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200031日水曜日  第187話  外形標準課税

 2月29日も我がPCは何事もなく通りすぎました。ネットをやりながら12時を迎えましたが、何事もなく済んでしまいました。あっけなかったですね。去年の7月のノストラダムスからズット裏切られどうしです(笑い)。
 しかし、気象庁のアメダスや郵貯のATM等で、一部不具合があったようですが、大きな混乱はないようですがまだ出てくるかも、やはりわからないもんなんですね。

 今日からは三月ですが今日も寒かったです。さすがアメダスが狂うだけのことはあるのかも知れません。これも異常気象のうちですかね。

 さて相変らず、外形標準課税についてあちこちのコラムがにぎやかである。やはり、落ちついてきたのか少しずつ正論が出てきていますね。個人的には、賛成の人が多いが、冷静に考えるとチョットどうかなというのが大勢ではないでしょうか。
 確かに、冷静に考えれば東京だけでなく、全国、全業種というのが正しいのでしょうが、そんなことをやっているとまた白紙に戻ってしまうのが日本です。一気にやってしまわないとなし崩しにされてしまうのが今までの現実でした。
代表的なのを二つ取り上げてみます。

 日本経済新聞 2000年(平成12年)2月26日(土曜日)大機小機 石原ショック対応法

 …略
 では石原案は葬るべきか、欠点はあるが、折角のアイデア、廃案は惜しい。また実際にも成立しそうだという。問題は、石原都知事の強烈な剛腕サーブを、誰がどう打ち返すかだ。…以下略 (逆境)

読売新聞 2000年(平成12年)2月27日(日曜日) 今日のノート 朝 三 暮 四 

  …略
 長い目で見れば、税負担はむしろ軽減される。どこかでそんなしたたかな計算をしている人がいるのではないか。…以下略 稲田 力

  何が起きようが、今より悪いことはないのではないでしょうか?「マァいいか!兎に角やってみよう!!」でやればいいのです。後のことは後で考えればいいのです。間違ったって、今までのように何もしないよりマシです。いずれにしてもこのショックでなにかがうごけばいいのですが。
 何度も言いますが、他の国なら、暴動が起こっても仕方ないようなことを国民にしてきたのですからたまには国民がスカッとすることをすればいいのじゃないでしょうか。さすがにマスコミはこんなこと言えないでしょうから、私が言わしてもらいました。極端に言えば銀行の一つや二つ倒産した方が良いと思います。言い過ぎですかね?マァいいじゃないですか、笑って許してください。単なる遠吠えでしかないのですから。

200032日木曜日  188  外形標準課税

 私の銀行嫌いは、ある会社でのボーナス支給日出の出来事が原因の一つになっています。その会社は、支給日に全員をホールに集め社長訓示があり、その後、取引銀行の支店長が挨拶に立ち、「皆さんは、社長さんのお陰でボーナスを沢山頂いて…」とやるのです。
 要するに、社長にゴマをすっているのです。それは、取引の上でのことで分からない事は無いのです。
 しかしながら、自分がもらっている我々の何倍ものボーナスを棚に上げて、「沢山頂いて…」という言葉が、どうにも腹の中で「そんな少しのボーナスを貰って可哀想に!」と笑ってコケにしているように見えてしょうがなかったのです。
 まぁ、私のひがみでしょうが、あんたにだけは言われたくないという思いがありまして、どうしても銀行というとそれを思い出して腹が立つのです。

 それだけに、今回の外形標準課税が気になるのです。又、「日本経済新聞 2000年(平成12年)229日(火曜日) 大機小機 石原新税の波紋」取り上げられていました。

 …略
 今後の対応策として、この東京都の動きを受け法人事業税の外形標準課税を全府県のすべての業種を対象に早急に導入すべきである。…以下略 (針葉樹)

 なんだかんだ言いながら、またしても正論がでてきますね。国民の声が怖いので、一応、石原知事を誉めておいて、しかし、という論調が大部分になってきました。
 要するに、国民の本当の気持ちがわかっていないのではないでしょうか。きれい事はもう良いのです、皆そんなことは分っているのです。兎に角自分達を痛めつけて、のうのうとしている銀行に思い知らせたいだけなのです。誰もやってくれなかったことを、石原知事がやってくれたのです。正論を言うのなら、変わりに銀行をギャフンと言わせて欲しいものです。
 自分達でバブルを煽り、潰れたら、金利を下げ、税金を投入させて、知らん顔。そんな奴らにやったもの勝ちを決め込まれたのでは、国民はどこへこのモヤモヤをぶつければ良いのですか?散々、筋の通らないことをやらせてきたのですから、少しは仕返しさせてもらってもバチは当らないのじゃないでしょうか。
 無茶を言っているのは分っています。でも、ガス抜きも必要ですよ。焼き討ちよりマシでしょ!!
 関係ないけれど、例の新潟の警察のこともありますしね。ガスはたまってますよ!!

2000510日水曜日修正

200033日金曜日  第189話  警察

 昨日チョット触れた、今一番の話題を取り上げます。そうですあの新潟県警の件です。キャリア制度というのは何時から採用されたのでしょう。明治の新政府は薩長土肥ですから、キャリアとは違うような気がしますが、その後帝国大学が出来てから既に始まったのかもしれませんね。
 いずれにしても、発展途上国が角先進国に追いつくための必要悪の面はあると思います。そして、日本中から階級に関係無く優秀な人材を集めたというところは評価されても良いと思います。西欧のように階級がはっきりしていて、貴族が最初から為政者になるよりはマシだったと思います。
 ところが、そんな良い面も、長く続くと澱が溜まってくるのかもしれません。権力を持たせるためにはそれなりの教育も必要だと思いますが、何時の間にかその当りがないがしろにされて来た付けが出て来ているのではないでしょうか。

 そんな気持ちを「朝日新聞 228日 ◇天声人語◇」が取り上げています。

 みんな、怒り心頭に発している。この件で警察の言うことなど信じない、とさえいっている。ことばには、どこか絶望感も混じる。 …中略

 知人Cは「あの人たち、勉強が出来ただけでしょ、多少」と、まとめて酷評した。Dの皮肉も強烈だ。「クビになった2人は、これから就職活動するのかしらん」。クビにあらず、辞職である。もちろん退職金も出る。しかるべき筋が、いずれ再就職の面倒もみるような気もする…以下略

 神奈川県警のときに第100話で触れましたが、私は、キャリア人事がすべての原因だと思っています。どんなにきれいごとを言っても、所詮人間を人間として扱わない組織が健全に働くわけはないと思います。
 人間の能力のなかで、たかがテストの点をとるのが上手いだけかもしれないキャリア『
「あの人たち、勉強が出来ただけでしょ、多少」』を、それだけのことで幹部候補生としてのレールに乗せ、浮世の風からまもり、傷つけないように育てあげていくのである。確かに、能力的には他の人より可能性は多く持っているかもしれないが、そんなものはそれ以後の努力、経験がなくては本当の実力にはならないはずである。そんな人間が治める組織のモラールが上がるわけはない。下の者は、白けて上を見ているはずである。また、そんな組織を当たり前と思っているような人間ばかりがそろっているような組織は、これまた、使い物にならない組織になるのではないでしょうか。
 世界に追いつき追い越せの明治以後には通用した時もあるかもしれないが、今のように個人が意志を持ち
第101話で取り上げたように、内部告発をしても正義を求める世代が台頭してきている時代には、キャリアなどという人権を無視したような組織が成り立つはずがないのではないか。また、そうであって欲しい。
 官僚組織が既に時代に合わなくなっているのは間違いがないはずである。それでもキャリアが必要であるならそれは本当のエリート、すなわち自分を捨て、「国民の為に」を考えて行動する
サムライの心を持った人材を育てるしかないのではないだろうか。

第83話  第100話  第101話  第108話  159

2000510日水曜日修正

200034日土曜日  第190話  タテ社会

  日本の経営者が後継者を選ぶ場合、特にサラリーマン社長の場合であるが、自分の自由になる者を選ぶと言われる。要するに、地位を譲った後も影響力を持つために仕事で選ぶので無く、好き嫌いで選ぶのである。
 そうなると、当然その心を見透かして取り入るものばかりが集まる事になる。そんな選ばれ方をした者が、上に対して諫言するなんてことは当然考えられません。仕事なんか関係無いのですから組織は、どんどん腐って行くでしょう。
 心ある者は、遠ざけられたり子会社や関連会社へ追いやられる。残るは裸の王様です。 

 そんな現実の光景を、「読売新聞  2000年(平成12年)3月3日(金曜日) (今日のノート タテ社会の構造)」 が取り上げている。

 …略
    法廷には五人の被告の為に長いすが二つ並べられていた。三人がけである。キャリア官僚だった元本部長と元警務部長が、その一つに二人で腰を下ろした。
 もう一つに、ノンキャリア組の元県警幹部三人が座っていた。三人がけとはいうものの、小さないすだったのだろう。三人の肩が触れんばかりの間隔だったとか。…中略

 …と、ここまで書いてきて思ったのは、薬害エイズ事件で実刑判決を受けた製薬会社・旧ミドリ十字の歴代三社長の姿だ。
 裁判所に入るのも、保釈がみとめられて拘置所を出るのも同じ順番だった。〈会社〉にいたときの序列通りである。タテ社会は警察に限ったことではない。 塩 正晴

 確かに、あのミドリ十字の報道を見るたび、三代社長がいつも順番どおりにあるいているのはおかしな感じであった。「あの人達はこの後に及んでも上下関係を守っているのだな」と見ていて気の毒な気がした。そういう人達は上司に対して、諫言をすることはないだろうし、また諫言するような人を取り立てるほどの度量のある上司だったら、この一連の不祥事や、事件は起していないだろう。
 それ程に、日本の社会はタテの社会であり、それにタテをつくものには道が閉ざされている。だから組織が停滞し、腐ってくるのだろう。特に官僚組織のように、入る段階で先が見えていたのでは、真剣に仕事に取り組むのは余程の変わり者かもしれない。
 兎に角、上の言う事には逆らわず、外の世界は考えず、組織の中だけを考えなければ出世はしない。外に対する仕事をして、内に向かって文句を言おうものなら、「はい!それまでよ!!」である。
 この日本独特のタテ社会が変わらない限り、日本の閉塞感はなくならないだろう。経済の停滞もすべて根源はこの当りにあるのかもしれない。

もっと本音で仕事がしたい!

第29話

2000510日水曜日修正

200035日日曜日  第191話  利権構造

  日本人に義務感や責任感がないのは何故なんでしょう?個人的にはそうでもないとおもうのですが、組織や団体に入ると出来るだけそういうものから逃げようとするように見えます。
 人のことは言えないのですが、私もそんな傾向はあると思います。例えば、町内会や
PTA役員など積極的にやろうとする人は少ないようです。ボランティアなどもそうかもしれません。
 兎に角、何か人の役に立つことを積極的に買って出ようという人は少ないようです。得にならないことは出来るだけ逃げるということでしょうか。この当りも、教育に関係あるのかもしれません。公に奉ずるという考えがないのです。この当りも、そろそろ日本人の価値観を変えていく必要があるのかもしれません。
 
石田禮助さんや中坊さんのように立派な人もいるのですけどね!

 さて、最近なにかと問題になる事件が多い、何かおかしいと思ってる人が殆どだとおもいます。「日本の国はどうなるのだろう、どうしたらいいのだろうか?」と悩んでいる人が多いのではないかと思います。しかし何をすべきか分からないのが現実です。
 外形標準課税や、警察問題などで続きが伸びてしまいましたが、堀田力さんの提言のなかにその方法が述べられていますので続けたいと思います。

 「あきらめるな!ニッポン」 市民のきれいなおカネで政治家を送り出そう

 政治家はおカネがなければ政治活動を続けることができないのが現実です。その資金調達をすべて政治家にやらせるから、企業や労働組合などとおカネや人の密接なつながりができ、それが利権構造へと発展するのです。…以下略


  これはその通りですね、日本人はというよりどこの国の人も一緒でしょうが、特に日本人は自己負担を嫌いますね。何かをしてもらうにはその代償がいるはずですが、何でもタダでやってもらおうとするからおかしくなるのではないでしょうか。昔からタダより怖いものはないとよく言われますが、これほど真実を。ついた言葉はないのではないでしょうか。それでも、目先のタダに釣られるのが人間みたいですね。
 何でもお国にやってもらおうというさもしい考えはそろそろ止めにしませんか。

第131話 第165話 第166話 第171話 第172話 第173話 第176話

200036日月曜日  第192話  タカリ根性

 サンデープロジェクト今日(4日)も、面白かったですね。公明党問題、農水省汚職問題、警察問題と盛りだくさんです。どれを取っても日本の国は腐りきっていますね。公明党の冬柴鉄三幹事長などこの出演(尤もTV画面で)の後、あの竹下登元総理の応援に島根県に行っているのである。何をか言わんやである。
 国家公安委員で日本経済新聞取締役(元社長)新井明氏が委員のなかでただ一人(他の人は断ったそうである)出演していましたが、案の定袋叩きですね。尤も、本人は余りこたえていない様でした。田原さんが新聞社が皆糾弾しているのに、元トップがそれじゃダメでしょうと噛み付いていたが、我関せずくらいの気持ちしかないように見えました。
 そのなかで、警察
OBの佐々淳行氏が言った「以前は、もっと警察はきちんとしていたが、諫言が通らなくなってからおかしくなった」という言葉が印象に残りました。どこの組織でも同じであるらしい。

 さて、昨日再開した、これらの事件の大元でもある政治の改革のための堀田さんの提言を続けます。

 選挙民は政治家にたかるな

 …略
 選挙民のタカリ根性がなくならないと、政治家は倫理違反、法律違反をしてまで、おカネを集めなければなりません。…以下略

 どうです、この情けなさ、これが現実なのでしょうか?今でも地方に行けばこんな選挙が残っているのです。さすがに選挙事務所に入り浸って酒を飲む姿は減ったような気がしますが根底はまだまだ変わっていないのかもしれません。
 何かと言えば政治家に頼む浅ましい考えもあります。私の仕事でも、何かにつけて政治家の紹介を使おうとする人がいます。自分の力でできないとなると、政治家の力に頼ろうとするのです。そんなのに限って大した仕事もできないのが多いのですが、政治家を知っている事や、政治家を使って成果を上げたことを自慢するのです。自分の力のなさを暴露しているようなものなのにその反省もありません。尤も、何をやっても結果さへ良ければの風潮もそれをゆるしているわけですが。
 何かと言えば利用することばかりかんがえずに、政治家に本当の政治をさせてやろうじゃないですか。それが一番コストのかからない政治になるはずです。

 兎に角、政治を変えなければ、最初に触れたような腐り切った日本はどうにもならないと思います。政治を変えるのは、堀田さんの提言のように、我々一人ひとりが立ちあがるしかないのです。誰もやってはくれません。

さあ皆さん!立ちあがりましょう!!まず選挙です。

200037日火曜日  第193話  たかり

 所詮、国民は自分達のレベル以上の政治を得ることは無理なのでしょう。幾ら、日本の政治家は駄目だとか、国家、国民のことを考える人がいないと言っても、そういう人を選んでいるのは国民なのですから。
 マスコミも何か事件でもあって視聴率が稼げそうだとなると、一斉に騒ぎ出しますが常日頃は政権と結託して国民をダマクラかしているのですから大きなことは言えません。又、そのレベルの低い放送を喜んでみているのが国民ですからこれも何も言えないでしょう。
 やっぱり、日本の政治は日本人が作っているのです。

 昨日の「選挙民は政治家にたかるな」と同じ趣旨を石橋湛山が書いています。

 孤高を恐れず石橋湛山の志 佐高信 講談社文庫 貴下を除名す 国会議員は国政を

  …略
 『国の政治のことを考えれば、諸君の要求に応じているヒマがない』と説明したところ、全くそのとおりで、われわれはよくわかるが、一般選挙民にわかってもらうのは容易なことではないと嘆いていた。…以下略


  本当に残念ながらである。未だにすべて当てはまるのが恐ろしいですね。要するに戦後の政治家はなにも変わってないどころかどんどん悪くなっているのではないでしょうか?少なくとも戦後には湛山のような人がいたことは確かなのですから。今、あの総理大臣を筆頭にこんな政治家はいるのでしょうか?
 話がそれましたが、選挙民も何も変わってない事がよくわかりますね。堀田さんの指摘と全く同じことが戦後すぐの頃からあったと言う事です。日本人は全く進歩していないのですね。

いい加減に政治家にたかるのはやめよう!!

2000511日木曜日修正

200038日水曜日  第194話  経営者

  バブルに踊った企業の経営者には、ドサクサにまぎれて会社の金を着服したり、自分の一族に不法融資したりと好き勝手をやった者が沢山いました。
 そこには、従業員や会社のことを考えるどころか自分さえよければのあさましい人間像しか見えません。ところがそういうのに限ってワンマンで天皇とか、王様とか呼ばれて経営者の鏡のようにもてはやされたりしているのです。最後には、化けの皮が剥がされましたが、最後まで騙し通した者も沢山いるはずです。
 どうして、そんな奴らに誰も逆らうことなく唯々諾々と従うのでしょう。その中に入ると何も見えなくなるのでしょうか?
 日本の政治と同じで、経営者が悪いのも所詮は社員のレベルかも知れないですね。そうは思いたくないですが……。

 丁度、そんな奴らと全く正反対の経営者であった石橋湛山の人となりを語るコラム「財界 2000 2/29 私の雑記帳 三鬼陽之助 石橋湛山氏の信念」がありました。

 

 …略
 しかし、幸いに当社にはこの社屋と土地とがある。解散の場合には、これらを売り払って、その代金を諸君に分配する。…中略……。
 ところが、戦局は一段と悪化してきた。すると、あらためて次のような話をされた。
 ……東洋経済は、早晩、自爆の運命をたどる。自爆に至る、を待たず東洋経済を去りたい人は、とどまってもよろしい。いずれも諸君の自由だ。ただ、とどまる人は、分配した退職金で各自当分の生活をささえてもらい、たとえ雑誌は出なくとも、研究所の形ででも、同志の集まる場所をつくり、東洋経済が再び燃えあがりうる火種にしたい。その場所として、芝に家を買って用意してある……。
と語られ、私はふみとどまった。

 あの石橋湛山氏が東洋経済の社長だったことは、この部屋に取り上げることの多い週刊東洋経で出知りました。すごい人とは聞いていましたが、これほどとは思いませんでした。あの戦争中に軍部の横車に屈することなく立ち向かって行ったことも知りましたが、この話は始めて聞きました。
 今の時代でもと言うか今の日本に、これだけの事を社員にできる人はいないのではないでしょうか?自分さえ良ければの今の経営者が財産を投げ打って社員に分配するなんてことをするでしょうか?
 そりゃ皆ついていきます。根本的に器が違うということではないでしょうか。益々好きになります。
 本当にこういう人に思う存分総理大臣をやらせてみたかったですね。もしかしたら今の日本が少しは変わっていたかもしれないのではないでしょうか。

2000511日木曜日修正

200039日木曜日  第195話  中坊さん

 中坊さんが下に書いたようにアドバイザーになって直ぐに小淵さんが倒れ、森首相になりました。中坊さんは、森首相のアドバイザーには成らないそうです。

 小淵さんは、聞く耳は持っていたようですね。中坊さんがアドバイザーを受けたのも、住専の時からの知り合いでもあり、その人となりに「言っても聞いてくれる」ところがあると見たからだそうです。丁度、小渕さんが倒れる前の週に、サンデープロジェクトで田原さんと対談しているのを見たとき、少しは期待できる所もあるのかなと書きましたが、どうだったのか今ではもうわかりませんね。

 驚きましたね!ショックなニュースです。あの尊敬する中坊さんが小渕首相のアドバイザーに成るとは。代表して朝日新聞の記事から。

 朝日新聞 (03:11)

 …略
 「私は権力の階段を上るわけではない。現場での体験に基づいて思ったことを率直に言うだけでも意味がある」と強調した。

 島根で竹下元首相の対立候補の錦織さんを応援している中坊さんを任命するとは、小渕首相には参りますね。さすがに何でもありの小渕の面目躍如たるものです。中坊さんも大したものです。あちらの目的は分かりすぎるくらい分かっていながらその懐に飛び込むのですから、多分中坊さんのことだから、島根は別という考えを貫くでしょう。
 この中坊さんの言葉「
私は首相の相談相手として市民の目線で申し上げる」「現場での体験に基づいて思ったことを率直に言うだけでも意味がある」に期待したいものです。何かやってくれるでしょう。
 ただ、あの小渕にそれを受け止めるだけの決意が本当にあるのかは怪しいものであるがもし本当に中坊さんの意見が入れられるようなことに成ると見なおさなければ成らない。尤も、そうなれば嬉しいことになるだろう。どうなるか、見ものである。

期待してみますか!!

第128話 第226話

2000511日木曜日修正

2000310日金曜日  第196話  警察問題

 第189話でキャリア制度は何時頃からだろうと言いましたが、やっぱり明治以来のようですね。大学が出来て以来というのも人間の業を見るようで、何だか物悲しいですね。
 そうなると、明治の頃から大学は勉強だけしか教えなかったのですかね。支配するものの矜持というものは教えられなかったのでしょうか。尤、教える人もいないかもしれないですね。
 こういう話を聞くと江戸時代の殿様の話を思い出します。ああいう封建時代の殿様というと、我々が受けた教育では搾取者としての悪のイメージしかありませんが、これが意外と、そうではなかったという話を聞いたことがあります。
 大多数の殿様は子供のときから為政者としての心の持ちようなどを教育されて、領民のことを大事にする人が多かったそうです。自分が率先して貧乏に耐えたりしたようです。ですから、意外と領民から慕われた殿様が多かったそうです。
 今時の、経営者よりよっぽどマシだったようです。それなりの育て方をされたことが役に立っているのでしょう。人間やっぱり育て方ですかね!

 そんな殿様と正反対の育ち方をした、警察問題。マスコミにも少し触れてみたいと思います。

 2000年3月6日 月曜日  日刊工業新聞 産業春秋

    …略
 一連の不祥事は、大蔵省のそれと同根だ。制度疲労を起した官僚システムが放つどうしょうもない腐臭なのだ。キャリア組は若いころにペーパーテストに強かっただけで生涯、地位と高給が保証されている。ノンキャリア組は下積みでひたすら汗をかくだけ。能力や生産性といった尺度とは無縁だ。東大法卒が支配する゛封建制
"は明治以来百数十年続く。…以下略

  当分この話題は終わりそうに無いですね。いや、今までのように時間が立つとマスコミが、まず騒がなくなる。これがいけないのである、日本人の特徴である、熱しやすくさめ易い性格で、何時の間にかうやむやになってしまうのがこれまでのパターンであった。
 マスコミが粘り強くこういった不祥事を追究して行くことで国民に忘れさせないことが必要である。ところが、マスコミは商売にならないと記事を書かない。つまるところイタチゴッコというわけである。
 やはり、国民が飽きずに最後まで追及の手を緩めないことこそ必要なのだろう。そうすれば、逆にマスコミも取り上げざるを得ない。ああ〜!何だか、鶏か卵の世界ですね。

 今までも、大きな不祥事はあったが、いつも、何時の間にか話題にも上らなくなってしまって、結局は何時の間にか忘れられ、何の改革も行われずに元の木阿弥になってしまたのである。今度こそ何とかしないと、いよいよ日本の沈没ですよ!!

2000511日木曜日修正

2000311日土曜日  第197話  リーダーのプロ

 今の日本の閉塞感はどこから来ているのだろう。その一つの要因として、一億総無責任というのがあるような気がする。それは何かというと、自分の仕事をとことんまで追及したプロがいないということである。ある程度の所まではできるが、それ以上は指示待ちである。だから本当の仕事を最後までやりきる自信が無いのである。回りとの、調整は上手いが、一人ですべてをやりきることが出来ない。
 その道の、プロというのは協調性はないが、仕事をやらせると誰にも負けない物を持っていたりする。だからその人に任せきることが出来るのであり、仕事の出来映えもすばらしいものである。中途半端な仕事では、閉塞感を打ち破るような結果は出て来ないと言うことではないでしょうか。
 いよいよ実力主義の時代がきたということだろう。これまでの日本の企業における出世の条件はスペシャリストでなくゼネラリストであった。ゼネラリストと言えば聞こえはいいが要するに、ゴマもすれなければならないと言うことである。力があっても、角のある人間は日本の社会では受け入れられなかった。しかしながら、世界との競争となるとそんな甘い事をいっていては通用しないということであろう。仕事の中身での勝負になるのである。
 それは、社会への影響力の強いマスコミの世界においては尚更ではないでしょうか。

 関連した記事を見つけました。

2000年2月28日月曜日 日刊工業新聞 著者登場 新井喜美夫氏99年東急エイジェンシー会長 仕事の達人東洋経済新報社刊 プロであることの意義

 …

  ― とくに問題は、リーダーのプロがいないということですか。
 …略  そういう所の社長は1.当社に事例はあるか2.他社はどうか3.監督官庁は4.君たちはどう思うかーの四つのセリフを知っていればよし。新しいことを始める時には、こう言えばいいんだから。これならだれだって言える。…中略
 ― 各業界で国際競争が激化していますので、このままではいけませんね。
 …略  プロのリーダーがいないから負けてしまうのだ。これは日本人の素質が悪いからではない、トップの問題。今度は金融機関、その次はマスコミ業界が危ないのでは。…中略
 ― なぜプロが育たないのでしょうか。
 「会社なら、自分の損益と会社の損益が一致しないといけない。役人なら国の損益がそれ。でも実際は、大きな利益を上げ会社に貢献しても、給料はいくらも上がらないとか、会社の経費なら無尽蔵で使うとか、そういうことが起きている。仕事と自分の損益が一致しないのに、真剣になれるだろうか」
 「それから、評価の仕方も問題。実績を評価せず、勤続年数とか終身雇用、年功序列で評価する『原始デジタル型』が多い。…以下略 (大久保 昌彦)

  それでは日本の経営者は何だったのかというと、サラリーマンのプロであったが仕事のプロではなかったということではないだろうか。サラリーマン社会で出世することにはプロであったかもしれないが、本当に仕事ができたかというと、もう一つという人も多かった(殆どだったりして!)のではないでしょうか。日本の国内、そして右肩上がりの成長の時代にはそれでも誤魔化せたが、今のような成長の見こめない時代にはそれでは通用しないということである。それが証拠に今の日本で元気な会社は今までにないタイプの社長か、オーナー会社、ベンチャーなどほんの一部のような気がする。

 著者も言っているように「今度は金融機関、その次はマスコミ業界が危ないのでは」というのは分かるような気がします。金融機関はいうまでもなく、マスコミも本来のマスコミの責任感というものを忘れて、単なる儲け主義に走っているように思うのは私だけだろうか。
 最近の警察の不祥事の報道なんか見ていると、もっと前から取り上げていて当然であることを、ドサクサにまぎれ視聴率稼ぎでやっているように見える。もっと前から地道に追究していれば、少しは警察の体質も変えられていたと思われる。それくらいマスコミには力があるはずである。特に
TVの力はあなどれないだけに、それだけの自覚を持って、権力に対して欲しいものである。そうすればもう少し日本の国も変わっていくはずである。
 最近ここでよく取り上げているサンデープロジェクトなど良い例である。それだけの影響力をもっているのだ。ああいう番組がもっともっと増えて欲しいですね。日本の国がここまで悪くなったのは、国民がなにも知らされていないことが大きいと思う。それにはマスコミの姿勢も責任があると思いますがどうでしょう。
 昨日も小渕首相が新潟県警の事件は運が悪かったと言っていたそうであるが、実際殆どの関係者がそう思っているはずである。それは何故かと言うと、そういうことが日常茶飯事に行われており、それをみんなが見てみぬ振りをしているからである。それが当たり前になっていることが怖いのであり、たまたま表に出てきたから叩くのではいけないはずである。そういう情報を持っているはずのマスコミがそれを黙認していることに本当の問題があると思います。本来の真実を報道する気概をマスコミが持つことが、日本を良くする一番の近道であるような気がします。それだけ日本人はマスコミに弱いのですから。情けないですけどね。
 
週刊東洋経済週刊金曜日のような雑誌が主流になるような時代がくれば自然に日本は住みよい国になるでしょう。

2000312日日曜日  第198話  雪見宴会

 ついに石井さんが出てきた。

2000.3.11週刊東洋経済

経済人言葉
          ウオッチ

石井信平
映像&出版プロデューサー

「雪見宴会」は歴史的な
大イベントかもしれない

 警察庁の「特別監察」とは雪見宴会のことであった。新潟県警の不祥事は、中央と地方を考える苦々しい素材だ。それは、石原慎太郎知事が提唱する外形標準課税の問題につながる。
 まるで江戸幕府から越後藩を監察にきたような「お奉行」の接待に、小林幸二・新潟県警本部長は地元の大事件を放り出して宴会とマージャンで夜を明かした。彼が懲戒免職でなく、引責辞任とは、痴漢で免職になる警官に同情したくなる。
 地元に何の愛情もない中央官僚が県警本部長に収まる。「キャリア人事」。要するに、地方は中央の植民地が実態なのだ。
 ひるがえって外形標準課税の議論で加藤寛・政府税制調査会会長は「東京だけが突出すると各道府県の足並みが乱れ、制度の趣旨が損なわれる」と石原提案に反駁している(『週刊文春』、2月24日号)。
 「足並み」とは、みんな政府の言うことを聞け、ということならば、これこそ政府のタイコモチになり下がった「エコノミスト」の発言だ。地方の自治権が健全に育成されるように知恵を絞って税制も変えよう。そのために政府に向かってモノを言うのが加藤さん、あなたの仕事ではないのか?
 知事たちはみんな「国に楯突くと地方交付金を減らされる」とおびえている。カネも人事も中央に握られて、何が地方自治だろう。かくのごとき実態は徳川時代よりはるかにひどい。かって諸藩は、中央の威光にひれ伏しながら財源と人事権は自分で持っていた。今は、威光なき中央が「交付金を減らすぞ」の恫喝のもと、地方の金で雪見宴会に興じる時世である。
 本当の地方自治に向けて、外形標準課税と「雪見宴会」が歴史を変えるかもしれない。気になる一点。宴会が1月28日、宴会の一斉報道が2月28日。当夜の県警本部長の所在と行動を、どのメディアも掴んでいなかったのか?マスコミのこの「足並み」の良さはなんだろう?

 さすが石井さん変に分かったような事を言わないのが良いですね。ズバッと批判しています。加藤寛・政府税制調査会会長をズバッと切って捨て、マスコミに対してもおかしいんじゃないかと返す刀で切っています。この人本当に大丈夫なんだろうか?影ながら心配します。
 石井さんの言うように、マスコミがもっときちんと使命感をもって不正を報道していればもう少し日本の国はよくなっていたように思います。マスコミが権力と癒着しては国民はたまりません。しかしながら、マスコミと権力のなあなあは、周知の事実だとおもいます。マスコミは権力に媚びる事により、圧力を避け、取材の楽さに甘えているのではないでしょうか。
 今度のような警察の体質は当然以前から知っていることであると思われるが、叩くことによる圧力と取材の難しさを避けるために敢えて触れなかったのが本当の所ではないでしょうか。もちろん圧力をかける方が悪いのですが、それに流される方にも責任はあると思います。マスコミも社員はサラリーマンですから他のサラリーマンと一緒といえばそうでしょうが、その社会的影響力を考えるとそれなりの矜持はもって欲しいと思います。
 石井さんや、佐高さんのような人の記事が当たり前にならなければならないでしょう。以前にも触れましたが
内部告発が当たり前になることも重要であると思います。組織の一員でなく、一人の人間としての判断が生きる規範になるべきである。こういう事件が表ざたになっているということは、徐々にそういう風土ができてきている事は確かだと思います。 

第101話

2000313日月曜日   第199話  外形標準課税

 お待たせしました!今日は、やっぱり何時ものように、サンデープロジェクトです。台湾総統選挙など、面白いことをいくつかやってました。あの選挙はある意味うらやましいですね。と言うのは、国民の直接選挙であることです。立候補している3人の候補者の中から国民が直接選べるのです。日本の訳のわからない選挙から比べるとズット分かりやすくて、自分の意志がそのまま出せる所がいいですね。

 さて、やっぱり外形標準課税ですね。今日は、銀行側の意見と言うことで、大蔵省OB・慶応大学教授榊原英資氏、前シティバンク日本代表・日本長期信用銀行取締役社長八城政基氏、慶應義塾大学教授池尾和人氏の三名に田原氏が問う何時ものパターンである。この中で榊原氏が石原知事のこの外形標準課税に三つの誤りがあると言ってました。

 一つは、この税金が地方税法違反であるということ。銀行は裁判に持ち込むべきで、5、6  割の確立で勝てるだろう。
 二つは、大衆迎合主義である。ナチスのヒットラーと同じやり方である。
 三つは、政府の方針と全く反対であることである。ところが政府は石原知事の人気が怖くて何も言えない。

  以上の3点である、確かに正論ではありますが今回のこの税はどんなに反論しても迫力が無い。田原さんの応援と言うことで出席していた池尾教授の「銀行は公的資金を投入してもらった時に国民に対してお礼の一つも言わなかった。新聞の一広告でもやればよかったのです」と「裁判をやれば良いでしょう」で、殆ど議論は盛り上がらなかった。
 銀行が裁判をやって石原都知事のほうが負けるとなると、それこそ国民の怒りが爆発して面白い(笑)ことになるのは火を見るよりあきらかであろう事が分かっているのだろう、田原氏が誘っても、それ以上意見が盛り上がることは無かった。所詮銀行の今までの行動が反論ができるような状況に無いということであろう。それだけ国民から憎まれているのである。散々国民をコケにしてきたつけがきているのは間違いない。

 何時の間にか、トークは日本の銀行は生き残れるかの方に移っていきました。その中で、榊原氏が、「日本の銀行も今の旧態依然たる人事制度でなく、外国から優秀な人をそれなりの報酬でスカウトするようで無ければ生き残れないだろう」と言い、「日本人の中にも若くて優秀な外銀にスカウトされるような人がいるが、そういう人も報酬ときちんとした仕事があれば帰ってくる」と言っていたのが印象に残った。その上、今の頭取では経営の評価の一つである株価をあげることは無理でしょうとも言っていました。大賛成です。

 これが本当の所ではないでしょうか。銀行が変われば、他の企業も変わってくるかもしれないですね。今までの内向きである年功序列の人事制度から、力のあるものが正当に評価される時代に、これは、良い方向に動くかもしれない。楽しみですね。せめて若い人の時代にそんな今の日本の閉塞感を打ち破る良い時代が来るように!

2000314日火曜日  第200話  外形標準課税

 やっと200話に到達しました。100話からできるだけ毎日更新を心がけてきましたが、ここのところの外形標準課税と警察問題が殆どだったような気がします。くしくも100話が警察、今日は外形標準課税になります。

 2000年(平成12年)3月9日(木曜日) 日本経済新聞 大機小機 外形課税問題の誤解

 …略
 世論も突然巨額の増税が自分の身にも起こり得る問題だと理解すれば、決して賛成ということにはならないのではなかろうか。 (涼)

 昨日の榊原氏と同じような反論である。なるほどその通りかもしれない。しかしそんなものはみんな分かっているのだ。
 公的資金の導入が経済安定化のためというが,その経済をムチャクチャにしたのは誰だろうか?国民が導入に賛成したか?銀行員の給与が一般レベルになったというがその数字は発表されたか?第一、七年も昇給が無くてやっと六番目という事自体一体いくらもらっていたのか?日本には十六しか業種が無いのか?金利ゼロは誰のためだ?昨日の池尾教授が言ったように銀行は国民に感謝の意を表したことがあるのか?数え上げれば限りない。
 反論することはいいことであるが、銀行が何をやってきたのかそれを考えるととてもじゃないが国民を納得させることはできないと思います。そこまで国民の銀行に対する不信感は根深いのである。今でも、国民の大半は銀行を胡散臭い目で見ているのです。銀行の肩を持つなら、もっとマスコミとして銀行に情報を開示させる為の努力をして欲しいものである。上記のような情報を今になって出してくるので無く、常に広く国民に知らせるべきである。そんな記事が出たということを残念ながら聞いたことが無い。
 とここまで書いていたら、同じコラムに今まで私がこの問題で言いたかったことをズバリと書いてくれました。警察問題にも触れています。対比の為にもここに取り上げます。

2000年(平成12年)3月11日(土曜日) 日本経済新聞 大機小機 銀行税と経営責任

  …略
 世論がこぞって銀行税に喝さいすることの空恐ろしさを、大銀行の経営者は感じているのだろうか。…以下略 (桃李)

 素晴らしい、私の筆力不足で書ききれなかったことを見事に書いてくれました。やっぱりプロはすごいですね。それにしても、日本経済新聞も見直しました。9日の記事では正論できたので、少し、カチンと来ましたが見事に溜飲を下げさせてくれました。初めからこれを狙っていたのかな?

 この記事で書かれた下記の二つの文がすべてをあらわしていると思います。

 「公的資金を得た銀行の経営者が責任もとらず、大したリストラもせず、低金利に支えられた巨額の業務利益で不良債権の償却を進めながら、配当を支払っている事実に対して、不公平感を持たない国民は皆無であろう。銀行が課税は不公平だと主張しても、国民感情は逆なでされる。身から出たサビである


経営者と株主が責任を取らないままでは国民の不満は消えず、この種の問題はいつまでも尾を引く。銀行税は公的資金を導入した銀行の責任を問うているからこそ、国民の喝さいを受ける

 そうです、要するに理論じゃないのです、感情なのです。何度も言っていますが、変にこの問題を理論で決着つけようとすると、いくら日本人がおとなしいといっても今度こそ何かが起こる可能性があるように思います。それでも立ちあがらなかったら、それこそ日本は終わりかもしれないですね。今後の推移を注意深く見守っていきたいものです。

 いよいよとなれば、日本人の正念場ですよ!世界の笑い者にならないように!!

2000315日水曜日  第201話  父親の不在 ゲーム機

 さていよいよ今日から新たに300話へ向かってのスタートですが、チョット困ったことが起きました。リンクして頂いている『脱サラ宣言!』の鷹瀬さんのところで触れている著作権の問題です。わざわざ鷹瀬さんが朝日新聞社へ問い合わせて頂いたのですが、どうも規則通りの返事だったようです。経過について、詳しくは鷹瀬さんところで。

 この返事からみると私のこの部屋は限りなく黒に近い灰色ではないかと思われます。しかしながら今まで折角続けてきたので、「マァいいか!」条件を満たすように少しずつ自分の文章を多くするように努力しながら続けて、どうしてもダメと言う結論が出れば止めるというスタンスで行こうと思います。更新は少し少なくなるかもしれませんが、宜しければ付き合ってやってください。今までのは、気がつけば手直ししていくことにします。

 と言うことで、チョット話題が最近の流れからずれますが、最近の一連の引きこもりの若者が起した事件に関する興味深い話があったので、比較的私の意見も多くして触れてみたいと思います。

 日本経済新聞 2000年(平成12年)2月18日(金曜日) あすへの話題 父はいずこ 篠田 正浩

 …略
 うっとうしい世間と格闘せず母親の胎内に逃避する少年たちが続出する光景から、我々の社会が父親の不在という切迫した事態に直面しているのではないか、と思われる。近ごろ、「獅子(しし)は子を千仭(せんじん)の谷に突き落とす」という古い諺(ことわざ)が私の呼吸を荒くする原因である。      (映画監督)

 なぜ父親はいないのか、よく言われている様に企業に取られているのである。企業が繁栄するために都合のいいシステムを作ってしまい、企業に時間を捧げない者は組織からはじき出される。父親の背中が見えなくなったと言われて久しいが、いつまでたってもそれは是正されない。是正と言うのは一部であって大半はそれが当たり前なのである。
 私もそうである単身赴任、これなど一番その最たるものである。いわば、家族という意味から言えば死んだも同然ではないだろうか。
 企業は、それで発展したかもしれないがそれは単に経済の面からだけであって、子育てとか地域社会との付き合いとかを犠牲にしているのである。
 昔は、と言っても戦後私たち団塊の世代が生まれて育った子供の頃は、まだ近所のおじさんおばさんとの触れ合いがあった。悪い事をすれば、おじさんおばさんにしかられた。地域の皆で子育てをしていたのである。いつのころからか、隣近所の付き合いがなくなり、近所の子供をしかることもなくなった。それは、経済の発展とともに捨てられて行ったのである。田舎から都会へ労働力が移動し、核家族化が進んだ結果である。そして父親は会社へ取られ、母親は相談する人もなく孤独に子育てをすることになっていった。
 確かに、経済的には楽になった。
TV、自動車何でも手に入るがそれにつれて心の触れ合いは無くなっていったのではないでしょうか。
 我々、団塊の世代が子供の頃は、日本も貧乏で、辛抱ということが当たり前であったし、食べ物も、まだまだ、足らなかった。遊びも近所の子供が集まって、鬼ごっこから草野球まで暗くなるまで遊んだものである。そして、年上も年下も一緒に遊んでいたので、その中で上下の付き合い方も自然におぼえていった。年上は年下の面倒を見るのが当たり前であり、下のものは上のものを尊敬の目で見ていたものである。それも自然な教育だったのでしょう。

 話しは変わりますが、今の子供達が外で遊ばなくなったのは色んな理由はあるでしょうが、私はゲーム機の発達も一つの原因と思っています。丁度この3月4日、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーション2の発売の時に久多良木健社長が秋葉原に現れ、「今の停滞した経済の活性化になるでしょうと」言っていましたが、そこには経済の視点しかなく、ゲーム機によってどれだけの子供の健全な成長が阻害されたかという視点はまったくないように思いました。メーカーだけの責任ではないでしょうが。
 私は、ゲームはやりませんが、それは一度やれば多分虜になるだろうという恐れもあるからです。プロが全精力を注いで作ったゲームですからそれだけ魅力を持っているはずです。だから子供達にやるなと言っても無理でしょう。
 我が家でもかなり遅くまで我慢させましたが、子供が学校で仲間はずれになることを恐れて、折れてしまいました。案の定それですべては終わりました。子供がその魅力に抵抗できるわけがありませんでした。時間指定なんてモノはあっという間になくなってしまいました。この当りは、親の責任でしょうが大抵の親が制御できなかったのが現実ではないでしょうか。
 この当りがまさに篠田監督のいう「
父はいずこに」の一つの例かもしれません。
 多分、そう思ってる人も大勢おられると思いますが、今の経済優先の時代に立て付く事は難しいのが現実でしょう。
 手に入れたものも多いが、捨て去ったものはもっと多いのかもしれません。どこかで何らかの手を打たなければ益々おかしな社会へと落ち込んで行くような気がします。この先どうなるのでしょうか。

2000316日木曜日  第202話  携帯電話

 昨日触れた京都の小学生殺人を見てその犯人に共感したと言う男(24歳大学中退)が守口市で全く京都と同じように関係無い人(58歳)を殺す事件が起きました。何とも殺伐な事件です。殺された方の冥福を祈りたいです。やはり篠田監督の言うように何かおかしいですね。

 昨日の「父はいずこに」のなかで触れたゲーム機と、もう一つ気になっている物に携帯電話がある。
 私はゲームもやらないし、携帯電話も持ってません。営業マンとしては失格かもしれませんがどうしても持つ気になりません。会社では変わり者で通っています。
 それ程、急ぐ必要があるのだろうか?あのポケットベルの音も心臓に悪くてイヤでしたが、それ以上に携帯電話は心臓に悪いと思います。ただでさえ仕事で命をすり減らしているのにこれ以上どうして会社に都合の良い事に自分のお金を使わなきゃならないのか?(こういう考えが変わり者たる所以でしょう)と思ってしまいます。それにあの人は持ってないとなればそれなりに向こうも対処してきます。
 そして今の経済の停滞の原因の一つには若者が携帯電話による通信費がかかるために、ほかのものを買わなくなったことがあると言われています。
 そんな風潮がコラムにも取り上げられています。

 朝日新聞 221日 ◇天声人語◇

 …略
 教え子のほとんどが携帯電話を持ったころからの変化である。「通信費がかさむ分だけ、ほかを切りつめている」。そんな柳川教授の見立ては、総務庁の家計調査でも裏付けられた。30歳未満の若者が払う通話料はこの10年で2倍に増え、食費の方は1年間で6%も減ったという。

 授業中に鳴り出す。ところかまわず大声で話す。大学でも携帯の評判は芳しくない。でも、これほど影響力があると、文句をいうだけでは済まなくなった。重宝な連絡手段として積極的に使いだすところも現れている。 …… 以下略

   私は、基本的には電話が嫌いというのもあります。電話くらい人の都合にお構い無しにかかってくるものはありません。一番それを感じるときは、お客様と話しているときです。やっと貴重な時間を頂いて、話をはじめたとき、平気でかかってきて話を中断してしまいます。それも断りもなしに。アレほど失礼なものはないと思います。折角、商談が盛り上がって来た時に話が振り出しに戻ってしまったこともあります。何とも腹立たしい限りです、電話だからと諦めていますが、アレが直接誰かが話をさえぎったのなら問題になりますよ。営業マンなら一度ならずそんな経験をもっているはずです。
 最近でこそ、電車の中で大きな声でしゃべる人も少なくなりましたが、余りカッコ良いもんじゃないですね。かける人も小さくなってかけていますがそこまでして電話しなきゃならないのか見ていて気の毒になります。
 道を歩いていて、誰かに話し掛けられたのかと思って振り向くと電話しているなんてこともしょっちゅうです。「歩きながら話すなよ!」と思うのは私だけかな?歩きながらざっと見まわすと、何人かは耳に手をやっていますね。何だか可哀想に思えます。
 確かに急ぐ用事のとき公衆電話を探すのはイライラします。特に最近は、
NTTも公衆電話をどんどん減らしてきていますので(これも携帯が増えたからでもある)益々、不便になってきています。これもNTTの陰謀の一つかもしれないですね。
 それから、携帯電話を皆が持ち出して気になることがあります。それは、皆が、時間にルーズになったということです。皆さんも覚えがあると思いますが、時間に遅れそうになれば電話するのです。即ち、最初から「電話すればいい」という気持ちになり、時間を守らなくなってしまったのです。なにかおかしいと思いませんか?私と待ち合わせする時、何か用が出来て遅れそうな時連絡が取れないので皆困っているようですが、私から言わせれば何かが起こっても構わないように余裕を持って行動すればいいことです。現に、携帯電話などなかったつい最近までみんなそうしていたじゃないですか。便利に慣れて大事なことを忘れているのだと思います。
 そういうわけで、時代には逆行しているかもしれませんが、健康のためと、金欠病(これが本当の理由!)のためできるだけ携帯電話は持たないようにしようと思っています。
 それに、ただでさえ、インターネット接続料で
NTTに貢献しているのにこれ以上通信費を増やして貢献する気にはなれません。尤も出張のときにHPを更新するのにモバイルが欲しいなと思ってるのも確かですが……。
 昔、よく言われたエンゲル係数を思い出します。『
「通信費がかさむ分だけ、ほかを切りつめている」』のも経済停滞の原因の一つだというのは間違いないことだと思います。日本の国をここまで追い込んだのはNTTの通信料にも原因の一つがあると思うのは私だけではないでしょう。ここにも自分だけが良ければの考えがあると思います。本当に日本人は怒らないんですね。尤も、私が怒りすぎとの噂もあるが。

2000317日金曜日  第203話  引き際

 突然ですが、何時もの石井さんです。少し前の記事になります。

2000.2.26週刊東洋経済

経済人言葉
          ウオッチ

石井信平
映像&出版プロデューサー

稲葉氏の日商会頭居座りは
   適当な人事か? 

 この国の停滞の原因は人事に尽きる。トップからの指名を待つ身のせつなさや。その指を自分に向けて恥じないご老人がいる。
 七六歳の稲葉興作・日商会頭は二期六年、今の地位を占拠しながら、よほど居心地がいいのだろう、「適当な後継者がいないから、あとに二年は会頭職を続けざるをえない」と言う(日経新聞2月6日)。……中略

 稲葉氏の首にはたくさんの勲章がぶら下がっている。工学名誉博士号、経営者賞、ブラジル南十字国家勲章、藍綬褒章、そしてついに勲一等瑞宝章を四年前にもらい、あと何を下げれば気が済むのだろう?その首に鈴をつける勇気ある若手がいないようだ。
 「適当な後継者がいない」だって?自分が会頭でいることが適当かどうかこそ考えなさい。

 これは佐高信さんの世界ですね。さすが石井信平さんよくぞ言いました。一度権力の座につくと離れられないのでしょうね。この当りでその人物の度量が見えてくるようです。折角、名を上げたのだから、後は引き際をきちっとすれば「ああなるほどさすがは、稲葉さん」となるのに分らなくなるんですね。そのくらい権力の座はおいしいのでしょうか?
 ここで取り上げた、石田禮助さん達の勲章辞退と比べたら、可哀想ですね。やはりその人の生きざまが最後にですのですかね。回りにも忠告する人もいないくらい、裸の王様になってしまったのでしょう。尤も、殆どの人がそうでしょうけどね!

 私の周りにも勲章を楽しみにしている話が出ますが、なぜあんなものが欲しいのでしょうか?国家公務員を無事退官して七十歳くらいになると皆さん次は誰が何等だと噂しきりですね。私の父も今のNTT、昔の電電公社を退職していますので、確か勲何等かを貰っていましたが実にバカらしいですね。要するに退職する時の地位で何等かがきまるようです。
 一般の企業で社会の為に一生懸命働いた人は沢山いるはずですが、公務員以外は大企業の社長クラスで団体の役員などをした人しか貰えないみたいですね。
 誰かが、「国家に奉仕した人が対象であると言うこと自体がおかしい、国民に奉仕した人にあげるべきだろう」と書いていましたがそれが本当かもしれませんね。
 どちらにしても、出世の延長みたいで余り好きになれません。それよりも社会の底辺で本当に人々の為に自分を犠牲にして働いたような人を探し出して、その労にむくいるようなものが欲しいですね。尤も、そんな人は欲しがらないでしょうけど…。
 アレを見ていると政府の人気取りというかああいうものをやれば選挙の票にでもなるくらいに思ってるのじゃないでしょうか?ちょっといいすぎかな?
 いや〜!この所の小渕首相の中坊公平さんとか江崎玲央奈さんたちの起用を見ていると、本気なのか単なる人気取りなのか疑わしいのと同じ気持ちです。

どうも胡散臭いですね!

第11話 石田禮助

2000318日土曜日  第204話  メディア

 石井さんの事が気に成って検索で探してみました。偶然とはおそろしいですね。何と石井さんのマスコミ論に当ってしまいました。その中身はまさに私が言いたかったことそのものでした。
 そしてどこに書かれているのかたどっていくと同志社大学の
HPでした。そうです、石井さんは同志社大学の卒業生だったのです。何を隠そう私は石井さんの後輩だったのです。余り好きな学校じゃなかったのですが、今回はさすがに何か嬉しかったですね。益々、石井さんが好きになってしまいました。
 偶然って面白いもんですね!その記事を下に取り上げます。年代はチョット古いですが中身は今も同じだと思います。
 ちなみに、ONE PURPOSE はカッレジソングからとってます。 
 同志社大学の広報に転載をメールで打診しましたが、やはり全文はダメということなので少し略させていただきます。

ONE PURPOSE 109 INDEX

(1996年12月1日発行)

テレビは大丈夫か −マスコミの渦中に働いて−

石井 信平 さん

11月6日、アッセンブリー・アワーの講師に石井信平氏を招き、講演会が行われた。活字、テレビと一貫して、マスコミの現場に放置されている諸問題を鋭く指摘された。講演の一部を紹介する。

 忘れやすいメディア
 ……

自己点検ができないメディア

 トヨタ自動車は「安全で快適な車をつくること」を生業とし、キリンビールは「飲んでおいしいビールをつくる」ことを生業にしています。では、メディアは何を生業としているのでしょう?私はそれは「自己点検が出来る」ということだと思います。

 自己点検ができないメディアは、生業を放棄したのと同じで、メディアとして失格です。自分の都合の悪いことは伝えないというなら、そのメディアが伝える情報全体の信頼性が疑わしいことになり、メディアにとっては命取りです。それは、キリンビールやトヨタ自動車が、社内の不祥事を隠そうとするのとはワケが違います。

 ……中略

 私たちは、世界と日本の状況を知る手掛かりは、ほとんど唯一メディアに頼っています。その頼みとするメディアが、結局は利益追及の株式会社の事情でしか運営されていない。そこには、国民の目であり耳であることの、根性も哲学もなかったということは、実に深刻な事態です。しかも、ダメと言い捨てるには、その影響力は絶大ときてます。

 今、メディアに背を向け、オレは一切メディアの世話にならないと宣言しても無理です。メディアは、今や我々の周りに「環境」として君臨しています。政局を左右し、景気に影響を与え、流行を作り、社会の規範や道徳観までコントロールしています。「不倫」も「援助交際」もマスコミが作り出した記号です。私たちは、マスコミに同化したり献身する必要はない。むしろ異邦人、「よそもの」でありつづけるスタイルを私は選択したい。

 私は企業をやめ、フリーランスの道を選択しました。まず出会った困難は収入の絶対的不安定と孤独でした。しかし、得たものも大きかった。それは、組織とかメディアは全く頼りにならない。結局のところ、個人の感覚・判断・行動に、自分と日本の運命は託されている、という確信に遭遇できたことでした。

http://www.doshisha.ac.jp/daigaku/onepur/no109/no109-index.html  

 ここにも組織を飛び出した勇気ある先輩がいた。見習える時が来るのだろうか?残念ながら遅すぎたかもしれない。マァいいか!その話しは置いといて……。

 どうですこの通りじゃないでしょうか。特に「私たちは、世界と日本の状況を知る手掛かりは、ほとんど唯一メディアに頼っています。その頼みとするメディアが、結局は利益追及の株式会社の事情でしか運営されていない。そこには、国民の目であり耳であることの、根性も哲学もなかったということは、実に深刻な事態です。しかも、ダメと言い捨てるには、その影響力は絶大ときてます。」というこの言葉の中にすべてが言い表されていると思います。
 何度も言いますが、マスコミは本当の事を国民に知らせる義務があるはずです。なぜなら我々は他に知る手段が殆どないのですから。その気概のない企業がマスコミに携わることは許されないのではないでしょうか。確かに企業であるからには適正な利益をあげる必要があるがそれが目標では困るのである。マスコミという業界に属しているからには責任感をもって欲しいのである。
 権力に迎合することなく、何が国民の為になるかの視点を常に一番に置くべきである。特に日本の場合それは大事であるように思う、何故かと言うと、日本人の特徴である付和雷同性があるからである。確かに今回の外形標準課税や警察の問題でもその傾向があることは認めます。それだからこそ、常日頃から権力の行き過ぎに対する見張り役として国民に真実を伝えることを努力して欲しいのである。
 何か面白い事件が起きると始めてそれに触れ、国民が食いついてくると今度は煽るようなやり方は日本人にとって一番危険なやりかたではないでしょうか。そうでなく、常に国民を教育するような正しい報道を望みたい。それだけの教育に答えられる資質を日本国民は持っていると思いたい。教育という言葉はふさわしくないかもしれないが、少なくとも自分で判断できるだけの情報を提供してもらいたいものである。
 特に、
TVの影響は大きいがそれはやはり、「百聞は一見にしかず」の通り、映像の圧倒的情報量にあると思います。それだけにTVには一層の責任感を持って欲しいのである。TVには、日本人の意見を誘導できるほどの力があると思います。それだけにその使い方が大事なのである。所謂一億総白痴化も不可能でないだけに心して欲しいものである。
 しかしながら、国民の方にも責任はある。興味本位の暴露ものばかりを喜んでいれば、マスコミも商売としてそれを扱うようになる。見るほうにもそれだけの矜持が必要である。選挙と同じだ、所詮は国民のレベルがマスコミにしろ、政治にしろ決めているのだろう。

2000319日日曜日  第205話  中坊さん

 19日はたまたま昨日触れた大学時代のクラブの同窓会を道後温泉(一泊)でやります。そこで更新が難しいと思いますので、先取りで更新します。こんな手を使って済みません!

 第195話で取り上げた中坊さんの内閣特別顧問の話題、やはり色々と話題に上っていますね。あれっ!と思ったのは私だけではなかったようです。
 佐高信さんも
週刊金曜日ので取り上げています。

 

「風速計」(3/17発売307号)中坊公平からの電話 佐高信

 「裏切られた メッキはげた お調子者」

 「ほめてきただけに責任を感じている。裏切られた」(佐高)、「もともと期待してない。メッキがはげただけ」(宮崎)、「権力側に都合よく振る舞う、お調子者」(辛)。 ……以下略

 やはり皆思うことは同じですね。この中でも取り上げていますが、大阪府知事選の太田候補への応援を聞いたときが最初の「あれっ!」でした。そして今回で益々わからなくなったものです。
 
「小渕内閣の獅子身中の虫になってくれるはず」に期待するしかないでしょう。佐高さん曰くの汚物首相によって今までの中坊さんのやってきたことがすべて汚されることにならなければ良いがと心配してしまいます。
 中坊さんの言うことを聞いて実行するくらいの度量があるなら今までに実行しているはずです。およそ今の日本に必要な資質とは正反対の小渕に今更それができるとは到底思えませんが、そこに本当に挑戦するのであれば益々、中坊さんを尊敬しますが、どうなるでしょう。
 こうなったら、我々今まで中坊さんを応援してきた国民を裏切ることなく、「流石は中坊さん我々凡人とは違っていた。まいりました」と言わせるようなことをやってください。

期待を裏切らないで!

 第221話で触れたように、小渕さんが脳梗塞で倒れたのが4月でしたが、5月に意識が帰ることなく亡くなられました。
 中坊さんが魅力を感じたように、人間としての評価は高いようです。なくなられた後の報道は、人柄を誉める記事ばかりですが、日本の国はやはり、ああいう人で無いと偉くなれないのですかね。
 プッチホーンと言われた様に、興味のある人に電話で色々と意見を聞いたりしていたようです。聞く耳があったことは間違い無かったようです。その当りに、中坊さんも期待を持ったようです。
 
第213話で触れたように、もしかしたら大化けするかなとチョット期待したところだったので残念な気もします。
 そういう良い物を活かせないのは、やはり自民党というか政界自体が組織として腐っていることに問題があるのでしょう。それだけに、従来の延長線上の政治家ではこの日本を買えることは難しいのでしょう。

国民が変わるしか道は無いようですね。

 2000516日火曜日修正

2000320日月曜日  第206話  バス一台

 久しぶりの同窓会楽しんできました。何故道後かというとクラブの春の合宿が道後だったのです。30年ぶりの訪問というのも何人かいました。今回は参加者9名、来れなかったもの4名でした。
 毎回食事の後部屋で全員で夜中まで話すのですが、50おじさんも、この時ばかりは学生気分に戻って旧交をあたためます。古い仲間だけの世界ですね!さて次は何時かな?

 チョット古いですが興味深い記事なので取り上げます。2000年〈平成12年〉3月3日(金曜日) 日本経済新聞 何時もの大機小機からです。インターネット時代の情報という中の「ネット時代の情報共有化」にありました。

 

 ……略
 故松下幸之助氏がお元気なころ「いつのころが一番楽しかったですか」とお尋ねしたら「バス一台」という言葉がすぐに返ってきた。…中略
 情報革命はインターネットというツールこそ使えるものの、「皆が情報を共有する」という点では「バス一台」の世界と本質的に変わらない。情報社会の進展とともに。五十人くらいで運営されるイキイキとしたカルチャーがよみがえってくることを期待したい。 (一 礫)  

 この第四に共感するのでここで取り上げましたが第一から第三は略させてもらいました。
 組織とか会社というものを考える時いつも思うのですが、一人の人間が本当に把握できる人数というのは何人くらいだろうということである。組織が大きくなるとどうしても意思の疎通がおかしくなり、その組織の崩壊に繋がるように思えるのである。
 その人数が、ここで言う「バス一台分」ではないだろうか。即ち、情報の共有ができる人数という事である。あの経営の神様といわれた松下幸之助氏でもこの人数に限界をみていたのではないだろうか。ましてや凡人の我々がそれ以上の人数を把握することはまずできないとおもって間違いはないでしょう。
 それでは大企業はどうなるのかとおもわれるでしょうが、そこにタテ社会が発達してきた所以があるのではないでしょうか。バス一台分に管理者が一人(尤もそれだけ管理できる人は殆どいないと思われる)。そしてその管理者バス一台分にその上の管理職一人という風にして行くと、幾らでも大きな組織ができるということになる。これが組織の基本なのでしょう。
 ところが、松下幸之助氏の例を見るまでも無く、バス一台分の人数を本当に把握できる能力のある人は少ないと思われる。だからそんな管理できていないバスが積み重なって行くとどうにも手のつけられない組織ができあがってしまうことになる。
 これが、今日本であらゆるところで噴出している問題の原点のような気がします。所詮、人は自分の器以上の組織を管理することはできないのだろうと思います。
「山より大きな猪(しし)は出ん!」という言葉もあります。能力以上のことはできないということです。
 それがわからない人間が少し地位が上がったといって、勘違いしているのが今の日本の閉塞感をもたらしているのではないでしょうか?こういうとチョットきついですかね。でもそれが本当の所だと思うのですが、どうでしょう。
 インターネットという情報手段がその限界を少しでも打ち破る手助けになればありがたいと思います、それが「
五十人くらいで運営されるイキイキとしたカルチャーがよみがえってくることを期待したい」ということでしょう。

2000321日火曜日  第207話  浪費なき成長

 今話題の環境問題でも、大量消費された資源のリサイクル問題がさわがれていますが、チョット以前の事を考えてみましょう。私たちが子供の頃、お母さんは、買い物かごや風呂敷を持って買い物に言っていました。今のスーパーのようにビニール袋とかトレイなんてありませんでした。確かにそれで便利になった面もありますが、それが無ければどうしようもないと言うことは無いと思います。そういった事を見なおし、みんなが実行するだけでゴミの問題は半分くらい無くなるかもしれません。
 私がいつも思うのはあのコーラです。始めはボトルでした。それも今はやりのデポジット制でボトルを持っていけば10円返してくれていました。何時からでしょう、缶がボトルに取って代わったのは。昭和45年ごろからだったと思います。あっという間にボトルが市場から無くなって行きました。その結果が今の缶の氾濫、最近はそれもペットボトルに変わりつつあります。
 そこにはリサイクルの視点が無かったことは確かです。企業の儲け主義の為に面倒くさいコストのかかるボトルのリサイクルは捨てられて行ったのではないでしょうか?この四月から容器リサイクル法が始まりますが、まだまだ、国民も企業も本気だとは思えません。
 捨てる工夫も必要ですが、昔のように使わないシステムも考える必要があると思います。それも『「浪費なき成長」』の一つと思うのですが、どうでしょう。

 そんな昔の生活を思い出させるような説が、『2000年(平成12年)3月6日(月曜日)  読売新聞けいざい本のツボ 内橋 克人著 「浪費なき成長」(光文社刊、1200円) 大量消費依存の経済問う』の中にありました。

  著者の一言
 私があえて「浪費なき成長」を主張するのは、国民の浪費を前提とした旧来型の経済政策こそが、巡り巡って巨額の国民負担を生み出してしまうからだ。国民はバブルの失敗を経て、身の丈にあった消費に戻っている。単なる生活防衛にとどまらず、環境問題などの観点からも望ましい姿と言える。…以下略

 いいですねぇ!これです、私が待っていたのは。確かに、もっともっと、お金があって、好きなことができればいいとは思いますが、果たしてそれでいいのでしょうか?欲望は果てしないものです、どこかで見きる必要があるのではないでしょうか。
 「
身の丈にあった消費」というのは大事だと思います。例えば、資源のない日本の国が世界中から金に任せて資源を集め、それを浪費しているというのはいかにもまずいのではないでしょうか。金さえあればなんでも手に入るという傲慢さが最近の日本で起こっている殺伐とした事件の裏にあるように思えてなりません。政官財の汚職なんかもその中に入るかもしれません。
 

2000322日水曜日  第208話  リサイクル

 権利を主張するばかりで、義務は逃れようとする日本人の考えが変わらない限り、表面的な対策を行っても何も解決しないような気がします。今度のリサイクル法にそんな危うさを感じるのは私だけではないでしょう。
 何でも金で解決しようという日本が世界に嫌われている独特の安易な考えが見え見えです。それも、きちんとした責任を持ったお金の支出でなく、何とか誤魔化そうという意図が隠れているようです。あわよくば税金で誤魔化して、企業に大きな負担が行かない様にという逃げ道を用意しているように見えます。

 そんなリサイクル法に触れたコラム「日刊工業新聞 2000年(平成12年)3月14日 火曜日 産業春秋」がありました。

 容器包装リサイクル法が4月から完全施行されるが、この法律の最大の欠陥は生産者の責任が問われていないということ。しかも処理はすべて税金で行うため、容器を使っている国民に負担感がないのだ。これではリサイクルしても、それが発生抑制につながるとは到底思えない。 ……以下略

 やはり何処かおかしいですね。この法律の裏にも何か胡散臭いものが見え隠れしているような気がするのは私だけでしょうか?
 それはやはりすべてお上任せで、「
この法律の最大の欠陥は生産者の責任が問われていないということ。しかも処理はすべて税金で行うため、容器を使っている国民に負担感がないのだ」というところにすべてが表されていると思います。
 相変らずの、逃げの政治を感じます。企業に負担を求めても、国民に負担を求めても反発されることは目に見えているので小手先の方法で誤魔化しているのが丸見えです。
 要するに政治家は票の事しか考えていないということではないでしょうか。何処かに負担を求めると反対運動が起こり票が減る、だから、兎に角直接金が要らないように見せかけ結局は税金の無駄遣いになってしまう。国民も直接負担が無いから見過ごしてしまう。何時までたっても国民は政府に馬鹿にされているのである。もっと根源的な対策を取らない限り本当の解決にはならないことが分かっているのに、誰もやろうとしない。未熟な国民と未熟な政府そして、利益の減ることにほうかむりしている企業。どれを取っても無責任。
 本当に日本の国の将来を心配するなら、それなりの負担を皆が共有する必要があるはずである。政治家は国民に本当のことを説明し納得させることが大事であり。国民はそれを聞く耳を持つことが必要であり、企業は利益をあげるためには社会責任を果たすべきである。
 要するに、皆、自分の事しか考えていないからこうなってしまうのではないでしょうか。

そろそろ小手先の解決はやめませんか!

2000516日火曜日修正

2000323日木曜日  第209話  税治家

 日本人は楽なことが好きなのである。面倒くさいことはしたくないというのが大半の人のようである。これは今までやっていないという面もありますが本質的にそういう考えが無いのかもしれないですね。
 その証拠に、日本の男性の殆どが、給料をすべて奥さんに渡してしまう。給料が自由に使えないが、ある意味責任が無いので、楽なのである。私もその一人です。アメリカでは逆に自分がすべてを管理して、生活費はその都度渡すという人が多いと聞きます。
 日本人にもたまにそういう人がいますが、どちらかといえば少数派でしょう。家計と教育は奥さん任せ、自分は会社に身を捧げているというパターンが殆どではないでしょうか。私も含め反省すべき点があると思います。
 家庭という面から考えると、主権を奥さんに渡すという事はそれなりに家庭円満にも繋がって、それが良い所もあるのと思います。しかし、やはり責任逃れと言われてもしょうが無い所も多分にあります。
そんな日本人の弱点をカバーするような考えがありました。

 昨日のコラムにも関係しますが、日本人の政治に関する無関心の元であると思われる税金に関する面白いコラム「2000.2.19週刊東洋経済 視点政治家を゛税治家"と名づけよう 石川 好(いしかわ よしみ)作家です。

  …略

 政治家の仕事は、国民(納税者)の代表として、国家経営をすることであり、不足すれば未来の納税者(子々孫々)から、彼らの承認なくしても借金をすることが許されている。今日ただいまの小渕政権はそれを堂々とやっているわけだ。
 すなわち、政治家とは「税の支配者」なのである。例えは悪いが、泥棒(徴税)とサンタクロース(配分)が兼職できる権限を、選挙によって国民から付与されている人間のことなのである。
…以下略

 チョット、違った方向から考えてみたということですね。今までは、『日本人の政治意識を高めるために「あらかじめ源泉徴収するのではなく、自己申告制ににすべきだ」との意見はふるくからある。』という考え方が大方であったと思います。私もそう思ってました。アメリカのように自分で申告すればどうしたってその使い道に関心を持ちます。ところがなかなかこの考えが日本では受け入れられない。
  すべてにおいて、責任が発生しないような楽なことが良いという日本の風土からはなかなか自己申告制は受け入れられないかもしれない、そこでこの石川さんのやり方で、「
国民にも納税者意識が高まり、かつ選挙で選ばれた人々も、税を治むる人間としての職業意識が、大きく変わるであろう。」という事になれば良いが、まあそんなに甘くは無いかもしれないですね。
 いずれにしても我々国民一人ひとりが税金にもっともっと関心を持たない限り政治家や官僚、そしてそれにたかる企業の食い物にされるだけである。
 封建時代から、何もかもお上任せの体質が染み付いてしまっているのでしょうか。欧米諸国は狩猟民族で、日本は農耕民族であるとよく言われて何かと比較されます。
 又、日本の国が江戸時代の300年という平和をむさぼった事は事実であり、それはやはり海に囲まれた島国であり、農耕民族であったことが大きく影響している事も事実でしょう。
 そういった日本民族特有の経験と言うものが影響しているのかもしれないです。なにしろ、外国から攻められる心配は無いし、他の人と変わった事をしなければ、兎に角生活はできる。
 難しい事は、お上がやってくれるので黙っていう事を聞いていれば頭を使う事も無いというような生活にならされてしまった結果がこんな日本の常識世界の非常識の国民を作り上げたのでしょうか。

本当に不思議な国民ですね!

 2000517日水曜日修正

2000324日金曜日  第210話  警察 政教分離

 警察が嫌われる原因の一つにねずみ取りがあると思います。確かに、スピード違反する方が悪いのですが、そのスピードの設定が実情に即しているかと言うと必ずしもそうでないのは皆が感じている事でしょう。その上、警察も40Km制限のような所で取締りをしたりするから、尚更、違反したと言う気持ちより罠に嵌ったような気になるのである。
 警官ともあろう者が、こそこそと隠れて違反を摘発する事自体が嫌われる原因である。そんなことしなくても、違反を少なくしたいのなら道路渕に立っているだけで効果が挙がることは誰もが見とめるでしょう。
 そこに、予防でなく罠を感じるから、誰もが悪いことをしたと反省するのでなく却って、反発することになる。
 私みたいに、警察には今後何があっても絶対協力しないぞと思うばか者も出てくるはずです。ところが、何にも無いのが悔しい……。
 反省がないから、何とかもみ消したいという感情も湧いて来るのではないでしょうか。そこに偉いさんに頼んだらもみけしてくれるという公然の秘密があればだれだって何とかしてもらおうと画策するでしょう。当たり前の感情です。

 

 そんなことにも通じる話題が 「322日 ◇天声人語◇ 朝日新聞」に取り上げられています。

 ……略

   それにしても、おそらくは数ある「もみ消し」の中で、どうしてこの一件だけが明るみに出たのだろう。 …以下略

 このもみ消しは誰もがあることを知っていることだろう。権力に近い人や、金持ちがそれを利用している事は殆どの人が暗黙の了解で黙っているだけなのだろう。身近にそのお世話になった人の一人や二人がいるのを聞いたことがあるのではないだろうか。そういう人に限って自慢そうに話すものであるから。
 兎に角、以前にも
第191話 第192話 第193話で触れたように政治家をこんなことに利用する国民の意識が低すぎるのも大きな原因である。政治家に石橋湛山の気概もなければ国民にもそれを良しとする意識も無い。

 もともと、ねずみ取りのような国民を敵に回すような摘発をしているので国民の方も何とか逃れ道のあることをよしとするのではないだろうか。許す方も許される方も腹立たしいことには違いないが、自分が何時その立場になるかもしれないだけにそれを許すのではないでしょうか。
 どちらにしても、日本人のレベルの低さをモロに現していることには違いない。

 それでは「どうしてこの一件だけが明るみに出たのだろう。 ということであるが、これは皆さん想像通り、以前ここでも取り上げた第185話「政教分離を貫く会」が匂いますね。あくまで想像ですので真実はわかりません。そこまで露骨なことをするはずがないでしょうけどね。
 しかしながら余りに素晴らしい話しで泣けてきますね。もみ消しを頼む方も方なら、もみ消しをする方もをする方である。その上それを利用したとしたら、これほど素晴らしい国民はいないのじゃないでしょうか?

日本人バンザイ!ヤッパリ、皆で渡れば怖くない!!

日本の未来は明るいぞ〜!トホホ!!

第186話 

2000518日木曜日修正

2000325日土曜日  第211話  外形標準課税

 またまた面白くなってきましたよ!そう外形標準課税です。東京都に対して大手銀行が裁判に持ち込む事を決めたようです。
 本当に懲りないですね。自分達の立場が分かっているのでしょうか?まさか、あんな偉い人達が負ける裁判をするはずは無いでしょうから勝算はあるのでしょう。もし銀行が勝ったらどうなるでしょう。面白そうですね!
 さて日本国民はどう出るでしょうか?選挙もあるし、自民党さん、ひょっとしたらひょっとしますよ。これで自自公を選ぶ人は余程の人ではないでしょうか?覚悟は出来ていますか?
 それでもダメなら、いよいよ、暴動すかね。そうすれば、日本国民も世界で認められるかもしれませんが、どうなるでしょう。わくわくしますね。チョット不謹慎ですかね?

 この銀行に関する面白いコラムがありますので紹介します。銀行さんどう考えますか?

財界 2000 3/28 一筆入魂 ジャーナリスト 嶌 信彦 第36回 石原流を超えるバンカーの゛徳"

 …略
 石原新税に問題がないわけではない。多分、国民の多くはそのことに気付いている。にもかかわらず、銀行に同情が集まらないのは、やはりこれまでの゛不徳
"と、その反省に真実味がこもっていなかったからだろう。……以下略

 大手銀行の偉いさんには、この国民の気持ちが全く分かっていないのですかね?そうでなければ訴えるなんてことは出来ないと思いますが、どうなんでしょう。
 この税金は不公平だとかいっていますが、あなた達は公平なことをやってきているのですか?リストラもやっていると言ってますが、歴代の取締役が何千万円もの給料をとって毎日社用車で送り迎えされていたりとか言うのは何なんでしょう。その人達の給料は、同じ年代の老人の年金の金利をゼロにしたもので払ってるのじゃないのでしょうか。
 給料も下げました。当たり前だろうが、今までどれだけ貰っていたのか?絶対に外部にもらさなかったボーナス。誰も知らないと思っているのでしょう。
 もし分かっていてやっているとすると、よっぽど国民をバカにしているんでしょうね。きっと、虫けらぐらいにしか思ってないのでしょう。確かに、あなたたちはエリートでしょう。
 しかし、そこまで国民をバカにし、踏みつけにする権利があるのでしょうか?さて、その反動はどう出ますか。

 第238話でも取り上げましたが、こんな体質の銀行がさかんに大型合併を急いでいますが、仏作って魂入れずの合併を繰り返して、図体だけ大きくなっても、中身が変わらないのですから、いずれ消滅して行く事になるような気がします。
 今日も、大阪の破綻した幸福銀行が外国資本に譲渡される事が決まりました。長銀に続く外国資本への譲渡です。
 何年か後には、皆、外国銀行の傘下に入っているように思います。10年後を見てみたい。

銀行さん!楽しみですね!!

嶌さんのHP

2000518日木曜日修正

2000326日日曜日  第212話  税金 マスコミ

 残念な話しがあります。週刊東洋経済の、あの石井信平さんのコラムが終わるそうです。毎週、楽しみにしていたのに残念です。極論を言えば、最近は週刊東洋経済を見るのはこのコラムが目的だったような気がします。
 心配していたように、その論調が強すぎたのでしょうか?この雑誌に限ってそれは無いと思いますが、もしそうなら大問題ですね。

 最後のコラムを取り上げます。残念なお知らせの後、嬉しいお知らせもあります。それはコラムの後に……。

経済人言葉
    ウオッチ

石井信平
映像&出版プロデューサー

加藤寛氏は自分の報酬を
明らかにすべし

 時あたかも確定申告の季節、たまたま手にした『週刊朝日』3月10日号で、大蔵省のPRページに出くわした。「早見優・税金に大いにツッコむ!」。紙の色を変え、八ページにわたって「日本の税金は、世界的に見ても決して高くありません」と熱弁を振るっているのは加藤寛・政府税制調査会会長。
 国は一円でも足りないと督促状を送ってくるが、取りすぎた税金を、自分からは決して返そうとはしない。その税金の湯水の如き使い方たるや、腹の立つことばかりである。税金など払う意欲失せる無残な財政こそ問題ではないか?
 そんな折に、加藤先生は千葉商科大学学長の身で政府の拡声器、「確定申告は社会に対する自分の貢献度を示す絶好の機会だと考え、ぜひキチンと納めていただきたいと思います」。
 この人は、税制の問題点をえぐり出し、政府に向かって物申す立場の人なのに、いつの間にか大蔵省のサンドイッチマン。エコノミストがこれだから、日本経済の惨状は当たり前だ。
 警察庁の不祥事をきっかけに、国家公安委員への高額報酬を今ごろ驚く国民が情けない。
 私は一納税者として、寺田達史・大蔵省大臣官房広報企画室長宛にメールで質問を送った。
 一体、この納税キャンペーン企画のために、幾ら税金が使われ、加藤氏への報酬は幾らだったのか?10日たつが、いまだに返事がない。私のコラムは今回が最終回となった。残念ながら、本欄では結果をお伝え出来ないが、自分のホームページを作ってこの問題を追うことにした。間もなくできる
URLをお知りになりたい方はgogo.shinpei@nifty.ne.jpまでお問い合わせを。
 加藤氏でさえ言っている。「政府はちゃんとお金の使い道を示さなければいけません」。

 ということで、早速メールを送らせて頂きましたところ丁寧にお返事を頂きました。そして、大蔵省に送ったメールの顛末も教えていただきましたが、これは石井さんのホームページを待つべきと思いますので、ここへは取り上げませんでした。楽しみに待ってください。
 有難い事に私のこの部屋も見て頂いて掲載にも「問題ないよ!」と許可を頂きましたので、お言葉に甘えて、全文(下手に略すと本来の雰囲気を失うと思いますので)を取り上げさせて頂きました。
 コラムの終わりは残念ですが、こうやって、石井さんとメールでやりとりできたことは私にとっては望外の喜びでした。ホームページが出来たら是非リンクを張らせて頂こうと思っています。

 さて本文の方ですが、相変らず辛らつです。今回が最終というのは、ひょっとしてどこからか圧力がかかったのかなと思うのは私の思い過ごしであればいいのですが。

 「こういう事実をふだんキチンと報道しないメディアもだらしない。これを機会に、すべての政府審議委員の報酬を公開せよ。」というこの言葉こそ国民の言いたいことをすべて現していると思います。どうして、何もかにも隠そうとするのでしょうか?それは何時も言っている様に、我々国民にも責任があると思います。
 
第209話などで取り上げたように、余りにも、国民が税金の使い道に無関心であることが、政府や官僚を付け上がらせているのでしょう。国民がここまで無関心であるのは日本独特のであるような気がします。
 それはやはり、教育や源泉徴収にもあるでしょうが、マスコミの取り組みにもいくらかの原因はあると思います。マスコミが真剣にこの国を良くしようという気概を持って取り組めば、かなりの成果は上げられるはずです。マスコミにはそれだけの影響力があるはずであるが、商業主義に陥ったり、権力と結びつくことにより、その力を行使する責任を放棄しているのではないでしょうか。
 特に日本人はマスコミ特に
TVに弱いのだから、その使い方によって日本を素晴らしい国にすることが出来るはずである。それだけに逆に働くと恐ろしいことにはなるだろうが。それだからこそ、マスコミに働く人はそれだけの気概と責任感を持って欲しいものである。確かに、権力に向かって行くことは大変な力を必要とするでしょうが、それこそがマスコミに働く醍醐味ではないのでしょうか?マスコミの奮起を促したい。

頼みますよ!マスコミさん!!

2000327日月曜日  第213話  小渕総理

 先週は、同窓会で見れなかったサンデープロジェクト。今週は、なんと田原さんと小渕総理の沖縄での90分対談でした。正直言って、「小渕総理の顔をそんなに長く見たくないなぁ〜!」というところでした。それでも、こうやって民間放送に1人で出てくることに対する評価は必要かもしれないですね。隠れているよりは、評価すべきでしょう。
 なかなか面白かったです。しかし不思議ですね、財政改革、教育改革、司法改革、社会保障と総理はやりたいと主張しています。
 時間の都合で財政改革、教育改革が主体になりましたが、基本的な考えは殆ど同じであると思います。
竹中平蔵氏との話の中でも、税制改革とか、IT革命(具体的に言えば料金値下げ)にもやるべきと言っていた。
 教育改革の面でも、江崎玲央奈氏との話しで、「受験の為の勉強でなく、人格形成が目的である」等と中々良い事を言っていました。本当に、この主張通りやれば、小渕首相は日本の救世主になるかもしれない。私は、見間違っていたのだろうか?
 本当にやる気があるのなら、もっと国民に、今度のように自分の考えをどんどん知らせて、国民を見方に付ければ良いのではないだろうか。そうすれば、中坊さんのように国民をバックにした大きな力を持つことによって、国会を自分の主張通りに乗り切ることが出来るような気がする。方法としては面白いのではないでしょうか。今まで、誰もやったことがない画期的な方法で日本の国を改革した首相として歴史に残るでしょう。
 それならば中坊さんや江崎玲央奈さんたちをブレーンとしたのも納得できる。

 それに触れた面白い記事が「朝日新聞 324日 ◇天声人語◇」にあったのでチョット取り上げてみます。

 …略  なるほど今度は若乃花ですか、ありえますね。と、そう思いたくなるほど小渕首相は「有識者会議」をつぎつぎ設け、みずから精力的に委員就任を口説いてきた。…中略

  整理回収機構前社長で弁護士の中坊公平氏の内閣特別顧問就任も、その一環といえるだろう。 ……以下略

 これらの人の意見を、本当に活かして、日本の国を救えば、今まで、汚物総理なんて言って、さんざんバカにしてきたことを謝らなければならないです。そんなことになったら嬉しいですね。期待しましょう。

 最後に、堀田力さんの「おごるな上司!」 日本経済新聞社より一言引用します。

よい事を言っているからといって、その人が、そのとおりしているとは限らない。

 世の中には、本当に口だけの人がいますからね。言葉だけ聞いているとどれだけ立派な人かと思う人がいます、ところがやってる事は全く正反対なんです。
 そういう人の言葉を聞いているとどう見ても嘘を言っているとは見えないのですが、現実は違うのです。私も、大阪へ転勤してきてそういう人を会社の上司で見てびっくりしました。
 それはすごいものがありました。よくもアレだけ自分がやっている事と反対の事を顔色一つ変えずに言えるものだと感心しました。お恥ずかしいですが、人間50年やってきて、始めて目の当りにしました。私が甘かったようです。人間には信用できない人というものがいるものなのですね。それまでだったら、堀田さんのこの言葉をきいても、「そんなこともあるのかな?」位にしか思わなかったでしょうが、現物を見た後だけに、この言葉は心にしみます。
 ところが、往々にして、そういう人が要職を占めている場合があるようです。それだけ、「
人を見る。特に、本質を見る」と言うことは難しいのだと思います。どうしても表面だけを見てだまされるのですね。心したいものです。

巧言令色少なし仁

2000517日水曜日修正

2000328日火曜日  第214話  雇用流動化時代

 政治の話題が続きましたので、話題を変えてみます。
 転職が当然になる時代は、本当に来ているのだろうか?そうであればこれほど嬉しい事はないのだが、まだまだ現実はそこまで行っていない。
 日本の社会では余程の場合で無い限り転職したものは前職より条件が悪くなることが多い。それだけまだ、転職という事が認知されていないのである。一度就職すれば定年までそこで勤めるのが当たり前、辛抱せずに転職するのは何処か忍耐力が無いような捕らえ方をされている。要するに会社に都合の良いような教育がなされてきたのである。
 だから、労働者にとって不利な、ひどい会社が平気で存在することになるのである。日本の今までの状況ではそんな会社でも、辛抱することが美徳であるとの隠れ蓑によって生き残ってきたのである。
 そんな会社でも辞めるともっと条件の悪い所しか就職できないのが今までの日本の現状であった。少しずつそんな状況も変わりつつあるとはいえまだまだであることは間違いない。

 少し日付は古いですが、雇用流動化について興味深いコラム「日本経済新聞 2000年(平成12年)2月23日(水曜日) 雇用セーフティーネット ▽上キャリア形成知恵比べ」がありました。

  …略
  転職が当然になる時代は、優れた人材が流出するリスクと背中合わせ。社員の適性や資質を再点検しなければ、企業は雇用流動化時代を生き残れない。

  このような制度が少しずつ増えてきているのは確からしい。これが本物になると、労働者の方が会社を選べるようになる。そうすればリンクの部屋のから行けるHPにかいてあるるような経営者のおかしな会社は存在できなくなるはずだ。何時になったらそんなことが当たり前の時代が来るのが待ちどうしいことである。
 マァ私の時代には無理だろうが、「
転職が当然になる時代は、優れた人材が流出するリスクと背中合わせ。社員の適性や資質を再点検しなければ、企業は雇用流動化時代を生き残れない。」というような日が、一日も早く来て欲しいものである。
 いずれにしても、我々団塊の世代は、若い時には我慢すればいずれ仕事以上の給料が貰えるのだから辛抱しろと言われ、安い給料で「何でこれだけ仕事をして、こんな給料しか貰えないんだ」と腹を立てながら、こき使われたのである。
 やっと給料に報われる歳になったら、リストラで「はいさようなら」という割に合わない目にあっている。この悔しさは分かってもらえないでしょう。
 我々には、雇用流動化なんて時代はもう来ないでしょうが、若い人達が同じような苦しみを味合わなくても言い時代が来て欲しいものである
.

2000517日水曜日修正

2000329日水曜日  第215話  雇用流動化時代

 仮にも日本の企業で、雇用流動化に対する考えが生まれてきているということは今までの時代からは到底考えられないことであっただけに歓迎できる。一日も早くそんな時代がきて欲しいものである。
 しかしながら、こうした動きは、まだまだ一部それも大企業だけに限られているように思われる。動きがないかぎりどうしようもないのであるから、それは、それで歓迎すべきことだろうが、余りにもその動きは遅い。中小零細企業の人達がこの恩恵を受けられるのはまだまだ先のことだろう。本当は中小零細企業の従業員にこそ一番必要なことではないだろうか。一番労働条件の悪いのを辛抱しているのは中小零細企業の従業員なのだから。
 しかし、少しでも動きが出てくれば何時かは、恩恵を受ける時が来るだろう。今は不景気でどこもリストラに懸命であるが、基本的には日本の労働力は減りつつあるのだから、いざ本当に労働力が必要になったときこそ、労働者が企業を選べる時代が来るかもしれない。
 現在のようにいい加減な経営の会社が生き残れない時代が早く来てほしいものである。今までのように企業に都合のいい時代が終わって、労働者が自分の本当にやりたいことを見付けやすい雇用流動化時代になるのも夢ではないかもしれない。
 昨日の続き

 雇用セーフティーネット▽下選択の幅広げ自立促す

 …略
 様々な形の退路は、社員自身のキャリア設計と並んで、雇用流動化時代に労使が着地するためのセーフティーネットになりうる。

 

 一方、そういう時代に力を発揮できるように自分を磨いておかなければならないという覚悟が必要であるかもしれない。いくら企業が選り取り見取の時代になっても力が無ければ、やはり個人にとって流動性は大きくはないだろう。本当の意味の実力主義の時代になるのではないでしょうか。そういう時代が来た時に後悔しないように自分を磨くことは必要である。
 ある意味では今より厳しい時代かもしれないが、遣り甲斐のある時代であるはずである。変な好き嫌い人事や媚びへつらいの無い本当に仕事本位で評価される実力時代の到来である。そうしないと人材がそっぽを向き他へ行ってしまうのであるから、そうならざるを得なくなるのである。
 まあ人間がやる限り、そう理想的には行かないだろうが少なくとも今よりはズット真面目な労働者にとって良い時代になるだろう。尤も、仕事もせずに、上を向いて泳ぐのが得意な者にとっては生きづらくなるかも……。

2000330日木曜日  第216話  夏目漱石

 リンク先の鷹瀬さん夏目漱石の素晴らしい文を■2000年03月の就職日記&コラム■ 28(火) 夏目漱石からの喝!として、アップしています。余りに、素晴らしいので直接リンクさせてもらいます。鷹瀬さんごめんなさい!

 鷹瀬さんが「坊ちゃん」に付いて書いているのを読んで、夏目漱石を作家としてでなく1人の人間として興味を持ちましたが、今回の鷹瀬さんの紹介で、より一層、見直すことになりました。
 作家というより、世間の常識と戦った偉大な先輩として尊敬することになりそうです。
 全文は鷹瀬さん所からのリンクでみていただくとして、ここでは鷹瀬さんが太字で現したポイントから取り上げさせてもらいます(他人のふんどしで…)。

「私の個人主義」 夏目漱石

――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述――

 抜粋だけです。

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました

 どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです

 何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう

 ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思う

底本:「ちくま日本文学全集 夏目漱石」筑摩書房 1992(平成4)年120 1刷発行

底本の親本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房 1988(昭和63)年726日第1刷発行

入力:真先芳秋/校正:かとうかおり

19981119日公開/1999830日修正

 49歳(関係無いけど、信長と同じか!)で、功なり名を遂げ、亡くなった人と、52歳で未だにふらついている誰か?……。
 比べる方が悪いが、寂しいものがありますね。
マァいいか!長生きだけでも勝とう!!
 兎に角、この歳になっても漱石の言う「ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだ」という場所を見つけられない私にとって、この漱石の講話は衝撃です。
 今になって、「何をしなければならなかったのか」を突き付けられた気がします。要するに、若い時に、疑問を持たずに過ごしてきた付けが来ているということでしょう。よしんば持っていたとしても、それは漱石が悩んだほどには深刻でなかったということだろうと思います。
 漱石がロンドン留学した時に、ノイローゼに陥った話しは有名ですが、その裏にこんな考えを持っていたとは露ほどもしりませんでした。悩みが深かった分、その後に噴出したものが大きかったのでしょう。
 私には、もう遅いかもしれませんが、未だ、生きているのですから、漱石に遅れることウン十年を取り返すチャンスはあるのではないでしょうか?何とかしなくっちゃ!

 話しは、変わりますが、この所の出来事は不思議な思いがします。というのも先週は大学の同窓会で「坊ちゃん」の舞台である道後温泉に行ったところですし、丁度、その時を同じくして石井信平さんが大学の先輩であることも判り、メールでコンタクトを取ることも出来ました。
 そして、とどめは、鷹瀬さんがこの漱石の事を書いたのも同窓会が契機になっているように思えることです。その上、その中身は、私の人生に対する叱責のような内容であることです。
 勝手な解釈ですが、何か、「
いい加減に、しっかりしろ」と勇気づけられているような気がします。

頑張らなくっちゃ!!

2000331日金曜日  第217話  余裕

 月並みですが、3月も、はや終わりです。あっという間でした。何とか、更新を続けていますが、どこまで続くか、我ながら楽しみにしています。
 しかし、これも、時間との戦いです。
余裕が無いと、長続きはしないと思います。何処かに無理がくることになります。挙句の果てには、更新自体が重荷になってくるでしょう。そうならないように、会社の仕事は、何時ものように、定時で終えて、残業なし。鷹瀬さん以上に残業時間の少ない小父さんです。
 実は、私もこう見えても、就職した当時は残業なんて何でもなかったのです。初めての会社では、ルートセールスでしたが、やれば実績の出る仕事ですので、新入社員であろうが実績がすべてでした。先輩を先輩とも思わず俺の方が実績は上だと大きな顔をしていたものです。その頃から、組織にはそぐわなかったようです。
 兎に角、実績を上げるために、誰よりも遅くまで仕事をすることが楽しくて、営業所に電話してはもう皆が帰社したと言うまで市場から離れなかったものです。当時の所長さん達には本当に迷惑をかけたと思います。
 夜中に既に閉店しているお客さんのドアを叩いて開けてもらったこともありました。お客さんからも良く誉められて、それを又武器に営業していたものです。新入社員が肩で風切って歩くのですから、今から見れば世間知らずも良い所です。上司から見たら可愛くない奴でした。尤も、未だに、その性格は変わっていないですが……。
 そういう仕事振りは、楽しく充実していたことは確かですが、やはり幾ら若くても体力の限界があると思います。私も、結局そういうがむしゃらな仕事は三年くらいしか続かなかったと思います。
 その時の経験から、人間ヤッパリ限界があると思いました。それからは、そこまでの無茶はしなくなりましたが人並み以上に働くことは嫌いじゃないです。好きな仕事なら二十四時間でもしたい方の人間です。食事の時間も、寝る時間も惜しい性分です。今は、
PCがそうでしょう。
 しかし、そういうやり方は、所詮長続きしません。ましてや、好きでもない与えられた仕事に耐えられる訳は無い。それは経験したものの強みです。ですから今の私は、無駄な残業が大嫌いです。特に、仕事も無いのに、回りの目を気にして遅くまで残ったりするのは一番嫌いです。そういうのに限って、昼間は仕事していないのです。そんな時間があったら少しでも早く帰って自分を高めることに時間を使う方がどれだけ良いか。会社だって結局はその方が得をすることになると思います。この辺のことは、
鷹瀬さんの所に一杯書いてあります。面白いですよ!

 そんな経験をした先輩として、丁度、4月から希望と不安を胸に実社会に飛び込んで来る新入社員にも読んで欲しい記事があります。

 今日のノート  読売新聞 2000年3月29日(水曜日)より

 …略
 九年前、大手広告代理店に就職して一年五ヶ月の社員が長時間労働からうつ病になり自殺した。最高裁は先週、これは過労自殺で会社に責任があると判断した。この若者が入社後のわずかな期間にどれだけ遊べたかと想像するだけで不憫になる。…以下略 梶原誠一

 可哀想ですね。何の為に生まれてきたのか?会社に、人の命を奪う権利なんてあるはずが無い。命より大事な会社があるはずが無い。命を捨てる前に会社を捨てて欲しかったが、日本の社会はそういう人間を異端児としてみる目がある。それに抵抗できる人が少ないのも事実である。部下の命も守ってやれない管理職なら辞めてくれ!
 「
そんなことは異常である!そんな会社、こちらから見限ってやれ!!」と言える日本になって欲しい。ああ!何時になったら、そんな日が来るのか?

 筆者も言っているが、「余裕」が大事である。

余裕ですよ!余裕!!

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