団塊の世代の部屋6

 

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200011日土曜日  第128話  現場を知らないリーダー

 あけましておめでとうございます。

 2000年の正月は無事に来たでしょうか?会社で待機された方が沢山おられるようでご苦労様です。もしかして地球滅亡で誰もいなかったりして!!今年も波乱万丈の年になりそうですね。

 この大晦日から正月にかけて会社へ待機された人を激励に行ったトップや管理職はどの位いたのでしょうか?部下に一番辛い仕事をさせる時こそ上に立つものはその気持ちを思いやるべきではないでしょうか?

 しかしながらこういう考えは日本では受け入れられないようです。上に立つものは、自分で動くのではなく、人を動かすものであると。確かに、そうかもしれませんが、一番苦しいことを、上に立つものが知っていると言うことも大切であるように思います。
 どちらが良いとは言えませんが、自分がそれを経験していれば、少なくとも、部下に対して後ろめたさから来る遠慮をすることはないと思います。
 実は、こんなことを言うのは、自分では納得しているのですが、それが組織の長として未だに良かったのか悪かったのか分からないことがあるからなのです。
 それは、香川の所長をしている時の事です。サービス業のため大晦日の夜から、正月の朝にかけて当番が必要だったのです。そんな時に当番をさせるのは余りにも可哀想で、どうしたものかと思いましたが、そんなことで悩むのなら、自分でやろうということで、三年間位、毛布持参で当番をやりました。
 管理職として甘いといわれればそうでしょうが、どうしても、所員にさせることが出来ませんでした。
 それでも、そうやったお陰か、結構営業所が大変な時も、皆が無理を聞いて頑張ってくれたような気がして感謝しています。
 一度なんか、私を含め8人が風邪でダウンした時、営業を筆頭として他の部署の者がカバーして業務に支障をきたさなかったことがありました。明くる日、のんびりと出てきた私は、それを聞いて、驚くやら、感謝するやらで感激したものです。あの時は、本当にうれしかったのを今でも覚えています。
 今となれば、いい想い出となっていますし、苦しい時に先頭に立って頑張れば部下もついてきてくれるのではないかと思っています。

 さて、今年最初の団塊の世代の部屋ですが、『中坊公平の「人間力」 中坊公平・佐高信徳間書店 腐敗はいかにして生まれるのか 「棟梁」ではなく、「親方」でなくてはできないこと』にそんな気持ちにも通じるような言葉がありました。

…略
私は、仕事師ですから、社長にさえしていただければ仕事はします。私を起用するならば、社長にしてもらいたい」ということです。……中略 

 

  途中ですが一言。中坊さんほどの人がこう言うのです。それ以上の人が果たしてこの日本にどれほどいるのでしょう。↓にもあるように私も゛中坊首相"待望論者です。この危機的状況にあって小渕総理じゃどうしようもないと思いませんか。

 

 現場を知らないリーダーが組織を危うくする

 しかし、首相かどうかはともかくとして、現場を知らないリーダーが多すぎますね。…以下略

 

 年末の藤沢さんの組織論に続いて、年初めも組織に関する事ですが、いかに良い組織を作っても、リーダーが現場を知らなければどうにもならにということである。現場を知らないということは、私に言わせれば、自分の仕事に興味が無い事だと思います。興味の無い仕事に力が入るわけがありません。従業員は良い面の皮です。トップですらそうですから、中間管理職当たりが、現場を知らないなんてのはもってのほか、企業とは言えないと思います。
 第一線の人間が汗水たらして働いているのに、その上は皆、現場を知らないなんて、悲劇ですよ。そのくせ、ノルマだけは机上の空論で押し付け、挙句の果てに達成できないと責任を部下にかぶせる。
 こんな会社が今時あると思いますか?残念ながらあるんですね。

いつものように、何処とは言いませんが!

2000422日土曜日修正

200012日日曜日  第129話  上げ底

 第83話でも取り上げましたが、人間は、組織に属することにより、その組織に対する忠誠心第一になってしまうようである。組織に忠誠を尽くす余り、社会という視線を無くしてしまうのである。
 自分達に都合の良いように物事を解釈してしまう。その代表が、日本ではないでしょうか。日本の常識は世界の非常識という言葉に日本人の異常さが現されているといって良いでしょう。
 日本全体が、戦後、世界に追いつき追い越せでわき目も振らずに頑張っていた頃には世界もあたたかな目で見ていてくれた面もあると思いますが、世界でも有数の経済国になった今、同じようなことをしていては顰蹙を買うだけである。
 そんな日本の国の歪みは、すべての組織の歪みの集合といっても良いのではないでしょうか。

 

 そんな考えに答えてくれるような言葉が、『中坊公平の「人間力」 中坊公平・佐高信徳間書店「上げ底」で考えるか人間を基本に考えるか』の中にありました。

 …略

 私たちは、いずれ何らかの拘束を受けて゛上げ底"の上でものを判断していると思うのです。 ……以下略

 これは良いですね。物事の判断の基準が、今の日本の場合世界と比べても、どうしても自分の属する組織の損得になっているのが現状です。特に属する企業の利益が第一になっている。そこには他人を思いやる心は無いに等しい。自分たちさえ儲かればそれでいいのである。
 銀行のこれまでの行状をみると、全くそれだけしかない。自分たちの行動で国民全てにツケをまわしてなおかつ平気な顔をしている。企業に入ってしまうとここまで人間は卑劣になれるものだろうか。ようするに社畜になってしまっているのである。一人ひとりの人間はここまで悪くは無いと思うのだが、組織に入ると反抗できないのだろう。
 ここでこそ『
これだけ地球が一つになってくれば、今や、我々は「人類」か「人間」がどちらかを基準にしてものを考えなければ、どうにもなりません』と言う考えが大事になってくるのです。
 会社や組織でなく我々は「人類」、「人間」に属しているのです。自ずから何を基準にすべきかが分かるのではないでしょうか。一人ひとりがこの信念を持って行動すれば日本の夜明けも近いでしょう。

2000422日土曜日修正

200013日月曜日  第130話  国民主権

 明治維新にしても、基本的には無血革命に近いものであり、ましてや戦後の民主主義に至ってはアメリカに与えられたものである。それも、アメリカが自分達に都合の良いように、そして、実験として与えたものです。
 それ故に、その与えられた民主主義に対して殆ど、無関心だったのに違いない。その上、昔からのお上頼みがあるから、尚更、「お国が何とかしてくれるだろう」で真剣に取り組んでこなかったと思う。
 自分の力で勝ち取ったもので無いものに対する扱いがぞんざいになるのは、自分のお金で無い税金を無駄遣いするのと同じだと思います。
 何から何まで、他人任せの日本人の特性は、そうやって創られたのかもしれませんね。

 そんな気質について触れているところが、『続いて同じく「人間力」 司法から眺めたこの国の欠陥 国民が国民主権の使い方を知らない』にあります。

 国民主権について言えば、自分たちが主権者なんだ、自分たちが王様であり自分たちが国を運営しているんだという根本の感覚が、日本人には依然として育っていない。……以下略

 

 どうです、やっと何かがわかったような気がします。こんな大事な事を50歳を越えた私が今更知るというのも情けないですが、個人の責任もありますが、ここはやはり教育というものの大切さもあるのではないでしょうか。特に中坊さんが言われるように「本来は市民革命で勝ち取らなければいけないものを、上から与えられたものだから、有り難みがないというか、国民主権の使い方も知らない」ということが一番の問題ではないかと思います。
 この当たりを分かっている為政者が、政治を行う上で国民の知識が邪魔になるのであえて教えなかったのじゃないだろうかと邪推したくなるほどである。企業に都合の良い文句の一つも言わず上の言うことにおとなしく従う人を作る上で都合が悪かったのではないだろうか。
 まぁそこまで悪く取る事も無いだろうが、兎に角、単なる詰込みの受験の点取りのための教育より、この「国民主権」の大切さを教える事の方が教育としてはよっぽど大事ではなかったのだろうか。今からでも、始めなければ日本は良くならないだろう。

2000422日土曜日修正

200014日火曜日  第131話  あきらめるな!ニッポン

  日本国民は、政治や経済に幻滅しているし、銀行にも怒っている。それでは何故、それが生かされないのだろうか。それは、その怒りをぶつけてもどうにもならないとの諦めがあるからだろう。
 そのくらい、国民は、政治にも、経済にも、官僚にも裏切られつづけてきたという思いがあるのだろう。
 それは昨日の
第130話でも触れたように国民の側にも責任があるのです。何でも他人任せにして楽をしようとした結果、甘く見られて、良いように利用されるようになってしまったのです。要するにチェック機構が働いていないという事だと思います。

 

 中坊さんの国民主権に通じる面白い本を見つけました。「おごるな上司」で有名な堀田力さんのものです。
 そんな国民の諦めに、『堀田力の
「あきらめるな!ニッポン」堀田力 講談社文庫 あとがき 国民は白けているが、政治は動いている。』で触れています。

 ……中略
 市民の大方は、この激動期になっても、まだ眠っているように見えるが、頭は結構さえているし、自分で物事を解決しようという動きが着実に全国に広がっている。では、いつ、彼らは立ち上がるのだろうか。…・以下略

 

 やっぱり、日本の現状を憂えている人はたくさんいるようですが、中々それが、大きな流れになりません。このあとがきは最初に実業之日本社から出版されたときのものですがそのときはここにあるように楽観されていたようだが、この後この本が文庫本になったときの文庫版へのあとがきに「どうしてこんなに改革がすすまないのだろう。このままでは、日本がダメになることが見えているのに」と書かれている。
 これは、やはり国民一人ひとりの自覚を待つしかないだろうが、待っている間にどうしようもなくなるような気がします。昨日も触れた教育に待つには余りにも時間がかかりすぎます。 我々が生きている間にはどうにもならないでしょう。
 それじゃあどうするのか!やはり我々が自分で立ちあがるしかないでしょう。そのために今出来る事は選挙に自分の考えをぶつけるしかないでしょう。白けたら負けです。大勢の声無き怒りを信じて、ぶつけるしかない。それでも立ち上がらないのなら、それはそれでこの国はもうダメだということでしょう。責任はあんなバカな政治家を選んだ国民一人ひとりにあるのですから。

2000422日土曜日修正

200015日水曜日  第132話  仕事のプロ

  創業者社長とサラリーマン社長の違いとは何でしょう。それは、仕事に対する執念の差ではないかと思います。
 創業者というのは、自分がこだわった仕事で創業した場合が多いだけに、それにかける執念は並みのものではないのは当然でしょう。
 ところが、サラリーマン社長はやはり、就社した人が多く、就職ではないことが多いように重います。入社して、配属されてはじめて自分の仕事が与えられるのですから、それからの仕事との付き合いです。その上、総合職となると色んな部署を経験するという大義名分のため一つの仕事に精通する前に異動ということもあるでしょう。ですから、本当のプロに離れないと思います。そこには創業者ほどの執念が生まれないのも当然かもしれません。
 まして、日本のサラリーマン社長は、分科系が多く、理科系が少ないので、尚更その傾向が強いように思います。技術や研究となるとそれなりにのめりこむ人も多いでしょうが、事務系となるとどうしても広く浅くのことが多くなります。
 そうやって、社長になったサラリーマンは、仕事のプロより、社内遊泳の上手い人である傾向があるようです。仕事にこだわる人は、得てして社内遊泳のアマが多いように思われます。
 チョット、過激な考え方かもしれませんが、そういう傾向は少なからずあると思います。
 

 そんな仕事にこだわった代表のような本田宗一郎さんを、『読売新聞 2000年(平成12年)1月3日(月曜日)社説 新時代に挑む 経済によみがえれ「創意と責任」 いでよ、「俯瞰」する経営者』が、取り上げていました。

 本田さんは答えた。
 「うちは倒産するが設備は日本に残る。残ればまた、だれかがやるだろう」…以下略
 

 去年の暮れから第124話以降で取り上げた藤沢さんが自分たちのことを「本田宗一郎、藤沢武夫の特長は何かといえば、一言でいって、エキスパートであるということでしょう。面倒見のいい管理者タイプでは決してありません。本能と直感で動きます、こういう人間は、世間一般の組織図で固められた集団のなかでは生きられないのです。せいぜい出来の悪い管理者になって、才能を擦り減らしてしまうのがオチでしょう」と言っています。
 これから考えるに、今の経営者は、サラリーマンでしかないということなのではないでしょうか。即ち、仕事に惚れているので無く、単に組織の中を泳ぐことの上手い人間が他人を押しのけ勝ち上がって来ただけであり、そこには仕事に対する情熱など無く単なる出世欲の権化でしかないということです。
 要するに仕事は何でも良いわけで組織のトップに立つことが目的であり、仕事をする事が目的ではないわけです。ですからそこには仕事に対する愛情は無い。組織の中をどう上手く泳ぐかの関心だけで育ってきた人間に企業家精神を求めるのはハナから無理なのである。
 それではどうするのかと言うと、藤沢さんがやった様に、エキスパートを活かす組織を作ることしかないと思います。その差の大きな現われが、今の本田と日産の現在の姿なのではないでしょうか。
 ですから今更今の経営者に企業家精神を取り戻せと言っても、元からそんなものが無い人間が経営者になっているのですから無理と言うものではないでしょうか。

2000423日日曜日修正

200016日木曜日  第133話  日本の経営者

 今、元気のある会社は、昨日(第132話)も取り上げた創業者の心を受け継いでいる所が多いように思います。
 幾ら偉大な創業者の会社であっても、何代も続くと、創業者の心は忘れられて斜陽化して行くようである。企業の寿命30年という説がありますが、その当りも関係しているかもしれません。
 その中にあって、元気を保っているソニー、本田等はその双璧でしょう。しかしながら、この二社も、今は後継者を上手く選んでいますが、その良さが続くことこそ今後も存続して行く絶対条件ではないでしょうか。

 そんな二社に関係する面白い記事がありますので紹介します。両方ともに好きな週刊東洋経済の佐高さんものです。

20世紀超人伝説 佐高信が選ぶ経済人10傑 2000.1.1−8週刊東洋経済

 井深大と本田宗一郎。この二人がいるから、私は日本の経営者に絶望しないで済む。2人とも人マネが大嫌い。…中略

 この他、佐高さんが選らんだ八人は、早川 種三、松永 安左エ門、木川田 一隆、石田    禮助、大原 孫三郎、伊庭 貞剛、中山 素平、小倉 昌男である。いずれも興味あるひとたちである。石田禮助さんはすでに取り上げたが、他の人も、いつかは取り上げたい。

 いずれにしても、ここに取り上げられた人達は仕事に惚れぬいた人ばかりであり、出世がどうのと言うような単なるサラリ−マン経営者はいないことだけは間違い無い。
 この人達も日本の社会では苦労をされているが、それなりに力を持っていたからここまで来たが、そうでない普通の仕事人間が活躍できる為にも昨日も触れた、エキスパートを活かせる社会の実現が焦眉の急である。おべんちゃら上手だけが活かされる社会では日本の夜明けは無い。

2000423日日曜日修正

200017日金曜日  第134話  他人のお金

 あの中坊さんでさえある訴訟に勝ったとき目の前に積まれた金の中からホンの一部を報酬としてもらったとき、最初から決められていた金額でありながら、誰か、もっとどうぞと言わないのかと思ったそうです。
 あれだけの実績を残してきた人にしてこの言葉ですから、大抵の人間はその誘惑に逆らうことは出来ないのではないでしょうか。
 余程きちんと厳格に育てられたか、信念を持った人間でないと、このように人の金を目の前にして、平常心を保つのは難しそうです。

 そんな人間の弱さに触れた言葉が、読売新聞 1月4日 火曜日 2000年(平成12年)のミルトン・フリードマン氏(76年ノーベル経済学賞受賞。87歳)の対談の中「21世紀への対話 政府と市場主義」にありました。

 

 フリードマン
 ……略
 「人はだれも、他人のお金を自分のお金を使うように注意深く使わない」。それが重要な命題です。

 この「人はだれも、他人のお金を自分のお金を使うように注意深く使わない」という言葉は、ズバリと本質を突いていると思います。公務員が予算のムダ遣いをするのは正にこのためです。企業でもそうでしょう。自分のお金を使うときの慎重さが税金とか会社の費用となるとガラッと気持ちが変わるのです。使わなきゃ損とばかりに振舞うのです。その上残すと翌年の予算が付かないから、余ったものまでムダに使いきってしまう。
 これは皆が分っていることなのでしょうが、誰も改革しようとしない。これが人間の身勝手というものでしょうか。人間て情けないですね。と言いながらも私も同じ立場ならきっと同じようにやるんじゃないでしょうか。
  やはり、
第105話で取り上げた『いま「武士道」を読む』の本文にあった、「金銭と金銭慾とをつとめて無視したるにより、武士道は金銭に基づく凡百の弊害から久しく自由であることをえた。しかしああ!現代における拝金思想の増大何ぞそれ速やかなるや。」という言葉が重いです。
 中坊さんや石田禮助さんの精神を持った人でないと無理かもしれない。 これはやはり育て方や教育でしかできないことなのでしょうか。ホント寂しいですね。

2000423日日曜日修正

200018日土曜日  第135話  無責任政治

 正月も終わり仕事も始まりましたが、相変らず先行きの分らない日本です。一体、政治家は日本をどうしようとしているのでしょう。
 自分達の利益や選挙ばかり考えて、圧力団体のために働く、所謂族議員ばかりではないでしょうか。
 これほどの、閉塞感に覆われた今のこの時に国の将来を考えずに、何時考えるのでしょうか。
 ここまで腐ってしまうともうどんなリーダーシップを持った人が出てきても、どうしようもないかもしれません。この後に及んでも自分の事しか考えないのですから。

 大阪府知事の候補者選びで相も変らず、国民を無視して政治家の都合ばかりでやろうとしています。
 そんな、国民をほったらかしの政治について昨年の暮れの「朝日新聞 天声人語」に井原西鶴の『世間(せけん)胸算用(むねさんよう)』からの引用した面白い言葉がありました。

 ……略

 国民を火の車に乗せていることにも、気づかぬふりをしている。……以下略

  どうです、この小渕政権の無責任さ。そこには国民とか、日本の国の将来という視点は全くないように思えます。政権をどうやって長続きさせるかという視点しかないようです。すべてが、国民に目先の利益をちらつかせる方式である。「アホな国民はこれで騙されるだろう」と思っているに違いありません。
 これほどまでに国民をバカにしていることがあるでしょうか。今の国民が小手先の方策に喜ぶと思っているのでしょうか。挙句の果てには『
「ペイオフ解禁」を先送りすることで合意した』とはあいた口が塞がらないとはこのことでしょう。どこまで税金をムダにすれば気が済むのだろう。
 あの人達は自分達さえ良ければ日本の国なんかどうなってもいいのでしょう。将来の国民がすべてのツケを払わされるのです。あんな奴等を選んだのは我々なんです。

正月にミサイルでも飛んできた方が良かったかもしれないですネ!!

2000423日日曜日修正

200019日日曜日  第136話  先送り

 昨日、第135話で触れたように政治家が、自分の事しか考えず問題を先送りするばかりである。
 考えてみれば、日本の国にそんな政治家が出たことがあるのだろうか?戦前、戦後を問わずこれといった人はどれくらいいたのだろう。
 多分、何人かはいたのでしょうけれど、勉強不足で思い出しません。ここで良く取り上げる石橋湛山さんも力を発揮する時間がありませんでした。
 明治維新から大正にかけての政治家にかろうじて名前を残した人もいるようですが、これも賛否両論というところじゃないでしょうか。

 もしかしたら、日本という国にはそんなリーダーは似合わないのでしょうか?

そんなことを考えさせられる言葉が「日本経済新聞 2000年(平成12年)1月6日(木曜日)大機小機 ダイナミズムへの挑戦の年に」ありました。

  ……略
 目先のつじつま合わせではなく、大きく構えて国民をその気にさせるダイナミズムを生む政策を望みたい。 (望)

 これだけ先送りに対する批判の記事がめにつくようになっている。もう、いい加減に今までの「一過性の効果しかなかった」「予算のバラマキ」で国民をコケにするのはやめて、根本的なテコ入れをする必要がある。
 目先の選挙のための人気取りや圧力団体の声ばかり聞いていたのでは今までと何の変わりもないのである。確かに大きな変革は一時的には一部の団体の反対やスコミの偏った報道などの標的になるだろうが将来の日本を憂えるサイレントマジョリテイである国民はそこまでバカじゃないはずだ、将来のためになる根本的な政策には耐えるに違いない。それこそが「
目先のつじつま合わせではなく、大きく構えて国民をその気にさせるダイナミズムを生む政策」である。心有る国民はそれを待っているのである。何時までも小渕政権の無策を放っておくことはできないときが来ているのだ。何故、将来の日本を考える政治ができないのだろう。それ程、日本人は救いようがないのだろうか。

2000423日日曜日修正

2000110日月曜日  第137話  山の国と海の国

 今年初めてのサンデープロジェクト見ました。田原さんが小渕総理にTELしたりしていました。政治家は怖いですね、言葉だけ聞いていると、いかに一生懸命国の未来を考えているかというようなことをいってましたが、所詮上辺だけだと思います。それを象徴するようなことがその後の経済予測のなかでありました。

 それは3人のエコノミストに今年の予測を聞いたものであるがその中で慶応大学教授竹中平蔵さんが日本の国は山の国と海の国の二つがあるという表現をしていた。それは従来の規制に守られた旧来依然としたグループ、銀行、ゼネコン等を代表とするもので、これを山の国と呼び。海の国は情報産業など規制が無い自分達の力で、すさまじい勢いで伸びて行っているグループ、孫さんのところのソフトバンクのようなベンチャ―企業が代表でしょう。
 今の日本はこのすさまじく伸びている海の国と規制に守られて更に壁を高くしている山の国があるのでトータルとして停滞しているのであるということである。この表現は非常に分り易くて良かった。
 ところが悪いことに山の国が従来の自民党の選挙基盤であるということである。だから政府も何をやらなければいけないか分っていても選挙を考えると思いきってできないというか、やらないということであるようだ。要するに日本の将来より自分達の身分が可愛いだけである。特に
「ペイオフ解禁」等は其の最たるものである。すべてが先送りである。その裏には今言った選挙対策があるのである。アレほど日本を滅茶苦茶にした銀行をまだ救おうとしているのである。
 折角伸びようとしている海の国があるのに山の国を助けるために足を引っ張っているのです。何故自分を捨てて、日本の国の根本的な改革をやろうとしないのか。海の国が伸びれば、山の国からの人も吸収されるはずである。確かに一時期耐えなければならないだろうが将来のためには皆で耐えなければならないし、その救済のためにこそ税金は使われるべきだろう。
 今こそ自分を捨てられる、中坊さんのような人が求められているとは思いませんか。口だけ上手い政治家は信頼できない。

2000111日火曜日  第138話  田中秀征

  過去の素晴らしい人というのは大抵その親の育て方に大きく影響されているように思える。ここで今まで取り上げた中坊さんとか、石田禮助さんでもやはり両親の影響が大きいような気がする。ということはここまで崩れた日本が立ち直るには気の遠くなるような時間が必要ということである。まず親から育てなければならないのだから。
 特に、戦後の急激な教育の変化により、日本全体が教育に迷い、戦前の教育に拒否反応をする余り、道徳教育を避けてきたようである。その付けが、今になって来ているような気がする。
 日本を背負って立つというような気概を持った人間は、受験勉強だけでは到底育てることは出来ないだろう。
 
第105話で触れたようなサムライを育てる必要があるのかもしれない。
 

 そんなサムライの一人であると思われる佐高信さんが好きな政治家にあげている田中秀征企画庁長官の記事が「日本経済新聞 2000年(平成12年)1月7日(金曜日)日本経済を聞く」にありましたさすがに佐高さんが押す人だけに面白い内容である。

  「政府は放っておけば大きくなる。既得権益は自己増殖するからだ。小さな政府づくりとは、かくも難しい」

  「最大のモラルハザードはバブルの発生、崩壊からその後始末に至るまでの失政の責任を政治家、官僚ともきちんと引き受けていないことだ」…以下略
 

 やはり中々厳しいですね。これでないと、佐高さんが認めるはずが無いですね。それにしても、いかに政治家とか官僚が自分を律することをしていないかがよく分る。
 所詮人間は自分に厳しくということは出来ないものなのか。人間というものは情けないものであるが、それだからこそ、自分を律することの出来る人の評価が上がるのかもしれない。
 教育でそんな人間を育てるのは殆ど不可能ではないだろうか。育てる方がそれ以上の人間でないと難しいと思われる。
 芸術化でも子供のときから本物に接していなければ難しいそうである、ましてや人格はそれ以上の人格に育てられる必要があるのではないでしょうか。

こりゃ大変だ!!日本の将来ちょっと望み薄かな!

2000424日月曜日修正

2000112日水曜日  第139話  ペイオフ

 国民が折角、ルールに従って、耐えようとしているのに政府がそのルールを変えてしまう。ある程度国民もいやだけど、「日本が良くなるためにはある程度の痛みも必要かな」と覚悟しているのに、田中秀征さんもふれている地域振興券とか介護保険とか次から次と国民をコケにした政策を出してくる。その仕上げのように今度のペイオフ延期をきめてしまった。
 いかに国民の方を向いて政治をしていないかということである。くしくも先日慶応大学教授
竹中平蔵さんが行ってたように一部の選挙基盤である山の国だけを見て政治をやっているということである。

 このペイオフについての記事が昨日と同じコラム「日本経済新聞 2000年(平成12年)1月8日(土曜日)日本経済を聞く 6池尾和人 慶大教授 過剰貸し出し圧縮カギ金融再生、道のり遠い」にありました。金融再生問題の中で取り上げられているものである。ペイオフの所だけを取り上げます。

 ……略

 ペイオフ(預金などの払い戻し保証を一定額までとする措置)の解禁が一年延期となった。この影響は。

 「例えるなら『良薬は口に苦いから飲まない』という感じだ。…以下略

 

 年末のこの延期決定からどれだけの批判がおきていることだろう。この部屋でも何度もでてきた。それだけこの延期には何の根拠も無いのが誰の目にもあきらかである。それなのになぜやるのか、そこにはどう見ても選挙対策しか見えない。小渕政権が国民の本当の気持ちを分らず、表面だけで喜ぶだろうとバカにした結果だと思う。ところが国民はそれ程バカじゃなかったということではないだろうか、小渕内閣の支持率が又下がり出したそうである。

ここまでコケにされてもついて行くのですか皆さん!!

2000426日水曜日修正

2000113日木曜日  第140話  反骨精神

 元プロ野球ジャイアンツの選手落合博光さんは今までのプロ野球選手の中では異色である。高校時代から、所謂、体育会系ののりを嫌い、下級生をいじめると言う事はなかったそうである。それどころか、そういう体質を嫌って、高校、大学の野球部を途中でやめているのである。それでいて社会人から遅く入ったプロでアレだけの成績を残したのである。
 一番古い体質の体育会系の中で自分を通し誰にも負けない成績を残したということは、人一倍抵抗があったはずであるがそれを感じさせない。すごい人である。
 この落合さんがインタビューで、「実力の世界といわれるプロの世界にも、好き嫌いの人事がありますよ」と言っていたのが印象に残っています。

 

 そんな落合選手にも関連する面白い記事が『日本経済新聞 2000年(平成12年)1月7日(金曜日)チェンジアップ 豊田 泰光 清原「孤独」に復活の芽』にありました。

 ……前略

 張本や落合ら巨人に移籍してつぶれなかった選手は、みな反骨精神を売り物にしていたような選手だ。孤独を恐れないだけでなく、自らを鼓舞していくタイプである。
 ……以下略 (野球評論家)

 この「巨人に移籍してつぶれなかった選手は、みな反骨精神を売り物にしていたような選手だ。孤独を恐れないだけでなく、自らを鼓舞していくタイプである。」という言葉が気に入りました。
 本当に強い人は孤独に耐えられる人である。日本人特有の群れるということがない。付和雷同がない。自分の考えを持っている。このあたりはすべて、今のような右肩上がりが望みにくい時代の経営者や管理職に求められることではないだろうか。右肩上がりのときは、きちんとしたポリシーを持たない、上の言うことを伝達するだけの管理職でも誤魔化せたが、今、そんなことをしていたら会社自体が無くなってしまう。
 自分の考えで動ける人間が必要とされているはずである。これと思った方針を大胆に進めていく意志の強さが求められる。他人と同じ事をしているようではこの時代を勝ちぬくことは出来ないのではないか。まだまだ日本の企業ではそういう人は受け入れられないが…。

 2000423日日曜日修正

2000114日金曜日  第141話  日本らしさ

 大阪の夏の暑さはどうだろう、車やビルのクーラーの吐き出す熱で昔には無かった絶えられない暑さ。そのくせ部屋の中では冷房病の心配をしている。サラリーマンはネクタイに背広で虫の息。一体、我々は何をやっているんでしょうね。
 何故、エネルギーの無駄遣いをしてまで背広を着なければならないのでしょう。石油ショックの時、大平総理達が省エネルックと称して半そでの背広を着ていましたが、あの心意気はどこへいったのでしょうか。
 まぁ、あの背広は着たいとは思いませんが、背広自体を止めて、半そで開襟シャツならどんなにいいでしょう。旦に、西欧から入ってきた背広を、そこまで後生大事に着るのは何故でしょう。
 こんなことこそ、政府や企業、官公庁等の上からやってもらわないと日本では定着しないのですから。大体において、下のものが背広を着ないと文句を言うのは上のものなんですから、上が止めれば、下はすぐに止めるでしょう。こんな時こそ、上ばかり見るサラリーマンの習性をりようすればいいのですが。
 香川でいた頃、ブレザーしか着なくて飛ばされたはぐれ者の私でも、商売でお客さんを訪問する時には上着を着ざるをえないのですから、普通の人は難しいと思います。
 
 昔の日本人はどんな夏を過ごしていたのか、思い出すことも出来ない。尤もサラリーマンなんていなかったかな。
 せめて、ノーネクタイの半そでシャツぐらいにして欲しい!!ホント変な国!
 ちょっと季節に合わなかったですね。

 考えさせられるコラムがありました。尾道で有名な映画監督の大林宣彦さんの記事です。

日経流通新聞 2000年(平成12年)1月8日(土曜日) 先探人 美しさ失った日本人に警鐘 大林 宣彦さん 心の豊さ映画で伝える

 ……略

  「この国は急に日本らしさをうしなってしまった。日本人が美しさをなくしていく。これほど短期間にその国らしさを失った国はない」。黒沢や小津の世界から逸脱していく日本。 ……以下略

 どうです考えさせられますね。戦後日本人が捨ててきたことへの警鐘があります。便利さとは即ちわがままであり、自分さえ良ければの今の風潮のすべてかもしれない。
 石油を好きなだけ使い、地球を汚し放題、そこには将来の子供たちを思う心は微塵もない。我々の子供の時にはまだあった自然はもうない。メダカさえ絶滅寸前だそうである。 

せめて夏の背広くらい止めましょう!

2000426日水曜日修正

2000115日土曜日  第142話  世界一の借金王

 いつもの石井氏のコラムが又面白い。

2000.1.15 ◆ 週刊東洋経済

経済人言葉ウォッチ

石井信平
映像&出版プロデューサー

「世界一の借金王」が君臨する
2000年のSM状況

 2000年度の国家予算を見ると、八十五兆円の歳出を、三十二兆円の国債で賄う。「私は世界一の借金王」と小渕首相は大見得を切ったが、一体、こんな低水準の冗談を、報道する価値があるのだろうか?
 「マダム、もう一杯!」限りなくツケをしながら、カウンターを離れずに飲み続ける酔客の、チリチリと刺すような焦りが、酔いとともに次第にSM的な快感に転じる。「俺こそ、この店一番のツケ侍」とオブチはわめく。このツケの払いは国民だ。
 人の感覚は複雑で、痛いとか苦しいことに快感を覚える。この相矛盾した、アンビバレンツな感覚こそ、人間心理と生体の微妙な揺らぎを暗示し、そこから詩や文学が生まれる。小渕総理の強さは「人柄」にありという説があるが、私は踏み込んで言いたい。彼はSMの快感にはまってしまった。
 予算閣議の直後に開かれた経済戦略会議で小渕首相は語った。「景気対策は一服して、来年からは構造対策ですか、とよく聞かれるが、どちらも継続して対応していく案件だ」(朝日新聞、
19991226日)。実に、彼のアンビバレンツな状況を的確に語っている。
 公共事業をバラまく景気対策と、財政の健全化を図る構造改革は、正反対の一大事業である。「借金はするぞ」と「借金は返すぞ」を同時にスローガンにして、「どちらも継続して対応しよう」というのだ。もう、縛られながらキモチいいと思うSM的状況としか言いようがない。
 敗戦はゼロからのスタートだった。「復興」を得意とする国民は破局から学ばず、破局をキモチいい、と思う感性が運命づけられている。権力とはアンビバレンツな快感だ。同時に、この国の国民も、働き、絞られ、リストラされる快感にはまった無抵抗なM奴隷である。
 改革も改造も革命も、この国にはふさわしくない。日本列島は一大SMプレーの官能現場として、二千年紀を迎えた。

 相変らず痛烈である。「この国の国民も、働き、絞られ、リストラされる快感にはまった無抵抗なM奴隷である」とはいいえて妙の一言である。何時も言うようにこれだけバカにされても立ちあがらない国民は日本人だけなのかもしれない。ここまで為政者の都合の良いように飼いならされてしまっては「無抵抗なM奴隷」と言われても仕様がない。
 これはやはり教育だろうか、それとも国民性か?

2000116日日曜日  第143話  世間

 どうして日本人は、ここまで自分が属する組織に弱いのだろうか。国土の狭さに関係あるのだろうか?いや、そんなはずはない、世界にはもっと小さな国もある。
 やはり、これは江戸時代の幕府の政策によるような気がする。5人百姓という最低の単位での相互監視による政治に慣らされてしまったのではないでしょうか?300年かかって体に染み付いたものは300年掛けなければ体から抜け出さないのだろう。
 それ程、徳川幕府300年の治世は日本人の体に染み付いている。世界的に見ても300年の平和ボケの国はないのではないでしょうか。抑えつけられながらも、何処かお上任せの気楽さにもなれてしまったのかもしれません。そうでなければ、日本人のこの異常さは説明がつかないと思います。

 そんな疑問に答えるような面白いコラムがありました。

 日本経済新聞 2000年(平成12年)1月10日(月曜日) 時論 阿部 謹也 共立女子大学学長(一橋大学前学長) 文系・理系の区分は幻想 新千年紀へ教育再構築を

 …略 このことは欧米社会に「世間」がないということと深くかかわっているのだが、わが国の世間は贈与と長幼の序を原理としているだけでなく、時間を共有している関係でもある。欧米の社会では個人は自分の時間を生きているのであって、家族以外にはそれを共有できる人は極めて少ないのである。…以下略

 

 ここでは前半に触れたい。「このことは欧米社会に「世間」がないということと深くかかわっているのだが、わが国の世間は贈与と長幼の序を原理としているだけでなく、時間を共有している関係でもある」や「この違いは日本人の人間関系のすべてを規定しているといえるほどの影響力を持っている。同じ時間の中で生きているため、常に先輩・後輩の関係が問題になる」という言葉が面白かった。
 
これは以前触れたが、相互監視や恥の文化である。要するに他人の目を意識することにより自分というものがなくなるのである。これこそが日本人を「無抵抗なM奴隷」にしている原因ではないだろうか。これは江戸時代からの村社会の管理が今も生きている証拠でもある。つまり日本人は他人と同じ事をして入れば安心というように意識付けられ、育てられてきたために、人と違ったことが出来ないのである。
 ビート猛の言った「赤信号みんなで渡れば怖くない」こそが日本人の体質を見事に現しているのではないだろうか。
 だからみんなで為政者にバカにされながらじっと耐えているのである。このコラムの表題「新千年紀へ教育再構築を」が必要だが余りにも遅いのではないだろうか。

 関連参照 第41話 第44話

2000426日水曜日修正

2000117日月曜日  第144話  マスコミ

 どうにも納得がいかないのが、政治家にしろ、財界人にしろ一人ひとり話を聞くと、「今の日本は駄目だ、何とかしなくちゃ」と言うことである。ところが実際やっている事は、全く違っているのである。
 そして言うことは決まっている。「組織の都合があってそう上手くはいかない」というのである。それで済ませるなら、リーダーは要らないということではないでしょうか?
 組織が間違った方向に行かないようにするのがリーダーの役割ではないか、組織の流れに任せてしまうのならリーダーは必要ないと思います。
 ところが、日本のリーダーは、リーダーシップのあるなしで決めているのでなく、組織の都合だけで決められている為、リーダーが本当乗のリダーシッップを発揮できないのである。
 何時までも、こんなことなかれ主義でやっている限り、日本の将来はないはずです。

 ところが、えらく楽観的な記事があった。時々取り上げているコラムであるが、ちょっと今までとは筆致が違うような気がするが、それなりに面白いかもしれない。
 「日本経済新聞 2000年
(平成12年)1月12日(水曜日)大機小機 新しい日本」より。

  …略 
 第四に、私たちが目指すべき方向・ベクトルは定まった。情報社会であり、活力ある中高年社会の構築である。…中略 
 2001年の巳年あたりから、新しい日本の活力が顕在化してくると思う。 (一礫)

 どうです面白いと思いません。久し振りに政府のちょうちん記事を見た気分です。第一から第三までは特に異論はありませんでしたのではぶきますが、第四に至っては、今の政府が全くやろうとしていないことを既にやってしまって、後は仕上げを待つというような結論である。
 確かに「
私たちが目指すべき方向・ベクトルは定まった。情報社会であり、活力ある中高年社会の構築である」ということを実行に移すような政策を行っているのなら筆者の言う通りだろうが、その全く反対が今の小渕政権ではないのか。これを実行するように政府に求めるのなら分るが、どうもおかしい気がする。
 佐高さんが以前日経はおかしいといって睨まれていると言っていたがこういうところがそうなのだろうか。ちょっとがっかりである。
 これを考えさせられる面白い記事が年末にあったので書いておきます。

1229日 ◇天声人語◇

 作家、高杉良(りょう)さん(60)。…中略
 都合よくわい小化する意図があるようにも見える。一番反省すべきはマスメディアではないですか」。

 どうですか、この言葉「一番反省すべきはマスメディアではないですか」は、その通りだと思います。マスコミの力が強いだけに、心して欲しいものです。
 今の日本の閉塞感の何%かは、マスコミの責任もあると思います。マスコミに携わる人達、特に上層部に、政治家や、官僚、財界人と同じように自分の仕事のプロがいないということだと思います。

日本中無責任でどこへ行く!

2000426日水曜日修正

2000118日火曜日  第145話  先送り

 選挙対策かどうか知りませんが、自分達の事しか考えずに先延ばしばかりしている政府は必要無い。 進むべき道が見えているのに邪魔しているのが政府じゃ国民はたまったものじゃないです。そう思いませんか。
 政治家だって、最初から自分のことしか考えない者ばかりじゃなかったと思います。国民の為、日本の為に働こうと思って政治家を志した人もいるはずです。それがどうしてこうなるのでしょう。
 それは、やはり国民にも責任があると思います。誰も、監視しようとしないし、自分達に利益をもたらすように働きかけることしかしないからでしょう。

 きっと、国民はレベルにあった政治家しか持てないのでしょう。

今日の日経には笑いました。昨日久し振りにちょっとおかしいんじゃないかと取り上げた同じコラムに「日本経済新聞 2000年(平成12年)1月15日(土曜日)大機小機 長期展望に立った国策の構築を」というその返事みたいなのがありました。まさかここを見てるわけじゃあるまいし。

…略
 
しかし、自律的回復の条件が整ったかというと、決してそうではなく、問題の先送りにより病状を悪化させたのではないかとすら思える。…以下略 (遠山)

 どうです、このぐらい同じ事をそれも同じコラムで論じて正反対の結論に達するのも面白いですね。しかし、それを両方とも載せるというのは昨日はがっかりしましたが、日経も捨てたもんじゃないかもしれないですね。
 昨日も言いましたが目指す方向は確かに同じというのは賛成ですが、それに対する政府の政策が余りにもズレているということです。そこの結論が昨日と今日のコラムでは正反対に思えました。

2000427日木曜日修正

2000119日水曜日  第146話  指導者 転職失敗記

 最近経営者ということで身近な所で話題になったことがあります。それは、経済界の中では評価されている企業(特に業績面)でも、そこで働く従業員にとってはその中身は体のいい奴隷制度か、封建社会そのもののような企業があるということである。
 誰もそんなひどい経営者の会社になんか勤めたくないはずだが、運悪くそんな会社に勤めたばかりに一生台無しにされた人も多いはずである。それだけ外から見て分らないのが会社ではないだろうか?
 会社を良くするか悪くするか、それはやはり経営者の考え方一つであるようにに思える。

 まずは世界の経営者ともいえる政治家の面白い話が「2000.1.15週刊東洋経済 新しい皮袋の中身は」にありましたで取り上げます。 

 …略
 90年代を代表した二人の大統領―クリントン、エリツィンの退場が確定している。まれにみる幸運に恵まれて、最高権力者の地位を維持し、人気は高かったものの、二期八年の実績らしきものがほとんどない大統領。スキャンダルが後世に残るだけかもしれない人物。…中略
 他方、旧体制破壊者としての腕力は確かに発揮したが、建設者としては当初から全く期待させられず、実際そのとうりに、破壊状態の大国をあてどもなく漂わせてしまった、超権力妄執型指導者。…以下略 (東風)

 世界の指導者にも変なのがいる。まして日本のおいておや…。どこかで聞いたようなセリフですね。歎異抄の善人なおもて往生す、ましてや悪人おや…だったかな?
 横道にそれましたが、両大国の指導者でさえ必ずしも立派な人がなるわけじゃない。まして日本に碌なのがいなくてもしょうがないのかな!人間て悲しいですね。
 実はこのところ、ひどい経営者について考えさせられることがあったのですが、国のトップでさえひどいのがいるくらいだからたかが企業の経営者にひどいのがいても当たり前かと悲しくなります。
  一部上場している大会社だからといって中に入れば封建社会そのもののような会社もあるらしい、まして中小零細企業にそんな会社はごろごろしている。折角の人生をそんな企業に勤めたばかりに台無しにされたくないものである。それなら辞めれば良いじゃないかということになりますが、何度も触れてきたように日本の社会はまだまだ労働力の流動性がありません。動けば動くほど条件が悪くなるのがほとんどです。泣く泣く辛抱している人がおおいはずです。

 そんなひどい企業を書いたHPも沢山あるようです。そういう一つがありました。リンクをお願いしてみました。考えさせられます。希望に燃え、目標を持って頑張っている努力する人間を踏みにじるような経営者がいるんですね。本当に腹が立ちます。そんな人間が経営者でございと堂々と他人を踏みにじって生きているのです。許せません。

 経営者たるもの自分は、他人の人生を左右するだけの立場にあるという自覚と責任感を持って経営にあたって欲しい。それだけの責任があるはずである。他人の人生を滅茶苦茶にする権利があるはずがない。重く受け止めて欲しい。そんな覚悟を持って経営している人間がどれだけいるだろうか、いないだろうなぁ。

転職失敗記

2000427日木曜日修正

2000120日木曜日  第147話  清濁併せ呑む

 そごうの水島会長が責任を取って辞任しました。バブルの時はその経営手腕を持ち上げられ、その経営方法をお手本にするようにと、雑誌にもかかれたものです。その裏には、銀行が見え隠れします。
 しかしバブルがはじけ、経営の実態のなさがさらけ出されたが、誰も、辞めさせることが出来ずに泥沼に陥った。裸の王様の典型のように思えます。
 マスコミも、自分達が持ち上げておいて、いざとなったら、自分達の不明には触れずに容赦なくたたく。
 もっと、責任を持って記事を書いて欲しいものである。

 そんな経営者ということに関する面白い記事がありました。

 今話題の人、孫正義さんのインタビュー記事「2000.1.15週刊東洋経INTERVIEW 激動期、革命期には上がアホではもたない 孫正義」です。

  …略
   いままでの日本の大企業の経営者というのは、そういう議論をすると、「アイツは青い」となった。むしろ「清濁グッと併せのむヤツ」とか、そういう人ばかり偉くなってきた。これが日本の大企業の根底の問題ですよ。…以下略
 

 良いですね、この『いままでの日本の大企業の経営者というのは、そういう議論をすると、「アイツは青い」となった。むしろ「清濁グッと併せのむヤツ」とか、そういう人ばかり偉くなってきた。これが日本の大企業の根底の問題ですよ。』という考えこそ以前から私が主張してきたことそのものである。
 この清濁併せ呑むという言葉にどれだけの人間が泣かされてきたでしょう。要するに、悪いことをした奴らが自分達の悪い所を隠す都合のいい隠れ蓑に使ったのです。
 何故か日本人はこの言葉に弱く、この言葉の前に悪事を見逃してきたような気がします。
 今までの右肩上がりの時代にはこういう経営者でも何とか誤魔化せた。しかし今のような「
激動期、革命期」にそんな悠長な経営では乗り切って行けないのである。

 新しい考えの孫正義さんがこうしてマスコミの兆児となってマスコミにちやほやされている時、同じく時代の兆児として二十年〜三十年(?)くらい前にマスコミにおだてあげられた坪内さんが去年の暮れに亡くなった。あの当時は今と同じようにマスコミがこぞって坪内さんの経営を褒め上げたものである。私も何冊か本も読ませていただいたが、来島ドックの挫折によってマスコミから見放されてしまった。

 アレを見せられているので、孫さんが将来もしつまずくようなことがあれば、又、マスコミにたたかれ捨てられるのだろうなと考えてしまう。どうも日本のマスコミはあまりにもポリシーが無い。この国がここまでひどくなったのも、マスコミの責任も小さくは無いと思う。

2000427日木曜日修正

2000121日金曜日  第148話  マスコミ

 日本人は特にマスコミや権威に弱く、何でも信じてしまうところがある。ましてや、新卒の学生さんなんか世間の裏も知らずにリクルートあたりのちょうちん記事を真に受けて企業を選ぶのだから、その責任たるや重大である。一度就職すれば、ただでさえ労働流動性の無い日本では転職することは至難なのだから。
 マスコミに携わる人は、マスコミの影響力の怖さをもっと真剣に考えて欲しいものである。マスコミが深く考えずに書いた記事によってどれだけの人が犠牲になっているか考えたことがないとは言わさない。知っていて、尚且つ、組織の都合だけで弱者を切り捨てているのだろうと思います。
 マスコミがキチンと企業の本当を取り上げることで、従業員を食い物にしているような企業が少しでもなくなることを願いたい。

 経営者についての面白い記事が「2000.1.22週刊東洋経済 企業の優劣は社長が決する 福田富子 兵庫県加古川市・会社員・31歳」にありました。読者の広場への投書です。

 …略
 「結局、すべての責任は社長にある。景気・不景気・運・不運はあるが、それらも含めてすべて社長に帰属する。どんなに経済状況が悪くても、ちゃんと利益をあげて営業を継続している企業があるのだから」。…以下略
 

 これは面白い。この言葉は強烈ですね。
 しかし、これが本当じゃないでしょうか。この上に昨日も述べたように社員にたいする責任を考えて欲しい。ただ利益さえ上げれば優秀な経営者、素晴らしい企業という視点のうえに社員を酷使したり、ひどい待遇をしていないかなどの厳しい評価の視点が必要である。
 マスコミはそのあたりの視点が欠落しているように思われる。ただ大企業の経営者であるとか、業績が良いとかだけでちょうちん記事を簡単に書いているように思える。

 佐高さんがリクルートが企業から広告費をとって本を出すことによって大きくなったことを批判していたが、それは金をもらって本当の批評ができるのかという視点からであった。この批判精神を社会全体が持つ必要があると思う。特にマスコミはその必要があるはずである。

2000427日木曜日修正

2000122日土曜日  第149話  地域振興券

 竹下元総理の引退がやっと決まったようですが、あの古里創生基金を思い出します。あれほどの壮絶なむだ遣いを許した日本国民とは一体何なんでしょう。
 津名町の金の延べ棒だけが騒がれて、一体、何が残ったのでしょう。あの無駄遣いを、もっと生きた金として、何か一つのことに集中して使ったらもっとすばらしいことが出来たような気がします。
 そして、去年は、その子分の小渕総理が、公明党を取り込む為に、地域振興券という竹下さんに劣らない馬鹿げたことをやりました。
 何の役にも立たなかったことは、誰が見てもハッキリしています。何とも情けないことばかりです。

  そんなばかばかしさを取り上げた、もろ手を挙げて賛成する記事が「週刊東洋経済2000.1.22 編集室から」にありました。

 地域振興券、介護保険見直しなど、天下の愚作数あれど、昨年末の与党による「ペイオフ解禁」の一年延長は、その極め付けでした。…以下略(山縣)

 どうです、この部屋で取り上げてきたことをズバリと書いてくれています。ここまで私の気持ちを代弁してくれると、かえって気持ちが悪いくらいです。しかし、これが普通の国民の本当の気持ちではないでしょうか。
 マスコミが、この位きちんと真実を伝えてくれればもう少し日本も良くなったのではないでしょうか、惜しむらくは、こういうきちんとしたマスコミはこの週刊東洋経済を代表としても少なすぎると思います。特にマスメディアであり一番影響力のあるTV、新聞には頑張って欲しい。
 最近では、今年になって読売新聞が、過激な写真を載せた週刊誌の広告を掲載しないことを決め実行しているが、これ等はスタンドプレイかもしれないがいいことだと思う。
 裏には、色々と出版社と新聞社の喧嘩があるようですが、きっかけは何であれ良いことが行われればそれで良いじゃないですか。
 マスコミは影響力を真剣に考えて、少しずつでもこういうことを実行して行って欲しいものである。

 2000427日木曜日修正

2000122日土曜日  第150話  天候異変

 まともな季節が来なくなってどのくらい立つでしょう。毎年、天候異変が起きて、「ああ今年もか」と誰もが気にもしなくなってしまった。
 季節がキチンと来ないということは、経済にも悪影響を与える。夏はあくまで暑く、冬はそれなりに寒い。そうならないと困る業種というのは結構あるものです。
 何時だったか、冷夏で海水浴場が軒並み打撃を被った時もありました。暖冬で、冬物衣料が投売りになったときもありました。
 これだけまともに季節が来ないということは、炭酸ガスによる温暖化現象等、人間が原因に違いないと思われます。

 気になる記事を「日刊工業新聞 2000年(平成12年)一月某日  産業春秋」に見つけたので、書いておきたいと思います。今年の天候異変の一つでしょう。

 年がかわり2000年になってもサケは戻って来なかった。金華山沖に近い福島県いわき市の鮫川に異変がおきている。「こんなバカげたことはない。初めてだ」…以下略
 

 こんな恐ろしい事が起こっているのに、マスコミは余り知らせてないような気がするが、私が知らなかっただけならいいが…。地震がくる来ないは別としても自然がこれだけの変調をきたしていることをもう少し取り上げても良いのじゃないだろうか?世間の不安を煽るのではなく、真実を知らせるべきである。心の隅にこれは何かあるかもしれないと思っているのとそうでないのとは心構えが違ってくると思います。
 PCの2000年問題以上に大事かも知れない。アレだけ騒いで何も無かったが、それはそれで良かったような気がする。準備する人しない人、一人ひとりが自分の考えで対処したのだから。取り敢えず考える時間があったのは確かである。

2000427日木曜日修正

2000124日月曜日  第151話  トイレ

 その会社が良いかどうかはトイレを見れば解かるといいます。 飲みに行ったら、一番にそこのトイレを見れば経営者の商売への取り組みが解かると言われたくらい大事な所です。
 当然企業も同じですが、中々そこまで気も金も回らないのが普通でした。今でこそ、水洗トイレが当たり前になりましたが、以前は、行くのもイヤになるところも沢山ありました。
 今では、公衆便所に凝る自治体も沢山あります。
 実は、あの本田宗一郎さんが早くからそんな所に気を使っていたそうです。

 経営に終わりは無い 藤沢武夫 より十、本田かぶれ 別けへだてのない人間関係

…略
  白子工場をつくったとき、まだ機械もろくに入っていないのに、従業員の便所を水洗にして、石鹸を置かせたのは、本田です。食べるところと同じように、出すところもまず清潔にしなきゃいけないというのです。…以下略

 どうです、いい話だと思いませんか。こんな情を見せ付けられたら、誰だって働こうという気になるんじゃないでしょうか。経営者が心のそこで「会社は俺のものだ、俺が何をしようと俺の勝ってだ」という気持ちを持っているのと「会社があるのは、皆が働いてくれているからだ」というのでは、全く従業員の受け取り方が違ってくると思います。そんな心の持ちようは、黙っていても現われてくるものではないでしょうか。
 「従業員は出来るだけ安くこき使わなければ損だ」みたいな経営者がまだまだいます。確かに自分が苦労して作り上げた会社というのはわかりますが、黙って黙々と働く従業員がいるからこそそこまでなれたのです。
 社長一人じゃなにも出来ないはずです。どうしても経営者、特に創業者の中に自分が能力があるだけに、従業員のすることに不満を持ち、奴隷のように扱おうとする人がまだまだいるようです。会社のものはゴミ一つまで自分のものと思っているのです。
 それでも従業員が我慢して働くのは、日本が労働力の流動性がないのが理由の一つだと思います。一日も早くそんな経営者の会社が成り立たなくなる時代が来て欲しいです。

2000427日木曜日修正

2000126日水曜日  第152話  引き際

 もう一つ本田宗一郎が日本の経営者の中で尊敬される理由の話を取り上げます。色んな本で取り上げられている話ですが、藤沢さんという一方の当事者によって書かれたの初めてなので興味深かったです。
 その中でも感心させられたのが、二人の引き際である。この二人の対極にあるのが大手銀行である。社長や会長等の経営陣を退いた人が、退くことなく代々相談役としてズット専用車と部屋を持って勤務しているそうである。その人件費だけでも莫大なものらしい。尤も、そろそろメスが入っているらしいが。

 経営に終わりは無い 藤沢武夫 より十、本田かぶれ二十五年目の幸せな別れ

 

 本田はわたしのことを聞くとすぐ、「二人いっしょだよ、おれもだよ」
 

 ここは読むたびに涙が出そうになります。なんて幸せな人生でしょう。そしてそれを言い切れるところが又、すごい。それは即ち、二人の心がそうさせるのだとおもいます。これが地位にしがみつくような人達だとこんな感動は覚えないでしょう。
 一番、最後まで社長でいても反対されないような人がこんなすごい引き方をするところに益々感動します。それに比べていつまでも地位にしがみついている経営者の何と多い事でしょう。時代から取り残された人がいつまでも地位にしがみつき人事を壟断して多くの人の人生を台無しにする。この二人の「
爪のあかをせんじて飲ませたい」ものですね。

 お詫びしなければならないことがあります。この感動的シーンは、藤沢さんのフィクションだそうです。二人の本質は、そう違ってないと思いますが、世の中甘くないですね!

参りました!!

2000427日木曜日修正

2000127日木曜日  第153話  流動性

 今、IT革命ということで、情報産業は中途採用での人集めに躍起だそうです。あのマイクロソフトがインターネットで仕度金を積んでまで中途採用をおこなったほどです。
 ところが、それには技術が要ります。その道のプロということでしょう。そういう技術を持っていればこそ、そういった恩恵をこうむれるのですが、一般の事務系のサラリーマンにはそこまでの技術が無いのが現状だろうと思います。
 これからの労働力流動化の波に乗るためには、売り物になる実力をつけることが必要になります。それが無ければ、中々、波に乗りきれずに取り残されて不満を持ちながらも今の会社で辛抱するしかないことになります。
 それでも、こういった流動性がどんどん進めば少しは一般の人も恩恵にこうむれる機会が増えてくると思います。

 面白い本を見つけました。ロスアンゼルス在住の商社マンが書いた「アメリカ人は、なぜ明るいか? 原隆之 宝島新書」という今のアメリカです。その中に「ビジネスマンとサラリーマンの間 同種内淘汰.」という面白い所がありました.

 ……略
  天下った会社でも、どちらかというときてほしくない、とプロパーの社員に思われている人も少なくないとすれば、なおさらだ。…以下略

 前半略しすぎたので分りにくい所があるかもしれませんが言わんとするところは分かっていただけると思います。要するに日本のサラリーマンは社内でしか通用しないということである。
 ゴマスリとか社内営業で出世したものの中身は何も無かったということ、即ち、本文の中で言われている、「
自分にあるのは組織外では役に立たない、やたら大きい角だけ」ということである。
 このあたりは今のサラリーマン社長にも当てはまるのでしょう。それでも天下りできる人はまだ良いのではないでしょうか?一般サラリーマンは退職すれば余程のことが無い限り、現状より条件の良い所へ再就職できることは無い。だから「
サラリーマンは会社にしがみつくしか生きる道がない」という筆者の言葉はズバリ核心をついている。
 だからこそ「
ビジネスマンではなくサラリーマンなのだろう」という筆者の言葉は、かなり辛らつな言葉ですね。会社の中だけしか通用しないものにしがみつかざるを得ない日本の社会で、本当の実力をつけることより、社内を泳ぐ方に力を注がざるを得ない。そして、気がついた時は何にも無かったということになるのだろう。流動性のない労働市場もその大きな原因のひとつである事は間違いない。

 やはり、自分でどこでも通用する力をつけるしかないのです。厳しいですね。しかし、それこそが当たり前の世界だと思います。

 昨日の二人の話と比べて何と情けない話でしょう。全力で生きた人との差でしょうか…。

平成12428日金曜日修正

2000128日金曜日  第154話  価値観が統一

   第41話 第94話 第143話 等で触れてきたが、戦後の日本の教育は、没個性が基本である。人と変わったことをしない、組織をみださないという企業等の組織にとって都合の良いことを教えてきたという事である。
 言われたことを素直にやっていれば良い戦後の経済成長期のマスプロには、非常に都合が良かった。それが日本の高度成長を支えてきたことは確かである
.
 しかしながら、時代は変わり、情報産業など個性を求められる産業が必要となってくると没個性の人材ではどうしようもなくなってきている。自分のアイデア一つで企業を起こし、今までにない産業をおこすなどというのは、人と同じ事しかできないものには到底無理である。
 

 そんなことを、「アメリカ人は、なぜ明るいか?」のなかでアメリカ人に指摘されている。

 ……略
 「日本の会社はマネジメントがやりやすいはず」とのことだ。
 その理由は、社員の価値観が統一されていて道が一本しかないこと、すなわちホワイトカラー全員が社長を目指すという競争体制ができあがっており、この競争体制に疑問をもち、ほかのことをする者は人生の落伍者と社会が見なす。…以下略

 どうです,この情けなさ。実は、昨日の「同種内淘汰」の話も、今日の話もアメリカのヒュレット・パッカードの一技術課長さんが筆者に語った考えである。
 ズバリ日本の体質を捕らえていると思いませんか。いかに日本が会社に都合の良いようになっているか外からこれだけズバリと指摘されては、ぐうの音も出ませんね。
 こんな経営者に都合の良い社会システムにのっかっているから、「
組織外では役に立たない、やたら大きい角だけ」で経営者になった者が、自分達の経営の失敗をリストラと称して、従業員の首切りで誤魔化すような、従業員を人とも思わぬ経営がまかり通るのである。そしてはなはだしいのは、名経営者とまつりあげられたりしているのである。
 またしても、
この二人の「爪のあかをせんじて飲ませたい」ものですね。

2000428日金曜日修正

2000129日土曜日  第155話  レイオフ

 日本では、斜陽産業に属する会社で、従来の仕事を捨てて全く新しい産業に飛び込むというような思い切ったことができる経営者がいるだろうか?戦後の主用産業であった、炭坑や繊維産業などが今では見る影も無い。
 その中でも、会社によっては新しい方向への変換に成功したところもあるのではないでしょうか。それはやはり経営者の先見の明が必要であり、それを推し進めるための強烈なリーダシップが要求されたことでしょう。
 今又、そんな戦後に近い時代が来ているような気がします。ここで生き残るためには、他の会社と同じような事をしているような経営者では無理でしょう。

 そんな日本のことに「アメリカ人は、なぜ明るいか?」のなかの「当分日本はアメリカに勝てない!?」で触れています。

 ……略
  「それはリストラではなく単なるレイオフ(人員削減)ですよ」という。…以下略

 日本のリストラに名を借りた首切りを見事に衝いていますね。この中で触れている、IBMのリストラは恐れ入りますね、40万人の従業員のうち30万人を解雇。そして新しい方針の為に10万人を採用。それで20万人で新しい戦略の会社としてスタート。これほどの事をやったとは知りませんでした。道理で素早く立ち直ったはずです。そのやり方すべてが正しいかどうかは何とも言えませんが、戦略を持って、やり遂げたことは確かですね。日本人にはそう簡単に真似のできることではないでしょう。

 この「リストラとレイオフの大きな違いは、それを行う経営者がコア競争力に対する明確な理想像をもっているかいないかということだ」という言葉は、さすがですね。日本のほとんどの経営者にはできないのではないでしょうか。元々それだけの経営哲学も持ってないし、小手先の人員整理ぐらいしか思いつかないでしょう。
 日本の政治自体がそれと全く同じで小手先の誤魔化し、先送りの見本である。

2000428日金曜日修正

2000130日日曜日  第156話  企業の繁栄

 日本の繁栄は、企業の繁栄であって、従業員にとってはその恩恵は殆ど関係無かった。確かに、一部の大企業や、公務員の中には、恩恵をこうむったものもいるだろうが、中小企業の従業員を見るとそれ程でもないのは間違い無い。
 それは、良く比較される世界との物価差などに表れている。賃金は世界のトップクラスといわれるが、可処分所得や使いでは、それ程でもない。生活するのが精一杯というのが大多数の人の感覚ではないでしょうか。
 会社や組織にに属していれば、少しは恩恵にもあづかれるところもあるが、一旦それから外れると、何にも残ってないということになる。
 大会社の経営者が、その地位を離そうとしないのもそんな背景があるらしい。会社にいれば、接待費は使い放題、運転手つきの車での送り迎え等至れり尽せりであるが、一旦辞めるとただのおじさんになる。それがイヤで辞めないのもあるらしい。

 

 そんな日本の現実に「アメリカ人は、なぜ明るいか?」の中の「アメリカ人の裕福さの秘密」で触れている。

 ……略

 日本の経済システムをそのままにして、雇用慣行だけをアメリカ風に変えるとなると、日本では住宅ローンと教育ローンを抱えたサラリーマンが経済的に行きつまってしまい、次々と「首吊り」「飛び込み」という悲しい事態になってしまうかもしれない。…以下略

  結構、辛らつですね。確かに日本の良さもありますが、総じてやはり日本はおかしいですね。国民じゃなくて、企業だけが繁栄する仕組みになってしまっている。戦後の復興期にはこれでも良かったのかもしれないが、折角ここまで発展してきたのにその果実を国民が享受するのでなく、一部の企業や銀行とか、ゼネコンのような護送船団方式で必要以上に守られている所に吸い取られている。そしてそれと組んだ政治家や官僚だけが上手い汁を吸っている。
 何か間違っていると思いながらも、生活のため我慢しているのが大多数の国民である。   作者が本文で言っている、「
日本のサラリーマンが爪に火をともすようにして貯めたお金を銀行に預け、銀行はその金でアメリカの株を買い、国債を買い、為替で大損をして、経営に行きづまり、さらにサラリーマンの税金が銀行を救済するために遣われる」というこの現実。何と悲しい現実でしょう。サラリーマンよ立て!次の選挙こそ我々の反乱を実現する時だ!!きっと又、一緒なんだろうなぁ!

何で、みんな立ちあがらないのだろう?

2000428日金曜日修正

2000131日月曜日  第157話  勝ち組

 1月の最後になりました。1月の締めくくりに丁度面白い記事がありました。いつものコラムです。

経済人言葉
        ウオッチ

石井信平
映像&出版プロデュサー

ついに日本はミリタリー・
エコノミーの時代になった!

 日本で戦争が始まったのか、と浮き足立つ思いで各企業トップ年頭挨拶の記事を読んだ(朝日新聞、1月5日朝刊)。
 「どうやって勝ち残って行くか、おとそ気分が感じられない2000年の厳しい旅立ちの言葉を集めた」と記事の冒頭にあるとおり、共通して強調されたのは「戦い」「勝つ」ことであった。実に、社長は「勝ち組」という言葉が好きだ。
 「何としても勝ち組として生き残っていかなければならない」(キリンビール、佐藤安弘社長)。「一度負け組になると、恐らく二度と立ちあがれない」(安田火災、平野宏志社長)。
 そして産業界の最近のキーワード「競争力」も使用頻度が高い。
 「競争力を一層高め、他社を圧倒する」(野村証券、氏家純一社長)。「企業のよりどころは自身の競争力しかない」(コスモ石油、岡部敬一郎社長)。
 高校野球の選手宣誓風もある。「過去に決別し、新しい行動と攻撃の扉を開きます」(伊藤忠、丹羽宇一郎社長)。「全社員と全経営陣が一丸となって一気呵成に登りつめます」(全日空、野村吉三郎社長)。
 それぞれお年を召しながら、なお「戦う」こと「勝つ」ことを全社員に叱咤激励。
 これを読みながら、素朴な疑問が湧いて来る。ようするに儲けたいだけじゃないか!これが、この人たちの職業の使命だったのだろうか?青雲の志で入社したときの覚悟は、こんな安手の戦争ゴッコであったのか?
 仕事の動機は、もっと他にあったはずだ。仕事が楽しい、面白い、意味がある、自己実現の充実感…。
 私の独断を言おう。社長が「勝ち負け」なんかを、重要な二千年紀の年頭に言うような会社は、先がない。そういうセンスで、今の時代を乗り切れると思っているのだろうか?こういう会社は、全社員「軍服」で執務したらよかろう。

 相変らず小気味がいいですね。今の日本を代表するような大企業の社長さんを一刀両断のもとに切り捨てている。一度どんな人か、見てみたい。又、こういうことを平気で書かせる週刊東洋経済もたいしたもんだ。こういうマスコミがもっともっと増えて、本当のことを国民に知らせてくれれば、もう少し日本人も利口になるのじゃないでしょうか?
 成る程、言われる通り、自分に将来のビジョンがないから、景気のいい言葉で誤魔化しているのかもしれない。要するに自分の時代に成績を上げることしか考えていないということだろう。
 社会への貢献とか社員の幸せとか、遣り甲斐など会社の未来の夢を語って欲しいものですね。しかし、この人たちは同僚や先輩を蹴落として社長になった人たちだから、やはり戦い好きなのはしょうがないかもしれません。勝ったものだけが人間だと思っているのかもしれませんね。

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