誇れる日本(78


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2020年 10月31日(土)   第2327回  ★戦前戦中の教 科書における神功皇后に関する記述と考える授業
  戦前の教育が全て正しかった訳ではないのは当 然でしょ うが、それでも寺子屋の雰囲気もまだ残っていたのじゃないでしょうか。
  どうやらそれは今で言う義務教育の年頃の子供達には実施されていたようです。

  ところが、高校・大学となると西洋文明に犯された教育が取り入れられ、今の堕落した大学と良く似たものだったようで す。
  それこそが、日本を敗戦に導いた原因の一つだったのじゃないでしょうか。

  ねずさんがそんあ戦前戦中の教育を書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。 

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /23

  戦前 戦中の教 科書における神功皇后に関する記述と考える授業

  ・・・略
 神功皇后の時代は、おそらく西暦200年頃であったろうとされています。
このときに神功皇后が神がかりとなって三韓を征圧されました。
戦前全中までの授業では、ただここで「神功皇后の三韓征伐があった」という事実にとどまらず、そこから元寇の一点を除い て、なん と現代まで1800年以上にわたって、日本がチャイナの属国とならずに済んできたということを、生徒が考え、知るに至ったので す。

 ここが大事なところです。
なぜならそれは、生徒たちがただ書かれたものを鵜呑みにするということではなく、自分の頭で考えること(考えさせるこ と)が授業 の要諦となっていたということだからです。

 以下にあるのは、この神功皇后の授業に際しての戦前の小学5年生への出題です。

(1) 神功皇后が新羅を討ち給ひし次第を語れ。
 (神功皇后がどうして新羅を討ったのか、その理由を述べよ)
(2) 三韓が皇威に服せしことにつき言へ。
 (三韓はどうして日本の属国となる道を選んだのですか。その理由を述べよ)
(3) 神功皇后の御功績を數(数)へあげよ。
 (神功皇后のご功績は、何だったと思いますか。主なものを3つ挙げよ)

 これが戦前戦中までの学校教育です。
いまのように、「文中何行目の《それ》は何を指していますか。15文字以内で答えなさい」といった設問ではなく、文中か ら読み取 れることについて考え、その考えを生徒同士で議論することが授業でした。・・・中略

 組織というのは、ピラミッド型ばかりではないのです。
日本型経営組織は、組織は番頭・手代・丁稚の三階層しかありません。
番頭は責任者。
手代が働く人。
丁稚は見習い中の人です。

 たったそれだけで組織運営ができたのは、組織の形がピラミッド型ではなく、球体構造をしていたからです。
球体には中心核(店主)があり、その表面にピラミッドの三角形を描いても、そこに描かれた点は、すべて頂点になります。
ですから球面に上下はありません。
このことは、お客様の前では、その人が社長と同じということを考えれば、容易に理解できます。

 そして球面構造に於いては、互いの意思の疎通と、全員の一致協力が不可欠です。
その全員の一致協力のことを、古い言葉で「一揆」といいます。心をひとつにする、という意味です。

 そして全員で心をひとつにするためには、ひとりひとりにちゃんと思考力と決断力、そして実行力が伴っていなければなり ません。
何事も他人任せで、自分はマニュアルに書かれたことだけをすれば良いということにはならないからです。
そういう社会に役立つ人材を育成するのが、戦前戦中までの日本の幼年教育の根幹であったわけです。

 ちなみにすこし余計なことを書くと、こうした戦前戦中の教育は、幼年教育がきわめて優れたものであったのに対し、高等 教育(い ま でいう大学など)に関しては、目的の明確な陸海軍の予科や大学、師範学校以外は、あまり褒めたものがなかったように思います。
なぜなら下手に大学を出ると、西洋型の思考に染まり、日本の歴史伝統文化を粗末にしたり、やたらに居丈高に気取ってみた りするよ うな人が多かったといえるからです。
代表的なのが、夏目漱石の『坊っちゃん』に出てくる赤シャツのような人です。

 つまり欧米型ピラミッド社会に染まってしまうのです。
すると、下の者に思考停止を要求し、上に立つ者にのみ、思考や言論の自由があるかのように錯覚するようになる。
一部に極端な男尊女卑のようなものが見られたのも、そういうことが背景になっているものと思います。

 そんな具合ですから、戦前戦中までの教育を、良いものばかりであったと述べるつもりは毛頭ありませんが、ただ、ひとつ の事件や 事 故、あるいは歴史から、さまざまなことを考える、そういう習慣が、人に主体的であるという自由を与えてくれるのではないかと思い ます。


  何でも西洋が上との思い込みは恥ずかしながらネットでねずさん達に教わって目覚めるまで持ちつづけていました。
  これこそが、明治維新以後の日本が抱えた問題だったのでしょう。と言うか和洋折衷こそが日本が取るべき道だったので しょう が、日本の良さを理解出来ずに西洋崇拝に傾きすぎたのが間違いだったのでしょう。
  やはり、もう一度日本の素晴らしさを見つめ直す必要があります。
2020年 10月30日(金)   第2326回  ★オードリーヘップバーンの晩年の詩
  今日、取り上げた「★人間が神を創造したので はない。 神が人間を造ったのだ」で、ねずさんの世界と同じだと書きました。
  と言うか、やはり人間は自分を磨くことこそが目指すべき道なのでしょう。大事な人生を他人の悪口や愚痴などで費やす のは余り にも勿体ないということでしょう。

  とは言え、それが一番難しいと言えそうです。あのオードリーヘップバーンさんはそんな道を目指していたようです。あ の日本人 好みの美しさは内面からの輝きだったのでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /22

  オー ドリー ヘップバーンの晩年の詩

  ・・・略
 及ばずながらそこで何を言いたいのかといえば、歌や名前や和歌や人の言葉などを、ただ聞く、鑑賞する、鵜呑みにするの ではな く、そこに自分なりの価値観を重ねることが大事だ、ということです。

  歌や名前や和歌や人の言葉などを、ただ見たり読んだり聞いたりして、「いいなあ」と思うことは、ただの反応です。
情報がインプットされ、その情報に基づいて反応するだけではいけないと思うのです。
インプットとアウトプットの間に、自分なりの価値観を常に挟むようにする。
そうすることで、我々は物事を他人のせいにするのではなく、価値観に沿って選択する自由を得ることができます。

  ここが大事と常々思っています。
現代日本人の多くが陥っている陥穽です。


  それにしても、先人は凄い世界に生きていたようです。戦後に堕落した日本人が先人に追いつき追い越す時代なんて来る のでしょ うか。とてつもなく高い目標なのかもしれませんが、やはり、日本人こそがやらなければならないのでしょう。
  それを世界は待っているはずです。日本が諦めたら世界は救われないでしょう。
2020年 10月29日(木)   第2325回  ★加藤清正に学 ぶ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ
  秀吉の朝鮮征伐の本当の意味をねずさんに教わ り、正に 目から鱗でした。ところが、そんな程度では無いようです。
  何と、日本は朝鮮と戦うというよりChinaとの戦いだったそうです。つまり、朝鮮半島は戦いの場でしかなかったの だそうで す。これも、目から鱗です。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。後半に、君が代の動画があります。

  それにしても李氏朝鮮王朝が国でさえなかったというのも驚きです。やはり、何があっても相手にしてはいけないお国の ようで す。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /21

  加藤 清正に学 ぶ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ

  ・・・略

  この時代、半島にあったのは李氏朝鮮王朝ですが、この王朝に半島の政府としての機能も意思もありません。
いわば半島にあった暴力団の組長のようなもので、行政機能を持ちません。
ですから半島では国民への教育も行なわれていませんし、半島の人々も、自分たちが李朝の国民、つまり李氏朝鮮国の国民で あるとい う「李氏朝鮮国民」としての自覚も意識も認識もありません。

 そういう情況ですから、戦いが始まっても、半島人にとっては、外国人たちが自分たちの土地で勝手に戦っているという程 度の認識 し かなかったし、まして国を守るなどという意識もありません。
そもそも守るべき国を持っている認識自体がない。

 その意味では「秀吉の朝鮮征伐」という言葉は、「川中島の戦い」という語と同じで、戦いが行われた場所が緒戦半島内で あったと い うだけで、川中島に住む人々が戦いの当事者ではないのと同じものであるというのが、我が国の古くからの認識です。・・・中略
 

   ・・・略

  ちなみに、このプロモーション・ビデオで、君が代を2回歌っていますが、これが本来の歌い方です。
我が国では、単独のものは必ず二度繰り返す。
手紙が1枚なら、何も書かれていない紙を後ろに付けるし、何かをするときも同じことを二度繰り返すか、あるいは2名で行 います。
報告も2系統から行われる。
そうすることで、思いを確実なものにしていくというのが、我が国の伝統文化です。

 争わず、やさしさを保持して生きることができる社会こそ、人類の理想といえる社会です。
そんな国柄を護る、やさしさを護る。それがやまとおのこのつとめです。
男は男らしく。女は女らしく。
そうすることで互いの良さを最大限に発揮できる社会こそ、私達が取り戻そうとしている豊葦原の瑞穂の国です。
そして君が代は、そんな大和の国を皇国臣民のみんなで讃える歌です。
君が代こそが、国歌です。


  この2度繰り替えすというのも全く知りませんでした。そういえば、手紙に白紙の便箋をつけていたのを思い出します。 あれにそ んな意味があったとは、全く知りませんでした。何ともお恥ずかしい。
2020年 10月28日(水)   第2324回  ★菅内閣の重大な課題 日本を後進国にする政策と意味の無い構造改革
  菅(スガ)さんが安倍さんの積み残しを消化し ようと 色々と手を付けているので期待出きるところもありそうですが、やはり経済面での動きがズレているようです。

  馬渕睦夫さんが、「ひとりがたり」で、痛烈に指摘してくれています。やはり、Chinaからの撤退と日本的経営の再 生こそが 日本が取るべき道であることは間違い無いようです。

  これに一番遠いのがあの売国奴竹中でしょう。もし、菅(スガ)さんが竹中の考えを取り入れるようなら日本の経済が立 ち直るこ とはないでしょう。


  さて、菅(スガ)さんはどうするのでしょうか。それとも、見事に失敗して二階・公明党・竹中などを道連れにして安倍 さんへ政 権を渡すという深い意図があるのでしょうか。そうであれば最高ですが、流石にそれは無いのでしょう。
2020年 10月27日(火)   第2323回  ★「和を以て貴しとなせ」の本当の意味とは
  日本には十七条の憲法という素晴らしいものが あるにも 関わらず、GHQによって押し付けられた憲法を未だに改訂もせずに独立できない日本。
  これぞ、日本人の劣化の証拠の最たるものじゃないでしょうか。ねずさんも日本人の余りの体たらくに怒り心頭なので しょう。十 七条憲法について何度も書いてくれています。
  
  今回は、反日売国左翼・在日共に利用される「和を以て貴 しとなせ」の本当の意味を書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /19

  「和 を以て貴 しとなせ」の本当の意味とは

  ・・・略

 つまり十七条憲法は、議論に始まり(第一条)、議論に終わっている(第17条)いるのです。
ただやみくもに、仲良くしなさい(和をもって貴しと為す)といっているのではないのです。

  そしてこの十七条憲法の精神は、五箇条の御誓文にもなっています。

「一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」

 すべての事柄は、おおやけの議論で決めましょう、というわけです。
これが日本の精神です。

 ですから、上に述べた神功皇后のご事績に学ぶときも、そこから設問をもうけてみんなで議論する。
そうすることで子らは、議論の大切さやおもしろさ、そして古典に学ぶことを教わったのです。

 このように、戦後教育で教えられてきたことをただ鵜呑みにしていると、実はとんでもない誤解を植え込まれていた部分が あるとい うことに気付かされます。
そしてその植え込まれた思考は、本来あるべき日本人の姿からは、実は程遠い、きわめて軟弱でひ弱な日本人像になっていま す。
実は日本人は、巷間思われているよりもずっとアクティブですし、ポジティブな人たちなのです。

 決める時はみんなで決める。
やるときはみんなでやる。
明るく楽しく、「よろこびあふれる楽しい国」をみんなで協力しあって築いていく。・・・以下略


  やはり、現在の憲法を捨て、17条の憲法か、五箇条の御誓文に戻ることこそが日本の取るべき道なのです。
  それを決断できる総理大臣は現れるでしょうか。どう考えても無理なのでしょう。となれば、やはり、現在の憲法を改訂 するのが 精一杯でしょう。と言うか、それすら出来ずに来た日本は、やはり消滅するしかないのかも。
  それが、嫌なら何があっても改訂するべきです。出来るかな。
2020年 10月26日(月)   第2322回  ★82年前に あったいまの大統領選挙と同じこととは
  トランプさんを引き摺り降ろそうとあらゆる手 を使って 攻撃しているChina・民主党・ディープステートだけに、まだまだ油断は出来ません。
  何と言っても、奴等には金という最大の武器があります。何と、同じことが82年前にも行われていたとねずさんが書い てくれて います。

  蒋介石は金が欲しかっただけのようです。何とも情けない奴です。と言うか、権力が全ての世界はそんなものなのでしょ う。
  
  ところが、日本は権力と権威を分離した。それによって、権力を握ろうとする金の亡者が跋扈することを防いで来たので す。何と 言う凄いことでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /18

  82 年前に あったいまの大統領選挙と同じこととは

  ・・・略

 ところがその共産党が、ほぼ壊滅状態に至ってしまう。
共産党という敵がいるから、蒋介石は大金を欧米諸国から得ることができたのです。
それが無くなってしまえば、もはや蒋介石は商売あがったりです。

 そこで西安事件に至るわけです。
蒋介石は拉致されたことにして毛沢東と会い、そこで共同抗日と国共合作が約束されました。
つまり、国民党、共産党両方の共通の敵として、日本によって自分たちが侵略されたことにして、日本との戦いをするから と、欧米諸 国から金をもらうという工作に走ったわけです。

 これは日本からすれば寝耳に水の話です。
そもそも日本がチャイナに兵を置いたのは、義和団事件(1900年)のあとに締結された北京議定書に基づくものです。
そこでは日本を含む11カ国が治安の荒廃した清国に、いまでいうならPKO部隊を派遣し、治安の維持を図るということが 取り決め られています。
そして日本は、この議定書に基づき、欧米諸国とともにチャイナに兵を派遣していたのです。・・・中略

 では将来はどうなっていくのか。
情報=権力の時代の到来を予言する人もいます。
しかしそれは間違っていると思います。
我が国の歴史を振り返るとき、明確にわかるのは、我が国では権力は責任であると理解されてきたということです。
つまり、「権力=責任」ですし、本来そうあるべきなのです。・・・以下略


  蒋介石がここまで下劣な奴だとは思いませんでした。やはり、世界は腹黒い。バイデンや二階なども同じ穴の狢なので しょう。
  日本の最大の武器である皇室を破壊しようとする勢力があるのも当然でしょう。敵は日本を破壊するには皇室を破壊する しかない ことをきちんと理解しているのでしょう。

  肝心の日本人が自虐史観によってそれを知らないのですから恐ろしい限りです。
2020年 10月25日(日)   第2321回  ★内陸だった (かもしれない)日本海
  歴史、特に日本の歴史の裏には天変地異が絡ん でいるよ うです。表面だけなぞっている日本の劣化した歴史教育ではそんなことは絶対に教えないでしょう。

  最近のねずさんはもっとスケールのデカい歴史を取り上げてくれています。ここまで考えないと本当の歴史は理解出来な いのじゃ ないでしょうか。

  それにしても、人類は地球に翻弄されていると言えそうです。最後は太陽の膨張に飲み込まれて終わりなのですから。そ れまでに 何処かに逃げることは出来るのでしょうか。

  そんな壮大な歴史をグーグルアースでねずさんが教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /17

  内陸 だった (かもしれない)日本海

  ・・・略

 前にも書きましたが、神社の作法など、作法を守らなかったからといって、逮捕されることはないし、罰金を科せられるこ ともあり ません。
けれど、先祖代々受け継がれてきた伝統を大切に護ることで、それを今度は自分が後世に伝えていく。
 つまり、我々は、いま生きていて、いまさえ良ければいいということではなくて、我々の命は幾百千の祖先の「後世の子孫 に幸せに なってもらいたい」という祈りの心の上に成り立っている。
その祈りの心は、今度は自分が祖先となって、後世につないでいかなければならない。

 そういうことを日本人は、太古の昔のさまざまな経験を通じて学び、それをひとつの文化として、大昔からずっと大切にし てきたの で はないかと思うのです。


  長い地球の歴史の仲の一瞬を生かして貰っている人間が世界を征服してもどれ程のことがあると言うのか。人間もっと謙 虚に生き るべきでしょう。
2020年 10月24日(土)   第2320回  ★中国とバイデ ン氏との関係を示した動画
  何時も新刊を紹介してくれているねずさんが、 今度は動 画を紹介してくれています。ねずさんの動画が多くなって全部をチェックしきれなくなって来ていますが、今度のは子育てという興味 深いテーマです。

  さて、その動画の一つに、16日、第 3488回 の「★ バイデン家と中国の秘密」で、取り上げたあのバイデン家のものが入っています。
  ねずさんも、トランプさんを応援してくれているようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

   ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /16 

  中国 とバイデ ン氏との関係を示した動画と、新たな日心会動画チャンネルのご紹介

  ・・・略

 だから、ただ危機感をあおるのではなく、日本人が日本人らしさに目覚め、日本を愛する心を取り戻すことが、大事なこと だと思っ てます。
そしてそのことは、ただ歴史認識で対決したり対立することではなくて、もっと異なる視点・・・つまり、すこしだけ見方を 変えてみ ようよ、そうしたら、より楽しく、より面白く、そして自分の人生を拓くことのできる知見を得ることができるよ、という視点によっ てのみなしうることではないかと思っています。

 ほんのちょっとだけ、見方を変えてみるのです。
そうすることで、いままで見えなかったものが、はっきりと、くっきりと見えてくる。
そこが大事だと思うのです。

 様々な切り口での動画のアップは、そうした目的意識の上に行っているものです。



  それにしても、ねずさんの活躍が目立って来たということは、それだけ日本人がねずさんの啓発によって目覚めて来てい るという ことでしょう。
  もしネットが無ければ、私と共に日本人は目覚めることもなかったのじゃないでしょうか。ネットこそが日本の恩人か も。これが アメリカの軍事研究から産まれたものというのも皮肉なものです。
2020年 10月23日(金)   第2319回  ★今の日本にはこんな為政者はいないかも
  これも、ねずさんが何度も書いてくれている話 ですが、 江戸時代までは日本の為政者には素晴らしい人がおられたようです。
  今の日本にこうした素晴らしい人達がどれ程おられるのでしょうか。と言うか、そんな人は政治には関わらないのじゃな いでしょ うか。
  この素晴らしい時代も明治維新から徐々に劣化してきて現在の最悪となったということでしょう。
  やはり、日本人が目覚めて日本の本当の素晴らしさを取り戻す必要があります。と言うか、日本はやはり外との付き合い は国内と 違うということを前提にすべきです。
  世界が、日本に追いついてきた時、初めて内外を同じような付き合いかたにすべきです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /15
  
  天野 康景と代 官の判断

  ・・・略

 現代社会においても同じことがいえます。
犯罪を犯した者を逮捕し、法で定めた通りに処罰するだけなら、裁判所も裁判官も要りません。
これからAIの時代になりますが、そういうことだけなら、むしろAIに裁判官になってもらった方が良いかもしれません。
AIと人間の違い。
それは責任を取ることができるかできないかの違いです。

 そして、現代のような無責任に、機械的な裁断を下すだけの法治なら、その社会の行き着く先は、どんなに法を破っても 「捕まりさ えしなければ構わない」という社会です。
そうならないように、予防し、民の情況を察し、事前に手を打って問題そのものが起こらないようにするというのが、本来の 政治や行 政や法のあるべき姿です。

 天野康景のこの事件を通じて、いろいろと思うところを書いてみました。
みなさんはどのようにお感じになられたでしょうか。
たいせつなことは、この天野康景の事件が、何年に起きたかという年号ではありません。
そこから大切なことを学び取ること。
それが本来の歴史学であり、単なる年号学と異なる点なのではないかと思います。
 

  この素晴らしい日本を取り戻すにはやはり正しい国家観と歴史観を身に付けるしかないでしょう。つまりは、地に堕ちた 教育の再 生しか方法は無いということです。
2020年 10月22日(木)   第2318回  ★松そ雄々しき 人もかくあれ
  我が家に私より長生きの松が二本あります。物 心付いた ころから毎日見てきた松ですが、極貧の為に今年から自分で剪定することにしました。
  今やネットのお陰で剪定方法も沢山アップされているので、何とかなりそうです。とは言え、生来の面倒臭がりなので、 いっそ切 り倒そうかとの誘惑に買われます。
  それでも、祖父の代から親しんで来たものだけに、簡単に切って良いものかの迷いがあるので、やれるところまでやって みる積も りです。

  そんな松についてねずさんがとりあげてくれ、偶然でしょうか昨日取り上げた日本の林業の問題にも触れてくれていま す。
  やはり、昔から受け継がれてきた国産の木材をコスト問題だけで簡単に捨ててしまった林業の失敗は見直すべきでしょ う。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /14

  松そ 雄々しき 人もかくあれ

  ・・・略

  戦後の日本人の多くは、日本人であることを嫌がり、欧米人のようになることが称賛されてきました。
住宅行政も、社会制度も、服装も、生活スタイルも欧米式になることがかっこいいことであるように宣伝されました。
このため、多くの日本人が理想の生活を求めて欧米に渡りました。
けれどその多くが、わずか数年で日本に帰ってきてしまいました。

 あるいは住宅用の木材は、国産の木材を使うことが行政によって拒否され、外国からの木材の使用が奨励されました。
ところがそんな外材の多くは、年間の平均湿度が20%に満たないような乾燥した土地で生えた木材でした。
日本は高温多湿の国です。
そのような木材を住宅用に使えば、木材は大喜びで空気中の湿気を吸います。
結果、壁紙の裏側はカビだらけとなり、住む人にアレルギーを引き起こしました。

 一方、およそ30年で伐採されて住宅建築用木材とされていた杉は、外材の使用の普及によって森に植えられたままになり ました。
日本の杉は、それまで30年で伐採されていましたから、30年経つと生き残りのために猛烈に花粉を飛ばします。

 こうして日本では花粉症に罹患する人の割合が、なんと50%を越えるようになりました。
いまや花粉症は国民病や風土病ともいうべき病気ですが、これだけ困っている人がいながら、政府はいまだに花粉症を国家的 対策対象 症例としていません。
なぜなら花粉対策と杉の伐採と新たな林業分野の育成が実は一体のものであり、これを行うと外材の輸入が大幅に減少するか らだとも いわれています。・・・以下略


  やはり、正しい国家観も歴史観も持たない人達に政治や行政を任せると国家を破壊することしかやらないようです。
  ここまで、劣化した日本を再生するには、国民の再生が必須です。やはり、全ては教育が握っているようです。
  ここに手を付けない限り日本の再生は有り得ないでしょう。
2020年 10月21日(水)   第2317回  ★誰も「力によって支配」されることなど 望んでいない
  やはり日本人は世界の人達とは違うものを持っ ているよ うです。それは、シラス国というとてつもない素晴らしい国に産まれ育ったことにより御先祖様から引き継いだものでしょう。
  それを自覚していないことが世界との付き合いで損をすることになっていることをこの部屋でも何度も書いてきました。
  ところが、それを自覚して付き合うことでその欠点も補われるようです。何故かと言えば、世界の人達も、本当は日本人 と同じ気 持ちを心の底に持っているからなのだそうです。

  ねずさんが、そんなことを教えてくれています。どうやら世界も少しずつ日本の素晴らしさを理解しはじめているようで す。これ も、ネットのお陰じゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。 

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /13

  力 (power)による支配(Domination)

  ・・・略

 日本では、「力(power)による支配(Domination)」は通用しないのです。

 代わりにあるのが、理解し、納得し、共感して、共同で事に当たるという姿勢です。
このことは、実際に海外で生活すると、日本人の思考と海外の人たちの思考の違いとして肌で感じるものでもあります。

 そしておもしろいのは、多国籍の人々で構成するプロジェクトチームに、日本人が役割の上下を問わずひとりでもいると、 そのチー ムは必ず、確実により良い成果を上げる、という点です。

 なぜかといえば、理由は簡単です。
世界中の誰もが、すくなくとも個人に関する限り、誰も「力(power)によって支配(Domination)」される ことなど 望んでいないからです。
そうではなくて、誰もが自分を認めてもらいたいし、誰もが貢献したいと思ってそこに集っているのです。

 ですから、そうした国際的なプロジェクトのような集団で、東洋系の自称大国の人や自称日本の兄貴分という人たちは、や はり世界 で嫌われます。
なぜなら、彼らは常に自分だけが大事であり、西欧の人々以上に支配的だからです。

 ここに日本のもつ「理解、納得、共感、共同」のおもしろさの世界における普遍性があります。
日本が持つ古来からの人を活かす知恵は、いまや世界が求める知恵になろうとしているのです。・・・以下略


  とは言え、その日本の素晴らしさを戦後の自虐史観教育で忘れさせられた為に劣化が進んでいます。
  一日も早く日本人が目覚めて、日本の素晴らしさを理解しないと世界の模範とはなれないでしょう。その時、日本は世界 から見捨 てられるのじゃないでしょうか。

  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」です。
2020年 10月20日(火)   第2316回  ★人は霊(ひ) の乗り物
  日本人が、これ程までに先人の名誉を蔑ろにし たままな のは、GHQと戦後利得者により刷り込まれた自虐史観が原因であることは明らかです。
  とは言え、これも余りに恵まれた日本人が持つお人好しな性格によることも確かじゃないでしょうか。
  先人が築き上げてくれた素晴らしい日本に産まれた恩恵を受けながら、その先人の名誉を回復しようともしないのですか ら余りに も素晴らしい国を築き上げてきたことが皮肉な結果を齎しているとも言えるのじゃないでしょうか。
  これは、やはり日本人が正しい国家観と歴史観を身に付けて取り戻すしかないでしょう。

  ねずさんが、そんな日本人の戦い方を教えてくれています。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /12  
  
  人は 霊(ひ) の乗り物

  ・・・略
 
 では自分の名誉を奪われたと感じたらどうするのか。
答えは、また「名誉を築くしかない」です。
イザナギとイザナミは、最後に千曳岩(ちびきいわ)をはさんで別れるとき、イザナミが
「愛する夫よ、お前がそのようにするのならば、私はお前の国の民草を毎日千人くびり殺そう」と言います。
これに対しイザナギは、
「愛する妻よ、お前がそのようにするのならば、私は毎日1500の産屋(うぶや)を建てよう」と答えます。
これが日本人の戦い方です。

 名誉は、預金残高と同じです。
コツコツ貯め込んで増やすしかない。
名誉が奪われるたときは、その預金通帳の残高がゼロかマイナスになったということです。
すでに失われているのですから、いくら相手の悪口を言ったところで戻ってくるものではない。
そうであれば、またコツコツと貯めていって、名誉という名の預金残高を増やしていくほかないのです。

 名誉を奪う究極は、相手の生命を奪うことです。
これには物理的な殺害もありますが、相手の政治生命や、相手の仕事や家庭を奪うことも、その中に含まれます。
腹が立つのはわかりますが、ひとたびその世界に入ると、定性進化で、その方向だけしか見えなくなるものです。
そしていつの間にか、悪に染まることになります。
議会制民主主義が陥る最大の欠陥がここにあります。
そして悪と悪の対決なら、最初から悪そのものである方が圧倒的に有利です。
なぜなら何の良心の呵責もないからです。

 日本は、戦後の大きな歪みの中にあると言われます。
しかしその歪みは、よくよく調べてみると、すでに戦前から始まっていたことであるとも言われます。
だからなんとかして、素晴らしい日本を取り戻したい。
そう思います。
しかし、そのために悪に染まるのか。
悪口雑言で他人の名誉を奪うことだけに、自分の一生を費やすのか。

 一生をかけて自らの魂の成長を求めていくところに、日本人の日本人的な生き方があります。
なぜなら人は霊(ひ)の乗り物だからです。
 

  さて、果たして日本人は素晴らしい日本を取り戻すことが出来るのでしょうか。と言うか、是非、取り戻して貰いたい。
2020年 10月19日(月)   第2315回  ★国政と定性進化
  残念ながら明治維新は必要であったことは間違 い無いで しょうが、西欧に追いつき追い越せの基本が間違っていたのじゃないでしょうか。
  つまりは、日本の素晴らしさを自覚できずに何でも西欧が上と考えてしまったことに大きな間違いがあったということで す。
  ねずさんのお陰でその辺りをおぼろげながら理解出来るようになってきました。と言うか、それに気付いていた日本人は 殆ど居な かったのじゃないでしょうか。
  だからこそ、戦後のGHQの日本人劣化の企てにも簡単に乗ってしまったのでしょう。

  やはり、日本人はもう一度日本の素晴らしさに目覚めて再生すべき時が来ているようです。

  今回のねずさんも、もう一度それを考えさせてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /11

  国政 と定性進 化

  ・・・略

 国政というものは、百年の大計に基づいて行われるべきものです。
あらゆる環境変化を想定し、誰も知らない間に未来への布石を打つ。
それが本来の国政のあり方です。
意味もわからずに民主主義をがなりたてて、ただ政権の批判をするのが政治ではありません、

 このことは戦後日本に限ったことではなく、今の米国も同じだし、戦前の日本も同じです。
政治の本義はどこへやら、ただ与野党の対立による覇権争いのためだけに、いたずらに時間ばかりが過ぎていく。
それならいっそのこと、我が国は大政奉還して、元の律令体制に戻したほうが良いかもしれない。

 日本が日本を取り戻すために必要なことは、ただひとつです。
日本人が、日本が天皇の知らす国であることを自覚し、これを常識として取り戻すこと。
それだけが、日本がサーベルタイガーにならない唯一の道だと思います。

 
  それにしても、今の政治は全く逆のことをやっているようです。やはり、日本人の劣化は究極まで来ているようです。
  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」としか言い様が無いですね。
2020年 10月18日(日)   第2314回  ★神社での参拝の作法
  戦後教育にどっぷりと浸かっていたので完全な 自虐史観 の平和ボケだったことは何度も書いてきました。
  その弊害もあって、神社の参拝にも殆ど行ったことがありませんでした。それだけに参拝の作法なんて全く知らずに来ま した。
  もしかしたら、今の極貧生活もこの所為じゃないかと反省しています。とは言え、金も体力も無くなった今、神社を参拝 する機会 も殆どなさそうです。

  ネットのお陰でその参拝の作法も少しは覚えていますが、何といっても実践が少ないだけにきっとその時になったら思い 出さない のじゃないかと思っています。

  今回のブログは、ねずさんにそこをズバリ突かれたような気がします。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /10

  神社 での参拝 の作法

 ・・・略

 こうした保守的な活動をしていると、皆様とともに神社に参拝させていただくことがよくあります。
ところが最近になって目覚めた方に多いのですが、参拝の作法がわからないという方もおいでになります。
そこで、基本的な神社参拝の作法について、服装、鳥居のくぐり方、参道の歩き方、手水、参拝、玉串奉奠の6つをまとめて ご紹介し てみたいと思います。・・・中略

 国の富が民衆に分散され、特別な大金持ちもいない代わりに、超のつく貧乏人もいない。
誰もがそれなりに真面目に働きさえすれば、確実に中流の(つまり人並みの)生活を送ることができる。
民衆が総中流化しているうえに、いざ災害などの天変地異が起これば、必ず政府が被災者のために行動を起こしてくれる。
そして政治が被災者のために行動を起こすのは、それが国家最高権威によって政治権力に与えられた役割になっている。
そういう社会体制が、何百年、何千年と培われてきたからこそ、日本では災害時に暴動が起こらないのです。

 そしてそういう社会体制が根幹にあるからこそ、政府も、神官も、ただ「これが作法ですよ」というだけで、民衆は黙っ て、それに 従 う。
これこそ人類が希求し続けた、究極の社会体制と言えるものなのではないでしょうか。
そんな国を日本は築き続けたのです。

 私達が取り戻そうとしている日本は、そういう日本です。
このことに反対し、あるいは攻撃を繰り返す人たちというのは、どういう人たちでしょうか。
日本の治安が悪化し、悪党がはびこり、民衆が収奪される世の中を求めているのでしょうか。
そうであるなら、それは、日本にとっての害毒というだけでなく、人類にとっての敵です。
そして神々は、そのような人たちを決して許すことはないと思います。・・以下略


  何とか身に付けて、もし参拝する機会があれば作法通りに自然にやりたいものです。多分無理でしょう。
2020年 10月17日(土)   第2313回  ★信長と桶狭間 の戦い
  昨日の秀吉も目から鱗でしたが、今日の信長も 最初にね ずさんが書いてくれたのを読んだ時には驚きでした。
  弾正台なるものもねずさんが教えてくれていましたが、信長と結びくなんて思いもしませんでした。
  それだけに、多くの信長論でもこれは特筆ものじゃないでしょうか。只、信長が自分を神体とした寺を建てようとしてい たことの 説明は着かないようです。

  とは言え、この弾正台の役目に沿って動いたという話は説得力があります。信実はどこにあるのでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。
 
  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /9

  信長 と桶狭間 の戦い

  ・・・略

  2 桶狭間の戦いの意味▼

 弾正台は、天皇直下にあって、太政官や神祇官の高官で不忠を働くもの、あるいは私腹を肥やして民生を省(かえり)みな い者がい た 場合、問答無用で斬捨御免の権能を与えられていました。
つまり弾正台は、政治家や行政機関だけを対象とした警察機構であったわけです。《民間に関する警察機能は別に太政官の中 の刑部省 に設けられました。》

 おもしろいもので、我が国の歴史を通じて、この弾正台が不正を働いた官僚や政治家を一刀両断のもとに斬り倒したという 事例はあ り ません。
だから「弾正台が形式的に置かれていたが、まったく機能しなかった」という先生もおいでになりますが、そうではなくて、 弾正台と いう重石(おもし)があったからこそ、弾正台が刃を振るうことがなかったのです。
刃(やいば)は振るうことより、振るわずに抑えるところに意味があります。
それが我が国の歴史であり、我が国の考え方です。

 その弾正が唯一(ゆいいつ)我が国の歴史の中で機能した事例が、織田信長の桶狭間の戦いです。
信長のいる尾張国に攻め込もうとした今川義元の今川家は、赤穂浪士で有名になった吉良家の分家です。
その吉良家は、もともと足利一族の分家です。
つまり今川氏は、足利家の分家のさらに分家という位置にありました。
その今川氏が、天下を狙って上洛しようというわけです。

 家格からすれば、これは許されるべきものではありません。
ということは、弾正の家柄を持つ織田家としては、これをみすみす見過ごすわけにいかない。
たとえ相手が強大な武力を持っていようと、これを打ち倒すのが弾正の名を受け継ぐ織田弾正家の使命であり誇りです。
そもそも弾正は、相手が強大であるとか、政治権力を持つとか、そういうこととは関係なしに正義を貫くのが役割だからで す。

 職業の誇りというものは、人に勇気と知恵を与えます。
刑事さんがどんな悪党の巣窟であっても、そこに出かけていくし、悪と対峙するのと同じです。
主君である信長が、弾正としての職責を果たすとなれば、先祖代々織田家に仕えてきた家臣一同も奮い立ちます。いまこそ織 田弾正の 家に生まれた先祖伝来の使命を果たすときなのです。

  だから信長は、いざ出陣という前に、謡曲の「敦盛(あつもり)」を舞ったのです。
「敦盛」は、源平合戦の折りの一ノ谷の戦いで、平清盛の甥の平敦盛が、退却に際して青葉の笛の「小竹」を持ち出し忘れた ことに気 付き、これを取りに戻ったところを源氏方の熊谷直実(くまがい なおざね)に呼び止められ、一騎打ちを挑まれる。
相手にしないで逃げようとする敦盛に、熊谷直実は「兵に命じて矢を放つ」と威迫(いはく)します。
多勢に無勢、雑兵に矢を射られて死ぬくらいならと、一騎討ちに応じるけれど、百戦錬磨の直実に、熱盛は簡単に組み伏せら れてしま う。
直実が、頸(くび)をはねようと組み伏せた相手顔を見ると、まだ元服も間もない紅顔の若武者です。

 人間五十年 化天(げてん)のうちを比(くら)ぶれば
 夢幻(ゆめまぼろし)の如(ごと)くなり
 一度(ひとたび)生(しょう)を享(う)け
 滅せぬもののあるべきか

 どうせ一度は死ぬ命。
たとえ負けるとわかっていても、武士ならば堂々と戦って死のうという決意が、この敦盛に象徴されているわけです。

 覚悟を決めた信長は、同じく主君とともに討ち死にの覚悟を決めた二千の手勢を率いて、桶狭間で今川義元の本陣を急襲し て、見 事、 義元の頸(くび)をあげる。
こうして信長は、まさに弾正としての職責をまっとうしたのです。・・・中略

 要するに信長は、我が国の歴史と文化を古典に学び、そこから我が国の国民精神を得るとともに、みずからが弾正の家系で あるとい う誇りを大切に生涯を貫いているのです。
歴史伝統文化を古典に学ぶことは、誇りを育むということです。

 そして誇りを育むということは、国民精神を身にまとうということです。
これを英語でかっこよく言ったら、アイデンティティを得るということになります。

 いま日本人に不足していること。
それこそが国民精神です。その国民精神の復活には、現状の時事問題に右往左往するのではなく、我々自身が古典を学び、古 典に書か れた歴史伝統文化の精神の再確認が必要であると思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。


  政・官・財が劣化しきった今こそ弾正台が必要ですね。こんな素晴らしい仕組みを作っていた先人は本当に凄い。
  やはり、もう一度日本を見直す必要があります。
2020年 10月16日(金)   第2312回  ★秀吉の朝鮮征 伐は、秀吉が「明国と朝鮮半島で戦った」事件
  ねずさんに出会って日本の素晴らしさを沢山教 えて貰い ましたが、その中でも秀吉の朝鮮征伐の真意ほど驚いたことはなかったかもしれません。
  それほどまでに、戦後教育に犯されていたという証拠でしょう。それをねずさんに教えて貰ったことで平和ボケの目が覚 めたのか もしれません。

  どこまでが信実かは分かりませんが、日本人としては信じたいものです。

  それにしても、これ程までに貶められた歴史には驚くしかありません。 

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /8

  秀吉 の朝鮮征 伐は、秀吉が「明国と朝鮮半島で戦った」事件

  ・・・略

 もし、秀吉が朝鮮出兵を行わず、日本の国力をスペインに見せつけなければ、どうなっていたことでしょう。
明国がスペインの植民地になっていた可能性は非常に高いのです。
当然のことながら、朝鮮半島も、スペインの支配地となったことでしょう。

 そしてスペインの植民地となることは、どういう意味を持つのか。
そのことは、いまの南米諸国が、見事に教えてくれています。

 現在、南米に南米人の純粋種は存在しません。
白人との混血種だけです。

 アルゼンチンやウルグアイでは、先住民族がほぼ完璧に抹殺されてしまいました。
いまこの地域に住んでいるのは、ほぼ白人種です。
ブラジル、エクアドル、ペルー、ボリビアは、全員が先住民族と白人との混血です。
純血種はいません。

 日本も中国も朝鮮も、それぞれに純血種を保ちながら、いまに至っています。
南米のようなことにならなかったのは、秀吉と配下の戦国武将たちが、スぺインと真っ向から戦う姿勢を示したためです。

 ちなみに、秀吉の死去にともなって、日本は朝鮮半島から撤収し、慶長の役は終わりました。
「だから朝鮮出兵は秀吉の気まぐれで起きた戦争だ」というのは、大きな間違いです。
半島に出兵した武将たちは、自ら進んで真剣に戦ったのです。

私たちは、スぺインという世界最強の大帝国に対し、一歩も退かず、むしろ臣従せよと迫った秀吉の壮大な気宇と誇りを、い まこ そ見習うべきときにきているのではないでしょうか。

そして「秀吉の朝鮮征伐」は、秀吉が「明国と《朝鮮半島で》戦った」事件という意味の言葉であることを、私たちはあらた めて理解 する必要があるものと思います。


  そてにしても、つくづく隣におかしな国を持ったものです。これも、八百万の神々の深い考えがあってのことなのでしょ うか。

  それにしても、秀吉の名誉挽回だけはしてあげたいものです。
2020年 10月15日(木)   第2311回  ★素晴らしい日本語を教えない教育
  やっとその売国奴振りが表面に表れてきた日本 学術会議 問題こそ、文科省や日教組、大学の腐敗などの日本の教育の劣化の象徴なのかもしれません。

  その戦後教育で育った団塊の世代の私の無教養もその結果の一つと言えるのじゃないでしょうか。

  と言うのも、お恥ずかしながら古典や和歌などで読めない文字が余りにも多いことにがっかりさせられることが多すぎる のです。

  今日の、ねずさんのブログも見出しから殆ど理解できません。特に、肇国(ちょうこく)なんて言葉は初めて目にしまし た。
  これが、戦前は常識だったということですから、やはり日本の教育は早急に改正すべきでしょう。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /7

  建国 (けんこ く)と肇国(ちょうこく)、そして天にぎし国にぎし

  ・・・略

 「建国」と「肇国」と「天にぎし国にぎし」。
それぞれの言葉には、それぞれに深い意味があります。
こうして私たちの先輩たちは、言葉をとても大切にしてきたのです。

 日本語を話す日本人であれば、日本語で思考し、日本語で対話します。
つまり思考は日本語によって行われるわけです。
そうであれば、日本語を正確に、またちゃんとした意味を共通の定義としていくことは、対話を成立させ、コミュニケーショ ンを行な い、あるいは論考をするに際して、とても大切なことです。
そのためにあるのが国語教育です。

 しかし現代の国語教育は、果たしてそうした日本語の奥行きの深さや、日本的精神性をしっかりと教育するものになってい るといえ る のでしょうか。
もしなっていないとするならば、それは現代日本が抱える重要な問題のひとつであり、改善をはかるべき課題です。
そういう議論がちゃんとできる国政になっていくことが、国の未来を拓くのだと思います。


  やはり、日本人が日本に伝わる言葉を理解出来るような教育が求められます。それが出来ないようではKoreaと同じ ように滅 亡するしかないでしょう。

  先人が造り上げてくれた素晴らしい日本語を大事にすることこそが教育の基本じゃないでしょうか。
2020年 10月14日(水)   第2310回  ★オトポール事件と日本精神
   ねずさんが樋口季一郎さんを何度も取り上げ てくれてい ますが、何度読んでも感動します。やはり信実というものはそれだけ感動させるものがあるのでしょう。
  それにしても、日本政府・外務省の海外広報の下手さと言うかやる気のなさには呆れるしかないですね。
  折角こんな素晴らしい信実があるというのに世界に知らせようともしないその国を愛する心の無さに戦後教育の恐ろしさ を思わざ るをえません。

  今回、ねずさんが助けられたユダヤの人達がブラジルへ疎開していたことを書いてくれていて、心からホットしました。 と言うの も尼港事件のことがあるので、もしかしたら戦後皆殺しにあっているのじゃないかと想像していたからです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。 

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /6 
  
  オト ポール事 件と日本精神

  ・・・略

 満州のハルビン市で特務機関長をしていた陸軍の樋口季一郎(ひぐちきいちろう)陸軍少将のもとにハルビンユダヤ人協会 会長で医 師のカウフマン博士がやってきました。
そして樋口陸軍少将に、ユダヤ難民の救出を依頼してきました。

 しばらく考えていた樋口少将は答えました。
「わかりました。
 すべての責任は私が負います。
 博士は難民の受け入れ準備に
 取りかかってください」
この言葉を聞いたとき、カウフマン博士は滂沱の涙を抑えることができなかったそうです。

  樋口陸軍少将は、すぐ満鉄の松岡洋右(ようすけ)総裁に特別列車の手配を依頼しました。
オトポールのユダヤ人たちは、すでに多くが満足に歩けない状態となっていました。
駅から満洲の国境までは、わずか数百メートルです。
そこには満鉄の日本人職員が待ち構えていました。

 ユダヤ人たちはすでに息も絶え絶えの状況でした。
待ち構える日本の職員たちは、
「頑張れ、もう一息だ!」
と叫びました。
ようやく国境にたどり着いたユダヤ人たちを、職員たちが背負って列車まで連れて行きました。
こうして、すべてのユダヤ人が救出されました。・・・中略

 こうして事件が落着した2週間後、日本国政府に対してドイツ政府から強硬な抗議文が送られてきました。
関東軍の司令部の東条英機参謀長が樋口陸軍少将を呼び出しました。
樋口陸軍少将は、東条英機参謀長に答えました。

「ドイツは日本の同盟国です。
 しかしドイツのやり方が
 ユダヤ人を死に追いやるものであるならば、
 それは人道上の敵です。
 私は日本とドイツの友好を希望します。
 しかし日本はドイツの属国ではありません。」

  そして参謀長の顔を正面から見据えて言いました。

「参謀長!
 ヒトラーのお先棒をかついで、
 弱い者いじめをすることを、
 正しいとお思いになりますか」

  東条参謀長は天井を仰いで言いました。
 
「樋口君、よく言ってくれた。
 君の主張は筋が通っている。
 私からも中央に、
 この問題は不問に付すように伝えておこう」

  こうして日本政府は、ドイツの抗議を、
「当然なる人道上の配慮」
として一蹴しました。・・・中略

 数年後、転勤で樋口少将がハルピンを去る日、駅には二千人近い群衆が集まりました。
遠く数十キロの奥地から馬車をとばして駆けつけたユダヤ人もいました。
それは樋口少将が土地や住居を世話したユダヤ難民たちでした。
樋口陸軍少将の乗った列車が動き出すと、群衆はホームになだれ込み、
「ヒグチ!」「ヒグチ!」
「ヒグチ! バンザイ!」の声がいつまでも響きました。

  オトポール事件から約七年後、大東亜戦争の末期に突如侵攻してきたソ連軍を撃退した樋口陸軍少将は、ソ連に恨まれて、終戦後に戦 争犯罪人として裁判にかけられそうになりました。
このとき樋口陸軍少将を救ったのはユダヤ人たちでした。

 「命の恩人ヒグチを救え!」
「ヒグチに恩を返すのは今しかない!」
世界ユダヤ協会は、世界中のユダヤ人に連絡してアメリカ政府に働きかけ、樋口を救いました。

 かつての満洲は、いまは中共の東北省と、ロシア領に分断統治されています。
そこには、かつてのロシア帝国の元貴族たちや、こうして樋口季一郎元陸軍中将に助けられた多くのユダヤ人たちが平和に暮 らしてい ました。
日本が戦争に敗れたとき、満洲には、China共産党軍とソ連軍がなだれ込み、満洲国はなくなりました。
そして、そこにいたロシア帝国の元貴族やユダヤ人たちは、いまでは誰も残っていません。

 この人たちが、その後どうなったのか。
ずっと不思議に思っていました。
あるとき友人から教えていただきました。
終戦前に、彼らは日本の手によって、上海に渡り、そこから船でブラジルへと疎開したのだそうです。
そしてブラジル社会では、日系人と、元ロシア帝国人、ユダヤ人は、たいへんに仲の良い関係をいまも築いているのだそうで す。

 さて、日本において軍の存在は、上古の昔の神倭伊波礼毘古命に率いられた御軍の時代から武士、戦前の日本軍、現代の自 衛隊に至 るまで、常に公正無私、人々の生活の安全と安心を護る存在です。
ですから日本人にとって、軍人といえば、それはいまの自衛官や機動隊員と同様、常に正義の味方です。

  ところがこのことは、日本人の常識であっても、諸外国の常識ではありません。
大陸や半島においては、自国の軍は常に暴徒であったしヤクザ者であったし、ギャングの手先で有り続けました。
西洋においては、軍といえば傭兵で、傭兵は常に食いはぐれた愚連隊の集合体でした。
そしてその軍を動かすものが支配者でした。

  ですから支配者=暴力をふるう者であり、収奪者です。
だからこそ、そこからの自由のために民衆が軍と戦ったという歴史を持つのが西洋社会であり、その収奪者から逃れて、自由 のために 新大陸を目指したのがアメリカ、いまも古代や中世さながらに民衆が支配を受け続けているのがチャイナやコリアです。
日本とは国の成り立ちが違うのです。

  その、国の成り立ちが違う人達が、日本の軍のあまりの強さを見て恐怖して、戦後75年間、必死になって行ったことが、「日本の軍 は怖い存在」というイメージです。
ところが75年もかけながら、現実には、「日本の軍は怖い存在」というイメージは、ただの言葉遊びにしかならず、これを 政争の道 具にすればするほど、それをする野党は、日本の世間から見放されてきました。
また、これを教育よって日本人に刷り込もうとすればするほど、自衛隊への入隊希望者が増えています。
 

  それにしても、樋口さんといい日本の先人はやはり今の日本人とは人種が違うのじゃないかと思えてしまいます。教育と いうのは それ程に大事なことだというのが良く分かります。
  良い教育を受けることの有難さを未来の日本人に取り戻してあげたいものです。
2020年 10月13日(火)   第2309回  ★世界一歴史の 古い国の世界一すばらしい国家の成り立ち
  日本は歴史が古過ぎて、日本を「ニホン」と読 むのか、 「ニッポン」と読むのか決まってないそうです。流石日本が嫌いな国民が多いだけのことはあります。
  と言うか、読み方さえ解らない程に古い時代からの国名というのはやはり誇って良いものとも言えそうです。

  何と、その国名も白村江の戦いとも関係あるのだそうです。と言うか、ここでもあの朝鮮半島の人達が関係しているよう です。

  ねずさんが詳しく書いてくれています。

  いつものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /5

  世界 一歴史の 古い国の世界一すばらしい国家の成り立ち

 ・・・略

 日本は、世界一歴史の古い国です。
日本という国号のはじまりは、持統天皇が689年に発せられた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)です。
ここに最初に「日本」という国号が文字として書かれました。
それより以前は、外国では倭国、我が国では葦原中国(あしはらのなかつくに)、または大倭(おほやまと)と呼ばれていま す。

 ですから「日本」の読みも、本来はこう書いて「やまと」と読みます。
「やまと」の表記は、「倭(やまと)」であったり、「大和(やまと)」であったり、秋津島(やまと)であったりしました が、最終 的に持統天皇の御世に、「日本」という表記で確定したわけです。

 このため、いまでも「日本」と書いて「ニホン」と読むのか、「ニッポン」と読むのか確定していません。
結局、どちらの読みも正しいとされています。

 この「日本」という国号が唐の国に伝わり、その後に成立した元の大帝国の時代に、元の首都である大都にやってきたマル コポーロ が、元の言葉で「日=ジツ」、「本=ポング」と発音されていたものを、彼がイタリア語で「ZIPANG」と書き、それがヨーロッ パに伝わって、英語圏では「JAPAN」と訳されました。
7世紀に成立した国号が、現代でも使われているのは、世界でただ一国、日本だけです。・・・中略

 ところが倭国が、百済救援軍を起こして、これに抵抗する。
これは本来なら、あくまで「百済と新羅の戦い」です。
ところが戦っているのは、なぜか日本と唐です。
これはおかしな話です。
 しかも後ろ押しした百済の王子まで、結局、高句麗に逃げてしまう。
これでは戦う意味などありません。
そこで日本は、唐と結んで白村江から全軍を引き上げることにしたところ、その引き上げの当日に新羅がだまし討ちで日本の 船に火を 放って日本の将兵1万人が亡くなりました。
これが有名な白村江事件ですが、もう二度と、そんな嘘つきたちと付き合いたくない。

 だから日本は、663年に朝鮮海峡に国境線を敷いたのです。・・・以下略
 

  国境線が敷かれたのも、やはり朝鮮の人達とは付き合ってはならないという考えからとなると、やはり、日本は朝鮮半島 とは先人 の考え通り付き合いを止めるのが当たり前ということでしょう。

  一日も早く、先人の考えを取り入れるべき。
2020年 10月12日(月)   第2308回  ★稼いだものを世のため人のために使う
  戦後の劣化した経営者達が金に目が眩んで、未 だに Chinaからの撤退も出来ずにいます。この経営者たちを、2019年4月30日、第 1777回の「★★ 今の日本は、親の遺産で食っている莫迦息子」などで取り上げた二宮尊徳さんが見たら何と思うのでしょうか。

  その二宮金次郎さんの薪を背負って本を読みながら歩いているどの小学校にもあった銅像まで撤去されているなんて情け ない話題 があるほどに日本の劣化は進んでいるようです。

  ねずさんが、その尊徳さんを何度も取り上げてくれています。その尊徳さんの言葉を今の金の亡者達はどう聞くのでしょ うか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /3

  二宮 尊徳の 「推譲」を学ぶ

  ・・・略

   現代社会は西洋の論理を取り入れていますから、お金を稼ぐこと、それを貯め込むことに価値があり、たくさん稼ぎ、たくさん貯め込んだ人が、いわゆるお金持 ちです。
そしてお金持ちになることが、庶民の夢とされています。

 一方、二宮金次郎がいう経済の「推譲(すいじょう)」は、働いて稼いだら、その稼いだお金は世のため人のために積極的 に使いな さいというものです。
推譲(すいじょう)は、
「稼ぐためにお金を動かす」のではなく、
「稼いだものを世のため人のために使う」
という経済モデルです。

 どちらもお金は動きます。
ただ違いは、前者の場合、お金は、単にお金持ちのお蔵に吸い込まれていきますから、上の人は、どこまでも大金持ちにな り、吸われ るだけの庶民はいつまでも貧しいままに置かれます。

 後者は、お金をみんなが使います。
たくさん稼ぐ人はたくさん使うし、そうでない人もそれなりに使います。
要するに年貢米と同じです。
年貢米は、通貨が利用期限付きで発行されているようなものです。
使っても使わなくても失われてしまうのですから、使わなければもったいない。

 そうすることで社会にお金が回ります。
生産が増え、お金が増えれば経済規模が拡大し、みんなが豊かになっていきます。
そしてそのお金が公益のために使われれば、社会インフラが整い、国民は豊かさだけではなく、安全と安心を手に入れること ができま す。

 これが二宮金次郎の唱えた報徳思想を経済から捕らえた考え方です。
そんなものは理想論にすぎないと言う人がいるかもしれません。
しかし、これは江戸時代までの年貢米で実際に行われてきたことだし、社会の発展とは、人々の理想に現実を近づけていくこ とをいい ます。

 そういう意味では二宮尊徳の「推譲」の思想は、古いけれど、現代の世界において最先端に立つ思想であるということがで きると思 います。

  もう一度、日本人、特に国を率いていく政・官・財・マスメディアの偉いさん達がこの考えを持ってくれることを願いた いもので す。
  日本人なら理解できるでしょう。

  只し、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達には理解できないのかも。
2020年 10月11日(日)   第2307回  ★陛下のお言葉や御製のもたらす意味について
  このところの日本の政・官・財・マスメディア などの正 しい国家観や歴史観を持たない政策や動きに、やはり日本はもう消滅に向かっているのじゃないかと何度も書いてきました。

  ところが、ねずさんが日本はそんなヤワな国じゃないと教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。


  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /2

  陛下 のお言葉 や御製のもたらす意味について

  ・・・略

  保守の方の中にも、簡単に「日本がなくなってしまう」といったことを口にされる方がおいでになります。
もちろんその言葉の意味は、「そうならないために頑張ろう!」という意思の発露であるわけですが、神々の御意思はもっと 強くて、 「神州の不滅を確かなものとして信じなさい」というものです。
日本はそうそう簡単になるなるような、ヤワな国ではないのです。

 また「任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ」というのは、言葉を変えていえば、「そうそう簡単にできることではな いけれ ど」 ということです。
それでも「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」るのです。
そのために「道義を篤(あつ)くして、志操を鞏(かた)くして、誓って国体の精華を発揚して、世界の進運(しんうん)に 後(お く)れないようにしてほしい」というのが、神々の願いである、ということです。

 
  昭和天皇のお言葉まではねずさんの言われる通りだと思いますが、あの最悪の平成やもっと悪くなりそうな令和のお言葉 にはそれ を感じられないような気がするのは不敬なのでしょう。
  何とか秋篠宮から悠仁さまへと繋いで日本が見事に復活して貰いたいものです。
2020年 10月10日(土)   第2306回  ★権力者による 私的支配を拒否し続けてきた自由を持つ国はどこにあるか
  ネットで、ねずさん達によって日本が如何に素 晴らしい 国であったかを知り驚かされたものです。
  特に、シラス国には目から鱗でした。まさか、日本がこんな素晴らしい国を造り上げて来ていたとは想像もしませんでし た。
  戦後のGHQとその利得者達の罪は余りにも大きいでしょう。最も悪いのは、未だにその戦後利得にしがみついている奴 等でしょ う。

  ねずさんが改めてそんな凄い国日本を書いてくれています。日本がもう一度こういう国に戻ることは出来るのでしょう か。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/10 /1

  権力 者による 私的支配を拒否し続けてきた自由を持つ国はどこにあるか

  ・・・略
 タイトルの答えは、日本です。
これが実現できた国は、世界の歴史を通じて、日本だけです。
なぜ日本にそれができたのかといえば、日本が、一度も他国による支配や侵略を受けたことがない国であったからです。
ただし、戦後の日本は、これと異なります。

 世界の歴史を振り返ると、民族が皆殺しの憂き目に遭う危険が伴う世界では、民族が国家としてまとまることで外敵を打ち 払うため に は、国家の中心に権力を置くという社会形態を構築するしかなかったといえます。
だから世界には国ができたし、王国が生まれたし、同盟や朝貢なども行われました。

 ところが人には欲望があります。
そして権力には腐敗が付き物です。
結果として、権力者だけが贅をつくした生活を送り、民衆は貧困にあえぎ、私的に支配され続けるということが世界の常態と なりまし た。
さらには権力が自国民を虐殺したりしてきたのも、世界の歴史にはあたりまえのようにあることといえます。・・・中略

 企業や団体等においても、この種の「問題がある」といって「たいへんだ、たいへんだ」と騒ぎ立てる人がいます。
あるいは問題が起きたからと、いたずらに部下に責任をなすりつける人がいます。
なかには起きた問題を、部下の人格問題とすり替える人もあったりします。
いずれも責任逃れの無責任者の振る舞いです。

 責任ある大人なら、問題が起きる前に手を打つべきだし、それでも問題が起きたなら、むしろ問題点が明確になったと喜ん で、皆で 協 力しあって問題を解決していくことが大事です。
その意味で、よく問題を起こす社員というのは、むしろたいへん一生懸命仕事に打ち込んでいる社員である、ということがで きます。
そして問題が起きたとき、皆で協力し、知恵を出しあって問題の解決にあたることによって、問題を起こした者もまた成長す るので す。


  それにしても先人が造り上げて来てくれたこんな凄い国をあっという間に劣化させた戦後の日本人は本当に情けない。こ れも、や はり教育の責任でしょう。

  やはり、日本再生は、時間が掛かっても教育の再生からしかないでしょう。まだ、日本人の心にその可能性が残っている 間にやら なければ、消滅も有り得るのじゃないでしょうか。

  それにしても、権威と権力の分離を成し遂げた先人の凄さには驚くしかない。
2020年 10月9日(金)   第2305回  ★愛と責任は等価にある
  世界一素晴らしい国を造り上げてきた先人達の 努力も、 明治維新により海外のものを取り入れることにより徐々に壊れ、大東亜戦争の敗戦によるGHQと敗戦利得者の企みにより完全に劣化 してしまったのが今の日本でしょう。
  それでも、腹黒い世界と比べれば増しな方だというのですから世界がどれ程腐敗しているのかを考えると恐ろしくなりま す。
  一体どうやったら日本は再生できるのでしょうか。

  ねずさんが、愛と責任は等価にあると書いてくれています。日本の未来に希望を持たせてくれるのは本当にねずさん以下 数少ない 人達です。是非、そうしたいものです。

  それにしても、反日売国左翼・在日共はそれほどまでに日本が嫌いなのでしょう。これも、「日本に住んで日本国籍を持 ち、日本 語を話すけれど日本人でない者」達による影響が大きいのでしょう。
  やはり、解決方法は、特亜3国との国交断絶と反日売国左翼・在日共の一掃しか無いでしょう。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /30

  愛と 責任は等 価にある

  ・・・略

  「戦前の「修身」復活狙う安倍 戦争教育反対!学校から反撃を」とタイトルされたサイトなどを見ると、そこには、 「日本を愛 し守れというが、この国に守る価値などあるのか?」などと書かれています。
そう思うなら、さっさと外国に出ていっていただきたい。
日本にいて、言論の自由も身の安全も医療も老後の安心も保障され、それでいて守る価値がないと思うなら、日本にいる必要 などない のです。
しかもそもそもこの論は、「愛」を否定しています。

 愛する心を持たない者に、責任の自覚は生まれません。
なぜなら、愛と責任は等価だからです。
愛があるから責任も生まれる。
愛がなければ責任もないのです。

 つまり「日本を愛し守れというが、この国に守る価値などあるのか」という議論は、戯言(たわごと)であり、愛も責任も 持たない 馬鹿者の議論にすぎないのです。
いまの日本が抱える最大の問題がここにあります。戦後教育の成果です。

 問題というのは、クイズと同じで、答えが知れるまでが問題です。
答えが知れたら問題ではありません。
愛が育まれていないから責任感が欠如しているなら、戦前戦中の教育にあった愛を取り戻せばよいのです。
それができないのは、政治の怠慢です。


  やはり、日本人が目覚めて、正しい国家観と歴史観を身に付けない限り日本の復活はふかのうでしょう。
  それにはやはり、戦後の75年と同じ年数が必要なのかも。道は余りにも遠い。それまで、日本が消滅しなければ良いの ですが。
2020年 10月8日(木)   第2304回  ★ナショナリズムの必然性
  グローバリズムからナショナリズムへの戦いを トランプ さんが推し進めてくれています。何とか再選を決めてChinaを叩き潰してナショナリズムを取り替えして貰いたいものです。

  とは言え、何故ナショナリズムが良いのかと言えば簡単には説明できないものがあります。

  ところが、ねずさんがそれを上手く説明してくれています。それは、地球の環境は全部同じじゃないということです。
  つまりは、土地によって気候も環境も違っていることよって育ちも文化も違ってくるということです。
  やはり、世界が同じ考えで同じように動くというのは不可能とも言えるはずです。それを無理やり同じにしようとするこ とは不可 能でしょう。
  だからこそ、世界は緩く繋がって行くしかないのじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。  

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /29

  秋の ひつじ雲 と文化のお話

  ・・・略

 要するに文化は、必然なのです。
そこに上下はありません。
我が国に住む一部の日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちは、文化に上下を付けたがります。
それは彼の国が、そういう上下と支配と隷属の文化(それが文化といえるものであったかはともかく)構造が長く続き、いま だに社会 が古代のままに据え置かれていることによります。
彼らの国と日本では、歴史がまったく異なるのです。

 それを無理やり一緒くたにしようとすれば、無理が生じるのはあたりまえです。
そして無理は、必ず修正されます。
日本は変わります。
変わらなければならないのです。
なぜなら日本は天然の災害が多発する国だからです。
歳月はかかりますが、必ずすべては日本化していきます。
それが必然だからです。



  人間が世界平和を手にすることはやはり不可能なのかもしれません。とは言え、より良いものを求め続ける努力は必要で しょう。

  やはり、究極は日本のシラス国かも。
2020年 10月7日(水)   第2303回  ★江戸時代には、日本の教育水準は世界のトップレベルであった
  何と江戸時代の日本の教育は世界のトップクラ スだった そうです。ねずさんに教えて貰ってなければ驚いたところですが、今や、それを知ってもなる程と思えるようになりました。

  明治維新から西洋の学問に傾斜し、寺子屋という素晴らしい教育システムを捨てた付けとも言えるのかもしれません。
  それ以上に戦後のGHQの企みと、それを利用して来た戦後利得者達の罪は重い。

  そんな日本の教育の劣化にねずさんが警鐘を鳴らしてくれています。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /28

  世界 の進運に 遅れをとるな

  ・・・略

 江戸時代には、日本の教育水準は世界のトップレベルであったとされています。
だから日本は明治の大改革を成し遂げたし、世界の一流国家の仲間入りができるようになったのです。

  いま、日本の大学が、世界の平均レベルにもはるかに満たないということは、日本は文部科学省という省庁を国の機関として持ってい ながら、そこで行われている教育が世界の進運に、はるかに追いついていないことを示します。・・・以下略

 戦後の、特に文系における大学の間違いがここにあります。
政府は大学に補助金を出して学会を保護してますが、その学会は権力機構になっています。
そして学会の権威を護るために、あらゆる異説・新説は無視されます。
その典型が、戦後の学会を構成する自虐史観です。
こうなると自浄作用は働かないし、学問の進歩も深化もなくなります。

 日本は、あらゆる意味で世界の最先端になければならない国です。
それは理系の最先端工学ばかりではありません。
文系における理念や新事実の認知や、新しい学説の研究などが本来、盛んに行われなくてはならない。
  日本の大学が、世界ランキングで常にトップに立つくらいでなければ、日本が世界の学問や学説が世界のトップに立つことはないので す。

  その国の経済や、その国の発展は、その国の教育レベルと比例します。
バカでは世界に通用しないのです。



  それにしても、この教育の劣化を放置している政府・自民党には愛想が付きます。やはり、正しい国家観と歴史観の無い 者達が 政・官・財・マスメディアを押さえていることは日本の最大の危機です。
  何はともあれ、教育改正に手を付けることが急がれます。経済なんてその後でも良いのじゃないでしょうか。
2020年 10月6日(火)   第2302回  ★孝明天皇殺害 説と明治天皇替え玉説を斬る
  かなり前からネットで広まっている明治天皇替 え玉説 が、フェイクだとは思いながらも気になっていました。皇室解体を狙う勢力の仕業であることは間違い無いでしょうが、完全に否定出 来る証拠も無いだけに困ったものだと心配していました。

  ところが、ねずさんがこの問題を取り上げ、見事に斬ってくれています。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /27

  孝明 天皇殺害 説と明治天皇替え玉説を斬る

  ・・・略

 とりわけ幕末は、いまよりも、ずっと尊皇思想が強かった時代です。
むしろ尊王こそが常識化していた時代です。
ですから、幕末の動乱について「尊皇攘夷派」と「開国佐幕派」の争いという視点で描くのは間違いです。
なぜなら、幕府も全国の諸大名も民衆も、すべて「尊皇」であることに変わりがないからです。

 ですから「攘夷派vs開国派」は成り立ちますが、「尊皇派vs佐幕派」という関係式は成り立ちません。
あえていえば「尊皇攘夷派vs尊皇佐幕派」の戦いが戊辰戦争であったわけで、これを「尊皇か佐幕」という視点で見るの は、人心を 惑わす曲学と断じざるを得ません。

 そうした時代背景にあって、尊王そのものを否定する「替え玉」説などは、そもそも成り立ちようがないし、その必要もな いので す。
必要のないことをする理由がありません。
そのようなことをすれば、した人がかえって政治的に立場を悪くするだけです。

 要するに「孝明天皇殺害説」や「明治天皇替え玉説」などを述べる人は、申し訳ないけれど、我が国の天皇の存在を、チャ イナの皇 帝や西洋の王様と同じ、国家最高権力者としての存在の延長線上に捉えています。
それはつまり、我が国天皇についての勉強不足、我が国国体や神語についての勉強不足であり、我が国の天皇の御存在のあり がたさを 見失った、歴史学の観点からは「とんでもない説」でしかありません。

 なぜなら、開国か攘夷かという選択と意思決定は、あくまで国権の発露だからです。
そして国権を揮(ふる)うのは天皇のお役割ではなく、あくまで政治権力です。
天皇は、その国家権力の、はるか上位に位置する国家最高権威であって、その権威は一切の国家権力を行使しないことによっ て保たれ ているのです。・・・中略

 昨今、昨今、メディアや学会において、半島式のファンタジー史観でものごとを見ようとする人が増えています。
半島は上下関係だけの「古代」が現代まで続いている国です。
上に立ちさえすれば、どのような不正も許され、人を支配して自分の贅沢を得ることができるというのが、彼らの考え方だ し、歴史認 識における基礎思考です。

 しかし我が国は、半島とは国の成り立ちも違うし、歴史の古さも圧倒的に異なります。
おかしな曲解は厳に慎むべきです。

 なぜならそれは、我が国における天皇の御存在の重さを軽視して、西欧や東亜の王朝と同一視するものでしかないからで す。
王朝なら改廃や易姓革命が有りえます。
我が国天皇は、どこまでも万世一系の国家最高権威です。
ここを履き違えてはいけません。


  それにしても、こんな素晴らしい仕組みを考えてくれた先人の凄さに改めて感動します。それだけに、日本を消滅したい 勢力に とってはなんとしても潰したいものでしょう。

  日本が潰されるか、それともこの権威と権力を分離した究極の民主主義が世界に受け入れられる時が来るのか。なんと も、興味深 いものがあります。
2020年 10月5日(月)   第2301回  ★日本の将来人 口の予測と国家百年の大計
  少子高齢化による人口減の問題が言われなが ら、政治は 相変わらず根本的な対策じゃなく外国人を労働力として利用するなんて経済界の思惑通りに動いているようです。

  何度も書きますが、やはり正しい国家観や歴史観を持たない人達が政・官・財・マスメディアにうようよしているようで はもうど うにもならないでしょう。

  長い年月がかかろうとも、やはり教育から改正するしか方法は無いでしょうが、劣化した政治家達にそれを求めるのも無 理のよう です。

  となると、やはり国民が目覚めるしかないのでしょうが、これもやはり教育の改正でしょう。

  今や、唯一の希望は、ねずさんのようなネットによる教育でしょう。

  この問題もねずさんが取り上げてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /26

  日本 の将来人 口の予測と国家百年の大計

  ・・・略

 今後は、都会から地方への人口の分散が進めば、空きビル、空き家となった都会のビルや住居は積極的に取り壊され、地面 を均して そこを再び農地へと改変していく必要が生まれます。

 ところが昨今の国政の議論は、
「日本の人口が減少する→だから外国人労働者を大量に入国させる」
という議論です。
あまりにも短絡的な目先論です。
しかも悪いことに、国政における議論が、それしかない。
国政を担っているのは、与野党ともに人生経験の豊富なはずの大人たちですが、やっていることは幼児並みの知能しかない。
なぜ幼児並だと言うのかといえば、日本の文化性や、日本の治安の保持、日本の高度先端技術の向上や保持に関する議論がま るっきり 欠落しているからです。

 外国人が悪いと言っているわけではありません。
平安時代など、日本の人口の3分の1が外国からの帰化人です。
ですから、外国人が日本に帰化すること自体は、決して悪いことではありません。
ただし、日本に住んだり、日本に帰化するなら、そのための条件として、日本のルールをしっかりと守ってもらいたいので す。
簡単なことです。
郷に入っては郷に従え、というだけのことです。・・・以下略


  日本の進むべき道は、得意のロボットの活用でしょう。ある程度の人口減少を受け入れながら、正しい国家観と歴史観を 身に付け ることです。
  それさえ出来れば、日本は立ち直るでしょう。とは言え、それが最大の問題のようです。
2020年 10月4日(日)   第2300回  ★杉田水脈さんが麻の大事さを分かってくれている
  又しても、杉田水脈さんが反日売国左翼・在日 共に引き 摺り下ろされようとしています。余程、杉田さんの活躍が目障りなのでしょう。

  その杉田さんが、大麻を取り上げてくれています。何と、東京新聞の記事だそうです。東京新聞もまともなことを書くこ ともある んですね。それとも何か裏があるのでしょうか。

  いずれにしても、この記事は公平な良いものだと思います。


  これも、GHQが企てた戦後教育によって消された日本の素晴らしい歴史です。何としても、この大事な日本の文化を復 活させる べきです。
2020年 10月3日(土)   第2299回  ★神話と民度の 不思議な関係とは
  折角、世界に誇れる歴史を持ちながら、それを 国民に教 えないというとんでもない国になってしまっている日本です。
  何度も書いているように、未だにGHQの企みやそれを利用する戦後利得者達の所為と言っても間違いではないでしょ う。
  その教育の頂点に立つ文科省の劣化振りはあの辞めた次官の前川を見れば一目瞭然でしょう。その教育問題に手を付けよ うとしな い政府・自民党は一体何を考えているのでしょうか。

  ねずさんが、日本の神話の素晴らしさを取り上げてくれています。それを教えない日本の教育の恐ろしさを改めて思い知 らされま す。  

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /25

  神話 と民度の 不思議な関係とは

  ・・・略

 せっかく日本人に生まれて、アダムとイブと、イザナギ・イザナミの違いについて外国人から質問されてまったく答えられ ないので は、あまりにももったいない。
日本を建て直すなら、その根幹に神話への共通認識が育まれていなければ、実は建て直しの根幹が定まらないのです。

 さらにいえば、日本の神話は、日本の文化そのものといえます。
その日本文化は、子供にもわかる「やさしさ」を持ち、かつ、大人であれば大人としてさらにもっと深く知ることができる 「深み」を 持ちます。
この「やさしさ」と「深み」こそが、日本文化の根幹にあるものです。

 ところが残念なことに、戦後75年がかりで、神話はただの子供向けの物語とのみしか教えられてきていません。
それどころか、戦後の風潮は、あらゆる日本文化を、ただのエログロナンセンスに貶めることが、あたかも学問であるかのよ うな錯覚 をなすものであり続けました。

 ですから我々がいま、あらためて神話を普及しようとしても、神話があたかもエログロナンセンスのようなものとしてしか 認知され ない。
我々は、取り戻すべき神話の「やさしさ」も「深み」も失ってしまっているのです。
だからこそ我々は、いまあらためて神々の前に謙虚に神話を見直すべきであるのだと思います。

 「確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」とは、昭 和天皇の 終戦のご詔勅です。
そのお言葉通りに、謙虚に進むことが、我々臣民の道であると信じています。


  それにしても、日本に比べると、世界は本当に恐ろしい。やはり、日本人がその素晴らしさを知ることこそが日本再生の カギで す。
2020年 10月2日(金)   第2298回  ★マサダ砦のユ ダヤ人と日本のこと
  田中英道さんのユダヤ人が日本に来て八幡神社 を建てた という壮大な話は、どうも有りそうに思えます。
  つまりは、武を教えてくれたのはユダヤとも言えそうです。

  そのユダヤの人達は国を守る為に壮絶な戦いを最後の一人までやったのだそうです。何となく、特攻隊で日本を守ってく ださった 先人に通じるところがありそうです。

  ところが、今やGHQや戦後利得者達による自虐史観教育で日本人はその国の為という心を殆ど失ってしまったようで す。これを どう取り戻すかで日本の将来は決まりそうです。

  ねずさんがそんなユダヤの人達の戦いから日本人に警告を発してくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/9 /24

  マサ ダ砦のユ ダヤ人と日本のこと

  ・・・略

  ところが1838年に、ドイツ人研究者によってマサダの山頂の発掘から、この籤(くじ)で選ばれた十人 が、それぞ れ自らの名を署名した陶片が見つかりました。
こうしてマサダ砦の跡地が発見され、伝説、神話とされてきた古代の戦いが、現実に起きた出来事であったことが立証された のです。

 そしてイスラエルは、昭和23(1948)年に、ふたたび独立を果たすのです。
いま、世界の最先端の軍事技術のほとんどは、イスラエル生まれです。
またイスラエルは、国土の緑化のために、岩山となった土地に長いホースを伸ばしてコンピューター管理で放水を行い、土地 に緑を取 り戻そうとしています。

 そして瓦礫の山しかなかったイスラエルは、いまや農業生産物の輸出国です。
さらにイスラエルの人々は、国民の誰もがよろこびと楽しさを感じることができるようにと、非常に真面目な暮らしをしてい ます。

 いま、イスラエルは、国際的にみても、たいへんに豊かな国です。
そして強力なイスラエル軍は、国民に明確な安全を与え、完全管理された自国産の新鮮な野菜や果物は、防腐剤や病気などの 心配のな い、安心な作物として、人々の食生活に寄与しています。

 日本はどうなのでしょうか。
日本は、いつまで、祖先が大切にしてきた国土を、ただ消費するだけの状態を続けるのでしょうか。


  やはり、正しい国家観と歴史観を知って貰うしか日本の再生はないでしょう。つまり は、教育しか無いということです。
  ここを腰の引けた対応で放置している政治では再生は不可能でしょう。何とも長い戦いが必要なのかも。
  それとも、ネットのお陰であっという間に日本人が目覚めてくれるでしょうか。それを期待します。 
2020年 10月1日(木)   第2297回  ★菅政権は皇位継承議論をどう進めるか 政府・ 与党幹部に「女系」容 認も

    今日、菅(スガ)さんが竹中平蔵に取り込まれている恐 ろしさを取り上げましたが、皇位継承問題にも危なさがあるようです。

  何と、旧宮家の復帰を「グロテスクだ」と言う政府高官までいるそうです。誰でしょうか。  


  暫くは見守るしかないですが、何とも危なそうな雰囲気です。

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