パソコン奮闘記
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1995年年末 第1話 |
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Windows95騒動を見て、そろそろやってみようかそう思って、まず本屋へ走るのが、我々団塊の世代以上の習性らしい。ご多分に漏れず探しに行きました。 今考えると運がよかったのだが、タッチタイピングの本を見つけた。成る程、キーボードを打つのもきまりがあったのか。こんな事も知りませんでした。 さてどうやるか?何から始めるか。ここで、またまた幸運だったことは、私の兄が長くパソコをやっていた事だ。タイピングの話をすると、丁度98が一台あまっているし、タイピングのソフトもあるので、持って帰って練習しろと言ってくれた。 年末と、正月休みの帰省を利用して、練習開始。結構はまりました。たまに帰ってもタイプの練習ばかりしていたので、家族にあきれられていた。何とか、キーボードアレルギーに成らずにすんだ。 |
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1996年年明け 第2話 |
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年明けからパソコンが欲しくなってくる。雑誌や本を買って勉強。 |
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1996年3月25日 第3話 |
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いよいよ購入。奥さんから許しを頂いてから一ヶ月以上考えた。 当時の最速機。ペンティアム150MHzである。 CanonBJCプリンターも同時にゲット。何とか設定もすませた。 ここからパソコンとの苦闘がはじまったのである。 |
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1996年3月28日 第4話 |
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カシオ QV10購入。企画書を写真入で作るため。 |
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1996年5月7日 第5話 |
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内蔵のモデム2880bpsで辛抱できず、 NTT-TEMN128にする。やはり快調。テレホーダイに申し込む。 この頃から、時々立ちあがらなくなり、始めて修理に。3週間も立ってやっと修理から帰ってきた。ところが直ってないうえに、 HDを交換したとかで今までのデーターが、すべて無くなる。この時になって、この業界の恐ろしさに気がついた。こりや大変だ。何とか自分で解決する力をつけなけりゃ。マァいいか。 |
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1996年9月5日 第6話 |
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始めて メモリー 32メガ×2 FPDRAM (\43,680)増設。手が震えた。思えば、これが自作への始まりか。80MB |
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1997年1月13日 第7話 |
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HD(WDAC32500)(\33,887)増設。 |
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1997年2月13日 第8話 |
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PD(1094JZS) 増設。会社のPC(NT)と、データ交換と、バックア ップのため。東京出張のとき、秋葉原ブレスで購入。インターネットで、日本一PDが安い店との情報で。内蔵SCSI。始めてのSCSI。すんなりと稼動。ほっとする。 |
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1997年3月14日 第9話 |
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やっと、 マイクロソフトインテリマウス購入。何でもっと早く買わなかったんだろう。富士通もよくあんなマウスをつけているもんだ。どうもおかしいと思いながら今までつかってきたのは、何だったんだろうはじめてPCを使う者はあれが当たり前だと信じて使っているのだから。本当に客をばかにしている。会社では今でも何も知らずにあれを使っている。マァいいか。これは本当に変えて良かった。今も快調に使っている。 |
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1997年4月30日 第10話 |
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ついに始めてマザーボード (ASUSTEK P/I P55T2P4C)交換。始めて本格的な改造に踏み切る。むりやりFMVのマザーと入れ替え。ペンティアム150MHzを166MHzへ、これも始めてのクロックアップ。 どうやって動かしたかもう忘れたが、かなり苦労したことは覚えている。いよいよ、自作の道へ。 |
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1997年5月20日 第11話 |
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グラフックボードを、 MATROX MGA MYSTIQUE170に交換。ドライバーも何とか組み込み無事稼動。やはり、速くなった。益々のめりこむ。 |
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1997年6月23日 第12話 |
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メモリー 32メガ×2 FPDRAM (\28,980)増設。大分安くなっている。これでメモリーは、128。 |
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1997年6月25日 第13話 |
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SCSI ボードをTekram DC−390Uに入れ替え。このペース、ちょっと異常かな?マァいいか。 |
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1997年7月4日 第 14話 |
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遂に、 CPUをP55C−200(MMX)(\49,700)に交換。75×3=225で稼動。とうとうここまで来てしまった。体感は出来ず。 |
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1997年9月3日 第15話 |
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カシオQV100 購入。QV10の画像のゆがみが不都合なため、仕方なく。 |
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1997年9月26日 第16話 |
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ハードディスク(FBST−3240A) 増設。ULTRA ATA33(\27,720) |
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1997年9月30日 第17話 |
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20インチディスプレイ(日立 CM2096MJ)購入。念願の20インチ。インターネット通販で\6,3000。画面は、今流行りのフラットと、正反対のラウンド。目が慣れれば、結構使えます。気に入っています。でも、やっぱり欲しいフラット21インチ。スキャナー(HP ScanJet 4p)インターネット情報で\20,000でゲット。これは当時、本当に安かった |
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1997年11月25日 第18話 |
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自宅へ帰ったときにパソコンができない。ディスプレイもできた。 もう一台作ろう。早速部品の購入。 |
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1997年12月 第19話 |
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ケースはDOS/Vパラダイスの TW−777(A)とにかく安く上げるために、これに決定。 CD-ROM FDD等足らないものを揃え、もとのFMVのパーツをもどし 自宅へ送る。これで休みに帰省しても使えるようになった。 データーやり取りのため、PDも増設。 |
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1998年1月 第20話 |
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ハードディスク(FBST−3240A) ULTRA ATA33増設。(\23,940) 98年の始まり。さっそくHDの増設。 |
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1998年2月 第21話 |
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始めて、安くて速い噂の K6―233MHz(\23,625)を使ってみる。266にクロックアップする。熱がすごい。これで持つだろうか心配。 |
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1998年3月 第22話 |
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余り速くなったような気がしない。そうだ、やっぱりグラフィックボードだ。 MATROX MGA MYSTIQUE170からMYSTIQUE220へ交換。170は一号機に。HDBENCHは少し速くなった。しかし、体感はそれ程でもないようだ。マァいいか。K6−233の熱が気になり、あの風神を高速電脳にTELで、発注。店長に 266(\40,740)が良いと聞き、思わず日本橋へ直行。これは良かった。今も一号機で75×4.5=337で動いている。K6−233 −\13,000と、PENTIUM150−\4,620ソフマップにて売却。始めて売りに行ったが、売るなら出来るだけ早くと分かる。 |
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1998年4月 第23話 |
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メモリー EDO32×2 (\20,790) FPは、一号機へ。 |
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1998年5月 第24話 |
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MYSTIQUE220から MILLENIUM U(250)へ。相変わらず体感せず。マァいいか。 |
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1998年6月 第25話 |
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メモリーSDRAM 128×1 PC100 CL2 \20,560 SDRAMを試したくて、EDOと交換。またまた、体感無し。 |
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1998年7月 第26話 |
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メモリー (FPDRAM)32×4売却 −\1,100メモリーSDRAM 128×1 PC100 CL2 (\21,829)2号機これで、256MB。 Win98 にアップグレード特に不具合なし。ほっとする。心持軽くなったような気がする。 |
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1998年11月 第27話 |
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結構長期にわたっていじっていない。この間スーパー7が話題に。 私は、メインの利用が仕事での企画書作成と、ネットなのですが、常々一台では、いざと結う時に仕事に差し支えるので、もう一台欲しかったこともあり日本橋出撃を決心。 マザーボードAX59PRO、 CPU K6-2 300MHz (\12,000)ハードディスクFBSE6.4G、ATXケース ひととうり揃えて、いよいよ組み立て。 今回は、結構苦労しました。どうしても100ベースで立ち上がらない。最後に、ケースを現在のと交換してみると、不思議に稼動。 急遽、 P5A(実は、59PROを買う時、これとどちらにするか散々迷っていたのだがL2、1Mで59PROに決定。)を購入。P5Aは、I/O電圧 3.5V(59PROは、3.3V)のせいか、すんなり稼動。それどころか、K6-2 300MHzが124×3=372で動いてしまった。59PROはK6 266MHzが100×3どまり。I/O電圧でここまで違うか。この間、FBSEの初期不良で、もう一台FBSE購入(初期不良は、交換までに一月位かかっつた。)ということもあった。散々、苦労させられたが、お陰でスーパー7が2台になった。 |
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1998年12月 第28話 |
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モニター一台を切り替え器で使っているが、今のところ不具合も無く 2台が動くと、次はLANが組みたくなる。ソフマップでエレコムの10BASE−T LDPCITL1×2 購入。すんなり稼動。どちらからもバックアップが出来る。まさかこんなに簡単に動くとは。これで当分、おとなしくなるだろう。 1998年も終わった。 |
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