2000 年3月1日水曜日 第187話 外形標準課税 |
2月29日も我がPCは何事もなく通りすぎました。ネットをやりながら12時を迎えましたが、何事もなく済んでしまいました。あっけなかったですね。去年の 7月のノストラダムスからズット裏切られどうしです(笑い)。しかし、気象庁のアメダスや郵貯のATM等で、一部不具合があったようですが、大きな混乱はないようですがまだ出てくるかも、やはりわからないもんなんですね。 今日からは三月ですが今日も寒かったです。さすがアメダスが狂うだけのことはあるのかも知れません。これも異常気象のうちですかね。 さて相変らず、外形標準課税についてあちこちのコラムがにぎやかである。やはり、落ちついてきたのか少しずつ正論が出てきていますね。個人的には、賛成の人が多いが、冷静に考えるとチョットどうかなというのが大勢ではないでしょうか。 日本経済新聞 2000年(平成12年)2月26日(土曜日)大機小機 石原ショック対応法 …略 読売新聞 2000年(平成12年 )2月27日(日曜日) 今日のノート 朝 三 暮 四 …略 何が起きようが、今より悪いことはないのではないでしょうか?「 マァいいか!兎に角やってみよう!!」でやればいいのです。後のことは後で考えればいいのです。間違ったって、今までのように何もしないよりマシです。いずれにしてもこのショックでなにかがうごけばいいのですが。何度も言いますが、他の国なら、暴動が起こっても仕方ないようなことを国民にしてきたのですからたまには国民がスカッとすることをすればいいのじゃないでしょうか。さすがにマスコミはこんなこと言えないでしょうから、私が言わしてもらいました。極端に言えば銀行の一つや二つ倒産した方が良いと思います。言い過ぎですかね?マァいいじゃないですか、笑って許してください。単なる遠吠えでしかないのですから。 |
2000 年3月2日木曜日 第188話 外形標準課税 |
私の銀行嫌いは、ある会社でのボーナス支給日出の出来事が原因の一つになっています。その会社は、支給日に全員をホールに集め社長訓示があり、その後、取引銀行の支店長が挨拶に立ち、「皆さんは、社長さんのお陰でボーナスを沢山頂いて…」とやるのです。 それだけに、今回の外形標準課税が気になるのです。又、「日本経済新聞 2000年(平成12年)2月29日(火曜日) 大機小機 石原新税の波紋」取り上げられていました。 …略 なんだかんだ言いながら、またしても正論がでてきますね。国民の声が怖いので、一応、石原知事を誉めておいて、しかし、という論調が大部分になってきました。 2000 年5月10日水曜日修正 |
2000 年3月3日金曜日 第189話 警察 |
昨日チョット触れた、今一番の話題を取り上げます。そうですあの新潟県警の件です。キャリア制度というのは何時から採用されたのでしょう。明治の新政府は薩長土肥ですから、キャリアとは違うような気がしますが、その後帝国大学が出来てから既に始まったのかもしれませんね。 そんな気持ちを「朝日新聞 2月28日 ◇天声人語◇」が取り上げています。みんな、怒り心頭に発している。この件で警察の言うことなど信じない、とさえいっている。ことばには、どこか絶望感も混じる。 …中略知人Cは「あの人たち、勉強が出来ただけでしょ、多少」と、まとめて酷評した。Dの皮肉も強烈だ。「クビになった2人は、これから就職活動するのかしらん」。クビにあらず、辞職である。もちろん退職金も出る。しかるべき筋が、いずれ再就職の面倒もみるような気もする…以下略 神奈川県警のときに 第100話で触れましたが、私は、キャリア人事がすべての原因だと思っています。どんなにきれいごとを言っても、所詮人間を人間として扱わない組織が健全に働くわけはないと思います。人間の能力のなかで、たかがテストの点をとるのが上手いだけかもしれないキャリア『「あの人たち、勉強が出来ただけでしょ、多少」』を、それだけのことで幹部候補生としてのレールに乗せ、浮世の風からまもり、傷つけないように育てあげていくのである。確かに、能力的には他の人より可能性は多く持っているかもしれないが、そんなものはそれ以後の努力、経験がなくては本当の実力にはならないはずである。そんな人間が治める組織のモラールが上がるわけはない。下の者は、白けて上を見ているはずである。また、そんな組織を当たり前と思っているような人間ばかりがそろっているような組織は、これまた、使い物にならない組織になるのではないでしょうか。 世界に追いつき追い越せの明治以後には通用した時もあるかもしれないが、今のように個人が意志を持ち第101話で取り上げたように、内部告発をしても正義を求める世代が台頭してきている時代には、キャリアなどという人権を無視したような組織が成り立つはずがないのではないか。また、そうであって欲しい。 官僚組織が既に時代に合わなくなっているのは間違いがないはずである。それでもキャリアが必要であるならそれは本当のエリート、すなわち自分を捨て、「国民の為に」を考えて行動するサムライの心を持った人材を育てるしかないのではないだろうか。 第83話 第100話 第101話 第108話 第159話 2000 年5月10日水曜日修正 |
2000 年3月4日土曜日 第190話 タテ社会 |
日本の経営者が後継者を選ぶ場合、特にサラリーマン社長の場合であるが、自分の自由になる者を選ぶと言われる。要するに、地位を譲った後も影響力を持つために仕事で選ぶので無く、好き嫌いで選ぶのである。 そんな現実の光景を、「読売新聞 2000年(平成12年 )3月3日(金曜日) (今日のノート タテ社会の構造)」 が取り上げている。 …略 …と、ここまで書いてきて思ったのは、薬害エイズ事件で実刑判決を受けた製薬会社・旧ミドリ十字の歴代三社長の姿だ。 確かに、あのミドリ十字の報道を見るたび、三代社長がいつも順番どおりにあるいているのはおかしな感じであった。「あの人達はこの後に及んでも上下関係を守っているのだな」と見ていて気の毒な気がした。そういう人達は上司に対して、諫言をすることはないだろうし、また諫言するような人を取り立てるほどの度量のある上司だったら、この一連の不祥事や、事件は起していないだろう。 もっと本音で仕事がしたい! 第29話2000 年5月10日水曜日修正 |
2000 年3月5日日曜日 第191話 利権構造 |
日本人に義務感や責任感がないのは何故なんでしょう?個人的にはそうでもないとおもうのですが、組織や団体に入ると出来るだけそういうものから逃げようとするように見えます。 人のことは言えないのですが、私もそんな傾向はあると思います。例えば、町内会やPTA役員など積極的にやろうとする人は少ないようです。ボランティアなどもそうかもしれません。 兎に角、何か人の役に立つことを積極的に買って出ようという人は少ないようです。得にならないことは出来るだけ逃げるということでしょうか。この当りも、教育に関係あるのかもしれません。公に奉ずるという考えがないのです。この当りも、そろそろ日本人の価値観を変えていく必要があるのかもしれません。 石田禮助さんや中坊さんのように立派な人もいるのですけどね! さて、最近なにかと問題になる事件が多い、何かおかしいと思ってる人が殆どだとおもいます。「日本の国はどうなるのだろう、どうしたらいいのだろうか?」と悩んでいる人が多いのではないかと思います。しかし何をすべきか分からないのが現実です。 「あきらめるな!ニッポン」 市民のきれいなおカネで政治家を送り出そう 政治家はおカネがなければ政治活動を続けることができないのが現実です。その資金調達をすべて政治家にやらせるから、企業や労働組合などとおカネや人の密接なつながりができ、それが利権構造へと発展するのです。…以下略
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2000 年3月6日月曜日 第192話 タカリ根性 |
サンデープロジェクト今日( 4日)も、面白かったですね。公明党問題、農水省汚職問題、警察問題と盛りだくさんです。どれを取っても日本の国は腐りきっていますね。公明党の冬柴鉄三幹事長などこの出演(尤もTV画面で)の後、あの竹下登元総理の応援に島根県に行っているのである。何をか言わんやである。国家公安委員で日本経済新聞取締役(元社長)新井明氏が委員のなかでただ一人(他の人は断ったそうである)出演していましたが、案の定袋叩きですね。尤も、本人は余りこたえていない様でした。田原さんが新聞社が皆糾弾しているのに、元トップがそれじゃダメでしょうと噛み付いていたが、我関せずくらいの気持ちしかないように見えました。 そのなかで、警察OBの佐々淳行氏が言った「以前は、もっと警察はきちんとしていたが、諫言が通らなくなってからおかしくなった」という言葉が印象に残りました。どこの組織でも同じであるらしい。 さて、昨日再開した、これらの事件の大元でもある政治の改革のための堀田さんの提言を続けます。 選挙民は政治家にたかるな …略 どうです、この情けなさ、これが現実なのでしょうか?今でも地方に行けばこんな選挙が残っているのです。さすがに選挙事務所に入り浸って酒を飲む姿は減ったような気がしますが根底はまだまだ変わっていないのかもしれません。 兎に角、政治を変えなければ、最初に触れたような腐り切った日本はどうにもならないと思います。政治を変えるのは、堀田さんの提言のように、我々一人ひとりが立ちあがるしかないのです。誰もやってはくれません。 さあ皆さん!立ちあがりましょう!!まず選挙です。 |
2000 年3月7日火曜日 第193話 たかり |
所詮、国民は自分達のレベル以上の政治を得ることは無理なのでしょう。幾ら、日本の政治家は駄目だとか、国家、国民のことを考える人がいないと言っても、そういう人を選んでいるのは国民なのですから。 昨日の「選挙民は政治家にたかるな」と同じ趣旨を石橋湛山が書いています。 孤高を恐れず石橋湛山の志 佐高信 講談社文庫 貴下を除名す 国会議員は国政を …略
いい加減に政治家にたかるのはやめよう!! 2000 年5月11日木曜日修正 |
2000 年3月8日水曜日 第194話 経営者 |
バブルに踊った企業の経営者には、ドサクサにまぎれて会社の金を着服したり、自分の一族に不法融資したりと好き勝手をやった者が沢山いました。 丁度、そんな奴らと全く正反対の経営者であった石橋湛山の人となりを語るコラム「財界 2000 2 /29 私の雑記帳 三鬼陽之助 石橋湛山氏の信念」がありました。
…略 あの石橋湛山氏が東洋経済の社長だったことは、この部屋に取り上げることの多い週刊東洋経で出知りました。すごい人とは聞いていましたが、これほどとは思いませんでした。あの戦争中に軍部の横車に屈することなく立ち向かって行ったことも知りましたが、この話は始めて聞きました。 2000 年5月11日木曜日修正 |
2000 年3月9日木曜日 第195話 中坊さん |
中坊さんが下に書いたようにアドバイザーになって直ぐに小淵さんが倒れ、森首相になりました。中坊さんは、森首相のアドバイザーには成らないそうです。 小淵さんは、聞く耳は持っていたようですね。中坊さんがアドバイザーを受けたのも、住専の時からの知り合いでもあり、その人となりに「言っても聞いてくれる」ところがあると見たからだそうです。丁度、小渕さんが倒れる前の週に、 サンデープロジェクトで田原さんと対談しているのを見たとき、少しは期待できる所もあるのかなと書きましたが、どうだったのか今ではもうわかりませんね。驚きましたね!ショックなニュースです。あの尊敬する中坊さんが小渕首相のアドバイザーに成るとは。代表して朝日新聞の記事から。 朝日新聞 (03:11) …略 島根で竹下元首相の対立候補の錦織さんを応援している中坊さんを任命するとは、小渕首相には参りますね。さすがに何でもありの小渕の面目躍如たるものです。中坊さんも大したものです。あちらの目的は分かりすぎるくらい分かっていながらその懐に飛び込むのですから、多分中坊さんのことだから、島根は別という考えを貫くでしょう。 ただ、あの小渕にそれを受け止めるだけの決意が本当にあるのかは怪しいものであるがもし本当に中坊さんの意見が入れられるようなことに成ると見なおさなければ成らない。尤も、そうなれば嬉しいことになるだろう。どうなるか、見ものである。 期待してみますか!! 第128話 第226話2000 年5月11日木曜日修正 |
2000 年3月10日金曜日 第196話 警察問題 |
第189話でキャリア制度は何時頃からだろうと言いましたが、やっぱり明治以来のようですね。大学が出来て以来というのも人間の業を見るようで、何だか物悲しいですね。 そうなると、明治の頃から大学は勉強だけしか教えなかったのですかね。支配するものの矜持というものは教えられなかったのでしょうか。尤、教える人もいないかもしれないですね。 こういう話を聞くと江戸時代の殿様の話を思い出します。ああいう封建時代の殿様というと、我々が受けた教育では搾取者としての悪のイメージしかありませんが、これが意外と、そうではなかったという話を聞いたことがあります。 大多数の殿様は子供のときから為政者としての心の持ちようなどを教育されて、領民のことを大事にする人が多かったそうです。自分が率先して貧乏に耐えたりしたようです。ですから、意外と領民から慕われた殿様が多かったそうです。 今時の、経営者よりよっぽどマシだったようです。それなりの育て方をされたことが役に立っているのでしょう。人間やっぱり育て方ですかね! そんな殿様と正反対の育ち方をした、警察問題。マスコミにも少し触れてみたいと思います。 2000年3月6日 月曜日 日刊工業新聞 産業春秋 …略 当分この話題は終わりそうに無いですね。いや、今までのように時間が立つとマスコミが、まず騒がなくなる。これがいけないのである、日本人の特徴である、熱しやすくさめ易い性格で、何時の間にかうやむやになってしまうのがこれまでのパターンであった。 今までも、大きな不祥事はあったが、いつも、何時の間にか話題にも上らなくなってしまって、結局は何時の間にか忘れられ、何の改革も行われずに元の木阿弥になってしまたのである。今度こそ何とかしないと、いよいよ 日本の沈没ですよ!!2000 年5月11日木曜日修正 |
2000 年3月11日土曜日 第197話 リーダーのプロ |
今の日本の閉塞感はどこから来ているのだろう。その一つの要因として、一億総無責任というのがあるような気がする。それは何かというと、自分の仕事をとことんまで追及したプロがいないということである。ある程度の所まではできるが、それ以上は指示待ちである。だから本当の仕事を最後までやりきる自信が無いのである。回りとの、調整は上手いが、一人ですべてをやりきることが出来ない。 その道の、プロというのは協調性はないが、仕事をやらせると誰にも負けない物を持っていたりする。だからその人に任せきることが出来るのであり、仕事の出来映えもすばらしいものである。中途半端な仕事では、閉塞感を打ち破るような結果は出て来ないと言うことではないでしょうか。 いよいよ実力主義の時代がきたということだろう。これまでの日本の企業における出世の条件はスペシャリストでなくゼネラリストであった。ゼネラリストと言えば聞こえはいいが要するに、ゴマもすれなければならないと言うことである。力があっても、角のある人間は日本の社会では受け入れられなかった。しかしながら、世界との競争となるとそんな甘い事をいっていては通用しないということであろう。仕事の中身での勝負になるのである。 それは、社会への影響力の強いマスコミの世界においては尚更ではないでしょうか。 関連した記事を見つけました。 2000年2月28日月曜日 日刊工業新聞 著者登場 新井喜美夫氏 99年東急エイジェンシー会長 仕事の達人東洋経済新報社刊 プロであることの意義… 略 ― とくに問題は、リーダーのプロがいないということですか。 それでは日本の経営者は何だったのかというと、サラリーマンのプロであったが仕事のプロではなかったということではないだろうか。サラリーマン社会で出世することにはプロであったかもしれないが、本当に仕事ができたかというと、もう一つという人も多かった(殆どだったりして!)のではないでしょうか。日本の国内、そして右肩上がりの成長の時代にはそれでも誤魔化せたが、今のような成長の見こめない時代にはそれでは通用しないということである。それが証拠に今の日本で元気な会社は今までにないタイプの社長か、オーナー会社、ベンチャーなどほんの一部のような気がする。 著者も言っているように「今度は金融機関、その次はマスコミ業界が危ないのでは」というのは分かるような気がします。金融機関はいうまでもなく、マスコミも本来のマスコミの責任感というものを忘れて、単なる儲け主義に走っているように思うのは私だけだろうか。 最近ここでよく取り上げているサンデープロジェクトなど良い例である。それだけの影響力をもっているのだ。ああいう番組がもっともっと増えて欲しいですね。日本の国がここまで悪くなったのは、国民がなにも知らされていないことが大きいと思う。それにはマスコミの姿勢も責任があると思いますがどうでしょう。 昨日も小渕首相が新潟県警の事件は運が悪かったと言っていたそうであるが、実際殆どの関係者がそう思っているはずである。それは何故かと言うと、そういうことが日常茶飯事に行われており、それをみんなが見てみぬ振りをしているからである。それが当たり前になっていることが怖いのであり、たまたま表に出てきたから叩くのではいけないはずである。そういう情報を持っているはずのマスコミがそれを黙認していることに本当の問題があると思います。本来の真実を報道する気概をマスコミが持つことが、日本を良くする一番の近道であるような気がします。それだけ日本人はマスコミに弱いのですから。情けないですけどね。 週刊東洋経済や週刊金曜日のような雑誌が主流になるような時代がくれば自然に日本は住みよい国になるでしょう。 |
2000 年3月12日日曜日 第198話 雪見宴会 |
ついに石井さんが出てきた。 2000.3.11 ◆週刊東洋経済経済人 の言葉ウオッチ 石井信平 「雪見宴会」は歴史的な 警察庁の「特別監察」とは雪見宴会のことであった。新潟県警の不祥事は、中央と地方を考える苦々しい素材だ。それは、石原慎太郎知事が提唱する外形標準課税の問題につながる。 まるで江戸幕府から越後藩を監察にきたような「お奉行」の接待に、小林幸二・新潟県警本部長は地元の大事件を放り出して宴会とマージャンで夜を明かした。彼が懲戒免職でなく、引責辞任とは、痴漢で免職になる警官に同情したくなる。 地元に何の愛情もない中央官僚が県警本部長に収まる。「キャリア人事」。要するに、地方は中央の植民地が実態なのだ。 ひるがえって外形標準課税の議論で加藤寛・政府税制調査会会長は「東京だけが突出すると各道府県の足並みが乱れ、制度の趣旨が損なわれる」と石原提案に反駁している(『週刊文春』、2月24日号)。 「足並み」とは、みんな政府の言うことを聞け、ということならば、これこそ政府のタイコモチになり下がった「エコノミスト」の発言だ。地方の自治権が健全に育成されるように知恵を絞って税制も変えよう。そのために政府に向かってモノを言うのが加藤さん、あなたの仕事ではないのか? 知事たちはみんな「国に楯突くと地方交付金を減らされる」とおびえている。カネも人事も中央に握られて、何が地方自治だろう。かくのごとき実態は徳川時代よりはるかにひどい。かって諸藩は、中央の威光にひれ伏しながら財源と人事権は自分で持っていた。今は、威光なき中央が「交付金を減らすぞ」の恫喝のもと、地方の金で雪見宴会に興じる時世である。 本当の地方自治に向けて、外形標準課税と「雪見宴会」が歴史を変えるかもしれない。気になる一点。宴会が1月28日、宴会の一斉報道が2月28日。当夜の県警本部長の所在と行動を、どのメディアも掴んでいなかったのか?マスコミのこの「足並み」の良さはなんだろう? さすが石井さん変に分かったような事を言わないのが良いですね。ズバッと批判しています。加藤寛・政府税制調査会会長をズバッと切って捨て、マスコミに対してもおかしいんじゃないかと返す刀で切っています。この人本当に大丈夫なんだろうか?影ながら心配します。 |
2000 年3月13日月曜日 第199話 外形標準課税 |
お待たせしました!今日は、やっぱり何時ものように、サンデープロジェクトです。台湾総統選挙など、面白いことをいくつかやってました。あの選挙はある意味うらやましいですね。と言うのは、国民の直接選挙であることです。立候補している3人の候補者の中から国民が直接選べるのです。日本の訳のわからない選挙から比べるとズット分かりやすくて、自分の意志がそのまま出せる所がいいですね。 さて、やっぱり外形標準課税ですね。今日は、銀行側の意見と言うことで、大蔵省 OB・慶応大学教授榊原英資氏、前シティバンク日本代表・日本長期信用銀行取締役社長八城政基氏、慶應義塾大学教授池尾和人氏の三名に田原氏が問う何時ものパターンである。この中で榊原氏が石原知事のこの外形標準課税に三つの誤りがあると言ってました。 一つは、この税金が地方税法違反であるということ。銀行は裁判に持ち込むべきで、5、6 割の確立で勝てるだろう。 以上の3点である、確かに正論ではありますが今回のこの税はどんなに反論しても迫力が無い。田原さんの応援と言うことで出席していた池尾教授の「銀行は公的資金を投入してもらった時に国民に対してお礼の一つも言わなかった。新聞の一広告でもやればよかったのです」と「裁判をやれば良いでしょう」で、殆ど議論は盛り上がらなかった。 何時の間にか、トークは日本の銀行は生き残れるかの方に移っていきました。その中で、榊原氏が、「日本の銀行も今の 旧態依然たる人事制度でなく、外国から優秀な人をそれなりの報酬でスカウトするようで無ければ生き残れないだろう」と言い、「日本人の中にも若くて優秀な外銀にスカウトされるような人がいるが、そういう人も報酬ときちんとした仕事があれば帰ってくる」と言っていたのが印象に残った。その上、今の頭取では経営の評価の一つである株価をあげることは無理でしょうとも言っていました。大賛成です。これが本当の所ではないでしょうか。銀行が変われば、他の企業も変わってくるかもしれないですね。今までの内向きである年功序列の人事制度から、力のあるものが正当に評価される時代に、これは、良い方向に動くかもしれない。楽しみですね。せめて若い人の時代にそんな今の日本の閉塞感を打ち破る良い時代が来るように! |
2000 年3月14日火曜日 第200話 外形標準課税 |
やっと200話に到達しました。 100話からできるだけ毎日更新を心がけてきましたが、ここのところの外形標準課税と警察問題が殆どだったような気がします。くしくも100話が警察、今日は外形標準課税になります。2000年(平成12年)3月9日(木曜日) 日本経済新聞 大機小機 外形課税問題の誤解 …略 昨日の榊原氏と同じような反論である。なるほどその通りかもしれない。しかしそんなものはみんな分かっているのだ。 2000年(平成12年)3月11日(土曜日) 日本経済新聞 大機小機 銀行税と経営責任 …略 素晴らしい、私の筆力不足で書ききれなかったことを見事に書いてくれました。やっぱりプロはすごいですね。それにしても、日本経済新聞も見直しました。9日の記事では正論できたので、少し、カチンと来ましたが見事に溜飲を下げさせてくれました。初めからこれを狙っていたのかな? この記事で書かれた下記の二つの文がすべてをあらわしていると思います。 「 公的資金を得た銀行の経営者が責任もとらず、大したリストラもせず、低金利に支えられた巨額の業務利益で不良債権の償却を進めながら、配当を支払っている事実に対して、不公平感を持たない国民は皆無であろう。銀行が課税は不公平だと主張しても、国民感情は逆なでされる。身から出たサビである」
そうです、要するに理論じゃないのです、感情なのです。何度も言っていますが、変にこの問題を理論で決着つけようとすると、いくら日本人がおとなしいといっても今度こそ何かが起こる可能性があるように思います。それでも立ちあがらなかったら、それこそ日本は終わりかもしれないですね。今後の推移を注意深く見守っていきたいものです。 いよいよとなれば、日本人の正念場ですよ!世界の笑い者にならないように!! |
2000 年3月15日水曜日 第201話 父親の不在 ゲーム機 |
さていよいよ今日から新たに300話へ向かってのスタートですが、チョット困ったことが起きました。リンクして頂いている 『脱サラ宣言!』の鷹瀬さんのところで触れている著作権の問題です。わざわざ鷹瀬さんが朝日新聞社へ問い合わせて頂いたのですが、どうも規則通りの返事だったようです。経過について、詳しくは鷹瀬さんところで。この返事からみると私のこの部屋は限りなく黒に近い灰色ではないかと思われます。しかしながら今まで折角続けてきたので、「 マァいいか!」条件を満たすように少しずつ自分の文章を多くするように努力しながら続けて、どうしてもダメと言う結論が出れば止めるというスタンスで行こうと思います。更新は少し少なくなるかもしれませんが、宜しければ付き合ってやってください。今までのは、気がつけば手直ししていくことにします。と言うことで、チョット話題が最近の流れからずれますが、最近の一連の引きこもりの若者が起した事件に関する興味深い話があったので、比較的私の意見も多くして触れてみたいと思います。 日本経済新聞 2000年(平成12年)2月18日(金曜日) あすへの話題 父はいずこに 篠田 正浩 …略 なぜ父親はいないのか、よく言われている様に企業に取られているのである。企業が繁栄するために都合のいいシステムを作ってしまい、企業に時間を捧げない者は組織からはじき出される。父親の背中が見えなくなったと言われて久しいが、いつまでたってもそれは是正されない。是正と言うのは一部であって大半はそれが当たり前なのである。 我々、団塊の世代が子供の頃は、日本も貧乏で、辛抱ということが当たり前であったし、食べ物も、まだまだ、足らなかった。遊びも近所の子供が集まって、鬼ごっこから草野球まで暗くなるまで遊んだものである。そして、年上も年下も一緒に遊んでいたので、その中で上下の付き合い方も自然におぼえていった。年上は年下の面倒を見るのが当たり前であり、下のものは上のものを尊敬の目で見ていたものである。それも自然な教育だったのでしょう。 話しは変わりますが、今の子供達が外で遊ばなくなったのは色んな理由はあるでしょうが、私はゲーム機の発達も一つの原因と思っています。丁度この3月4日、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーション2の発売の時に久多良木健社長が秋葉原に現れ、「今の停滞した経済の活性化になるでしょうと」言っていましたが、そこには経済の視点しかなく、ゲーム機によってどれだけの子供の健全な成長が阻害されたかという視点はまったくないように思いました。メーカーだけの責任ではないでしょうが。 多分、そう思ってる人も大勢おられると思いますが、今の経済優先の時代に立て付く事は難しいのが現実でしょう。 手に入れたものも多いが、捨て去ったものはもっと多いのかもしれません。どこかで何らかの手を打たなければ益々おかしな社会へと落ち込んで行くような気がします。この先どうなるのでしょうか。 |
2000 年3月16日木曜日 第202話 携帯電話 |
昨日触れた京都の小学生殺人を見てその犯人に共感したと言う男(24歳大学中退)が守口市で全く京都と同じように関係無い人( 58歳)を殺す事件が起きました。何とも殺伐な事件です。殺された方の冥福を祈りたいです。やはり篠田監督の言うように何かおかしいですね。昨日の「 父はいずこに」のなかで触れたゲーム機と、もう一つ気になっている物に携帯電話がある。私はゲームもやらないし、携帯電話も持ってません。営業マンとしては失格かもしれませんがどうしても持つ気になりません。会社では変わり者で通っています。 それ程、急ぐ必要があるのだろうか?あのポケットベルの音も心臓に悪くてイヤでしたが、それ以上に携帯電話は心臓に悪いと思います。ただでさえ仕事で命をすり減らしているのにこれ以上どうして会社に都合の良い事に自分のお金を使わなきゃならないのか?(こういう考えが変わり者たる所以でしょう)と思ってしまいます。それにあの人は持ってないとなればそれなりに向こうも対処してきます。 そして今の経済の停滞の原因の一つには若者が携帯電話による通信費がかかるために、ほかのものを買わなくなったことがあると言われています。 そんな風潮がコラムにも取り上げられています。 朝日新聞 2月21日 ◇天声人語◇ …略 授業中に鳴り出す。ところかまわず大声で話す。大学でも携帯の評判は芳しくない。でも、これほど影響力があると、文句をいうだけでは済まなくなった。重宝な連絡手段として積極的に使いだすところも現れている。 …… 以下略 私は、基本的には電話が嫌いというのもあります。電話くらい人の都合にお構い無しにかかってくるものはありません。一番それを感じるときは、お客様と話しているときです。やっと貴重な時間を頂いて、話をはじめたとき、平気でかかってきて話を中断してしまいます。それも断りもなしに。アレほど失礼なものはないと思います。折角、商談が盛り上がって来た時に話が振り出しに戻ってしまったこともあります。何とも腹立たしい限りです、電話だからと諦めていますが、アレが直接誰かが話をさえぎったのなら問題になりますよ。営業マンなら一度ならずそんな経験をもっているはずです。 それから、携帯電話を皆が持ち出して気になることがあります。それは、皆が、時間にルーズになったということです。皆さんも覚えがあると思いますが、時間に遅れそうになれば電話するのです。即ち、最初から「電話すればいい」という気持ちになり、時間を守らなくなってしまったのです。なにかおかしいと思いませんか?私と待ち合わせする時、何か用が出来て遅れそうな時連絡が取れないので皆困っているようですが、私から言わせれば何かが起こっても構わないように余裕を持って行動すればいいことです。現に、携帯電話などなかったつい最近までみんなそうしていたじゃないですか。便利に慣れて大事なことを忘れているのだと思います。 そういうわけで、時代には逆行しているかもしれませんが、健康のためと、金欠病(これが本当の理由!)のためできるだけ携帯電話は持たないようにしようと思っています。 それに、ただでさえ、インターネット接続料でNTTに貢献しているのにこれ以上通信費を増やして貢献する気にはなれません。尤も出張のときにHPを更新するのにモバイルが欲しいなと思ってるのも確かですが……。 昔、よく言われたエンゲル係数を思い出します。『「通信費がかさむ分だけ、ほかを切りつめている」』のも経済停滞の原因の一つだというのは間違いないことだと思います。日本の国をここまで追い込んだのはNTTの通信料にも原因の一つがあると思うのは私だけではないでしょう。ここにも自分だけが良ければの考えがあると思います。本当に日本人は怒らないんですね。尤も、私が怒りすぎとの噂もあるが。 |
2000 年3月17日金曜日 第203話 引き際 |
突然ですが、何時もの石井さんです。少し前の記事になります。 2000.2.26 ◆週刊東洋経済経済人 の言葉ウオッチ 石井信平 稲葉氏の日商会頭居座りは この国の停滞の原因は人事に尽きる。トップからの指名を待つ身のせつなさや。その指を自分に向けて恥じないご老人がいる。 稲葉氏の首にはたくさんの勲章がぶら下がっている。工学名誉博士号、経営者賞、ブラジル南十字国家勲章、藍綬褒章、そしてついに勲一等瑞宝章を四年前にもらい、あと何を下げれば気が済むのだろう?その首に鈴をつける勇気ある若手がいないようだ。 これは佐高信さんの世界ですね。さすが石井信平さんよくぞ言いました。一度権力の座につくと離れられないのでしょうね。この当りでその人物の度量が見えてくるようです。折角、名を上げたのだから、後は引き際をきちっとすれば「ああなるほどさすがは、稲葉さん」となるのに分らなくなるんですね。そのくらい権力の座はおいしいのでしょうか? 私の周りにも勲章を楽しみにしている話が出ますが、なぜあんなものが欲しいのでしょうか?国家公務員を無事退官して七十歳くらいになると皆さん次は誰が何等だと噂しきりですね。私の父も今の NTT、昔の電電公社を退職していますので、確か勲何等かを貰っていましたが実にバカらしいですね。要するに退職する時の地位で何等かがきまるようです。一般の企業で社会の為に一生懸命働いた人は沢山いるはずですが、公務員以外は大企業の社長クラスで団体の役員などをした人しか貰えないみたいですね。 誰かが、「国家に奉仕した人が対象であると言うこと自体がおかしい、国民に奉仕した人にあげるべきだろう」と書いていましたがそれが本当かもしれませんね。 どちらにしても、出世の延長みたいで余り好きになれません。それよりも社会の底辺で本当に人々の為に自分を犠牲にして働いたような人を探し出して、その労にむくいるようなものが欲しいですね。尤も、そんな人は欲しがらないでしょうけど…。 アレを見ていると政府の人気取りというかああいうものをやれば選挙の票にでもなるくらいに思ってるのじゃないでしょうか?ちょっといいすぎかな? いや〜!この所の小渕首相の中坊公平さんとか江崎玲央奈さんたちの起用を見ていると、本気なのか単なる人気取りなのか疑わしいのと同じ気持ちです。 どうも胡散臭いですね! 第11話 石田禮助 |
2000 年3月18日土曜日 第204話 メディア |
石井さんの事が気に成って検索で探してみました。偶然とはおそろしいですね。何と石井さんのマスコミ論に当ってしまいました。その中身はまさに私が言いたかったことそのものでした。 偶然って面白いもんですね!その記事を下に取り上げます。年代はチョット古いですが中身は今も同じだと思います。 ちなみに、ONE PURPOSE はカッレジソングからとってます。 同志社大学の広報に転載をメールで打診しましたが、やはり全文はダメということなので少し略させていただきます。 ONE PURPOSE 109 INDEX (1996年12月1日発行) テレビは大丈夫か −マスコミの渦中に働いて−石井 信平 さん11 月6日、アッセンブリー・アワーの講師に石井信平氏を招き、講演会が行われた。活字、テレビと一貫して、マスコミの現場に放置されている諸問題を鋭く指摘された。講演の一部を紹介する。忘れやすいメディア ……略 自己点検ができないメディア トヨタ自動車は「安全で快適な車をつくること」を生業とし、キリンビールは「飲んでおいしいビールをつくる」ことを生業にしています。では、メディアは何を生業としているのでしょう?私はそれは「自己点検が出来る」ということだと思います。 自己点検ができないメディアは、生業を放棄したのと同じで、メディアとして失格です。自分の都合の悪いことは伝えないというなら、そのメディアが伝える情報全体の信頼性が疑わしいことになり、メディアにとっては命取りです。それは、キリンビールやトヨタ自動車が、社内の不祥事を隠そうとするのとはワケが違います。 ……中略 私たちは、世界と日本の状況を知る手掛かりは、ほとんど唯一メディアに頼っています。その頼みとするメディアが、結局は利益追及の株式会社の事情でしか運営されていない。そこには、国民の目であり耳であることの、根性も哲学もなかったということは、実に深刻な事態です。しかも、ダメと言い捨てるには、その影響力は絶大ときてます。 今、メディアに背を向け、オレは一切メディアの世話にならないと宣言しても無理です。メディアは、今や我々の周りに「環境」として君臨しています。政局を左右し、景気に影響を与え、流行を作り、社会の規範や道徳観までコントロールしています。「不倫」も「援助交際」もマスコミが作り出した記号です。私たちは、マスコミに同化したり献身する必要はない。むしろ異邦人、「よそもの」でありつづけるスタイルを私は選択したい。 私は企業をやめ、フリーランスの道を選択しました。まず出会った困難は収入の絶対的不安定と孤独でした。しかし、得たものも大きかった。それは、組織とかメディアは全く頼りにならない。結局のところ、個人の感覚・判断・行動に、自分と日本の運命は託されている、という確信に遭遇できたことでした。 http://www.doshisha.ac.jp/daigaku/onepur/no109/no109-index.htmlここにも組織を飛び出した勇気ある先輩がいた。見習える時が来るのだろうか?残念ながら遅すぎたかもしれない。マァいいか!その話しは置いといて……。 どうですこの通りじゃないでしょうか。特に「 私たちは、世界と日本の状況を知る手掛かりは、ほとんど唯一メディアに頼っています。その頼みとするメディアが、結局は利益追及の株式会社の事情でしか運営されていない。そこには、国民の目であり耳であることの、根性も哲学もなかったということは、実に深刻な事態です。しかも、ダメと言い捨てるには、その影響力は絶大ときてます。」というこの言葉の中にすべてが言い表されていると思います。何度も言いますが、マスコミは本当の事を国民に知らせる義務があるはずです。なぜなら我々は他に知る手段が殆どないのですから。その気概のない企業がマスコミに携わることは許されないのではないでしょうか。確かに企業であるからには適正な利益をあげる必要があるがそれが目標では困るのである。マスコミという業界に属しているからには責任感をもって欲しいのである。 権力に迎合することなく、何が国民の為になるかの視点を常に一番に置くべきである。特に日本の場合それは大事であるように思う、何故かと言うと、日本人の特徴である付和雷同性があるからである。確かに今回の外形標準課税や警察の問題でもその傾向があることは認めます。それだからこそ、常日頃から権力の行き過ぎに対する見張り役として国民に真実を伝えることを努力して欲しいのである。 何か面白い事件が起きると始めてそれに触れ、国民が食いついてくると今度は煽るようなやり方は日本人にとって一番危険なやりかたではないでしょうか。そうでなく、常に国民を教育するような正しい報道を望みたい。それだけの教育に答えられる資質を日本国民は持っていると思いたい。教育という言葉はふさわしくないかもしれないが、少なくとも自分で判断できるだけの情報を提供してもらいたいものである。 特に、TVの影響は大きいがそれはやはり、「百聞は一見にしかず」の通り、映像の圧倒的情報量にあると思います。それだけにTVには一層の責任感を持って欲しいのである。TVには、日本人の意見を誘導できるほどの力があると思います。それだけにその使い方が大事なのである。所謂一億総白痴化も不可能でないだけに心して欲しいものである。 しかしながら、国民の方にも責任はある。興味本位の暴露ものばかりを喜んでいれば、マスコミも商売としてそれを扱うようになる。見るほうにもそれだけの矜持が必要である。選挙と同じだ、所詮は国民のレベルがマスコミにしろ、政治にしろ決めているのだろう。 |
2000 年3月19日日曜日 第205話 中坊さん |
19日はたまたま昨日触れた大学時代のクラブの同窓会を道後温泉(一泊)でやります。そこで更新が難しいと思いますので、先取りで更新します。こんな手を使って済みません! 第195話で取り上げた中坊さんの内閣特別顧問の話題、やはり色々と話題に上っていますね。あれっ!と思ったのは私だけではなかったようです。 佐高信さんも週刊金曜日ので取り上げています。
「風速計」( 3/17発売307号)中坊公平からの電話 佐高信「裏切られた メッキはげた お調子者」 「ほめてきただけに責任を感じている。裏切られた」(佐高)、「もともと期待してない。メッキがはげただけ」(宮崎)、「権力側に都合よく振る舞う、お調子者」(辛)。 ……以下略 やはり皆思うことは同じですね。この中でも取り上げていますが、大阪府知事選の太田候補への応援を聞いたときが最初の「あれっ!」でした。そして今回で益々わからなくなったものです。 中坊さんの言うことを聞いて実行するくらいの度量があるなら今までに実行しているはずです。およそ今の日本に必要な資質とは正反対の小渕に今更それができるとは到底思えませんが、そこに本当に挑戦するのであれば益々、中坊さんを尊敬しますが、どうなるでしょう。 こうなったら、我々今まで中坊さんを応援してきた国民を裏切ることなく、「流石は中坊さん我々凡人とは違っていた。まいりました」と言わせるようなことをやってください。 期待を裏切らないで! 第221話で触れたように、小渕さんが脳梗塞で倒れたのが4月でしたが、5月に意識が帰ることなく亡くなられました。 中坊さんが魅力を感じたように、人間としての評価は高いようです。なくなられた後の報道は、人柄を誉める記事ばかりですが、日本の国はやはり、ああいう人で無いと偉くなれないのですかね。 プッチホーンと言われた様に、興味のある人に電話で色々と意見を聞いたりしていたようです。聞く耳があったことは間違い無かったようです。その当りに、中坊さんも期待を持ったようです。 第213話で触れたように、もしかしたら大化けするかなとチョット期待したところだったので残念な気もします。 そういう良い物を活かせないのは、やはり自民党というか政界自体が組織として腐っていることに問題があるのでしょう。それだけに、従来の延長線上の政治家ではこの日本を買えることは難しいのでしょう。 国民が変わるしか道は無いようですね。 2000年5月16日火曜日修正 |
2000 年3月20日月曜日 第206話 バス一台 |
久しぶりの同窓会楽しんできました。何故道後かというとクラブの春の合宿が道後だったのです。30年ぶりの訪問というのも何人かいました。今回は参加者9名、来れなかったもの4名でした。 チョット古いですが興味深い記事なので取り上げます。2000年〈平成12年〉3月3日(金曜日) 日本経済新聞 何時もの大機小機からです。インターネット時代の情報という中の「ネット時代の情報共有化」にありました。
……略 この第四に共感するのでここで取り上げましたが第一から第三は略させてもらいました。 それがわからない人間が少し地位が上がったといって、勘違いしているのが今の日本の閉塞感をもたらしているのではないでしょうか?こういうとチョットきついですかね。でもそれが本当の所だと思うのですが、どうでしょう。 インターネットという情報手段がその限界を少しでも打ち破る手助けになればありがたいと思います、それが「五十人くらいで運営されるイキイキとしたカルチャーがよみがえってくることを期待したい」ということでしょう。 |
2000 年3月21日火曜日 第207話 浪費なき成長 |
今話題の環境問題でも、大量消費された資源のリサイクル問題がさわがれていますが、チョット以前の事を考えてみましょう。私たちが子供の頃、お母さんは、買い物かごや風呂敷を持って買い物に言っていました。今のスーパーのようにビニール袋とかトレイなんてありませんでした。確かにそれで便利になった面もありますが、それが無ければどうしようもないと言うことは無いと思います。そういった事を見なおし、みんなが実行するだけでゴミの問題は半分くらい無くなるかもしれません。 そんな昔の生活を思い出させるような説が、『2000年(平成12年)3月6日(月曜日) 読売新聞けいざい本のツボ 内橋 克人著 「浪費なき成長」(光文社刊、1200円) 大量消費依存の経済問う』の中にありました。 著者の一言 いいですねぇ!これです、私が待っていたのは。確かに、もっともっと、お金があって、好きなことができればいいとは思いますが、果たしてそれでいいのでしょうか?欲望は果てしないものです、どこかで見きる必要があるのではないでしょうか。 |
2000 年3月22日水曜日 第208話 リサイクル |
権利を主張するばかりで、義務は逃れようとする日本人の考えが変わらない限り、表面的な対策を行っても何も解決しないような気がします。今度のリサイクル法にそんな危うさを感じるのは私だけではないでしょう。 そんなリサイクル法に触れたコラム「日刊工業新聞 2000年(平成12年)3月14日 火曜日 産業春秋」がありました。 容器包装リサイクル法が4月から完全施行されるが、この法律の最大の欠陥は生産者の責任が問われていないということ。しかも処理はすべて税金で行うため、容器を使っている国民に負担感がないのだ。これではリサイクルしても、それが発生抑制につながるとは到底思えない。 ……以下略 やはり何処かおかしいですね。この法律の裏にも何か胡散臭いものが見え隠れしているような気がするのは私だけでしょうか? 相変らずの、逃げの政治を感じます。企業に負担を求めても、国民に負担を求めても反発されることは目に見えているので小手先の方法で誤魔化しているのが丸見えです。 要するに政治家は票の事しか考えていないということではないでしょうか。何処かに負担を求めると反対運動が起こり票が減る、だから、兎に角直接金が要らないように見せかけ結局は税金の無駄遣いになってしまう。国民も直接負担が無いから見過ごしてしまう。何時までたっても国民は政府に馬鹿にされているのである。もっと根源的な対策を取らない限り本当の解決にはならないことが分かっているのに、誰もやろうとしない。未熟な国民と未熟な政府そして、利益の減ることにほうかむりしている企業。どれを取っても無責任。 本当に日本の国の将来を心配するなら、それなりの負担を皆が共有する必要があるはずである。政治家は国民に本当のことを説明し納得させることが大事であり。国民はそれを聞く耳を持つことが必要であり、企業は利益をあげるためには社会責任を果たすべきである。 要するに、皆、自分の事しか考えていないからこうなってしまうのではないでしょうか。 そろそろ小手先の解決はやめませんか! 2000 年5月16日火曜日修正 |
2000 年3月23日木曜日 第209話 税治家 |
日本人は楽なことが好きなのである。面倒くさいことはしたくないというのが大半の人のようである。これは今までやっていないという面もありますが本質的にそういう考えが無いのかもしれないですね。 昨日のコラムにも関係しますが、日本人の政治に関する無関心の元であると思われる税金に関する面白いコラム「2000.2.19 ◆週刊東洋経済 視点政治家を゛税治家"と名づけよう 石川 好(いしかわ よしみ)作家」です。…略 政治家の仕事は、国民(納税者)の代表として、国家経営をすることであり、不足すれば未来の納税者(子々孫々)から、彼らの承認なくしても借金をすることが許されている。今日ただいまの小渕政権はそれを堂々とやっているわけだ。 チョット、違った方向から考えてみたということですね。今までは、『日本人の政治意識を高めるために「あらかじめ源泉徴収するのではなく、自己申告制ににすべきだ」との意見はふるくからある。』という考え方が大方であったと思います。私もそう思ってました。アメリカのように自分で申告すればどうしたってその使い道に関心を持ちます。ところがなかなかこの考えが日本では受け入れられない。 すべてにおいて、責任が発生しないような楽なことが良いという日本の風土からはなかなか自己申告制は受け入れられないかもしれない、そこでこの石川さんのやり方で、「国民にも納税者意識が高まり、かつ選挙で選ばれた人々も、税を治むる人間としての職業意識が、大きく変わるであろう。」という事になれば良いが、まあそんなに甘くは無いかもしれないですね。 いずれにしても我々国民一人ひとりが税金にもっともっと関心を持たない限り政治家や官僚、そしてそれにたかる企業の食い物にされるだけである。 封建時代から、何もかもお上任せの体質が染み付いてしまっているのでしょうか。欧米諸国は狩猟民族で、日本は農耕民族であるとよく言われて何かと比較されます。 又、日本の国が江戸時代の300年という平和をむさぼった事は事実であり、それはやはり海に囲まれた島国であり、農耕民族であったことが大きく影響している事も事実でしょう。 そういった日本民族特有の経験と言うものが影響しているのかもしれないです。なにしろ、外国から攻められる心配は無いし、他の人と変わった事をしなければ、兎に角生活はできる。 難しい事は、お上がやってくれるので黙っていう事を聞いていれば頭を使う事も無いというような生活にならされてしまった結果がこんな日本の常識世界の非常識の国民を作り上げたのでしょうか。 本当に不思議な国民ですね! 2000年5月17日水曜日修正 |
2000 年3月24日金曜日 第210話 警察 政教分離 |
警察が嫌われる原因の一つにねずみ取りがあると思います。確かに、スピード違反する方が悪いのですが、そのスピードの設定が実情に即しているかと言うと必ずしもそうでないのは皆が感じている事でしょう。その上、警察も40 Km制限のような所で取締りをしたりするから、尚更、違反したと言う気持ちより罠に嵌ったような気になるのである。警官ともあろう者が、こそこそと隠れて違反を摘発する事自体が嫌われる原因である。そんなことしなくても、違反を少なくしたいのなら道路渕に立っているだけで効果が挙がることは誰もが見とめるでしょう。 そこに、予防でなく罠を感じるから、誰もが悪いことをしたと反省するのでなく却って、反発することになる。 私みたいに、警察には今後何があっても絶対協力しないぞと思うばか者も出てくるはずです。ところが、何にも無いのが悔しい……。 反省がないから、何とかもみ消したいという感情も湧いて来るのではないでしょうか。そこに偉いさんに頼んだらもみけしてくれるという公然の秘密があればだれだって何とかしてもらおうと画策するでしょう。当たり前の感情です。
そんなことにも通じる話題が 「 3月22日 ◇天声人語◇ 朝日新聞」に取り上げられています。……略 それにしても、おそらくは数ある「もみ消し」の中で、どうしてこの一件だけが明るみに出たのだろう。 …以下略 このもみ消しは誰もがあることを知っていることだろう。権力に近い人や、金持ちがそれを利用している事は殆どの人が暗黙の了解で黙っているだけなのだろう。身近にそのお世話になった人の一人や二人がいるのを聞いたことがあるのではないだろうか。そういう人に限って自慢そうに話すものであるから。 もともと、ねずみ取りのような国民を敵に回すような摘発をしているので国民の方も何とか逃れ道のあることをよしとするのではないだろうか。許す方も許される方も腹立たしいことには違いないが、自分が何時その立場になるかもしれないだけにそれを許すのではないでしょうか。 それでは「 どうしてこの一件だけが明るみに出たのだろう。」 ということであるが、これは皆さん想像通り、以前ここでも取り上げた第185話「政教分離を貫く会」が匂いますね。あくまで想像ですので真実はわかりません。そこまで露骨なことをするはずがないでしょうけどね。しかしながら余りに素晴らしい話しで泣けてきますね。もみ消しを頼む方も方なら、もみ消しをする方もをする方である。その上それを利用したとしたら、これほど素晴らしい国民はいないのじゃないでしょうか? 日本人バンザイ!ヤッパリ、皆で渡れば怖くない!! 日本の未来は明るいぞ〜!トホホ!! 第186話2000 年5月18日木曜日修正 |
2000 年3月25日土曜日 第211話 外形標準課税 |
またまた面白くなってきましたよ!そう外形標準課税です。東京都に対して大手銀行が裁判に持ち込む事を決めたようです。 この銀行に関する面白いコラムがありますので紹介します。銀行さんどう考えますか? 財界 2000 3 /28 一筆入魂 ジャーナリスト 嶌 信彦 第36回 石原流を超えるバンカーの゛徳"を …略 大手銀行の偉いさんには、この国民の気持ちが全く分かっていないのですかね?そうでなければ訴えるなんてことは出来ないと思いますが、どうなんでしょう。 第238話でも取り上げましたが、こんな体質の銀行がさかんに大型合併を急いでいますが、仏作って魂入れずの合併を繰り返して、図体だけ大きくなっても、中身が変わらないのですから、いずれ消滅して行く事になるような気がします。 今日も、大阪の破綻した幸福銀行が外国資本に譲渡される事が決まりました。長銀に続く外国資本への譲渡です。 何年か後には、皆、外国銀行の傘下に入っているように思います。10年後を見てみたい。 銀行さん!楽しみですね!! 嶌さんのHP2000 年5月18日木曜日修正 |
2000 年3月26日日曜日 第212話 税金 マスコミ |
残念な話しがあります。週刊東洋経済の、あの 石井信平さんのコラムが終わるそうです。毎週、楽しみにしていたのに残念です。極論を言えば、最近は週刊東洋経済を見るのはこのコラムが目的だったような気がします。心配していたように、その論調が強すぎたのでしょうか?この雑誌に限ってそれは無いと思いますが、もしそうなら大問題ですね。 最後のコラムを取り上げます。残念なお知らせの後、嬉しいお知らせもあります。それはコラムの後に……。 経済人 の言葉ウオッチ 石井信平 加藤寛氏は自分の報酬を 時あたかも確定申告の季節、たまたま手にした『週刊朝日』3月10日号で、大蔵省の PRページに出くわした。「早見優・税金に大いにツッコむ!」。紙の色を変え、八ページにわたって「日本の税金は、世界的に見ても決して高くありません」と熱弁を振るっているのは加藤寛・政府税制調査会会長。国は一円でも足りないと督促状を送ってくるが、取りすぎた税金を、自分からは決して返そうとはしない。その税金の湯水の如き使い方たるや、腹の立つことばかりである。税金など払う意欲失せる無残な財政こそ問題ではないか? そんな折に、加藤先生は千葉商科大学学長の身で政府の拡声器、「確定申告は社会に対する自分の貢献度を示す絶好の機会だと考え、ぜひキチンと納めていただきたいと思います」。 この人は、税制の問題点をえぐり出し、政府に向かって物申す立場の人なのに、いつの間にか大蔵省のサンドイッチマン。エコノミストがこれだから、日本経済の惨状は当たり前だ。 警察庁の不祥事をきっかけに、国家公安委員への高額報酬を今ごろ驚く国民が情けない。 私は一納税者として、寺田達史・大蔵省大臣官房広報企画室長宛にメールで質問を送った。 一体、この納税キャンペーン企画のために、幾ら税金が使われ、加藤氏への報酬は幾らだったのか?10日たつが、いまだに返事がない。私のコラムは今回が最終回となった。残念ながら、本欄では結果をお伝え出来ないが、自分のホームページを作ってこの問題を追うことにした。間もなくできるURLをお知りになりたい方はgogo.shinpei@nifty.ne.jpまでお問い合わせを。 加藤氏でさえ言っている。「政府はちゃんとお金の使い道を示さなければいけません」。 ということで、早速メールを送らせて頂きましたところ丁寧にお返事を頂きました。そして、大蔵省に送ったメールの顛末も教えていただきましたが、これは石井さんのホームページを待つべきと思いますので、ここへは取り上げませんでした。楽しみに待ってください。 さて本文の方ですが、相変らず辛らつです。今回が最終というのは、ひょっとしてどこからか圧力がかかったのかなと思うのは私の思い過ごしであればいいのですが。 「 こういう事実をふだんキチンと報道しないメディアもだらしない。これを機会に、すべての政府審議委員の報酬を公開せよ。」というこの言葉こそ国民の言いたいことをすべて現していると思います。どうして、何もかにも隠そうとするのでしょうか?それは何時も言っている様に、我々国民にも責任があると思います。第209話などで取り上げたように、余りにも、国民が税金の使い道に無関心であることが、政府や官僚を付け上がらせているのでしょう。国民がここまで無関心であるのは日本独特のであるような気がします。 それはやはり、教育や源泉徴収にもあるでしょうが、マスコミの取り組みにもいくらかの原因はあると思います。マスコミが真剣にこの国を良くしようという気概を持って取り組めば、かなりの成果は上げられるはずです。マスコミにはそれだけの影響力があるはずであるが、商業主義に陥ったり、権力と結びつくことにより、その力を行使する責任を放棄しているのではないでしょうか。 特に日本人はマスコミ特にTVに弱いのだから、その使い方によって日本を素晴らしい国にすることが出来るはずである。それだけに逆に働くと恐ろしいことにはなるだろうが。それだからこそ、マスコミに働く人はそれだけの気概と責任感を持って欲しいものである。確かに、権力に向かって行くことは大変な力を必要とするでしょうが、それこそがマスコミに働く醍醐味ではないのでしょうか?マスコミの奮起を促したい。 頼みますよ!マスコミさん!! |
2000 年3月27日月曜日 第213話 小渕総理 |
先週は、同窓会で見れなかったサンデープロジェクト。今週は、なんと田原さんと小渕総理の沖縄での90分対談でした。正直言って、「小渕総理の顔をそんなに長く見たくないなぁ〜!」というところでした。それでも、こうやって民間放送に1人で出てくることに対する評価は必要かもしれないですね。隠れているよりは、評価すべきでしょう。 教育改革の面でも、江崎玲央奈氏との話しで、「受験の為の勉強でなく、人格形成が目的である」等と中々良い事を言っていました。本当に、この主張通りやれば、小渕首相は日本の救世主になるかもしれない。私は、見間違っていたのだろうか? 本当にやる気があるのなら、もっと国民に、今度のように自分の考えをどんどん知らせて、国民を見方に付ければ良いのではないだろうか。そうすれば、中坊さんのように国民をバックにした大きな力を持つことによって、国会を自分の主張通りに乗り切ることが出来るような気がする。方法としては面白いのではないでしょうか。今まで、誰もやったことがない画期的な方法で日本の国を改革した首相として歴史に残るでしょう。 それならば中坊さんや江崎玲央奈さんたちをブレーンとしたのも納得できる。 それに触れた面白い記事が「朝日新聞 3月24日 ◇天声人語◇」にあったのでチョット取り上げてみます。…略 なるほど今度は若乃花ですか、ありえますね。と、そう思いたくなるほど小渕首相は「有識者会議」をつぎつぎ設け、みずから精力的に委員就任を口説いてきた。…中略 整理回収機構前社長で弁護士の中坊公平氏の内閣特別顧問就任も、その一環といえるだろう。 ……以下略これらの人の意見を、本当に活かして、日本の国を救えば、今まで、汚物総理なんて言って、さんざんバカにしてきたことを謝らなければならないです。そんなことになったら嬉しいですね。期待しましょう。 最後に、 堀田力さんの「おごるな上司!」 日本経済新聞社より一言引用します。よい事を言っているからといって、その人が、そのとおりしているとは限らない。 世の中には、本当に口だけの人がいますからね。言葉だけ聞いているとどれだけ立派な人かと思う人がいます、ところがやってる事は全く正反対なんです。 巧言令色少なし仁 2000 年5月17日水曜日修正 |
2000 年3月28日火曜日 第214話 雇用流動化時代 |
政治の話題が続きましたので、話題を変えてみます。 少し日付は古いですが、雇用流動化について興味深いコラム「日本経済新聞 2000年(平成12年)2月23日 (水曜日) 雇用セーフティーネット ▽上キャリア形成知恵比べ」がありました。 …略 このような制度が少しずつ増えてきているのは確からしい。これが本物になると、労働者の方が会社を選べるようになる。そうすればリンクの部屋のから行けるHPにかいてあるるような経営者のおかしな会社は存在できなくなるはずだ。何時になったらそんなことが当たり前の時代が来るのが待ちどうしいことである。 マァ私の時代には無理だろうが、「転職が当然になる時代は、優れた人材が流出するリスクと背中合わせ。社員の適性や資質を再点検しなければ、企業は雇用流動化時代を生き残れない。」というような日が、一日も早く来て欲しいものである。 いずれにしても、我々団塊の世代は、若い時には我慢すればいずれ仕事以上の給料が貰えるのだから辛抱しろと言われ、安い給料で「何でこれだけ仕事をして、こんな給料しか貰えないんだ」と腹を立てながら、こき使われたのである。 やっと給料に報われる歳になったら、リストラで「はいさようなら」という割に合わない目にあっている。この悔しさは分かってもらえないでしょう。 我々には、雇用流動化なんて時代はもう来ないでしょうが、若い人達が同じような苦しみを味合わなくても言い時代が来て欲しいものである.。 2000 年5月17日水曜日修正 |
2000 年3月29日水曜日 第215話 雇用流動化時代 |
仮にも日本の企業で、雇用流動化に対する考えが生まれてきているということは今までの時代からは到底考えられないことであっただけに歓迎できる。一日も早くそんな時代がきて欲しいものである。 雇用セーフティーネット▽下選択の幅広げ自立促す …略
一方、そういう時代に力を発揮できるように自分を磨いておかなければならないという覚悟が必要であるかもしれない。いくら企業が選り取り見取の時代になっても力が無ければ、やはり個人にとって流動性は大きくはないだろう。本当の意味の実力主義の時代になるのではないでしょうか。そういう時代が来た時に後悔しないように自分を磨くことは必要である。 |
2000 年3月30日木曜日 第216話 夏目漱石 |
リンク先の 鷹瀬さんが夏目漱石の素晴らしい文を■2000年03月の就職日記&コラム■に 28(火) 夏目漱石からの喝!として、アップしています。余りに、素晴らしいので直接リンクさせてもらいます。鷹瀬さんごめんなさい! 鷹瀬さんが「坊ちゃん」に付いて書いているのを読んで、夏目漱石を作家としてでなく1人の人間として興味を持ちましたが、今回の鷹瀬さんの紹介で、より一層、見直すことになりました。 「私の個人主義」 夏目漱石 ――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述―― 抜粋だけです。 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです 何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思う 底本:「ちくま日本文学全集 夏目漱石」筑摩書房 1992(平成4)年1月20日 第1刷発行底本の親本:「夏目漱石全集 10」ちくま文庫、筑摩書房 1988(昭和63)年7月26日第1刷発行入力:真先芳秋/校正:かとうかおり 1998 年11月19日公開/1999年8月30日修正 49歳(関係無いけど、信長と同じか!)で、功なり名を遂げ、亡くなった人と、52歳で未だにふらついている誰か?……。 兎に角、この歳になっても漱石の言う「ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだ」という場所を見つけられない私にとって、この漱石の講話は衝撃です。 今になって、「何をしなければならなかったのか」を突き付けられた気がします。要するに、若い時に、疑問を持たずに過ごしてきた付けが来ているということでしょう。よしんば持っていたとしても、それは漱石が悩んだほどには深刻でなかったということだろうと思います。 漱石がロンドン留学した時に、ノイローゼに陥った話しは有名ですが、その裏にこんな考えを持っていたとは露ほどもしりませんでした。悩みが深かった分、その後に噴出したものが大きかったのでしょう。 私には、もう遅いかもしれませんが、未だ、生きているのですから、漱石に遅れることウン十年を取り返すチャンスはあるのではないでしょうか?何とかしなくっちゃ! 話しは、変わりますが、この所の出来事は不思議な思いがします。というのも先週は大学の同窓会で「坊ちゃん」の舞台である道後温泉に行ったところですし、丁度、その時を同じくして 石井信平さんが大学の先輩であることも判り、メールでコンタクトを取ることも出来ました。そして、とどめは、鷹瀬さんがこの漱石の事を書いたのも同窓会が契機になっているように思えることです。その上、その中身は、私の人生に対する叱責のような内容であることです。 勝手な解釈ですが、何か、「いい加減に、しっかりしろ」と勇気づけられているような気がします。 頑張らなくっちゃ !! |
2000年3月31日金曜日 第217話 余裕 |
月並みですが、3月も、はや終わりです。あっという間でした。何とか、更新を続けていますが、どこまで続くか、我ながら楽しみにしています。 実は、私もこう見えても、就職した当時は残業なんて何でもなかったのです。初めての会社では、ルートセールスでしたが、やれば実績の出る仕事ですので、新入社員であろうが実績がすべてでした。先輩を先輩とも思わず俺の方が実績は上だと大きな顔をしていたものです。その頃から、組織にはそぐわなかったようです。 兎に角、実績を上げるために、誰よりも遅くまで仕事をすることが楽しくて、営業所に電話してはもう皆が帰社したと言うまで市場から離れなかったものです。当時の所長さん達には本当に迷惑をかけたと思います。 夜中に既に閉店しているお客さんのドアを叩いて開けてもらったこともありました。お客さんからも良く誉められて、それを又武器に営業していたものです。新入社員が肩で風切って歩くのですから、今から見れば世間知らずも良い所です。上司から見たら可愛くない奴でした。尤も、未だに、その性格は変わっていないですが……。 そういう仕事振りは、楽しく充実していたことは確かですが、やはり幾ら若くても体力の限界があると思います。私も、結局そういうがむしゃらな仕事は三年くらいしか続かなかったと思います。 その時の経験から、人間ヤッパリ限界があると思いました。それからは、そこまでの無茶はしなくなりましたが人並み以上に働くことは嫌いじゃないです。好きな仕事なら二十四時間でもしたい方の人間です。食事の時間も、寝る時間も惜しい性分です。今は、PCがそうでしょう。 しかし、そういうやり方は、所詮長続きしません。ましてや、好きでもない与えられた仕事に耐えられる訳は無い。それは経験したものの強みです。ですから今の私は、無駄な残業が大嫌いです。特に、仕事も無いのに、回りの目を気にして遅くまで残ったりするのは一番嫌いです。そういうのに限って、昼間は仕事していないのです。そんな時間があったら少しでも早く帰って自分を高めることに時間を使う方がどれだけ良いか。会社だって結局はその方が得をすることになると思います。この辺のことは、鷹瀬さんの所に一杯書いてあります。面白いですよ! そんな経験をした先輩として、丁度、4月から希望と不安を胸に実社会に飛び込んで来る新入社員にも読んで欲しい記事があります。 今日のノート 読売新聞 2000年3月29日(水曜日)より …略 可哀想ですね。何の為に生まれてきたのか?会社に、人の命を奪う権利なんてあるはずが無い。命より大事な会社があるはずが無い。命を捨てる前に会社を捨てて欲しかったが、日本の社会はそういう人間を異端児としてみる目がある。それに抵抗できる人が少ないのも事実である。部下の命も守ってやれない管理職なら辞めてくれ! 筆者も言っているが、「 余裕」が大事である。余裕ですよ!余裕!! |