誇れる日本69


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2020 年 1月 31日(金)   第2053回  ★文化薫る国、日本
  未だに知らない漢字の多い身ですが、難しい漢 字を すらすらと読みたいと言う願望はあります。つくづくGHQの日本人愚民化の企みには怒りを覚えますが、奴等にしたら日本が二 度と歯向かわないようにと必死で考えたのでしょうからそう責めることも出来ないのかも。

  ところが、明治政府が徳川時代を否定するために候文を廃止にしたのだそうです。今日のブログにねずさんが書いてくれ てい ます。
  これも腹立たしいですが、反面あの候文は流石に今の時代には会わないような気もします。それでも、あの巻き紙に筆で すら すらと書く姿には憧れます。

  それにしても、現代の文字と文章の喪失はこれ以上許しては日本文化の完全破壊にもつながりそうです。

  ねずさんがそんな状況を詳しく書いてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月24日

  文化 薫る 国、日本

  ・・・略

 日本もまた、明治以降二度にわたる文字と文章の喪失が行われました。

 日本語の表記は、何千年という歳月をかけて形成されてきた文化です。
ところが日本は、実は三度にわたる文字文化の変更が行われています。

 ひとつは、明治期のものです。
いわゆる武家文化としての候文(そうろうぶん)が廃止となり、また手書き筆文字から活字に変わることで江戸時代の文化が 失わ れていきました。
これは、徳川時代にあったすべてを否定しようとした明治政府の意向であったともいわれていますし、仮にそこまで行かな かった としても、西洋かぶれによる文化変更がかなり露骨に行われたのも事実です。

 もうひとつは戦後です。
GHQは、日本語の漢字表記を簡略化させるという方針を打ち出し(これを言い出したのは戦前の共産主義系の学者たちです が)、これによって「当用漢字」が生まれました。
「当用漢字」というのは、「当面用いる漢字」のことで、では当面用いたあとはどうするのかというと、当初の計画では、日 本語 を全文ローマ字化し、その後、日本語を廃止して公用語を英語にしてしまうというものでした。

 これによって、たとえば「聯合艦隊」は「連合艦隊」と表記されるようになりました。
また文章のスタイルも、文語調から、口語体に変化させられました。・・・以下略  


  やはり、先人の筆で書いた素晴らしい文章を見せられると、教育の素晴らしさを思わずにはいられません。
  どうあっても、文科省を廃止して教育の再生を一日も早く目指すべきです。無くすには余りにも勿体ない日本の文化を引 き継 いで行きたいものです。
2020 年 1月 30日(木)   第2052回  ★人の矜持 (きょうじ)
  矜持という言葉が大好きです。この部屋でも何 度も 使っています。今日はその矜持という題でねずさんが書いてくれています。
  それも、ねずさんの話の中でも大好きなものの一つです。ねずさんの話は、長い間見てきた時代劇とは全く違います。も しか したら映像の世界でもGHQの工作が当たり前だったのでしょうか。

  特に、娼婦の世界は全く違うようです。これぞ、昨日の対等を見事に証明してくれているでしょう。
  この世界は、世界の人達、特にKoreaの人達には想像も出来ない世界なのじゃないでしょうか。だからこそ、ニセ慰 安婦 であれ程に日本を貶めようとすることが出来るのでしょう。

  何時ものように全文を是非リンク元で読んでください。感動の一編です。
 
   ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月23日

  人の 矜持 (きょうじ)

  ・・・略

 ここで大事なことが二つあります。
ひとつは、掛川藩にお抱えになったばかりの松五郎が、売春婦であるおすみを妻に迎えているという点です。
もし日本人が、売春婦を卑しい職業と考えていたのなら、松五郎がおすみを妻にすることはありえません。
これから藩の若侍たちに学問を教える人物が、卑しい職業の女性を嫁にするなど、許されることではないからです。

ところが掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
それどころか藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役にさえ、松五郎を抜擢しています。

もうひとつの大事なことは、おすみが宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ならず者にからまれてカツアゲ されたときに、そのお金を代払いしている点です。
戦後の時代劇などで、売春婦たちは子供の頃に女衒(ぜげん)によって連れてこられ、売春宿の主人に借金漬けにされ、年季 があ けるまで無理やり働かされたという設定がなされています。
要するに、そういうのは全部嘘っぱちだ、ということです。・・・以下略


  こうした世界を教えられなかった今の日本人もKorean をとやかく言える立場じゃないでしょう。これが分かっていればニセ慰安婦問題なんて頭から否定できたはずです。
  つまりは、河野洋平も分かっていなかったということでしょう。
2020 年 1月 29日(水)   第2051回  ★日本アニ メと対等意識
  「巨人の星」や「あしたのジョー」までは必死 で読 んでましたが、その後は漫画とも縁がなくなってしまい最近のものはタイトル位は知っていても中身は全く知りません。

  ですから最初ねずさんが日本のアニメを取り上げたときは驚きました。ところが、読んで見ると成るほどこういうことか と納 得が行きました。
  あの日本の足を引っ張る麻生さんがアニメを盛んに推していた意味も納得です。今考えると惜しいことをしたものです。 と言 うか、もう一度やってみるべきでしょう。
  秋葉原に一大アニメの殿堂を造って世界からファンを集めるのも面白いのじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。現在の日本アニメが何故世界で受け入れられているのかに感動しま す。と 言うか、無くなったからそういうアニメが出て来たというのに考えさせられます。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月21日  

  日本 アニ メと対等意識

 ・・・略

 要するに日本は、天皇という存在によって、民衆が天下の公民となり、民衆に人としての尊厳がまず与えられていたので す。
だからこそ民衆は安心して互いに個性を発揮することができたし、互いに役割分担をしながら、よりよい社会を構築しようと して きたし、そういう共同体としての社会的風土を構築してきたのです。
これを皇道主義ともいいますが、実は、民衆のひとりひとりに、人としての尊厳が与えられた社会という意味において、これ こ そ、究極の民主主義といえるのではないかと思います。

ここでたいせつなことは、権力者の上位に天皇という存在があり、民衆がその天皇の民とされていたということです。
我が国において民衆が権力者によって隷従させられる動産ではなく、人としての尊厳が認められる存在となっていたのは、一 方に おいて天皇という存在があったからです。
つまり「天皇という存在」と、「民衆の人としての尊厳」はセット、もしくは車の両輪だということです。

だからこそ私たちの祖先は、天皇を「天子様」「御門(みかど)」といって敬い、大切にしてきました。
なぜならそれは、自分や自分の家族の「人としての尊厳」を守り通すことでもあったからです。・・・以下略

 

  対等は全く意識したことがありませんでした。無くなって初めてその素晴らしさに気付くのは人の習いでしょうか。
  やはりねずさんの言われるように取り戻したいものです。
2020 年 1月 28日(火)   第2050回  ★日本の心をつくった12人
  石平さんが「虎ノ門ニュース」でも紹介してい た新 著『日本の心をつくった12人』を宮崎さんが取り上げてくれています。
  宮崎さんは明智光秀評で心が通じたのじゃないでしょうか。それにしても、秀吉・信長の評価は面白そうです。

  石平さんが「虎ノ門ニュース」で12人目は読んでくださいと正体を明かしませんでしたが、宮崎さんはズバリと書いて くれ ています。何と、一色正春さんだそうです。どんな評価なのか興味があります。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和弐年(2020)1月20日(月曜日)弐 通巻6346号  

  日本人の伝統的な武士道精神、独特激甚なる心情で称賛
 とりわけ家康、秀吉、信長を『統一』ではなく、「武士道」の見地から評価した

 石平『日本の心をつくった12人』(PHP新書)

 日本人に帰化した石平氏の活躍はいまさら述べる必要はないが、いまや「日本人以上の日本人」だ。
 多くが忘れかけた、日本人の伝統的な武士道精神を、その美学を、氏独特の激甚なる心情で、称賛している。
とくに特徴的なのは儒学、朱子学、陽明学を総合比較の材料として多角的な視点から論じているあたり、「石平史学」の真骨 頂と 言うべきだろう。
 「わが子に教えたい武士道精神」という副題が示すように、武士道にただずむ普遍的価値観を唱え、西洋化して物質文明に つか り切って精神を堕落させてしまった現代日本人に、魂の奥底から呼びかけるのだ。武士道精神に還れ、と。
 本書が取り扱う十二人とは、源義経を皮切りに北条時頼、時宗、楠木正成、徳川家康、吉宗、松平定信、大塩平八郎、武智 半平 太、大久保利通、東郷平八郎、西郷隆盛、そして個々に付随して同世代人への評価があり、とくに家康の項目には信長、秀吉、明 智光秀が登場するなど芸の細かさがある。
 東郷平八郎の箇所では乃木希典に熱烈な筆が及ぶ。「番外編」に三島由紀夫と一色正春への評価が加わる。初版は2012 年度 で、本書は多少の編成替えと加筆が施されたため、全体が引き締まっている。
 ひとりひとりの紹介は短いが、細かな史伝を渉猟した形跡が行間に埋まっており、なぜ彼らには武士道がよみがえったかを 重点 的に捉えなおしている。
 さて、全員を紹介する紙幅がないので、ニ、三をピックアップする。
あるとき、楠木正成が後醍醐天皇に諫言し、新田貞義を遠ざけよとし、朝廷側の戦略のなさを指摘したが退けられた。
最期には死を覚悟しても死にもの狂いで戦いに臨み湊川に逝く。なぜ楠木が、持久戦の勧告をしたのかと言えば、足利尊氏に つい て九州へ逃げ去った武士が多かったこと、つまり尊氏への信頼のほうが厚かった事実を知ったからだった。まして尊氏も、戦後の 評価において正成を高く評価した事実がある。
そういえば十年以上前に石氏とふたりして河内長野へ赴き、赤坂城、千早城などを巡ったことを思い出した。
 家康をめぐっては先人の信長を異端として切り捨て、また政権を簒奪した秀吉を「戦国のシナ人」とするあたり、日本の歴 史を 読みこなして特質を掴んだうえでの正当な考えが滲み出てくる。
ならば日本を滅亡させようとして信長を誅した明智光秀への評価はどうかと言えば、次のようだ。
「信長が日本人のなかの『西洋人』だとすれば、秀吉はまさに日本人のなかの『シナ人』なのである」
信長は自身をご神体として一神教的世界の構築を夢想していた。つまり多神教ではないゆえに、いずれ天皇制廃絶の危機が 迫って いたとみたのが光秀だったのである。
 「光秀はまさに日本人のひとりとして『天魔』信長を消したわけである。そういう意味では、本能寺の変の歴史的意義はす なわ ち『西洋人』の信長が目指した日本の『西洋化』が、日本的伝統によって阻まれた」(129p)
とする評価に落ち着く。
商人の発想しかない、合理主義の現代人には理解しがたいだろうが、正統の歴史家の目を持つ「石平史学」が随所に披瀝され てい る。

  石平さんが武士道を深く理解してくれているのは有難いですね。と言うか、今の日本人にそれを理解出来る者がどれだけ いる かですね。殆どいないのかも知れません。

  特に、政・官・財の偉いさん達に殆どいないのじゃないかと考えると日本の未来に希望が持ち難いものがあります。本当 に再 生出来るでしょうか。
2020 年 1月 27日(月)   第2049回  ★日本政府によって海外にばらまかれた焦げ付きが、およそ1兆円 で す。
  安倍さんが外遊先で気前よく援助のばら撒きを やら れていますが、あのお金は金利が付いて却って来ると言われています。
  本当でしょうか。日本は戦前の借金も全て返し終えたそうですが、世界にそんな律儀な国が沢山あるとは思えません。
  案の定、多くが焦げ付いているようです。それでなくても国内はデフレで財務省によって公共工事も出来ず、消費税は上 げら れると踏んだり蹴ったりというのに、何故その金を国内で使わないのでしょうか。
  世界の苦しい国を援助することを止めろとは言いませんが、せめて日本をもう少し良い国にしてほしいものです。

  ねずさんが、そのヒントを書いてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月21日

  真実 を探 る

  ・・・略

 実は戦後、日本政府によって海外にばらまかれ、もはや返ってくる見込みのないお金が、およそ1兆円です。
もちろん、そのお金は、国債発行によって得たお金がそのまま右から左に動いたわけではなくて、巨額の郵貯残高であった り、年 金財源であったりします。
しかし、お金はお金であって、出どころがどこであれ、お金に違いはないのですから、ものすごく簡単に図式化すれば、日本 政府 が発行した1兆円の国債発行残高は、そのまま海外に不良債権となって消えた・・・ということになります。

 これが何を意味しているかというと、日本国民がせっせと稼いで貯めたお金が、日本政府によって、まるでダンプカーで捨 てる よ うに海外に横流しされ、不良債権化している、ということです。
ミツバチが生まれてくる子供たちのために、一生懸命働いて蜂蜜を作ったら、できた蜂蜜を日本政府がまるごと奪って、どこ かに 捨ててしまった、というわけです。

 ついでに言うと、海外にお金をばらまいた場合、おおむねその2割が関係者の懐にキックバックされます。
そのキックバックは、当然のことながら庶民のふところに還元されることはなく、一部の人たちの巨大なポケットに吸い込ま れて いきます。
結果、国民はちっとも豊かにならない。

 財務省が問題にしている焦点がここです。
政府が国債を発行するのは構わない。
けれど、そのお金がただ闇雲に海外にばらまかれ、その一部が一部の人だけのふところに入るという、ここを問題視していま す。・・・以下略


  日本人の劣化はもうどうにもならないのでしょうか。ねずさんや日下さんだけが素晴らしい未来を語ってくれてくれてい るよ うな気がしますが、こんな劣化した日本人で大丈夫でしょうか。

  それが可能にするのはやはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」と叫び続けるしかないのでしょう。
2020 年 1月 26日(日)   第2048回  ★災害対策と 三大神勅
  お恥ずかしいですが、神勅という言葉を知った のも ねずさんのところだったと思います。未だに
「天壌無窮の神勅」なんて直ぐには出て来ません。やはり、こういう言葉は子供の時に覚えておくものでしょう。

  なんて、思ってたら三大神勅なるものがあるそうです。当然のごとく知りませんでした。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月20日

  災害対 策と 三大神勅

  ・・・略
 三大神勅(さんだいしんちょく)は、天照大御神が、孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨するに際して詔 (の) らされたとされる3つの御神勅(三大神勅)のことをいいます。

1 天壌無窮の神勅(てんじようむきゅうのしんちよく)
2 宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく)
3 斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)

 ひとことでいうと、この三大神勅は、いずれも天然の災害が多発する日本という国土において、絶対に必要な3つのことを 示し た ものということができます。

 天壌無窮の神勅は、瓊々杵命の子孫がずっと我が国を「治(し)らせ」と説きます。
「治(し)らす」というのは、国家最高権威が、国家の政治権力よりも上位となって、民衆を「大御宝(おほみたから)」と 規定 することをいいます。
つまり民間の活力こそが国を救う。
その民間の活力がなければ、災害対策はできないし、災害からの復興もできないのです。

 宝鏡奉斎の神勅は、地上における天皇の権威が、天上界における天照大御神と同じものとすることを示します。
つまりどのような政治権力であっても、神の威光の前には従わなければなりません。
その神の威光を示す鏡(八尺鏡(やたのかがみ))を持するのが天皇です。
その天皇が、常に大御宝である民が、豊かで安心して安全に暮らせるようにと祈られる。
これに逆らうものはご神威に逆らうということになります。

 斎庭稲穂の神勅は、稲作に用いる稲が、神稲であることを示します。
その神稲から穫(と)れるお米は、神々からの授かりものです。
なぜなら冷蔵庫のなかった時代に、お米だけが常温で数年の長期の備蓄に耐えるものであったからです。
いざ災害というときに、食料の備蓄があるとないとでは、その後の人々の生き残りに雲泥の差が生じます。・・・以下略


  それにしても、呑百姓の息子で子供の頃は田んぼを手伝っていた身でありながら、古古米から食べるなんてのも知りませ んで した。お米は新米を食べるのが当たり前と思ってました。
  もしかしたら百姓は新米を食べても良かったのか、それとも戦後になってのことでしょうか。全く知らないことばかりで す。
2020 年 1月 25日(土)   第2047回  ★神社の手水はなぜ使う
  子供の頃は手水鉢がどこの家にもあったような 気が します。あの時代劇で便所から出て来て手を洗う時に使う水の張ってある鉢です。

  水道がなかったころはあれで手をあらっていたのですが、どうやらあれも日本の素晴らしい習慣のようです。日本人の綺 麗好 きもそうした影響もありそうです。

  何と、あれも天皇が疫病を防ぐ為に始めたものだそうです。何時ものねずさんがそんな由来を書いてくれています。
  やはり、日本は凄い国です。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月19日

  神社の 手水 はなぜ使う

  ・・・略

 そしてこのとき、全国の神社の作法として定着したのが、手水(てみず)の作法です。
手水は穢(けがれ)を祓(はら)うものですから、崇神天皇よりももっとずっと古い昔からあったものかもしれません。
けれど、それが全国的に徹底されたのは、疫病対策に心を砕かれたまさに崇神天皇の御事績です。

 二度と伝染病が普及しないようにと、中央政庁である天社から率先して、政庁に入る人たちが全員、手水を使って手を 洗 い、 口をゆすぐ。
権威ある政庁が率先してこれらを慣習化することで、日本全国津々浦々、誰もが会同(かいどう)と言って人と会った り、 人々が集うとき、あるいは帰宅して家に入るときに、手を洗い、口をゆすぐことを習慣化していく。
そうすることによって、二度と伝染病が蔓延しないようにしたのです。・・・以下略




  まさか神社の手水にそんな由来があったとは想像もしませんでした。やはり日本は庶民が大事にされたきた世界とは全く 違っ た国のようです。
  正に、良くぞ日本に産まれたものです。
2020 年 1月 24日(金)   第2046回  ★皇室と國體
  週末恒例の我那覇さんの「おおきなわ」と中山 恭子 さんの【夢 を紡い で】が、偶然でしょうか共に皇室問題を取り上げてくれています。

  我那覇さんはゲストに小堀桂一郎さん、中山さんは百地章さんという素晴らしい顔ぶれです。

  この御二人の話は国民皆が見るべきです。これを見て理解して初めて皇室問題に答えて貰いたい。と言うか、本物の宮内 庁を 立ち上げるべきでしょう。今の宮内庁は当然廃止か竹田恒泰さん曰くの宮外庁ですね。


  やはり、正しい歴史教育が必要です。それで、正しい国家観と歴史観を持つ国民が育ては女系天皇なんて最初から出てこ ない でしょう。
2020 年 1月 23日(木)   第2045回  ★日本語の乱れの原因も反日売国左翼・在日か
  毎日ねずさんのブログを読む度に目から鱗で す。と ころが、まだまだ勉強が足りないようです。今日も、成るほどそうだったのかと思わされたものがありました。

  それはこの部屋でも何度も取上げてきた日本語の乱れです。平和ボケが抜けきっていないのでしょうか、これを単に日本 人の 劣化だと考えていました。
  ところが、ねずさんがこれも「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達がマスメディアを 牛 耳っているためだと書かれていました。
  成るほど、そう考えれば、日本人では到底思いつかないような言葉遣いのおかしさにも納得が行きます。何で、こんな間 単な ことに気が付かなかったのか。何とも情けない。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月18日  

  友人の ひと こと

 ・・・略

 本にも書きましたが、古語では「をかし」と「おもしろし」は区別して用いられていました。
吉本漫才のような瞬間芸を見て「あはは」と笑うようなものが「をかし」です。
悲しい映画を観たあとでも、「今日の映画おもしろかったねえ」というときに用いられるのが「おもしろし」です。
後者は感動をあらわします。

 最近では、日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人が増え、そういう人たちがメディアを牛耳っているため に、日 本語の表現がかなり不自然なものになっています。
単語がまったく異なる使われ方をするのです。
そしてその異なる使われ方の視点で、我が国の古典を読んだら、それは違った解釈になって当然です。

 たとえば「子供達(こどもたち)」という表現があります。
「供」は複数を表す接尾語で、「達(たち)」もまた数を表す接尾語です。
これでは「子たち、たち」と言っているようなものです。
正解は「子たち」あるいは、単に「子供」で良い。・・・以下略


  やはり特亜3国とは未来永劫の国交断絶が必要のようです。まさか、日本語の乱れもそこに原因があるとは思いもしな かった 迂闊さにまだまだ特亜3国の恐ろしさが分かっていないことを思い知らされました。
2020 年 1月 22日(水)   第2044回  ★時代を拓くのは、常に少数派だったりします
  劣化した日本人は今や金の亡者達の天下です。 金に 執着せずに正しい道を歩むなんてのは愚の骨頂と嘲笑われるのがオチでしょう。
  その金の亡者達が日本を消滅させようとしているように思えて仕方ないのですが、今の時代金を持っている者達には勝て ませ ん。
  とは言え、こんな時代が続けば益々格差は広がり、持たざる者は奴隷のような扱いを受け続けることになりそうです。

  ねずさんが、そんなことは無いとインドのジャンヌ・ダルクを取り上げて励ましてくれています。本当にそうであれば良 いの ですが。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月17日

  インド の ジャンヌ・ダルク「ラクシュミー・バーイー」に学ぶ

  ・・・略

 そして、本日の物語だけでは、すこしわかりにくいことかもしれませんが、いまこの瞬間の利得のために用いられる正義 (本日 の物語でいえば英国軍の正義とそれに味方したインド人たちにとっての正義)は、実は正義の名に値しない。
一方、どこまでも真実を求めようとする者は、そのときの社会からは排除されることになることがおおい。
これまでの世の中は、そういうものであった、ということです。
このことは、ネットによる情報化が進んだ現代においても、実は同じです。

  別な言い方をするならば、主流派と反主流派ともいえます。
主流派は、いまこの瞬間の利益を代表します。
従って、世の中の圧倒的多数は、主流派の味方です。

 一方、反主流派には二通りあって、でたらめな主張を繰り返して、主流派の足を引っ張るだけの人たち。
これらは主流派になれなかったストレスを、反対派になることで解消しているだけのわがままな人たちでもあります。
もうひとつは、普遍の真実に生きようとする人たちです。
そういう人たちは、いつの時代にあっても、少数派です。

 けれど、時代を拓くのは、常にその少数派だったりします。
世の中はおもしろいものです。


  金は無くても、こういう生き方だけはしたいものです。日本人がかってそうであった先人の心を取り戻す日が来ることを 期待 していものです。
2020 年 1月 21日(火)   第2043回  ★災害対策か ら生まれた日本人の責任性と対等観
  福沢諭吉が英語の「right」を、「権利」 と訳 したのが間違いだと言っていたように、戦後の日本人は権利ばかりを振り回し責任を取ることをしなくなったと言われています。
  その代表的なのが反日売国左翼・在日共でしょう。所謂行き過ぎたリベラルでしょう。

  ねずさんが教えてくれた侍が刀を大小2本差している意味の凄みを今の日本人は知るべきでしょう。そういう私も2本差 しは 単に侍の別称であってその意味は全く知りませんでした。

  今や責任を捨ててしまった日本人と2本差しの違いは余りにも大きい。これこそが劣化した日本人の象徴じゃないでしょ う か。こんな覚悟を持って生きている日本人が今何人いるでしょうか。
  特に政・官・財のお偉いさんたちに何人いるかを考えると絶望するしかなさそうです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月16日

  災害対 策か ら生まれた日本人の責任性と対等観

  ・・・略

 一方日本は、いかなる場合も、「対等」を尊ぶ国柄をもちます。
なぜそうなるかといえば、日本人は、古来一貫して陛下のもとにある「公民」だからです。

  もちろん身分や立場の違いはあります。
けれどそれは社会的役割の違いであって、人間そのものの価値や国の価値を決めるものではない。
男と女、年長者と若者、武士と職人、町民と農民、頭のいい子、勉強のできる子と、勉強はイマイチだけど運動や体力に優れ た 子、それぞれに違いはあるけれど、むしろその違いを互いに尊重しあうことで、互いに協力しあって、より良い社会を築いてい く。
天然の災害の多発する日本では、そうしなければ、人々が生きていくことができなかったのです。・・・中略

 江戸時代、武士には「斬り捨て御免」が許されました。
百姓町民は、無礼があれば、武士は斬って捨てました。
それは身分制であり、差別であり、上下関係ではないかという人がいます。
大きな間違いです。
江戸武士には、もちろん「斬り捨て御免」が許されましたが、その代わり、武士は大小二本の刀を差すことが義務づけられて いた のです。

 なぜ「斬り捨て御免」の代わりに「大小」なのか。
大刀(長い方の刀)は、もちろん無礼打ちに相手を斬り殺すためです。
小刀(短い方の刀)は、そのあと、自ら腹を斬るためのものです。
たとえどんな無礼があったにせよ、人を殺めた以上、その責任をとって自刃(じにん)する。
その覚悟のもとに、無礼打ちが許されたのです。
だから武士は大小二本の刀を腰に差したのです。

 つまり、武士と町民、武士と農民は、互いに人として「対等」であるということです。
そういう日本人にとって、身分は秩序のためのものです。
上下関係ではないのです。

 ためしに会社の経営者の社長さんに「あなたは偉い人ですか?」と聞いてみたらわかります。
日本人の社長さんなら、100人いたら100人とも、
「とんでもない。偉くなんかないです。『エライ』だけです」と答えることでしょう。
「エライ」というのは「しんどい」という意味です。
責任が重くてしんどい。
なぜならそれは、人として対等な部下に対して、あるいは取引先に対して、重大な責任を負っているからです。
つまり日本人にとっての上下関係というのは、責任性の自覚と発露にある、ということです。
チャイナ的な意味における身分とは異なるのです。・・・以下略


  今、日本人がこの心を取り戻したら素晴らしい国になることでしょう。とは言え、失ったものを取り戻すのは不可能に近 いで しょう。
  それでも、先人が造り上げてきた文化ですから我々にも出来ないはずはないと思いたい。
2020 年 1月 20日(月)   第2042回  ★ほのあかりの美 粋が日本女性の美
  現在の日本人の劣化は目も当てられない状況に 陥っ ていますが、その中でも日本の子育てや家事を一手に引き受け、亭主を手の平の上で転がしてきた凛とした女性の劣化が一番酷い と言えば顰蹙を買いそうです。
  とは言え、日本の凄さを支えてきたのは日本の女性の凄さだっただけに、もしかしたらGHQに狙われたのかもしれませ ん。

  その昔の女性の素晴らしさを加瀬英明さんが詳しく書いてくれています。おかしな男女平等と言うレッテルにだまされて 世界 一素晴らしかった日本女性の劣化を放置してきたことが悔やまれます。日本はやはり女性次第でしょう。

  加 瀬英明のコラムより     Date : 2020/01/15 (Wed)

  ほのあかりの美 粋が日本女性の美  

     私は昭和11年生まれだが、明治生まれの2人の女性をよく知っていた。

     父方の祖母のか津と、母方の祖母の鶴だ。2人はそれぞれ9人と、8人の子を産んで育てた。2人とも小柄で気丈だった。

     先の戦時中、私は外務省の少壮幹部だった父を東京に残して、母と長野県に疎開したが、空襲下で、か津が父の面倒をみた。

     戦争が敗戦に終わって、9月2日に東京湾に浮ぶ敵戦艦ミズーリ号艦上で、降伏調印式が行われた。父は全権団の随員として、甲板を踏んだ。敵将マッカー サーが傲然と立つ前で、重光葵全権が万涙を呑んで調印するわきに立っているのが、42歳だった父だ。

     父はその前の晩に、か津に降伏調印に随行することを告げた。か津は父を正座させると、「私はあなたを恥しい降伏の使節として、育てたつもりはありませ ん。行かないで下さい」と、凛としていった。

     父はこの手続きを経ないと、日本が立ち行かなくなると、恂々(じゅんじゅん)と説明した。しかし、か津は承知しなかった。「わたしは許しません」といっ て立つと、隣室へ行って父のために翌朝の下着や、服を整えはじめた。衾(ふすま)ごしに泣きじゃくる声が、低く高く聞え た。

     私は10月に父の借家に戻った。か津は私を正座させると、「英明さん、この仇はかならず討って下さい。約束して下さい」といった。私はいまでも、この教 えを大切にしている。

     鶴も焼け出されたので、戦後、鎌倉の私たちの家で暮した。鶴の父は薩摩兵を率いて、会津若松の攻城戦を指揮して、落城した時に自害した家老夫妻の娘を 娶って、鶴が生まれた。会津若松城の別名の鶴ヶ城からとって、名づけられた。

     私はか津と鶴の洋装姿を、一度も見たことがない。もっとも、あのころは服といえば和服であって、洋服はまだ洋服と呼ばれていた。

     鶴はいつも毅然としていた。私がある時、時間を守らなかったところ、「時間も太陽や、人や草木と同じ生き物です。あなたの親しい友達です」と諭された。 凛としているところが、美しかった。

     私は幼いころから、母が着物を着るのを手伝わされたことから、着付けの免許も持っている。私は多年、公益社団法人『全日本きものコンサルタント協会』の 役員をつとめているが、着物は心で着るものだ。諸外国のようにただ衣が美しく、正しく着ているだけではならない。立ち居 振る 舞いが、何よりも問われる。

     私は空手道の有段者として武道に携わっているが、武道は心の道とされている。剣道、弓道、杖道、茶道、書道、華道、香道も、すべて内面の心のありかた が、基本となっている。日本だけにみられることだ。

     日本の心を一言でいえば、何だろうか。和の心である。
    和のために控え目であること、偽らないこと、周囲を思い遣ることが求められている。日本は美しい心の国であってきた。

     武道をはじめ、何ごとについても感情を露わにすることがあってはならなかった。和の心は自制心によって成り立ってきた。

     私が40代のころまでは、農村や漁村に皺だらけの老女がいた。

     白いほつれ髪とともに、皺の数だけひたむきに生きてきた美しさがあった。いまでは高齢の女性が増えたものの、このような美しい女性を見ることがない。

     日本女性の美しさを一口でいえば、粋(いき)であろう。粋は控え目であって、表に現われない心意気、心ばえ、気合がこもっている。

     というものの、粋は異性なしに成り立たないから、巧みに媚態を秘めながら、暗示して男心をくすぐる。苦労があるとしても、凛としているから感じさせな い。

     ほのあかりの美というのだろうか。つい3、40年前までは、粋をはじめとして日常生活のなかに、気というリズムがあった。

     人生は誰にとっても、苦の連続だと考えられていた。苦楽といって、まず苦があった。今日では大多数の人々にとって、楽の連続でなければならない。。

     そのために、すぐに不満を露わにして、耐えることができなくなった。挫折しやすい。

     今日では屋内まで、LEDなどの剥き出しの照明によって陰影が消され、凹凸がなくなって、空間がつかみどころがない無性格なものとなっている。

     とくに、若い女性たちは口を開くと、美しい音楽を聴いた、よい景色を見て「癒されました」という。私は「え? どこか病いを患っているのですか」と、た ずねることにしている。癒されるというのは、病んでいることを前提にしている。

     今日の女性は化粧が上手になったのと引き替えに、表情が険しい。外面を飾ることに熱中するあまり、内面を疎かにしている。

     だが、女性は男性の鏡の存在だ。男性が劣化したために、女性を道連れにしたにちがいない。

     いまでは「ブス」というと、容貌を指す言葉となっている。だが明治時代までは身のこなしかたが醜悪なことを、「不粋(ぶす)」といった。いつの間にブス が容貌についてのみ、いうようになったのだろうか。

     江戸時代から明治までは、派手なことが嫌われた。けばけばしい身装をした田舎者の女性を、「葉(は)出(で)」と書いて嘲笑した。余計な葉がはみだして いることを、意味していた。

     この30年ほどだろうか、羞(はじら)いや、ちょっとした女らしい仕草をみせたり、目もとがすずしい女性がいなくなった。

     もっとも、まだ日本には美しい女性がいる。11月に兵庫県に講演に招かれた時に、受け付けの20代のお嬢さんの物腰が、魅力に溢れていた。祖父が陸軍落 下傘部隊の勇士だったということだった。

     日本の女性に、絶望することはない。

  日本の女性にはもう一度軟弱な男を再生させる為にも昔ながらの凛とした女性を取り戻して貰いたいものです。日本は女 性が 男を育て導くことで成り立ってきた国であることを思い出して下さい。日本は女性の双肩に掛かっているのです。
  男なんてちょっとおだててやれば必死で働くのです。そのことはあなたたちが一番知っているはずです。
2020 年 1月 19日(日)   第2041回  ★鎌倉幕府の 崩壊と児嶋高徳
  臥薪嘗胆は高校の古典で習ったので辛うじて 知って いましたが、児嶋高徳を知ったのはずっと後のことだったような気がします。それもうる覚えです。
  戦前の人達は子供の頃から歌で覚えていたようです。やはり戦後の教育は日本人に真の歴史を教えず劣化させることを目 標に しているようです。
  こんな出鱈目な教育を早急に改革しないと日本は本当に消滅するのじゃないでしょうか。荻生田さんに期待したいところ です が、一人の力でどうこうなるものじゃなさそうです。まずは文科省の廃止からですから道は遠過ぎるようです。やはり、戦後と同 じ70年は覚悟しないと行けないのかも知れません。それまで日本が存在しているでしょうか。

  その教育の大事さをねずさんが教えてくれています。

  いつものように全文をリンク元で読んでください。
  
  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月14日

  鎌倉幕 府の 崩壊と児嶋高徳

  ・・・略
 
 勾践には、信頼する部下がいました。
それが范蠡(はんれい)で、范蠡は、敗戦の屈辱を受け、何もかも失った越王勾践に富めるときも貧しいときも常に変らぬ忠 誠を 誓い続けて勾践を守り続けます。
そして勾践が決起したとき、見事夫差を討ち滅ぼしています。
この逸話が、
「会稽(かいけい)の恥をすすぐ」という忠臣物語です。

 つまり児島高徳は、自分を「范蠡」になぞらえて、自分の気持ちを後醍醐天皇に伝えようとして、上の漢詩を書いたわけで す。
ところが桜の木に書かれたこの文字を見つけた鎌倉の後醍醐天皇護送団は、誰ひとり、詩の意味がわからない。

 実際はどうだったのかはわかりませんが、『太平記』は、後醍醐天皇を支えた反鎌倉方の忠臣となった武士たちを、非常に 教養 の 高い武士たちとして描写しています。
おそらく、我が国が天皇の知らす国であることを、教養として身に付けているのかいないのか。
そのことが、後々の世まで影響する大事であるという基本認識のもとに『太平記』が書かれているからであろうと思います。

 いま日本は、建国以来の危機にあると言われています。
その日本を守り救うのは、我が国の歴史伝統文化の中に根付いてきた本来の日本の形を常識化することにあります。
ただ外国批判や、国内の一部政治勢力批判だけでは、決して国は変わらない。
古いものと新しいものを融合し、よりよい日本を築いていくこと。
そのために必要なことは、正しい知見であろうと思います。



  日本人がこんな話も常識としていた戦前の日本が凄かった意味が良く分かります。アメリカが日本兵の残したノートなど への 日記や詩を見てその二等兵でさえ教養が高いのを知り恐怖したという意味も分かります。
  やはり、日本は先人に追いつく必要があります。もしかしたら不可能かも。 
2020 年 1月 18日(土)   第2040回  ★みかんのお話
  子供の頃は他に食べるものはなかったがみかん だけ はふんだんにあったような気がします。我が坂出も産地があり山の斜面にはみかんの木がならんでいました。
  ところが、これも平成に入ってからかもしれませんが、みかんの消費がどんどん落ちて、みかん農家も殆どが廃業してし まい ました。
  オレンジの輸入解禁やスナック類を食べるようになったからじゃないでしょうか。

  ところが、ねずさんは別な捉え方をされています。これも、やたらに西洋を崇める日本の悪い癖で、折角の平等な素晴ら しい 国を、西洋の格差社会にしてしまったからだそうです。これは面白い考えですね。
  と言うか、金が全ての社会を取り入れてしまったことと、戦後のGHQや戦後利得者達による自虐史観がここまで日本を 劣化 させたと言えそうです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月12日

  みかん のお 話

  ・・・略

 明治に入って欧米文化が日本にやってきたとき、日本人が驚いたのは、西洋の貴族たちが、まるで王侯貴族のような生活を して いることでした。
当時は彼らは船で日本にやってきます。
それには莫大な費用がかかります。
つまり、爵位を持った貴族でなければ、日本にやってくることはできないし、西洋貴族は贅沢な暮らしをしています。

 国の富を、社会のみんなでわかちあう社会であった日本では、社会的富は国民に分散されています。
それは、みんながお金持ちであり、みんなが等しく貧乏だということです。
そこに、王侯貴族のようなお金持ちがやってくれば、それはショッキングな出来事です。
しかも世界中の有色人種を奴隷化して、その富を奪っているのですから、すさまじい。
豊かさは、誰もが持つ憧れです。
だから日本人は、洋風化すれば誰もが贅沢な暮らしができるようになると考えた、というか騙されてしまったわけです。
特に戦後は、それが著しい。

 もう一度、本当にたいせなことは何なのか。
一部の王侯貴族だけが、みかんを食べることができる社会なのか。
それとも、一般庶民の誰もが、暖かな部屋でみかんを感謝していただくことができる社会なのか。
私達は考えてみる必要があるのではないかと思います。・・・以下略


  みかんはともかく、日本人はもう一度皆が幸せになるという日本を取り戻す必要があるのは間違い無いでしょう。

  1%の金持ちと99%の貧乏人の社会はやはり住み心地が悪い。日本人の心地良い社会を取り戻したいものです。1億総 中流 も結構楽しかった。
2020 年 1月 17日(金)   第2039回  ★知っておき たい「令和」の意味
  最悪の平成よりもっと悪くなる令和のことは余 り興 味が沸きませんが、ねずさんが、その令和の意味を書いてくれています。
  その中で、GHQがこの素晴らしい日本語を消滅させようとした企みと何故それを防ぐことが出来たのかを書いてくれて いま す。
  もし、これが成功していたら日本人は今以上に劣化していたのは間違い無さそうです。とは言え、かろうして守られた日 本語 も奴等の仕掛けでどんどん劣化しています。これを何とか護らないと日本はどんどん劣化して行くでしょう。
  やはり文科省を廃して教育改革を急ぐべきです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月11日

  知って おき たい「令和」の意味

   ・・・略
 漢字には、一語一語に、その成り立ちと意味があるということは、国語の教育を受けたことのある方であれば常識とすると ころ です。
けれど戦後「漢字かな混じり文を用いるから日本人は優秀だ」、あるいは「日本人が優秀で戦いにも強いのは、日本人が漢字 かな 混じり文という特異な文化を持つことに由来する」という議論がなされ、GHQによって昭和22年に「当用漢字」が示されて、 ここから日本人は漢字の持つ本来の意味を失っていくようになりました。

  そもそも「当用漢字」というのは、「当面用いる漢字」の略です。
では漢字を当面用いた後にどうするのかといえば、日本語表記を全部ローマ字にするという案が当時出されていたのです。
ところが、ローマ字を書いたことがある方ならわかると思いますが、これでは大変に意味がわかりにくい。

 早い話、新年の挨拶を、
「Shinnen akemashite omedetou gozaimasu.」
と書くのと、
「新年明けましておめでとうございます」
と書くのでは、文字の読み取りの速さがまるで違うし、日本語は歴史が古いために同音異義語が非常に多い。
加えて、「キラキラ」とか「ガタゴト」というような「オノマトペ」と呼ばれる擬制言葉がたいへんに多い言語ですすから、 ロー マ字表記にしたら、ものすごく言語の意味がわかりにくくなります。
このため、日本語表記のローマ字化については、各方面から猛烈な反対運動が起こり、さしものGHQもゴリ押しができなく なっ て、結果、「当面用いる漢字」とカナによる表記が、戦後の日本語表記の方法になりました。

 その代わり、ほとんど報復的に、漢字の意味が取りにくいものに変更させられました。・・・以下略


  どう考えても、教育改革が一番急がれます。これを放置したまま経済が発展したところで三島由紀夫さんが言われる空っ ぽの 国が出来上がるだけです。そんな国は直ぐに崩壊するでしょう。
2020 年 1月 16日(木)   第2038回  ★箸墓古墳を素粒子「ミューオン」で調査
  技術の進歩は見えないところで進んでいるよう で す。何と、古墳を掘らずに調べることが出来るのだそうです。素粒子を使ってレントゲンのように調べるようです。

  それを、使って卑弥呼の墓じゃないかと言われている箸墓古墳を調べるのだそうです。卑弥呼と言えば、最近は、 2017年 11月19日、第 1249回の「関 東の古代国家と日本のアイデンティティ」で、取り上げたように、田中英道さんが邪馬台国や卑弥呼は魏志倭人 伝の 嘘だと発言されています。
  そんなことが明らかになれば面白いですね。長い間Chinaに騙されていたことが解るでしょうか。

卑弥呼は実在したのか
  完全に見透かすことは出来ないようですね。となると益々謎が深まるのかも。
2020 年 1月 15日(水)   第2037回  ★悪とは何 か。悪に打ち勝つ方法とは何か
  この部屋を始めた頃は、どんなに嫌いな奴でも 一応 敬称を付けていました。しかしながら余りの売国振りに段々怒りが収まらなくなり何時の間にか敬称を省くように成ってしまいま した。時々迷う人もあってきちんと分別もできていません。
  やはり敬称の省略は悪なのでしょうね。

  とこんなことを書いたのも、何時ものねずさんが、悪とそれに打ち勝つ方法を書いてくれたからです。

  残念ながら私にはこんな高尚なことは出来そうもありません。やはり負け犬なのでしょう。

  何時ものようにリンク元で全文を読んでください。

  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月10日

  悪とは 何 か。悪に打ち勝つ方法とは何か

  ・・・略

 では、名誉を奪われたとき、私達はどのようにしたら良いのでしょうか。

 実はその答えはひとつしかありません。
名誉を奪われたのです。
それなら、また新たに名誉を築いていかなければなりません。
それはとっても時間のかかることです。
5年かかるか、10年かかるか。
もしかすると40年、50年かかるかもしれない。
まさに破壊は一瞬、建設は長い年月の死闘です。

 それでも努力して自己の名誉を築き続けていく。
これが「魂の成長」です。

 それをしないで、ただ他人の批判だけに終始するだけなら負け犬です。
それだけです。・・・以下略


  日本の名誉挽回も気が遠くなる程の時間が必要なのでしょう。日本にそれが出来るのでしょうか。
2020 年 1月 14日(火)   第2036回  ★生活の為に国会議員になるのは本末転倒
  櫻井よしこさんが「虎ノ門ニュース」で、国会 議員 の意識に痛烈な批判をしてくれています。この部屋でも何度も書いてきたことをズバリと発言してくれました。

  アメリカの収入を投げ打って国政に携わった素晴らしい人を例に挙げて日本の政治家の劣化を嘆いてくれています。正に 我が 意を得たりです。
  政治を志すのならせめて国の為に働くという強い意志を持って貰いたいものですが、そんな議員さんはどれ程いることで しょ う。少なくとも反日売国左翼・在日議員さんには居ないでしょう。
  自民党にも殆どいないのが悲しいですね。
2020 年 1月 13日(月)   第2035回  ★日本を救っ た古代の英雄・・・大伴部博麻
  GHQと大学教授に潜り込んだ戦後利得者達に よっ て正しい国家観や歴史観を教えられず、ましてや「愛国心」なんて軍国主義の象徴のように遠ざけられた戦後の教育が日本人を劣 化させ現在の堕落しきった日本が出来上がってしまいました。
  これを先人が持っていた精神に戻すのはやはり同じ70年が掛かるのでしょうか。とてもじゃないが今の日本にそんな余 裕は ないでしょう。それまでに消滅するしかなさそうです。

  とは言え、諦める訳にはいかないのも確かです。やはり、急速な教育とマスメディアの改革によって正しい国家観と歴史 観を 取り戻すしかないでしょう。

  そんな「愛国」という言葉が産まれた訳をねずさんが書いてくれています。これもねずさんに教わるまで全くしりません でし た。と言うか戦後教育を受けた人は誰も知らないでしょう。

  今こそ、国を愛する心があたりまえであることを取り戻す為にも国民皆が知っておくべき話です。

  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月7日

  日本を 救っ た古代の英雄・・・大伴部博麻

   「愛国」というと、なにやら先の大戦における戦時用語であるかのように宣伝されていますが、まったく違 いま す。
先の大戦どころか、1300年以上も前から用いられている栄(は)えある言葉であり、しかもこの言葉は、天皇が一臣民に 直接 与えた勅(ちょく)として、我が国の歴史上、唯一のお言葉でもあります。

その勅は、日本書紀・巻三十三、持統天皇記に、次のように書かれています。
持統4年(690)の出来事です。

「朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠」

 朕(われ)、厥(そ)の
 朝(みかど)を尊(たふ)とび
 国を愛(おも)ひて
 己(おのれ)を売(う)りて
 忠(まめなるこころ)を
 顕(あらは)すことを
 嘉(よみ)とす

(朕は、朝廷を尊び、国を愛し、己(おのれ)を売ってまで忠を顕したことを喜びとする)

そして持統天皇は、大伴部博麻に、従七位下の位を与え、絹織物十反、真綿十屯(1.68s)、布三十反、稲千束、水田四 町の 報酬を与え、さらに課税を父族、母族、妻族まで免じられました。

大伴部博麻は、何をしたのでしょうか。・・・以下略


  こうした碑が残っているところに日本再生の可能性も残っているのじゃないでしょうか。日本人は信実を知ればきっと立 ち直 れる。その為にも、教育とマスメディアの改革が急がれます。
2020 年 1月 12日(日)   第2034回  ★平成の30年間は平和は誰が担保したのか?
  令和になって平成より悪くなったと言う声は全 くと 言って良い程聞こえてきません。やはり皆さん遠慮しているのでしょうか。  
  とは言え、去年の災害の多さは最悪の平成よりもっと悪い令和を予感させるように思えるのは私だけでしょうか。

  櫻井よしこさんが平成の平和はアメリカのお蔭、そのツケが令和に来ている。令和は大変な時代と「虎ノ門ニュース」で 鋭く 指摘してくれています。

  これが、本当じゃないでしょうか。今年に予定されている五輪だってまだ終わってないのですから。終わってから喜べば 良い のじゃないでしょうか。
  
  何と言っても、4月には習の国賓招待という最悪の事態が待っているのです。果たしてどんな年になるのでしょうか。
2020 年 1月 11日(土)   第2033回  ★日本で最初の天神さま〜防府天満宮(山口県防府市)
  我が坂出市に縁のある菅原道真公が鎖国を初め て 行ったことをねずさんに教えてもらい、その為に太宰府に長されたことを、2018年12月8日、第 1634回の 「★ 日本の三大怨霊の二人が坂出に縁あり」で、とりあげました。
  今やそれにならって特亜3国との鎖国を願う身としては、菅原道真公の話題となると目がとまります。

  何と、日本で最初の天神さまは山口の防府天満宮なのだそうです。てっきり太宰府だと思ってました。

  そんな話題を産経が書いてくれています。

   産経ニュースより    2020.1.6

  【日本再発見】日 本で最初の天神さま〜防府天満宮(山口県防府市)

 受験シーズンを迎え、山口県防府市の「防(ほう)府(ふ)天満宮」がにぎわいをみせる。学問の神様で知られる菅原道真 を 祭った最初の神社とされ、道真を祭る「天神」や「天満宮」は全国に約1万2千社あるが、同宮が1番≠ナあることは意外にも 知られていない。

 太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、北野天満宮(京都市)と合わせ、日本三大天神と称される防府天満宮は、延喜4年(西 暦 904年)に創建された。道真が大宰府で死去した日、防府の「勝間の浦」に神光が現れ、酒(さか)垂(たり)山(やま)(現 在は天神山)に瑞雲がたなびいたという伝説が残されている。道真は太宰府に向かう途中、防府に寄港し、この地に強い思い 入れ があった。境内には、最初の創建であることを示した「扶桑菅廟最初」の碑がある。

 同宮は国の重要文化財をはじめ約500点の宝物、書物、絵巻物なども収蔵し、その充実ぶりは神社系博物館の中でも群を 抜 く。

 そんな由緒もさることながら、近年は「合格はちまき」でも注目されている。同宮が販売する「合格御守」の中には手ぬぐ いサ イズのはちまきが入っており、合格した受験生らがお礼参りで奉納する。毎年12月中旬には、その合格はちまきを巫(み)女 (こ)が洗濯し、洗う様子は同宮の風物詩になっている。

 はちまきはアイロンをかけて希望者に無料配布されており、最近は郵送での受付も始めた。はちまきには受験生への激励 メッ セージが書き込まれており、縁起がいい。同宮は「受験生だけでなく、資格試験を目指す社会人の方からも人気があります」と話 している。縁起物が新年に幸を運ぶ。

 JR山陽本線防府駅から徒歩約15分。合格はちまきは社務所(0835・23・7700)まで。

  それにしても道真公、防府に強い思い入れがあったとは。坂出には思い入れがなかったのでしょうか。もしかしたら坂出 が三 大天神になる可能性もあったのじゃないでしょうか。ちょっと残念。
2020 年 1月 10日(金)   第2032回  ★出処進退のすべては、もっとも大きな大義(君臣の道)を根本と せよ
  この話もねずさんのところで最初に読んだと き、何 とも凄い人がいるもんだと感動したものです。それだけに、自分の情けなさを思い知らされてがっかりしました。
  とてもじゃないが、こんな人に追いつくことなんか不可能だと早々に諦めたというか、そんな考えも持たなかったと言っ ても 良さそうです。

  ところがねずさんは手本にしたいと言われてます。やはり私のような軟弱者とは出来が違うようです。

  それにしても、ここまでの覚悟を持って生きる人を育てた日本もやはり凄いと言っても間違いないでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月5日

  出処進 退の すべては、もっとも大きな大義(君臣の道)を根本とせよ・・・軍神杉本五郎中佐の手紙

  ・・・略

 私の子、孫たちに、
根本とすべき大道を
直接指導する。

 名利など、なにするものぞ。
地位が、なんだ。
断じて名聞名利のやからとなるな。

 武士道は
我が身を犠牲にする心(義)である。
義の、もっとも大事なものは、
君臣の道である。
出処進退のすべては、
もっとも大きな
大義(君臣の道)を根本とせよ。

 大義を胸に抱かないなら、
我が子、我が孫と名乗ることは許さない。
たとえ貧乏のどん底暮らしとなったとしても、
ただひたすらに大義を根幹とする心こそ、
私の子孫の根底である。・・・以下略



  あっさりと諦めた私ですが、ねずさん程でなくても、少しは追いつきたいと思います。余りにも遅すぎるかも。 
2020 年 1月 9日(木)   第2031回  ★国内は性善説、対外は性悪説で臨むべき
  日本人は余りにも素晴らしい国に産まれ育った 為 に、他人を信じる性善説が身に浸み込んでいるようです。どうしても他人を悪人とは思えないので悪意のある者にあっさりと騙さ れる。おれおれ詐欺に未だに引っかかるのもその所為でしょう。

  ところが、世界は腹黒い。特に特亜3国などはその典型でしょう。それだけに国内と同じ様に考えてあっさりと騙され る。外 務省がそれでどれだけ日本に損失を齎したことか。未だにそれにきがついていないのが最悪です。

  新春対談のトリの加瀬英明さんが警告を発してくれています。

  日本人は国内が如何に恵まれているかを知り、外との付き会いは国内と変える必要があることを自覚すべきです。特に、 政・ 官・財で外国との交渉をする人達はこれが必須でしょう。

  正しい国家観と歴史観を持ち、尚、内外との使い分けが出来る人だけが対外交渉に携わるべきです。それが出来ない人を 使っ てはならない。
2020 年 1月 8日(水)   第2030回  ★★神道は天地悠久の大道である。いつまでも続く、 限りの無い、大きな道だということです。
  神道と宗教の違いが分からずにいました。神道 は宗 教とは違うと言うのは理解出来るのですが、それでは何なのかと言われるとしっくりする言葉を見付けることが出来ませんでし た。

  ところが、外国人神主さんが書かれている「「神道は天地悠久の大道である」と言います。それは、いつまでも続く、限 りの 無い、大きな道だということです。」を、読んで、そうだ神道は道なんだと納得が行きました。

  何と、「神道」にちゃんと道と書いてあるじゃないですか。宗教と言う言葉に騙されてそれに気が付かなかったとは全く お恥 ずかしい。

  これで、剣道・柔道・茶道など何でも道が付く意味も理解出来たような気がします。是非、リンク元で全文を読んでくだ さ い。
  これで、神道とは何ですかと聞かれても「道」と自信を持って答えられます。宗教何て小さな枠では説明できないのが神 道で しょう。
2020 年 1月 7日(火)   第2029回  ★「クジラはアートだ」 絵巻、浮世絵、工芸品など一堂に
  クジラって何でこんなにワクワクするのでしょ う か。やはり大きいものに憧れがあるのでしょうか。妙に子供の頃から好きでした。
  もしかしたら、誰もがそんな感情を持っているのか芸術の世界でも良く取上げられているようです。

  そんなクジラの特別展「クジラはアートだ!」が開かれているようです。白浜海洋美術館というから和歌山かと思ったら 千葉 だそうです。

  一昨日の伊達政宗のステーキの話題といい、クジラの話題が増えるのは良い事じゃないでしょうか。早く流通量が増えて 私の 口にも入るようになって欲しいものです。

  産経ニュースより     2020.1.2

   「ク ジラはアートだ」 絵巻、浮世絵、工芸品など一堂に
 
 クジラをテーマにした絵巻や工芸品などを一堂に集めた特別展「クジラはアートだ!」が、白浜海洋美術館(千葉県南房総 市) で開かれている。令和元年7月に商業捕鯨が再開されたことでクジラへの関心が高まる中、クジラが食べるだけでなく、美術など の日本文化に大きな影響を与えたことを知る機会となっている。

(文化部 平沢裕子)

 江戸時代に開花

 四方を海に囲まれた日本では古来、クジラがさまざまに利用されてきた。縄文時代にすでに食用とされ、油はせっけんやろ うそ く、骨や歯は工芸品や宝飾品、ひげは生活用品や文楽人形のバネなどに活用。敗戦後には貴重なタンパク源としてクジラ肉が学校 給食のメニューに度々登場するなど、日本人にとってクジラはごく普通に日常生活の中に存在していた。

 それが1980年代に始まる国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨の一時停止を受け、食卓にクジラ肉がのぼる機会が激 減、多 くの日本人にとってクジラを身近に感じる機会がほとんどなくなっていった。

 しかし、今年6月に日本がIWCから脱退、7月に商業捕鯨が再開され、再び食を含めたクジラ文化に注目が集まってい る。同 展を企画した「鯨と海女の研究室」室長で、同美術館学芸員の松浦信也さん(72)は「日本でクジラ文化が花開いたのは、クジ ラがたくさん捕れるようになった江戸時代中期の1600年代後半から。浮世絵や絵巻、びょうぶ絵など美しい美術品や工芸 品の モチーフになっているが、知らない人も多い。アートからみたクジラの魅力や面白さを知ってほしかった」と説明する。

 「鯨組」描いた絵巻

 特別展は、すでに展示を終えた鳥羽市立海の博物館(三重県鳥羽市)との共同開催。3つのテーマに分けられた館内には、 万祝 (まいわい、大漁祝い着の長はんてん)や浮世絵、掛け軸、茶道具、郷土玩具など約150点が展示されている。

 中でも興味深いのが、江戸時代の鯨組(鯨猟を目的とする漁民の組織)の活躍を描いた作者不詳の「古座浦捕鯨図絵巻」。 船に 乗り込んだ鯨組の男たちが悠然と泳ぐクジラの巨体に勇敢に挑み銛(もり)を投げて捕獲、浜に引き上げて解体するまでの様子が 時系列で色鮮やかに描かれている。「時間の流れに沿って描かれた絵巻は今のマンガの原型。プロの絵師によって描かれた絵 巻に よって、当時の捕鯨がいかに大きな富を得る産業だったのかも分かる」と松浦さん。

 現実をしっかり描写

 また、江戸時代の絵師・蘭学者の司馬江漢(1747〜1818、生年・没年は諸説あり)が、長崎に近い生月島で捕鯨漁 を見 学して描いた「捕鯨図掛軸」のパネル展示からは、江漢がクジラの姿や捕鯨シーンに感動して描いたことが伝わってくる。同館を 訪れていた、ザトウクジラを長年撮影している写真家の西村純さんは「300年以上前の絵なのに古さを感じない。船に乗っ た男 たちがクジラに銛を刺す様子など、想像でなく現実をしっかりと見て描いているのに驚いた」と話した。

 浮世絵でもクジラは格好の題材で、歌川国芳作「宮本武蔵の鯨退治」(復刻版)や歌川広重作「東海道五十三次之内 池鯉 鮒」 (同)など世界中の人々を魅了した作品が楽しめる。

 さらに、クジラのひげを使って作った贈答品の食器なども展示され、クジラの部位を捨てることなく利用してきた日本人の 知恵 がうかがえる。松浦さんは「クジラを丸ごと利用すれば環境保護にも役立つ。展示を見ることで、クジラの利用は日本が誇るべき 文化ということを多くの人に知ってもらいたい」と話している。

  クジラのヒゲがあったからこそあのからくり人形もスムーズな動きが出来るのだそうですが、日本人の創意工夫に感服し ま す。その精神を忘れたような現在の企業は反省してもらいたいものです。これも、劣化してチャレンジ精神を失った経営者の短期 の利益しか求めない所為のようですが。
2020 年 1月 6日(月)   第2028回  ★誰でも上手な和歌が詠める超簡単な方法とは
  どうせ今更和歌を詠むなんてできないと諦めて いま したが、ねずさんの今回のタイトルを見て、もしかしたらと読んでみました。
  ところが、やはり甘くはないようです。何と、「本歌取り」のすすめです。成るほどそ うい う方法があったのかと思ったものの「本歌」さえ知らない無教養の身ではどうにもならないようです。やはり身の丈に会わぬ 考えだったようです。

  ご丁寧に、ねずさんは諦めた場合のも福沢諭吉の言葉を用意してくれています。素直にそれに従います。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。


  ねずさんのひとりごとより    2019 年 12月27日

  誰でも 上手 な和歌が詠める超簡単な方法とは

  ・・・略
  これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少に して 文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達す べきなり。
右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、 士農 工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。

 学問をするには分限を知ること肝要なり。 

  
  やはり、分相応に生きましょう。
2020 年 1月 5日(日)   第2027回  ★伊達政宗公とくじらステーキの話
  消費者運動「鯨類に感謝 @ Thanks Cetacea」さんが、鯨食の促進に頑張ってくれています。消費量は伸びているのでしょうか。折角捕鯨を再開したので すから消費も盛んになって鯨を食べ る習慣が戻ってきて欲しいものです。

  テレビで伊達政宗がクジラステーキを最初に食べたとの話題が取上げられたと紹介してくれています。  
  流石、政宗公、新しいことに挑戦していたんですね。鯨食は明治になってとの説もあるようですが、本当のところはどう なん でしょう。何時頃から日本で食べられていたのか興味が沸きます。捕鯨の浮世絵があるのですから江戸時代には結構食べられてい たのでしょうか。

  説はいろいろあるようですが、昔は打ち上がったもの、捕鯨は江戸時代で地域限定のようです。積極的に食べ られ たのは戦後の食料不足を補う為だったようです。
  つまりは、我々団塊の世代が一番お世話になったのかも。
2020 年 1月 4日(土)   第2026回  ★★文化を取り戻すことが、日本を取り戻す
  数を数えるのに、「ひぶみよいむなやこと」を 何時頃覚えてのか記憶もありません。やはり物心がついたころに親が教えてくれたのでしょう。
  しかし、自分が子供に教えた記憶もありません。これも自然に教えたのでしょうか。その「ひふみよ」に深い意味がある ことはねずさんのブログで初めて知ったものです。日本語の奥深さに改めて驚かされ感動させられたものです。

  今回もその話題ですが、何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  日本語の奥深さに、疎かに扱っては行けないと心から思います。やはり、日本語は世界の共通語にすべきでしょう。
  
  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月3日

  なにご とも 霊(ひ)が先

  ・・・略

  私達の先輩の世代までは、幼い頃に数詞として「ひふみ」を教わり、その言葉の持つ意味を成長して学識を得ることに よっ て、それぞれがさらに深い知識とし、これを生きる意味にしていったのです。
「伝統には意味がある。」

日本人としての、古くからの文化を取り戻すことが、日本を取り戻す、一見、遠回りに見えるけれど、もっとも近い道程なの だと 思います。
そのひとつが霊(ひ)の概念です。



  小堀桂一郎さんが水島さんとの新春対談で、このねずさんの「文化を取り戻すことが日本を取り戻す」と同じことを語っ てくれています。その中で、外国人が日本の精神を学びたかったら日本語を勉強しろと言ってくれています。

  やはり、日本語は世界共通語になるべきです。その為にもおかしな言葉使いは止めたいものです。日本人が日本語を大事 にしなくてどうする。


  やはり、日本の再生は教育ですね。一番大事なものをあの文科省に任す訳には行かない。  
2020 年 1月 3日(金)   第2025回  ★★天皇の四方拝
  ネットでねずさんのブログに遭遇したことで人 生が変わったと言っても良い。もし、ネットが無く、ねずさんがブログを書いてくれていなかったらきっと日本に嫌悪感を抱 きながらあの世に行ったのじゃないでしょうか。
  そう考えると戦後の歪んだ教育の恐ろしさを改めて思います。

  この四方拝も全く知らずに生きてきていたのですから何とも恐ろしい。それにしても、こんな凄い国は本当に世界には無 いでしょう。その有難さを教えない教育に疑問を感じ無い人達が文科省に巣食っているのは子供達に対する罪です。一日も早 く廃止すべきです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。こんな素晴らしい国に産まれた喜びを国民が共有すべきです。 
  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月2日

  天皇の 四方 拝

  ・・・略

  世界中に、王や皇帝と名のつく人は、古今東西、歴史上枚挙に暇がないほど、数多くいたし、いまもいます。
けれどそれらすべての王侯貴族は、ことごとく「支配者として君臨する人」です。
これを古い日本語で「ウシハク」といいます。

 ところが日本の天皇は、神々の御意思を臣民に知らし、神々の「おほみたから」である臣民の豊かで安心して安全にくらし たいと いう思いを神々にお伝えする役割です。
つまり天皇は支配者ではなく、無私の大神官です。
その天皇を頂点とする体制を、これまた古い日本語で、「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。

 ですからシラス統治のもとでは、民衆が神々の「たから」となります。
神々のたからであるということは、民衆に国家として最高の尊厳が与えられているということです。
つまり究極の民主主義といえる統治が、シラス(知らす、Shirasu)です。
日本は、神話の昔から、このことを基本にできあがっています。

 ただしシラス国であるためには、民衆の側にも高い民度が求められます。
そうでなければ民は我執我欲に走り、なかでも飛び切り欲の深い者が富や政治を私物化して独占し、他の民から収奪をはじめ てし まうからです。

 ですから知らす統治には、そうしたゆがみを正す機能が必要です。
それが荒魂(あらたま)です。
まっすぐにすることを「たける」といい、漢字で書いたら「武・健」です。
世界中、どの国の言語でも、武は攻撃(アタック)か防御(ディフェンス)のためのものです。
しかし我が国ではどこまでも、歪みを正してまっすぐにする(たける)ために用いるのが武です。

 人々が私的な欲を自ら抑えこみ、誰もが公徳心を持って真っ直ぐに生きることができるならば武は必要ないかもしれませ ん。
けれど、そのようなことは人間社会ではあり得ませんから、歪みを正す武(たけ)るが必要となるのです。
いまの日本に欠けているのは、その武です。

 そもそも歪みを正すための「武」と、他人の迷惑を顧みない暴力とでは、まったく意味も方向も結果さえも異なるもので す。

 ともあれ、高い民度を保たなければならない国に、私たちは生まれました。
これはとてもたいへんなことです。
ひとりひとりにルールが求められるからです。

 赤信号ならば、誰もいなくても、ちゃんと停まらなくてはならない。
それは誰もいなくても監視カメラがあるからではなくて、天が見ているからです。

 そしてどこまでも謙虚に、自分の幸せだけでなくみんなの幸せを願っていく。
天皇陛下が率先して、元旦の早朝から、そうしておいでになるのです。
国民もまた、互いの「愛」を大切にする。
そうすることで、互いに信頼しあえる国を築いていく。

それが日本です。



  民衆が高い民度を身につけるにはやはり教育が基本でしょう。その基本が狂っているのではどうしようもない。やはり、 早急な改革が必要です。日本人は信実を知れば解る人達です。早く日本を取り戻しましょう。
2020 年 1月 2日(木)   第2024回  ★関電高浜3・4号機、来年8月以降停止へ テロ対策施設間に合 わず
   アレ(菅)が仕掛けた原子力規制委の横暴 を、29 日、第 2020回の「★世界基準に大きく遅れた原子力規制委」で取上げました。
  この問題を常に警告してくれているのが櫻井よしこさんですが、それにも関わらず安倍政権は完全に放置したままです。 国が 滅びるより恐れることがあるとは思えないのですがどうしても踏み込まないようです。

  その櫻井さんが警告してくれていた消防法による工事の遅れで感電の高浜原発が来年には停止だそうです。全く、無茶苦 茶で す。このアレ(菅)が残した規制委を廃止することは出来ないのでしょうか。その為に国が消滅しても良いのでしょうか。  

  産経WESTよ り    2019.12.26

  関 電高浜3・4号機、来年8月以降停止へ テロ対策施設間に合わず
 
 関西電力の高浜原発3、4号機(福井県高浜町)が来年8月以降に順次停止することが26日、分かった。関電が同日開い た取 締役 会で、現状では原子力規制委員会が義務付けるテロ対策施設が設置期限に間に合わず、工期短縮策を検討していることなどが報告され た。電力供給に影響しないよう、火力発電所の稼働増など高浜原発の代替措置の検討を進めている。

 原子力規制委は今年4月、テロ対策の「特定重大事故等対処施設」の完成が設置期限に間に合わない原発には、運転停止命 令を 出す 方針を決定。高浜3号機は令和2年8月、同4号機は同10月にそれぞれ期限を迎える。

 関電は今年4月時点で、期限に1年程度遅れるとし「早期完成に向けてあらゆる方法を検討している」(岩根茂樹社長)と 説明 して いた。高浜3、4号機が停止すると、火力発電の燃料費増などで毎月80億円程度利益を押し下げる。現時点でテロ対策施設の完成時 期は未定。運転停止が長期化すれば経営を圧迫する。

 原発のテロ対策施設をめぐっては、九州電力が10月、川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)を来年3月以降に順次 停止 する と発表した。

  これこそ内部テロと言っても良いのじゃないでしょうか。それに何の手も撃たない政府も同罪でしょう。

  その原発の停止による電力を補う為に開発された世界一効率の良い石炭による発電樹まで止めようとする勢力があるので すか らもう何をかいわんやですね。
  これぞ、行き過ぎたリベラルでしょう。と言うか、チュチェ思想一派の陰謀かもしれません。それが可能なのが平和ボケ 日本 です。

  やはり、日本は一度反日売国左翼・在日共を一掃してやり直す必要があります。奴等に国を消滅させられても良いのです か。
2020 年 1月 1日(水)   第2023回  ★深層心理、 潜在意識、阿頼耶識、神々の知恵

ね ずさんの日本の歴史に対する解釈が段々深くなっているようです。頭の悪い私には理解できないところもお おいですが、単純に日本は凄い国だと喜んでいます。

  それにしても、今までねずさんのような深いところまで考えた歴史学者はいたのでしょうか。批判はあ るでしょうが、こういう夢のある肯定的な考えは面白くてワクワクするじゃないですか。素直に楽しまして もらいましょう。

  今回も、何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとよ り    2019 年 12月27日

  深 層心理、 潜在意識、阿頼耶識、神々の知恵

  ・・・略

 私達の国・日本にある古い日本文化は、もしかすると超最先端の現代学問よりも、実はもっとはるかに進 んだ内容を持っていた かも知れない。
そのように思います。

 日本を信じ、良心を信じ、人を信じ、愛を信じる。
祖代や古代の日本人は、一般庶民がそうしたことができる国を目指しました。
そのために、過去を抹消することなく、過去を叡智(えいち)と考えて、そこから大切な学びを得るという 国柄を築いてきまし た。
 私は、日本は3万年以上にわたって蓄積された知恵を、一度も滅ぼされることなく継続し蓄え進化させて きた国であると思ってい ます。
その日本の知恵を、あらためて学び直す。・・・以下略



  何時か、世界が日本に感謝する日が来ると考えると何とも嬉しくなります。そんな日が来て欲しいもの です。   


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