団塊の世代の部屋
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1999 年12月1日水曜日 第99話 商工ローン |
いよいよ、今日から師走ですね。何とか11月も更新することができました。何時まで続くかやれるとこまでやってみようとここまで来ました。なんと、99話まで来ました。「誰か読んでくれる人いるのかなぁ…? マァいいか自分の気持ちだけでも書いてみよう!」とここまで来れたのも「読んでるよ!」と掲示板に書いてくれたりした皆さんの応援のお陰げと、一重に私の努力のたまものです。^_^; 冗談はここまでにして、日産の社長なんか可愛いもので、もっともっとひどい奴らのことを書きたい。
……略 どうですか、アレほどバブルで散々悪いことして、そのつけを国民の税金で払わせた奴らが、凝りもせず、同じことをやっているのです。日産の社長が居座るより何倍も悪い奴らがそのまま居直って、 自らリスクを取らず、商工ローン業者に資金をながす。何でこんなことが許されるのだろうか。本当に日本人は人が良すぎるというか、大ばか者である。商工ローンの社長一人をスケープゴートにして、裏の悪い奴らは高いびき。何で暴動が起きないのか?情けない!!どうせ政治家や官僚に金が回っているんだろう。 2000 年4月15日土曜日修正 |
1999 年12月2日木曜日 第100話 警察 |
何とか、100話に到達しました。たった100話ですけれど、「一体どうなるんだろう、マァいいかやって見よう」で始めて、ここまで来ました。自分では、結構満足しています。自分勝手なことばかり書いているのに、付き合ってくださった方にはお礼を言いたいと思います。書くことが無くなって、「どうしょう」とあせったときもありました。次は200話を目指して、ゆっくりやって行きたいと思いますので宜しければ付き合ってやってください。感想とか意見があれば、掲示板に書いてやってください。よろしくお願いします。 今、神奈川県警や佐賀県警等全国の警察で不祥事がおきている。先日は、 天声人語でも取り上げていましたね。何故こんなに不祥事が次から次へと起こるのでしょうか?これに関して私は一つの思い当ることがあります。それは、まだ香川で営業をやっていた時の事です。警察OBの顧問と香川県警へ行ったと気の事です。アポイントの前に少し時間があったのですが、顧問が「友達の息子がここに居るのでちょっと会っていこう」と言われました。そこで、一緒についてある課に訪問しました。 ところがその息子さんという驚くほど若い人(後で歳を聞くと27歳でした)は、正面の机に座っていました。その前の席には、40、50歳のおじさんが何人も机をならべています。一瞬私は意味が飲み込めませんでした。その若い人は課長でした。何で?というのが私の感想です。 後で顧問に聞いたところ、その人は東大卒の所謂キャリアだったのです。それまで、噂には聞いていましたがそういう場面にでくわしたことがありませんでした。それだけにその異様さに驚きました。どう見ても、あれは異常な世界です。「あれでたたき上げの40、50歳の人が仕事する気になるのかな?」と不思議に思いました。官公庁というものはあんなものなんだ。そしてあんな世界へ行かなくて良かったと思ったものです。 噂に聞く税務署の20歳代の所長もあんなんだな…。キャリアというものを始めて見てショックだったのを今でも覚えています。「あれで仕事をする現場の人は偉いなあ!!私にはとても絶えられないだろうな、よくモラルが保たれるものだ、日本人というのはすごいもんだ」と変な感心したものです。 でも、私の疑問はやっぱり当っていたと思います。ああいう世界でモラルが保たれるわけが無いと思います。確かに、発展途上国のように日本も維新後とかには必要悪だったのでしょうが、今の時代にはもう合わないのではないでしょうか。 欧米では、今でもそういう世界があるようですが、生まれたときからそういう教育を受けているので最初からあきらめているそうです。フランスなんかの夏休み一ヵ月というのはそういう始めからエリート界には入れない労働者層が割り切って休むためだそうです。その代わりエリート層は夏休みなしで働くのだそうです。どちらが良いのかわかりませんが、少なくとも日本にはそういう風土は合わないと思いますし、そうあって欲しくないですね。 大学卒業したての20歳代の人が人生経験豊かな人を管理することは無理でしょう。それだけに日本のキャリア制度は今度のような不祥事を起こす一つの原因になっていると思います。ちょっと飛躍していますかね?結構当っている面はあると思いますがね。 あんな若いときから権力を持ち、下からチヤホヤされたら、誰だって、勘違いして、まともな神経の人間にはなかなかなれないのではないでしょうか?やはり実力で競争させるべきでしょう。現場の解らない上司に管理される組織のモラルが上がる事はまずないのではないでしょうか。 |
1999 年12月2日木曜日 第101話 内部告発 |
最近の、警察の一連の不祥事は、内部告発だろうといわれている。一昔前には内部の恥は組織ぐるみで隠していた。内部告発することが、悪とされていたのである。しかしながら、本当の悪はどちらかと考えれば、内部告発は当たり前かもしれない。 組織に飼われた社畜には考えられなかっただろうが、今では、組織の悪を悪として見れる人たちが増えたということだろう。これは、日本にとってはいいことだと思います。 戦後の澱が溜まった日本の閉塞感を打ち破るには、まだまだ足りないくらいです。もっともっと、膿を出し切るべきである。戦後の教育の悪い所が目立っていますが、こういう良い所もあるのかもしれません。 そんなことに『日本経済新聞 1999年(平成11年)11月30日(火曜日) 大機小機 改革に必要なフェアプレーの精神』が触れています。 …略 ところが、近年多発する企業不祥事や談合の摘発をみると内部告発が当たり前になった。上原の涙は若者の抗議の表現であり、監督も次打席からは敬遠を強要できなかった。 これは非常に考えさせられる。ようするに「主役は誰か?」ということではないだろうか。何処を向いて事を成すか?である。日本の野球は観客を忘れ、政治は国民を忘れ、企業は顧客を忘れて自分達の都合で仕事をしていると言うことである。これほど今の日本を表している事は無いような気がする。先日の 第92話で触れた、「政府は子供の将来を念頭に」に通じるものである。何が一番大切であるかを忘れているから本当の仕事が見えないのである。野球は観客に政治は国民、企業は顧客に食べさせてもらっているのだ。そこを見ずに内部の都合だけで仕事をしていると、その時は良さそうに見えるかもしれないが、いずれ見放されるときが来る。気が付いたときはもう遅い、その時は土俵を去るときである。土俵ならまだ良いが、世界から見放されているだろう。その時、日本人よ何処へ行く。 救いがあるとすれば、これからの時代の人達が今までの日本の悪弊に染まっていないことかもしれない。我々が考えている以上にサラッと日本を変えていくかも…。 2000 年4月15日土曜日修正 |
1999 年12月4日土曜日 第102話 低空飛行型人生 |
戦前の物の無い時代に苦労して、その上戦争という体験をした、我々の親の世代は戦争後の民主主義という上から与えられた、体制の中で、迷いながらも、戦前の家父長制度を引きずりながら、戦後のベビーブーマーである我々を育てた。 日付けは前後するが、若者気質で昨日の記事とも関連する面白いものが有りました。 夕刊読売新聞 1999年 (平成11年)11月29日(月曜日)座標軸 竹内靖雄 新型日本「一億総中流」社会の終わり……略 彼らは、もろもろのいやなことを回避し、気楽な「低空飛行型人生」を選ぶのである。彼らは自らの選択によって、今後新しいタイプの低所得階層を形成していくことになるであろう。 昨日と同じく、我々団塊の世代の子供に当る世代の気質は大きく変わってきているということである。 ここで言われているように、その子供たちの新しい価値観が良いように働いてくれれば良いが、彼らに残したこのひどい日本を彼らはどう感じ、どう引き継いで行くのだろうか? まだまだ、何とか今の日本をまともな物にして、渡したい物である。せめて怨まれないように。尤も、彼らは期待していないかもしれないが…。 2000/4/2 修正 |
1999 年12月5日日曜日 第103話 IT革命 |
サンデープロジェクト(2000年4月16日)に石原都知事が出演していた。例の、三国人発言のことであったが、それは別のこととして、面白い事を言っていました。 当然、LANとかインターネットなんてものは無いので、出先から書類を運んでくるそうである。知事が、冗談のように、「大丈夫人が一杯いるから」と言っていたのが皮肉っぽくて良かったです。 日本を象徴する大都市東京の中身がこれでは、IT革命がどうのこうのと言う以前の問題ですね。 それと正反対の事が1999年(平成11年)11月30日(火曜日) 日経流通新聞 暖流寒流にありました。都内の、外資系の会社のことだったと思います。 必要な書類はすべてパソコンに入っているし、入ってない情報も社内のホームページやインターネットにより外部から調達する。 どうです、これだけの差があるのです。要するに情報がオープン化されているかどうかの差だと思います。そこが、これからの経営は、この情報のオープン化が出来ているかどうかで大きな差が出てくるはずです。勿論、コストの問題も大きいですが。 そこまでひどくないかな? 2000 年4月16日日曜日修正 |
1999 年12月6日月曜日 第104話 女性 |
第75話や第76話でも触れたように、これからの企業は女性と、高年齢層をいかに取りこんで行くかが焦眉の急であろう。それを出来ない企業は、人員の確保すら出来ず、ジリ貧になっていくしかないはずである。 ただでさえ優秀な女性の能力を、男の嫉妬だけで有効利用しないのは失礼であるし、大きな損失である。 私の勤める会社でも、今はやりの通信教育をしているのは、大抵女性である。男は、毎日の仕事に追われ、退社後や休みとなればパチンコや賭け事にうつつを抜かしている。こんなことでは、何年か後の差は大きなものになってしまうだろう。活き活きしている女性ばかりが目立つのは気のせいだろうか? そんな現状を「日刊工業新聞 1999年 (平成11年) 12月1日(水曜日)産業春秋」が取り上げている。必然的に寸暇を惜しんで、新聞を読む女性は増えていく。しかし、その一方で、漫画を読みふける中年男性が、車内で目立つのは、なぜだろう。 いよいよ女性の時代到来か。しかし米国と日本の差は余りに大きい。その米国にしろ本文にあったが、 「大企業の最高責任者(CEO)にすら、次々と女性が就任し、話題になっている。」と言う風に話題になるようではまだまだである。それが当たり前になると話題にはならないはずである。しかし今の時点でそこまで求めるのは酷かもしれない。いずれにしても日本とは大違いである。折角人類の半分いる女性の能力を活かさない手はない。以前も触れたように大学まで男よりズット優秀な成績で卒業するような女性を生かさないのは余りにももったいない。企業で能力を発揮する女性、家庭で活きる男性があっても良いはずである。ようするに。適材適所である。これができる企業とできない所の差はどんどん開いてくるはずである。 あなたの会社はどうですか? 2000 年4月16日日曜日修正 |
1999 年12月7日火曜日 第105話 武士道 |
日本人は何時からこんなに酷くなったのでしょう。明治維新の頃の日本人はもっとイキイキとしていたように見えるし、今のように為政者も、自分のことしか考えるのではなく日本の国をどうするかと考えていたように思うのは考え過ぎだろうか? そんな気持ちにこたえるるような、面白い記事がありました。例によって、週刊東洋経済1999.12.4です。書評の中です。日本人論 『いま「武士道」を読む』―21世紀の日本人へ―志村史夫 著日本の矯正は゛サムライ"に託せ……略 武士道の根幹は「三民の模範」であり、これは、イギリスの「ノーブレス・オブリージ」(地位の高い人ほど重い義務と責任を負う)という指導者の生き方と通低している。 法政大学教授 川成 洋 どうです、中々面白そうでしょう。すべて賛成とはいかないにしても、「真のエーリート」、つまり「サムライ」と言うのは良いかもしれない。先日も触れた、大学の成績だけのキャリアよりはズット良い。 2000 年4月16日日曜日修正 |
1999 年12月8日水曜日第 106話 他人のメシ |
第49話、第50話、第51話で中途採用に触れたように、これからの企業で中途採用を積極的に活かせない企業は、女性や中高年を活かせない企業と同じように将来は無いと思います。それは何故か? それは、今までの企業は、同じような新卒の人材を採用し、同じように企業に都合の良いように育ててきたからである。それも仕事を見るので無く、上司の言うことを素直に、何の疑いも無く聞くような従業員を良しとする見方をしてきたためである。そこには、新しい発想が生まれてくるような活気は育たない。所謂、出る杭は打たれるである。 今回、佐高信の中坊さんとの本「突破力」を探しに行ったが結局みつけることができず、代わりに徳間文庫「ビジネスマン一日一話」佐高信を買ってきました。 「いや、子飼いだけでは企業は育ちません。子飼いというのはなかなか育たないものなんです。両方に甘さがある。だから、一度は他人のメシを食った方がいいんです。他人のメシを食ったことのある人は、コメの硬さをしっていますからね」 これが日本の企業の当たり前になるともっと人材の流動性が高まるはずである。ところがこれが日本では中々受け入れられない。 第95話から連続で3話とりあげた人材の流動性を高めるためにも「いや、子飼いだけでは企業は育ちません。子飼いというのはなかなか育たないものなんです。両方に甘さがある。だから、一度は他人のメシを食った方がいいんです。他人のメシを食ったことのある人は、コメの硬さをしっていますからね」 という素野氏の言葉を日本の経営者に噛み締めてもらいたい。私が香川の営業所でいたときこれを人事に申請したが、丁度その頃から、何をトチ狂ったのか、これからは生え抜きしか採らないなどと言い出し、それから今日まで、途中入社を禁止してしまった。それからのこの会社の人員不足は目を覆うばかりである。そのため末端では、サービス低下を来たし、顧客の信用を失いシェアを落としていった。それでも未だにそれに気がつかないようである。 折角、他人のメシを食ったことのある人を活かすチャンスをみすみす逃して、業績落とした責任をだれも取ろうとしない。 オット!又、話が飛んでしまいました。ゴメンナサイ!! 2000 年4月16日日曜日修正 |
1999 年12月11日土曜日 第107話 若者気質 |
最近の若い人を見ると、昔の日本人の気質とは随分違うように思える。チョット時期は違いますが、高校野球を見ていて思ったのです。非常にのびのびとやっていることです。どうも、悲壮感とかあがるというのが見うけられないような気がするのです。 例えば、あの甲子園で大観衆の中での試合といえば、地に足が着かず、何をやっているか分からなくて当たり前だと思うのですが、どうも、そんな様子も無く、伸び伸びとやっています。 それだけでも不思議なんですが、優勝した後、宿舎でのインタビューの時などの、はしゃぎ振りや話振りをみると人種が違ってきたように感じます。 昔の子供にあんなに度胸のいい子供はいなかったように思います。それこそ、インタビューでもコチコチになっていたものです。 これは育ち方の違いとしか言えないような気がします。 リンクでお世話になっているYajiさんからの情報ですが、丁度、 第101話、第102話でも触れた現代若者気質に関連する興味ある話が『朝日新聞《天声人語》1999年12月6日』にありました。 …中略 これはいいですね。何かモヤモヤした「今までの戦後の日本の進んできた道が、何処か違っているんじゃないか」という漠然とした思いをはっきりと認識させてくれたような気がします。 本文の中にあったが、「未来のために、いまを頑張ろう。永遠の繁栄と成長のために。これが近代の論理であり、資本主義の精神だった。学校と会社は、人びとにそれをたたき込む装置だったともいえる。けれども環境や資源の限界がはっきりした現在、これまでのような生き方をなお続けるなら、それこそ人類の未来はない。」というこの言葉は今までの日本がやってきた事をちゃんと否定してくれている。これが今までは無かった。ここまではっきりと言ってくれると、成る程やっぱりおかしかったんだと納得できる。そしてトドメは、『「学校と会社が万能の時代」が終わりつつあると予感している。』である。これこそ我々日本人共通の問題と認識すべきことである。 この認識を出発点として、「これからの日本をどうするか」を考えていけば、今の閉塞した日本を少しは変えて行けるのではないだろうか?今までの体制にしがみついて、その間違いを受け入れようとしないのでは、いよいよ救いようの無い無限地獄に陥ってしまうだろう。 こんな認識を持った人がいるということは日本もまだまだ捨てたものじゃないのかもしれない。しかしこう言う声は欧米では兎も角、日本では無視されるような気がします。 その時こそ日本は世界の笑い者でしょう! 2000 年4月16日日曜日修正 |
1999 年12月12日日曜日 第108話 内部告発 |
今朝のニュースで神奈川県警の処分が発表されたことをやっていた。警察本部長の起訴、キャリアの懲戒免職処分はともに警察史上初めてだそうである。 第100話で触れたように、やはり、キャリアの人事に問題ありの声にやっと重い腰があがったというところだろう。誰が考えてもおかしい制度にやっと、メスがはいったのだが、これが又、官僚や政治家に、うやむやにされて、元の木阿弥にならないように、そして他の省庁にも広げて行けるかどうかを監視しなければならない。 少しはいい方向に向かっているのかな……? |
1999 年12月13日月曜日 第109話 屁理屈 |
営業を長年やっていますと面白い原則があることに気がつきます。それは、本当に真剣に仕事に取り組んでいない者ほど、言い訳が上手いということである。 そんな官僚について、次回から取り上げるつもりの「突破力」の中に「世界に通用しない日本官僚の理屈」として、非常に面白いところがあるので先に取り上げたい。次から登場する京大教授佐和隆光さんの論である。
佐和 ――よく日本の常識は世界の非常識とかいいますが、日本の官僚たちの理屈は、世界に持っていけば一片のへ理屈にすぎないからです。 ……以下略 成る程、よく官僚という者を説明してくれている。自分に都合の良い結論を先に出して、それに屁理屈をつけるのが官僚とはよくも言ったりである。そしてそれの優秀なのが東大法学部出身とは。この佐和教授も佐高さんに負けず劣らずズバリと本質を教えてくれる。 最後にもう一つ痛烈な言葉をとりあげます。「突破力」の締めくくりの言葉です。 佐和 ―― 「俺はなんでもできる」などと勘違いして、それ以外のことに口を出すから行政がおかしくなると思うんです。 2000 年4月16日日曜日修正 |
1999 年12月14日火曜日 第110話 突破力 |
バブルの時、日本は、みんなが浮かれていた。アメリカには、もう教わることは無いと言って、日本の製造業のやり方が世界の見本のように思ったものである。 そんな現状をどう打破するかに言及した、「突破力」やっと見つけました。出張の合間、時間待ちのJR徳島駅デパートでした。何となく「あるかな?」と入った本屋になんと『中坊公平の「人間力」』と一緒にありました。当然2冊とも購入。ヤッパリ面白い。沢山取り上げたいところがあります。まず第1段として、最近私がよく触れている今の日本に関する興味深いところを二人と京大教授佐和隆光さんとの対談から。 中坊公平 突破力 佐高信 徳間書店 第六章 日本の閉塞状況をいかにして打破するか 日本の閉塞状況はどこから生まれたのか……略 佐和 普通、人間は何か目標を掲げて頑張って居るときは、わりに充実感があって、ハッピーになる。ところが達成されてしまうと、何やらむなしい思いになる。 成る程、これは、確かにそうだろう。こういう風に分析してもらうと分りやすい。何かモヤモヤしたものが少し晴れてきたような気がする。バブルの頃は日本中が日本が一番であると浮かれていた。自分の国が世界一と言われて嬉しくない者はあまりいないのではないだろうか。政治は相変らず混迷していたが。 しかし、国全体はそうであるが、一人一人は、生活面で世界一という達成感は無かったと思う。所謂中流とおもっている庶民は相変らず生活に追われている感覚が大半であるような気がする。それは、やはり社会資本が充実していないからである。公共費や物価は世界でも有数の高さである。可処分所得は一番ではない。生活に世界一の日本の実感が無いのである。一番一番と言われてもむなしさを感じていたのは私だけではなかったと思います。 2000 年4月17日月曜日修正 |
1999 年12月15日水曜日 第111話 突破力 司法 |
権利を行使するには、義務や責任が伴う。何でもお上に頼る方が、ある意味楽な面がある。たとえば、日本のサラリーマンの税金が最たるものである。源泉徴収は、収入を全部つかまれているが、納税のわずらわしさからは開放されている。その楽さに甘えているから、税金の使い道に無頓着である。 要するに義務の手続きを放棄しているので、不透明な税金の使途にも無関心になってしまうのではないだろうか。その点アメリカでは税金は自分で申告しなければならない。 余談だかパソコンの浸透の一つの原因でもあると言う。自分で苦労して義務を果たすから、税金の使い道にも文句の一つも言いたくなるし、監視する気持ちにもなるだろう。 国民が責任を果たしているのだから、その国民のために政治家や官僚も責任を果たす義務があると監視するのが当然と考えるのではないか。 そんなことに、「中坊公平 突破力 佐高信 司法の役割が弱いことが問題」が触れている。 中坊 ―― 略 この中坊さんが本文の中で、「社会を透明化させるというその第一歩のところを怠ってきた」と言う言葉が、わが国の一番の問題点を衝いていると思う。長い物に巻かれろとか、清濁併せ呑むとか為政者に都合のよい言葉で物事を、うやむや,つまり不透明にしてきたのである。 |
1999 年12月16日木曜日 第112話 突破力 教育 |
日本の戦後の義務教育とは何だったんでしょう。良く戦中派の人は、戦時中に教科書を墨で消すことからやらされたといっていました。そして戦争が終わるや、今までと、180度違った事を先生が言い出したといいます。 要するに、教える方にも、これというきちっとした主義がなかったと言うことでしょう。悪く言えば、上からの命令にそって教えていただけと言うことだろう。 だから、我々戦後世代を教える時にも、アメリカに与えてもらった民主主義だから、教える方もまだ完全に把握できていなかったのではないでしょうか?試行錯誤でやっているときに、今度は、経済成長第一の時代になり、いかに企業に都合の言い人間を育てるかになっていったのではないでしょうか。 そして、大学進学が目的のようになり、テストで差をつけるための教育になっていったのではないでしょうか。そのためには、テストになりやすい問題、点数をつけやすい問題ということになり、何の意味も無い暗記だけの勉強になったのでしょう。 だから、本来、何のために勉強するかの視点が段々抜け落ち、すべての目標が点数を数えやすい方向に行ったように思います。チョット考え過ぎですかね。 しかしながら、学校で勉強したことが実社会で役に立ったことは余り無かったような気がします。それよりは、ソロバンをやっていたら良かったとか、英会話をやっていたら良かったか、ピアノの一つも弾けたら良いのにとか思ったことのほうが多かったです。 どちらかと言えば、社会人になってからのほうが毎日勉強だったような気がします。 そんな役にも立たないことの成績で人生が決められてしまうのですからたまりません。大学なんか出ていなくても、立派な人は沢山います。 本当の人間の中身を見て、その人を判断するような社会でなければならないと思いますが、学歴や、地位や、金持ちかどうかだけで人の良し悪しを判断する上っ面だけの社会になってしまったのが今の日本のような気がします。それが、今の日本の閉塞感にも通じるのではないでしょうか。 要するに、本物の人間がいないと言うことだと思います。 この閉塞感をどう打破するかについて、佐和さんがやはり日本のシステムをとり挙げて解かりやすく述べている。 ポスト工業化社会への変革期だから中坊公平が求められる …略 そういうときに、中坊さんのような方が監視人として、あるいは実際に改革を推し進める主役の一人としてどうしても必要なんだと思いますね。 要するに、今まで色々と取り上げてきたことの集大成と言って良いのではないだろうか。戦後日本が国を挙げて勧めてきたシステムが時代に合わなくなったということである。 このあと略しましたが、理科の試験をすると日本の子供は世界で上位三位にはいるが、三十歳前後で自然科学のテストをすると、OECD(経済協力開発機構)のなかで後ろから二番目だそうである。その上、TOEFLという英語の試験の平均点もモンゴルに次いで下から二番目だそうである。 何という現実でしょう。単にテストの点を取るための記憶力の競争をさせているだけなのでしょう。自分で考え自分で行動するという生きていくために必要な勉強はなにもしてないのです。企業にとって都合のいい社畜に育てているのです。 だからこそ自分の考えで今までの規制の社会のしがらみを打ち破ってきた中坊さんのような人が求められているのでしょう。日本人もこのままではいけない何とかしなくちゃとは思っている証拠でしょう。 2000 年4月17日月曜日修正 |
1999 年12月16日木曜日 第113話 ものを言う |
私の、今のような体制に反発する性格はどうも学生時代からあったようです。それは何故かと言うと、丁度八年前に、大阪に転勤できた時、偶然、大学のクラブ(軟式テニス)の同窓会があったのですが、その時、当時の監督さんから、「お前は野党だからな」と言われたのです。 そんなことを思い出させる面白いものがあります。 ものを言う人間は潰される 佐高 ―― 要するに、ハッキリものを言う人は潰されます。 全くイヤな社会ですね。違った物を尊重する社会と排除する社会。この差は大きい。確かに、統括するのには都合の良い方法なんでしょう。しかし、こういう教育で育てられた人間には、創造性というものは身につかない。言われた事は、従順に従うが、それ以上の創意工夫はない。それでは発展がない。いずれ行き詰まることになる。 2000 年4月17日月曜日修正 |
1999 年12月18日土曜日 第114話 大蔵省 |
主権を政治家や官僚にまかしてしまって国民がその権利を放棄したのが今の日本の閉塞感の原因ではないだろうか。 ここから、国民主権という中坊さんの持論を続けて取り上げて行きます。 大蔵省の専横が経済を悪くしている これは、 第111話、「司法の役割が弱いことが問題」のときに私が取り上げたことそのものである。国民も自分達の権利を主張するためには人任せの傍観者でなく積極的に義務を果たす必要がある。一番簡単なのが選挙で自分の意思を行使する事だと思います。 |
1999 年12月19日日曜日 第115話 やってもムダ |
営業活動の経験を以前書きましたが、営業の一番の敵は自分です。出来る出来ないは自分が決めているのです。相手との交渉に入る前に、「ここは駄目だろうな!」とじぶんできめているのです。特に、相手が大きいとなると、出来ない理由を一生懸命自分で考えています。そして相手がそのように出てくると「やっぱりそうだった」納得しているのです。 国民主権についての考えで、『中坊公平 突破力 佐高信 「やってもムダ」という意識を変えろ』の中にありました。 中坊 …略 やったってだめだという意識が本当にだめにしてしまっているのであって、あえて挑戦するという姿勢が必要なのです。……中略 「 われわれは自分の持っている権利を事実上浪費している結果になっているのではないでしょうか。」と言う言葉は所謂お上まかせということである。そのくせ、政治家を使って、地域や、団体、企業の利益を追求しようとする。自分達で政治家を本来の仕事でなく自分達の利益のために利用するから、政治家もどんどん悪くなっていく。要するに、全ての責任は、我々国民の利己主義にあるのではないか。 この国をよくしようと思うなら、自分の利益ばかりを主張するので無く何が本当に必要なのかを考え、その考えを国政にとどかせるために本当の政治家を育てるべきである。自分達の利益のために政治家を利用しようなんて考えは絶対にやめなければならない。 それで初めて、「国民は世論をもっと政治に直結させる機会を作る必要があるのではないでしょうか」という言葉もいきるのではないだろうか。 2000 年4月18日火曜日修正 |
1999 年12月20月日曜日 第116話 お上頼み |
何かというと、議員さん頼み。市町村会議員から国会議員まで、兎に角、利用しなけりゃ損だというのが日本人の感覚。 そんな実情を、住専処理に取り組んできた中坊さんが、『「中坊公平 突破力 佐高信 」のなかで、「お上頼み」という病気の蔓延』として言及しています。 中坊 …略 私がかねがね申し上げているように、国民一人ひとりの自立あるいは国民主権が定着せずに相変らず「お上頼み」であるという、わが国全体の大きな問題の一部が露呈しているのにすぎません。 ここまで中坊さんの国民主権に対する考えをとりあげてきました。中坊さんは一人ひとりが成長する必要があると心の底から叫んでいるのではないでしょうか。我々国民一人ひとりのレベルの低さが、この国をダメにしているのです。 2000 年4月19日水曜日修正 |
1999 年12月21日火曜日 第117話 パブリック |
「自分さえ良ければ」という考え方を、日本人の大半が持つようになったのは何時頃からなのでしょうか? そんな現代人が忘れてしまった、他人を思いやる心に通じるものが、もう一冊の中坊公平・佐高信の共著『中坊公平の 「人間力」 中坊公平・佐高信 徳間書店』のあとがきの中にあります。私はこの住宅金融債権管理機構では月給を貰っていません。なぜ給料も貰わずにそんなきつい仕事をするのかと聞かれれば、私は「パブリック」に奉仕するということをせめて口で言うだけではなく、実践することが大事だと考えているからです。……以下略
それが「 エゴのゴリ押しが横行していますが、それは権利意識ばかりが肥大化してしまい、人のために働くとか、皆のために何かをやるという意識がなくなってしまったところに問題があると考えています」とか、「エゴの集団と化した我が国は必ず滅亡の道を邁進することになると思うのです。」や「世界の全人類、あるいは一人の人間として、もう一度物事を考え直し、そのなかから人様のことを考えるような社会を作ること、それこそが現在の閉塞感、殺伐とした風潮をなくす唯一の方策であると考えています。」 と言う言葉の中に表れているのではないでしょうか。今や全く正反対の自分のことしか考えない人間であふれている日本人にとって非常に耳の痛い言葉です。「 私はこの住宅金融債権管理機構では月給を貰っていません」から誰かを思い出しませんか?そうです第14話で取り上げた石田禮助氏です。ヤッパリすごい人は似てるんですかね。こうした人達こそ第105話のサムライではないでしょうか。今こそこういう人を日本のリーダーに!! 2000 年4月21日金曜日修正 |
1999 年12月22日水曜日 第118話 情報構造の欠陥 |
久し振りに 経済人の言葉ウオッチ 1999.12.18◆週刊東洋経済石井信平 映像&出版プロデュサー 「長官、この国は既に経済破綻しているのではないですか?」 本当のことを知っているのはごく一部の人であること、それがこの国や社会のヒエラルキーを成立させている。 相変らず痛烈ですね。こう言いたいのも分りますね。あの小渕内閣のやってることは、この日本の先行きを考えるのでなく、小手先の誤魔化しであって、今までのやり方と何も変わっていない。自分の事しか考えてない。それこそ12月19日の「サンデープロジェクト」で田中真紀子さんが言ってた、「誰も責任をとろうとしない内閣」である。責任感が全くないから、のらりくらりと問題を先送りするだけである所詮こんな奴等を選んだのは、我々である。せめて田中真紀子さんぐらいはっきりしてほしい。彼女が今の政治家の中では一番まともかもしれない。 |
1999 年12月23日木曜日 第119話 ビジネス封建主義 |
続いて、 経済人の言葉ウオッチ 1999.12.25◆週刊東洋経済石井信平 映像&出版プロデュサー ビジネス封建主義 日本の銀行は「民間企業」なのだろうか?護送船団に守られ、六十兆円の公的資金の保証を受けている会社を、資金繰りに万策尽きて自殺を考える「見捨てられた民間企業」と一緒にはできない。 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の最新刊『怒れ!日本の中流階級』(毎日新聞社)は、薄手のアジ演説ふうな書名が気になるが、中身は、日本の中産階級が置かれた政治経済的的・歴史的立場を鮮明にえぐり出した物議の書だ。前著『人間を幸福にしない日本というシステム』同様、エリート層には相当ヘビーなボディーブローである。 産業のほとんどが通産・大蔵の指導や調整下におかれ、中小企業は大企業の下請けまたは補完物である日本の現状。加えて、戦時経済そのままの構造を引きずった金融・税制が社会をあまねく支配している。一体この国では公私の明確な区別が、どこでつけられているのか? 次の言葉が胸を突く。「日本には、公の領域から独立した民間が実質的に存在しない。今日の状況は要するに、昔からの政治体制がエレクトロニクス時代にそのまま再現された『ビジネス封建主義』なのである」。 日本人への友情をこめ、だからこそ本質を突くこういう議論に対して、「反日的言論」とおとしめる攘夷ムードの時勢がある。 日本に民間企業はあるのか?この問いに正面から答えられる民間企業の社長さんはいらっしゃいませんか? これは面白い。この本は読んでみたい。やはりこの国はおかしいと思ってる人は、内外問わず沢山居るようである。それなのになぜ少しも良くならないのだろう。これは一人ひとりが、現状を変えることをあきらめ 「マァいいか!」と権利を放棄しているためではないだろうか。やはり中坊さんの言うように一人ひとりが自覚を持って、「国民主権」の実現を目指さない限りどうしようもないような気がする。 第116話の「国民一人ひとりの自立あるいは国民主権が定着せずに相変らず「お上頼み」であるという、わが国全体の大きな問題の一部が露呈しているのにすぎません」という言葉を噛締める必要がある。 |
1999 年12月24日金曜日 第120話 商人 |
昔から、商売は損して得取れと言われますが、今の商売にはそんな余裕が無いような気がします。 そんな、商人の気概のような言葉が、『 風 「後は野となれ」1999.12.25◆週刊東洋経済』に取り上げられています。 ……略 これは考えさせられる。 「商人は自分が利益するために決して取引先商人の……貧乏になることを願わない。……彼の富み栄ゆるは、やがて我の利益であることを知っておる」。この言葉は、恥ずかしながら知りませんでしたが石橋湛山の言葉だそうです。しかし、何時も感じていた、値段と言う問題に一つの答えを与えてくれたような気がします。机上の空論だけで値段を上げることについて以前触れたが、例えばゼネコン等の談合もこの心を忘れたものだろう。 税金即ち、それを納めている国民を貧乏にしてしまっている。だから国が富み栄えない。今の日本は自分さえ良ければの商人像ばかりなような気がします。 石橋湛山という人はこんな言葉まで残していたのだ。 2000 年4月20日木曜日修正 |
1999 年12月25日土曜日 第121話 ワークシェアリング |
日本では、何かの商品が当って売れるとすぐに量産することを考えますが、ヨーロッパでは量産すると品質が落ちるから今のままで良いという事になるようです。こういう考えが根底にあるのがヨーロッパの社会というのを読んだ事があります。というのは、日本のように大企業こそ正義という考えでなく、いたずらに大きくなることを求めず零細企業で満足する。ドイツのマイスター制度などもその一つであるかもしれない。 そんなことを考えさせられる事が、同じく、25日の週刊東洋経済の「アウトルック ワークシェアリング 人員削減を強行せず 人心・社会の安定を 時間短縮・賃下げによる雇用維持を」にありました。 ではどうすればいいのか。ワークシェアリング(仕事・雇用の分かち合い)というやり方をもっと導入すべきではないか。雇用は維持するが、企業の事業規模の減少に合わせて、仕事量(労働時間)や賃金も減らすというものだ。……中略 最近時々見かけるこのワークシェアリングという考え方は、今の日本の自分さえ良ければという風潮とは全く正反対の考え方である。この考えを始めて目にした時、「ああ!こんな考え方もあるんだ!」と目を覚まされたような気がしました。自分さえ良ければ、他人より少しでも良い待遇を、という考えにやはり犯されている私には思いつかないことでした。 クリスマスに仕事のプレゼントの話でした。 2000 年4月17日月曜日修正 |
1999 年12月26日日曜日 第122話 イタリア式 |
今、心配なのは伝統や文化だけでなく心まで日本人は捨ててしまったのではないだろうかということである。 そんな、効率至上主義とは一線を画した行き方に触れた記事に、何と!昨日書いたイタリア企業の事に触れた中に偶然見つけました。偶然とは怖いですね。 「財界 新春特別号 2000 1/18より 一筆入魂 ジャーナリスト 嶌 信彦 イタリア式日本革命はいかが」にありました。 そんなイタリア式をみていると、日本の中小企業や伝統産業も、やり方次第でいくらでも世界に打ってでられるのではないかと思う。…中略 ところが、現場へ行くと「後継者がいなくて……」とか「技術には自信があるけど、需要先がみつからない」「伝統的な着物や織物に現代人は興味を示してくれない」――と嘆く声が目立つ。…以下略 これこそが、日本の戦後教育のツケではないだろうか。世界に追いつき追い越せのために政府がとった企業に都合の良い人材育成のツケがここにきて出てきたということだ。効率や企業への人集めのために農業や、伝統工芸のようなものは見捨てられてきた。 こうやって、誰も後を継ぐものがいなくなり、一つひとつ手をかけて作られるものの良さは、大量生産に追いやられていったのだ。 本当の技術というものは一朝一夕では出来ない。そのためには、子供のときから本当の良い物を鑑賞することによって本物を見る目を養うことも必要である。そうすることによってはじめて本物の見分けがつくのです。それを捨ててきたのだから今から取り返すことは至難の技であろう。 即ち、本文で触れられていた「人生の楽しみまで犠牲にしてカネもうけに走ろうとはしないライフスタイルが根付いている」と正反対の人生観を持った人間を育ててしまったということである。 確かに、そのお陰で日本の国は大きく発展したが、あまりにも捨ててきたものが大きかったのかもしれない。 よく「世界の中で日本人ほど伝統とか文化というものを平気で捨てる人種はいない」と言われていると聞くが、その悪い面が現れてしまったのが現状なのだろう。 2000 年4月21日金曜日修正 |
1999 年12月27日月曜日 第123話 顧客第一 |
企業とは何でしょうか。商品やサービスを、それに見合った代価で提供することにより適正な利益を得、それによって、永久的に活動を続けて行くことを目的としているのだろうと思います。 ところが、見合った代価以上の価格で提供し、暴利をむさぼるという事が往々にしてあります。それは、独占企業や談合によって行われることが多いのですが、そんなことが通用するのでしょうか? 何時かは、顧客の知るところとなり、しっぺ返しを食らうことになるのではないでしょうか。ところが、最近でこそ、顧客第一主義が言われていますが、本音は企業第一主義が殆どではないでしょうか。儲けられるだけ儲けようという考えが根底にあるように思います。 だから、バブルの銀行のようなことが行われたのでしょう。まだまだ、あわよくば、顧客を騙して、少しでも多く儲けてやろうという企業が多いように思います。 そんな企業経営の本質について面白いのが、『日経産業新聞 1999年(平成11年)12月24日(金曜日) 中小企業経営 マネジメント講座 中小企業の事業チャンス 4 「顧客第一」が不変の本質』にありました。 ……略 結果的に顧客が望む商品、サービスを適性価格で提供できなければ企業の存続は望むべきもない。……中略 (小宮コンサルタンツ代表 小宮 一慶) これは四回にわたった記事の最後のものであるが、顧客満足なくして商売は成り立たないことをズバリ指摘しているので取り上げました。中小企業経営となっていますが、この基本は大企業であろうとも全く同じはずである。 「多くの企業が顧客第一主義をお題目のように唱えるが」と言われるように、表面上はそう唱えているが、中身は全く自社の都合だけである。要するに顧客の方に顔が向いてないのである。社内のそれも上のほうだけを見て仕事をしているのである。そこには顧客は微塵もない。 こんな会社が生き残れることが不思議であるが、それが分らない経営者がいるはずはないと思うが、取り巻きによって間違った情報しか上がらず、本当の姿が見えていないのでしょう。 2000 年4月21日金曜日修正 |
1999 年12月28日火曜日 第124話 エキスパート |
人間の価値とか、能力って何でしょうか?そんなに能力の差と言うのはあるのでしょうか?分野を区切れば、その中での差は当然あるでしょうが、それが人間の差では無い筈です。 そんなことを考えさせてくれる興味深い本を見つけました。藤沢武夫さんと言ってもどんな作家だったかな?と思われる方もいるとおもいます。知る人ぞ知る、あの有名な本田宗一郎さんと一緒にホンダを育て上げた方です。本田宗一郎さんの本は沢山あり、私もかなり読みましたが、そのパートナ―として有名なこの方の本は始めてです。時間つぶしの本屋さんで偶然みつけました。
面白い所が沢山ありましたが、特に組織に関して素晴らしい考えが、「経営に終わりはない 藤沢武夫 文芸春秋 六、模索と学習の日々 エキスパートを陽の当る場所に」にありました。 ……略 もしも既存の大企業に、本田なり私なりが入っていたいたとしたら、どうなったでしょうか。私たちには学歴がない。自分で培ってきた技術と経験があるだけです。大企業に入っていれば、こういう人間はおそらく下積みで一生をすごしたことでしょう。…中略 仕事の履歴書「私の記録」 そこで日記というものを利用するのがいいのではないかと、私は考えた。……略 けれども、職場で書く日記は、「今日はこういうことを考えて、こういう仕事をした」とか、「ちょっとした思いつきをいったら、改善に役立った」という内容で、その人の仕事の履歴書になるわけです。…以下略 この「私の記録」というのは、中々面白いですね。黙って黙々と働き、力は持っているが、世渡り下手で埋もれている人を活かすための手法としては素晴らしいと思います。得てして、エキスパートといわれるような人は変わり者が多いものです。 これは今もどこの会社でもある、いじめや好き嫌いの人事を防ぐ意味でも重要だと思います。どこにもある、「部下の功績を自分のものにしてしまったものですが」というような、手柄は自分のもの、失敗は部下のものという上司がはびこるのも防げるのではないでしょうか。 こんなことを考え付く藤沢さんという人は素晴らしいですね。こんな経営者が沢山いれば、ばなか上司によって殺された人が大勢活き返るでしょうね、そしてそれは会社を活気付け発展させることになるでしょう。 会社を伸ばすかどうかは人を活かすかどうかである。 2000 年4月22日土曜日修正 |
1999 年12月29日水曜日 第125話 専門職制度 |
今まで人事というものがどれほど大事かということをこれほど分っていて、人を生かすにはその人事をどうしたらいいかを真剣に考えた経営者がどれほどいたでしょうか。
「経営に終わりはない 藤沢武夫 文芸春秋」の中にそんな私の気持ちを代弁してくれるような所があります。この考えに感動して、どうしてもできるだけ取り上げたかったのです。 表舞台に出る管理職と違って、生き方は不器用であるが、エキスパートとして能力をもっていながらえてして報われない人をどう評価するか。素晴らしい考え方ですね。藤沢さん自身本文の中で、「 本田宗一郎、藤沢武夫の特長は何かといえば、一言でいって、エキスパートであるということでしょう。面倒見のいい管理者タイプでは決してありません。本能と直感で動きます、こういう人間は、世間一般の組織図で固められた集団のなかでは生きられないのです」と言っているように組織の中で能力を発揮できない者の悩みがよくわかっていたのでしょう。それだけにその人たちをいかに生かすかを。考えたのでしょう次の、「 本社の人事部長などは、人事を動かす人ではなくて、いわば使い走りです。「私の記録」は人事、給与、能力など、いろいろな面から見るんです。クモの巣の糸のなかの人間であることが重要なんですね。どんな能力を持っている人でも、上役に変な人がいて、その上役だけの評価で判定されると芽が出ないものです。だから、いろいろな方向から見てやることが必要です」というところなんか、涙なくしては読めませんね。こんな経営者の下で働けたらどんなに幸せでしょう。本田宗一郎さんとこの藤沢さんの二人が経営していた会社が伸びない訳がないですね。自分の好き嫌いだけで人事を壟断するどこかの人事部長に読ませたいですね。最もそんな人間に限って、自分は藤沢さんに負けないと思っているんでしょうね。 最後にこの本の中で特に気に入った次の言葉をかいておきます。 「おべんちゃらのピラミッド」とは面白いですね!! 2000 年4月22日土曜日修正 |
1999 年12月30日木曜日 第126話 知恵をしぼった組織 |
企業経営とはなんでしょうか?単純にいえば利益をあげることが第一でしょう。それでは、手段を選ばず、何をやっても利益を上げればいいのでしょうか? 今でも、そんな会社が存在することは確かですが、そんなことが、今の社会に受け入れられるはずはありません。 今の時代は、地球環境にまで配慮しなければならないほどなのに、従業員の人生にさえ配慮されていないのが現実でしょう。 確かに利益を出せない企業は存在する価値はありませんが、その為に、従業員を犠牲にすることは許されてはいけないと思います。 それでは、どうやれば従業員を活かし尚且つ利益をあげ、消費者、株主、その上環境にまで貢献できるのでしょうか。 その為には、やはり、いかに従業員を活かせるかの仕組み(当然、人事を含みますが)を考えることが必要であると思います。それを真剣に考えた企業を余り聞きません。 ただ旦に、ピラミッド型の組織に人員を当てはめただけの企業が殆どだと思います。そしてそこには人間尊重の考えはなく、思いつきや、好き嫌いの人事がまかり通っているのです。 そんな中で、自分達の組織と言うことを真剣に考えて実行した人がいるのです。 組織について『「経営に終わりはない 藤沢武夫 文芸春秋」世界をリードする仕組みを ―昭和40年11月― 知恵をしぼった組織』 の中に、そんな藤沢さんの考えがあります。 ……略 一時間でかけるような組織図と、これだけみんなで頭をしぼっても、なお、その結論が得られないようなものと、どちらが価値高いか――これは明らかなことだと思います。
「つまり、ここ一年や二年の勝負ではなく、五十年、百年というものをリードしてゆける体制をつくって、次の人にバトンを渡してゆく義務をわれわれは持っている。」というように既製のものでなく自分で考えて、本当に自分にあう組織を自分で作り上げていく、これが大切なのではないでしょうか。 与えられた組織図の中に「ただ、課長や係長のところに名前を入て、」つくった組織は魂がありません。それは社会全体が右肩上がりのときにはなんとかごまかしてこれたが、今のように成長が難しい時代には邪魔になるだけで、成長なんてとんでもないことになっています。そこには一人ひとりの人間をどう活かすかという、視線がなく只、管理のためだけの考えしかないからではないでしょうか。 人間は上からの管理だけでは持てる能力を発揮する事は無理ではないでしょうか、やはり自分の頭で考え工夫することによる自己実現の満足がなけば持てる力の全てを出さないのではないでしょうか それを作ろうとした藤沢さんはすごい。未だに古い考えのまま、その上、そこに好き嫌いの人事しかやらない企業のなんと多い事か。そんな企業が生き残れる事はないだろう。 2000年4月22日土曜日修正 |
1999年12月31日金曜日 第127話 エキスパート |
どうやったら本当に人を活かせるのでしょうか?たった一度の人生を、生活の為に毎日いやいや働く企業の奴隷(そのうえ社畜なんてのもあります)で終わるなんて余りにも勿体無い。 その中でも人を活かすことを考えてきたのが、『「経営に終わりはない 藤沢武夫 文芸春秋」 世界に通用するエキスパート』の中の藤沢さんかもしれません。 いままで、どこの企業でも、人間の個性というものが十分に発揮できないような仕組みでやってきている。だから組織を変えても、長を入れ代えても、ちっとも変わりばえしないんです。 この考え方はやはり素晴らしいと思います。今までは「長」がつけば、バカでもチョンでも偉いとし、自分でもそうだと勘違いする人が地位をかさにきて間違った指示をしてもそれが通っていった。それが、「 問題が発生したときには、必ずしも、それにくわしいわけでなくても、とにかく集まった。しかし、こんな場当たりでは企業は伸びっこないんです」ということである。そして、「こんなとき、エキスパートが、各部門から集まって会議を開けば、この会議のレベルは高くなり、その会議の結果が、こんどは、「長」を通して、仕事として、運営されていく――これが「長」とエキスパートのあり方だと私は思うんです」というのは、新鮮で素晴らしい考えだと思います。 これが今までの組織にはなかったことです。これなら、少々バカな管理職がいても大きな間違いは起きないでしょうし、現場の士気もあがるのではないでしょうか。現場のわからない管理職とか本社の机上の空論がまかり通る事もなくなるのではないでしょうか。 今これだけの組織のある会社が果たして日本にどのくらいあるでしょうか、殆どないと思います。そしてそれが、「いままで、どこの企業でも、人間の個性というものが十分に発揮できないような仕組みでやってきている。だから組織を変えても、長を入れ代えても、ちっとも変わりばえしないんです」という企業が未だに殆どである事の証拠ではないでしょうか。 35年前に藤沢さんが考え望んだ「アメリカにも、ドイツにもない日本のなかにもない仕組みを、ひとつ、みんなの力でつくっていっていただきたいものです」という事が今年も実現されなかった事を思いながら、今年最後の団塊の部屋としたいと思います。 それでは良いお年を!! 2000 年4月22日土曜日修正 |