誇れる日本67


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2019 年 11月 30日(土)   第1991回  ★奇跡の将 軍・樋口季一郎陸軍中将に学ぶ
  この樋口一 郎さ んもねずさんのところで知りました。オトポールだけでも凄いのに、キスカに占守島までとは、正に奇跡の将軍ですね。
  こうやって見ると、日本軍の現場現場には素晴らしい将軍がおられたようですが、その上が駄目だったようにも思えま す。
  それにしても、先人には素晴らしい人達が百花繚乱です。これも、教育のお陰でしょうか。

  一番凄いのは、こうした方達は戦後、俺が俺がの人がいないことです。この凄みこそ日本人なのかも知れません。それに 比べ て、何と軽い国会議員を筆頭とした現代日本人であることか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。  

  ねずさんのひとりごとより   2019 年 11月23日

  奇跡の 将 軍・樋口季一郎陸軍中将に学ぶ

 ・・・略

 12月26日、第一回極東ユダヤ人大会が開催されました。
ゲストとして招待された樋口季一郎は、次のような演説を行いました。

「諸君、ユダヤ人諸君は、
 お気の毒にも世界何れの場所においても
 『祖国なる土』を持たぬ。
 如何に無能なる少数民族も、
 いやしくも民族たる限り、
 何ほどかの土を持っている。
 ユダヤ人がその科学、芸術、産業の分野において
 他の如何なる民族に比し、
 劣ることなき才能と天分を持っていることは
 歴史がそれを立証している。
 然るに文明の花、文化の香り高かるべき20世紀の今日、
 世界の一隅おいて、
 キシネフのポグロム(注1)が行われ、
 ユダヤに対する追及又は追放を見つつあることは
 人道主義の名において、
 また人類の一人として
 私は衷心悲しむものである。
 ある一国は、
 好ましからざる分子として、
 法律上同胞であるべき人々を追放するという。
 それを何処へ追放せんとするか。
 追放せんとするならば、
 その行先を明示し、
 あらかじめそれを準備すべきてある。
 当然の処置を講ぜずしての追放は、
 刃を加えざる虐殺に等しい。
 私は個人として、心からかかる行為をにくむ。
 ユダヤ追放の前に
 彼らに土地すなわち祖国を与えよ。」

会場は、万雷の拍手に包まれました。
(注1)キシナウのポグロムとは1903年、帝政ロシア領であったユダヤ人虐殺事件。キシナウはモルドバ共和国の首 都。・・・以下略



  戦 後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎

  それにしても、日本の為に働こうと言う議員のなんと少ないことか。日本再生の 道は遠そうです。それでも、こんな素晴らしい方達がおられたと言う信実を知れば、可能性はありそうにも思えます。何 と言っても目標があるのですから。
2019 年 11月 29日(金)   第1990回  ★新刊著『ねずさんの奇跡の国日本がわかる万葉集』が予約開始に なり ました
  ねずさんのお陰で全く縁のなかった和歌の意味 に驚 き、百人一首も図書館に注文して読ませて貰いました。これを子供の頃から知っていれば少しはましな人間になっていたのじゃな いかと悔やまれますが、それも仕方無いでしょう。

  今度は、万葉集を出してくれるそうです。これも読みたいですが、もう図書館まで出かける体力もありません。残念。

  それにしても、ねずさんの体力は凄いですね。同じようにお世話になっている宮崎さんといい、最後は体力の勝負かも。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月23日

  新刊著 『ね ずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』が予約開始になりました

   ・・・略

 実は万葉集も同じです。
万葉集が書かれた時代は、白村江事件の後であり、我が国が何が何でも国防のため、また未来のため、災害対策のために、ひ とつ にまとまらなければならない時代でした。
世界で、そういうときに行われたことは、常に反対派の征圧と粛清です。
ところが日本では、地方豪族たちも古い時代には皆、遠い昔の親族であり、日本はそうした歴史を失わない国でもありまし た。
ですから親族同士で征圧というわけにはいきません。

 そこで考案されたのが、中央に高い教養と文化を育て、これを全国で共有していくという施策でした。
そのために編纂されたのが万葉集です。
ちゃんと目的があって、日本最古の歌集が編纂されたのです。
ということは、万葉集をしっかりと読み解けば、そこには明らかに我々が取り戻すべき日本文化の原型が書かれているはずで す。・・・以下略


  これだけ教育に力を注いで来た日本が、GHQの企みと戦後利得者達の悪だくみに掛かったとはいえ、ここまで劣化して しま うとは、今更ながら教育の恐ろしさを思い知らされます。  
2019 年 11月 28日(木)   第1989回  ★日本は権威と権力の「二権分立」である
  馬渕睦夫さんが、「新国体論」という素晴らし い本 を書いてくれたようです。何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。

  戦後教育で知育体育は教えたが徳育を教えなかったことが現代の日本人の劣化を齎したという言葉は堪えます。

  面白いのが、日本には、「三権分立」じゃなく権威と権力を分ける「二権分立」があるというものです。これは、正に日 本の 国体です。そこに西洋の三権分立なんて不完全なものを持ち込んだのが日本の失敗じゃないでしょうか。

  宮崎正弘の国際 ニュース・ 早読みより  令和元年(2019)11月22日(金曜日) 通巻第6281号 

  書評 

 体力 競技会では世界的な選手に伍せても、精神が脆弱となった日本人
  ユダヤ・キリスト教文明 vs 日本文明の「最終決着」が近いゾ
 
  馬淵睦夫『新 国体論  天皇を戴くこの国のあり方を問う』(ビジネス社)

 副題に添えられた言葉は「精神再武装のすすめ」である。
 五輪など体操競技会で日本人選手が世界の有力選手に伍せても、精神が脆弱となった日本人は、悠久の特質だった『和』の 精神さえ忘れかけている。

   知育、体育は学校で教えたが、徳育を教えなかった。歴史はネグレクトされ、日本人の若者は古事記を読んだことがない。 なんという惨状だろうか。国の成り立ちを知らない国民が、国際社会へでて、いかにして自国の歴史を語るのか。国益をとこ とん追求できるのか?
国会においての与野党の無駄な、芝居がかった対立も茶番だが、メディアは対立を煽ることに生きがいを見出しているように 見える。「和」を求めないからだ。脳細胞がおかしくなったからだ。左翼メディアに便乗する「営業左翼」たちの得意げな顔 を見よ。もはや『和』の精神は行方不明だ。
 
  「令和時代とは」と、馬淵睦夫元大使は予言的に言う。
 「キリスト教伝来以来のユダヤ・キリスト教文明」vs「日本文明」の最終決着の時代だ。換言するなら、ユダヤ・キリス ト教と日本文明が衝突し、グローバリスムの土着化が着地点という示唆である。伝統に復帰し、精神を再武装し、國際的大変 時代を乗り越えると主張されるのだ。
 本書は2015年に上梓された『日本「国体」の真実』の全面改訂版であり、氏の主張に関しては一貫している。
しかし、再読して、評者(宮?)にとって、改めての発見は次の三つ。

  「三権分立」というのは政治学のテクニカルな語彙で、日本は権威と権力の「二権分立」であると馬淵大使は指摘される。す なわち「君民共和」の「祭祀共同体」だから大嘗祭の意議がある。
評者流儀で言い換えると、「権威、権力、財力」の三つが「あちら」の流儀であり、財力を持つ者が権力を握るのがアメリ カ。しかし逆立ちしても権威はもてない。大統領予備選時点で相手候補の醜聞を捜し、口汚く罵り合い、PRで相手をこっぴ どく非難して、かりにも「国家元首」を選ぶのである。
どうやって権威を附させることが可能なのか?

  三者を統合しようとしてロシア正教の権威を借りたのがロマノフ王朝であり、プーチンはその真似。中国の皇帝は、権利、権 力、財力を独占する。だから独裁者である。

  「出雲族」が先住民族だったという奇妙な学説があるが、オオクニヌシノミコトが治めた出雲は、スサノオの子孫であり、ア マテラスオオミノカミと同根である。外国勢力の侵略などと言う奇想天外な解釈は成り立たない。(72p)。

  日本人は製品に魂を吹き込む。MADE IN JAPANは、日本を誹謗して止まない中国や韓国ばかりか、世界中で人気 が高い。
ある時、ウクライナの財務次官が発言した。
「日本刀の柄を収集したが、日本刀そのものも数多く手に入れることになった。しかし、自分は日本刀をみても、これが人を 殺傷する武器だといういやな思いはまったくしなかった。なぜなら、日本刀には刀鍛冶の魂がこもっているから」 (115p)
 静かな口調で語りかける馬淵節は、しかし強い自信に満ちているのである。

  やはり、日本は日本の凄さを取り戻し、その素晴らしさで世界に貢献すべきです。そんな時代が来るでしょうか。
2019 年 11月 27日(水)   第1988回  ★「討ちてし止まん」は責任を持つという意味
  子供の頃に聞いたことのあることばですが、そ の意 味も分からずにいたようです。「討ちてし止まん」と言われてもピンときません。何と好い加減な人生を送ってきたのでしょう。

  まさか、責任を持つという意味があるとは。こんな心構えだったから先人は素晴らしい仕事をしてきたんですね。やは り、こ ういうことは子供の時にしっかりと教えてもらいたかったものです。

  今回の話で、ショックだったのは、「ケンチャナヨ(いいかいいから、適当に)」が、この部屋の「マアいいか」に通じ るこ とです。もしかしたら私は大嫌いなあちらの血を引いているのでしょうか。それとも感化されたのでしょうか。何となく嫌な感じ です。

  さて、何時ものように全文はリンク元で読んで下さい。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月22日

   「討 ちてし止まん」は責任を持つという意味

  ・・・略

 神武天皇は、我が国の初代の天皇であり、その初代天皇が、各人がそれぞれの持場において、しっかりと責任を持って最後 まで その責任を果たしきっていくことを、こうして明らかにされたのです。
そしてこれが我が国の文化となりました。
誰もが、その人にふさわしい持ち場にあって、それぞれの責任をきっちりと果たしていく。
しっかりと最後まで責任を持って仕事をやり抜く。

 これこそが我が国の産業の強さだったことだし、我が国の最大の強みでもあったことなのです。
どこかの国のように、「ケンチャナヨ(いいかいいから、適当に)」が文化の国とは、文化の根底が違うのです。
はっきりいって、一緒にされたくない。

 それだけに、戦後の左翼や、日本解体を目論む痴れ者たちが、徹底的に攻撃を加えたのが、この「討ちてしやまん」でし た。
自分たちは「ケンチャナヨ」。
責任ある政府や良識ある人達には「討ちてしやまん」という概念を捨てさせる。
その結果がどのような国になるかは、あまりにも明らかです。
日本人が半島人化するのです。
そして、災害に弱く産業の育たない貧乏国になる。・・・以下略


  それにしても、我が先人は本当に凄い国を築いてきたものです。今、この先人の精神があれば日本はどこまで成長するか 分か りません。
2019 年 11月 26日(火)   第1987回  ★我が国の建国の原点とは
  ねずさんが日本の成り立ちを見事に書いてくれ た、 15日、第 1976回の「★ ニニギノミコトと神武創業」ですが、ねずさんの会心作じゃないでしょうか。

  ねずさんも気に入っているのじゃないでしょうか。今回はその上にシラスを被せてくれました。これで日本の国体が確立 した のじゃないでしょうか。
  これに、権威と権力の分離を加えれば日本の説明は付くのじゃないでしょうか。これを教科書で教えれば日本人の国家観 と歴 史観は万全のものになるでしょう。やはり、こういう教育をしてもらいたいものです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。


   ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月20日

  我が国 の建 国の原点とは

 ・・・略

 世界を構成した中心的思想や行動は、強者が弱者を支配することでした。
弱者は強者の支配下に入ることによって庇護され、庇護のもとに入らない者は敵として征圧・粛清されることが世界の歴史と いう より、人類史そのものと言ってよいものであったかと思います。

 勝てば官軍どころか、上に立てば下の者に対して何をしても許される。
違法などという言葉は、弱者のためにある言葉であって、勝者や強者は、下の者や敵対する者に対して、いかなる違法行為を 働い ても罪にならないとされてきたのが歴史です。

 ところが日本では、歴史を通じて、強者は常に身を律して、民が豊かに安全に安心して暮らすことができるようにしていく こと が 大切とされてきたし、それができない、ないしはそういうことを理解しないで、ただの馬鹿な強者として傲慢や慢心、我侭があれ ば、それがたとえお殿様であったとしても、座敷牢に閉じ込めて改心するまで説教が続けられたという歴史を持ちます。

 そのようなことがなぜ行われたかといえば、それは日本が「天皇の知らす国」だからです。・・・以下略


   それにしても、天照大神から神武天皇までをこれ程見事に説明したのは初めてじゃないのでしょうか。それとも、明治 辺り までは常識だったのでしょうか。
   もう一度、これが日本人の常識になるようになってもらいたいものです。その時こそ、日本の時代の到来でしょう。
2019 年 11月 25日(月)   第1986回  ★災害対策国家とは
  ねずさんの毎日のブログを読んでいると如何に 何に も知らないかにがっかりさせられます。江戸の長屋などが火事の時に一瞬で倒せるなんてのはねずさんに教えてもらうまで想像も しませんでした。

  今回も、目から鱗が沢山ありますが、一番驚いたのが熊本城の石垣の崩れたところが戦後普請の所で、築城当時のは全く 被害 を受けてなかったというところです。
  これは、やはり金の為に働く弱点でしょうか。これが本当だったら悲しくなりますが、今の日本人をみているとそうだろ うな と納得してしまいます。

 何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月19日  

  災害対 策国 家とは

  ・・・略

  先般の熊本の震災で、熊本城の石垣のいち部が崩れました。
けれど崩れた場所は、戦後に組み上げられた場所で、加藤清正公が築城したときの石垣は、まったく被害を受けていません。
とりわけ大門は、観光対策のために近年、新たに復元されたものでしたが、そこはいの一番に崩れ去りました。
一方、400年前に築かれて老朽化しているはずの矢倉は、震災にも何の影響もない。

 ちなみに、あんなに大きな岩石を、いったいどうやって石組みにしたのか不思議でならないという言葉をよく聞きますが、 なん と 昆布(こんぶ)を利用して、地面や傾斜をツルリと滑らせていたというからおもしろい。
海洋資源を大切にしていればこそ、そうした工事が可能になるのです。・・・以下略


  それにしても、戦前の日本人の気概と今の文明が合体すれば、想像を絶する世界に誇れるものが作れるのでしょうね。そ うい う時代をこれから築けたら良いでしょうね。
  何とかして、せめて戦前の人達に追いつくくらいはしたいものです。これもまずは教育からでしょう。GHQに仕業もあ ると はいえここまで劣化した日本。何とも勿体ないことをしてしまったものです。
2019 年 11月 24日(日)   第1985回  ★災害を被害 にすり替えてはいけない
  国の為に働くという気概の無い日本人の劣化の 代表 のような国会議員を毎日見せつけられて、やはり日本は消滅するのじゃないかとがっかりさせられます。

  一体、どうやったら国の為に働く議員を送り出すこと出来るのかと考えれば、やはり有権者が目覚めるしかなさそうで す。
  ここでも何度も書いているように、正しい国家観と歴史観を持った人達を選ぶしかないでしょう。

  ねずさんが、災害の問題からこんな議員しか選べない選挙制度が続く限りやはり国民が民度を上げるしかないと書い、そ れに は子供の頃からの教育しかないと書いてくれています。

  やはり、長い道のりですが今の教育制度を変えてこつこつとやって行くしかないのでしょう。それにしても、先人はそれ を やってきたのですから本当に凄い。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月18日

  災害を 被害 にすり替えてはいけない

  ・・・略

 何か都合の悪いことが起きると、すぐに「論点をずらし」て「被害者」を声高に主張する 国が ありますが、天然の災害という自然界の脅威を前に、「被害」という言葉ばかりを連発しても、何の解決にもなりません。
たいせつなことは、それを国をあげて克服していくことにあるのです。

  日本神話によりますと、日本列島ができたとき、神様は「つくり、かため、なせ」とおっしゃられたそう で す。
その「つくり」に、昔の日本人は「修理」という字を当てました。
ですから「修理」と書いて、「つくる」と読みます。
「つくる」ということは、ただ作っただけではだめで、それを修繕しながら、使い続ける。

 私たち日本人は、日本という災害大国から逃げることができないのです。
これが大陸ならば、土地を捨てて民族ごとどっかに行ってしまうという現象が起きます。
古くはフン族の大移動などもありました。

 けれど日本人は、日本列島で生活しなければならないのです。
何があっても、そこで、みんなで力をあわせて、創意工夫して、修繕しながら生きて行く。
日本はそうやって時代を紡(つむ)いできた国です。

 それともうひとつ。
今年の台風被災と、これによる大停電、大水害、大風害に際して、被災時に逃げてしまったタレント知事がいました。
そういう人物に、ただテレビに出ている有名人だからと選挙で投票してしまった人、そういう人物を県知事に選んでし まった 人たちは、猛省をすべきですが、それと同時に、果たして「選挙」という制度が、天然の災害の多い我が国において、果たし て西洋から輸入した制度のままで良いのか。
これについても、私達日本人はしっかりと考えていかなければならないと思います。

 もし選挙という制度を、今後千年、維持し続けるとするならば、私達日本人は、選挙のあり方、政治の大切さについ て、子 供 の頃からしっかりと教育していくべきでしょう。
災害対策という、人命に関わる極めて重要な政治を行うにあたって、あるいは実際に災害が起こり、その対策をしっかり と協 議しなければならないときにあたって、国会で審議すべきことは、桜を見る会の予算をケチることなのでしょうか。

 災害復興も中途半端なこの大事なときに、お花見に誰が招待されたかなど、はっきり言ってどうでも良いことです。
また災害発生時に、逃げてしまうような知事は、早晩、知事を辞めさせるべきです。
そもそもそういう政治家や県知事が、なぜ選ばれてしまうのか。

 答えは簡単で、民度の低さと、制度の不備です。
民度を上げるには、国をあげて高い民度を示し、これを奨励していかなければならないし、そのために必要なことは、教 育 と、国民に直接影響力を持つメディアを、しっかりさせることであろうと思います。
メディアが、論点ずらし、被害者装いの韓流マインドでは話にならない。

 日本はいま、戦後壊した様々なものについて、もういちど原点に返って見直しを図るべきです。



  もうすぐ、お隣の国が崩壊しそうですから、それを機会に日本に巣食う日本を愛せない人達には自国に帰っていただけ ば、日 本人の多くも目覚めることでしょう。改革はそれからでも遅くないかも。なんて、他人任せはやはり駄目ですね。
 やはり、教育とマスメディアの改革から手をつけましょう。
2019 年 11月 23日(土)   第1984回  ★世界最長484日の漂流で起きたこととは
  この世界最長の漂流というのも日本人の凄さを 再認 識させてくれます。世界とこれ程に違うとは思いませんでした。とは言え、今の日本人にこれだけのことが出来る人が何人居るで しょうか。
  おかしな教育をされると日本人でさえここまで劣化するのですから。やはり教育が一番ですね。その一番大事な教育を司 る文 科省が最悪ですから一日も早く廃止すべきです。早く先人の精神を取り戻したいものです。

  さて、今回の話で、驚いたのが亡くなられた方達の遺体の扱いでした。昔は水葬なんて無かったんですね。もしかしたら 漂流 のような長い航海が無かったからかもしれません。
  その中でも驚いたのが遺体が「ぼろぼろ」になると言うことでした。それにしても、そこまになるまで遺体を捨てるとい う考 えが無かったことに改めて日本人の凄さを感じてしまいました。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。それにしても、この話も読んだことがありますが、やはり頭の悪さも あっ て殆ど忘れています。ねずさんがこうやって何度もアップしてくれるのは有難いことです。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月16日

  世界最 長 484日の漂流で起きたこととは

  ・・・略

 350日目、この時に3人のうち2人が死体遺棄の提案をします。
要は10人の死体をこのまま置いておくのは如何なものか、
船を守っている神様が悪臭を放つ死体を嫌っているのではないか、
しかるが故に陸に辿り着けないのではないか、
船霊の怒りを鎮めるために死体は捨てるべきだ、と主張したのです。

 当時「船霊」といって、右舷に3種の船霊が収められていたそうです。
1つは女性の髪の毛です。
この時は船主の奥さんの髪の毛。
それから双六(すごろく)のサイコロが2つ。
そして1対の紙で作ったお雛様(ひなさま)。
この3つが船霊だそうです。

 これに対し船長の重吉は逆に竜宮の神の怒りを心配します。
つまり「死体を海に捨てるのは簡単だ。ただ捨てることで海底の海神様が怒るのではないか、それで海が荒れたら船は沈んで しま う」ということです。

 悩んだ船長はおみくじに頼りました。
丁か半かということで、おみくじを引くと「捨てろ」とでる。

 こうして3人は10人の死体を海に捨てたそうです。
その時の描写にはこう書いてあります。
「死体を触るとぼろぼろと崩れ落ちる。
 土を運ぶがごとく手にすくって、
 その死体を海に入れた」
「ぼろぼろと」とか「土を運ぶがごとく」という表現が印象的です。・・・以下略


  それにしても、我が先人の素晴らしさには恐れ入ります。こんな方達にもう一度追いつけるのでしょうか。
2019 年 11月 22日(金)   第1983回  ★ベ ルギーと日本との親愛の歴史を考える
  このねずさんの日本が負けたのには理由がある とい う考え方は初めて読んだときには驚きました。なる程、こういう取り方もあるのかと目から鱗でした。
  今の、閉塞した日本にこんな未来があって欲しいものですが、まだまだそこまで楽観出来ないものがあるのも間違いな い。

  それにしても、戦前の日本人の凄さには驚かされるばかりです。こんな人達がニセ慰安婦問題やニセ南京虐殺などやる訳 があ りません。今のKoreaに汚染された日本人ならやりかねないのじゃないでしょうか。

  つまりは、我が先人と今の日本人は全く違った人種じゃないかと思いたくなります。とは言え、ねずさんは、現代人もま だま だ大丈夫と考えられています。本当にそうだったら良いですね。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。今回は長いです。しかし本当に日本を誇れます。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月17日

  ベ ルギーと日本との親愛の歴史を考える

 ・・・略

  この変化は、静かに、でも確実に、そしてネットの普及によっていまや加速度を付けて 広が りつつあるように思います。

 この変化を考えるとき、支配と征圧ではない、親愛と公正の世界を希求する日本は、もしかすると先の大戦で勝利して はな らなかったのかもしれないと思えるのです。もちろん緒戦での勝利の連続は必要でした。つまり最終結末として力による戦闘 での勝利は、神々は望まなかったのではないかと思えるのです。

 もし日本が、昭和20年2月の段階で予定通りに原爆を完成させていれば、沖縄に集結した米艦隊は、一発のその新型 爆弾 で全滅したことでしょう。
米艦隊のいなくなった太平洋は、ふたたび日本の領土となり、9月には新たに就航したであろうジェット戦闘機によっ て、米 国は、本土防衛も困難な状況に追い詰められたかもしれません。

 けれど日本は、陛下の御聖断によって原爆を用いず、またジェット戦闘機が就航する直前の8月の時点で終戦しまし た。
その後の日本は、あたかも袋叩きにあったかのようでしたが、そのわずか19年後には東京でオリンピックが開催できる ほど に復興を遂げ、世界はわずか14カ国が支配した世界から、いまや国連加盟国だけで197カ国の時代になっています。

 収奪されるばかりであった有色人種も、いまや立派な国際社会の一員として活躍し、人種差別の明確だった米社会も、 昭和 39年7月には公民権法(Civil Rights Act)を制定して黒人を市民として迎え入れています。
人類社会には、いまだ差別や支配があるものの、国際社会における、ないしは国際関係における世界の常識は、確実に、 信頼 と公正による新たな社会へと向かいつつあるのです。
・・・以下略

  
  日本人が目覚めて再生されれば、世界を導く可能性はあると思いますが、果たして目覚めるでしょうか。それ程に戦後の 教育 は日本人を劣化させたと言えます。本当に、教育は恐ろしい。
2019 年 11月 21日(木)   第1982回  ★いまさら言われなくても天皇は日本の元首である
  何時もの宮崎さんが、何時も面白い書評で竹田 恒泰 さんの『天皇は「元首」である』を取り上げてくれていますが、相変わらず分り易くて思わず引き込まれて読んだら、書評は最後 にちょっとでした。

  「いまさら言われなくても天皇は日本の元首である」が本のタイトルかと思ったら、これが宮崎さんの考察のタイトルで し た。
  それにしても、日本人だけが天皇を元首として認識していないというのは衝撃ですが、そういう私もネットでやっと理解 した ようなものですから恥ずかしい限りです。

  と言うか、これこそが、戦後GHQと戦後利得者によって仕掛けられた教育によるものであることは明らかでしょう。
  やはり、教わってないものは改めて知ることは難しいものです。それだけに、国の根幹を教えないというこの恐ろしい企 みを 一日も早く崩壊させ、新しい教育を確立させることこそが日本が今やるべきことでしょう。

  きちんと教育されていれば、女性天皇だの女系天皇だののおかしな考えに惑わされることも無いでしょう。  

  宮崎正弘の国際 ニュー ス・ 早読みより  令和元年(2019)11月16日(土曜日) 通巻第6277号

  書評 

 いま さら 言われなくても天皇は日本の元首である
  世界も日本国の元首を天皇と認識しているのだが、なぜ日本人だけが?

 竹田恒泰『天 皇は「元首」である』(産経新聞出版)

 いまさら言われるまでもなく天皇は我が国の元首である。
 ところが、改めて言わなければならないほどに日本人の歴史認識が劣化した。というより無くなったのだ。頭脳は空白、と いう 日本人が増えたからだ。
 小泉政権下で皇室典範の議論が起きた時、有識者会議なるものが開かれたが座長はロボット工学の専門家だった。天皇はロ ボッ トなのか、政府の歴史認識の甘さ、そのいい加減さに立腹した人が多い。
 「天皇制打倒」を言ってきた日本共産党が、天皇陛下が詔をもって国会開会をなされる(憲法第七条二項。天皇の国事行為 とし ての「国会召集」)に出席しはじめた。
 この重要な儀式に従来は欠席してきたのが日本共産党だった。それが出席するようになった。
そして、いつの間にか「しんぶん赤旗」が元号を用いているのである!
革命的な変化ではないか。ついでにいえば自民党の有志議員が習近平の国賓来日に疑義を呈しているが、日本共産党は中国共 産党 の人道に反した政策を批判し始めている。このことも大いに注目する必要がある。
 
 さて先帝のご譲位を、「退位」と書いた日本のメディアが多かったが、ご譲位と書き直すべきだろうし、そもそも現行憲法 は国 際法違反であって直ちに廃棄すべきシロモノでしかなく、皇室典範は宮家がお決めになることである。
それを政府が決めるなど僭越も甚だしい。
ところが、この枢要且つ重要な議論を忘れ、永田町は本末転倒、枝葉の議論に熱中している。桜を見る会がどうしたこうした と幼 稚園以下の議論を展開している様は異様としか言いようがない。
ま、日本の国会議員の教養は、ここまで堕ちているわけで、政治家とはつねに暗殺の危機をかいくぐる命懸けの営為であるこ とを 自覚していない。
 したがって、決意のほども熱意も、なにほども国民には伝われない。評者は、したがって国会中継なる戯言の応酬、戯れに は興 味がない。
 本書は、明治天皇の玄孫である竹田氏が、譲位、皇位継承、皇族方のご結婚、天皇陵の考古学的調査など、メディアが垂れ 流す 表面的な議論ではなく、我が国の歴史の深い淵からのぼってくる霊威に導かれたかのように正統を希求し、そこからあらゆる問題 を言及されるため、説得的であり、納得できる本である。

  学校で教えてくれない以上、自分で竹田さんの本を読むしか無さそうです。それにしても、こんな教育を束ねている文科 省は やはりいらないですね。
2019 年 11月 20日(水)   第1981回  ★奇跡の小麦 と農林10号
  この話もねずさんが初めて教えてくれて我が先 人の 凄さを思い知らされたものです。何と、農林10号という素晴らしい小麦を開発したのは日本人農学者の稲塚権次郎博士だと言う のです。
  そのお陰で世界の人口が現在のように爆発的に増えたのですから、食料こそ人類の命の元ですね。

  とは言え、現在のChinaや世界の人口を考えると功罪半ばのような気もしないではない。とは言え、sれが稲塚さん の功 績の価値を下げるものではないでしょう。

  それにしても、その増産からねずさんの考察は面白い。これは、ねずさんの持論である歴史には必然があるを見事に証明 して いるのでしょう。
  
  となると、日本の敗戦こそが世界を救う為には必然だったということです。それは、やはり靖国に祀られた方々の功績と も言 えるでしょう。

  やはり、靖国神社程世界の聖地として相応しいところは無い。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。
 
  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月15日

  奇跡の 小麦 と農林10号

  ・・・略
 
 しかもその戦いを為す我が軍はハーグ陸戦条約を遵守(じゅんしゅ)し、あくまで戦地の民間人が退去するまで、その地へ の攻 撃をしかけていません。
攻撃も敵の軍事施設のみでした。
それでいて勝利を連続させていました。
まさに日本軍は世界最強であり、神にも通じる皇軍だったのです。

 ところがある日を境に、我が軍は敗退につぐ敗退となりました。
それはまるでツキが落ちたかのようで、打つ手打つ手が裏目にでました。

 そこで思うのです。
もしかすると日本の八百万の神々は、未来を見据(みす)えていたのではないか。
もし日本があの戦争に勝つか、あるいは昭和18年の時点で米英と講和条約を結んでいたらどうなったか。
おそらく米英との政治的軍事的敵対関係は継続されています。
インドもパキスタンも、英国領のままです。

 日本にはすでに「農林10号」はありましたが、三大穀物の種子は友好国以外輸出禁止である。
そうであれば、昭和40年に起こったインド、パキスタンの凶作時、英国領である同国に「農林10号」は行き渡ることはあ りま せん。
つまり同国では、おそらく億単位の餓死者を出したであろうことが容易に想像されるのです。

 日本が戦争を終わらせ、GHQが日本で開発された「農林10号」を米本国に持ち帰ったことから、米国の小麦収量は劇的 に上 がり、メキシコで病気に強くなり、奇跡の小麦が誕生し、それが世界に普及し、世界の人口が3倍以上に増えて、いまや70億と なり、インド、パキスタンも、餓死者を最小に止めることができました。
今ではインドは小麦の輸出国である。

 一方戦の序盤から中盤にかけて日本が勝利を連続させなければ、その後の東亜諸国の独立はなかったであろうし、世界の人 種の 平等も確立されてなかったことでしょう。

 八百万の神々の御心は、我々凡人には計り知れません。
しかし、以上の事実を、もし未来を知ることができる八百万の神々なら、どう判断し、どう行動したであろうかと思うので す。
日本を最後まで勝たせて世界の飢餓を招くのでしょうか。
それとも日本を敗戦に導いてでも、世界の民衆の幸福を図ろうとするのでしょうか。

 おそらく後者であろうと思うのです。
それは、あくまで自分の想像です。
しかし日本で開発された小麦はたしかに世界を飢えから救ったし、世界の人口を3倍に増やしたのです。
そしてかつて日本が掲げた人種の平等、植民地支配の終焉という壮大な目的も、いつのまにか達成されているのです。

 しかも焼け野原となったはずの日本は、終戦直後の世界の最貧国状態から、わずかな期間で世界有数の富める国にまで成長 して います。
おかげで国を守るべき政治家までが「平和ボケ」するくらいの平和と繁栄を手に入れています。

 言い換えれば靖国に眠る二三六万柱の英霊は、世界に人種の平等を実現しただけでなく、世界を飢えから救い、戦後日本の 平和 と安全と繁栄を実現したのといえるのではないか。
そしてそのことを我々日本人が謙虚に学び、英霊への感謝を学ぶとき、日本と世界は再び大いなる発展のときを迎えるのでは ない かと思えるのです。 


  世界を救う為に戦ってくださった方達が祀られている靖国神社を世界の聖地にしよう。
2019 年 11月 19日(火)   第1980回  ★山本条太郎 と満洲大豆のお話
  日本人にとって米ほど大事な食料は無いです が、も う一つ驚かされるものに大豆があります。米とは違った面で、お世話になっています。食事の時にお世話になるものの多くが大豆 から出来ているものの何と多いことかに驚かされます。
  しようゆ・味噌・納豆・豆腐・ゆば・豆乳・枝豆など数え上げたら切りがありません。ここまで大豆を利用しているのは 日本 位じゃないでしょうか。我が先人は本当に凄い。

  その納豆が、あの満州に関係している事もねずさんに教えてもらい驚いたものです。

  今回も、その大豆を満州に根付かせた凄い人の話です。何時ものようにリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月14日

  山本条 太郎 と満洲大豆のお話

  ・・・略

 上海支店長に就任した山本条太郎は、日本の商社マンとして、はじめて満洲に乗り込んでいます。
当時の満洲は、広大な荒れ地が広がるだけの緑のない半(なか)ば砂漠地帯でした。
当然、作物など作れません。
けれど条太郎は、この荒れ地で、細々ながら大豆が栽培されていることに目をつけました。

 大豆は温帯、亜熱帯産の植物です。
満洲は亜寒帯です。
本来気象条件が合わないのです。
ただ大豆を筆頭に、いわゆるマメ科の植物は、根に「根粒菌(こんりゅうきん)」が繁殖(はんしょく)します。
根粒菌が繁殖するから、根の又(また)のところに、コブのようなものができます。
コブの中で繁殖した根粒菌は、大豆が空気中から吸った窒素や地中から吸い上げた水から、アンモニアなどの有機物を排泄し ま す。
この有機物を栄養源にするから、大豆は痩(や)せた土地でも育つのです。

 山本条太郎は、これに目を付けました。
気候を調べたり、品種改良の可能性を検討し、徹底して満洲での大豆の栽培の可能性を探りました。
条太郎が面白いのは、満洲での大豆の生育を研究している最中、つまりまだ満洲で大豆が生産段階に入っていないときに、 早々と 販路の開拓に手をつけている点です。

 彼は大正九(1920)年には、英国に赴(おもむ)き、欧州での満洲大豆の独占販売権を得てしまっています。
当時の欧州には、大豆を食べるという習慣がなく、大豆はもっぱら油をとって燃料にするためにのみ栽培されていました。
これを食べさせる。
条太郎は大豆の加工の仕方や料理の指導まで行い、欧州全土に大豆の売り込みをかけています。

 こうして、ほんの数トンあるかないかだった満洲の大豆は、山本条太郎が名付けた「満洲大豆(まんしゅうだいず)」の商 品名 と ともに広く栽培されるようになり、条太郎が満鉄総裁に就任した昭和二年には、満洲の大豆生産高は、じつに年間500万トンに 達するものとなりました。
このうち400万トンが輸出用で、欧米向けが200万トン。日本向けが200万トンでした。
なんと満洲は、世界最大の大豆生産国になったのです。・・・中略

 日本は国内で年間434万トンの大豆を消費しますが、このうち420万トンを輸入に頼っています。
いまや日本は世界第三位の大豆輸入国です。

 大豆を、暗い所で発芽させたものがモヤシです。
未熟大豆を枝ごと収穫して茹(ゆ)でたら、ビールのつまみの枝豆です。
完熟大豆を搾(しぼ)ると、大豆油(サラダ油)ができ、煎(い)って粉にしたものが、きな粉です。
蒸して発酵させると味噌・醤油、納豆菌で発酵させたものが納豆です。
熟した大豆を搾(しぼ)れば豆乳、その残りカスがおから、豆乳を温めてできる表面の膜が湯葉(ゆば)、これににがりを入 れて 固めたものが豆腐です。
豆腐を揚げたものが厚揚げ、焼けば焼き豆腐、茹(ゆ)でれば湯豆腐、凍(こお)らせれば高野豆腐ができあがります。

 今日、我々日本人が大豆を、これだけ様々な形で加工して食しているのは、それだけ大豆が日本人にとって古くてなじみの 深い 食 品だからです。
そしてここまで多種多様に大豆に工夫を凝らして食しているのは日本だけです。・・・以下略


  日本は米は当然として大豆も自給自足出来るようにしておくべきですね。米と大豆が あれば取り敢えず生きて行けそうです。
  私の子供の頃は田んぼの畔に大豆を植えていたものです。年末は大豆を蒸して撞きみそを仕込んでいたものです。昔の人 は良く働いていましたね。贅沢に慣れた身にはもう無理でしょう。
 2019年 11月 18日 (月)   第1979回  ★インパール の戦いが我々にのこしたもの
  何度も書きますが、あのインパール作戦の白骨 街道 程日本軍の民度の高さを思い知らされるものは無いのじゃないでしょうか。これも、ねずさん書いてくれたのを初めて読んだとき は涙なしでは読めませんでした。
  人類史上最高の規律を保った軍隊じゃないでしょうか。

  ねずさんが、又取り上げてくれています。やはり涙なしには読めません。

  何時ものように是非全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月13日

  イン パール の戦いが我々にのこしたもの

  ・・・略

 三つ目の不思議はその軍紀(ぐんき)です。
餓鬼(がき)や幽鬼(ゆうき)のような姿で山中を引き揚げる日本の将兵たちは、だれ一人、退却途中の村を襲っていませ ん。
既(すで)に何日も食べていない。
負傷もしている。
病気にも罹(かか)っている。
けれどビルマ人の民家を襲って食物を奪い、家畜を殺し、ついでに女を犯すといったことは伝えられていません。

 銃を持った敗残兵がそうのようなことをするのは世界史の常識です。
然(しか)し、戦場になったビルマ人たちは戦中も戦後も、日本軍に極めて好意的であったのは、そういう不祥事(ふしょう じ) がなかった証拠といえます。

 更(さら)に驚くべきことに、戦後のインパール戦記は沢山書かれたけれども、民家を襲うようなことはしなかったことを 誇 (ほ こ)る記述を誰一人も残しておられません。
戦争に関係のない民家を襲わないなんて「当たり前」のことだったからでしょう。
寧(むし)ろ、退却途中でビルマの人に助けて貰(もら)った、民家の人に食事を恵(めぐ)まれたと、感謝を書いている例 が多 いのです。

 それが日本人でした。
そういう生き方が我々の祖父や父の若き日であったのです。

   ◇  ◇

 最後の不思議です。
この戦いは英軍15万と日本軍9万の大会戦です。
有名なワーテルローの戦いはフランス軍12万、英蘭プロイセンの連合軍は14万です。
殆(ほとん)どそれに匹敵(ひってき)する歴史的規模の陸戦です。

 にもかかわらず、英国はこのインパールの戦いの勝利を誇るということをしていません。
戦いの後、インドのデリーで、英国に胡麻(ごま)すりのインド人が戦勝記念式典を企画したのですが、英国軍の上層部が差 し止 めたと伝えられています。
何故(なにゆえ)なのでしょうか。

 理由は判然としませんが、以上の戦いの回顧(かいこ)をして、何となくわかることがあります。
それは、第一線で戦った英国軍は勝った気がしなかった、ということです。
自分たちは野戦食としては満点の食事を摂(と)り、武器弾薬も豊富に持ち、次々と補給も受けることができます。
そして植民地インドを取られないために、つまり自国の利益のために戦っています。

 それなのに日本兵は、ガリガリに痩せ、誰しも何処(どこ)かを負傷し、そして弾の入っていない銃剣を握(にぎ)りしめ て、 殺 しても殺しても向かってきました。
それが何と、インドの独立のため、アジアの自立のためです。

 そんな戦いが60日以上も続きました。
ようやく日本軍の力が尽(つ)きた後に、何万もの日本兵の屍が残っていました。
それを見たときに、英国人たちは、果たして正義がどちらにあるのか、自分たちがインドを治(おさ)めていることに、正義 があ るのか、根底(こんてい)を揺(ゆ)さぶられる思いをしたのではないでしょうか。

 実際、インパールで日本軍と戦った後、インドに起きた独立運動に対する英国駐留軍の対応は、当時の帝国主義国家の植民 地対 応 として、あまりにも手ぬるいものでした。
やる気が感じられないのです。
ガンジーたちの非暴力の行進に対して、殆(ほとん)ど発砲もしないで通しています。
以前の英国軍なら、デモ集団の真ん中に大砲を打ち込むくらいのことはしていました。

 そして戦後の東京裁判で、英国はインドがパル判事を送り、パルが日本擁護の判決付帯書を書くことについて容喙(ようか い) し ていません。
そこに実は、日本のインパール作戦が世界史に及ぼした大きな、真に大きな意義を感じるのです。

 戦後左翼評論家の「ああだ、こうだ」のご託宣(せんたく)よりも、現実にあった歴史の事実に何が会ったのかをしっかり と見 極 めることの方が断然、真実に迫ることができるのではないでしょうか。 



  当時のイギリス軍の人達に感想を聞いてみたいものですが、政府・外務省あたりが調査してもらいたいものです。

  いずれにしても、インド独立の為にこんな戦いをされた方達が祀られている靖国神社を、昨日も書いたように世界の聖地 にし ても罰はあたらないでしょう。これだけの戦いをしてくれた方達が何処にいるというのでしょうか。その靖国が、天皇も総理もお 参りに行かないなんて日本の恥です。
2019年 11月 17日 (日)   第1978回  ★靖国を世界の聖地に
  相変わら安倍さんはず靖国参拝を遠慮している よう です。一体誰に遠慮しているのでしょうか。と言うか、やはり公明党でしょう。今更特亜3国に遠慮する必要があるとは思えない にも関わらず行かないのはやは憲法改正の為にじっと我慢しているのじゃないでしょうか。

  何とか、靖国参拝をと考えていたとき、ふと、そうだ靖国を世界の聖地にすれば良いのじゃないかと考えました。

  靖国に祀られている英霊は多くは大東亜戦争で亡くなられた方々です。ということは、アジア・アフリカなどが戦後独立 した のはこの英霊の方々の戦いがあったからこそなのですから正解の聖地としても何の違和感も無いでしょう。
  当時の帝国主義の国の人達だって、その恩恵に預かっていたのは一部の人達でしょう。そんな帝国主義の時代より今の民 主主 義の方がましでしょう。であれば、靖国の聖地に大きな反対もおきないのじゃないでしょうか。

  白人と言えば、ジョン・レノンもそうですが、彼の「イマジン」は、靖国をヒントに作られたとも言われています。分か る人 には分かるのです。

  オノ・ヨーコの従兄弟である加瀬さんがそんな背景を書いてくれています。 

  産経ニュースより     2016.12.8
 
  ジョ ン・レノンは靖国の英霊に祈った 外交評論家・加瀬英明(正論11月号より)


  こちらが詳しく書いてくれています。加瀬さんの動画もあります。
  
  理想国家日本の 条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也    2019年03月30日

  『ジョ ン・レノンは東京に来ると靖国神社に参拝していた』〜 名曲”Imagine”に込められた真実【ザ・ファクト】


  この「イマジン」を、靖国神社の主題歌としてもらい、靖国を世界の聖地として広めるのです。世界から巡礼者が靖国参 拝に 訪れるようになれば、日本の天皇や総理大臣が参拝せずにはいられないでしょう。流石の特亜3国も黙るでしょう。
2019年 11月 16日 (土)   第1977回  ★リニア中央新幹線 完成後は安全保障で貢献へ
  日本人の平和ボケに怒りをぶつけてきました が、そ う言う私も大して違わないようです。青山さんが良く言っているシェルターの大掛かりなものが既に着工されているようです。
  何と、リニア新幹線がそうなのだそうです。なる程、そう言われればトンネルが多いだけに役に立ちそうです。となる と、全 線トンネルでも良かったのじゃないでしょうか。
  景色が見え無いのであまり面白くないだろうななんて思ってたのが恥ずかしい。こんな仕掛けがあるのならリニア網を日 本中 に走らす手もありあそうです。  
  そこまでやらなくても、貨物新幹線網を地下で作れば物流網とシェルターの一挙両得です。トラック運転手の削減にも繋 が り、労働者不足にも役立ちそう。景気浮上にも役立ちそう。何だか夢のようなプロジェクトになりそう。
2019年 11月 15日 (金)   第1976回  ★ニニギノミ コトと神武創業
  今回、ねずさんが書いてくれた一連の日本の成 りた ちは、13日、第 1974回の「★日本の原風景にみる奇跡といえる国のカタチ」で、神武天皇が初代であることの意味が良くわ かり ました。
  これで、皇室についてはその意義が理解出来たと勝手におもっていました。ところが、ねずさんが今日のニニギノミコト でダ メを押してくれました。

  これで正に神武天皇から天照大神までが見事に繋がりました。正に神の国です。こんな解釈は今までなかったのじゃない で しょうか。
  これなら、世界に発信しても納得されるのじゃないでしょうか。それにしても、ねずさんはこれをご自分で考えらたので しょ うか。見事です。  
  
  何時ものように全文を是非リンク元で読んで下さい。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月10日

  ニニギ ノミ コトと神武創業

   ・・・略

 もともと縄文時代に多く会ったのが陸稲で、自然生育したものを取得して食料にしていた とこ ろ、他の地域で水稲栽培が開発され、その技術を持った人が、ある日やってきて、その生育の指導をする。
これは老農(ろうのう)と呼ばれた明治の石川理紀之助(い しか わりきのすけ)や、ブータンで活躍したダショー西岡がそうで あった ように、人々に食料の増産をもたらし、たいへんに尊敬されるようになります。

 ですからもしかすると、南九州一帯を大災害が襲い、その記憶がまだ新しいうちに、石川理紀之助やダショー西岡と同 様 に、 水稲栽培を指導する人が、そこに水稲を持って現れたのかもしれません。
その人は、高天原(たかまがはら)と呼ばれるところからやってきた。
そしてニニギノミコトと呼ばれるようになります。・・・以下略
  



  正に、奇跡の国です。
2019年 11月 14日(木)    第1975回  ★昔の女工さ ん
  「女工哀史」を本当だと思っていただけに、始 めて ねずさんが本当の女工さんのことを書いてくれたときには驚きました。日本の企業経営がこんなに素晴らしいものだとは思ったこ ともありませんでした。
  ところが、だんだんねずさんや他のネット巡回で昔の日本的経営の素晴らしさを知るようになりました。なぜ、日本がこ れ程 までにバブル以後停滞してしまったのかを考えると、戦前育ちの経営者が一線を退いたころからおかしくなったことに気が付いた ものです。

  やはり、正しい国家観と歴史観を持たない人達が、本田宗一郎さん達の後を継いだ頃から落ち目になったようです。今 や、そ ういう経営者の全盛ですから、ChinaやKoreaとも金さえ儲ければで付き会うのでしょう。

  とは言え、日本的経営が潰されたのは株主重視や非正規社員などアメリカが今Chinaを攻撃しているように日本もや られ た結果であることもたしかです。
  戦後持ち込まれた労働組合の問題も大きいようです。JRの分割もこれが原因でしょう。勿体ないことをしたものです。

  そうしたアメリカに押し付けられた経営を日本的なものにもう一度変えて行くことも必要でしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。昔の経営の暖かさが身に染みます。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月7日

  昔の女 工さ ん

  ・・・略

 会社にしてみれば、社員を家族と思い、いつくしみ、大切にし、会社も社員もひとつの大きな運命共同体であり、社員は 「おほ みたから」であって、陛下と親御さんからの大切な預かりものだと思えばこそ、会社は社員を大切に扱い、教育や医療も施し、寮 費や食費なども会社負担にしてきたわけです。
それは、経営を考えたら、たいへんな出費です。莫大な経費です。

 ところがそうやって労使が一体となって頑張って来たのに、労働者の権利云々と仕事は放棄する。
ストライキは繰り返す。
経営者を集団で罵倒する。
会社が与えてくれる教育や衣食住にさえも、感謝するどころか文句をつけて、対立のための道具にしてしまう。
そんなことが戦後の高度成長の間、ずっと繰り返されてきました。

 対立することにしか目的がないなら、会社も、最早、教育も衣食住も、もはや与える意味などありません。
与えれば、もっとよこせとデモやストライキを起こされるだけのことです。
それならば、社員を家族と考えて、教育や医療や寮費や食費の面倒を、会社がみる必要などなにもない。
その分、給料を上乗せしてあげるから、あとは勝手にして頂戴、としかいいようも、やりようもなくなったわけです。

 普通に考えて、本来なら国自体が貧しかった戦前戦中よりも、日本全体が豊かになった戦後の方が、もっと職場環境がよく なっ て しかるべしです。
けれど、我を言って対立をあおって、日本的相互信頼社会をぶち壊したのは、まさに戦後左翼であったのです。・・・中略

  戦後の日本は、いったい何をやってきたのだろうかと思います。
しっかりとした教育や給料を与えていた産業を崩壊させ、日本人の教育の機会を学校だけにし、その学校教育では、日教組が 道徳 や歴史を否定する。

 結果、日本国内では、大学を出てたあとの就職先が、コンビニのアルバイトで、そのアルバイト先も、昨今では外国人労働 者に 取って代わられています。・・・以下略

 
  
  楽しく仕事をする日本を取り戻したいものです。
2019年 11月 13日(水)    第1974回  ★日本の原風景にみる奇跡といえる国のカタチ
  昨日のねずさんの日本の人口の大きな変動から 神武 天皇が蓄えることができる稲作を広めて行き、橿原に大和朝廷を打ち立てた話は正に神話です。
  なる程、日本はこうやって出来上がったのかと考えれば、その素晴らしさに感動します。

  今日は、その続きとも言える話です。正に奇跡の国です。良くもこんな凄い国に産まれたものです。もしかしたら、前世 で何 か良い事でもしたのでしょうか。来世も日本に産まれることが出来るように何か良い事を残せたら良いのですが、もう遅いかも。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月6日

  日本の 原風 景にみる奇跡といえる国のカタチ

  ・・・略

 神武天皇が、天孫降臨した迩々芸命(ににぎのみこと)の直系のお血筋にあられながら、日本の建国宣言、ならびに日本の 初代 天皇とされるのも、ここに理由があります。
つまり、3人に2人が亡くなるという不幸を日本全国が経験したあと、農業を元にして、決して飢えることがない国作りをす るだ けでなく、天下万民がひとつ屋根の下に暮らす家族として、困ったときには互いにお米や野菜を流通し合う。
 家族であれば、それは当然行われることですし、その家族と同じように、日本という国が、誰もが家族のように、互いに助 け 合っ ていく。
そういう国つくりをするのだ、ということを明言され、しかもそれを実行されたわけです。
まさに日本建国の原点がここにあるわけです。

 畿内が凶作に見舞われたら、中四国や九州がこれを助ける。
九州が凶作に見舞われたら、畿内や中四国から食料を融通して、これを助ける。
これを合理的、機能的に行うために、都が存在する。
このことが、まさに我が国の国家の形になったわけです。

 そしてここを原点にしているわけですから、若者たちが外国の影響を受けて武装するようになっても、その基礎となる根本 に は、 互いに助け合うため、日本全国天下万民がみんな家族なのだという思想が、しっかりと腰をおろしているわけです。
だからこそ日本では、武は、どこまでも人々の暮らしを守り、その国柄を守り、また世の中の歪みを正すために用いるものだ とい う、他国に類例のない、武を、人の道とする思想が、国家の黎明期に完全に定着したのです。

 このことは、世界史、あるいは人類史上、まさに奇跡と呼んでも良いことであろうと思います。

 そしてこのことはさらに、武道を、ただ剣を振り回したり、やみくもに矢を射て敵を殺すという諸外国にあるような形では な く、 むしろ人格の陶冶(とうや)を行うためのものに進化させ(心技体)、さらに武術そのものが、まるで芸術といって良いほどの密 度を持った武芸へと、発展させるに至っています。

 まさしく日本は、そういう意味においても「奇跡の国」といえるのです。


  こんな素晴らしい話は日本人全てに読んで貰いたいものです。皇室の素晴らしさが分かり、何の知識も無いのに女系天皇 など と言って、皇室を破壊しようとする奴等の愚劣さが浮かび上がります。
  きっと、知れば恥をしるでしょう。それとも、やはり、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でな い 者」達でしょうか。それなら、何を言っても変わることはないでしょう。速やかに祖国に帰っていただきましょう。
2019年 11月 12日(火)    第1973回  ★ボトルネッ ク効果と日本人
  明治維新の頃でも日本の人口は3000万人程 度 だったのを知ったのもネットでした。もしかしたらねずさんのところかもしれません。この人口と言うのは歴史を勉強していても 余り問題にはならないようですが、その時代を考える上でもの凄く大事なのじゃないでしょうか。
  日本の場合だと、そこに天変地異が入ります。日本の歴史の大きな転換期には何らかの天変地異が関係していることが多 いと 言うか想像以上に関係しているのじゃないでしょうか。その割にあまり平行して語られることはないようです。もっと、関連付け て考えるべきじゃないでしょうか。

  その点、ねずさんはその辺りを良く説明してくれるので本当に有難い。と言うか、目から鱗です。

  今回の話題などは、特に日本の成り立ちが人口や天変地異によることに驚かされます。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。神武天皇の頃の人口なんて驚くしかありません。全く歴史の都らえ方 が変 わってきます。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月5日

  ボトル ネッ ク効果と日本人

  ・・・略

 実はそうしたボトルネック効果は、およそ2千年余り前の日本にもありました。
それが縄文晩期の人口急減です。

  縄文時代の人口は、日本列島全域でおよそ26万人だったといわれています。
それがその時期に、なんと8万人にまで減少しました。

 理由は、はっきりしたことはわかっていません。
ただおそらくは、南海トラフの大地震か、あるいは火山の噴火、長期に続いた雨などの天変地異によるものでしょう。
これによって食糧事情が悪化し、なんと人口が3分の1に減少したのです。・・・中略

 ところがここでも不思議なことが起こります。
男たちが帯刀するようになっても、それは武威を張って、「俺強え〜!」と威張るようにはならなかったのです。
それ以前に根本的なところで、災害対策のために食が大切であり、そのために和が大切であるという文化がボトルネック 効果 によって根付いていた日本では、武も、どこまでも歪みを正すためのものとして成長していくことになるのです。
このことは、西洋史や東洋史全般において、武力を持つものが王となって君臨して近隣の住民から搾取をしてきた歴史を 考え ると、きわめて稀有なこと、いわば人類史上の奇跡ともよぶべき文化となりました。

 そしてこうした伝統は、歴代天皇へと引き継がれ、第16代仁徳天皇の時代には、大規模な新田開発や、堤防作りが行 わ れ、 第33代推古天皇の時代には、いざというときのために、日頃から「和をもって貴しとなす」という我が国の国柄が明文化さ れ、第37代斉明天皇の時代には、田んぼではたらく庶民こそが、我が国の「おほみたから(公民)」と規定されていき ま す。

 また全国に国司が派遣されるようになりましたが、その国司たちは、幼年期を全員、都で過ごしているわけです。
つまり全国の国司たちは、たがいに親しい関係にありますから、仮にAという国司の治める国が凶作となれば、豊作だっ た他 の国の国司(B)から備蓄米を融通してもらう。
結果として、日本全国規模での相互扶助が、国司と都の朝廷を経由してできるという国の体制が出来上がるわけです。

 日本人は、顔形がかなり違う人々が集った国です。
そうでありながら、等しく日本人としてのマインドをいまなお共通させているのは、まさにボトルネック効果の時代を天 皇と ともに生き抜き、日本全国万民がひとつ屋根の下に暮らす家族のように互いに助け合うということを、長い歴史の中で築いて きたことによるのです。



  日本は、本当に凄い国ですね。それにしても8万人は想像もしていませんでした。天変地異や人口をもっと歴史に関連付 ける べきですね。
  さしずめ、今の日本の人口や世界の人口は何を意味するのでしょうか。
2019年 11月 11日(月)    第1972回  ★GHQに変えられた祝日総点検
  11月3日の文化の日を明治天皇の誕生日を 祝って いた天長節は無理としてもせめて明治節にしようとする動きがあるようです。

  【頑固亭異聞】で、小山さんが報告してくれています。新嘗祭などもGHQによって変えられてしまっていたこともネッ トで 知ったような気がします。
  全く、徹底的に日本を破壊しようとしていたその執念には恐れ入ります。それを易々と受け入れてきた日本人の卑屈さに も驚 かされます。

  やはり、これは当然元に戻すべきでしょう。こんなところでも歴史を知らないようにする仕掛けがなされていたことに日 本人 なら怒りを覚えるべきでしょう。この精神が憲法改正の邪魔をしているのでしょう。
  これも、余りにも素晴らしい国に産まれたことで、お上のやることは間違い無いと刷り込まれているのじゃないでしょう か。 それが弱点になっているのでしょうね。

  戦後の劣化したお上を見せつけられているとそんなお上頼りが当てにならないことにもやっと気が突き出したのかもしれ ませ ん。それにしても、余りにも素直過ぎました。


  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」ですね。
2019年 11月 10日(日)    第1971回  ★英語は日本語と歴史を習得してから勉強すべき
  何時もの宮崎さんのメルマガは、ご本人の記事 だけ でなく書評や読者の声もレベルが高く何時も目から鱗ばかりです。

  今回の読者の声は英語教育について実際に海外で英語を操った体験をされた方々の声だけに貴重なものがあります。
  この部屋でも何度も書いていますが、今の日本の英語教育の可笑しさが浮き彫りになっています。

  特に、政治家で日本語もまともに習得せず、正しい国家観も歴史観も持たないものが英語を使う危険さに恐怖を覚えま す。
  特に、宮崎さんが宮澤喜一を挙げているのに納得しました。歴史を知らない為にKoreaに付け込まれニセ慰安婦問題 で日 本を貶めた張本人でしょう。
  こんなのを総理に選んだ日本人の大きな失敗です。何と、その宮澤喜一の足元にも及ばないようなセクシー政治家を次期 総理 になんて言ってる日本人は同じ過ちを犯すのでしょうか。

  兎に角、この読者の声は面白い。是非読んでください。

 宮崎正弘 の国際 ニュース・ 早読みより  令和元年(2019)11月5日(火曜日)弐  通巻第6262号 

  (読 者 の声2)

 貴誌6262号の「読者の声」で、私の英語教育論を述べさせていただいたところですが、時事通信社11月4日配信の 「小泉 氏、得意の英語で環境外交=自民からは不安の声」というニュースが目にとまりました。
 (私には)このいささかの教養も感じられない、無内容な、カッコだけの若造、英語云々以前に、日本語による言動でさえ も、 能力に疑問があると思っていましたが、ここでも馬脚を現していますね。
 小泉氏の英語能力の程度を具体的に知るわけではないので、同氏の学歴などから推測するものですが、国内で、英語学習も 十分 でなかった者(すなわち、文法応用力も語彙力も十分に身に着けていない者)が、わずかの期間、「留学」して卒業証書をもらっ てきても、そんな程度で、「大臣」が責任ある発言をできるレベルに達しているとは考え難いように私は思い(推測し)ま す。
 そもそも中途半端な英語力でありながら、そのことを自覚できず、「国際会議では『通訳を通してでは勝負にならない』」 (上 記時事通信社ニュース)などとのたまうことが、教養の浅さを示しています。
 少なくとも、実務者レベルの者ならともかくとして、「大臣」としての外国要人との会話で、語学力不足からの誤解が生じ た ら、どうするつもりなのか。
 直接の会話は挨拶程度か最低限の「私的」会話にとどめるのが賢明ではないだろうか。
 相当に語学力があっても、通訳を介することによって、少なくとも、通訳されている間、思考をする時間の余裕を得て、回 答が 慎重なものになるだけでなく、最悪の場合、通訳の誤訳だったと言い逃れる余地もあります。
 上記時事通信社ニュースは、「自民党内にはパフォーマンスにも映る今のスタイルを続けることへの不安の声もある」と述 べて いますが、そのとおりでしょう。 

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%87%AA%E6%B0%91%E5 %85%9A&ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1& fr=link_direct_nws(椿本祐弘)

(宮崎正弘のコメント)英語をひけらかした宮澤喜一を思い出しました。国益を守るのが政治家のはずでは、と何回も在任中 に感 じたことでした。
三十数年前まで、政治家で英語を操る人は稀でしたが、いまは相当数、それも若手が出てきましたが。。。

   ♪
(読者の声3)貴誌6261号「読者の声」における、「昔の英語教師」氏の英語教育・入試論、拝読しました。とりわけ同 感し たのは、「むしろ喫緊の課題は、外国語の達人を目指す1割の若者に対する英才教育だ」ということです。小生は、「英才」にも なれなかったのですが、今でも恨みに思って ・・省略・・とは言え、私のように「上級国民」とは言い難い人生を送った人 間に とって、いったい、多くの時間と費用をかけても、中途半端な英語学習など、どれほどの「効用」があったのか、また現にあるの か、と思うと自嘲的にもなります。しかし、それを言うならば、数学だって、物理だって、化学だって同じことであって、独 り 「英語」だけが『役に立たない』などと誹られるいわれもないでしょう。・・について。
 
自分も英語にはかなりの時間を費やしてきました。英語学習のメリットとしては、WEBの時代に英語でニュースが読める、 仕事 で多少使えるなど。時間を費やしたことについては、それに繋がって面白い経験ができたのでなんら後悔はしていません。まーイ ギリス人やアメリカ人にはこの感覚はどうやってもわからないでしょう(笑)。
また日本語と英語の比較を通じ、日本文化と英米文化の違いが分かることは大メリットです。
したがって、「兵隊が攻めてくれば、一緒に酒を飲んで話し合えば、わかる」というような、「ド」日本的な「ド」頭の固い 発想 は自分には存在しません。発想を多様化するという英語学習の隠れたメリットはあると思います。英語に限らず、日本の文化とは 異質な世界の言葉を学ぶことは日本を深く理解することにつながると思います。金魚鉢のなかの金魚は水の存在が理解できま せん から。
 蓋し、将来、本当の英語をしゃべるためには、日本語は子音が少ない言語のため、幼少期に子音、英語のリズムになれるこ とが 必要と思われます。現実に、タイの富裕層は英語がとても上手ですが、幼少期からの学習が成功している好例でしょう。
週に数回数時間の、学校英語にそれは期待すべくもありません。学校英語にもそれはそれのメリットがあって、英語を漢文の よう に読めるようになり、それで十分だし、将来、英語を勉強したくなったり、必要な人にとっての基礎力は築けます。

 自分の時代は、英語を聞く機会はリスニング教材のスローでクリアな英語位でした。あれはいくら聞いても役にはたちませ ん。
それ以外は映画、洋楽、そして今は無きFEN・・・とても懐かしいです。時報の”timeat the tone..”という決まり文句とかいまだに頭にこびりついています。いまは英語なんてユーチューブでいくらでも聞ける時代ですし、洋画はNetflix やUnextなどでいくらでも見れるので良い時代になりました。
この環境下ならば、学校英語の基礎が前提で、仕事で使う英語位は、やる気さえあれば2-3年で可能じゃないでしょうか、 と推 測します(事実はわかりませんが)。
 とはいえ、明治維新時に、英語ができる人間なんて人口の1%も存在しなかったでしょうが、立派に改革をやりとげまし た。
それから推測して、現代でも30人に1人英語が出来る人がいれば、それで十分と思います。極論を言えば、学校英語は 3.3% の人間にとって英語学習をするきっかけになりさえすればそれで良いのでは、と思います。
英語圏の子供と同じ知能で英語できたって、何の意味もありません。
   (R生、ハノイ)

  ♪
(読者の声4)私は、アメリカで9年勤務しましたが、私が見ても英語はかなり劣悪な駐在員も、実務においては、それなり にア メリカ人と意思疎通して仕事をしていました。
たとえば10人駐在員が居れば、本当に英語(特に読み書き)がアメリカ人と対等にできる必要があるのは、1人です。
抽象的な経営思想などを語るためには、やや高等な英語をしゃべる必要があります。
またアメリカ人も、高卒の普通の社員は、社内でしょっちゅう文法を間違って英語をしゃべっていました。私の年代で、厳し い受 験で鍛えられた日本人は、文法や単語力では、そういう高卒のアメリカ人には、まったくひけをとりませんでした。
アメリカ人でまともな英語を喋れるのは、大学に入学した経験がある人になって初めてです。
でも、例えば仮定法過去完了など、アメリカ人でも簡単にはしゃべれないとおもいます。こちらは受験のおかげで頭を必死に 回転 させれば、しゃべれました。

それから話題がとびますが、バルセロナの話です。
数年前、フランスでレンタカーを借り、アンドーラ経由バルセロナに行きました。カーナビ付の大型のアメ車を借りたのです が、 市内の細かい道までは出ておらず、うろうろしているうちにパンク強盗に会い、色々取られました。
同行者の被害は、過去にも経験していましたが、自分が被害者になったのは初めてでした。そこで盗難証明書を作ってもらお うと (海外で被害に会ったら第一にやるのはこれです)すぐ警察に行ったら、対応してくれた警察官が優秀で、こちらが英語で説明す ると、同時にワープロでスペイン語で調書を作ってくれ、説明が終わるとほぼ同時にコピーを取り署名して、そのコピーを日 本に 持ち帰り保険金をもらいました。こんな警官、日本にいるでしょうか。
ところで、バルセロナで話される言葉はスペイン語よりフランス語に近いと聞いていましたが、実際は、英語が相当通じまし た。 当時すでにトラベラーチェックはほとんど使い物になりませんでした。とにかく物騒なところですが、一般人は親切でした。
(関野通夫)
 
(宮崎正弘のコメント)日本人だって、大学をでた人でも、ろくな日本語をしゃべりませんからね。あの名門のプリンストン 大学 ですら『TIME』を辞書なしで読める学生はそうざらにはいないとか。プリンストンの卒業生から聞いたことがあります。

  やはり、まずは日本語です。こんな素晴らしい日本語を習得しないのは余りにも勿体ない。何と言ってもいずれ、世界共 通後 になるのですから。
2019年 11月 9日(土)   第1970回  ★ススキとセイタカアワダチソウのお話
  シラス・頼朝・秀吉とねずさんのお陰で目が覚 めた 話題は沢山ありますが、このススキとセイタカアワダチソウの話も吃驚でした。もう何度も読みましたが、やはり感動します。日 本は人間だけでなく植物まで強いのです。日本ミツバチの話も感動的です。

  一時はセイタカアワダチソウによって占領されたかと思った日本も今やススキの反撃でとうとう逆転したそうです。それ だけ でなく、今やセイタカアワダチソウも日本の風土に会わせるようになってきて共生を模索しているようです。
  日本は人間もそうやって外来人を取り込み同化してきましたが、現在の無理やり外国人を入れるのは人数に無理があるだ けに 同化出来そうもないのが心配です。それとも、日本人は今まで通り最後には取り込むのでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 11月3日

  ススキ とセ イタカアワダチソウのお話

  ・・・略

  日本は、天然の災害が非常に多い国です。
ですから、排他的に自分たちだけのわがままで生きることは、動物であれ、植物であれ、結局はできないのです。
いずれ、時がくれば、わがままな、自分たちさえ良ければという種は、日本の国土の中では自滅していくのです。

  いまでもセイタカアワダチソウは、野山に咲いています。
けれど、昔のような、猛威をふるった、あの姿はありません。
猛威の頃は、高さ4m位にまで生育したものですが、いま生き残っているセイタカアワダチソウは、いずれも、せいぜい1 メート ル。
そして、不思議なことに、他の植物と、あのセイタカアワダチソウが「共存」の道を歩み始めたのです。

 ススキとセイタカアワダチソウの戦いは、こうして、ススキが勝利したのです。

 日本にわがままな外国人がやってくると、はじめのうちは自分たちのコミュニティ内ばかりを贔屓(ひいき)します。
そして電車に乗るときにも、黙って静かに駅のホームに並んでいる日本人が馬鹿にしか見えないのだそうです。
だから、平気で横入りして、座席を陣取ったりします。
けれど、永く日本に住んでいる内に、気がつくと自分も、静かに駅のホームに並ぶようになる。
生まれや育ちが違っていても、いつの間にか、日本人になっていく。

 ススキとセイタカアワダチソウの戦いは、どこまでも共存共和をたいせつにする日本人の、ある意味、戦い方を示していて くれ て いるのかもしれません。


  政治家や経済界の金の亡者たちの失敗も日本人がいずれは克服することになれば良いのですが、今や劣化が酷いのでそれ だけ の力が残っているか心配です。
2019年 11月 8日(金)   第1969回  ★皇統断絶策動と反日メディア・政治家
  週末恒例の【討 論】は、皇統断絶を企む奴等の動きについてです。「護る会」の山田さんと長尾さんがリレーで参加。
 こういう番組が地上波で流れるようになると日本人も一気に目覚めるのでしょうが、反日売国左翼・在日テレビ局は絶対に やら ないでしょうね。

 その中でも、小堀さんが、小泉の時、派遣制度で日本の伝統的企業経営を壊したことを指摘してくれました。つまりは、あ の時 に日本伝統の半分が破壊されたのです。
  後の半分は皇室破壊でした。あの時悠仁さまがお産まれにならなければ、女系天皇が実現していて、そこで日本は終わっ てい たでしょう。
  そう考えれば、あの時が日本最大の危機だったということです。小泉・竹中コンビこそが日本歴史上最大の売国奴と言っ ても よさそうです。正に、平成の弓削の道鏡です。

  もう一つ、小堀さんは、宮内庁への疑問について言及してくれました。やはり、竹田恒泰さんが言われていたように、今 の宮 内庁は宮外庁にして、新しい本当の国家観と歴史観を持った皇室の専門家で創設すべきです。

  小堀さんの発言は、第三部、2時間1分過ぎから。


  皇室の伝統を知らない宮内庁なんて百害あって一理なしです。ここにもGHQの恐ろしい仕掛けがされていたということ で す。そんなものは即廃止すべき。
2019年 11月 7日(木)   第1968回  ★台風災害は、人災 / 国土強靱化のためにも森林(もり)の手入れを
  先人が築き上げてきた知恵を蔑ろにした戦後の 劣化 した気概の無い政治が、今年の災害にえいきょうしていることを、5日)、第 1966回の「★災害対策と住宅政策」で、取上げました。

  藤井・葛城コンビが、【Front Japan 桜】で、国土強靭化について熱く語ってくれています。今回の台風災害は人災であると藤井さんが語れば、葛城さんは森林の手入れこそが国土強靭化であると 語ってくれています。  

 
  やはり、日本の木を活かすことを考えるべきですね。先人が残してくれたこの貴重な財産を活かすことこそが日本を災害 に強 い国にすることでもあるのです。
  もう好い加減に経済が全ての考えを改め、先人が築き上げてきた日本らしい生活を取り戻す時でもあるのじゃないでしょ う か。
  金の為に国を売ることも躊躇しない今の政・官・財などの日本の指導者を見ていたら金の亡者の虚しさを感じずにはいら れま せん
2019年 11月 6日(水)   第1967回  ★渋谷のハロウィン明け
  今日の、「★覆面禁止法を「仮面お祭り」(ハ ロ ウィン)にも適用」で、命懸けの香港のハロウィンと渋谷の迷惑を掛けるそれとを宮崎さんが書いてくれていました。
  その渋谷のあくる日に掃除をしてくれているボランティアの動画がありました。サッカーのスタジアムの掃除は有名にな りま したが、こういう時こそ自分で掃除してもらいたいものです。
  この動画に、2007年8月30日、第 2902回の「ガ ム」などで取り上げたガムバスターズらしきものを使っているのがありました。
  ということは、あのガムのポイ捨てによる黒い染みは未だに減ってないということのようです。日本は綺麗だと良く動画 で外 国人旅行者が褒めてくれていますが、見ていて面はゆくなります。日本の公衆道徳もまだまだのようです 

 参考:ガムクリーン

  日本の素晴らしさで旅行客を呼び寄せるには、こういうガムやタバコのポイ捨ても無くして、それを売り物にする手もあ りそ うです。無理だろうなあ。
2019年 11月 5日(火)   第1966回  ★災害対策と住宅政策
  子供の頃は、どの家も大きな屋根の2階建て で、そ こで親子三代が生活しているのが当たり前でした。それが、いつの間にかこじんまりした一戸建てに親子だけの家族が住むのが当 たり前になってきました。
  それは、大家族という日本の伝統を壊し、子育て問題や老々介護などのを引き起こすことにもなっています。やはり、日 本は 戦後、どこか間違った方向に進んでしまったような気がします。

  どうして、そうなったかをねずさんが詳しく書いてくれています。

  そこには、先人の長い期間を考えるという知恵が無くなったことが見えます。

  戦後の政治が如何にその場限りの考えで行われてきたかが良く分かります。先人の知恵を捨ててきたことによりおかしな 社会 が出来上がり、気が付いたときにはなんだかこんなはずじゃなかったというおかしな国になってしまったようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 10月31日

   災 害対策と住宅政策

  ・・・略

 そして、土地付一戸建ての平均価格を、仮に1億円とするならば、これはゼロ金利政策を行えば、月々8万円の100年払 で購 入し、新築することができるものとなります。

 要するに何を言いたいのかというと、政策次第で、災害に強い街づくりも、広い敷地面積を持った住宅も、災害に強い家屋 も、 街 づくりも、また災害発生時に迅速に復興をすすめることができる街づくりも、すべては人の力で可能だ、ということです。

 そもそも日本列島は、天然の災害がたいへんに多い。
その一方で日本列島に住む人は、四方を海に囲まれていますから、災害が発生したからと、土地を捨てて逃げることもできな い。
そうなると、この日本列島のなかで、とにかくも助け合って行きていくしかない。
冷蔵庫のない時代における唯一の年をまたがった保存食である稲作の発達も、手抜きをしないしっかりした工事の技術も、ひ とつ ひとつの製品をしっかりと丁寧につくりあげる技術国家としての要素も、和の精神も、いずれも日頃から災害に備え、災害が起き ても被災は人災だと考えて、人の力でできる限りの対策をし、また被災後の復興も迅速に行う。

 木造建築の発展も、災害時の迅速な復興を考えれば納得できることです。・・・以下略

  これも、正しい歴史を学ぶことを禁じられたことが原因と言えそうです。やはり、長年築き上げてきた先人の知恵を学ぶ 必要 がありそうです。
  それにしても、歴史を教えない教育が何千年もの間先人が築き上げてきた知恵をここまで見事に忘れさせるのですから、 やは り、教育こそ国の基本ですね。その教育界が一番劣化しているのですから危機は重大です。
2019年 11月 4日(月)   第1965回  ★分をわきまえて生きる
  日本中の松が松喰い虫にやられて殆ど目にする こと が無くなりました。庭木としても高価なものでしたが、あっという間に値が下がり、今じゃ誰も買わないようです。
  我が家にも、門被りに良いと時々買いに来ていた松がありますが、今や声が掛かることはありません。

  そんな松の話が昔は教育に使われていたのだそうです。これも、全く知りませんでした。

  何時ものようにねずさんが教えてくれ低ます。昔の人は上手い話を作りますね。こういう話を聞くと大人になっても覚え てい るでしょうし、何かの時にふと思い出して身が引き締まるなんてこともあるのでしょう。
  やはり、こういう教育を受けたかった。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。今回は短いですよ。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 10月30日

  松のお 話

  ・・・略

 その松の木が、金やガラスや草をうらやましがって、実際に枝をそのようにしたら、結果は残念なことになったというの が、こ の物語です。
けれど考えてみれば、戦後の日本は、たとえば住宅行政において、欧米式の核家族住宅をよろこび、そのような家を手に入れ るこ とが、サラリーマンの夢とされ、気がつけば、国土から緑が失われ、災害に弱い都市をつくってしまいました。
 住宅用の木材も、国産材を使わず、舶来品ばかりをありがたがって、法制度もそのように変えたのですが、外材は、たとえ ば年 間の平均湿度が20%に満たないような土地で生えた木材を用いるわけです。
日本は高温多湿の国ですから、そのような木材を住宅用に使えば、木材は大喜びで空気中の湿気を吸う。
結果、壁紙の裏側はカビだらけといった事態を呼んだりしています。

 個人の生活においても、他人の生活をうらやんだり、手に入らないとわかれば悪口を言ったりと、これまた読本の松の木の よう に、ないものねだりをしては、結果、民度を下げています。

 分をわきまえて生きる。
自分の分の中で、雄々しく、しっかりと人生をすごしていく。
そうしたことのたいせつさを、戦前は、子供たちにしっかりと教えていたわけですね。


  外材で、そんな被害が出ているとは知りませんでした。やはり、先人が残してくれた貴重な山林を活かすべきです。正に 地産 地消の典型でしょう。折角の財産を放置して、それが災害にも繋がっているなんて何とも情けないですね。何でも儲ければ良い じゃなく、「分をわきまえて生きる」ですね。
2019年 11月 3日(日)   第1964回  ★教えられなかった神功皇后と その御功績
  自分の勉強不足を棚に上げる訳じゃないです が、や はり、子供の頃に教わらなかったことは下手したら一生存在しないことになってしまいます。
  昨日の青山さんの提言にも子供の時に教えるべきというのがありましたが、きょうのねずさんの神功皇后の話などで日本 の素 晴らしさを教わらなかった政・官・財等の人達が日本を率いているとを考えると日本が良くなるはずはないですね。

  何時ものように全文を是非リンク元で読んでください。今回は短いです。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 10月29日


  神功皇 后と その御功績

   戦後はまったく教えられることがなくなった神功皇后の御功績。
そこには日本の武を学ぶとても重要な要素がありました。

  第14代仲哀天皇は、ヤマトタケルの子です。
和名は古事記では「帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)」、日本書紀ですと読みは同じで「足仲彦天皇」で す。
仲哀天皇の皇后が神功皇后(じんぐうこうごう)です。
その神功皇后について、戦前の尋常小学読本でご一緒に学んでみたいと思います。
原文は漢字とカタカナによる文語体ですので、いつものようにねず式で現代語訳します。・・・以下略


  やはり、正しい教育を受け、国家観と歴史観を持った日本人が国を導く時代が来ないと今の劣化はどうにもならないの じゃな いでしょうか。 
2019年 11月 2日(土)   第1963回  ★青山さん皇位継承問題を熱く語る 
  青山さんが、久し振りの「虎ノ門ニュース」登 場 で、「護る会」が提出した皇位継承問題を熱くかたってくれました。何と、後半全部です。

  これを安倍さんに直接提出するのだそうですが、それは11月の安倍さんの大事なスケジュールが終わってからだそうで す。
  安倍さんがまさかこれを本気で取り組まない何てことはないでしょう。これだけは防いでくれると信じています。もしや らな ければ本物の売国奴でしょう。正に、歴史に名を残すでしょう。


  やはり、青山さんが主張されているように学校でこれをきちんと教えるようにならなければ根本的な解決とはいえませ ん。何 時になったらそんな日が来るのでしょう。
2019年 11月 1日(金)   第1962回  ★義務教育が日本の教育を堕落させた

    日本の教育の劣化は、GHQや戦後利得者である大 学教授や日教組などが原因だと思ってましたが、それだけでは無いようです。
  いつものねずさんが今日のブログの本題でないところでサラリと書いてくれています。どうやら信賞必罰が無くなっ たところ にこそ原因があるようです。

  ねずさん のひとりごとより    2019 年 10月27日

  「何々 にな ろう」とする者は多いが 「何々をしよう」とする者は少ない。長岡半太郎

 ・・・略

 いまでは戦後教育体制が、小中学校を義務教育にしてしまいましたが、実は、これがいけないことなのです。
たとえ小中学生でも、教師の言うことを聞けなかったり、学業の成績が至らない者は、情け容赦なく放校、落第させる。
 その緊張感こそが、実は教師を教師たらしめ、また生徒を鍛え上げるのです。
緊張感を失った戦後教育では、生徒が教師を馬鹿にするようになり、しかもどんなにあくどい生徒でも、絶対に放校にも ならない し、落第もしないというのなら、教育現場のレベルは、悪い生徒に引きずられて、どんどん環境が悪化します。
 いじめの問題も、根幹はそこにあるのではないかとさえ思います。
教師も同じで、校風になじまない教師なら、あっさりと首になる。
それをしないから、あくどい教師が、まっとうな教師をいじめるような不埒が日常化するのです。・・・以下略



 義務教育の恩恵で育ってきたと感謝していましたが、こんな根本的な問題を抱えていたとは思いもしませんでした。と言う か、 行き過ぎたリベラルが体罰などの禁止に繋がったものと思ってました。体制自体が最初からリベラルだったと言うことでしょう か。
 やはり、信賞必罰は何の世界にも必要ですね。一番必要なのが国会議員達じゃないでしょうか。特にあの反日売国左翼・在 日野 党のやりたい放題は子供には見せられません。良くもあそこまで堕落したものです。

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