誇れる日本65


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2019年 9月 30日(月)   第1930回  ★黄門様は凄かった
  水戸光圀公の『大 日本史』は、教科書には必ず載っていましたが、それがどんな内容の歴史書なのかは全くおそわることはありま せん でした。良くもこんな好い加減な教育を疑問も感じず暗記したものです。こんな教育を受けていれば日本人が劣化するのも当然で しょう。

  その『大日本史』が、明治維新にどんな影響を与えたかも全く知りませんでした。これも、ネットでねずさんなどに教え ても らって初めて意味が理解できました。

  と言いながらも、ねずさんが何度も書いてくれても読む度に、ああそうだったのかと目から鱗状態です。

  今回も、又知らないことばかりです。この逸話も全く読んだ覚えがありません。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019年 09月25日

  いみじ くも 大義を明らかにし人心を正せば、皇道なんぞ興起せざる

  ・・・略

  そしてそうした日本の歴史を明らかにしていくために、光圀が選んだ場所が水戸でした。
いまは茨城県になっています。
なぜ茨城なのか。
理由があります。
茨城県の日立が、当時は高天原のあった場所とされていたのです。

このことは、後になって、超長期の気象状況の変化から、高天原の所在地は時代とともに北に行ったり南に下ったりと、様々 に位 置を変えていることが明らかになるのですが、光圀が行きた時代には日立から水戸にかけての地域がかつての高天原であったとさ れたのです。・・・中略

 危機感を覚えた仏教界からは、全国でも名だたる名僧たちが続々と光圀のもとに派遣されました。
こうして水戸の城下に天下の高僧たちが大集合したとき、光圀は高僧たちを全員、城内に招きました。
そして彼らとしばし歓談したのち、
「日頃より貴僧方より
 素晴らしいお話を
 伺わせていただいています。
 今日はそのお返しに
 珍しいものを
 ご覧にいれたいと思う」
と言って、庭に面した座敷の襖(ふすま)を部下に命じて開けさせました。

高僧たちが、何が出て来るのかと期待していると、そこには汚い身なりの男が地面に曳き出されていました。
隣には、刀を持ったお侍(さむらい)が立っています。

「これは先般、
 当藩で盗みを働いた
 男でござる。
 いまから打ち首に
 いたすところにござる」

そういうと光圀は、庭に降り、自ら刀を受け取ると、「覚悟は良いか」と囚人に声をかけ、大きく刀を振りかぶりました。
そして「エイッ」と、刀を囚人の首めがけて振り下ろしました。

あわや首が刎(は)ねられるとみた瞬間、光圀は、その刀を囚人の首筋一重のところで停めました。
狙いがうまく定まらなかったのでしょうか。

再び刀を振りかぶると、囚人の首をめがけて、裂帛(れっぱく)の気合いとともに、振り下ろしました。
けれど光圀は、また刀を首筋のところで停めてしまいます。

三度目、またあらためて、刀を振りかぶり、振り降ろしました。
けれど今度も首筋一枚のところで刀を停めてしまいます。

どうしたのでしょうか。

光圀は、刀を隣にいる武士に預けると、静かに
「この者を釈放してやれ」
と命じました。
そして厳しい顔をして座敷にもどってきました。

光圀は言いました。
「貴僧らは日頃、
 人の命は重いと解きながら、
 なぜいま黙って
 見ておいでだった?」

そしてさらに強い口調で続けました。

「盗みを働いたくらいで、
 人の命を奪おうとする私を、
 なぜ貴僧らは停めようとされなかったのか!」

部屋にいた高僧たちは、ただ黙ってうなだれるより他なく、そのまま退散する他ありませんでした。
首を刎(は)ねられそうになった囚人は、死の恐怖を味わい、そして二度と盗みを働かないと約束して放免されました。

「人の命は重い」・・それは大切な教えです。
けれどその教えを、身を以て実践していくのが、まさに実学であり、現実の政治というものです。
そして古来我が国では、天皇に政治権力者を与えられた者たちが、いかに民を靖(やす)んじるかという明確な目的をもっ て、 様々な取組みをしてきました。

それは机上の学問ではなく、また、口先や頭の中だけの理論ではありません。
現実の利害の衝突や、現実の治安、現実の対立がある中で、天皇からの預かりものである民衆をいかに靖んじるかという、現 実の ご政道です。・・・以下略


  寸止めを光圀が出来たとは思えませんが、それとも達人だったのでしょか。とは言え、そんなことは問題じゃないです ね。こ れを反日売国左翼・在日共に聞かせたいものですが、きっと理解できないのじゃないでしょうか。  
2019年 9月 29日(日)   第1929回  ★「お陰様」と「おもてなし」
  何時もの国際派日本人要請講座が「おもてな し」と 「サービス」の違いという興味深い話を書いてくれています。
それは、神道の考えによるもののようです。

  その中に、あの柔道を堕落させたガッツポーズが、何故日本で嫌われるかもこの「おもてなし」に通じるものがあるとい うの に納得するものがありました。

  興味深い神道の話が盛りだくさんですが、かなり長いので、リンク元で全文を読んでください。

  国際派日本人養成講座より     2019年09月21日

  No.1132 「お陰様」と「おもてなし」

 ■1.「これを見て貰う以上に、言うべき言葉はない」

 オリンピックやサッカー・ワールドカップと並んで、世界三大スポーツ・イベントとされるラグビー・ワールドカップが始 まっ た。国内各地で各国選手を迎える歓迎ぶりが、世界で反響を呼んでいる。

 日本代表との壮行試合に41−7で勝利した南アフリカ代表は、次なるキャンプ地、鹿児島市へ。公開練習に約5000人 も観 客が詰めかけ、メディア関係者のMatt Pearce氏はその光景をピッチから撮影し、ツイッターでこう発信した。[1]
__________
 鹿児島での公開練習で大変な群衆。熱く、惜しみない歓迎が続く。天気と同じくらい熱い!(拙訳)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ウェールズ代表がキャンプする北九州の商店街ではチーム旗が飾られ、「ウェールズ代表を応援しよう」と書いた幟(のぼ り) が立てられた。小倉城天守閣はチームカラーの赤でライトアップされて、選手からも「ファンタスティック」などの感激コメント が寄せられた。9月16日のミクニワールドスタジアム北九州での初の公開練習では開場以来最多の1万5300人の観客が 集 まった。

 さらなるサプライズは、選手がグランドに出てくる際に、観客がウェールズ国歌「Land of My Fathers」(「父祖の土地」)を斉唱して迎えたことだ。続いて応援歌でもある賛美歌「Calon Lan」。チームの公式ツイッターではその光景をビデオで撮って、「これを見てもらう以上に、言うべき言葉はない」と感激を伝えた。

 各国代表をその国の国歌で迎えるのは、ラグビー元日本代表主将・廣瀬俊朗氏の発案で、出場20カ国のカナ付き歌詞カー ドが 公開された。廣瀬さんは「きちんとその国の言葉で話ができなくても、その国のアンセム(国歌)を歌えば心が通じる」と語って いる。[2]

 その言葉通り、元代表キャプテンのライアン・ジョーンズ氏は公開練習後、「これまでのラグビーキャリアでこのような経 験を したことは一度もなかった」とメディアに感動を伝えた。

 それにしてもなぜ、日本人はこれほど「おもてなし」に心を籠めるのだろうか? 海外からの賓客を歓迎するのは、どこの 国民 でもするが、その際の心の籠め方が、日本人の場合はレベルが違うように思う。それが外国人を感激させるのである。

 ■2.「おもてなし」と「サービス」の違い

 山村明義氏の近著『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』[3]で、日本のおもてなしと欧米のサービスと の違 いをこう述べている。

__________
欧米のキリスト教社会の「サービス」は、「私」と「あなた」、つまり個人と個人の関係をハッキリさせた上での「行為」で す。  一方、「おもてなし」は、「私」が「あなた」に「成りかわる」ことによって相手への好意を表す日本独自の「好意」なので す。
・・・〈「私」と「あなた」は違う〉という視点に立つのが「サービス」で、〈「私」と「あなた」は同じです〉という視点 に立 つのが「おもてなし」なのです。[3, 20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 相手国の国歌を斉唱するのは、まさに相手の身に「成り代わって」相手が喜ぶことを行い、相手が喜べば自分もまた喜ぶ、 とい う相手との一体感が、「おもてなし」の基本のようだ。この発想は神道から来ている、と山村氏は指摘する。・・・中略

 ラグビーでも「ノーサイド」と言われる。戦い終えたら、敵味方はなく、同じ仲間だ、という意味である。ラグビーはイギ リス 発祥の紳士のスポーツだが、イギリスの紳士階級は日本でいえば武士階級である。戦士としての振る舞いの理想を追求した騎士道 と武士道が、同様の結論に辿り着いたのも偶然ではないだろう。

 荒谷氏は、武道に関してもこう続ける。

__________
(武道の)試合が終わったあと、荒魂と和魂をちゃんと入れ替えて、それからまた協和状態に戻る。日本の武道では勝者にこ そ、 この精神が必要です。(スポーツなら許される)ガッツポーズが、日本の武道ではなぜ見苦しいのか、というと、興奮を収められ ない人は、気鎮め(鎮魂)が出来ない、ということを意味しているからです。[6, p145]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 和魂に戻らなければならないのは、試合の後には相手との和合で終わるのが武道の理想だからだ。山村氏は語る。

__________
 武道を突き詰めて行くと、単に相手を倒す、あるいは負かすことを考えがちですが、本当は自分が相手を包容し、調和と融 合の 世界にコントロール(制御)して、相手に対して事を収めて終わる──ということに尽きます。[3, 283]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この「調和と融合の世界」は、まさしく「おもてなし」の目指す所でもある。・・・以下略 

  やはり、日本は凄い国です。それを捨ててしまわない内に取り戻す必要があります。世界も、それを待っているはずで す。  
2019年 9月 28日(土)   第1928回   ★トリチウム海洋放出〜科学的論拠と印象論
  トリチウム発言のセクシー小泉がアメリカで評 判を 落としているようです。いよいよ本性が現れて来ているようですが、まだこんなのを評価する平和ボケ日本人は多いのでしょう ね、

  そのトリチウム問題で、武田邦彦さんがトリチウムは放出してはいけないとの説を唱えて驚かされましたが、これは、武 田さ んの日頃の、日本だけがCO2削減で経済成長が止まっている。こんなことは許せ無いとの説の完全に逆です。日本だけがトリチ ウムをタンクに貯めるだけで排出しないのは許せ無いでしょう。

  そんな時、小山和伸さんが、【頑固亭異聞】で、きちんと正論を述べてくれています。

  
  結局は、何度も買いているように、安倍政権が何を恐れているのか全く放置したままなのが最大の罪でしょう。
2019年 9月 27日(金)   第1927回   ★世界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて
  今や、日本人が一番皇室について信実を知らな いの じゃないでしょうか。戦後70年のGHQが仕掛けた嘘の歴史教育によって日本人が自虐史観に犯されてしまったことが一番の原 因でしょう。
  そういう私も何度も書いてきたようにネットで初めて権威と権力の分離やシラス国なんてのを知ったのですから情けない もの です。

  日本人がモタモタしている間に世界では日本を理解する人も出てきているようです。特に、外国の人にとっては、日本人 が当 たり前に思っていることにもその素晴らしさを指摘してくれたりして驚かされます。

  加瀬英明さんは海外の方々との付き合いが広いだけにそうした人達の日本人とは違った視点なども多く経験されているよ うで す。

  そんな経験を書いてくれています。それにしても、我々日本人が皇室の素晴らしさをきちんと知り、世界に広める必要が あり ます。それこそが、世界が日本の素晴らしさに本当に気が付いてくれるきっかけとなるのじゃないでしょうか。
  本来は、外務省や海外勤務の企業の方達が一番その役割を担うべきでしょうが、その人たちも真実の歴史を知らない優等 生が 多いのが困りものです。やはり、歴史教育が急がれます。

  加瀬さんのような人が大勢海外で活躍してくれれば日本も見直される時がくるのでしょう。

   加瀬英明のコラムより     Date : 2019/09/20 (Fri)

  世 界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて  

     私は昭和天皇が崩御されて、殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人としてお招きをうけたほかに、何回か新宮殿にあがったことがある。

     私はそのたびに、ヨーロッパの絢襴豪華な宮殿や、歴代の中国の皇帝が住んだ北京の故宮と較べて、日本の皇居は何と違うのかと痛感する。

     新宮殿のなかには金銀に輝く装飾や、人々を威圧する財宝が一つもない。神社の雰囲気が漂っている。

     皇居の杜に囲まれた宮殿の建築様式は、日本に上代から伝わる高床式で、屋根に千木が組まれている。

     天皇陛下がおわされるところに、まことにふさわしい。日本の国柄が表れている。天皇が権力者ではなく、千古を通じて日本を精神的に束ねてこられたこと を、感じさせられる。

     私が親しくしてきた外国の元首も、大使たちも皇居を訪れると、異口同音に諸外国の宮殿とまったく異った空間であることに驚いたと、語っている。

     天皇に拝謁した外国人は口を揃えたように、陛下が世界でもっとも謙虚な人であられると述べている。歴代の天皇は「私」をお持ちになることがなく、日本だ けでなく、全世界の平和を真撃に祈ってこられたからだ。

     私はアメリカの未来予測の大御所といわれた、ハーマン・カーン博士(1922年〜83年)と親しかった。ハドソン研究所の創設者だったが、著書『超大国 日本の挑戦』によって知られていた。博士が来日した時に、高松宮宣仁親王殿下の高輪の御殿にお連れして、御紹介したこと が あった。

     その時に、殿下が兄宮に当たられる昭和天皇について、「私たちはせいぜい百年前後しか考えないが、(昭和天皇は)つねに、これまでの2000年と、これ からの2000年の時間によって、お考えになられている」と仰言ったので、饒舌な博士がしばらく黙ってしまった。

     外国人識者による日本論といえば、イギリスの大記者だったヘッセル・ティルトマン氏(1897年〜1976年)を忘れることができない。戦前、イギリス の名門日刊紙『ザ・ガーディアン』東京特派員として来日し、戦後、日本に戻って吉田茂首相の親友として知られたが、在京 の外 国特派員協会会長もつとめた。

     私は当時からアメリカの新聞に寄稿していたが、26歳の時にティルトマン記者の知遇をえて、戦前と占領下の日本における体験をきくうちに、目を開かれる ことが多かったので、新潮社に話して同氏の回想録を『週刊新潮』に、昭和40年に36週にわたって連載した。

     このなかで、ティルトマン氏は満州国を絶賛するなど、日本の行動を擁護している。 

     そして、日本が建国以来国柄を変えることなく守ってきたことを、「日本は2600年古い国ではない。2600年も新しい国だ」(『日本報道三十年』、平 成28年に 祥伝社が復刊)と述べている。

     ティルトマン氏は私に「日本は古い、古い国であるのに、外国と違って廃墟となった遺跡が一つもないのは珍しい。皇室が万世一系で続いているのを説明して います」といって、伊勢神宮など多くの神宮や神社が20年あまりの周期で、式年遷宮―昔の姿のまま忠実に造営されている こと をあげた。

     私はギリシアのアテネで古代アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿を訪れたことがあるが、今日のギリシアのありかたとまったく無縁である。

     私は『源氏物語』や、川端康成文学の名訳者として知られた、エドワード・サイデンステッカー教授(1921年〜2007年)とも親しく、上野池の端で催 されたお別れの会で献杯の言葉をのべたが、口癖のように「わたしは明治翻訳語の『指導者』という言葉が、大嫌いです。日 本は 和の国です。最高神の天照御大神も権威であっても、権力はなかった」と嘆いていた。

     日本では、神代のころから合議制の「和」の国だったから、英語のリーダー、ドイツ語のフューラーに当たる言葉が存在しなかった。

     日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、幕末から明治にかけて、西洋の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なものにとどまっ た。

     いま、日本の万物に霊(アニマ)が宿っているアニメや、日本発のエモジ、自然と一体の和食から、人と自然が平等だというエコロジーまで、かつてのジャポ ニズムをはるかに大きく超える、日本の心の高波が世界を洗っている。

     ヨーロッパ、アメリカでは、エコロジーが新しい信仰となって、一神教を置き換えつつある。日本の和の心がひろまることによって、抗争に明け暮れる人類を 救うこととなろう。

     日本文化への共感が増すなかで、天皇の御存在に対する理解が、いっそう深まることとなってゆこう。

  やはり、まずは日本人の教育が急がれます。正しい歴史観と国家観を持った人こそが必要です。日本人が何時までも自虐 史観 に犯されたままで、それを世界に広めているようではどうにもなりません。
  まずは、日本人から教育しましょう。
2019年 9月 26日(木)   第1926回   ★★消費税が「悪魔の税制」といえるワケ
  何故、財務省が消費税に拘るのか不思議でした が、 産経の田村さんがその訳をズバリ指摘してくれています。何のことはない企業など取ると煩いところは避けて、声の小さな庶民か ら取るというなんとも卑怯な理由のようです。

  偶然でしょうか、青山さんも、財務省は企業の税金は業績によって変わるので相手にせず、数字の掴める消費税が狙いに なっ ているのだそうです。

  何ともふざけた話です。文句の出る所得税や企業を避けて取り易い庶民から取るというなんともふざけた話です。こんな こと が許されて良いのでしょうか。
  と言うか、やはり、政治家も官僚も国のことなんか考えていないのが良く分かります。

  産経ニュースより     2019.9.21

  【田村秀男のお金は知っている】政 治も「ガチョウの沈黙」に便乗!? 消費税が「悪魔の税制」といえるワケ

 日本の法人税率は29・74%という建前だが、ソフトバンクグループは税引前純利益1624億2200万円もあるの に、納 税額は500万円、税負担率0・003%。日本製鉄はそれぞれ1109億2200万円、16億1500万円、1・46%。こ れは、元国税マンで税制研究の大家、富岡幸雄・中央大学名誉教授が近著『消費税が国を滅ぼす』(文春新書)で明らかにし た。

 大企業がまともに納税すれば約9兆円の税増収となり、消費税増税は不要どころか、消費税減税が可能になるという。消費 税率 を下げれば、家計の消費は上向き、内需は拡大、20年以上もの間、日本経済を停滞させてきたデフレ圧力は解消、日本再生の見 通しが立つ。消費税増税による日本経済破壊ぶりを論じてきた拙論にとって、まさに正鵠(せいこく)を射た思いだ。消費税 とい うのはつくづく「悪魔の税制」だと思う。

 消費税を世界で初めて導入したのは第二次世界大戦後のフランスだが、その基本的な考え方は17世紀、ルイ14世の財務 総 監、ジャン・バティスト・コルベールの「徴税の極意」に由来する。

 吉田寛・千葉商科大学教授の近著、『市場と会計』〔春秋社〕によると、コルベールは、生きているガチョウを騒がせず に、そ の羽をできるだけ多くむしり採ることだ、とうそぶいた。騒ぐとやっかいな貴族や僧職には課税せず、宮廷に出入りすることのな い平民を徴税の対象とした。

 日本でも消費税が1989年に導入されて以来、財務官僚は何かとうるさい財界には法人税率を引き下げる一方、収入をむ しり 取られてもおとなしい家計に対しては消費税率アップで臨む。そればかりか、法定税率はあくまでもみかけだけで、内実は企業規 模が大きくなればなるほど実際の税負担率は下がっている。忠実に税を納めているのは主に中堅規模の企業だという。

 日本国の国土、文化・伝統や国民の献身などあらゆる資源を最大限利用しているソフトバンク、日本製鉄のような超大企業 が巨 大な利益を稼いでいるのに税負担が小さくても、お上からとがめ立てられることはない。

 政治の方も、「ガチョウの沈黙」に便乗している。安倍晋三政権は消費税率を2014年度にそれまでの5%から8%に引 き上 げたばかりか、今年10月には10%とするのだが、安倍政権は消費税増税にもほとんど影響されずに安定した世論の支持率を 保っている。

 このままだとどうなるか。家計なるガチョウは1997年度の消費税増税以来の慢性デフレにさいなまれている。子育てや 教育 にカネのかかる30歳から50歳未満の世代の2018年の給与は01年よりも少ない。

 グ ラフは家計消費と消費税、法人税、所得税など一般会計税収総額の推移である。税収増減額はほぼぴったりと家 計消 費増減額に連動している。政府税収は消費税率を上げない限り増えない。法人税は上記のような不公正ぶりだ。

 ガチョウを太らすことを考えないどころか、やせ細ろうとも、気にしない。そして平然と毛をむしり取る。(産経新聞特別 記 者)


  やはり、時間はかかりますが、きちんとした国家観と歴史観を教える教育が必要です。このままでは、何時まで経っても 国が 良くなることはないでしょう。  
2019年 9月 25日(水)   第1925回   ★神々の教え
  隣の国の朝鮮戦争というこれ程までに醜い戦争 を平 気でやる国と、同じ日に同じねずさんが書いてくれた神々の教えという何とも素晴らしい国に産まれたことを感謝せずにはいられ ません。

  これもねずさんが何時も書いてくれているように、自然災害が多いという悪条件が育ててくれたと言えそうです。隣同士 て、 天と地の差の国が出来上がったことに不思議を感じずにはいられません。それにしても、あちらに産まれなかった幸運を感謝する しかないですね。

  こちらは、朝鮮戦争の話題と違っていつもよりずっと短いので、是非リンク元で読んで朝鮮戦争を読んで悪くなった気分 を晴 らして下さい。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月20日

  神々の 教え

  ・・・略

 村落共同体から、国家への発展が顕著になった7世紀において、倭国では天皇を中心とす る文 化による国家統一、、チャイナでは外来王朝ながらも軍事力で国を治める隋や唐が形成された時代に、半島では、結果として 濊族系が新羅を乗っ取り、裏切りと嘘による国家形成が行われ、以後、単なる収奪王国となっていったのは、不幸なこと で あったと思います。

 そういう意味で、日本は極めて特殊ともいえる発展を遂げるのですが、このときに、大きな役割を果たしたのが、実は 大国 主 神話です。
大国主神話の出雲王朝と、高天原の天孫族との間で、大規模な戦闘があったと主張される方もおいでになりますが、その よう なことが書かれたものも、それを示す証拠もありません。
実際には、本当にあったのかもしれませんが、すくなくとも、古事記に書かれていることは、大国主が、艱難辛苦の上国 を統 一し、その国を発展させるために、周辺諸国と血縁関係を結びながら、大いなる国を形成した様子です。

 戦いではなく、どこまでも和と結びによって国を大きくし、国力を増していくことが大事だということを、古事記は神 代か ら の日本の知恵であると、上つ巻の文字数の3分の1を割いて、これを神々の知恵であると描写しています。
それはとてもありがたい、大切な教えです。

  戦後、最悪の国の人達が紛れ込んできたことも原因の一つと思われる日本人の劣化をなんとしても元に戻して、先人が築 いて くれた素晴らしい国を取り戻しましょう。

  それには、国交断絶と日本が嫌いな在日の方々には祖国に帰ってもらうことが必要です。
2019年 9月 24日(火)   第1924回   ★ハリウッド は日本に学ぶ、日本はどこに学のか
  日本の漫画やアニメが世界で持て囃されている のは ねずさんなどに教えられた知っていましたが、何と映画もそうなんだそうです。
 
  これも、ねずさんが書いてくれています。これも漫画と同じで日本人の仲間と共に戦うというのが人気の元なのだそうで す。
  と言うことは、Chinaに乗っ取られたハリウッドもいずれ元に戻るのでしょうか。と言うか、もう金も無いので、日 本が 撤退したのと同じ道を歩むのでしょう。その後、もう一度日本の出番が来るのでしょうか。今度は金じゃなく中身で。
  そうなると良いですね。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。嬉しくなります。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月19日

  ハリ ウッド は日本に学ぶ、日本はどこに学のか

  ハリウッドでは、もう何年も前から、
「世界的ヒットを飛ばしたいなら、日本の文化に学べ」
が合言葉になっているのだそうです。
日本的テイストを映画に取り込むと、その映画は必ず世界的なヒットに結びつくというのです。

 たとえば最近の映画なら『アベンジャーズ』もそのひとつで、もともとは登場するスーパーマンにせよ、スパイダーマンに せ よ、それぞれが独立したアメリカン・ヒーローです。
ところが『アベンジャーズ』では、その独立したヒーローたちが勢揃いして力を合わせて強大な敵に立ち向かいます。
ヒーロー個人が何もかも持っているのではなくて、それぞれに特別な才能がありながらも欠点だらけのヒーローたちが、互い に力 を出し合い、協力しあう。
そうすることでより強大な敵と戦い、たとえ一度や二度敗れても、そこからまたはいあがって、敵を倒していきます。
『ジャスティス・リーグ』も同じです。
『トランスフォーマー』になると、まるっきりマジンガーZです。

 何年か前に大ヒットした『アバター』も、そこに描かれた世界観は、日本神話であったとされています。
また、近年映画化された『アリータ・バトルエンジェル』に至ると、日本の漫画をそのまま映像化したものです。
Disnyの『モアナと伝説の海』で描かれた古代の姿もまた、日本の縄文時代がモチーフといわれています。

 一方、そうした日本文化に学び、日本的テイストを混ぜると、世界的大ヒット映画になるという謳い文句から、ハリウッド には 日本人のような顔をしていて日本人のふりをする、日本国籍を持っているけれども日本人でない人たちもずいぶん入り込んで、ハ リウッドの人たちが騙されるケースもあります。
『フォーティーセブン・ローニン』は、赤穂浪士をモチーフにしましたが、途中で怪獣まででてきます。
日本人が怪獣と赤穂浪士が好きだからと、この二つを合体させて、日本人のような顔をしていて日本人のふりをする、日本国 籍を 持っているけれども日本人でない人たちが「これが日本文化です!」とやったわけです。
近年にない駄作とされました。・・・以下略


  やはり、日本人が本当の歴史を学び、正しい国家観と歴史観を取り戻すことが先決です。それさえ出来れば日本は蘇るで しょ う。その為には、文科省と反日売国左翼・在日マスメディアを一掃するのが一番です。
2019年 9月 23日(月)   第1923回   ★日本を守っていくという気持ちだけはずっと持ち続けて欲 しい
  井上さんの「虎ノ門ニュース」のシリーズ昭和 の英 雄横山末雄さんは、予科練の訓練や爆撃による悲劇など貴重な経験を話てくれています。
  全国から選りすぐられた優秀な方達が猛烈な訓練に耐え日本の為に戦ってくれたことを考えると、この人達が生きていれ ば日 本はどんな国になっていたのだろうかと考えずにはいられません。

  横山さんも現役の経営者だそうです。きっと凄い国になっていたんでしょうね。


☆ 若者たちへ
  やはり現代の日本人はこの先人の凄さを知るべきですね。戦争をするのじゃなく、その能力を磨き上げ日本を世界を導く 国に してもらいたい。 
2019年 9月 22日(日)   第1922回   ★何故カタカナ語がやたらと増えるのか
  ねずさんが書いてくれた、19日(木) 、第 1919回の 「★天高く馬肥 ゆる秋」で、日本語の素晴らしさを改めて認識させて貰いました。

  安易にカタカナ語を導入するなと書きましたが、何故、安易にカタカナ語を使うのかは、2018年08月21日、第 6897回の 「★ 追い込まれると横文字に頼る『エリート』」で、田村さんが教えてくれてなる程と思ったものです。

  とは言え、まだ納得出来ないものもありました。と言うのも、カタカナ語には本当に日本語にピタリと当てはまるものが あ り、便利に使わせてもらっているのも間違いないのです。

  そんな疑問にねずさんが答えてくれています。これは、目から鱗です。その外来語が持つ概念が日本語にあるかないかが 別れ 道だそうです。これは、納得できます。
  だからこそ、語彙の少ない戦後の日本人はやたらにカタカナ語を使いたがるのでしょう。これは、納得です。

  何時ものように全文は、リンク元で読んでください。    

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月16日

  豈無國 歟 (あにくになけむや)のもつ意味と凄み

  ・・・略

  要するに単語をまるごと輸入するしかなかったのは、その概念がなかったからというこ とが できます。
逆に概念があれば、自国の言葉に置き換えて翻訳することができるのです。

 この点について、近年外来語を翻訳後にしないで、そのままカタカナ文字で表現する人たちがいますが、そうした人た ち は、 要するに日本語でのその概念を持ち合わせていない不勉強が根底にあるか、あるいは何らかの悪意のもとにご都合主義的に他 人を煙に巻くために外来語を悪用しているのかのどちらかです。

 前者には、たとえば「リノベーション(renovation)」があります。
これは「既存の建物を大規模に改装して用途変更や機能の高度化を図り、建築物に新しい価値を加えること」で、イノ ベー ション(技術革新)とも意味が違うし、もとから日本語にある修理、修繕、修復などとも意味が異なります。
ですからリノベーションは、リノベーションとして用いるしかありません。

 後者にはたとえば「コンセンサス(consensus)があります。
これは意見の一致のことで、普通に日本語で「合意」と訳すことができるものです。
これを「合意」と言わずに、意図的に「コンセンサス」というのは、なにか意図があってのことです。
もっとわかりやすいものでは、ヘイトスピーチの「ヘイト」があります。

 ヘイトというのは英語の「hate」のことで、これは「憎悪」を意味します。
差別は世の中にあってしかるべきもので、差別そのものを良くないと決めつけるというのはおかしな議論だ、という論が 出る ようになったら、そういう意見はヘイトだというのです。
突然「ヘイト」と言われても、意味の分かる人はそうそう多くはありません。
え、それってどういう意味?と相手が混乱している間に、相手を悪いと決めつけて憎悪をあおる。
どっちがヘイトだって言いたくなりますが、「ヘイトスピーチ」と言わずに、普通に日本語で「憎悪発言」とわかりやす く言 えば意味がわかるようになります。
要するに、相手を煙に巻くために、カタカナ英語を悪用している典型です・・・以下略




  やはり、きちんとした国家観も歴史観も持たないエリートが何でもカタカナ にし たがるのでしょう。もう一度カタカナ語を見直し日本語に概念があるものは日本語にすべきですね。
2019年 9月 21日(土)   第1921回  ★神武天皇「以前」―縄文中期に天皇制の原型が誕生した
  何時も興味深い本を書評で紹介してくれる宮崎 さん が、何とご自分の本の面白い書評を取り上げてくれています。  
  日本の天皇制は縄文中期から続いているという考察で書かれた本です。これは、興味深いですね。これが、古事記や日本 書紀 に一番ぴったり来る考えじゃないでしょうか。
  ねずさんと同じ考えですね。やはり、これこそが日本の本当の歴史でしょう。

  宮崎正弘の国際 ニュー ス・ 早読みより  令和元年(2019)9月16日(月曜日) 通算第6197号 

  書評

 『魏 志の 倭人伝』の解釈に日本の歴史学者が拘泥したことが誤謬の始まり
   縄文遺跡をめぐり現場に立って、同時に世界の類似遺蹟を探訪・思考した結晶

  宮崎正弘『神武天皇「以前」―縄文中期に天皇制の原型が誕生した』(育鵬社)  評 植田剛彦(評論家)

 何故か、日本では依然として「邪馬台国」論争が盛んだが、論拠は外国の文献、伝聞の書物であり、そもそも信用するに値 しない、捨て置けという本書は、神武天皇以前の、縄文時代の中期に日本の天皇制の原型ができたと大胆な仮説から展開され る。
 自然信仰が基本として縄文人にあったことは事実だから、集落の長が、付近の村々をまとめて王となり、その王たちが広い 地域を統率する指導者となれば、「大王」となる。スメラミコトの原型が縄文時代中期というのは科学的にも納得できる説 だ。
 もっとも古いとされる縄文土器は、青森県の縄文遺跡から出土した16500年前のものだというのはヘンリー・スコッ ト・ストックスも言っている。
そして三内丸山遺跡の発掘によって、縄文人が豊かな食生活を送り、戦争のない平和な時代を過ごしていたことも証明され た。考古学が日本では急発展している。
 現代人が想定してきた原始的な段階ではなく縄文中期には貿易も、航海も発達しており、黒曜石、翡翠、漆などが広く取引 されていた。「縄文商人」が活躍し、土偶をつくる「縄文匠」がいたのだと著者は力説している。
埴輪を造った土師(はじ)の原型のような集団が、きっと糸魚川にいたのだろう。
 本書が類書と異なっている最大の特色は、日本全国の縄文遺跡を丹念に巡り、その場に立って文明史的な意義を読み取り、 時には縄文人の思考に同化して、神々を思うところにある。
 土偶の国宝が五点あるが、それを宮?氏は函館、青森、山形、長野に訪ね歩き、撮影もしている。そのフットワークの強さ が随所にでている。同時に著者は、世界の遺蹟を訪ね歩き、縄文文明と同時代の文明比較を試みるという複眼力を発揮してい る。
 このあたりも古代史の類書とまったく異なる。
仄聞するところでは西尾幹二氏が、「宮崎さんの関心事と執筆の対象が中国論から明智光秀、西郷に飛んだかとおもうと、今 度は古代の浪漫。しかも類書の縄文本とは異なって机上の文献取材ではなく、縄文遺跡の多くを実際に足で歩いて目撃した印 象を綴るばかりか、世界の古代遺跡の現場にも立って文明比較を行っている点が斬新です」と感想をされたとか。
弥生時代以後でないと、文化とは言えないというまったく誤謬だらけの考えが、いまも日本に溢れているが、それを最初に打 ち破ろうとしたのは岡本太郎氏だった。
縄文土器を見ると太古の日本人は豊かなる日本と自然とともに生き、自然に宿る神々を祭り、神々に祈りつつ生きていたので あり、神の国ニッポンだったのである。

  やはり日本は凄い国ですね。とうとう神代の時代が縄文時代と繋がりました。これこそ世界に誇れる歴史です。なんだか ワク ワクします。
  まさに奇跡の国です。
2019年 9月 20日(金)   第1920回   ★27年間追い続けた捕鯨ドキュメンタリー完成
  八木・佐々木の女性がクジラの素晴らしい映画 を作 成してくれたことを何度も取り上げてきました。何で、男の政策は無いのだろうかと不思議でした。
  ところが、やはり出てきました。それも、27年間も追い続けてきたものだそうです。場所も日本じゃなくインドネシア だそ うです。
  クジラと言えば寒い海との先入観があり、熱帯にもクジラが生息しているとは思ってもいませんでした。お恥ずかしい。

 どうやら、並のドキュメンタリーでは無さそうです。

  産経ニュースより     2019.9.15

  27 年間追い続けた捕鯨ドキュメンタリー完成 貴重な記録映像、世界へ

 大海原でクジラと闘い、命をいただく−。四半世紀以上、1つの村に通い、人間のその尊い営みを追い続けた日本人監督の ド キュメンタリー作品がついに完成する。世界各地で「祈り」をテーマに撮影を続け、写真家の肩書も持つ石川梵(ぼん)さんの 「くじらびと」。1992年から、インドネシア東部レンバダ島の小さな村を訪れ、勇敢な漁師が一本の銛(もり)で体長 15 メートルにもなるマッコウクジラを仕留める壮絶なドラマをカメラに収めることに成功した。来春公開予定。9月末まで、クラウ ドファンディング(https://motion-gallery.net/projects/whalehunter3) で応援資金を募っている。

 人口2000人のインドネシア・ラマレラ。27年前に初めて訪れて以来、人々と親交を深めた石川さんは外国人でありな が ら、村人の暮らしと同化し、地域の信仰と結びついた伝統漁の神髄に触れた。鯨肉は貧しい人たちや一家の稼ぎ手を失った世帯に 優先に配給され、社会保障の役割も担っていた。

 石川さんは勇敢な鯨捕り「ラマファ」たちが小さなクジラ舟にのりだし、どのようにマッコウクジラを捕獲するのか、この 地域 の伝統捕鯨がどのように次世代に受け継がれてきたかを克明に記録した。

 「村の人々にクジラを食べないという選択肢はない。火山性のやせた土地では食物が育ちにくい。鯨肉は村の人々の生命線 と なっています。そんな中、重責を担い、命がけでへさきに立つラマファは英雄なのです」と語る。

 映画は息をのむシーンの連続だ。海、山、森が織りなす大自然の美しさ、21世紀の今も、和をもって尊しとなす暮らしを 続け る人々の清廉さ、そして、クジラが人間に死闘を挑む、生命のすさまじさ−。映像が突きつける現実には、捕鯨の是非をめぐり終 わりのない議論を繰り広げる捕鯨論争の文脈は一切ない。

 撮影のため、村に多くの高性能カメラや編集機材を持ち込んだ。近年は水中カメラやドローンも石川さんにお供した。しか し、 石川さんが村に滞在する時期は漁に出ても、クジラが獲れない年が続いた。「ボンがいると鯨が出ない」−。迷信深い人々は不漁 の原因を石川さんに押しつけることもあった。捕鯨のシーンがなければ、画竜点睛(てんせい)を欠く。石川さんは粘った。

 今年6月も、最後の機会のつもりで臨んだ撮影でもとうとうクジラは終盤まで獲れなかった。滞在ビザを延長して、翌日に はも う帰国するとなった最終日。自分が乗っている小舟のラマファ(鯨捕り)が海に飛び込み、一番銛を入れた。

 石川さんは決定的瞬間を逃さなかった。「奇跡としか言いようがない。神様は何というドラマを用意していたのだろう。世 界を 驚かす映像が撮れた」と振り返る。

 ストーリーは漁の最中に犠牲になった1人のラマファと、息子の死を乗り越えようとする父、意志を受け継いだ兄を中心に 展開 されていく。クジラは小舟に体当たりして、必死に逃げようとする。雄たけびを上げて、また海に飛び込むラマファ。結末は−。

 石川さんの初映画作品は2015年に大地震に見舞われたネパールを支援するために作った「世界でいちばん美しい村」 だ。映 画界で評価を高めたこの作品はほぼ個人で製作した。今回の作品も納得がいくまで撮影を続けるために、大口スポンサーに頼らな い姿勢を貫いた。この夏、身を削るような思いで、長年の間、撮りためてきた映像素材を削る作業を続けた。そして、想定の 時間 にまで縮め、一本筋の通った形になった。

 最終局面に入ったラストマイルの編集作業。ラマレラの捕鯨は近年、和歌山県太地町の伝統捕鯨と同様、反捕鯨団体が圧力 を加 え、存続の危機にあっている。石川さんは、信仰や文化と結びついたラマレラの捕鯨のありのままの姿を世界に伝える使命を感じ ている。

 資金集めをする石川さんはこう訴えた。

 「この原始的な捕鯨はいつ終焉(しゅうえん)を迎えてもおかしくない状況にもある。ラマレラの捕鯨は日本の江戸時代の 捕鯨 との類似点も多く、貴重な映像記録を後世に残したい。これまで大きなスポンサーに頼ることなく、時間をかけても一切の妥協を しない姿勢で製作を続けてきた。映画を完成させるため、どうか、みなさまの力を貸してください」

 クラウドファンディングの締め切りは9月末。ページはhttps://motion-gallery.net/projects/whalehunter3 まで。

 【プロフィル】石川梵(いしかわ・ぼん) 1960年生まれ、大分県出身。写真家、ノンフィクション作家。フランス通 信社 (AFP通信)のカメラマンを経て、90年よりフリー。これまで世界60カ国以上の国々で「大自然と人間の共生」をテーマに 撮影を重ねてきた。著書や写真集に「海人」(新潮社)「祈りの大地」(岩波書店)「The Day After 東日本 大震 災の記憶」(飛鳥新社)など。監督作品は2017年公開の「世界でいちばん美しい村」

  これが、日本の捕鯨の応援になるかどうかは分かりませんが、動物の命をいただくことを考えさせられそうです。牛は良 くて クジラは駄目という人達はどう捉えるのでしょうか。
2019年 9月 19日(木)   第1919回   ★天高く馬肥 ゆる秋
  ねずさんのお蔭で日本語の素晴らしさに気付か され ましたが、それまでは苦手だった古文や漢文がなくなって助かったと思ってました。
  ところが、そうして軽んじた為に勉強もしなかったので、今や古典も読めません。漢字も当用漢字で教育されているの で、昔 の字は殆ど読めません。
  これも、GHQの日本人劣化作戦の一つだったのでしょう。まんまとそれに乗って古典も読めない日本人になってしまい まし た。

  これも、やはり日本人が早く目を覚まして、日本語の素晴らしさを知ることが必要でしょう。特に最近の横文字の反乱な どは 便利でもあるだけに油断しているとKoreaのように漢字が読めなくなる時代が来るのじゃないかと心配です。

  ねずさんが、それ以上に奥の深い日本語について書いてくれています。それにしても、先人はこうした字を筆で書き、あ の叢 書を読んでいたことを考えるとその凄さに驚かされます。
  それも、教育次第なのでしょう。それを捨ててきた日本は何とも勿体ないtことをしたものです。

  何時ものように全文はリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月14日

  天高く 馬肥 ゆる秋    

  ・・・略

  なんでもそうですが、漢詩にせよ漢文にせよ英語にせよ、なんでもかんでも日本は劣っていて、何もかも余所の国から教 わっ たのだというように子供たちに教えたり、解釈したりすることは、間違っています。
そういうものは、情報操作に軽々と乗せられてしまった、あわれな思考にすぎません。

  漢字の他にカナがあり、漢字に訓読みがあるように、わたしたちの祖先は、もとからある大和言葉による日本 文化 という土壌の上 に、輸入語を日本風にアレンジして使って今に至っています。
昔も今も同じです。

 儒教における礼儀などもその典型で、儒教では礼儀はどこまでも君(上司)に対するものであるのに対し、日本では「礼」 とい う 字に「うやまう」という大和言葉に、あとから「礼」という字を充てています。
儒教では、礼は「上下の関係において、相手にはっきりとわかるように見せるもの=禮」ですが、日本では人と人とは対等な 存在 ですから、身分の上下に関わらず、相手に対して一定の礼をとろうとします。
ですから古くは、「礼」と書いて「うや(ゐや)」と読んでいました。
それが人を敬(うや)まい、尊重する、日本人の感覚です。

 似て異なるのが、漢字文化と日本文化です。
両者を混同するだけでなく、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するのだというように、そもそも物事を上下関係でしか捉 えよ うとしないということ自体が、日本的思想からは外れているのです。
これは特に戦後の文系学会の、大きなはき違いの最たるものであろうと思います。
あたりまえです。
文化に上下など、あろうはずがない。

 それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものが文化です。
地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その建築文化に違いがあるのは当然です。
内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取で きる 国では、食文化だって異なります。
要するに文化に上下などないのです。・・・以下略


  もう江戸時代の寺子屋のような教育を取り戻すのは無理かも知れませんが、少しでも良いものを取り戻したいものです。 戦前 までは、大部分が残っていたことを考えると出来ないことはないでしょう。
2019年 9月 18日(水)   第1918回   ★リーツェン の桜と日本人的生き方
  戦前の日本人って本当に素晴らしい方が多いで す ね。どう考えても今の日本人と同じ人達とは思えません。その差が大きすぎます。つまりは、教育とは、ここまで人間を堕落させ ることが出来るのですね。

  この話も、ねずさんが初めて教えてくれたものですが、何度読んでもやはり涙なくしては読めません。どうして、こんな 高潔 な人種が、ここまで劣化出来るのでしょうか。

  何時ものようにリンク元で、是非全文を読んでくさい。肥沼さんの素晴らしさも凄いですが、それを忘れずに伝えてくれ てい る現地の方達も素晴らしい。

  日本の為に戦ってくださった方達が祀られている靖国神社さえ参拝し無いどこやらの国の人達とは違います。 

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月13日

  リー ツェン の桜と日本人的生き方  

  ・・・略

 リーチェン市では、さらに毎年肥沼信次が亡くなった3月に、ドイツ、ポーランドの少年、少女たちの柔道大会が行われる こと になりました。
この大会は「肥沼記念杯」と名付けられ、数百人の参加者が試合前に彼の墓に花をささげます。
柔道着に身を包んだ少年少女たちが墓前に整列し、自分たちの祖父母を救ってくれた恩人の冥福を祈るのです。

少年少女が通う学校でも、肥沼信次医師の物語は、学校の授業で取り入れられ、人としての立派な生き方として紹介されてい ま す。

遠い異国の地で、肥沼信次博士は、自分の命と引き替えに多くのドイツ人の命を救いました。

彼は学者として優秀であっただけでなく、それ以上に人間として素晴らしい日本人でした。
医師として、患者救済の責任をはたし、人間として愛と倫理観を持ち、日本人としての勇気と正義を実践しました。

リーチェン市の人々の心の中には、肥沼信次の名は永遠に生き続けることでしょう。

最後にひとつ。
ヨーロッパやアメリカで、日本人がたいへんに尊敬されています。
これに対してコリアンたちが、日本人ばかりが尊敬されるのはおかしいと激しく騒ぎ立てています。
しかし日本人が尊敬されるのは、日本人が150年前の開国以来、外地において誠実であり続け、それぞれの国の人達に迷惑 をか けるとか、犯罪を犯すようなことをまったくしてこなかったからです。

これに対し、自分たちは人を騙し、重大犯罪を繰り返し、それでいて日本人と同じように尊敬されたいなどというのは、これ は履 き違えというものです。
日本人のように尊敬されたいのなら、まずは自分たちから襟を正して他所の国にレーダー照射をしたり、フッカガスを横流し した り、他国の悪口を言うのではなく、しっかりとした国作りをしていく。それはあまりにも当然のことです。

現代日本人も同じです。
天変地異が起こっても、米国と同じだった日本人の個人所得額が米国の3分の1になっても、相変わらず対立と闘争を繰り返 し、 自ら恥じることもないようなことでは、世界から日本も韓国も同じだと思われても仕方がないのです。

襟を正す。
誠実に生きる。
このことの大切さを、あらためて考えていく必要があると思います。



  それにしても、人間ってここまで高潔になれるんですね。そんな肩たちを大勢育てた戦前の教育を取戻したいものです。
2019年 9月 17日(火)   第1917回   ★日頃から災害に備えるのが日本の根幹
  最悪の平成よりもっと悪くなるのじゃないかと 心配 した令和ですが、5月以後、大災害こそまだないですが、小さな災害は連続しているように思えて仕方ありません。
  現地の人達にしたら小さななんて言ったら激怒されるでしょうが、その災害さえ復旧にモタモタしているようです。
  やはり、平成になってから公共設備などへの予算が十分でなかったことがここに来て思った以上の被害を被るようになっ てい るようです。

  何時ものねずさんが、災害に備えることが日本の根幹であると書いてくれています。今の政治家にこの視点を持った人は 殆ど いないのじゃないでしょうか。
  そうでなければ、原発問題を放置したり、大雨で直ぐに洪水や山崩れがこれ程多くないのじゃないでしょうか。

  是非、何時ものようにリンク元で全文を読んでください。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月12日

  日頃か ら災 害に備えるのが日本の根幹

  ・・・略

 そもそも関東大震災のときの死者は14万人です。
けれど、関東には、江戸時代に同規模の地震が再三襲ってきていますが、死者は1万人です。
人口は、江戸時代も大正時代も同じです。
しかも江戸時代の家屋は、すべてが木造です。
にもかかわらず、江戸時代の震災での死者数が14分の1でしかなかったのは、日頃からの人災を含めた災害対策が、きちん とで きていた時代と、そうでない時代の違いなのです。

  さらにいえば、この数年間、馬鹿な野党(あえてそう呼ばせていただきます)のモリだのカケだのという、ど うで もいいようなく だらない議論のために国会が空転しましたが、その間に、送電線の要らない電力送信方法が、新たな技術として、わが国で開発さ れているのです。

 もし、わけのわからない不毛の議論をしている間に、科学技術の力によって、わが国が早々に「災害に強い日本を築くため の政 策」のためにと用意された200兆円の予算を用いて対策を講じていたら、今回の停電も回避できた可能性もあるのです。

 その200兆円も、野党の事業仕分けという、わが国の歴史上最悪の他国のスパイによる売名行為(笑)によって、お陀仏 とな り ました。
他所の国の人には、わが国の天然の災害の怖さはわからないのです。
なにせ彼ら彼女らの国には、天災がない。
天災がなくて、人災ばかりの歴史を刻んできた国です。
日本のことなどわかろうはずもない。

 あらためて申し上げます。
日本は、古来、「災害対策国家」です。
いざというときのために、平時に全力で備えを完備していく。
それができない、わからない政治家は、日本には要らないのです。


  この災害が日本人を育ててくれたと考えれば、公共投資を今のような予算に抑え込むなんてことは出来無いでしょう。
2019年 9月 16日(月)   第1916回   ★台風15号の教訓〜やっぱり原発が良い
  台風15号の爪痕が想像以上に大きいようで す。千 葉県では停電が長期に渡り地元の方達は大変な思いをされているようです。

  これも、北海道の地震の時の停電に繋がるものがあるようです。

  高山さんが、やはり原発が必要と語ってくれています。それにしても、安倍政権の原発放置はどうしたのでしょう。

  葛城さんの『海の鎮守の森』は、この部屋でも取上げた、以前から取り組まれている海の復活問題です。


  それにしても、財務省の公共工事の邪魔は、どんどん影響が大きくなってきているように思えます。日本列島の脆弱さが 露に なってきています。 
2019年 9月 15日(日)   第1915回   ★男言葉、女言葉
  このところ、あのおかしなお辞儀コンスの蔓延 が収 まらないことを何度かとりあげましたが、どうやらKoreaの日本の文化破壊の魔の手が、2016年09月08日、第 812回の 「★ 男言葉、女言葉」でも取上げた言葉にもおよんでいるようです。

  ねずさんが、取り上げてくれています。まさか、こんなところまでと油断していました。こうなると、最近のおかしな言 葉使 いにも魔の手は延びているのかも。

  とこういうところにまで手が伸びるは、やはり日本人が歴史を蔑ろにし、礼儀や言葉を大事にしなくなったことにも付け 込ま れる原因があることも間違いなさそうです。
  やはり、きちんとした歴史教育がひつようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりご とより     2016 年09月01日

    男 言葉、女言葉

  ・・・略

 要するになぜこのような言葉の性差が生まれたかというと、これがまた実に日本的です。
日本では、男も女も、あるいは武士町人も、すべては人として互いに対等な存在です。
人として対等な中で互いの役割を果たしていこうとします。

  ですから、兄弟であれば、弟は「◯夫」と呼び捨てにされますが、兄は常に「お兄ちゃん」と呼ばれます。
人としては対等ですが、兄には兄としての役割を果すための自覚が常に求められるからです。

 これと同じで、男は男としての、女は女として、互いの特徴を活かして、子や孫たちが幸せに暮らせるようにしていく。
そのために、「男は男らしく、女は女らしく」と育てられたのです。
そしてこのことがあるから、男女の言葉の違いも生まれてきたわけです。

 こうしたことは、人々が奴隷として支配され、収奪されているだけの社会には、絶対に育まれません。
人として対等だから、意図して役割語が育まれるのです。
上下と支配、支配と隷属の関係だけなら、役割語は不要です。
なぜなら、命令には服従しかなく、そこに言葉上の役割語は必要ないからです。
言うことを聞かなければ、殺すだけです。
まして、男言葉、女言葉など、まるで必要性がない。

 歴史的にないから、日本語に性差があるということが理解できない。
だから、日本語にも必要が無いのではないかと、彼らの文化(といえるのかどうかは知りませんが)をゴリ押しする。
そしてそういうものが、いつのまにかクリエイティブだと、すり替えが行われています。

 とんでもない話です。
それは、コリエイティブであって、クリエイティブとは対極にあるただの「文化痴呆」です。
その結果、番組中の男言葉、女言葉が、完全に崩壊してしまっています。

 テレビは、一面において、文化の担い手でもあります。
そのテレビが、日本の文化をまるで理解しようとせず、むしろ日本文化の破壊に一役買っているということは、これはあって はな らないことです。

 男言葉で喋らせたら、せっかくの美しい女優さんも台無しです。
美しい女性には、美しい言葉が似合うのです。

 テレビ局の経営陣には、もっとしっかりしていただきたいと思います。
ちなみに、ウチの孫が行く小学校では、親が大金持ちでとびきり成績の良い子供たちの家には、テレビ自体が置かれてないそ うで す。
ほぼ在日の方のお宅なのですが。・・・以下略



  コンスもテレビから広まったように、言葉もやられているのですね。反日売国左翼・在日マスメディア、特にテレビ極に うよ うよしている在日を一掃する必要がありそうです。
2019年 9月 14日(土)   第1914回   ★ヘレン・ケラーと中村久子
  リベラリストが民主主義を利用してやりたい放 題 で、世界を息苦しくしていることに本当に腹が立ちます。そんな行き過ぎた民主主義が壊してきたのが日本の先人が築き上げてき た文化でしょう。

  特に考えさせられるのが身障者の扱いです。これも戦後教育の所為でしょう。これに、もしかしたら間違っているのじゃ ない かと気が付いたのは、あの「五体不満足」を書いた乙武洋匡さんを知ってからです。
  この時程、自分の子育てへの無関心を恥じたことはなかったですね。つまりは、五体満足の子供さえ満足に育てられな かった 不甲斐なさを思い知らされたものです。
  その乙武さんも、浮気問題などで人気を落として苦労されているようですが、めげてないように思えるのが凄いところで す。

  ところが、日本は、それが当たり前の世界だったようです。これも、ねずさんに教えてもらったのですが、最初に読んだ 時は 衝撃でした。
  やはり、昔の日本人は凄かったと改めて考えさせられました。社会が貧乏だったから今のように福祉なんて言ってられな かっ たこともあるでしょうが、それにしても素晴らしい考えだったと言えるでしょう。

  何時ものようにリンク元で全文を読んでください。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月09日

  ヘレ ン・ケ ラーと中村久子

   ・・・略
 
  中村久子さんの言葉です。

「『無手無足』は、
 私が仏様から賜った身体です。
 この身体があることで、
 私は生かされている
 喜びと尊さを感じています」

「人は肉体のみで
 生きているのはありません。
 人は心で生きています。」

「人の命は、
 つくづく不思議なものです。
 確かなことは
 『自分で生きているのではない、
  生かされているのだ』
 ということです。
 どんなところにも必ず
 生かされていく道がある。
 すなわち人生に絶望なし。
 いかなる人生にも
 決して絶望はありません。」

昭和43(1968)年3月19日、中村久子さんは、脳溢血のため、高山市天満町の自宅でお亡くなりになりました。享年 72 歳でした。・・・中略

 障害者だからといって甘えない。
むしろ障害があるからこそ、魂を鍛えて凛々しく障害をまっとうする。
そういう勁(つよ)さを持つことを、障害者であれ健常者であれ、ともに大切にしてきたのが日本人であり日本の社会だった ので す。・・・以下略


  やはり、行き過ぎた民主主義を考えずにはいられません。甘やかしが何も齎さず、却って自体を悪くすることは、今や日 本人 がKoreaを見て身に染みているのじゃないでしょうか。
2019年 9月 13日(金)   第1913回   ★ラモウ守備 隊玉砕の日
  何にも知らずに、日本兵は残虐だったと洗脳さ れて いましたが、それを解いてくれたのはなんといってもねずさんです。
  日本の兵隊さんが、これ程に凄い人達だったことを知り、自分の軟弱さと比べて恥じ入るばかりです。そんな世界一の軍 人さ ん達に対する現代の日本人の冷たさは洗脳の為とはいえ、ネットなどで情報が見れるようになった今、もっと目覚める人が増えて ほしいものです。

  今回も、毎年書いてくれているラモウの玉砕の話ですが、何度読んでも申し訳ない思いで一杯です。遺骨も放置したまま だ し、靖国にも参拝しない日本は最低の国でしょう。日本人よ恥を知れ。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。のうのうと生きているのが恥ずかしい。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月08日

  ラモウ 守備 隊玉砕の日

  ・・・略

  こうして拉孟の戦いは終わりました。
遠く異境の地で、こうして果てて行った日本人がいます。
彼らは、間違いなく、わたしたちと血のつながった父祖たちです。

 世界中どこの国でも、こうして勇敢に戦った将兵は、国家として、民族として、そして「人として」、感謝し、顕彰してい ま す。
けれど日本だけが、それを止めた。
それどころか、伝えることさえもしていません。
どうなんでしょう。
それは人として、国として、許されることなのでしょうか。

 もうひとつ、拉孟(ラモウ)には、特要員と呼ばれた女性が20名いました。
熊本県天草出身が15名、朝鮮半島出身者が5名です。
特要員というのは、要するに売春婦です。
戦いが始まる前に、金光隊長は、彼女たちに拉孟(ラモウ)からの脱出を命じました。
しかし、日本人女性15人は、拉孟に残ると言って聞かない。
脱出したのは、朝鮮人女性5人だけでした。

 その中の一人が後年、NHKと朝日のやらせの「女性国際戦犯法廷」で、後年、「日本兵の自決の巻き添えになるのを恐 れ、逃 げ 出した」、「私たちは置き去りにされた」と証言しました。

 このことについて、この戦いの記事を靖国神社の会報に寄稿した桜林美佐さんは、次のように書いています。

*****
 「逃げた」のか、「逃した」のか、その論議はあまりにも虚しい。
ただ、彼女たちを死なせなかった元「慰安婦」を含む守備隊兵士たちの「優しさ」に敬意を表するのみであり、また彼等の慈 悲を 踏みにじるような所業には、怒りを通り越し、憐れみすら感じてしまう。
守備隊と共に戦い、玉砕した女性たちは、そのとき既に「慰安婦」としてではなく、まさに「兵士」として最期を迎えたので あ り、彼女たちは靖国に祀られたいと願ったのではないか、という思いが頭をよぎる」

 そして、桜林美佐さんは、さらに次のように続けます。
「『この戦闘の様子は誰が伝えるのだ』この金光隊長の言葉が六十年を過ぎた今でも、私には聞こえるような気がするのであ る。
 遠く雲南省の果てに、今なお守備隊兵士は孤立し、残されたままだ。
金光は、この拉孟守備隊の真実を「遺族」に伝えることを望んだが、それはまさに私たちを指しているに他ならない。
何故なら一億二千万の国民全てが「遺族」であると、私は考えているからだ。
彼等が戦いぶりを「伝え」「残したい」と熱望した、「遺族」である我々日本人の頭の中に、「拉孟」の「ら」の字もあるだ ろう か。
 私たちは骨も拾わず、感謝もせず、ただ忘れるばかりの日本人ではなかったか。
『古い上着』の内ポケットに忘れてきた『最も大切なもの』は、『英霊への想い』なのではないかと、私は思うのである。」
***** ・・・以下略



  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」としか言い様がないですね。あの高潔だった日本人がここまで劣化するのですから嘘の教育や報道の恐ろしさを思わずにはいられません。
2019年 9月 12日(木)   第1912回   ★武田勝頼の妻と魂
  ねずさんの百人一首に出会うまで、和歌には全 く興 味がありませんでしたが、あの本を読んで、こんな素晴らしい日本の伝統に興味も持たず、ましてや詠むこともせずにきた情けな い人生を悔やみました。だからといって、一念発起で始めようともしないのが私の限界でしょう。全く、情けない。

  そんな情けなさを又しても思い知らされました。題が「武田勝頼の妻と魂」だったので、何だ、勝頼の話題かと半ば見下 して いました。
  ところが、最後にその妻が19歳と言うのを読んで、衝撃を受けました。なんという教養でしょう。昔の日本人はここま で勉 強していたのかと恥ずかしくなりました。

  やはり、日本の教育を一日も早く再生する必要があります。文科省に任せていたら日本人はどんどんバカになって行くで しょ う。つまりは、奴等は日本の消滅を目座しているのは間違い無さそうです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。
  

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月07日

  武田勝 頼の 妻と魂

  ・・・略
 「玉の緒」というのは、魂の緒のことです。
 魂は紐で肉体とつながっていると考えられていましたから、玉の緒が離れることは、死を意味します。
露と消える玉の緒であっても、ひとつの思いは消えることはない。
その消えない思いというのが、夫である勝頼と、今生では乱れた黒髪のような乱世を生きることに成ってしまったけれど、 きっと 來世、平和な時代に生まれて、一緒に仲良く、長く一緒に暮らしましょうね。
というのが、この歌の意味です。

 そして「黒髪の乱れる」は、和泉式部の歌から本歌取り。
「玉の緒」は式子内親王の歌から本歌取りしています。
前者は、死んでも恋し続ける想いを、後者は平和を願う歌です。
このとき勝頼の妻、わずか19歳。・・・以下略


  やはり、寺子屋を復活すべきじゃないでしょうか。世界一の教育システムをここまで劣化させた戦後の罪は重すぎます。
2019年 9月 11日(水)   第1911回  ★クジラと生き る いただきます
  NHKも以前はまともだったようです。 take5さんが素晴らしい動画をアップしてくれています。

  この太地町の漁師の方々の声を聞いて、それでも捕鯨を非難できる人は、食事はしないでください。それが、出来る方に は責 める権利もあるでしょう。
  こちらはNHKじゃないようです。

  もしこれでも捕鯨に反対で、牛や豚などを食べる方達には屠殺の現場を見てもら いたいものです。その屠殺に携わっている方々を非難出きるのなら捕鯨も責めれば良いでしょう。
  実際にそうした仕事に携わっている方達には感謝しかないでしょう。そのお陰で美味しい肉が食べられるのですか ら。

  それでも批判する方達はアマゾンの火事が牛の餌を栽培するためだというこ とも責めるべきでしょう。
2019年 9月 10日(火)   第1910回  ★集団の場合、問題解決のための最終選択は、常に拡大です。
  日本に税金を払わないアマゾンですが、何故あ れ程 に急激に成長したのかには興味がありました。設立当時はネット販売は配送のコスト問題を解決出来ない限り成長は無理だろうと 思ってました。
  ところが、そんな問題はなかったかのようにあっという間に成長してしまいました。

  ねずさんがそんなアマゾンを話題に取り上げてくれています。何と、本論は「梵字に親しむ」ですが、珍しくというか初 めて 話題が横にそれてしまったようです。
  そのそれた話題がアマゾンの成長であり、その成長を横目に何故日本が成長しなかったを教えてくれています。

  それは、企業が投資を恐れたことにあるようです。やはり、ここにも経営者の劣化が表れているようです。

  と言うことで、今日はリンク元も短いものです。

   ねずさんのひとりご とより     2019 年09月06日 
  
  梵字に 親し む 安田梵字教室

  ・・・略

  ちなみにこの本、Amazonの「オンデマンド (ペーパーバック)」という形式での書籍になります。
この「オンデマンド (ペーパーバック)」というのは、本の内容データだけAmazonが保有し、注文がはいると都度Amazonが一冊一冊印刷して、購入者に送るという新し いシステムです。
この方式ですと、すべてコンピューター管理で受注→印刷→発送までができてしまうので、バカでかい倉庫も、要員もいら ず、ま たすでに絶版になっている本でも、入手し、読むことができます。
その代わり本はすべてペーパーバックで、表紙のカバーとかはありませんし、ハードカバーの本もありません。

 ゆくゆくは将来的に、本はすべて電子レベル化していくと言われていますが、現段階ではどうしても紙媒体で本を読みたい とい う ニーズがあり、これに答えてAmazonが開始したのが、この「オンデマンド (ペーパーバック)」サービスです。
おかげで、私の百人一首の本も、Amazonの「オンデマンド (ペーパーバック)」でお求めいただけるようになりました。

 しかし、この手のサービスを、外資のAmazonにすべて奪われてしまったということは、日本としてはだらしのないこ とで す。
おそらくこのシステムを開発し、提供したのは、日本の企業だろうと思います。
けれど、それを受け入れることができた企業が、米国のAmazonだったということです。
日本企業にこれができなかったことは、たいへん残念に思います。

 Amazonが米国で法人登記したのは、1997年のことです。まだわずか23年しか経っていません。
同じ時期に米国ではたくさんのIT企業が創業され、通販サイトも雨後の筍のように登場しました。
そしてそのほとんどすべてが倒産していきました。

 Amazonは、そうしたIT企業の中で、もっとも成長が遅く、投資家からも5年は利益を出せないであろうと言われ た、い わ ば成長性のもっとも低い会社として世の中に出ています。
その代わり、もっとも先進的かつ安全な通販サイトを構築するとされました。
結果、大成功を歌われた通販サイトが次々と倒産するなか、もっとも成長が鈍いと酷評されていたAmazonが、いまや世 界の Amazonになったわけです。
ちなみにAmazonの本拠はシアトルで、シアトルのオフィスの20%以上が、いまやAmazonの事務所なのだそうで す。

 Amazonが設立されたのと同じ時期、日本はリーマンショックがあり、いわゆる金融不況に陥りました。
金融機関がバタバタと倒産し、国内が猛烈な不況に陥る中、いまになって振り返ってみれば、当時政府がやっていたことは、 日本 国内に蓄積された富を、次々に外国に移転することでした。
富が移転するということは、それだけ日本国内が貧しくなるということです。
そして、日本中で、政治も経済も、叩きあい、つぶしあいが行われました。

 問題を解決する方法は、個人の場合と法人や国家規模など大きな集団の場合では、180度異なります。
個人の場合、問題解決のための最終選択は、常に撤退です。
集団の場合、問題解決のための最終選択は、常に拡大です。

 どういうことかというと、集団における問題解決は、かならず経済的優位・・・つまりお金がものをいうからです。
これは要するに、集団の場合、資金がなければ何も解決できないことを意味します。
叩いて資金を枯渇させれば、問題は実はますます拡大していきます。
逆に、官民をあげて潤沢な利益の確保に乗り出せば、いまある問題は100%必ず解決します。・・・以下略

 
  企業も財務省も失敗を恐れて投資をしなかったことが、ここまで日本経済を停滞させたということでしょう。
2019年 9月 9日(月)   第1909回   ★菅原道真はなぜ遣唐使廃止を建言したのに失脚したのか
  菅原道真公が我が坂出に縁が深い方であるのは 辛う じて知っていましたが、お恥ずかしい事に何をされたかは殆ど知りませんでした。
  これも、ねずさんに教えてもらったのですが、何と、遣唐使を廃止されたという今の日本がやるべきことをやってくれて いた のです。

  その当たりは、2018年12月8日、第 1634回の「★ 日本の三大怨霊の二人が坂出に縁あり」等でも取上げています。

  宮崎さんが、その道真公の本を書評で紹介してくれています。驚くのが、今までは遣唐使の廃止で失脚したと言われてい たの が、何と思わぬ原因だったとの説です。

  宮崎正弘の国際 ニュース・ 早読みより 令和元年(2019)9月4日(水曜日)弐 通算第6185号

  書評 

  菅 原道 真はなぜ遣唐使廃止を建言したのに失脚したのか
   太宰府での禊ぎ、怨念は天変地異をもたらしたという伝説

  松本徹『六 道往還記、天神の道・菅原道真』(鼎書房)

 松本徹全集第五巻である。この巻に納まった作品のなかで、前者の『六道往還記』については、嘗て小覧で紹介した。
したがって本稿では、菅原道真に絞ってみたい。
 評者(宮?)が小学、中学の頃、学生服着用だったが、かならず「管公」か、「楠公」ブランドだった。管公は学問の神 様、楠 公は日本武士道の象徴。それほど親しまれた。楠公像は皇居前広場にあり、神戸へ行けば湊川神社に祀られている。
 菅原道真を祭る神社と言えば、京都の北野天満宮だけではない。天神という地名も、天満宮も日本中にある。評者の街のな かに も天満宮があり、受験シーズンとなると境内に合格祈願の絵馬が溢れだす。全国に天満宮は無数、総本山は京である。
それほど尊敬を集めている歴史上の英雄であるのに、菅原道真の人となり、その作品を知る人はそれほど多くはない。
 道真は第一に文章の達人であった。漢詩をこよなく愛し、作詩する一方で、和歌にも大きな足跡を残した。
漢詩と和歌の天才というのは、その唐風にあきたらず和風に力点を置きつつバランスを取ったという意味だけではない。しか し道 真は和歌の天才歌人として、現代に伝えられている。漢詩も多く残したという側面を知らない人が多い。
当時の日本の文化、芸術、言語的環境は、唐風に染まっていた。いまの日本で言えばグローバリズムに染まっているような他 律的 精神環境があった。
古事記、日本書紀は漢字で書かれているが、古事記は大和言葉を、漢字を借用しているのに対して日本書紀は最初から漢文、 中国 語である。
 ひらかな、カタカナの発明は道真の後の時代である。
 松本氏はこう書く。
 「この時代、公の文書はあくまで漢文であり、政務を公事たらしめる要の役割を担っていた。漢字という異国の文字を綴っ て文 章とすることが、この国の政治的体制を築き、定め、かつ、動かすことに直結していた」(239p)。
 変化が起きた。日本文化、文学の変容だった。
 「宇多天皇の関心は、漢詩から離れることはなかったが、唐風一色の朝廷の在り方に飽きたらぬものを覚え、かつ、後宮の 女た ちの好みの変化をうけて、この国土に根差した、より自らの感覚に添った催しや歌に関心を向けるようになっていた。それに対し て道真は、讃岐での日々における自らの『詩興』の変化を自覚して、その展開を考えながら、適確に応じて行ったと、と捉え てよ かろう」(253p)

 そして遣唐使廃止の建言に至る心境、芸域の変化を下記のようにまとめられる。
 前提として宮廷の文化的感覚の変化、服装、装飾から絵巻もの、角張ったものをさけ、きつい色彩を遠ざけ、「なよやかな 優美 さを追求するようになっていた」。
ゆえに、「このような変化を公式に、きちんと認めるのに、遣唐使の廃止決定ほど相応しいものはなかったろう。(中略)こ れは 或る意味では、道真自身が拠って立つところを、自ら掘り崩す方向へ時代を導くことでもあったのも確かであった」(266p)

 道真の失脚は、遣唐使廃止が原因ではなかった。
あまりに顕然と出世しすぎたことが、ライバル達の嫉妬を倍加させ、加速させ、讒言を呼び込んだと考えられる。
 令和日本の現代。太宰府にある天満宮は参道に人が溢れるが、驚くことに多くが中国人ツアーである。遣唐使を廃止した日 本の 英雄を、なぜ中国人が拝みに来るのか訝しい現象だ。まして日本の神道の意味もわからずに、名所だから立ち寄って、要するに土 産を買うのが目的である。
太宰府政庁跡にも観光客が溢れだした。日頃、観光コースから外れた場所であり、地面があるだけで、訪れる人が少ない、と いう よりいない。政庁跡地という看板と、柱の跡くらいしか残っていないからである(ただし菅原道真は太宰府に「左遷」され、蟄居 を命じられていたため、政庁にも通ってはいない)。

 さて道真の出生地と伝承される場所は六つも七つもある。「ここが管公生誕地だ」という伝説となった土地があり、じつは 特定 されていない。
 松本氏はまず、出生地伝説の土地をたずねる。この作品は旅日誌風であり、ともかく菅原道真が辿ったすべてを巡礼の如 く、思 いを込めて巡るのである。果てしなく歩き、その現場にたって、土地の風を、土地の匂いを、そして土地の人々の会話を通じて、 一歩でも実相に近付こうという、一種ルポルタージェ技法を用いての、道真論である。
 出生地から、京都での自宅跡地、讃岐赴任時の旅路、讃岐の住まい。そして太宰府に左遷となって船で瀬戸内海を各地に寄 港し ながら尾道、防府と一ヶ月かけた失意の旅の跡を、克明にたどりながら、松本氏は残された歌を思い出し、解釈し直し、そのとき の道真の心境に迫ろうとする。まさに意欲的な労作である。文学論でもありながら、この本は評伝の域を超えた歴史志操を中 軸に 置いている。思想ではない、「志操」である。
 道真の生涯は、言ってみれば志操で一貫した。
幼きときから文章の才能を見出されて天皇の側近として政治にかかわりながらも、俗世の出世、嫉妬、派閥争いには恬淡とし て距 離を置き、だからこそ疎まれ、嫉妬され、讒言された。
ところが道真は百年後には神となり、天皇が参拝に行くことになった。

  出世の早すぎを嫉妬されたとは、流石日本人らしい情けない理由ですね。これはありそうですね。出生地が分からないと いう のも知りませんでした。と言うか、相変わらず何にも知らないことを思い知らされます。

 ところで、坂出の天神さんはお祭りは坂出の三大祭りとして八幡さん・塩釜さんと並び天神さんとして子供の頃には良く 行った ものです。ところが、坂出駅から真北に1キロ程度という絶好の場所にあるのですが、道が狭いし、社も小さいので目立ちませ ん。
  坂出に縁のある天神様を太宰府や京都並とは言いませんがもう少し壮大なものにしたいものです。
2019年 9月 8日(日)   第1908回   ★日本文化滅亡論 国語の崩壊 「論理国語」
  文化省の酷さを、 5日、第 1905回の「★どうしてこんな日本に?これでいいのか?文科省 」で、取り上げ正しい国家観と歴史観を持たない者達が教育に携わる恐ろしさに、もう日本再生は無理なのじゃないかとがっかりさせられました。

  その討論で気になっていたのが「論理国語」という言葉です。と言いながら、何時ものように調べることもなく忘れてい たの ですが、【頑固亭異聞】で、富岡さんが詳しく報告してくれました。

  何と、契約書などを読む国語だそうです。そんな科目を作ることで、文学や古典などが蔑ろにされようとしているようで す。

  全く、文科省は日本の文化を壊すことしかしていないようです。やはり、文科省は解体ですね。   

【頑固 亭異聞】日本文化滅亡論[桜R1/9/3]

  やはり、政治家や官僚への歴史教育が急がれます。
2019年 9月 7日(土)   第1907回   ★ルサンチマンのビジネス  竹中
  この部屋でも何度も書いていますが、安倍さん が何 故竹中平蔵を切らないのかが理解で来ません。もしかしたら、安倍さんは竹中を本当に評価しているのでしょうか。もしそうで あったら裏切られた気持ちです。それとも、やはり何か裏があるのでしょうか。

  どう考えても、奴が日本の為に働いているとは思えません。アメリカの指令で、日本的経営を潰し、非正規社員なるおか しな システムを持ち込み日本企業をここまで劣化させたのは奴でしょう。

  そんな竹中が齎した今の日本を、三橋貴明さんがルサンチマンビジネスと喝破しています。


  それにしても、公務員もボロボロにされていますね。派遣社員がそれ程の割合を占めているとは思ってもいませんでし た。
  これじゃあ、日本人が元気が出ないはずです。儲けているのは竹中等の派遣会社だけでしょうか。早く何とかしないと日 本は 本当に消滅しそうです。

  安倍さん分かってますか。
2019年 9月 6日(金)   第1906回   ★白人支配の400年が終わり日本の力が試される時代へ
  相変わらず日下公人さんの日本礼賛の話は見て いて 嬉しくなります。正直、今の日本人が日下さんの言われるようになるとは思えない部分もありますが、それでもその可能性がある というのは希望が沸きます。

  これに気が付いてないのが政・官・財・マスメディア等日本を導くべき人達というのが何とも情けないですが、これも先 生の 言う通り自虐史観を信じている優等生の弱点かもしれません。

  日本人が自虐史観から目覚めて初めて世界に認められる国になるのでしょう。それは何時の事でしょう。それとも、その 前に 消滅するか。


  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」ですね。そんな日が来るでしょうか。
2019年 9月 5日(木)   第1905回   ★どうしてこんな日本に?これでいいのか?文科省
  週末恒例の『討論』は、教育問題でした。見て い て、想像以上に危機的状況であることを思い知らされました。戦後の事なかれ主義と先送りがここまで教育を駄目にしたのでしょ う。

  改革は急がれますが、やはり、今の状態では何から手をつけても場当たり的なもので根本的な改革には繋がらないように 思え ます。

  やはり、日本人全てが正しい国家観と歴史観を身につけないと不可能でしょう。となると、これも教育からですから、結 局は 追いかけっこです。

  まずは、文科省の教育から始める必要がありそうです。今の状態でおかしな行政をやられたのでは教育は劣化するばかり で す。
  これは、やはりねずさんのような民間の方達による集中講義から始めるべきですね。と言うか、政・官・財など全てから 始め ないとどうにもならないでしょう。

  それを、決めるべき政治家家の体たらくを見るともう不可能なのかも知れません。

  それにしても、世界一素晴らしい教育方式を作り出してくれた先人の努力も戦後の70年でここまで劣化するとは、やは り教 育は恐ろしいですね。
  立て直すには、やはり同じ年数を覚悟しなければならないのかも。
2019年 9月 4日(水)   第1904回   ★日本から見放される韓国は、神々から見放される日本の鏡か
  Koreaが自滅して行くのを楽しませても らって いますが、その姿はどうしても今の日本が辿っているように思えてしかたありません。
  と言うのも、戦後の日本の劣化は自虐史観の所為もありますが、日本に住み着いたKorean の企業経営に影響されて先人が築き上げてきた素晴らしい日本的経営をどんどん捨ててきているからです。

  そんな現状を、ねずさんが神々から見離されていると書いてくれています。なる程、納得が行くものがあります。これだ け劣 化した日本を八百万の神々が見放すのは当然じゃないデしょうか。
  やはり、最低の平成より悪い令和の始まりじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

    ねずさんのひとりご とより     2019 年08月31日

   日 本から見放される韓国は、神々から見放される日本の鏡か

    ・・・略

  日本人が、そうした神々に感謝の心を持ち、一生懸命努力をして瓦礫を片付け、家を建て、食料を生産し、一生懸命真面 目に 勉強し、体を動かし、努力を重ねることで、神々は日本人に世界最先端となる技術を次々に降ろしてくださり、結果日本は、未曾 有の大発展をすることができたし、終戦からわずか19年で、東京で世界のオリンピックを開催できるまでになりました。
その後も高度成長を続け、ついには世界第二位の経済大国にまでのしあがりました。
個人所得も、1995年には、日本は個人所得でも完全に米国に追いつくに至りました。

 しかしその日本は、高度成長ができたのは、自分たち人間の努力のせいだと思い込み、神々に感謝するどころか、お伊勢様 に迫 撃砲を撃ち込み、式年遷宮があっても政府が1円のお金を出すこともなく、宗教という言葉ができたのは、幕末の頃でしかないの に、何千年も前からある日本の神々を、宗教という名で、いかがわしい新興宗教と同じ扱いにし、都市部の神社は壊されてビ ルや マンションが建てられたりする有様となりました。

 英霊を祀る靖国神社の神池に、どこぞの半島人が小便を垂れ、トイレに爆弾を仕掛けて爆発させても、政府はまるで動こう とし ない。
結局のところ、1億みんなが「自分さえ良ければ」と、神々に対して無礼で傲慢な態度を取り続け、結果、農地は次々と失わ れ、 家族の絆は薄れ、ついには親子の絆さえも薄れていく状況を作っていきました。

 神々はそんな日本に、再三にわたって地震や巨大台風などの災害を通じて警告を発しました。
けれど日本人は、謙虚に自らの姿勢を反省することなく、ただの災害被害者を決め込むだけでした。
他所の国から、馬鹿にされても、自分さえ良ければ知らん顔。
それどころか、そういう他所の国に金を渡して見返りを求めるという厚かましさです。・・・以下略  


  国を守る為に命を捨ててくださった方々が祀られる靖国を総理大臣以下閣僚が参拝しないなんて八百万の神々が許す訳な いで すね。こんな恥知らずは無いでしょう。国が滅びて当然でしょう。
2019年 9月 3日(火)   第1903回   ★この期に及んで、チャイナフェスティバル・韓国祭り
  何と、この期に及んで、Chinaや Koreaと の交流イベントが行われるそうです。何を考えているのかと思ってたら、ChinaやKoreaの事を考えている下僕達が関係 しているようです。

  大高美貴さんが、「虎ノ門ニュース」で怒りを込めて報告してくれています。それにしても、何とも恥知らずな奴等のオ ンパ レードです。
  これ程までに恥を晒しても何ともないということは、それ以上の恥を掴まれているということじゃないでしょうか。そう とで も考えないと理解できません。それにしても、本当に可哀想な人達です。
【河村建夫と毎日新聞】大高未貴「日韓祭りの旗を振っているのが日韓議 連の河村建夫。2002年から開始の日中韓子ども童話交流も河村建夫さんが音頭。百人位の子どもが集まって絵本を作 る活動をやっている。予算は約16,600万円の税金で賄われ毎日新聞に丸投げされている」
  この人達は、一生恥を隠して生きて行くのでしょう。一瞬の油断で人生を捨てた人達と言えるのかも。
2019年 9月 2日(月)   第1902回   ★ある町の高い煙突
  上島・浅野コンビの【Front Japan 桜】で、お二人がそれぞれ興味深い問題を語ってくれています。

  上島さんは、アジアの良友として台湾を指摘し、日本の政治の卑怯さを語ってくれています。と言うか、大事な台湾を腰 の引 けた対応で放置していることの情けなさです。

  浅野さんが後半で取り上げてくれた映画「ある町の高い煙突」は、明治に公害問題と会社と住民が協力して戦って世界一 の煙 突を建てたという我が先人の素晴らしさを描いたものだそうです。

  こういう話を聞くと、どうしても、今の産業界と比較してしまいます。金が全ての現代の経営者に観て貰いたい映画です が、 観ても何の感動も持たない人達だったりして。

2019年 9月 1日(日)   第1901回   ★動き出した日本のサイバー防衛

   
福島・葛城さんの今回の【Front Japan 桜】は、日本にとっては大変な危機もんだいでした。

  福島さんは、中露の接近を詳しく報告してくれています。どうやら嫌な転回になっているようです。これは注意しな くてはな らないでしょう。

  後半の葛城さんの報告によると、サイバー防衛の余りの貧弱振りに背筋が寒くなるものがあります。ところが、今の 憲法の元 では手の打ち様がないのだそうです。
  つまりは、現憲法下の自衛隊のポジティブリストに縛られる状況では、法や予算など多くの壁があってどうにもなら ないよう です。
  憲法改正で、ネガティブリストによる動きが出来るようになると軍の内部で予算も人員も使えるので何とか対応出来 るように なるということです。

  やはり、憲法改正が急がれます。

  それにしても、政治家の覚悟の無さに呆れるしかないですが、それも、国民が選んだ平和ボケ議員の故。

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平成29年 1
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平成30年 1
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平成31年 1
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平成25年









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平成26年
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平成27年
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平成28年 1
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平成29年 1
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平成30年 1
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