より年上は使いにくいのだろうか、50歳以上はこの会社ではいらないようである。現場の支店長クラスは40歳代が殆どになってしまった。いよいよ団塊の世代の正念場である。 二代目にバトンタッチした時に、先代のブレーンが遠ざけられるのは、世間では良く聞く話である。ブレーンまで行ってたらまだ諦める事が出きるが、そこまで行って無いのに年齢だけで、「ハイ、さようなら!」は寂しいですね。余りにも従業員に対して失礼ですね。 年齢が上だけで使いにくいと遠ざけるのでは所詮、其れだけの器である。折角の人材を活かせないのでは余りにも勿体無いのじゃないでしょうか。 と、こういう風にすぐに文句を言うのは良くないみたいですね! 今、丁度、団塊の世代にズバリの題名の本を探し出してきたところだったが、身につまされる内容である。耳に痛いところも沢山ある。面白いところを選んでみたい。まず最初に私にとって一番こたえるところから。 団塊サラリーマンの生き方 江坂 彰 人間としてのサラリーマンへ どなたか良いところ紹介してくださる方おられませんか? 本気モード 80%。2000 年4月9日日曜日修正 |
1999 年9月22日水曜日 第48話 生え抜き |
中途採用というのは日本の国ではまだまだ公認されていない。学校を卒業して最初に入った会社で定年まで勤めることが良しとされ、給与体系もそれに合わせて終身雇用型になっている。退職金なども定年まで勤めたものに有利なようになっている。 それが、一層労働力の流動化を妨げる。流動化を嫌うのは、戦後の発展時期に従業員を十分確保することが難しかったからだろう。取り敢えず、人数の確保が一番だったということだろう。 自分が、転職を繰り返したから言うのではないが、中途採用にはそれなりの利点があります。生え抜きというのは、学校卒業してからズット同じ会社しか経験していないのですから、当然、他の会社を知りません。という事は、自分の会社の良さも悪さもわからないということである。ですから何をどうやればより良くなるというのも分からないのです。 その点、中途採用の人は比べるものを持っていますから、本当の良さが分かります。ですからどうやればより良くなるかも分かるのです。悪い所をどうすれば良いかの経験も持っていますからおかしな経営をしているとすぐに見ぬきます。 ですから会社が改革する気が無ければ本当に必要な人材ほど会社を見限り定着しないかもしれません。 それなりに会社の方も緊張感が必要となるでしょう。だから、最近業績を伸ばしている企業に中途採用が多いというのも理由があるのです。 これからの企業は第34話で触れたように雇用の確保に苦労する時代がきます。その時に中途採用で良い人材を取れないような会社は生き残れなくなるでしょう。 先週に続いてコラム「風」がそれに関することを取り上げています。週刊東洋経済 1999年9月25日 「生え抜き」名監督たりえずより。 ……略 このコラム先週からするどい。今週のは、初めはごく普通の説だったが、最後に「 あなたの会社はいかが? 生え抜きの迷采配で一家心中寸前なんてことないでしょうな。」と締めくくっている。これには思わず噴出してしまって、「その通りです」と答えそうになりました。イヤー! 世の中にはするどい人がいるもんですね。「どこから聞いてきたんですか?」とたずねたくなりました。ということは、どこにでもあることなんですね。TOPの信頼を良いことに力も無い人間が、人事や、分かりもしない経営に口出し、会社をダメにしてしまう。 社員はたまったもんじゃないですね。何時も言いますが、経営者は耳にやさしい言葉に気をつけて欲しいものです。 あ! 又、言ってしまった。ヤッパリ、サラリーマン失格ですね。 マァいいか、 なるようになるさ。2000 年4月8日土曜日修正 |
1999 年9月23日木曜日 第49話 中途採用 |
丁度、私が所長になった時に、中途採用の一人が辞めることになった。彼を買っていたので協力してくれるよう説得したがダメだったことがありました。 それから何年かして、彼がもう一度一緒に働きたいという噂を聞いたので、それならもう一度採用しようとしたのですが、本社の人事が一度辞めた人間は同じと拠点では採用できないと言い出したのです。 一度辞めた人間が、もう一度働きたいというのは他の会社を経験して、前の方が良かったのが分かったと言う事なのですから、これほど有り難い事は無いと思うのですが、どうしても認めてもらえなかったことがありました。 なんてバカなことを言うのかと、事業部とも喧嘩しましたがダメでした。私にすれば、他所に修行に出したと思えば、タダで教育してくれたものを採用できるのですからこんなに得なことは無いと説得しましたが、他の事業部だったら良いという訳の分からない理由でした。 こちらだって、誰でもとは言ってないのです。会社にとって良いと思うから採用しようとしたのです。 何故か、その頃から中途採用も止めるようになっていました。そして、人員が不足しても中途採用をしないということでお客さんに迷惑をかけるようになっても新卒採用まで補充しなくなったのです。 その為に、現場のサービスが低下してお客様が大分離れて行ったのも事実です。それでもかたくなに中途採用をしなかったのです。全く何を考えているのか分かりません。やっと最近になって、再び採用できるようになったようです。現場を知らない人間が上に立って、机上の空論を言い出すと会社にとっては危機ですが、経営者は、何故それを分かろうとしないのでしょう。 そんな「生え抜き」に関連するものが、団塊サラリーマンの生き方江坂 彰 講談社文庫にも触れられている。転換期のサラリーマン社会 ……略 同質的平均的レベルの人材が、ときには企業のマイナスになるケースもある。だからチャレンジ精神の旺盛な企業は、こぞって中途採用やヘッドハンティングや企業買収により、有能な人材を得ようと奔走しはじめる……以下略 このあたりの変化についていけず、いまだに昔ながらの管理職を良しとする会社はまず発展は出来ないだろう。それでも「リーダーや管理職にとってもっとも大切なことは、部下をいかに気持ちよく働かせてやるかということ」が出来ていればまだましではないだろうか。救いようのないのは、部下を恐怖政治で動かすことしか出来ない管理職である。地位だけで自分が偉くなったと勘違いして部下をいじめることで、管理しようとする。そんなことで部下がついてくるはずもない。いわゆる面従腹背というやつである。スーパー・スペシャリストどころか、プレーイングマネージャーにさえなれない力の無い管理職のいかに多いことか。 第48話の「あなたの会社はいかが? 生え抜きの迷采配で一家心中寸前なんてことないでしょうな」の世界である。 2000 年4月9日日曜日修正 |
1999 年9月24日金曜日 第50話 不公平人事 |
第49話でも述べましたが、私が何故生え抜きにこだわっているか、それは、今の会社が積極的に中途の営業を採用しそれで業績を飛躍的に伸ばしていったのに、ある時期から中途採用を止め、新卒の採用だけに方向転換したことにある。そのうえその中途採用組を冷遇し、いじめ、やめさせる方向にもっていき出したのである。それを生え抜きの管理職が積極的にやり始めたからである。 その頃からこの会社のモラルはどんどん低下していった様に私には思われる。会社の意思か、一部のバカな生え抜きの考えかは良く分からないがそれが行われたことは確かである。 そして今又、その生え抜きを重要視した人事を行った。それも、3、40代を中心として、それ以上の年代は棚上げである。 それゆえ「 あなたの会社はいかが? 生え抜きの迷采配で一家心中寸前なんてことないでしょうな」、に異常に反応するのである。この当たりについての一つの考えが「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰 講談社文庫」の「年功序列は積極的に崩す必要がある。」にある。
…略 この「 社員がやる気を失うのは、彼らが会社の存在価値を認めなくなったときである。あるいは不公平な人事をやったときに、社内の和と秩序が崩れる。」が分かっているのかいないのか、たんに生え抜きであるというだけの理由で会社を伸ばすか衰退させるかの分かれ道であるそんな大事な人事を深く考えずにやってしまっている。若い人を抜擢するのは何も悪くは無い。しかしそこにはそれに応えられるだけの人材を配置しなければならない。単なる好き嫌いと、生え抜きであるだけで力の無いものを登用したのでは、社内の和と秩序が崩れるだけである。 会社が伸びるかどうかの分かれ目は人事次第。それほど大きな意味を持っていると思うがどうでしょう。 2000 年4月9日日曜日修正 |
1999 年9月25日土曜日 第51話 中途採用 |
第49話、第50話でも取り上げましたが、中途採用の効用はなんでしょうか?他の会社を経験してきていることによるり彼我の良し悪しが分かるということもありますが、日本では辛抱が足らないとして欠点とされる事も、其れだけ向上心も持っていると言うことではないでしょうか。 辛抱にも、色々有って、忍耐強いという反面、鈍いという面もあると思います。会社に何の疑問も持たないといる事は考える力が無いとも言えます。そんな人が創造的な仕事が出来るでしょうか? 大体、会社に不満を抱く人間は会社の言うことを鵜呑みにするので無く、現状に対して常に疑いを持って見ているということであり、それは創造力も持っているということなのではないでしようか。会社に反発するというのはパワーもいります。 そして、忍耐強く我慢をすることが良いというのは元々、封建時代の政治と同じで、企業に都合の良いように従業員使う為の教育ではないでしょうか? 従業員が、会社の都合の良いように動くというのは経営者にとってこれほど楽なことは無いでしょう。努力をせずに自分の理論だけを従業員に押し付けていれば良いのですから。 もし辞めてもそれ以上良い会社に入ることが難しいという社会構造と相俟って、従業員を身動きしづらくさせる経営者側の陰謀かもしれません。 何時までも、会社に都合の良い人間が優秀であるなんて考えで会社を運営していると、上からの命令だけを聞くだけの人材ばかりになって、ジリ貧になるしかない会社になってしまいますよ。 そんな考えを同じく『 「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰講談社文庫」、いまもとめられているリーダーとは』にズバリと現しています。 また、これからの経営者に求められる第三の要素としては、外様の社員や異質の人材を大切にするということである。……以下略 このように時代は中途採用等による新しい血をもとめているのに、逆に締め出そう、追い出そうとしているのが、何度も言いますが、私が勤めている会社なのです。 きっと会社をつぶす気なのだろう。 2000 年4月10日月曜日修正 |
1999 年9月26日日曜日 第52話 組織の腐敗 |
会社の費用で、飲み放題、食い放題。夜は夜で、社内接待。そこで人事が決まってしまったりする。接待伝票はお客さんの名前を勝手に使う。実際の接待なんか10回にに一回有れば良い方である。 モロにこのことを『「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰 講談社文庫」、かならず上から腐敗する日本の組織』が取り上げています。
組織というのは、かならず上から腐敗する。下から腐敗することはまずない。 これを読んで、常日頃私が主張している事の根源を見たようである。やっと私のモヤモヤがどこから来ているのか分かった様な気がする。 2000 年4月10日月曜日修正 |
1999 年9月27日月曜日 第53話 人事 |
人事とは一体何なんでしょうか?サラリーマンは何が目的だろう? 同じく『「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰 講談社文庫」 会社VS.サラリーマン 苦悩するサラリーマン』にそんなところがありました。 ……略 これまでの所謂右肩上がりの時代には、お神輿経営でも何とかごまかせたが、今の様に、油断をしているとすぐに他社に取って代わられるサバイバルの時代に何時までも過去と同じ発想の人事をやっていては生き残れるはずが無い。 2000 年4月10日月曜日修正 |
1999 年9月29日水曜日 第54話 人材殺し |
嫉妬といえば女性の専売特許のように言われますが、どうやら男の方がきついようです。今まさに、この代表的な出来事が政界で起こっている。自民党の影の総理といわれている野中官房長官の辞任である。 べつに野中官房長官が好きでも嫌いでもないがこんなことを聞くと、「つくづく日本人は情けないなぁ」と思わざるを得ない。もっとおおらかな国にならないものだろうか。 そんな嫉妬に繋がるものを『「団塊サラリーマンの生き方江坂 彰 講談社文庫」 会社VS.サラリーマン 苦悩するサラリーマン 相互規制の強すぎる「ムラ社会」』が、取り上げています。 減点主義人事のこわいところは、みんながよってたかって人材殺しをやるところにある。 ここに、私が今まで述べてきたことの原因が集約されているように思います。個人が突出することを嫌う「 相互監視システムの強固な視線社会」。皆と同じ事をやっていれば安心という情けない状態である。こんなことをやっていれば日本は世界からとりのこされるだけである。今こそ一致団結して、この閉塞した日本から抜け出さなければならないのに、リーダとなるべき人の足を引っ張ってる場合じゃないと思うのですが…。 そう言う体質のある組織というのは、兎に角、人の噂が好きである。何か目立ったことをすると、裏で、あること無いことの噂が乱れ飛ぶのである。他に、することがあるだろうと思うのですが、もっぱらそれにかかっています。恐ろしいのは何時の間にかそれが本当のように一人歩きするのです。 「まあ!良くそこまで考えられるな」と思うくらい人のやったことに裏があると考えるのです。だから、会社にとって、よけれと思ってやったことが何時の間にか悪いことになっているのです。人の足を引っ張る為ならどんな噂でも流します。 私なんか、ある人から聞きましたが、業者から幾らか貰ってるんじゃないかといわれているらしいです。 怖い組織ですよ! 2000 年4月11日火曜日修正 |
1999年9月30日木曜日 第55話 恐怖政治 |
第50話で、途中入社で営業として採用された中年の頑張りで発展した私の勤める会社が、その人達を虐めて辞めさせるということに触れました。 本当だろうかと思う人もあると思いますので、少し詳しく書いてみましょう。 私の属していた事業部に若手の出世頭の事業部長が赴任してきました。彼は、一番若くして事業部長になって今度が2箇所目の事業部です。専務に取り入って出世したサラリーマンの鏡のような男です。其の辺の詳しいことは今回は触れません。 さて、彼は、当然の如く自分より年上はまず嫌いです。そして自分になつかない者は、もっと嫌いです。ですから彼の周りには、自分と同じような、仕事はしないが口(ゴマすり)だけは達者なのが集まっています。典型的なサラリーマンの鏡です。 さて、彼が、自分の気に入らない人間を辞めさせるやり口を紹介しましょう。ターゲットは、基本的には、中途採用の中年の営業マンです。まず、彼を単身赴任させます。それも、市場が小さくて営業成績の上がりにくい前任者も成績が上がらなかった所を選びます。 次に、営業会議で営業マン全員を集めた席で、彼を徹底的につつきます。まだ、転勤して日にちも経っていないのを承知の上のことです。彼が、頭に来て「辞めます」というのを待っているのです。 意に反して、彼が辛抱し、成績もそれなりに上がってくると、またしても転勤です。流石の彼も、成績が上がりませんでした。そうすると今度は、営業から若い人でないと体力的につらい現業に異動させたのです。そこで、自分の子飼いの所長に徹底的に虐めるように指示したのです。遂に、彼もここで諦めました。とうとう辞表を出して辞めました。 大体これに近い方法で中年営業マンを何人か辞めさせました。それでも辛抱した人は、現業のまま定年を迎えたました。こんなことが平然と行われる会社なのです。それを経営者が気がついているのかいないのか、何にもしないのです。 心有る、若手の営業マンもいずれ我々もああ言う目に合うのだと白けています。かく言う私も、当然なつきませんので、営業本部へ飛ばされたのです。 こんなことがまかり通っているのです。 そんな管理職について、『「団塊サラリーマンの生き方」 いまもとめられているリーダーとは恐怖感を与えるリーダーは二流』にありました。 ……略 部下に恐怖を与えて、そのエネルギーだけで会社を伸ばしていくリーダーは、二流のそれだといえよう。……以下略 これこそ日頃から私が持っている恐怖政治への嫌悪をみごとに言い表してくれている。経営者どころか中間管理職がここに述べられているような事をやっているのだから、「何をか言わんや」である。経営者でさえやってはいけない事を現場でやれば、それこそイエスマンしか集まらず、まともな仕事が出来るはずも無い。 さも自分が偉くなったように勘違いするからそんな事が出来るのだろう。部下といえども個人、個人は管理職より優れたところを持っているはずである。そう思えばこそやって頂く位の気持ちも持てるはずである。仕事の醍醐味は自分より優秀な人を使って、大きな仕事をする事に在ると思うがどうであろう。 2000 年4月11日火曜日修正 |